54話 それはやさしいねがいごと


むかし、むかしのおはなしです。

 

大きな砂漠の小さな村に、心優しい女の子が暮らしておりました。

 

女の子は皆に愛されていましたが、身体が弱く、砂漠の厳しい生活で自分が役に立てないことをいつもずっと気にしていました。

 

女の子はずっと考えていました。

 

『どうしたら私は皆を助けることができるだろう』

 

考えて、考えて、朝も、昼も、夜も、ずっとずっと考え続けて、女の子はひとつ閃きました。

 

これは、むかし、むかしのおはなしです。

 

これは、誰も知らないおはなしです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この世界には人がいて、奇跡なんてものはなくて、それなりに大変な毎日を誰もが必死になって生きている。苦しいことも辛いことも決して少なくはないけれど、それでも幸せというものをいつも願っている。

 

私も、そんな人たちの中の一人。

 

『おぉい、荷運びしてるんだろ?私も手伝うよ』

 

ここは砂漠の小さな村。村の名前はルゥモス。小さなオアシスの畔に作られた、村民全員を合わせて三十人にも満たない本当に小さな村だ。そんな決して豊かではないが、温かくのどかな村で私は生まれて生きていた。

 

今日は私たちの村のキャラバン隊が戻ってきてくれる日で、村のみんなは朝から労いの準備と手伝いで大忙しだった。この小さな村にとって、ほかの村々や街との交易によって物資を巡らせてくれるキャラバン隊はまさしく救世主や英雄のような存在で、私も含めてみんなキャラバン隊のことが大好きだった。

 

『お?なんだリアじゃねえか!珍しいなぁ、今日は具合良いのかい?』

 

そう言って快活に笑う大男は、このキャラバン隊のリーダーのグレイル。彼らはこの村の物資のやり取りを一手に担っていて、断じて楽ではない道のりを東奔西走してくれている。

 

『うん。ここ最近で一番良いくらいの絶好調さ。だから手伝いも任せておくれよ』

 

『そりゃ頼もしいが、無理すんな。俺たちからすりゃ、お前がこうして元気なだけでうれしいんだからよ』

 

ドンと胸を叩いた私の頭をグレイルはわしわしと大きな手で撫でると、満足そうな様子でにっこりと笑って見せた。

 

私はグレイルの言葉に少しだけ不服そうな顔を向けるが、彼がこう言ってくれている理由も理解している。


私は生まれつきに身体が弱い。病気がちで、両親からも村の人たちからも十を越えるまでは生きることができないだろうと思われていた。そんな中でも私を見捨てることはなく、村一丸となって面倒を見てくれたおかげで、今や私は十四歳になってなお元気にこの村で生活している。

 

『そう不貞腐れた顔をするなよリア。本心だぜこりゃ』

 

『わかってる。けど、私もみんなの役に立ちたいんだ……。いつも与えられるばかりで、なにもできていないから』

 

『なにもできてないこたぁねえが……そうだ!だったらまた俺たちに勉強を教えてくれよ。街の奴ら、俺たちが辺境の村出身の何も知らない奴らだと思ってとんでもねえ交換条件吹っ掛けてきたりしやがんだ。お前のおかげで俺たちゃ騙されねえで済んでるんだぜ?』

 

『……!それくらいならいくらでも任せておくれよ!頭を使うことだけは小さい頃から得意だからさ!そうだ、こないだグレイルたちが戻ってきた時にロンドとも約束したんだ。あいつ、数学が面白いって……』

 

快活な笑顔を浮かべていたグレイルの顔が微かに曇る。

 

『……グレイル?』

 

『……リア。ロンドな、あいつ、死んじまったんだよ。荷物守ろうとして、魔物に襲われちまった。砂漠の真ん中じゃあ、ろくな治療もしてやれなかった……』

 

『えっ……』

 

『あいつも、お前にまた会うの楽しみにしてたんだ。お前に教えてもらったこと、得意気にみんなに話してなぁ……。実は俺も天才だったぜ!なんて言ってよく笑ってたよ』

 

私は『そうか……』と力なく返事を返す。

 

この世界では、こんな話はよくある話だ。世界は私たちのためにはできていないし、特別優しいわけでもない。奇跡なんてものはなくて、それなりに大変な毎日を誰もが必死になって生きている。苦しいことも辛いことも決して少なくはないけれど、それでも幸せというものをきっとみんなが願って生きている。

