58話 信念と信頼を君へ

『よう、調子はどうだ?ヒーロー御一行様。贈り物は気に入ったか?』


『贈り物ってレヴィの事っすよね!?最高の旅路でしたよバーカ!!』


光の塔の内部、私はミダスさんからのどう考えても煽りとしか思えない通信に悪態を吐き捨てていた。


『はっはっはっ!帰ってから神子に文句吐いてくれ。ま、うまくいったようで何よりだ』


『これでうまくいったって言えるの流石っすね。で、そっちは?』


『今のところは問題ねえ。先を考えると余裕があるわけじゃねえが、心配いらねえよ』


いつも通りの調子で話すミダスさんに呆れ混じりの頼もしさを感じながらもため息を吐く。横で聞いているサルジュとソニム先輩も同じような様子で、特にソニム先輩はミダスさんをよく知っているからか呆れきったような感じだった。


『じゃあまた後でな。ちゃんと帰ってこいよガキ共』


ミダスさんはそう言うとほとんど同時に通信を切る。私はやれやれと小さく息を吐いてから、改めて光の塔の内部を見渡す。


石とも木とも違う、独特な質感を持った妙な材料で構築された内部。窓や光源があるわけでもないのに内部は明るく、広さもかなりある。その中に私たち以外の何もいない状態なせいで、妙な荘厳さと息苦しさがあった。


『この塔、高さってどのくらいなのかしらね』


『外から見た時てっぺん見えませんでしたよね』


『……そんな塔を階段で登れとか言わないわよね?』


改めて塔の内部をぐるりと見渡す。円形のホールのような形状の広間には視界を遮るものは何もなく、上へ昇るための階段すら見つからない。唯一あるのは広間の奥の方に配置された円筒上の小部屋のようなものだけだが、どう見ても螺旋階段とかがあるとは思えない程度の大きさだ。

 

『それどころか階段があればまだよかったなんてオチないよねこれ』

 

『そうなったらダンタリオンに抱えて飛んでもらうしかないわね』

 

『ちょっ、バカ言わないでよ!?私たちにそんな力ないからね!?』

 

『あの、ソニムさん。サラッと天井とか壊す前提で話してません?』

 

『敵の根城がいくら壊れても気にすることないでしょ』

 

ソニム先輩の物騒な冗談、多分冗談だと思う発言を聞きながら、私たちはとりあえず唯一目についた円筒状の小部屋のような場所へと近づいて行った。

 

中は中心が少しだけ出っ張った床があるだけの小部屋で、中には何もない。見上げれば天井は目に映らない程に高く、まかり間違っても無理矢理よじ登るなんてことはできそうにない感じだ。

 

『上に行くのに特別な呪文がいるとかじゃないだろうな……』

 

『そんなおとぎ話じゃあるまいし』

 

『おとぎ話みたいな状況だろ今……っと?』

 

辺りを見回しつつ歩いていると、うっかり中央にあった出っ張りに足を乗せてしまったらしく、足元が若干沈む。それとほとんど同時に床が競り上がり、私たちを上へと運び始める。

 

『うわっ!?なにこれ!?』

 

『……わたしは詳しくないからわからないけど、光る板が浮く魔法でもあるの?』

 

『少なくともこの場の人間は見たことないですよ!ダンタリオンちゃんは?』

 

『私たちもないよ!というかこんなの誰か知ってたら今頃みーんな階段なんて使わないだろ』

 

サルジュがダンタリオンの返しに『それは確かに』と妙に納得した様子で頷き、私はそれが何だか変に面白くて思わず吹き出す。そんなやり取りの間にも私たちを乗せた光の床はぐんぐんと上へ上へと昇って行き、いくらかの時間が過ぎた頃に天井が見えてきて、入口と同じような形状の出口と平行になったあたりで音もなく停止した。

 

私たちが『便利なものがあるもんだ』なんて笑いながら小部屋の外に出た瞬間、私は引きずり倒されるようにして地面を転がった。

 

