57話 蟷螂の斧

夢を見た。


内容は覚えていない。だけどひどく懐かしくて、とても悲しい夢だった。


そんな奇妙な夢と共に、朝日が昇る前に目が覚めて、いつものように相棒の小憎たらしい顔を見る。いつも通りの朝だ。


『おはよう。クリジア。ダンタリオン』


『ソニム先輩?なんでこんな時間に起きてんすか』


『あんたに言われたくないのよクソガキが』


『そりゃごもっともで』


たははと笑う私を見てソニム先輩は小さくため息を吐く。机に頬杖をついて、足を組んで座るその姿は本人の圧も手伝って普通に怖さもあるが、私にとってはもう慣れ親しんだ姿だ。


『なんだ?クリジアはともかくソニムまで早起きか?槍が降るな今日は』


『朝っぱらから人の顔見るなり物珍しい目向けるのやめてもらえるかしら?リーダー』


『実際珍しいだろうが』


ミダスさんに言われ、ソニム先輩は若干不貞腐れたように舌打ちを一つしてからそっぽ向く。私は普段ならお昼前に渋々といった様子で起きるか、なんなら夕方に差し掛かるくらいまでは寝ていることもあるソニム先輩がこの時間に起きていればそりゃあ皆同じ反応をするだろうなと思いつつ、これを口に出したら世界の終りの前に私の人生の幕が閉じそうなので口を固く噤んだ。

 

『あら、皆さんお早いですね~』

 

『おー、クリジア以外も早起きさんだ、早起きさん』

 

『フルーラさんにゼパルちゃん?なんかみんな本当に今日早くない?』

 

『クリジアはいっつもやたら早いけどね、キヒヒ』

 

『うるさいぞちびっ子怪物ちゃ~ん』

 

したり顔で笑うゼパルちゃんを軽く小突くと、いつものように明らかに人間とは違う、中身が空の容器を叩いたような音と感触が身体に伝わってくる。初体験なら絶叫するか絶句するかのどちらかしかない体験だが、私にとってはもはや馴染み深さすら感じる。

 

そんな調子でじゃれていると、ギルドの二階からトントンと階段を下りてくる音が聞こえ、間もなくムカつく顔とまだ少し眠そうな幼い顔が現れた。

 

『わ、皆さん起きてたんですね。おはようございます!』

 

『おはようございます……サルジュちゃん、朝から元気なのです……』

 

『おはよミリ。うるさいから部屋帰していいよ隣のそいつ』

 

『あんたも朝から随分元気ね辻斬女!!』

 

ぎゃいぎゃいといつものように私とサルジュが言い合いを始め、ダンタリオンがそれを見ておろおろとしているミリに『日も昇りきる前から元気だよねほんと』と呆れきった声で話しかける。

 

『おや?なんだいあんたら、揃いも揃って早起きしちゃって』

 

『なんだ、ベラにさんざんあんたが早起きなんて槍が降るとか言われたけど俺だけじゃないなら珍しさも半減だ。雨くらいで済みそうだね』

 

『何言ってんだい。エルだけじゃなくソニムまでいるから槍よりもっと酷いものが降るよこりゃ』

 

私たちの言い合いの最中、ベラさんとエルセスさんが談笑をしながらギルドに入ってくる。これで除け者の巣の全員が日もまだ昇りきっていない時間に集まったことになる。特別な用事があるか、全員が飲み会でこの場で朝を迎えた場合じゃなければありえない光景だ。

 

『あんたらわたしが早起きするのがそんなに気に食わないのかしら?』

 

『ソニム、俺はソニムの味方だよ。朝辛いもんな』

 

『やかましいわよ。そのずぶ濡れの子猫みたいな目やめなさい。踏むわよ』

 

私たちがそれぞれやいのやいのとはしゃぎ始め少し経った頃、ミダスさんが手を一つ叩いて大きな音を鳴らし、全員の注目を集める。

 

