55話 かみさまになったおんなのこ
神人ジュジェの一行がルゥモス村を訪れてから三日。
私は結局あれから直接ジュジェに会うことはなかった。私が出歩けないのもあり、ジュジェも神人としての立場というものがあったが故だろう。それか、私との雑談は本当にただの気まぐれだったという可能性もある。ただ、そんなことは今の私は正直ほとんど気にしていなかった。
あれから村は村で忙しくしていて、私の所に来た人はこの三日間ほとんどいなかった。食事を運んでくれた村の子たちに軽く挨拶をした程度だったし、くわえて私も私でひたすらに机と自分の脳内に向き合っていたものだから、しばらく人の顔を見ていない気もした。
病人のくせに、ろくに眠ることもしないまま三日を過ごし、四日目の朝日が昇ろうとしていた頃。
『で……できた……』
私は震える自分の掌の上で、メラメラと燃える小さな炎を見つめていた。
『できたぁーーーーーーーっ!!!!!』
両手を天へと伸ばし、動けない身体なりに喜びと感動を雄叫びと共に全力で表現する。その直後にバタバタと走って私の部屋へと向かってくる足音が聞こえ、勢いよく扉が開かれる。
『うるっさい!!というかそんな叫んだら身体に障るでしょお姉ちゃん!!』
ドアを開け放って怒声を響かせたのは妹のユイだった。ユイももちろん大人になって、ずっと寝ていたからか背だけは伸びた私とは違い、背は平均くらいで女性らしいやわらかな印象の大人になった。ただ、その反面言葉の棘は昔より増えた気もするが。
『ユイ!!聞いてくれ!できた、できたんだよ!!私の……ヴッ、ゲホッ!ゴホッ!!』
『だぁもうバカ姉!!そりゃ吐血だってするわよもう!ちょっと待ってて!!』
『まったくもう』と散々な勢いで小言を言われつつ、私はユイに水と薬を飲まされて少しだけ落ち着きを取り戻した。二、三回大きく息を吸って吐いてを繰り返し、口の中に残る嫌な血の味も薄まってから、私は再び口を開く。
『いやぁ、面目ない……』
『ほんとよもう。ていうか目の下の隈も酷いけどちゃんと寝てる?』
『こ、ここ数日は全然……』
『お姉ちゃん、バカなの?本気で怒るわよ』
実の妹からの心の底からの軽蔑と憤怒の眼差しにさすがにたじろぐが、生憎と今の私はおそらく今までの人生で一番舞い上がっている。私は勢いを落とすことなく、ユイの手を両手で握りしめて顔を近づける。
『後でいくらでも怒られるから!!今はこれを見てほしいんだ!完成したんだよ!』
『完成ってなにがよ。あ、もしかしてまた道具作りにとかに夢中になってたんじゃ……』
『皆を幸せにする、魔訶不思議な方法!!』
ユイはキョトンとした顔で、自分の姉が一体全体何を言い出したのかと首を傾げる。最も、私が逆の立場にいたら病でいよいよ気をおかしくしたんじゃないかとか、夢か何かを見ているのかとかそういう心配をするだろう。ユイの反応は至極当然で当たり前の反応と言える。
私はそんな妹の様子もお構いなしに話を続ける。
『いいか?私の手をよく見ててくれ。何も乗ってないし、道具も持ってないだろ?』
『う、うん。それがいったい何……』
『"火の魔法"!』
私の声と同時に、私の掌の上に再び小さな火の球が浮かび上がる。しっかりと熱を持ち、火打石で起こすものと同じ火が、道具もなしに私の掌の上に作られたのだ。
『えっ!?っちょ、なに、なにこれ!?手品……?』
『手品じゃないよ、手品よりも不思議な、それでも確かな理論のある、学問になり得るようなものだ……!理解さえできれば誰でも活用できるっ!発想が発展を産んでいく道具や文化と同じもの!できたんだよ、私の絵空事が、皆の当たり前になるかもしれない時が!本当に!!』