直後に響いたのは轟音。それがなんらかの魔法が炸裂した音だったと理解するのにはそれほど時間はかからなかった。

 

『っ……!?ソニム先輩!!サルジュ!!無事!?』

 

顔をあげ、周囲を見れば私と同じように地面に転がっているサルジュとダンタリオン。そしてダンタリオンをおそらく突き飛ばし、私とサルジュを引っ掴んで引き摺ったソニム先輩の足が視界に入る。

 

私は慌てて立ち上がり、改めて周囲を見る。ソニム先輩も怪我をしている様子はなく、全員無事なのは幸いだが、私の目に映ったものはできれば夢か何かであってほしい姿だった。

 

『あら、元気な子達!こんなところに忍び込んできちゃうくらいだものね、元気すぎも困りものよ?』

 

狐のような耳と二本の捻じれたツノ。四本の腕に、背中から生えた巨大な腕。そしておかしなくらいに明るく優しい声色。私を幾度も殺し、その全てを治してみせた今まで見てきた存在の中でも指折りで話が通じる気のしない怪物。

 

『第十柱、ブエル……!!』

 

『げぇっ!?イカれ多腕女!!』

 

私とダンタリオンの驚愕の声が重なる。私たちにとってすれば二度と会いたくない相手の最上位争いに食い込んでくるような相手なのもあるが、純粋にブエルの戦闘能力とこの場でやりあうのはあまりにも愚策すぎる。というより、私たち全員でかかっても勝てるのかは正直怪しい。そのくらいの恐ろしさがあの悪魔にはある。

 

『まあ、酷い言い方しちゃやぁよ?』

 

初めてあった時と変わらない、異様なまでに明るい笑顔で悪魔は笑う。この明るさと言動と心境のちぐはぐさが心底薄気味悪いのだと内心悪態をつきながら、私は武器を構える。

 

『……へぇ。あんたがダンタリオンの言ってた悪魔?』

 

『あら?私のこと知ってるの?』

 

『少しね』

 

声とほとんど同時にソニム先輩がその場から飛び、ブエルを蹴り飛ばす。ブエルは二、三回地面を跳ねてから壁に派手に突っ込んだ。

 

その光景に唖然としていた私たちの方を振り返ることなく、ソニム先輩は部屋の奥にある先程と同じ形状の小部屋を指さして言う。

 

『クリジア、ダンタリオン、サルジュ。行きなさい』

 

『えっ、いやでも先輩!あれ一人じゃ──

 

『クリジア、あんたがこの騒動どうにかするんでしょ。手伝ってあげるからさっさと行けって言ってんのよ』

 

ソニム先輩は変わらず、振り返ることなく言う。

 

私は数瞬迷って、ここでかっこよく任せてくださいとかを言えないあたりがどこまでも自分らしいなと思いつつ、サルジュと共に先に進むために走り出す。

 

『ソニム先輩!またあとで!!』

 

『はいはい。さっさと行きなさい』

 

せめて何かをと思い、咄嗟に出た言葉にソニム先輩はいつものように不愛想に、それでもどこか暖かい声で返してくれた。

 

『ちょっと!勝手に先に進むのはだめ!悪い子にはめっするわよ!』

 

『わたしの前で余所見しようなんて随分余裕じゃない、四つ腕』

 

クリジアたちを止めようと駆けたブエルをソニムの蹴りが再び捉え、先程よりもさらに勢いよく壁へとブエルが叩きつけられる。光の塔の床や壁は砕けた傍から直っていくが、ブエルが叩きつけられた壁面の崩落は光の塔の修復力を以てしても明確な破壊の痕跡が残る程だった。

 

崩れ落ちる壁面と霧散し光の粒になる崩落した破片による靄が晴れる前に、自らが蹴り飛ばした悪魔へとソニムは言葉を投げかける。

 

『私のこと知ってるの……だっけ?一応、話には聞いてたのよ』

 

『ふぅん、でも私はあなたのこと知らないわ。邪魔しないで』

 

