第23話 幕間2(本田 実)
最初の挫折はいつだったろうか。
学校のテスト
運動会で負けた時
好きな人が別の男と歩いていたとき
少なくとも本田 実にとって、それらの出来事は、過去に経験した体験に比べれば下らないものだった。
本田実の世界が最初に壊れたのは、小学校3年生の頃だ。
病気の流行で学校が早く終わり、家に帰ると母と知らない男性がいた。
寝室にいた二人が何をしていたのか、当時の実は分からなかったが、それがいけない事だとは理解していた。
きっと父に言えば大変なことになる。
母を止めなければ。
男性が帰ったのを見計らって姿を現した実を見て母は焦った。焦って何か苦し紛れの言い訳をしていたが、それを無視して実はもうやめてくれと、男性に会わないでくれと訴えた。
その言葉を聞いた母の返答は、言葉ではなく暴力だった。
最初、何をされたのか分からなかったが、ジンジンとした頬の痛みが何をされたのか知らせてくる。
それでも脳が理解を拒否する。
あの母が、優しい母が僕を叩く筈がないと理解を拒否する。
ボーとした実の様子を見て、母はごめんねごめんねと泣きながら頭を撫でてくれる。そして、あなたが黙っていてくれたら、これまでと何も変わらないわと優しく微笑んでくる。
これは母なのか?
そう疑問に思うが、見た目は母親そのものだった。
実は黙って頷いて了承すると、母はいつもの母に戻っていた。
その様子を見て、母は二人いるのだと錯覚した。
それから、男性のことを父に黙っていた。
言わなくちゃと思うのだが、恐ろしい母の姿がフラッシュバックして震えて何も言えなくなっていた。
暫くの間は、これまでと変わらない日常が続いた。
実は自分が我慢すれば、父も母も、いつまでも一緒にいるのだと思っていた。
それは実にとって、大事な家族を守る唯一の方法だった。
だが、実の願いは届かない。
夕食時に母が妊娠したと言いだしたのが、実にとって初めての挫折の始まりだった。
父は実に部屋に戻ってなさいと強めの口調で言うと、無理矢理部屋を出されてしまう。
2階に上がりベッドの上で丸まっていると、下から怒鳴り声が聞こえて来た。
耳を塞いで何も聞かないように体を丸める。
それでも聞こえてくる声を聞きたくなくて、枕を頭の上に乗せた。
暫くすると部屋がノックされる。
扉を開けると、そこには父が立っており母は実家に戻ったと告げられた。
その時、実は足元が崩れていくような感覚を覚えた。
子供は案外賢い。
大人が分からないと思っていることも、子供はしっかりと理解している。
それは実も例外ではない、寧ろ他の子よりも賢い子供だった。
実は考える。
自分は何の為に黙っていたのか、何のために我慢したのか。
実は気持ち悪くなり、その場で吐いた。
父が心配そうにしているが、どうでもよかった。
自分が守りたかった物は、こうもあっさりと無くなるのだと心が絶望に染まっていく。
こうして一度目の挫折を味わったのだ。
そして、これがきっかけとなり、実は歪んでいく。
学生として優秀な成績を残し、表面上は優等生を演じていた実だが、裏ではガラの悪い連中を従わせ、イジメやカツアゲなどの様々な悪事に手を染めた。
大学に上がると、半グレと関係を持ち、反社会勢力とも繋がりが出来た。過去の出来事で暴力が苦手になっていたが、それ以外の事は率先して手を出していった。
大学卒業まであと少しとなり、心配した父から連絡が入り地元に戻ることになった。
この時には、実の精神もある程度安定しており、悪い事はもう出来ないなと足を洗うつもりだった。
だが、これまでいた世界は、一人だけ表の世界に戻るのを許さなかった。
実が真面目に会社勤めをしていると、あの頃の仲間が訪ねて来た。
見た目は普通のサラリーマンだが、中身は凶悪な奴だと知っている。
過去が実を餌と定めた瞬間だった。
それからの実の日常は地獄に変わった。
愛してくれる父を裏切り、会社の金を横領し続けた。