『……で、お前ら。なんで今日はこんな早く起きてきたんだ』

 

一瞬の沈黙。それからすぐにエルセスさんが口を開く。

 

『なんとなく、嫌な感じがして目が覚めたってやつさ。俺が目覚めるくらいだから相当だぜ』

 

『あたしは普段とあんまり変わらん時間だけど、エルが珍しく早く起きたから釣られてね。ただ、落ち着かない感じはあたしもあるねぇ』

 

『……そこの二枚舌と同じ。嫌な感じで起きたわ』

 

『あたしはミリが跳ね起きたのが直接の原因かな……でも嫌な予感みたいなのはちょっとわかる』

 

『ワタシは、ええっと、夢見が悪くてなのです……』

 

『私も同じような感じですね。ざわざわするというか……ゼパルも同じでしたね~』

 

『そうそう、ざわざわ~ってして落ち着かないの。気持ち悪~い』

 

各々が異様な早起きの理由を口々に話していく。私とダンタリオンはこの時間に起きているのは割といつものことだし、夢見が悪いとかもいつものことなのであまり普段と違いはないが、皆の言う漠然とした嫌な感じというか、落ち着かない空気感のようなものは私もずっと感じていた。

 

妙に張りつめているというか、無数の糸が絡みついてくるような不快感というか、そんなものをなんとなく感じ続けている。

 

『全員が全員同じような理由のなんとなくで、ねえ……』

 

ミダスさんは深い溜息を吐いてから、スッと立ち上がって私たち全員の顔を見る。

 

『俺らみてえな奴らの悪い予感は大抵当たる。全員、最悪ってやつに備えとけ』

 

ミダスさんは『賭けだなんだの良い予感はろくでもねえのにな』と付け加えて、ポリポリと頭を掻く。私たちはそんな様子を見て笑いつつも、全員がミダスさんの言葉に同意していた。

 

私たち傭兵共の、爪弾き者たちの、良いか悪いかで言えば悪いことにぶち当たってきた回数が多いような除け者たちの感じる悪い予感は本当によく当たる。理屈ではなく、もう本当に何となくの感覚としか言えないが、絶対に当たる悪い予感というやつがあるのだ。そして、その嫌な第六感は今回も遺憾なく発揮されてしまった。

 

その日、世界を異様な輝きを放つ光の塔が貫いた。









『先日開いた巨大な穴、貴方達も渦中にあった天災の跡についに動きがありました』


マギアスの招集からすぐ、私たちは各々が与えられた役割のために世界各地の配置へと散った。そんな中で私とソニム先輩、そしてサルジュに与えられた役割は光の塔への到達だ。


サピトゥリアの防衛戦よりも多くの人が忙しなく動いているが、諸悪の根源と思しき塔そのものへ関与する人間は思っていたよりも少ない。私たちは個別にアビゴールに呼ばれ、世界全体には少し隠している部分の話などの説明を受けていた。


『不思議そうな様子ですが、何か疑問がありましたか?クリジア・アフェクト』


『あ、いや。あの塔を世界中のみんなでどうにかするものだと思ってたから』


『ああ、成程。……不安要素になりかねない気もしますが、アレだけに集中するというわけにもいかないのです』


アビゴールはそう言いながら世界地図を広げ、何ヶ所かに印を落とす。


『この印の位置は要警戒区です』


『要警戒?何の?』


『万災の王という呼称は悪魔の王だからという理由だけではありません。意思を持つ天災である悪魔を従える者、それ故に万災の王です。この世界の漂白において、他の悪魔が顕現しないことはありえません。そして、直近で魔力の不自然な動きが見られた箇所がこの要警戒区です』

 

『つまり、そこに悪魔が出るってこと?』

 

アビゴールは静かに頷き、そのまま言葉を続ける。

 

『王の災禍には段階があります。光の塔が現れ、この要警戒区に悪魔が現れるのが初期。そこから進行すると悪魔の数は増え、世界各地に起点となる楔が顔を覗かせます。現れる悪魔はこの楔の守護者というわけです』