 

そんな世界でも私は、みんなにずっと笑ってほしかったんだ。






キャラバン隊の皆が戻った夜。村では盛大に祭りが行われる。キャラバンを労うのはもちろんだが、大事な村の家族たちが無事に戻ってきてくれたことを祝う意味もあり、帰れなかった者への弔いの意味もある。


祭りはいつも夜が明けるまで続く。私は残念ながら、祭りの時はいつも家の中だ。身体が弱いので周りからも言われているし、昔こっそりと混ざって倒れたことがあって以来、私も皆の楽しさに水を注したくなくて自主的に部屋にいる。


『……なあ、ユイ。私のことは気にせずに混ざってきても良いんだぞ?』

 

『いいのいいの。私も日中楽しんだから疲れちゃったし。お姉ちゃん一人じゃ寂しいだろうしちょうどいいでしょ』

 

賑やかな宴の中、そんな雰囲気とは似ても似つかない室内で私ともう一人、二つの人影が窓辺から宴の様子を眺めながら座っていた。

 

『そうは言っても、年に何度もない祭りだしさ』

 

『しつこいわよ。私がいいって言ってるならいいの』

 

『そうなら良いんだけど……』

 

私の、私たちの両親はいない。十年と少し前、母親は妹のユイを産んでからすぐに病で亡くなってしまった。私が物心ついてすぐに母は亡くなってしまったので、あまり詳しくは知らないが、元々私と同じで身体が弱い人だったらしい。私たちの成長を見られなかったのが残念だというのが母の最期の言葉だったと聞いている。

 

父はそれから一人で私たちの面倒を見てくれた。厳しくも優しい父だった。私が九歳の時に、熱を出した私のために隣の村へ薬を貰いに行った帰り道に事故で亡くなった。薬を娘に届けてやってくれと、最期まで心配していたと伝えられた。ユイと二人で一日中、父の墓標の前で泣いたのがつい昨日の話のようにも感じる。

 

それからはずっと、私とユイの二人で生活をしている。村の人たちは皆良い人で、気もつかってくれているし、家族同然のようにしてくれている。それでも、私の家族はユイだけだった。

 

『それにほら、食べ物とかはいろいろ貰ってきたから!お姉ちゃん食べる?スナイチゴ焼き』

 

『うわぁっ!?ゆ、ユイそれ好きだよなぁ……私はどうも見た目が……だってイチゴって言ってもこれ蜘蛛……』

 

『あはは!お姉ちゃん虫苦手だもんね。ねね、本物のイチゴってどんななの?』

 

『えーっと……こう、赤くてちょっとずんぐりとした果物なんだ。しずく型って言うのかな。果実に見えるんだが実は花床っていう部分で──

 

『あ、ごめんお姉ちゃん。多分、その先はちょっとわかんないかも……』

 

ユイは『えへへ』と小さく笑いながら私に言う。私はすぐに自分の悪い癖が出てしまったことを省みてユイにごめんと謝る。どうにも昔から本が私にとっての外の世界だったせいか、知識や考えていることを話し始めると止まらなくなってしまう悪癖がある。

 

『えぇっと、そうだ。実際スナイチゴはイチゴに結構似てるんだよ。スナイチゴのお腹の部分、赤くてちょっと粒々みたいなのがあるだろ?イチゴもそういう見た目の果物なんだ。まあ、私も本物のイチゴは見たことないんだけどさ』

 

『いつか見てみたいね、本物のイチゴ。どれくらい似てるのかな?あ、でもお姉ちゃんは怖くて見れないかぁ』

 

『い、いや植物のほうには脚がないし、動き回らないから大丈夫だ!私の身体の上を走り回ったりしないから……!』

 

『ほんとかなぁ』とユイが悪戯な顔で私を見て、私が『本当だとも!』と裏返りかけた声で返す。それから二人でけらけらと笑い合って、ユイが持ってきてくれた普段は絶対に食べられない料理の数々に二人で舌鼓を打つ。

 

『あ、これ大人はみんな好きだっていうよな。砂魚のキモ』

 

『身体にも良いらしいよ。お姉ちゃんしっかり食べておかないと』

 

『え、いや、私はこれそこまで好きなわけじゃ……』

 

