第43話 幕間5(黒一福路 その1)

「えーんママー!」


 ここは、ダンジョンから少し離れた歓楽街。

 親と逸れた幼稚園児くらいの女の子が泣いていた。

 通り過ぎる大人たちは、見て見ぬふりをして通り過ぎる。

 助けたくない訳ではない、昨今の世情が手を差し伸べるのを戸惑わせているのだ。


 そんな中を黒いスーツの男が通る。

 黒いのはスーツだけではない、シャツもネクタイも真っ黒である。

 そんな見るからに怪しい男は、女の子の前まで来ると足を止め、しゃがんで目線を合わせた。


「やあ、可愛いお嬢さん。そんなに泣いてどうしたんですか?」


 女の子は急に現れた男に驚いて泣くのを止めてしまう。

 だが、その人物が知らない人だと分かると、また泣き出してしまった。


 男は困った顔をするが、ママと泣いているのを聞いて大体の事情は察した。


 スッと男が立ち上がると、喉を少しだけ慣らして口を開いた。


「どなたか、この子のお母様を知りませんか?」


 その声は大きくはなかったが、よく通っておりこの場にいる者全てに届いた。

 そして、その言葉に従って行動する。

 誰かあの女の子の母親知らないか?

 さっきあの店から出てきたぞ。

 じゃあ、あそこにいるのか?

 ……。


 程なくして、一人の女性が女の子の元に向かって走って来るのが見えた。きっとこの子の母親だろう、凄く心配そうな表情をしている。


 もう大丈夫ですね。

 そう判断した男は、泣く女の子の頭をぽんぽんとしてママが来ているのを教えて上げると、音もなくその場から立ち去った。





 黒いスーツの男は、この街の観光名所にもなっている高さ250mのタワーに入ると、エレベーターを使い地下へと降りて行った。

 地下にたどり着いた男は、カードキーの認証と顔認証を済ませエレベーターの扉を開く。


 扉の先には受付嬢がおり、見知った顔の彼─受付嬢に親しげに挨拶する。


「ご苦労様です。相変わらず制服がお似合いですね、お美しいですよ」


「ありがとうございます黒一様。 こちらが次の任務の資料になります。この一件は急を要するようです」


「承りました」


「署長が会議室でお待ちしております」


「はい、すぐ向かいます」


 受付嬢の格好をした彼に返事をすると、黒一くろいつ福路ふくろは会議室に向かって歩き出す。


「失礼します。お待たせしたようで申し訳ございません」


 会議室に到着した黒一は待たせていた相手に謝罪をする。

 その相手は探索者観察署特課署長の肩書を持つ人物であり、黒一の上司でもある。

 初老に差し掛かった年齢ではあるが、その体に老いを感じさせず戦う者の覇気を纏っていた。


「構わん時間通りだ。こっちが早く来ているだけで、何の問題もない」


「お心遣い感謝します」


「やめろ、お前の感謝はあとが怖い。 では仕事の話だ。資料には目を通していると思うが、クイーン・ビックアントの生命蜜の捜索は打ち切りだ。手掛かりが無ければ、時間を無駄に浪費するだけだ。生命蜜の効果も時間切れだろうしな。 …すまんな、暗部のお前達を出張らせてこれだ」


「お気になさらず。我々も力及ばず申し訳なく…」


「…では、これより通常業務に戻れ」


「はい」


 短い返事をすると、黒一は会議室より退室する。

 足音は無く、静かに遠ざかって行く気配を感じていた。


「……化け物め」


 その呟きは誰の耳届く事なく虚空に消えていった。





 黒一達に与えられた一室は、地下施設の最奥に用意されている。一番奥だからと言ってジメジメしていたり、環境が悪かったりするわけではない。最奥なのは、黒一達に課せられた業務に関係しているからだ。