『ちょっと待って、これ昔によく話してたお姉ちゃんの言ってたこと?ってことは、水とかも出せるの?風も?』
『出せる!……多分。ちょっと待っておくれよ……えぇっと水なら……』
私のこの技術、魔法には情報が必要になる。例えば、火を出すなら火がどんなものなのかを知らないと難しい。その他にもどういう形で、どういうものを、どうやってどのくらいというのを、とにかくどれだけ詳しく材料に与えられるかが重要な要素になる。
つまるところ、今の私にはいろいろと手探りかつ自分の感覚で『なんかこんな感じ』を起こしたい現象に応じて考える必要があるのだ。
『えぇっとぉ……水のイメージ、イメージ……』
『お姉ちゃん?』
『多分、こう!』
私はうんうんと頭を悩ませていた状態からパッと顔をあげ、火の魔法を使った時のような感覚で再び握っていた手を開く。そこから水が吹き上がり、ユイの顔を直撃した。
ユイは『ぎゃっ』と短い悲鳴をあげ、ぽたぽたと水を顔から滴らせながら何が起きたか理解しきれていない様子で硬直し、私は物凄い気まずい雰囲気のままゆっくりと視線をユイの目に合わせる。
『そのぉ……ごめん……わざとってわけじゃなくてな……?』
『…………』
『ゆ、ユイ……?』
完全に硬直し、石像のように微動だにしなかったユイは唐突に私の肩を力強く掴み、私を引き寄せつつ顔を近づける。その顔は怒りとはまた違う表情だったが、鬼気迫る顔というやつで私は小さく悲鳴を漏らす。
『──は?』
『へっ?』
『自分の病気を治す"魔訶不思議な方法"は!?』
ぽたぽたと顔から水を滴らせながら、それを一切気にする様子もなく、まるで命の危機にでも立たされたかのような表情のままユイは叫んだ。
『えっ……とぉ、それは、そこまではちゃんとできてないっていうか……あんま考えてなかったというか……はは……』
ユイのあまりに鬼気迫る表情に、私は思わず目を逸らしながらもごもごと小さく言葉を返す。
ユイはガックリと項垂れた後、再び私の両肩を掴んでいた手に力を入れ、自分の方へ私を引き寄せる。
『こんのバカ姉ッ!!お姉ちゃんはいつもいつも……!あぁもういいわ!!今からその、何!?魔法だっけ!?なんでもいいから私に一から全部教えて!一週間、いや三日でお姉ちゃんを治す方法に変える!!』
『えっ、いや、でもこれできたばっかりだしまだ難しいところも……』
『やってやるわよ!!お姉ちゃんが作ったもの最初に試すのいつも私だったでしょ!?はいその、多分お姉ちゃんしか読めないメモ広げて!!』
ユイはバタバタと嵐のように部屋の外にかけていくと、適当な紙束と質素なペンを一本持って再び突風のように私の部屋へ戻って来た。
床に紙を乱雑に並べ、その前に座って私からの説明が始まるのを待っている。
『具合が悪くなったらすぐ言うこと!っていうかお姉ちゃんしばらく寝てないんだっけ?じゃあ……基礎、基礎だけ教えて!そこだけ頑張ってくれたら寝ていいから!』
『い、いや。私はともかくユイも連日診療とかで疲れてるだろうし明日とかでも……』
『それはダメ!!今!!』
ユイが力強く床を叩き、真っ直ぐな目で私を見る。こうなると私の妹は何をどうしても動かないことを私はよく知っている。私の心配をしてくれているのは嬉しいのだが、そこまで気にしなくてもと思ってしまうのは私の諦観なのだろうか。
それから結局、私とユイは”魔法”について日が暮れるまで話し続けた。私も疲れと睡眠不足はあったはずだったのだが、夢が実現し、それを他人に語ることの刺激が疲労なんて全て吹き飛ばしてしまったらしい。
ユイにとっては一切の情報がない状態から学ぶものだったので相当に疲れただろうが、さすがは若くして村随一の医者とまで呼ばれるようになった妹なだけあって、基礎の部分は理解して満足気に自室へと帰っていった。