 

『それを全部その王様と魔具が操ってるってこと?めちゃくちゃすぎない?』

 

『そればかりは私も同感ですとしか言いようがありません。最終段階には光の柱が降り注ぎ、人間を幽世へと呑み込んで、世界が裏返る……ここまで進行すれば世界の終わりとなります』

 

『改めて聞くとスケールでかすぎて頭痛くなってくるなぁ……』

 

私が大きな溜息を吐くと、同意するようにサルジュとソニム先輩が頷いてくれた。ダンタリオンは今私の中に居てもらっているが、痛む頭の中で『ホントに嘘であってほしい話だよね』と同情のような声をかけてくれた。

 

ただ、アビゴールがいまさらこんなところで嘘を吐く理由もない。残念なことにこれは全てこれから起こることで、先のパイモンたちによる襲撃だけでも世界はあれだけ追い込まれたのだということを考えれば、世界の終わりの災厄というのがなんら誇張表現でもない事実なことは悲しいほど理解できる。

 

『要警戒区の悪魔には別戦力で対処します。貴方達には先程お伝えした通りに光の塔への到達を目指して頂き、この災禍の根幹である王と小さな願いの鍵の破壊をお願いします』

 

『わたし達だけってわけではないんでしょ?他の連中に細かい話はしなくていいのかしら』

 

『目標の通達は行います。ですが……そうですね、今更隠し事も野暮でしょう。最後かもしれませんからお伝えしておきます』

 

ソニム先輩のもっともな質問に対して、アビゴールは一瞬考えた後に憑き物が落ちたような、私が今まで一度も見たことがなかった柔らかい表情で私と目を合わせた。

 

『クリジア・アフェクト。貴方に我々は賭けると決めたのです』

 

突然のご指名に私は固まり、少ししてから茶化すようにして口を開く。

 

『私?なんでさ、強さだけで言ったらソニム先輩のが強いよ。この雪女よりは私だけど』

 

『一言余計なのよあんたは!同じくらいよ同じくらい!!』

 

『どーだか。私にはダンタリオンいるもんね~』

 

『あぁそうねダンタリオンちゃんは強いもんね?あんた、ペア組まなきゃあたし以下なんじゃない?』

 

『私らはトリオですぅ~。つか私一人でもお前にゃ負けねえよ甘ったれのかき氷女』

 

言い合いを始めた私とサルジュの脇腹にソニム先輩が無言で拳を捻じ込み、私たちは揃って潰れた蛙のような悲鳴を上げてその場に蹲り小さくなる。アビゴールはそんな私たちの様子を見て小さく、本当に小さくだが笑みを溢しながら呆れたような調子で言葉を続けた。

 

『その状態の貴方に伝えるのも妙な気分ですが、貴方に出会い、貴方の関わった者は皆大きく変わったと感じています。私自身も含め、貴方には周囲に変化をもたらす才能のようなものがあるのかもしれません』

 

『そ、れは……買い被り、ってやつ……』

 

『そして何より、数多の呪いと対峙し、その悉くを生き延びた者。世界に生かされた人間として、私は貴方に期待をしたい。運命に反抗するのなら、運命が殺し損ねた人間ほど適役もいないでしょう』

 

初めて会った時と同じような、暗く冷たい重圧を放ちながら告げられた期待の言葉。私は未だに結構痛む脇腹を押さえながらふらふらと立ち上がり、にやりと笑って見せる。

 

『はっ、嫌われ役なら大得意。そういう期待なら応えやすそうで安心したよ』

 

『都合の悪い運命や未来に嫌われるのであれば好都合でしょう。素敵な嫌われ者』

 

私が『そういう冗談言えるんだ』と返すとアビゴールは『貴方たちと会話をしていれば自然と身に付きます』と溜息を吐きながら返す。その姿が今までの人形のような印象とはかけ離れすぎていて、似合わなすぎる服を着ている人を見るような笑いがこみあげてきて思わず吹き出す。