誰かに相談すれば良かったのだろうが、過去の悪事を父に知られて嫌われるのが嫌だった。
最悪な日常を続けていると精神が摩耗し、自殺を考えるようになる。
そんな時だ、従兄弟の愛姉さんにダンジョンに誘われたのは。
愛は気晴らしのつもりで実を誘ったのだろうが、このダンジョン探索が実の人生を変えるきっかけとなった。
暴力の嫌いな実が、10階のボスを必死に倒した。
そして、スキル玉から得たスキルは『呪詛』であった。
従兄弟の愛には魔法系だと言って誤魔化すと、ダンジョンから出てある場所に向かった。
向かったのは実を脅す反社会勢力が住むマンション。
そこに今月分の上がりを渡すと言って部屋に上がると、すかさず男の頭を掴み呪詛を唱える。
上手くいくとは限らないが、何故か実には成功する確信があった。
呪詛を唱え終えた実は、一度窓を指差すと、部屋から出て行った。
暫くするとマンションの方から悲鳴が聞こえ、救急車のサイレン音が聞こえて来た。それをBGMにして、これまでにない軽い足取りでその場を後にした。
それから五日後、実は逮捕される。
逮捕内容は殺人ではない、反社会勢力の奴は自殺として処理されている。実の罪状は横領罪だった。
会社内で不審なお金の流れがあると、以前から会計課より報告されていた。その人物が実であるのも判明していた。そして、今回の反社会勢力の自殺により全てが確定した。
金の行き先を探るために少しの間泳がしていたのだが、自殺した反社会勢力の人物の家を家宅捜索すると、これまでに誰から幾ら貰ったのか帳簿が付けられていたのだ。
その帳簿を元に逮捕されたのは実だけではないのだが、複数の会社を標的にした大掛かりな横領事件として世間を騒がせた。
当然、実や他多数の事件に加担した者の実名が公表されてしまい、表を歩けないようになってしまう。
だが、実にとって最も辛かったのは父からの拒絶であった。
事件がきっかけとなり、かつて自分が犯した悪事が明るみになった影響で、父から完全に見放されたのである。
自業自得と言えばそれまでだが、涙が止まらずにずっと流れ続けていた。
母は去り、父から見捨てられた実は二度目の挫折を味わった。
三年間の服役を経て出所した実だが、そこに親族は誰もおらず、本当に見限られたのだと確信する。
今更悲しくはない、自業自得なのだ。
見捨てられて当然だった。
そうして、職を探すために行動するが、どうしても前科がバレてしまい雇ってくれない。
起業しようにも先立つモノが無く、どうにもならなかった。
そうしてフラフラと公園をぶらついていると、どこかで見た顔があった。まるでホームレスのような風貌だが、いや、実際にホームレスなのだろうが、一緒に逮捕された時にいた人物だ。
知り合った経緯は最悪だが、懐かしくなって声を掛けてしまった。
向こうはこちらを覚えていなかったが、幾らか説明すると思い出してくれた。
歳は実より十は上だが、気さくな感じで話してくれた。
あれからどうしたのか、これまでに何をしていたのか互いに話し合った。
その内容は、実と余り大差ない内容だったが、そのせいか親近感が湧いた。
だから誘ってみたのだ。
どうせやる事が無いのなら、命を掛けてみないかと。
「なあ、俺とパーティ組んでダンジョン潜らないか?」
「ダンジョン?俺みたいな中年が探索者やんのかよ。無茶言え」
「どうせ失った人生なら、足掻いてみないか?」
「……俺には何も無いぞ、それでもいいのか?」
「俺だって何も無いさ。ただ生きてるだけだよ。一緒にやろうぜ」
失う物が何もない二人が互いに手を取り、立ち上がった瞬間だった。
これから真っ当に生きれば良かったのだが、どうしてか上手く行かなかったのが、本田実という男の人生だった。
探索者となって三年が過ぎた。
ダンジョンの探索を始めて、仲間が続々と増えて行く。
本田実には人を惹きつける才能がある。
それは、代々経営者の血がさせるのか、実本人の気質なのかは分からないが、確かなカリスマ性は持っていた。