私としては本当に自分の病気を治せるかもしれないということに関して考えていなかったので、ユイの発想には正直驚いた。私は自分が限界を迎える前に、少しでもみんなが楽になればと思ってこの魔法という技術を作り上げた。基盤さえできていれば、あとは私ではなくとも誰かが役立ててくれるだろうという気持ちもあったし、情けない話ではあるが今まで生きてきた中で根付いた諦めもあったのだろう。
『やっぱりユイには敵わないなぁ』
私は満足感と共に言葉を漏らし、ついに限界を迎えたのかそのまま倒れるようにして夢の中へと飛び込み意識を手放した。
それから二週間程の時間が経った頃、私の家に、いや、もしかしたら村全体にかもしれないが、ユイの声が響き渡った。
『できたよお姉ちゃん!!!』
『う、うん。部屋にもできたーって声聞こえてたけど、なにができたんだ?』
『病気とか怪我とかを治す用の魔法に決まってんでしょ!!何のためにお姉ちゃんに魔法教えてもらったと思ってんの!?』
『なんだって!?本当に!?』
私は驚いて動きにくい体を無理矢理に起こしてユイの方を見る。
私が驚いたのは、正直に言うと自分の病気が治るかもしれないという部分ではない。私は魔法についてここ最近毎日のように、意識がある間は発想の展開と整理を繰り返し続けていた。その中で、この魔訶不思議な技法にある程度の理屈や理論のようなものを見つけたのだが、その内の一つに魔法の特性というものがある。
魔法は自分の中に流れている力、魔力と名付けたものに情報を与えることで機能する。他者の魔力には基本的に干渉はできず、自分の魔力を使って現象を起こす技法。これを考えるとジュジェの使っていたアレはいったいどういう理屈なのかという疑問がいつも頭を過る。そして、その疑問と同じでどうしても他人そのものに現象を与える魔法というのが私には作ることができなかった。
『どうやったんだ!?私もいろいろ考えたんだがどうしてもできなかった……こう、体温を変えるために火でいろいろやろうとか、水と何かしら組み合わせてみようとか、ほんとに結構な数試したんだが──
『いったんそういう話はしなくていいからそこに直れバカ姉』
『あ、はいすみません』
ユイに物凄い目で諭され、私は姿勢を正して口を閉ざす。
よく見ればユイの目の下には恐ろしさすら感じてしまうほどに深い隈ができていて、このためにギリギリまで自分の身体を酷使していたことが伺えた。人のためにここまで必死になれるというのはなかなかできないことだろうなと私は妙な納得をしつつ、ユイの動向を見守る。
『難しい話とかは後にするから。いい?身体の調子の変化を逐一伝えて。辛い苦しいとかがあったら変な我慢しないですぐ言って』
『うん。わかった』
『痩せ我慢したらひっぱたくからね』
『そ、そんなに信用ないかな私……』
ユイは深い溜息と共に『自分のこと昔っからずっと後回しにしてるお姉ちゃんに信用なんてありません』と言って私の肩を若干力を込めて叩く。色々と込められていたであろう一撃に私は何も言えず、その痛みを受け入れて苦笑いをした。
ユイは私の肩に振り下ろした手をそのままに、何度か深呼吸をしてから魔力を回し始める。やんわりとした暖かい感じが身体を巡って、そこから数分もしないうちにいつも何となく苦しかった呼吸が楽になっていくのを感じた。
『お、おお……!息がしやすくなった気がする……!』
ユイは私の感想には答えることなく、変わらずに集中した様子で魔法を使い続ける。その間にも身体はどんどんと楽になり、自力で上体を起こすのも苦労していた身体の重さが嘘のように軽くなっていく。長年の病床生活で地の底まで落ちた体力や筋力に関してはさすがにどうにもならないが、病人だったとは思えないような状態に自分の身体が回復しているのを実感できる。