 

私の様子を見て若干ばつが悪そうな調子でアビゴールは咳ばらいをしてから口を開いた。

 

『……そんな素敵な嫌われ者に、これを』

 

渡されたのは掌に収まるくらいのサイズの水晶のようなもの。中身をよく見れば、水晶の中に不思議な輝きを放つ球体のようなものが入っている。私は少しの間渡されたものを眺めるが、これがなんなのかは理解できずに首をかしげる。

 

『……これ、何?』

 

『王へ届き得る一手、というやつです。貴方に渡しておきます。貴方が持ち続けるのか、他へ託すのかはお任せしますが、私からは貴方へ』

 

手渡されたそれを、改めてまじまじと見る。今私の掌にあるこれは、アビゴールの口ぶりからしてもかなり重要な魔具かなにかといったところなのだろう。さらには世界が終わるかどうかという瀬戸際の瞬間での重要な何かともなれば、今までの仕事で見てきたものより数倍は責任の重いもののはずだ。

 

少し前の私なら、こんなものは絶対に持ちたくなかった。できるだけ勝手にしたい、重たいものは手放したい、辛いことからは逃げたい、そうやって自分を守ろうとして生きてきていた。それは間違いないし、今も間違えているとは思わない。けれど、不思議と今の私はこの重さをすんなりと受け入れていた。

 

『そんじゃ、まあ私が死ぬまでは持ってようかな。いや死ぬ気はないんだけど』

 

『……素直ね。もっとごねると思ってたけど』

 

『これがあるおかげで生き延びる確率上がるかもしれないじゃないすか』

 

ソニム先輩に心境の変化を見透かされたように言われ、私は苦笑しつつ適当な理由を返す。死ぬつもりがないのは本当で、今回はこないだのような意地になった自己犠牲の精神だとか、どうせみんな死ぬのならという自棄を起こしているわけでもない。

 

ただ、ソニム先輩が怪訝そうな顔をする理由もものすごくわかるので、私としてはクリジアという人間に対してのものを含めて苦笑するしかなかった。

 

『世界への反攻作戦の決行は明日、夜明けと共に開始します。貴方たちの道に未来があることを、せめてもの思いですが願っています』

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜、異様な緊張感に包まれた世界の中、私とダンタリオンは宿のテラスで黄昏ながら話していた。

 

『いよいよ世界が終わりますってなると、逆に冷静でいられるもんだね』

 

『人によるだろうけどね。クリジアは落ち着くタイプなんだ』

 

『そうっぽい。今更どうすんだ~みたいな感じだけど』

 

当事者とは思えない様子でお互いにけらけらと笑い、他愛のないいつも通りの会話を交わしながら時間を過ごす。そんな時間の中、いつも通りというのは自分が思っている以上に落ち着くものだなとぼんやり考えていると、ダンタリオンが少しだけ声色を変えて話し始める。

 

『ねえクリジア、悪魔のことを憎いとか、許せないって思った?』

 

『いや、別にそう思ったことはないかな。なんで急に?』

 

『へぇ、意外!あんだけ酷い目に遭わされて、今は世界の危機だっていうのに!』

 

『いやそりゃバルバトスとかさ?あの辺のこと好きかって聞かれたらんなわけねーだろ馬鹿って言うけど、それで悪魔全部を嫌うとはならないでしょ』

 

ダンタリオンは『へぇ~』とニヤニヤとした妙な笑顔を浮かべたまま何度か頷いて、大袈裟に伸びを一つしてから再び口を開いた。

 

『思ったより悪魔に対しての印象みたいなの悪くないんだ。よくわかんないとこあるよねお前って』

 

『そう?だいたいその理屈で全部嫌いになるなら私はとっくに全人類を憎んでるところでしょ。私の故郷焼いたの人間だぞ』

 