だが、惹かれて来る人間が誰しも良い人物とは限らない。中には、悪意を持って近付く人物もいる。
人を選定する必要があった。
そこで役に立ったのが呪詛のスキルだ。
別に呪詛を掛けて本音を確かめるとかそんなことはしていない、スキル呪詛を得たとき副次効果で別の能力を得たのだ。
その能力とは人の罪の度合い、カルマ値とでも言おうか、それがなんとなく感じ取れるようになったのだ。
その感覚を信じて、仲間に加える人を厳選し加入させていく。
一度、感覚からすれば断る人物を仲間からの推薦で加入させたことがあったが、終始、他のメンバーと諍いが絶えず、最後は仲間の資金を奪って逃亡した。
その事件があって以来、誰の推薦だろうが、実が直接面接して加入するかどうか判断しているのだ。
ダンジョン探索も順調に進んでおり、もう少しで30階ボスに挑もうかという所まで来ていた。
ダンジョン30階をクリア出来れば、その収入は一気に上がる。20階まででも生活費を稼ぐには十分ではあるが、30階以降は桁が違う。
一度の探索で、今の年収を稼ぎ出すのも不可能ではない。
宝箱の発生確率も飛躍的に上がり、強力な装備も手に入りやすくなる。
一攫千金だって不可能ではなく、これからの人生の安泰が約束されるのだ。
メンバーの殆どが、脛に傷のある者で構成されているパーティでは、安定した生活、将来の不安からの解放は余りにも魅力的だった。
ダンジョン探索での実の役割はデバフである。
スキル呪詛の役割がこれに当たり、暴力が苦手な実からすれば正に適役だった。
実がモンスターの動きを封じている間に止めを刺す。
危ない場面では、時間制限ありの技だがモンスターの動きを遅くする事ができる。
呪詛はかなり強力なスキルであり、パーティで一人いるだけで数段は攻略が楽になるほどだった。
この三年間でメキメキと実力を伸ばした実は、20階ボスを倒して『奏』というスキルを得た。
結果論ではあるが、このスキルを得なければ、実はまだ探索者を続けられたかもしれない。
パーティメンバーの実力も十分。あとは装備を揃えれば、30階のボスに挑めるというところまで来ていた。
本当なら節約して、装備を買うための資金をプールする所だが、居酒屋で英気を養うためメンバー全員で来ていた。
メンバーの大半がお酒好きで、同時にはしゃぐのが好きだった。そんな中である、一人のメンバーが実の呪詛スキルが凄いと言い出したのは。
内容はただの賞賛の声だったが、それは周囲の人も聞いており、悪意のある人物にも入ってしまった。
「あの、失礼ですが、貴方は呪術系スキルの保持者ですか?」
楽しく酒を飲んでいる席に、黒いスーツに身を包んだ謎の人物が乱入して来た。
なんだか胡散臭いのが来たなと思い、追い返そうとするが、それよりも早く反応したメンバーによって妨害される。
「おうよ!実さんの呪詛は最強だ!」
「おい!」
「おお、それは素晴らしいですねー。是非、私も話に混ぜてはもらえないでしょうか?ええ勿論、ここは私が奢らせて頂きますので、どうぞよろしくお願いします」
そう言って手を伸ばされた男の手を、実は取ってしまった。
友好の握手だと思ったのだ。
カルマ値も感じなかったし、嫌な感じもしなかった。
少なくとも、この場で何かされる事はなかったが、間違いなくここで奴等に目をつけられた。
違和感なく入り込んだ男を異常だと思うべきだった。
この男も、呪術系のスキル保持者だと考えが至らなかった。いや、この時の実は自身の呪詛については研究していたが、他の呪術系スキルについてはからっきしだった。仮に知っていたとしても、結果は変わらなかっただろう。
この一晩で実やパーティメンバーの能力は、全て男に知られてしまう。
次に男と会ったのは、それから一週間後だった。
「やあ実さん。仕事の話持って来ましたよー」
「仕事?何の話だ?」