『す、すごい……すごいよユイ!本当に病気がそのままなくなったような感覚だ……!私にはこんな魔法作れなかった!』
『……本当に?』
『ああ!本当にすごいよ!身体がこんなに楽なのはいつ以来かもう思い出せないくらいだ……こんな魔法をこんな短い期間で完成させるなんて──
自分の身体を、不治の病だと諦めていたものを、まるで砂埃を払うように簡単に追い払ってしまった魔法に興味と感動を向けていた私の思考が停止する。
病状が急激に悪化したわけではない。身体に異常が出たわけでもない。ただ、目の前で大粒の涙を流す妹の姿に驚いて固まってしまっただけ。
『お姉ちゃん、いなくならない……?本当に、本当に元気になった……?』
普段は気丈で、皆からも頼られる姿ばかりを見てきた妹が、ぽろぽろと涙を流している姿に私は何をどう言ったら良いものかと混乱してしまった。
何度か言葉になっていない戸惑いの音を口から漏らした後、私はなんとか伝えたい言葉を絞り出す。
『だ、大丈夫。大丈夫だよ。いなくならない。ユイのおかげで、私は大丈夫だ』
『うわぁぁあああん……よかった、よかったよぉ……!ありがとうお姉ちゃん、私じゃ、私だけじゃ、お姉ちゃんのこと助けてあげられなかったの……』
『それを言ったら私一人でも病気を治すなんて到底できなかったさ。お礼を言うのは私の方だよ』
小さな子供のように泣きじゃくる妹を、精一杯抱きしめる。
痩せ細ってしまった枯れ枝のような腕なのがなんとも格好がつかないが、姉らしいことを一つも出来ないままだった私に今更張るような見栄もない。そんなことを考えるくらいなら、優しい妹へ伝えられるだけの感謝を伝える方が大事だろう。
ユイはしばらくの間泣き続け、そのまま泣き疲れて眠ってしまった。私には残念なことにユイを部屋まで運んでやれる筋力も体力もないので、私の寝台に突っ伏すような形でなんとか寝かせてやる。
非力な人でも誰かを運んだりできるような魔法もあったら便利かもしれないなんて考えながら、すうすうと小さな寝息を立てる妹の頭を優しく撫でながら、生まれて初めて不調を感じない身体に感嘆の息を漏らした。
それからしばらくの間の日々はまさしく苦痛そのものだった。
まず私の病気は治った。それはもう文句のつけようがないほどに健康な身体というやつになった。
私本人は何をどうしても治癒や治療の魔法、命魔法と呼ぶことにしたこれらの魔法を使うことはできなかったが、ユイと共に改良を繰り返し、最終的に私の身体を完治させるにまで至ったのだ。それは良い。ユイの目標でもあり、私としても病気や怪我の治療のための魔法が発展するのは大歓迎だ。
『ぜぇ……ひぃ……げほっ、えほっ……なん、なんで……こんな……』
苦痛だったのはその先。というか今も続いている。身体の機能を元に戻すための訓練、簡単に言えば運動。これがとんでもなかった。
まず第一に、私は正直なところ元来怠け者の気質だ。楽できることは楽をして解決したいし、大変な事柄は少ないに越したことはないと思っている。
そんな私は当然、自らが作り上げた技法である魔法を使って身体能力の回復及び向上を試みた。結果は御覧の通りで、それができていれば今頃私は日向に放置された冷えた水で満ちた陶器のように汗まみれにもなっていないし、割れた壁を吹き抜けていく風の鳴らす音のような呼吸を繰り返してもいなかったはずだ。
『ぜぇ……ひゅぃ……く、くそう……運動が、ひゅう……苦手な、人にも……笑顔を、届けたいな……そういう、魔法を……作り、たい……』
『たかだか村の散歩でなにを言ってんのお姉ちゃん』