「クロイツさんやっと来たよ〜」


「こんにちは、遊香さん。お待たせしたようで申し訳ありません。総司さんもこんにちは」


「…ああ」


 最奥の部屋で待っていたのは、黒一の部下である操理遊香あやつりゆうか道念総司どうねんそうじの二人だった。

 部下は他にも二名いるのだが、今は別の業務で出払っており不在である。


「あの、任務終わったって本当なんですか?」


「おや、耳が早いですね。 ええ、確かに蜜の捜索は終了しました」


「はぁ〜やっと解放された〜。あいつら人使い荒いのよ」


「お疲れですね。肩でも揉みましょうか?」


「それ、セクハラですよセクハラ、訴えますよ」


「おー怖い、社会的に殺されちゃいそうですね。でも安心して下さい、私は遊香さんはタイプではないので危険はありませんよ」


「ナチュラルに振るのやめてもらって良いですか?こっちも興味無いですけど傷つきますよ」


「おっと申し訳ない、言葉が過ぎました」


 軽口をたたきながら部屋に設置されているコーヒーメーカーを起動する。ペーパーフィルターをドリッパーにセットしてコーヒー粉を入れ、給水タンクに水を入れてスイッチをONにする。

 コーヒーサーバーに落ち切ったのを確認してコップに注ぐ。人数分用意すると、一人一人の前に置いて行く。そのついでに、仕事の資料も添えておく。

 ひと仕事終えてホッとしているようだが、既に次の仕事も用意されていた。


「…クロイツさん……これは一体?」


「次の仕事の資料です。あっ総司さんはミルクと砂糖がいるんでしたね」


「…いや、ブラックでいい。 ……にがっ」


 黒一は総司の前にミルクと砂糖を三つ置くと、総司は全てコーヒーにぶち込む。コーヒーの苦味は無くなり、カフェオレのように甘くなっていた。


 遊香は資料を手に取ると、プルプルと震え激昂した。


「クロイツさん!私達、三週間休み無しで働きましたよね!休みは無いんですか!過労で死んじゃいますよ!私達の休みどこに行ったんですか!休み休みやーすーみ〜」


 最初は怒った遊香も途中で疲れたのか、休みが行方不明だと泣き出した。

 休みは大切である。

 休みがあるからこそ、その日に向かって毎日の仕事を頑張れるのだ。それを奪われたら、そんなモノは無かったと言われたら精神が崩壊してしまう。


「ああ、申し訳ありません勘違いさせましたね。休みはあるので安心して下さい、総司さんも逃げなくて大丈夫ですよ」


 既に手荷物を持って扉の前に立っている総司に、待ったを掛ける黒一。

 大丈夫、休みはちゃんとある。

 コンプライアンスは絶対なのである。


「休みは明日から三日間です。その後のお仕事なんですが、遊香さんは別行動です。私と総司さんで容疑者の確認に行きます」


「はい質問があります」


「なんでしょう?」


「どうして私だけ別なんですか?」


「そうですね、本来なら影美えいみさんが適任なんですが、忙しそうなので遊香さんに任せました」


「影美さん?調査関係の仕事ですか?」


「ええ、資料にもあると思いますが、遊香さんにお任せする仕事は上からのものではないです。私が、彼を知っておく必要があると判断しました」


「じゃあ、クロイツさんがやった方が手っ取り早くないですか?」


「私、彼に嫌われてるみたいなので」


 しょんぼりと肩を落として見せる。


「!? どうして! 隠蔽は使わなかったんですか?」


 クロイツの反応に遊香と総司は驚いた。

 二人ともクロイツの人に接触する方法を知っている。知っているからこそ、嫌うという感情が向けられるとは思えなかった。


「いえいえ、いつも通りに使いましたよ。それでも拒絶されちゃいましたね、生理的に受け付けないそうです」


「生理的…。私を向かわせるのは女の武器を…」


「違いますよ。無理に接触する必要はありません。遠目から観察するだけでも問題ありません。ただ、その印象を教えてほしいのです。彼が私の力を拒める理由が知りたいのです」