ブエルが腕を振るい、雷の槍がソニムへと放たれる。ソニムはその場からブエルへ向かって走り出すことで放たれた雷の槍を避け、そのままブエルの腹へ渾身の踏み込みと共に拳を捻じ込む。その一撃はブエルを壁へめり込ませるだけではなく、直り切っていない塔の壁をも砕いて見せた。

 

『初めまして。わたしの可愛い後輩をイジメてくれたクソ悪魔』

 

光の破片と共に落ちていく悪魔を、自然の捕食者の眼光が見下ろす。

 

 

 

 

 

 



 

『もうっ!乱暴な子!危ないでしょ!!』

 

ブエルと呼ばれた悪魔が手から魔力製の糸を飛ばして風穴を空けた壁へ糸を引っ掛け戻ってくる。ただ戻ってくるだけならばもう一度、次は二度と戻れないように地の底目掛けて蹴り飛ばしてやるつもりだったが、壁に糸を伸ばすのと同時にわたしを絡め捕ろうとしてきたので舌打ちをひとつしてから距離をとる。

 

魔力で物を引っ張るだとか、直接的な物理現象を魔法として扱うのは想像よりも案外難しいと聞いたことがあった気がするが、目の前の悪魔はどうやら見た目よりも随分と賢いらしい。

 

『っち。そのまま落ちてくれたら楽なのに』

 

『他の子は上に行っちゃったのかしら。困っちゃうわ』

 

『随分過保護ね。王様ってのは実のとこ大したことなかったりするのかしら』

 

ブエルが地面を蹴り、わたしを目掛けて飛びあがる。

 

『その呼び方やめて!嫌いよ!!』

 

ブエルはそのまま掌底を叩きつけて数瞬前までわたしが居た場所を叩き割る。

 

この悪魔、ブエルの話はダンタリオンから聞いていた。クリジアを叩きのめし、死の寸前にまで追いやった五本腕の魔人。圧倒的な膂力と高度な魔法技術を持ち、破綻した感情と価値観を有する会話や理解といったものが及ぶ余地の介在しない怪物。


姿を見た時、ここでこいつの相手ができるのはわたしだけだと直感だが理解した。

 

『何のこだわりよ。あんたら悪魔はほとんどが王様呼びしてるでしょ』

 

『違う!あれは、あれは……何だっけ……?けど違う。違うのよ』

 

言いつつ、ブエルが手に巨大な雷光を構える。雷光はみるみるうちに巨大な弓矢の形をとり、ブエルの手の中で煌々と輝きながらわたしを睨む。


四本の腕に加えて背中の巨大な腕のそれぞれで器用に魔法を使い分けるというのは聞いていたが、腕の数が仮にわたしと揃っていても苦労しそうな相手だと顔を顰めつつ、雷の矢が放たれる直前に真横に跳ぶ。

 

『"神雷の星矢ラヴヴェロス・カデンテ"っ!!』

 

空気を焼きながら雷が一閃の光と化して走る。直前まで自分が立っていた場所が光に焼き切られ、壁にヒビも崩落もなく綺麗な穴が空いたのを見て流石に血の気が引く。

 

あんな威力の魔法を一方的に撃ち続けられたりすれば、わたしがいくら龍狩で体力があると言ってもいつかは消し飛ばされてこの世に塵も残せない。ならば不必要に離れることは早急に諦めて、わたし自身が得意とする近距離での肉弾戦に持ち込むしかない。

 

一息に距離を詰め、ブエルの懐へと潜り込む。雷の矢を放った二本の腕はわたしを捉え切れてはいなかったが、残りの腕で器用にわたしを狙った打撃が飛んでくる。

 

『水薙・風輪華車』

 

まともに喰らえば骨が砕けるであろう、見た目よりも重い打撃を受け流し、その勢いを乗せて反撃を叩き込む。咄嗟の防御のための腕を一本へし折り、そのまま腹に拳を捻じ込んでブエルの身体を浮かせた。