『いいから食べる!元気でいてくれないと嫌だからね!それ食べたら水飴サボテンとかリュウリンスライスとかを与えて進ぜよ~う』

 

『うぇ!?今回そんな高級品まで並んでるのか!?リュウリン肉なんて滅多に見ないぞ!?』

 

私は驚きのあまり座っていた状態から立ち上がり、なぜか後退りまでしてしまった。

 

リュウリン肉と言えば、氷雪の厳しい雪国にも、高温多湿の樹海にも、もちろんこの灼熱の砂漠にも適応し、悠々自適に大自然を生きる草食竜種の肉だ。


大人しい性格なこともあり家畜として飼育はされているが、もっぱら移動用として飼われており、名前のリュウリンも人を運ぶ車輪のような竜というのが由来なんて話もある。加えて飼育はその丈夫さ故にけがや病気はなかなかないが、餌の量は相当量必要になるし、繁殖の周期がかなり長期なため、私たち人間からするとものすごく貴重な存在なのだ。

 

その貴重さと労働力故に食材にしようという考えを持つ者はほぼいない。城下町のような発展の中心、神人と呼ばれる存在の管轄領土に住んでいる人はわからないが、少なくとも、こんな小さな村の一村娘が簡単にありつける食材ではない。もっと言えば一生に一度味わうかどうかのような話だ。

 

『特別にってグレイルが持たせてくれたの!これはさすがに私も楽しみっ!』

 

『緊張して味わえるのかどうかわからないな……』

 

『ちょっと!そんな状態で食べたら一生後悔するよお姉ちゃん!?』

 

『わ、わかってるよ!ちょっと深呼吸とかするから待ってくれ!』

 

『あ!それいいね!私もやっておこうかな!?』

 

私たちは揃って高級肉の前で深呼吸をして、お互いの顔を見合って小さく吹き出すように少し笑った。

 

二人で食べた薄く切り分けられた肉は、きっと世界のどこで食べるものよりも美味しかった。


『今日はとびきり楽しい日だった』

 

『私も。さすがに次のお祭りじゃあのお肉は食べられないかなぁ~』

 

少し狭くなってきた寝床に二人で横になり、隣でユイが口惜しそうにしているのを見て、私は『もしかしたら次もあるかもしれない』と笑う。外の祭りも徐々に落ち着きを取り戻し始めているようで、にぎやかな声は少しずつ聞こえなくなってきていた。

 

にぎやかな時間の終わりというのはどんな場面でも妙な寂しさがあるもので、私も例に漏れずそれを感じていた。加えて、私は身体の弱さといういつ牙を剥き出しにするかわからない魔物にも睨まれている。言ってしまえば、今生きているだけでも奇跡と呼ばれるものに等しいほどなのだ。

 

『私はあと何回、この場にいることができるかな』

 

だから、そんな言葉がふと口から零れ落ちた。

 

『やめてよ、お姉ちゃん』

 

はっとして、今にも泣きだしそうな顔をして私を睨むユイと目を合わせる。

 

『……ごめんな、ユイ』

 

『何回だっていられるよ。お姉ちゃんの身体は、私がちゃんと治してあげるから。元気になったら、一緒に一晩中美味しい物を食べて、皆と騒いで夜を明かそうよ。約束でしょ』

 

ユイは、昔からずっと母親の代わりをするように私の面倒を見てくれていた。そんな中で、いつしか医者を志すようになっていった。実際、ユイは頭も良いし、村の中では村唯一の医者の手伝いにこの歳で勤しんでいる。

 

小さな田舎の村医者程度、などと言われてしまってはそれまでかもしれないが、それでも立派で優秀、そして心優しい自慢の妹だと胸を張って言える。そんな妹がこう言ってくれているのだから、出来損ないの姉だとしても、せめて心の底から妹を信じるくらいはしないとだろう。

 

『うん。そうだった。私にはユイがついてるもんな』

 

『そうだよ。……だから一人にしないでね』

 

『うん。私も一人は寂しいからな』

 

二人で泣きそうな顔で笑いあって、薄手の毛布をかぶる。

 

こんな時間が続くように、みんなが幸せだと思えるように、そんなことを願いながら、夢の中へと意識は溶けていった。










そんな日々を過ごして、さらに三年の月日が流れた頃。私は十七歳になり、少し大人になって、背も大きくなった。そして、私はもう寝台から起き上がることができない状態になっていた。