「やだなー。前に言ってたじゃないですか、呪術系スキルにしか出来ない仕事があるなら回してくれって」
「そんなことは……言ったかな…。そうか、仕事か、分かった。少し待ってくれ、準備するから」
実はパーティメンバーに、他の仕事でダンジョンに行けなくなったと伝えると、着替えてそのまま出て行った。
メンバーの誰もが何を言ってるんだと止めようとしたが、何故か動く気にならなかった。
男と合流した実は、仕事の内容を聞いて拒否した。
渡された書類に記された内容が、特定の人間の命を奪うことだったからだ。
それでも、男はススメて来る。
報酬は三千万円だと、この標的は社会の敵だと、こいつに多くの人が不幸にされていると、実の力があれば多くの人を救えると色々と言われたが、それでも嫌だったのだ。
「…まだ掛かりが浅いな」
男の呟きは実の耳にも届いたが、内容を理解する事が出来なかった。
「では、こちらはどうでしょう?」
頑なに拒否する実の態度に諦めたのか、今度はある人物を一日寝かせておくという簡単な物だった。
報酬は八百万円と先程の仕事に比べて額は落ちるが、殺しをするよりマシだとこの仕事を受けた。
実は20階のボスを倒して得たスキル『奏』を得た事で、呪詛のスキルの幅は格段に広がっていた。
呪詛を、発生させる音は何でもよかった。
実自身が奏でた音ならば、音自体に実の呪詛を乗せられるのだから。
標的が住んでいる家を教えてもらい、どこにいるのか特定すると、小石を投げて窓ガラスを鳴らす。
音に呪詛を乗せて明日一日、寝て過ごすように力を込めた。
仕事は無事に完了し、報酬もきっちり頂いた。
それから男は度々、実の元を訪れ仕事を振って行く。
仕事内容もエスカレートしていき、間接的とはいえ人死の片棒を担いでしまう事もあった。
もう辞めたいと男に伝えても、男はそれを許さない。
「今更、手を引けるわけないじゃないですかー。もう気付いてるかもしれませんが、実さんは私の術中にいますよ。足掻いても無駄です。逃がしませんよ」
ああ、そうだろうなと思った。
実自身も、人に対して呪詛を掛けた時の反応を見て、自分も掛けられていると気づいた。
それと、呪詛を受けやすい人物とそうでない人物の違いを。
「実さんが言ってたカルマ値でしたっけ、良いですよね、その呼名。うちでも、カルマ値って呼ぶ人が増えましたよ。で、実さん自身、結構なカルマ値を持ってるの気付いてました?
人殺しただけじゃ得られない程のカルマ値が、実さんに張り付いてたんですよね。本当なら呪術系スキル保持者は、耐性があるんですけど、実さんの場合、そのカルマ値のおかげで術を掛けるの簡単でしたよ」
はははっと笑う男を見て、実の心は折れてしまった。
それからの仕事は最悪だった。
割り当てられる仕事に拒否権はなく、嫌だと拒んでも次の瞬間には死体が目の前にあった。
操られて呪詛を使ったのだとしても、それは実のカルマ値となり、男の術は、更に深く実を支配していった。
仕事をしながらもダンジョン探索は続けていた。
日に日にやつれていく実を心配した仲間に、大丈夫だと答える。今は大事な時なのだ。
30階のボスにも、もう少しで挑戦出来る。
仲間に心配はかけれない。
皆、頑張って来たんだ。世の中に爪弾きにされた奴等が集まって、必死に生きる術を手に入れたのだ。
探索者とは長い間続けられる職業ではない。
年齢と共に限界を迎え、引退していくのが常だ。
それまでに十分な金を貯めるか、就職に有利なスキルを得る必要がある。
それは30階を突破出来れば、グンと可能性は上がる。ここで足を引っ張るわけにはいかなかった。
準備は順調に進み、ボスに挑む準備は完了した。
だが、30階ボスに挑む前に終わりはやって来た。
30階に向かう途中で、ユニークモンスターに遭遇したのである。
パーティメンバーの半数を失い撤退した。
誰が悪いとかは無い、ただ運が悪かった。
それだけの話だった。
それだけの話で、実達の夢は潰えた。