ダンタリオンは『それもそっか』と言って笑い、私はそれに『でしょ?』と返して笑う。

 

実際、私は原因以外のものをまとめて嫌ったり、逆に好きになったりはしない方だと思う。ソニム先輩のことは好きだが、龍狩に対して同じ好意を持ってるかと言われたらもちろんそんなわけはない。


それと同じ理由で悪魔のことをまとめて嫌うことはないとは思うが、ダンタリオンから私はそういうタイプだと思われてたのだろうか。


『なんかちょっと安心したや。へへへ』


『なに?私に嫌われてるかと思った?』


『正直、ちょっとね』


ダンタリオンは珍しく、安堵したような笑みを浮かべる。私はこいつにそんな心の機微があったことに驚いたが、言わずともこいつにはこれが伝わるはずなので声に出すのはやめた。


欣快の祈りなんて言っているとおりに、ダンタリオンは基本的にいつも楽しそうにしている。怒ったり怯えたりはあるが、寂しいとか悲しいみたいな顔は本当にあまり見たことがない。


『別に薬かなんかで狂ってるわけじゃないんだからたまにはノスタルジーな感じになったりもするって。強いて言えばお前のがうつったのかもね〜?』


『うるせえよ。私はだいぶ過去が濃いんだから仕方ないだろ』


『自分で昔のことよくある話って言うくせに』


『うるせー』とダンタリオンを小突き、ダンタリオンが『暴力はんたーい』などと叫びながら笑う。そんなやりとりをいくらか繰り返していると、ふと虚空から扉が開くような音がして、私たちは音の方へパッと振り向いた。


『ようガキ共。早く寝ろっつったろ』


『ミダスさん?そっちこそなんで急に?それフルーラさんの門っすよね?』


『緊張して眠れなさそうなガキの様子でも見てやろうと思ってな』


『わぉ!優しいリーダーだぁ。悪人面だけど』


『うるせえぞ半分双子』


三人で揃ってケラケラと笑いあい、少し落ち着いてからミダスさんが私たちの座っていた席に腰掛け、小さく息を吐く。


『随分大役を任されたなぁ、お前』


『まあ、そうっすね。でもほら、私がダメだったら他に誰かやれるでしょ』


『お前でダメなら他の奴にそんな期待できるかよ』


ミダスさんはそう言って少し遠くに目をやると、私たちに目線を合わせることなくそのまま話し続ける。


『……俺は、お前らのことを家族みてえなもんだと思ってる。お前らのことも、まあ他よりかはよく知ってるつもりだ』


『え、なんすか急に。ミダスさんもノスタルジー?』


『そんなもんだ。お前が自分のこと嫌いでどうしようもねえことも、ダンタリオンがクリジアを誰より心配してることも俺は知ってる』


私たちが揃って恥ずかしさからくる悲鳴をあげたのを聞いて、ミダスさんは面白くて仕方がないという様子でひとしきり笑った。


それがまた恥ずかしくて、私とダンタリオンは揃って気まずそうに目を逸らし、その様子を見てミダスさんは満足そうに溜息を吐いて再び口を開く。


『クリジア、お前今でも自分のこと嫌いか?』


『……正直、最近は別にそこまで。まあ、なんか、こんなもんだなって。私は』


『そうか。良いことだ』


ミダスさんが微笑む。


その顔がやけに優しくて、少し、ほんの少しだけ多い昔の記憶の父様の面影を重ねてしまった。


『俺は、良い奴になりたかった』


『ミダスさんが?十分良い奴でしょ』


『そうか?自分じゃわからねえもんだ。なりたかった理由は、親父が良い奴だったからだ。別に崇高な目的があったわけでもない。嫌われ者に居場所を作りたいってのも、親父の受け売りだ』


『……でも、ちゃんとやれてるじゃないすか。ミダスさん』


『お前がそう言うならそうなのかもな。まあ、俺みたいなどうしようもねえ奴でもなりたいと思ったものに近づけんだ。最後かもしれねえ、なりたいものに手え伸ばしてこい』


『なりたいものって、別に私はそんな──

 