『そうは言うけどなユイ……!私が何年寝台の守り人をしてきたと思う……!?運動はもともとそんなにだが、この枯れ枝みたいな足には散歩すらもキャラバン隊の行進に匹敵する運動になるんだ……!!』
村の広場のど真ん中ということなど一切気にせずに地面に倒れ伏し、ぜぇぜぇと息を切らした私を若干呆れた様子でユイが見下ろしている。
『今この瞬間、お前が見下している姉はこれでも必死に杖を突きながら村の中を一周歩いてきたんだぞ』なんて恨み言を心の中で思い浮かべてから、手に持っていた水筒の水を一気に飲み干す。少し前だったらもったいないからやめろと怒られていただろう。
村のみんなの生活は魔法の普及と共に大きく様変わりした。知識、勉強、そして発想と才能に左右される技術ではあるものの、ある程度までは万人が使用できる万能技術。それが魔法という技術だ。
私はユイと共にこの村の中で魔法を広め、皆の生活の中に魔法を根付かせていった。幸いなことに皆が便利だとあっさりと受け入れてくれて、中には私やユイと一緒になって新しい魔法を考えてくれている人もいる。キャラバン隊のグレイルもその一人だ。
『だっはっはっは!魔法を作ったリア大先生も運動不足にゃ勝てないらしいなあ』
『う、うるさいぞぉグレイルぅ……くそう……それもこれも、身体の強化が、ぜぇ……想像の十倍は、難しいのが悪いんだ……』
頭上から降り注いだ私の無様な様子を見て笑うグレイルの声に、私は弱々しい声で反論しつつ行き詰っている自分の研究の一部への文句を漏らす。
身体能力の強化、向上と一言で言葉にするならものすごく単純に聞こえるのだが、実際には魔法を用いた身体能力向上は非常に難しい。要因は細かく言えば無数にあるのだが、何よりも大きな問題として自分の身体を破壊しない程度に能力を向上させ続けるというのが異常と言ってもいいほどに難しいのだ。
『実際できたら便利だろうけど、できちゃったらお姉ちゃんいつまでも骨と皮のままになるよ』
『お前ら姉妹は連日頭抱えてるもんな。俺としちゃこう、風だとかで物を持ち上げたりってのだけで便利すぎてひっくり返りそうな話なんだが』
『グレイルのそれは案外器用な方なんだ……実際、物を風で支えたりするのは結構難しいはずなんだよ。思いっきり風を起こすだけと、風で物を包んで支えるだと情報の量が段違いになるから』
『悩んでるのってそれのさらに数倍難しいことって感じなのよね。なんというか、水車を壊さないようにしながら今の水車のままで今より三倍速く回してくださいって言われてる感じ』
『おおう、そりゃ難題だな……』
グレイルは私とユイに釣られるようにして腕を組んで悩み始める。それから数秒で『つってもお前ら姉妹にわからねえんじゃ俺には難しすぎるか』と言って大声で笑った。
『諦めるのが早いぞグレイルぅ。というか、今日は随分楽しそうだけど何かあったのか?』
『言われてみれば確かに。大口の商談でもあったの?』
『いいや……なんだろうな。お前ら姉妹が元気そうだと、なんだか無性に嬉しいのさ』
私とユイは顔を見合わせ、一拍置いてから声を揃えて『なんだそりゃ』と笑う。そんな私たちを見て、グレイルはやれやれと言いたげな顔をしながら私たちの頭をその大きな手でわしゃわしゃと撫でまわした。
ユイは髪の毛が乱れるだとかの文句を言いながら。私は抵抗するほどの体力もなければすでに髪の毛も滅茶苦茶だったので、されるがままに撫でまわされる。小さい頃にもこんな風に撫でまわされたことがあったなと思うと、なんだか悪い気分はしなかった。ユイも文句は言いつつも同じ気持ちだったのだろう。
『わっはっはっは!大人連中はみんな俺と同じだ。お前ら姉妹は皆の子供でもあったからな!』
『私たちももう大人の側だよ!……正直、自分でも驚いてるけどさ』