それからの実の収入は、男が持って来る仕事に依存していった。
多くの戦力を失った仲間達は、20階までと探索範囲を狭めて日金を稼いでいる。メンバーの大半が30階への挑戦を諦めて、無難に稼げる階を選んで探索するようになった。
実は責める事はせず、仕方ないと目を背けた。
実は男の仕事を熟す度に、心が壊れていく。
どうせ断れないと、金の為だと言い訳をしても受ける度にストレスは蓄積していった。
苦しみを誤魔化すために酒に手を伸ばし、朝から飲むようになった。
よくない奴等から薬を買うこともあった。
それでも五年間、実は男の持って来る仕事を淡々と熟した。
「実さんとは今回で終わりです。お疲れ様でした」
突然言われて、内容が頭に入って来なかった。
「術は解いておきますんで、あとはご自由にお過ごし下さい。ダンジョンに挑戦するのも楽しいと思いますよ。あっ、前に失敗してましたね。すいません」
はははっと笑って誤魔化す男の横で、実は自分に掛かっていた術が解かれるのを理解した。
理解して、男を掴み呪詛を掛けた。
「ふざけるな!お前は殺してやる!俺にこんな事やらせやがって!殺してやる!殺してやる!殺してやる!!」
男の抵抗力を奪い、ひたすらに殴り続けた。
それでも男のヘラヘラした顔は変わらず、実は首を絞めて息の根を止めようと力を込める。
暫くすると、男の体から力が抜け動かなくなった。
掛けた呪詛が強制的に解除され、力が実に戻って来る。
相手が死んだときに起こる現象だ。
実は男の亡骸を残して、その場を後にする。
男を殺したことで手に入れたのは、解放感や達成感ではなく、どうしようもない虚無感だけだった。
暫くの間、実は引き篭もった。
何もしたくなかったとかではない、冷静に考える時間が欲しかったのだ。
これまでやって来たことは無駄ではない。無駄にはさせないために、何が出来るのかを考えた。
実にとって、今一番大切なものは仲間だ。
仲間達も実をリーダーと認めて着いて来てくれる。
ならば、仲間が危険な目に遭わずに暮らせる方法はないかと考え、一つの可能性にかける。いや、縋ると言った方が正しいだろう。
実は十一年ぶりに父に連絡を取った。
門前払いにされるかと思ったが、会ってくれるという。
久しぶりに会った父は、記憶の中と比べて老けているが、それでもまだまだ現役であると活力に満ちていた。
実は出所してからの事を話し、これまでの事を改めて謝罪した。
そして願った。
仲間達をホント株式会社に就職させてくれないかと、軽作業などの職を募集しているのは知っている。
人員は足りていないはずだ。
ダンジョンに潜っている奴等なら、体力も十分にある。戦力としても申し分ないはずだ。
頭を下げる実を見て、父が示したのは拒絶だった。
拒否ではなく拒絶だ。
父が元犯罪者に対して良い印象がないのは知っていた。そもそも、良い印象を持つ者自体いないだろうが、それでも必死に頑張る仲間達を否定されて、頭に血の昇った実は、やってはならない手を使った。
呪詛を使い、父を操ったのだ。
父を操り、仲間達を会社に入社させる。
当初の目的はそれだけだったのだが、会長である伯父が病を患っていると聞いて欲を出してしまった。
自分も社会復帰出来るのではないか、しかも社長という社会的地位を得て。
仲間を思うかつての実ならば、そんな判断はしなかったかもしれない。だが、男に指示された五年間は、実の考えを変えていた。
やるからには徹底的に、手を緩めれば失敗する。
実の行動は早かった。
伯父の会長に近付くと、呪詛を掛けて病の進行を早めさせた。
会長が倒れたのを見計らい、実が次期社長に就くと宣言させる。
反対する勢力をマークして脅していく。
従兄弟の愛にも脅しは掛けたが、趣味で探索者をしているだけあり、腕っ節が強く上手くいかなかった。
仕方なく、暫くの間入院してもらおうとダンジョンで罠を張った。
愛と共に潜る仲間を買収して、目的地まで誘導させると呪詛を使い愛のみを眠らせる。倒れた愛に目配せすると、仲間の二人は愛を置いて去っていく。