 クロイツの言葉を聞いて、遊香は資料に手を伸ばし内容を確認して行く。

 資料には顔写真も載っており、丸々と太った男が鼻をほじりながら腹を掻いていた。お世辞にも良い男とは言えない風貌である。

 プロフィールに目を落とすと、名前と年齢、住所が記載されているが、肝心のステータスが白紙だった。


「探索者じゃない?一般人ですか?」


「探索者です。ただギルドに登録していないので、その能力は不明です」


「珍しいですね、今どき野良の探索者なんて」


 ギルドに登録せずにダンジョンに潜る者はいないわけではないが、登録した方がメリットは大きくリスクも小さい。最初は登録していなくても、数日中に登録するのが殆どだ。


「ふっ、俺には分かる。コイツは自分に酔っている厨二病みたいな奴だ」


「それは総司君じゃない」


「…とまあそういう事ですので、よろしくお願いします。 ああ、そうそう、彼そこそこ強いので気を付けて下さい」


「え!?クロイツさんみたいなチートですか!」


「…チートじゃないですけど、強いですよ」


 黒一は話は終わったと、鞄を手に取り立ち上がる。

 そして扉に向かって歩き出した。


「クロイツさん、どうしたんですか?」


「仕事です」


 最後にそう言い残して黒一は退出した。




 廊下を歩いていると、警戒した視線に晒される。

 警戒している者は、小動物やモンスターのような敵対する存在ではない。同じ探索者観察署特課に勤める仲間である。


 廊下ですれ違う度に視線を集め、悪態を吐かれる。なかには、嫌悪の感情に任せて突っかかってくる者もいる。

 そんな感情に晒され続ければ、疲れ果ててしまいそうだが、黒一は慣れたものだと気にせずコツコツと進んで行く。



 探索者観察署特課は探索者が事件を起こさないか監視し、処罰する機関である。

 元々は警察と共にあった機関なのだが、三十年前に殺し合いに発展する事件があり、別の機関となった過去がある。

 一度は取り潰しにする案が出されたが、その後の探索者による犯罪の増加により維持が決定された。


 この探索者観察署特課の構成員は、当然探索者で構成されている。一般人が探索者に抗うには銃火器が必要であり、一定の階に到達した探索者には銃火器すら効かなくなる。

 故に歯には歯を、探索者には探索者を当てるしかなかった。


 また構成員に選ばれる者は、ダンジョン40階を突破した者に限られている。最低限このくらいの力がなければ、無法を犯す探索者を鎮圧できないのだ。

 では、誰が40階突破者をスカウトしているのか。

 それは探索者協会の職員だ。


 協会側としては40階をクリアする程の実力者を手放すのは惜しいが、渋った挙句、治安が悪化して探索者の評判が悪くなるのは避けたかった。

 それに、手放すとは言っても彼等がダンジョン探索を止めるという事ではない。探索をしながら治安維持活動を行うというだけなのだ。


 では、そんな探索者達がなぜ黒一を嫌うのか。

 それは、黒一のチームは構成員となった探索者を監視する役割を担っているからだ。

 構成員となった探索者が善人とは限らない、途中で心変わりして悪に手を染めるかもしれない。その抑止力として黒一達は存在していた。



 黒一は歩きながら周囲に目を巡らす。

 異変はないか、カルマ値はどうか瞬時に把握していく。


 異常は特に無い。

 そう判断して地上に向かうエレベーターに向かっていると、二人の男とすれ違う。

 男達は黒一の存在に気付くと、あからさまに嫌な顔をして通り過ぎて行った。


「…注意ですかね」


 誰にも聞こえない声量でそう呟くと、受付嬢の彼に挨拶をしてタワーから出て行った。




 標的は直ぐに見つかった。

 資料にあった通りの時間にダンジョンから出て来ると、スーパーで食材を購入していた。


 標的の男はダンジョン23階まで潜る探索者だ。

 だが、それも二週間前の話で、今は21階でオークを狩り日銭を稼いでいる。

 資料によると、男とその仲間達は二週間前に23階に潜り凶悪なモンスターに襲われ、男を残して殺されたようだ。

 仲間を失った男は、探索者を止めるのかと思われたが、仲間の仇を取ると探索者を続けている。