私が言い終える前にミダスさんは席を立ち、自分の出てきた門へと向かって歩き出す。

 

『ダンタリオン、ちゃんとその意地っ張り見といてくれよ。頼りにしてんぞ』

 

『任せといてよリーダー。子守は得意だよぉ』

 

『子守役はどっちだよクソガキ共め!!絶対私の方が子守する側だろ!!』

 

ミダスさんは私とダンタリオンのやり取りを聞いて、笑いながら門をくぐる。

 

そのまま門が閉じるかと思っていたのだが、最後にミダスさんが振り向いて、私の目をしっかりと見ながら不敵な笑みを浮かべて言う。

 

『期待してるぜ、行ってこいよヒーロー。俺らの心配なんざしなくても、お前が帰りたい場所くらいは守っておいてやる』

 

信頼している人間からの言葉というのは不思議なもので、私の不安や焦燥感といった漠然とした心の靄は、ミダスさんの去り際の言葉ですっかり晴れてしまっていた。我ながら単純だが、どうやら私は案外嬉しかったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。夜明けと共に、世界が鬨の声をあげる。

 

私たちは例の光の塔、神々しいという言葉がよく似合うそれを目掛けて一斉に進み始める。どうやら他の人間にも私たちを塔へ向かわせるのが優先事項として伝達されているようで、今まで経験したことがないほどに周囲全体が協力的な雰囲気だった。

 

竜車を使って一気に移動して、各地に異変が起きる前に辿り着くことができれば理想形という作戦なので、私たちは現在竜車の荷台で揺られながら進んでいる。

 

『こうポジティブな期待されてると調子狂うなぁ……』

 

『罵詈雑言が飛ぶわけでもないし、なめられてるよりマシでしょ』

 

『ソニムさんの言う通りね。というか、あんたは考えがいちいちマイナスすぎるのよ』

 

『うるせえよ。能天気のお前と一緒にすんな!』

 

『あんですって!?』

 

『ガキ共、これ以上はしゃぐと追い出して道に埋めるわよ』

 

ソニム先輩にかなり本気の圧をかけられ、私とサルジュはお互いへの罵詈雑言を全ての見込み押し黙る。案外これもいつも通りのやり取りなので、何気ない日常の一欠片でもこんな時は必要以上の緊張をほぐす材料になってくれるものだ。

 

アビゴールの話によれば、悪魔の王様は私たちがどこで何をしているかを程度ははっきりとわからないが把握することができるらしい。


『昔は天災に立ち向かおうとか絶対に思わなかったろうに、人ってどうなるかわかんないもんすね』


この進攻も各所の要警戒区に対する防衛線も、把握されてしまっているのならば危ないのではないかと思うが、そもそも天災相手に人間の戦争の考え方をするだけ無駄で、作戦とは銘打っているものの、どちらかと言えば嵐が来るから窓に木板を打つとか、津波が来るから防波堤を作るとか、そういった災害への備えみたいなものというのが正しいようだ。

 

『跪いて祈っても死ぬなら、立ち向かって死ねば噛みつけるかもしれないだけマシってみんな考えるんじゃない?結果は同じでも、気分は晴れるわよ。多分』

 

『ソニム先輩こういう時真っ先に諦めそうな感じしてたんですけどね』


『わたしはわたしを脅かすもの全部が嫌だから。嫌なものには牙の一つくらい剥くわよ』

 

『サルジュは?まあ、お前は絶対立ち向かうタイプだろうなってのはわかるけど』

 

『あたしは今回に関してはあれね。もちろん死ぬのは嫌だし、家族友達の顔も浮かぶけど、なによりミリがようやく前向けたのにここでおしまいなんて許せないってのが強いかな』

 