買収したとはいえ薄情だなと思う。
倒れた愛に大怪我を負わせるために立ち上がると、一匹のロックワームが愛の頭を丸齧りにした。
幸い、頭部は無骨なヘルメットで守られているから大丈夫なはずだ。
急いで助けようと動き出そうとするが、一人の太った男が現れてタイミングを逃す。出来れば誰にも見られずに事を済ませたいので、再び姿を隠す。
太った男はロックワームを倒すと、愛を助け出し、治療魔法を掛けて治療を開始した。
治癒魔法。
噂には聞いていたが、実際に見るのは初めてだった。
あの時、あの力があれば…。
かつての事を思い出して唇を噛む。
実はここでは無理だと判断して、その場を離れた。
チャンスはまだある。
焦る必要はない。
「ーガハッ」
愛を罠に掛けようとした日から三日後の昼、強い衝撃が心臓を貫き吐血した。
何が起こったのか分からなかった。
一拍遅れて戻って来た力が、何があったのか知らせてくれる。
伯父に放っていた術が破られた。
呪術系スキルは万能ではない。
モンスター相手なら無類の強さを発揮するスキルではあるが、人相手では、対象が纏うカルマ値に依存する。
対象のカルマ値が高ければ、それほどリスクを負わずに術を掛けれるのだが、そうでない場合は、自らの一部を呪いの担保として預けなければならない。
今回、伯父に呪詛を掛ける際に渡した担保は、心臓と血液。
成功すれば何事もなく戻って来るのだが、呪いを返される、破られたりすれば、その反動は計り知れなかった。
しかも、今回は破られた。
追加のダメージを負うことになる。
実の心臓は傷付き、血液の量が死ぬ寸前まで減った。
急いでポーションを飲んだので命を繋ぎ止めたが、かなり危なかった。
この時、実は計画の失敗を予感した。
血を吐き倒れる実を見て、仲間達は心配そうにしている。
実はポーションを飲むと、仲間に向かって頼みがあると言って頭を下げた。
もう一人では、どうにもできそうになかった。
だから仲間を頼るしかなかった。
事情を説明した。
生活の安定を手に入れるために、呪詛を使って伯父に術を施し、それが失敗して返された旨を説明した。
最初、仲間達は何も喋らず黙ったままだった。
何から聞けばいいのか分からないのだろう。
やがて、一人が口を開く。
「…なんでそんな事やってんだ。俺達は真っ当に生きるために、これまでやって来たんじゃないのか!?」
「ダンジョン探索はいつまでも続けられるものじゃない。どこかで別の道に行かなければ、俺たちはまた元の道に戻る。それが嫌だったんだ」
「それでも、あんたの肉親だろうが!どうしてそんな事が出来るんだよ?」
「俺にとっての優先順位が、親よりもお前たちだったからだ」
「……クソッ……俺達は何をしたら良い?」
悔しそうにする仲間を見て、すまないと謝罪して、やってもらいたい事を伝える。
先ずは、呪術系スキル専用のアイテムである蠱毒の香を、明日、13階に行って発動してほしいとお願いをした。
呪詛は返されたが、呪詛を返した者に残滓を張り付けるのには成功していた。その者の正確な位置は分からないが、ダンジョンの13階に潜ると、強い念が伝わって来たのだ。
次の日、ダンジョンに向かう仲間を見送り、成功を祈った。
蠱毒の香は標的となる者が近くを通ると、反応して香りを放ち始める。そしてモンスターを引きよせる効果があった。
ただし、特定の対象を襲わせるように仕向けるため、モンスターの思考能力を低下させているため、動きに精悍さが無くなっている。
それでも数が数なので、対象となった者は高確率で葬る事が出来る。
過去に何度か試した事があり、自信もあった。
そして、今回の標的は実の呪詛の残滓だ。
また失敗した。
血を吐きのたうち回る実を見て、仲間達は何も出来なかった。
まさか、失敗するとは思わなかった。
恐ろしいほどの数のモンスターだったはずだ。
逃げたのか?