 

『吹き飛ばすと魔法が面倒だものね』

 

浮いたブエルの頭を鷲掴みにして、地面へと叩きつける。そのまま簡単に起き上がれないよう身体を踏みつけて、悪魔に頭蓋があるのかは知らないが、殴り砕いてやるつもりでまだ形が残っている頭を目掛けて拳を振り下ろす。


拳がブエルの頭を捉える瞬間、地面に向けてブエルが魔法を放ち、その反動で拘束から脱した。ブエルは距離を取り、自身の身体を治しながらわたしを睨みつける。

 

『乱暴な子。あなたのこと好きになれなさそう』

 

『そう、奇遇ね。わたしも同じ気持ちよ』

 

言いながらブエルの様子を伺う。悪魔には血が通っているわけではない。ダンタリオンがスライに文字通り真っ二つにされた時に一滴も血が出ていなかったのを見ているし、やたらと悪魔に懐かれているフルーラからも知識として聞いていた。

 

しかし、目の前にいる悪魔はへし折った腕や床に叩きつけてやった頭から血のようなものを流している。血液ではないようで、流れ落ちた傍から霧散して消えていってはいるが、本来存在しないはずの鮮血が妙に不気味に映る。

 

『あなたみたいな乱暴な子、上に行かせるわけにはいかないわ』

 

傷を治しきり、ブエルが左右で別々の魔法を構える。炎と風、先に炎が放たれ、その炎を巻き込み巻き上げるようにして風の刃が襲い掛かってくる。

 

冗談のような範囲と威力に完全に避けきることは諦め、魔法に対してそれなりの耐性がある龍狩の体質を信じて最小限の被弾で済むように動く。

 

『どいつもこいつも滅茶苦茶な……こちとら魔力なんてほとんどないから魔法なんて使えないってのに!』

 

魔法使いの技術云々に明るいわけではないが、複数の魔法を同時に扱うというのは、左右の手で別々の文章を同時に書くのと同じような話のはずだ。除け者の巣で最も魔法に長けているフルーラでさえ同時に別の魔法を使うのは無理と聞いているし、わたしも長く傭兵業をやってきたが実際に目の当りにしたのは今回が初めてだった。

 

熱風の嵐を掻い潜り、懐へと踏み込もうとした瞬間、私の真上から影が落ちる。

 

『"悲哀の落涙リュストラオル・ラクリマ"!』

 

見上げた頭上にあったものは巨大な氷塊。次から次へと放たれる強力な魔法に心の底からの舌打ちを一つして、ブエルの懐へと走るために踏み込んだ足を軸足にして、落ちてくる氷塊へと全力の蹴りを放つ。

 

重さに顔を顰めはしたが、氷塊は派手に砕け、ガラガラと音を立てながら地面にその破片が飛び散っていく。魔法で作り出されたものは大半がさほど長くはもたずに消滅する。この破片もそう長く邪魔になることはないだろうと考えたが、落ちた破片が突き刺さり、そこを中心に地面が凍り付き始めた。

 

『器用な魔法ね。わたしは不器用だから羨ましい……わっ!!』

 

凍り付いていく地面がわたしを巻き込む前に地面を踏み砕き、地面ごと周囲の氷を一掃する。炎やら雷やらとは違って物理的な対処ができる分マシではあるが、この物量と威力に押し流されてしまうのはまずい。

 

思えば昔は魔法使いというものに少し憧れてみたりだとか、純粋にきらびやかな魔法が使える人がちょっと羨ましいなんて思ったこともあった。せっかくこんな派手に魔法を扱えるのなら、少しくらい人の役に立ててほしいものだと心の中で悪態をつく。

 

砕けて宙を舞う氷と光の床を突き抜けるようにしてブエルが飛び出し、わたしを目掛けて掌底を放つ。わたしはそれを受け止め、至近距離でブエルと睨み合った。

 

『バカみたいな力!あなた本当に人間さん?』

 