『お前はもっと喜ばねえとなはずなんだぞリアぁ。ま、早いとこ体力戻せるように頑張るんだな!』
『そうそう。お姉ちゃんには村を百周は余裕でできるくらい元気になってもらわなきゃ困るんだから!』
『いや、それはユイでも息が上がるだろう……』
『そんくらいの気概でいろよってこった。俺としてもお前らにはずっと元気で楽しそうにしてもらわねえと困るぜ』
『平気平気。何かあったらお姉ちゃんがすごい魔法で助けてくれるから!』
『私にそんな秘密の魔法みたいなのはないぞユイ!?』
そんな平和で何でもない、けれども何より特別な談笑を私たちはしばらくの間続けていた。途中で村の他の面々やキャラバン隊がグレイルの助太刀のように私たちの昔の話を根掘り葉掘り引っ張り出してきたり、子供たちが魔法を教えてくれと私やユイを取り囲んだりと、そんな風にしているうちに村の中は小さなお祭りのような状態になっていった。
気が付けば村の広場ではキャラバン隊が荷物をいくつかほどいて小さな出店にし、村の女性陣が家庭料理を持ち合って子供たちに配っている。すぐに起こせる火、井戸も水くみもなしに用意できる水、私のできたらいいなを皆が形にして笑っている。私は今、あの時自分の描いた夢の中心にいるのだとなんだか無性に嬉しくなった。
『お姉ちゃんはすごいね』
隣に立っていたユイが、ぽつりと小さくつぶやいた。
『私がすごいわけじゃないよ』
『ううん。すごいよ。お姉ちゃんがいるとみんな笑顔になる。神様みたい』
『えぇ……神様は柄じゃないなぁ……』
『ふふっ、確かに似合わないかも』
いたずらな顔で笑うユイに『ユイが言ったんじゃないか……』と呆れつつも私も笑って返す。
私が魔法を作りたかったのは、道具もなしに火が起こせたら便利だと思ったからだ。
砂漠で溢れるほどの水があれば、渇きに苦しむ人がいなくなると思ったからだ。
熱い日が続く中でも氷で冷気を作れれば、家を土からすぐに作ることができれば、風でどんなものでも遠くに運べれば、暗い夜に炎よりも明るい光があれば、きっとみんなが今よりずっと笑顔で、幸せでいられると思ったからだ。
神様なんてものは柄じゃない。ユイに言われて、ジュジェと出会った時のことを思い出して改めてそう思った。私はただ、みんなに笑っていてほしいだけの子供のままだ。
『……けど、みんなが笑ってるのは、嬉しいな』
私は魔法で、世界中を少しでも幸せにしたかった。その夢が叶ったことを実感して、私も嬉しくなってみんなと一緒に笑いあった。
けれど私は、世界のことを知らなかった。
知らなかったんだ。
魔法がルゥモス村にとっては当たり前になった頃。私は村を百周はできないにしても、歩行補助の杖なしで普通の日常生活を送ることはできる程度には回復していた。一応、というより半ば癖になってしまったところもあるのだが、杖は毎日持ち歩いているものの、もうほとんど装飾品のような扱いになっている。
私の病気が本当に良くなって、身体を動かさないといけないとなった時に、村のみんながアイデアを出し合って作ってくれた思い出の杖なこともあり、尚更手放せないまま持ち歩くのが習慣になった。周り曰く『私らしい杖』のようで、私本人もなんとなくそう感じている。そんな杖と一緒に、私はなんの気なしに村の中を散歩していた。
『お姉ちゃん、もう杖使わなくても大丈夫なのにずっと持ってるよね』
『別に持ってても良いだろ?ほら、お気に入りってやつだよ』
『まあ良いんだけどね。その杖あった方がお姉ちゃんっぽいし。でも、使わなくてよくなるくらい元気になってよかった』
『ちょっと前までは散歩が命懸けだったからなあ……』