 

周りの人や、妹のユイはずっと心配してくれていて、私もそれに対しては感謝しかないのだが、私自身の私への感想としては『よく生きてこられたものだ』というのが正直なところだ。なにしろ十を超えて生きられないだろうと言われていた私が、その倍に近い時間を生きてきたのだから、十分すぎる程長く生きたのだと自分ではどこか納得している気持ちもあった。

 

『ユイに言ったら怒り狂った竜みたいな顔で怒られそうだけどな』

 

そんな独り言と小さな笑いを溢して、私は寝台に合わせて用意した簡素な書き物机に向き合う。遺書を書いているわけでもないが、自分が長くないという思いがあるからこそ取り組めている気もする今の私にできる唯一の事。

 

『これができたら、夢のような話が本当になるんだ。最期なら、夢を見たっていいじゃないか。なあ、そうだろう?リア・ソレイミャ』

 

自分に言い聞かせながら、ペンを走らせ、頭を回す。身体があまり動かなくなった分、頭を回すことは昔よりも得意になった。道具の設計図、地形を記した地図、天気の予測、魔物や動物の身体の造り、あらゆるものを村のみんなが少しでも楽になるように、少しでも多く幸せの時間が増えるように、そう願いながら些細な力だったが自分の良く回る頭を使った。

 

そんな中で、私はこの世界の中で私たちがまだ触れることのできていない何かがあることに気が付いた。それが何かはまだ説明ができないし、もしかしたら死期が近づいて私がおかしくなっただけなのかもしれない。それでも、私はそれに今夢を見ている。

 

『何にでもなれる、白紙のような力……なにか、何かがあるはずなんだ。もう少しで掴めそうな気がするのになぁ……』

 

カリカリとペンを走らせ、ああでもないこうでもないと一人唸り続ける。

 

そんな奇妙な人間になっている私の部屋の扉が勢い良く開かれ、私は驚いて扉の方へ顔を向ける。

 

『リ、リア!すまん驚かせたか!?』

 

そこには肩で息をしながら、慌てていたのか乱れた髪もそのままにしたキャラバンのリーダー、グレイルが立っていた。

 

『あ、ああ。驚きはしたけど……。どうしたんだよグレイル。グレイルがそんなに慌ててるのは珍しいじゃないか』

 

『慌てもするってもんだ……!この村に神人様が立ち寄るらしい!!』

 

『うぇ!?神人!?』

 

神人。この世界にはそう呼ばれる者がいる。

 

曰く、人の身を借りた大いなる存在。また曰く、世界を導く神の現身。

 

どこまでが真実でどこからが誇張された話なのかは正直なところわからないのだが、人では成し得ない超常的な力を操り、まさしく神さながらのことをやってのける者を指して神人という言葉は使われる。

 

当然ながらそんな存在はこんな田舎の小さな村には縁がない。城や砦を構え、溢れんばかりの水と食料が日常の都市。そしてその中でも上の階級の者たちの中で、ほんの一握りの人々に縁があるかないか、それが神人という存在のはずだ。

 

『な、なんでそんなことが起こるんだ……?』

 

『なんでも、この村で物資の補給をしたいそうでな……遠出の途中で、砂嵐で足止め喰らっちまったらしい』

 

『なるほど……神人にも砂嵐はどうしようもなかったんだな……』

 

『おっ……前なぁ!?それ間違っても俺以外に聞かれるなよ!?良くて極刑行きだぞ!?』

 

私は『おっと』と言いながら口を塞ぐジェスチャーをする。グレイルはそんな私を見て寛大な溜息を吐いた後に、余計な考えを振り払うように首を振ってから改めて私を見る。

 

『それで村総出で出迎えになったんだ。だからリアには悪いがちょっとの間一人で待っててもらうしかなくてよ……』

 

『ああ、そんなことなら心配しないでおくれよ。ほら、見ての通り今日は最近の中でも一番調子が良いんだ』

 

『……そう、か』

 

『そうだぞ。だから、私のことは気にしないでくれ』

 

返事を言い淀んだグレイルに、食い気味に私は言葉を重ねる。

 

実際、私の手足はパッと見てもわかるほどに細くなってしまったし、頬だって少し痩せこけている。歩き回れなくなってからはもう随分長い時間が経ったので当たり前なのだが、この姿のせいで余計に皆に心配をかけてしまっているのが心苦しかった。