『さあ?なんでもいいでしょ。誰に喰われるかなんて、餌が気にするだけ無駄じゃない』

 

『加えてとっても乱暴さんね。悪い子にはめっ!するわよ!』

 

『やってみなさい。こちとら万年反抗期の除け者共よっ!!』

 

ブエルの腕を払い除け、若干だが体勢が崩れたところに拳を叩き込む。拳はブエルの顔を捉えきることはできず、咄嗟に飛び退いたブエルが振るった腕がわたしの頬を掠め薄皮を裂く。

 

あの距離で拳を躱されたことも含め、改めてこの怪物に後輩たちを追わせるわけにはいかないと決意を新たにする。


わたしは寂しいのが嫌いだ。あの気に喰わない、スカした態度の悪魔が頼んでもないのに教えてくれた。そして、わたしは寂しさなんて感じる暇もない贅沢者とあいつは言った。まったくその通りじゃないかとずっと考えていた。

 

『……贅沢知ったら戻れないのよ。一生贅沢者で居させてもらうわ』

 

礼を言うのは気色悪いが嫌いにはなれなかった孤独へ、小さく呟いてから構える。

 

母のように、父のように、大切なものを守る人になれるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の知らない世界を生きてきた人たちがいるのだということを、最近になってようやく理解した。

 

田舎の雪国に生まれて、そこで暖かい人に触れて生きてきた。漠然とそれを享受して、なんとなくそれを大事にしたいと思った。あたしが強くなろうとした理由はそんなもので、生きるのに困ったわけでもないし、何かを失ったわけでも大きな決意をしたわけでもない。

 

そんな中で、いろいろな人と会って、そして同い年くらいの銀の髪の剣士に会った。それに最初に抱いた感情は恐怖だった。

 

突き刺すような殺意。こちらの一挙手一投足を捉え、命へと刃を滑り込ませる隙を伺って光る眼光。あたしの知る暖かさとは真逆のものを纏った刃物のような奴だと感じたのを今も覚えている。

 

『残ろうとしたら残ろうとしたでぶん殴られてただろうけど、ソニム先輩大丈夫かな……』

 

『あの場で全滅とかになるよりは数段良いって。それに、お前前回ボコられたし居ても居なくても変わんないでしょ』

 

『もう少し言葉選べよ!お前らのご主人様が悩んでんだぞ!!』

 

『悩んでも今更無駄だからやめろっつってんの!伝わんないかなぁご主人サマには!?』

 

『んだとぉ!?もうちょい優しい言葉かけようって気はないわけ!?』

 

そんな人間が、蓋を開けてみればこんな感じなのだから人というものは一度見た程度ではわからないものだと思う。

 

今では相当素直じゃないひねくれ者で、性根の部分ではむしろ良い子と呼ばれるようなタイプだということはわかってきた。ただ、大体の心配や気遣いが悪態に変換されがちらしい。それが意図的だったり無意識っぽいときもあったりするのがある意味らしくておもしろいが。

 

『まぁ落ち着きなさいよ。今はダンタリオンちゃんの言ってることの方が正しいし』


『ほーれ見ろ!あの人悪魔より普通に怖いしどうせいろいろ終わったら"おつかれ。わたし帰って寝るから"とか言ってるって!』


『確かにちょっと言ってそう……じゃなくて!んだよ私が人の心配するのそんなに変か!?』


『まあ、わりと』


『あんた普段素直じゃないから』


『…………』


ダンタリオンちゃんと顔を見合わせてから、二人でまっすぐとクリジアの目を見て言う。クリジアは一瞬何かを言おうとして、苦虫を噛み潰したような渋い顔をしたと思うと舌打ちと共に不貞腐れて顔を逸らした。


純粋に腹立たしいところはあるし、生意気な奴だとは今でも思っているが、なんだかんだと言ってあたしはこのクリジアという人間のことが嫌いではない。最近は特にそう思うようになっていた。