 黒一は男に察知されない距離を保ちつつ尾行を開始する。

 男の足取りは軽く、偶に楽しそうに笑みを浮かべていた。



 尾行を行っていると信号が赤になり、立ち止まる。黒一は自然と向かう方向を変えると、曲がり角に身を隠した。


「腰が痛かね〜」


 すると、角を曲がったところで腰を痛めたお婆さんが動けなくなっていた。

 黒一は現在仕事中だ。

 標的を見定め、判断しなければならない。

 上から急ぎだと指示されている。遅れは許されない。


「…お婆さん、私の背中に乗って下さい。自宅までお送りしますよ」


 それでも黒一は、お婆さんを背負って自宅に送る選択をする。

 お婆さんが持っていた沢山の荷物を手に持つのも忘れない。それなりの量あるが、探索者の身体能力を持ってすれば軽いものだった。


 幸い、お婆さんの自宅と標的の向かう方向は同じだったので、良いカモフラージュになった。

 まあ、そうでなくても黒一はお婆さんを送っていたし、リカバリーは十分に可能だと判断していた。


 お婆さんを送り届けた黒一は、引き留めるお婆さんをそっと断り標的の元に向かう。


 もう尾行はしない。

 その必要は無いと判断する。

 そして接触するタイミングもここが最適だった。場所は教会の近くとなっており、夜間は人通りの少ない場所である。


「失礼、×××××さんですね?」


「あ?何だよお前は? …ああ、どっかで会った事があるな、えっと……」


 黒一に話し掛けられた男は胡散臭げに対応していたが、急に黒一の事を思い出そうと首を捻る。だが、男と黒一は初対面であり思い出す思い出はありはしない。

 これは黒一のスキル隠蔽による効果であり、相手の認識を歪める効果を持っていた。


 突然、鐘が鳴り響く。

 辺りに響く鐘の音は、それほど大きくはなく、寧ろ心地良い音を奏でていた。


 そしてもう一つのスキルを使用する。


「一つお尋ねしたい事があるのですが、よろしいですか?」


 そのスキルは呪言。

 言葉で他者を縛り、操る呪術系のスキルである。


「…ああ、何だ、なんでも言ってくれ」


 スキルにより思考能力を奪われた男は、黒一の質問に答えていく。


「貴方はパーティメンバーを殺しましたか?」


 これには確信があった。

 資料にもあったが、仲間がモンスターに殺されたには不自然な点が多かった。

 モンスターに襲われたはずなのに、男に傷は無く、仲間達の装備は全て持って帰って来た。凶悪なモンスターに襲われたにも関わらずだ。

 何より、男が纏うカルマ値が物語っていた。


 そして案の定。


「ああ、殺した。あいつら俺を馬鹿にしたからな、当然の報いだ」


「…殺したとき、どう思いましたか?」


 黒一の拳に力が宿る。


「ああ、楽しかったな。殺す度に力が漲ってきっー」


 男の頭部は破壊され、頭を失った体は力無くその場に崩れ落ちる。

 黒一は拳を振り抜いた状態で止まっており、男の血が黒いスーツを汚す。


「ふう、少しは実さんを見習ってほしいですね。同じ犯罪者でも、狂いながらも仲間の幸せを願っていた彼は尊敬に値します。 貴方には甚振る価値もない」


 黒いハンカチを取り出し、顔に付着した血を拭き取る。

 死んだ者を思い出すのはガラではないが、それでも長い間、接していた者を思い出す。


 後悔はない。

 悔やみもしない。

 それでも惜しいと思ってしまう。

 彼は最高だった。

 精神が狂って行く姿は美しかった。

 それでもと仲間のために立ち上がる姿には興奮した。

 最後まで壊れずに信念を貫いた彼の死にゆく姿は、まるで道化師が芸を披露するように楽しかった。


 もう、アレほどのオモチャは見つからないだろうなと残念に思ってしまう。


「また誰かいませんかね……」



 鳴り響いていた鐘の音は、いつの間にか消えていた。




ーーー


黒一くろいつ 福路ふくろ(37)

《レベル》 48

《スキル》

呪言 隠蔽 体術 縮地 見切り 身体強化 ××


ーーー

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