『うっげぇ、清々しいくらいのお人好し精神なこって……』


『嫌味挟まないと会話できないのかしら!?そんな言うならあんたはどうなのよ!』


『私?私は──


瞬間、轟音が響き、少し遅れて悲鳴があがる。


慌てて荷台から顔を出すと、竜車が数台吹き飛ばされ、地面が焼け焦げて抉れている。魔法による攻撃だろうが、肝心の魔法を使った本人の姿は見えない。


『いよいよ終わりの始まりって感じか……!』


号令が飛び交い、竜車が生きている間はこのまま進むと私たちを含め全員が速度を上げて前進する。吹き飛んだ竜車は地面と同じように焼け焦げており、直撃した人は残念ながら無事ではないだろう。


私は荷台の上に登り、進行方向を見る。目に映るのは共に走る部隊の面々と、不気味な神々しい光を放つ塔。それ以外には見えず、魔法を放った存在を改めて探すがそれらしい影は見えなかった。


『じゃあ誰が何してあんなことになんだよ……』


私が視線を塔に戻した瞬間、塔から不自然な光が放たれ、ほとんど反射的に私は刀を振り抜く。


まだかなり離れているにも関わらず、私の刀は雷を切り裂き荷台のすぐ横を焼き焦がした。


『あの距離を一瞬で……!?というかダンタリオン、雷魔法ってこんな速いもんだっけ!?』


『いやこんなん普通無理!というかできる奴いるならマギアスがこの距離から塔ぶち壊しにかかってるでしょ!!』


『確かにそうだわ!流石は世界の終わりの一幕ってわけね!!』


塔から放たれる光、もとい雷魔法に対して警戒するようにとほとんど檄に近い声で伝達される。さすがに一方的に為すすべなくやられるような面子ではないが、無傷でこれを突破するのは不可能だろう。


ある程度は割り切り、魔法を斬ることができる私が少なくとも自分のいる竜車くらいは守れるようにと意識を塔へ集中させる。


再び数発の光が放たれ、各々が身を守るために光を弾き飛ばすが、少しずつ、少しずつ無事な者の数が減っていく。


『キリないぞこれ!!何かどうにかできる奴いないの!?』


私が半ば自棄で叫ぶ。答えが返ってくるとは少しも思っていなかったが、突如私の頭上から声が降ってくる。


『塔まで一気に行きたいのかしら?水の都のヒーローさん!』


『レヴィ!?』


そこにあったのは水の都の神子、一国の最高権力者でもあるはずのレヴィの姿。虚空に見慣れた門が見えたのを見るに、フルーラさんがレヴィをここに飛ばしたのだろうが、少なくとも私はレヴィがここに来るなんて話はひとつたりとも聞いていない。


『説明はしないわよ、してる暇もないもの!クリジアさん!しっかり掴まっててね!』


『は!?いや何する気!?』


『クリジア!これ本当に荷台に掴まった方がいいやつ!!中の二人も!!振り落とされないように──


『"神子の散歩道レヴィズ・ウィア"!!』


ダンタリオンが言い切る前に、私たちの乗っていた竜車の荷台が波に巻き込まれ、包み込まれる。瞬く間に水のトンネルのようになった水の道を、流れに乗って荷台がどんどん前に進んでいく。


『行ってらっしゃいクリジアさん!!また私を助けてくれるって信じてるから、待ってるわ!!』


雷が何度か降り注いでいたようだが、水の壁とその流れに阻まれ中にいる私たちには届いていない。速度も安全性も先程までとは天地の差だが、私たちの悲鳴も先程よりも大きなものになっている。この速度で水のトンネルを突き進むのは普通に怖い。