どちらにしても、もう直接手を下すしか手は残っていなかった。対象に着いた実の残滓は、対象から外れモンスターを放った場所で留まり続けている。
残った残滓に触れれば、対象の詳細が分かるはずだ。
仲間を引き連れ、ダンジョンに向かう。
ここで引き返しておけば、その対象がこの件に関わる気がないと知れたのなら、実の判断も違っていただろう。
実が諦めて引いていれば、少なくとも仲間達は助かったのだが、それもタラレバの話でしかない。
既に賽は投げられている。
ダンジョン13階に向かう途中で、太った探索者に絡まれる。
どこかで見たような気がしたが、五月蝿くて早くどこかに行ってほしかった。
目的地のフロアに到着すると、留まっていた残滓に触れて読み取る。
場面場面で映る映像は写真のように静止しているが、そこには先程会った太った探索者の姿が映っていた。
昨日のモンスターの大群からどう逃げたのかまでは分からなかったが、武器は大剣でスキルは治癒魔法だということは分かった。
治癒魔法…愛を助けた奴か。
あの時、愛はスカウトしたのだろう。
クソ、リスクを気にせずやっていれば良かった。
そして奴がフロアに現れる。
簡単に倒せると思っていた。
スキルは戦闘向きではなく、あの体型ならば動きも悪いと思っていた。
13階程度を探索している者ならば、敵ではないと見下していた。
そこにはバケモノがいた。
かつて戦ったユニークモンスターより遥かにバケモノだった。
短い時間に次々と戦闘不能にされる仲間達。
実自身も呪詛で動きを止めようとするが、奴が治癒魔法を自身に掛けると同時に弾かれ返された。
実はその衝撃で気を失ってしまう。
まだ、仲間が戦っているのに…何も出来なかった。
目を覚ますと、そこには傷だらけの仲間達。
装備は無くなっており、ポーションを残して全て無くなっていた。
仲間に聞くと、あの太った探索者が全て持って行ったらしい。
ポーションは慈悲なんだそうだ。
今回の件を画策したのが実だとか、実のスキルが何かというのは隠して話してあるから安心してくれと言われたが、別に知られても問題なかった。
ただ、仲間達が無事で良かったと安心した。
手や足を切り離された者もいるが、ポーションを使えば十分に繋げる事が出来る。他に受けた傷も、十分にポーションで回復可能だ。
太った探索者がホント株式会社に興味が無いと知って、自分の行動が無駄だったと脱力した。
それでも、まだやり直せるのだと安堵した。
「いやー、盛大にやられちゃいましたね」
「…お前は」
「お久しぶりです実さん。あれ、もしかして先日ぶりだったりします?」
戦いの終わったフロアに入って来たのは、ダンジョンには不釣り合いの黒いスーツに身を包んだ男だった。
「どうして…」
「えっ?どうして生きてるかですって?それはもう、実さんの顔を拝むために決まってるじゃないですかー」
「ふざけるな!お前は死んだはずだ!あの時、確かに俺の手でっ!」
「うーん。それ、本当に私でした?人違いかもしれませんよ?」
「何を言っている!あの時、車の中で首を絞めて殺したはずだ!首を絞めて……しめて…」
頭にノイズが走る。
何か認識を間違っているような気がする。
なんだ。
何故だ、あの日、誰かと、別の約束を、したような記憶がある。
「そういえば、先日、暴行を受けて首を絞められて亡くなった女性がいましたね。確か名前は本田×××だったと思いますけど。おや、実さんと同じ苗字ですね?お知り合いでした?」
あの日、誰と会っていた?
この男と最後に会った日はいつだ?
母親が死んだのか?