 

『神人様によ、お前の病気をどうにかできないかって、頭を下げてみようと思ってんだ』

 

『ははは!それこそ極刑行きになってしまうよ。本当に気にしないでおくれ、グレイルが極刑になんてなったら皆悲しくておかしくなってしまうだろうから』

 

『けどな』と言いかけたグレイルに、外から呼びかける声がかかる。出迎えの準備のためだろうと思い、私は未だに彼らしくもなく立ち呆けているグレイルに『早く行ってあげないと』と声をかける。

 

グレイルは少し迷った後に、私に『ゆっくり休んでおけよ』と声をかけてから部屋を後にする。私はそんな背中にひらひらと手を振って、静かになった部屋の中に一人取り残された。

 

『……私はな、グレイル。一人にはいつの間にか、少しだけ慣れてしまったんだよ』

 

私は私自身に向けて苦笑してから、机の上に乱雑に並べられた私の日常に視線を戻す。

 

村の皆にはそれぞれの暮らしがある。ユイは今、村の中や近隣の村々でも引く手数多の優秀な医者の一人になった。皆、私以外にも日常がある。それは当たり前のことで、私が皆の足枷になるわけにはいかない。もちろん、私には私なりの日常がある。そんな中で、一人に少し慣れてしまったのは悲しいが、その程度なら安いものだ。

 

 

 

 

 

 




 

グレイルが私の部屋を出て、村の面々が神人を迎えにと出発してからそれなりの時間が経った。

 

私はいつの間にか机に突っ伏すように寝てしまっていたらしく、やってしまったなと思いながら顔についたインクをボロ布で拭いとる。

 

『……まだ皆戻ってないのか』

 

部屋の外は奇妙なくらい静かで、それがまだ皆が帰ってきていないことを音もなく物語っている。

 

神人が来るなど、世紀の大事件と言っても過言ではない話だし、きっと皆忙しくしているんだろうと私は小さくため息を吐く。それとほとんど同時だった。

 

『もう暫くは戻らねーぜ。ヒヒッ』

 

聞き覚えのない声。弾かれるように声の方を向くと、そこには一つの人影があった。

 

長くクセの強い緑色の髪に、快晴の青空を固めたような青い瞳。見たこともないような上質な布を使ったローブに身を包んだ子供が、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら部屋の入り口に立っている。

 

『……き、君は?村の子ではないと思うけど』

 

『なに、ちょっとやんちゃなお転婆娘さ。田舎村ってやつを見学したかったんだが、人が残ってるとはなぁ』

 

少女はそう言いながら私の部屋に置かれている椅子に勝手に腰掛ける。この少女が何者かはわからないが、立ち上がることもままならない私には何をどうすることもできない。

 

少女は不服そうな態度で腰にさげた水筒の口を開け、ごくごくと喉を鳴らして水を飲むと、私の方へと視線を戻す。

 

『んで?なぁんでお前は周りと一緒に神人サマに会いに行ってないんだよ』

 

『いやぁ、私は見ての通りもう死に体でな。まともに歩くことすらできないんだ。神人の前で倒れでもしたらそれこそ無礼だろう』

 

『ヒッヒッ!そりゃ賢い!でも神人に"様"はつけねぇんだなぁ』

 

私は『あっ』という声と共に慌てて口を塞ぎ、それを見て少女は腹を抱えて笑い出す。

 

私たちのような田舎村の人間からすると、神人は"神人様"なんて言い方をするほど身近なものではない。それ故に村の中では様をつけるなんてしてなかったのだが、この少女は外の、そしておそらくかなりの良い身分の存在だ。密告なんてされて、私以外にも被害が被るとかなりまずい。

 

『心配すんな、密告なんざしねえよ。いいねいいね。来たときゃ田舎村でもこんな様子かと思ってたが、嬉しい誤算ってやつじゃねえの』

 

『……君は、どこの誰で、何をしに来たんだ?』

 

『んー、だいたいお前の考えてる内容であってるだろうけどなぁ』

 

『ほ、ほら。自己紹介とかあるだろう?そうだ、名前とか!私はリア。見ての通りの病人だよ』

 