こんなでも根は優しくて、不器用で、やり方も経緯もいろいろあったかもしれないが、ワノクニでは初対面のあたしやマルバス、ミリのためにあそこまでしてくれた奴だ。あたしが逆の立場だったとしたら、あんなことができたかはわからない。


『もう少し素直なら手放しに可愛い年下なのに……』

 

『なに?なんか言った雪女』

 

『べっつにぃ?子供みたいに拗ねちゃって可愛いねなんて思ってないわよ』

 

『なんだと』と食って掛かってきたクリジアにあたしはべぇっと舌を出す。その様子を見てダンタリオンちゃんが呆れたような溜息を一つ吐いたところで、あたしたちを乗せていた光の床の動きが徐々に遅くなり、次の広い空間へ抜ける出口へとたどり着いた。

 

先程のブエルによる不意打ちもあり、あたし達は警戒しつつ広間へと出る。

 

瞬間、あたしを襲ったのは内臓を鷲掴みにされたような不快で強烈な悪寒。ブエルが放っている重圧とはまた異なる、纏わりつくような不安と確かな悪意。そして、あたしはこの嫌な感じをよく知っている。

 

『なんだヨ。ブエルを壊して上がってきやがっタのかと思ったガ、そういうワケじゃねえらしいナ』

 

歪な左右三対の大きなツノ、癖のある長い緑髪、身の丈程ある歪な杖を携えてそれは退屈そうに座り込んでいた。顔の半分は骨が剥き出しになっていて、樹木らしきものが滅茶苦茶に絡まったような片腕をもつ小柄な悪魔。

 

呪いを操り、正義を謳うあたしの知る中で最もおどろおどろしい呪詛。ヴォラクの姿がそこにあった。

 

『あん時の不気味な骨頭……!』

 

『ヒッヒ、御挨拶だナ同族。つーか、どのツラ下げて人間の隣に居やがルんだ?これからワタシら悪魔が世界を滅ぼスってのにサ』

 

ゆらりと立ち上がりながら、ヴォラクは不気味に笑う。相変わらずこの悪魔は何を考えているのかがいまいち掴み切れないし、目の前のあたし達に喋っているはずなのに遠くを見ているような妙な感覚がある。

 

ただ、確実に言えるのはこいつが相当厄介な悪魔で、あたし達は、というよりクリジアをここで足止めされるだとか、殺されたりなんてことになってはいけないということだ。

 

『どんな気分ダ?世界の敵が待つ塔へ来テ、王を殺して世界を救うんダろ?英雄か?御伽噺の主人公か?はたまた正義のヒーローか?ヒヒヒッ、少なくとも世界を救う正しい行いをしていると疑ってネェだろう?』

 

大きく手を広げ、舞台か何かのように大袈裟な身振りと併せてヴォラクが問いかける。あたし達は全員がこいつの一挙手一投足が不可解な現象の原因になり得ると警戒しつつ、各々が武器を構える。

 

刹那、ギラリとヴォラクの眼が光る。

 

『虫唾が走る話ダ』

 

ヴォラクが杖を床に叩きつけ、それに呼応するようにして黒い泥で形作られた無数の手があたし達に向かって伸びてくる。あの時にさんざん見た不気味な力、呪詛の泥をあたしは剣を振るい凍り付かせる。

 

黒い泥の手は氷を溶かすことはないが、まるで白い布に墨が染み込んでいくようにあたしの氷を蝕んでいく。不気味な光景に顔を顰めつつ、心に残る恐怖や不安を掻き消すようにあたしは意を決して叫んだ。

 

『クリジア!!行って!!こいつはあたしがやってあげる!』

 

『はぁ!?何言ってんだ!二人でさっさとやった方が良いだろ!!』

 

『あんたもそれができない相手なのはわかってるでしょ!』

 

氷が砕け、その奥から杖を振り上げたヴォラクの姿が現れる。その体躯からは到底想像ができない力で振り下ろされた杖の一撃を、あたしは真正面から受け止めながら叫ぶ。

 