そうだ、この前、母から会おうと連絡が来たんだ。
その約束した日は確か……。
「あああーーーー!?!?!?」
「おやおやどうしました?何かありましたか?」
「お前が!お前がーー!!」
「おやおや、止めてくださいよ。私は何もやってませんからね、実さんと会ったのは一ヶ月前が最後ですし。ほら、皆さんも話についていけてないですよ?」
動かない体を必死に動かして、少しでも男に近付こうと足掻く。
呪詛返しにより、既に深刻なダメージを受けている実にとって、動くという行動は、全身に刺すような痛みが走っているはずだ。それでも、男への恨みは深く、痛みを凌駕するほどに憎しみを募らせていた。
それでも、次の男の言葉に動きを止める。
「あーもう、ダメですよ実さん。貴方の寿命あと少しなんですから、無理に動くと死因が別になっちゃいますよ?」
「…どういう意味だ?」
「あれ?分かりませんでした? 実さんの寿命はあと数時間で終わりを迎えます。あ〜、あくまで私の経験からの話なんで、誤差があっても気にしないで下さいね」
この言葉には、流石に傍観していた仲間達も口を挟んだ。
「おい!リーダーに何言ってんだよ?この人が、そんな簡単に死ぬわけないだろうが」
「あんま舐めたこと言ってんじゃねーぞ!クソ野郎が!?」
仲間の反応に困った顔をする黒い男は、説明するのは面倒なんですけどーと前置きして続きを話始めた。
「いえ、簡単なことではありませんよ。私との仕事で蓄積した結果として、寿命が大幅に縮んだんです」
「…どういうことだ?」
「実さんは呪詛がどういった力かご存知だと思うんですけど、その代償が何か知ってます?」
「…一部を担保にする」
「違います。それは対象にカルマ値が足りなかったら必要になる物です。そもそも、スキルはモンスターに使う為にダンジョンから与えられた力に過ぎません。その力をモンスター以外に使うのなら、それなりの代償が必要になるのは当たり前でしょう?」
「そんな…まさか…」
「ええ、実さんが私の依頼で使った術の数々は、その結果次第で実さんの寿命を削って行ったのです。ああ、安心して下さい。このような制限があるのは、呪術系のスキルだけのようです。もしかしたら、他にもあるかも知れませんが、少なくとも私は知りません」
「お前…知っていたらなんで?」
「それが、私の仕事だからです。今までお世話になりました」
そう言って男は深々と礼をする。
そんな説明で納得出来るはずもなく、実は最後の力を振り絞って呪詛を発動する。
「止めなさい実さん。もう貴方は保ちませんよ」
「…五月蝿い、お前も道連れだ!」
「ふう、分からない人だ」
実から黒い霧が噴き出し、男に向かって行く。
男は小瓶を取り出すと、黒い霧に向けて投げた。
すると小瓶は黒い霧に当たる直前に弾け、中からモンスターが現れた。
現れたのはオークと呼ばれる二足歩行の豚のモンスター。
ダンジョン21階から出現するモンスターで、ここで出現するようなモンスターではない。
黒い霧はオークに纏わりつきその体を蝕み、数秒の間に骨だけに変えた。
「おー怖い。まあ、仕方ないですね。可能なら見逃したかったんですが、これ以上の危害は許容出来ませんし、仕方ない仕方ない」
男は指の数の小瓶を取り出すと、モンスターを解放する。
モンスターは13階で出現するゴブリンやロックウルフにロックワームだったが、その力は増幅されており、同種よりも数段強くなっていた。
「行け」
男の指示でモンスター達は動き出す。
「やめろ、やめろ!止めてくれー!!」
「くそ!スキルを使え!魔法使いは何してる!?」
「ダメだスキルが使えない!」
「動ける奴は逃げろ!さっきの奴呼んで来い、そう遠くに行ってないはずだ!」
モンスターが襲うのは実だけではない、その仲間達も始末する対象になっていた。
「止めろ!目的は俺だろう!コイツらは関係ないはずだ!?」
「そうだったんですけどね。貴方が死んだら恨まれそうだったので、ついでです」
「ついで?ふざけてんのか?」
「いえ、大真面目ですよ。ほら、歩いてると背中から刺されちゃいそうじゃないですか。自己防衛の一環です」
「イカレ野郎が!?」
再び呪詛を使おうとする実だが、何故かスキルが発動しない。
何度試しても呪詛が発動しない。
焦る実を尻目に、男は実の近くに来ていた。
顔面を蹴り上げられ歯が何本も飛んでいく。
「あーすいません。私は別におかしくなってないんですよ。ただ、そうですね、自分を守るための最善の手を打ってるだけに過ぎないんです。リスク回避ってやつです。私は貴方達みたいに堕ちたくはないですからね。って、もう聞こえていませんね」
男が何か言っていたが、理解出来なかった。
蹴られた拍子に首の骨が折れて、あらぬ方向に曲がっていた。
男が去って行く気配を感じるが、同時に悍ましい何かが近付くのも分かった。
醜い顔をしたゴブリン。
折れた首を持ち上げられ、無数の牙が並ぶ口の中に運ばれる。
父は許してくれるかな?
それが実が最後に浮かんだ思いだった。
ーーー
本田 実(36)
レベル 18
スキル 呪詛 奏
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