私の問いに少女は『名前、名前か』と小さくつぶやいてから顎に手をあてて考え込むような仕草をとる。自己紹介が難しい問いだっただろうかとか、身分の高い人間というものは安易に名前を教えてはいけない決まり事があるのだろうかとか、私がいろいろと考えているのを横目に少女はゆっくりと視線を私へ戻して微笑む。

 

その微笑みが、見た目の印象とはかけ離れた、ひどく寂しそうなものに見えた気がした。

 

『名前は……ジュジェ。ジュジェ・ブランセチア。……ああ、ちゃんとまだ忘れてねえ、安心するぜホント』

 

『自分の名前は忘れようにもなかなか忘れないだろうに。変わったことを言うんだな君は』

 

『いいや、そうでもないさ。どんなもんでも大切にしてなけりゃ忘れられちまうんだよ、リア』

 

そう言うとジュジェと名乗った少女は悪戯な顔でニシシと笑う。口から出る言葉のそのほとんどが見た目からは想像もつかないほどにしっかりとした言葉たちだが、今の表情はまさに歳相応の子供と言えるような顔だった。

 

ジュジェはそのまま話し続ける。

 

『例えば、リアは神人サマについちゃさほど大切に思ってない。だから神人様なんて御大層な呼び方のことは忘れちまってるのさ』

 

『そう言われると言葉に詰まるな……。なにせこんなところじゃ中々縁がないんだ。神様ってのはこう、随分高いところにいるんだろう?そりゃあ、私たちみたいな地面を這って生きる人たちのことなんて見やしないだろうから、当たり前なんだけど』

 

『ヒッヒッヒ!違いねえ!加えてこの世界に実際にいるのは神人なんていう神様の紛い物だ。実態は自分のことで精いっぱいだろうぜ』

 

『君のほうが私よりも聞かれたらよほどまずいこと言ってるぞ!?言えた義理じゃないが口には気を付けた方が……』

 

『ハッ、別に私が私のこと好きに言うのは良いだろうがよ』

 

ケラケラと笑うジュジェの前で、私は一瞬言葉の意味が理解できずに固まる。

 

『私が私のことを』とジュジェは言った。では、その前は何を言った?神人は神様の紛い物だとか、聞かれでもしたら極刑を免れないような言葉。それを、自分のことと彼女は言ったのだろうか。だとしたら、今私の目の前にいるこの少女が何者かという問いへの答えは一つだけになる。

 

『まさか……君は……!?』

 

『ご明察ってやつだ。私は神人……なんて呼ばれている、ただの人間だ』

 

両手を広げ、あっけらかんとした態度でジュジェはヘラヘラと自嘲するような顔であっさりと言い放つ。私があまりの出来事と状況の意味不明さに絶句して固まっていると、それを察してか否かジュジェは再び話し始める。

 

『言ったろ、神人なんて言っても人間だ。見た目にゃわからんもんさ。ヒッヒ』

 

『……ええっと……これは、私は不敬罪とかで死ぬんだろうか……?』

 

『死なねえよ。なんなら、神人なんて肩書は忘れてくれてほしいくらいだ。どいつもこいつも、誰も私を見やしない。私に、ジュジェに興味なんてねえんだよ、あいつらは』

 

忌々しそうに、しかし寂しそうな様子でジュジェはそう吐き捨てる。その表情が今までジュジェが見せた顔の中で一番人間らしい顔だった。

 

物事が思うようにいかなくて拗ねた子供のような顔。そしてそれが少しだけ仕方ないことだと理解してしまっている顔。きっと自分もよく同じ顔をした。妹のユイもよく、喧嘩をした後にはそんな顔をしていた。

 

『……君は、ジュジェは、大切にされてないのか?』

 

『多分、そうだな。神人は大事にされてるが、私は私ですら、ジュジェを忘れそうになる時がある。それが、本当に嫌だ』

 

『両親とか、兄弟は?』

 

『神サマにはそんなもんいねえらしい。私も覚えてねえ。兄弟は知らねえが、親がいないはずないのにな』

 

『友達は?』

 

『……尚更いねえよ。神サマが人と手を取り合うなんて、ってさ』

 

ジュジェは俯いて、小さく項垂れる。声もだんだんと沈んでいき、見た目に合わないしっかりとした口調と尊大にも見えるほどの態度が、みるみるうちに歳相応とでも言うべく姿に変わっていく。ジュジェの話が全て本当だとして、きっとこれが本当のジュジェ・ブランセチアという人間の姿で、先ほどまでの姿は神人としての姿というやつなのだろう。