少し前の自分の姿を思い出して、苦笑する。杖があってもろくに歩き回れず、周りからリアの足と杖が並ぶとどれが杖かわからないなんて言われたりもしたくらいだった。
私自身もリハビリがあまりにも嫌で躍起になって身体能力強化の魔法を研究していたりしたのだが、結果的に地道な努力と医者の助言に敵う魔法は作ることができず、いい歳をして泣きべそをかきながら毎日歩いたり物を持ち上げたりを繰り返した。そんな日々がもはや少し懐かしい。もっとも、今もリハビリ自体は継続中ではあるのだが、一番つらい時期は乗り越えたというやつだろうか。
『お姉ちゃん、今日はこの後何する予定?』
『ええっと、昼時を過ぎたら子供らに勉強を教えるのと、魔法についていくつかみんなで話すつもりでいるよ。魔具の調子とか、使用感も聞いておきたいし』
『魔法が使える道具だっけ?治療用の魔法のも作れればな~』
『命魔法は使い手の魔力の質にすごく左右されるみたいだからなぁ……現に私はほんっとうに命魔法がだめらしい。ユイの作ってくれた式でわざわざ陣を組んでも使えなかったくらいだから、ユイがいなかったら命魔法はこの世になかったかもしれない……』
『大げさだなぁお姉ちゃん……けどま、昔っからお姉ちゃんができないことは私で、私のできないことはお姉ちゃんだったし。そもそもお姉ちゃんがいなかったら魔法自体がなかったからね』
『どうかな?私がいなくてもジュジェみたいな奴もいるし、誰かは作ってたかも──
特別な目的もなく村の中を歩いていた私たちの雑談を遮るように『大変だ』と叫びながら走る村人の姿が目に映る。
何かあったのかと私たちが声をかける前に、その人は私たちの目の前で慌てて止まり、私の腕を掴む。
『り、リア!よかった!探してんだ!!』
『ど、どうしたんだ?何かあった?』
『神都から、使者が来てる……!魔法のことを、どこからか知ったらしくて……!!』
『神都だって!?』
神都メドゥン。この世界において最も強大で力のある国家の中心。ほかに神人がいるのかは正直知らないが、ジュジェのような人もそこに住んでいる。
神人のお膝元だから神の都で神都と呼ばれているわけだが、当然そんなところに住んでいる人間はこんな小さな村とは無縁も良いところなはずだ。
魔法が他に広がることはある程度危惧はしていた。技術としてはまだまだ不完全だし、下手に広めて事故や事件が起きた時のことも考えて、村の中だけで使っていたはずなのだが、どうやら神都は随分と目聡いらしい。
『ど、どうしよう……隠し通せるものじゃないだろうし……神都に逆らうなんてとても……』
『まあ、仕方ないさ。変に疑われても厄介だろうし、私が製作者としてその使徒様に会うよ』
『ちょっ、お姉ちゃん!?そんな簡単に……』
『大丈夫大丈夫。悪いことをしたわけでもないんだしさ』
慌てる周囲を嗜めるようにしながら、私は使者とやらのもとに向かう。何かの罪になるのなら私だけの方が良いし、魔法を作ったのは間違いなく私だ。村のことで心配するようなことはない。それだけを私は自分の足を進ませる原動力にした。
──ここは小さな村だから、神都の使者が待つ村の入り口まで私の足でもそんなに時間はかからない。豪奢な衣服に身を包み、明らかにこんな場所には不釣り合いな人物と豪華な貨車が待っていた。
てっきり高圧的な感じでこられるか、問答無用で拘束でもされるのかと思っていたが、私の想像とは違い、使者は衣類が汚れることも気にかけず、膝をついて首を垂れた。
『奇跡を起こす術を生み出したという者は貴方様でしょうか』
『……魔法のことかな。それなら、私で間違いないが』
使者は顔はあげず、そのままの姿勢で言葉を続ける。
『我々は新たなる神人を神都へと御迎えさせていただきたく馳せ参じました。御迎えが遅くなり、申し訳ございません』