『帰ったら殴らせろバカ神子ぉぉお!!!』


私の悲鳴混じりの絶叫が、レヴィに届いたかはわからない。わからないが、帰ったらやらなきゃいけないことが一つ増えたなと、私は静かに心に誓った。








突然現れたレヴィのおかげで、半分くらいレヴィのせいでと言いたいが、結果的に私たち除け者の巣はかなり安全に光の塔の麓へと辿りつくことができていた。


水のトンネルから放り出された勢いで荷台は荷台だった残骸に変わってしまったが、私たちを運ぶという役割を終えた以上それを悔やむ意味もあまりない。


私たちは今光の塔の目の前、そこで得物を構え、異様なほどの重圧に潰されないようにと必死になっていた。


『やあ、久しいね。ミダスちゃんの宝物』


『なんでお前がこんなとこにいるんだよ……!』


『フフフッ!おかしなこと言うなぁ、悪魔が悪魔の王様に協力しない方が不自然だと思わない?』


ケラケラと笑いながら揺蕩うのは、私の記憶の中にある限りでは最も恐ろしく、強大な悪魔の姿。私たち除け者の巣に、悪魔とは何たるかを最もわかりやすく刻み込んだ最強。


それがあの時と同じ重圧を放ちながら、塔の前に立ちはだかっている。


『いよいよ世界の終わりってやつだ。君たちが、君がここに来るとはちょっと意外だったよ銀髪ちゃん』


『来ちゃったもんは仕方ないからね……今回もまたゲームでもするつもりかよ、第七柱』


『ミダスちゃんやフルーラちゃんなしでやる気?勝てるつもりなら褒めてあげようか。フフフ!』


私は舌打ちをしつつ、何も言い返せない現状に黙り込む。私やソニム先輩はアモンのヤバさを身をもって知っているが、知らないはずのサルジュでさえ、直感でこいつの重圧に青い顔をしているくらいだ。


遊んでいた時のアモンにさえ私たちは勝ったと言えるか怪しいくらいで命を拾っている。悪魔として悪魔の王に従うアモンに、私たち三人と一本で勝てる見込みはないに等しい。


『なんで来たのさ、今更何が欲しい?いいじゃないか、終わりは終わりで受け入れちゃえば』


『……お前が興味あるかは知らないけど』


竜車で言いそびれた言葉。


まだ、誰かに言ったこともなかった言葉。


私は何がしたいんだろう、私は何なんだろう。そういう漠然とした不安と問いに対する答え。


『ヒーローになりたいんだ。私は』


反吐が出るくらい、甘ったるい私の夢。


なのに不思議と今は自信を持って、言葉にすることができた。


『世界を救うヒーローにって?大きく出たね、人間一人が、何千何万を救うって?』


『いいや、私は私を助けてくれるヒーローにいて欲しかったからさ。まあ、一先ずは自分のこと助けようかなって。世界はついででいいよ』


『そのために天災なんて呼ばれてるものに立ち向かうのかい?バカにも程度があるぜ、人間ちゃん』


『賢く諦めたら欲しいものが貰えるわけ?そんなわけないだろ、強欲ちゃん』


アモンは一瞬きょとんとしたような顔をした後に、腹を抱えて笑い始める。いよいよこちらに魔法をぶつけてくるかと私たちが身構えたのとほとんど同時に、アモンの炎が光の塔の壁を灼き、風穴を開けた。


『フッフッフッフッ………フフフフ!!いいね、いいよ!いいじゃん君たち!!さすが"強欲"の選んだ宝物!!つまんねえこと吐かしたら殺してたけど、期待通りじゃん!』


ゲラゲラと、しかし嬉しそうな様子で笑うアモンに私たちは呆気に取られて固まる。


そんな私たちを見据え、アモンは自らが開けた風穴を指さしながら不敵に笑って見せた。


『さあ、行っておいで。恐れるなよ、欲しいものは決して離すな。期待してるぜ、人間ちゃん』


アモンの目的がわからないまま、困惑しつつも敵意がないことを確認して、私たちは塔の中へと進んでいく。







『……フフッ。今度はちゃ〜んと掴んできなよ?僕は助けないぜ。なあ、元お人形』


強欲な熾炎の揺らめきは、誰の耳に届くことなく静かに消えた。



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