『ヒーローなんでしょ!?美味しいとこあげるからさっさと行けって言ってあげてんの……よ!!』

 

ヴォラクを弾き飛ばし、そのまま態勢の崩れているヴォラクへと斬りかかる。杖であたしの剣を滑らせるようにしてヴォラクはあたしの攻撃を往なし、掌底であたしを突き飛ばして後退させる。

 

腹に受けた衝撃と痛みに舌打ちを一つして、一度ヴォラクから距離をとる。

 

『ハハァ、どっちも行かせねえヨ人間共。せいぜい仲良く死ぬと良イ』

 

『はんっ、馬鹿言わないでもらえるかしら!?こんなのと仲良く心中なんて絶対にごめんよ!』

 

言いつつ、隣にいたクリジアの腕を掴む。

 

『は?何してん──

 

『だからさっさとぉ……行ってきなさいっ!!』

 

クリジアが何かを言おうとしたのとほとんど同時に、あたしはそのまま全力でクリジアのことを背負い投げの要領で放り投げる。ダンタリオンちゃんは事前にあたしの思惑は把握してくれていたようで、すっ飛んでいくクリジアについていくように飛んでくれていた。

 

ヴォラクからは当然のように想定外だったらしく、クリジアは悲鳴と共にヴォラクの背後へと墜落する。

 

『てめッ……!ふざっけんな雪女ァ!!ていうかせめて先に言うとかしろよお前ほんと!!』

 

『言ったら文句言うでしょうが!いいからさっさと行きなさいよ!!ダンタリオンちゃんその馬鹿よろしくね!!』

 

『遊んでんじゃアねんだよ人間が!行かせるわけが──

 

ヴォラクが振り向き、杖を振りかぶったのとほぼ同時に轟音と共にヴォラクとクリジアのちょうど中間のあたりの床が爆ぜる。

 

『うわぁあ!?』

 

『ぐぅア……!』

 

何が起きたのかはわからないが、その衝撃でヴォラクはあたしの方へ、クリジアは上へと向かうための小部屋の方へ吹き飛んだようだ。

 

アビゴールがクリジアのことを『運命が殺し損ねた人間』だと言っていたが、この状況を鑑みるとあながち本当にクリジアは世界に生かされているのかもしれない。そんなことを考えて少し笑いながら、吹き飛んできたヴォラクを大剣で吹き飛ばし、クリジアとは真逆の方向の壁へと叩きつける。

 

『あたしに文句あるでしょ辻斬女!!あとで聞いたげるからさっさと帰ってきなさいよ!!』

 

クリジアの方は振り向かずに叫ぶ。少しだけ間をおいて、聞きなれた小憎たらしい、生意気な声が返ってくる。

 

『~~ッ!マジで延々文句垂れてやるからな!聞く前に逃げんなよクソ雪女!!』

 

こんな時くらいは仲良くしろと、いろんな人のいろんな声が聞こえてきた気もしたが、ある意味でこれが一番あたしとクリジアらしいだろうと勝手に納得しつつ、あたしはヴォラクへと向き直る。

 

全身粉々にしてやるつもりで剣を振り抜いてやったが、さすがは悪魔と言うべきか形はほとんど直っているようだ。しかし、その表情からは余裕が消え、純粋な怒りや苛立ちが浮かび上がっている。

 

『へえ、余裕なさそうな顔もするのねあんた』

 

『ヒヒッ、感情豊かなもんでナ。……で?死ぬ理由はあの銀髪で良いのカ?』

 

ごぼごぼと音を鳴らしながら、ヴォラクの怒りに呼応するようにして黒い泥が湧き出る。少し前のあたしなら、この悍ましさにもう逃げ出したくなっていたかもしれない。

 

けれどあたしは自分でも驚くほどに不敵に笑って、ヴォラクの問いかけに言葉を返す。

 

『まさか。あいつがあたしの死ぬ理由なんて絶対嫌よ。覚悟しなさい、死んでも生きて帰ってやるんだから』

 

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