『神人?……まさか、私が?』
『左様でございます』
『いやいやいや、私はそんなんじゃ……』
『民へのお心遣い、流石でございます。貴方様がこの地で長くその力をもってしてお恵みを与え続けていたのは存じております』
『だから私は別に……ついこないだまで寝台から動けてなかったくらいだし……』
使者はこちらの話を聞くつもりはなさそうで、ずっと同じ姿勢のまま私と視線を合わせようともしない。ジュジェが以前会った時に言っていたのはこういうことなのかと、嫌な納得をしていた時に、使者が突然に顔を上げた。
『この村の者たちが貴方様の足枷となるのならば、私共がその枷を取り除きましょう。神都への帰還を邪魔立てする反逆者として』
『んなっ!?ちょっと待て!村のみんなはそんなのじゃ……いや、というかそもそも私だって神都に行くなんて一言も!』
『はい。行かれるのではありません。神人たる貴方様がお戻りになられる場所こそが神都なのです』
使者の後ろに、神都の兵士達が並ぶ。当然ながらそこらの街の自警団なんかとは比べ物にならないであろう屈強な兵団。おそらく私が首を縦に振らなければ、彼らは何の躊躇もなくこの村を襲い、地図から消してしまうつもりだろう。
『御考えは纏まりましたでしょうか。神人様』
『っ……わかったよ。神都に行けば良いんだろう?だから、ここの村には何もしないでおくれ』
『承知いたしました。我々は貴方様の御意志に従います』
使者は再び膝をつき、一礼をしてから『こちらへ』と貨車へ私を招く。
『ちょっとお姉ちゃん!?本当に行く気!?だったら私も行く!』
『我々が御招きするのは神人様唯一人です』
『神人神人って人の姉のこと物みたいに呼ばないで!』
『神人様に血を分けた人間などはおりません』
『っな……!?』
神人は神の現身だとか、人とは違うものだとかの話は色々な場面で見聞きしてきた。私は神人として生きているジュジェからも直接聞いていたし、その不気味さというか、何とも言い表し難い嫌悪感を他の人よりも強く感じていたほうだと思っていた。
それでも、今実際に目の当りしたこのやりとりは想像していたものよりも数段気色が悪い。
『今回は神人様の御慈悲の上、一度だけ不問とさせていただきます。ですが、これ以上無礼をはたらくのならばその限りではございません』
『このっ……』
『わかった!わかったから!私一人で行けばいいんだろう!?』
今にも使者に掴みかかりそうなユイを窘めつつ、私は使者とユイの間に割って入る。
『お姉ちゃんっ!!』
『大丈夫、大丈夫。別に私に何かしようってわけじゃなさそうだし……神都に行って、すぐに手違いだとか何かで帰されるさ』
『けど……』
『それよりも今ここで変な騒ぎを起こした方が危ない……神都の人間がこの村のことを気にかけるとも思えないし、私が付いていくだけで丸く収まるならそれが一番いいだろう』
納得しきれない様子のユイの頭を撫でて、頼りないことはわかってはいるのだが『お姉ちゃんに任せてくれ』と精一杯の笑顔で伝える。姉らしいことはなにもしてこなかったが、それならせめて今の妹の不安くらいは拭ってやりたい。
『ちょっと唐突だけど、神都旅行だと思って行ってくるよ。みんなにお土産も用意するから、期待して待ってておくれ』
不安そうな皆に見送られて、最低限の準備をしてから見たこともないような巨大な貨車に乗り込む。
本当はもう、ここに戻ることはないのだと気が付いていたのかもしれない。
けれど、私は他にどうすればいいかなんてわからなかった。
その日、私は神様になったんだ。
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