 

私は少しだけ考えてから、小さく笑って目の前にいる少女へと手を差し伸べる。

 

『じゃあ、私が最初の友達だ』

 

ジュジェはハッと顔をあげ、私を驚愕の眼差しで見つめながら固まる。そこから続く言葉が驚きすぎて出てこなかったのか、目を見開いたまま『……はぁ?』という間の抜けた声を漏らして再び固まってしまった。

 

『な、なんだよその顔は!これだけ仲良く喋ったんだ、友達じゃなかったらむしろ私は悲しいぞ!?』

 

『……会ったばかりの、自称神人の怪しいガキと友達?正気かよ、お前』

 

『病で正気はちょっと失っているのかもな。けど、私も一人は寂しいんだ。君のことは知らなくても、寂しいって気持ちくらいは知ってる。友達の理由なんてそれくらいで良いんじゃないか』

 

私の言葉に、ジュジェは再び項垂れるようにしてから小さく震え始める。最初はもしかしたら泣いているのかもしれないなんて思ったが、耳を澄ませてよく聞いてみれば、どうやら小さく震えながら必死に笑いだすのを堪えているらしい。

 

『……ヒヒ、ヒッヒッヒ。面白そうだと思って近寄っただけだったんだがな。面白いどころか、どうやらとんでもねえ奴だったらしい。まったくとんだ大馬鹿野郎が寝てたもんだ』

 

『あ、馬鹿にしたな。これでも頭を使うのは得意なんだぞ私は』

 

『ふッ、ははは!その返答は本当に大馬鹿野郎の返しだろ、お前!』

 

『お、ジュジェがちゃんと笑うの今のが始めてだ。あはは!』

 

ジュジェに釣られるようにして私も一緒に笑う。ジュジェにこうは言ったが、思えば私もこんな風に笑ったのは久々だったかもしれない。もうほとんど死人の身体で、いつしか皆の前では変に気を遣ったような笑顔が多くなってしまっていた。

 

ある意味では、お互いのことをほとんど知らない者同士の私とジュジェはお互いにちょうど良かったのかもしれない。そんなことをふと思った瞬間、私は咳き込み、胸を押さえて机に赤をまき散らす。

 

『ぐっ……ごほっ、げほっ。しまっ……!ごほっ……!』

 

一瞬、この不思議な出会いに浮かれていたのか、自分のことを忘れていた。私の身体はもう限界が近くて、今にも終わってしまってもおかしくないのだという現実を、ほんの少しの時間だったが忘れられた。それを急に引きずり戻してくるのだから、世界というのは本当にひどい奴だ。

 

呼吸が詰まり、咳き込むたびに身体に激痛が走る。空気を求める身体は痛みで固まり、ろくに息ができないままに喉に絡んだ血と唾液を吐きだそうとまた咳をする。このままだとまずいと頭では理解しているが、身体が言うことを聞かない。死の足音がする。そんな気がした時だった。

 

『咎人の涙、死者の吐息、永遠の行進へひと時の安寧を──"祈叶・辛苦休救きか・しんくきゅうきゅう"』


身体に何かが入ってくるような感覚。そのあとすぐにふと身体が楽になった。痛みがなくなり、息をどうにか吸い込んで呼吸を整える。涙と若干の酸欠で霞んだ視界で、おそらく何かをしてくれたのであろうジュジェを見る。


『けほっ……今、のは……?』


『神の御業〜ってな。言っちまうが治したんじゃねえ、誤魔化してるだけで身体は絶不調のままだ。療養しろよ』


『それは、生まれた時から使えたのか……?』


『そういうこった。だから神人なんて呼ばれてん……おい、リア?なんか目が怖えぞ』


『どうやっていま私の身体に影響を与えたんだ?聞いていいのかはわからないが、いや、もうこの後極刑だろうとなんでも良い、教えてくれ!それはどういうものなんだ!?わかることだけでいい、けど、私の探していたものだ、多分、きっと、それに近いんだよ!!』


私は寝台から転げ落ちそうになる勢いで前のめりになる。身体のことは、もうどうでも良くなっていた。


『お、おうわかったから落ち着け。私もそろそろ戻らねえとだし……正直、自分の力が何なのかははっきりとわかってねえ』


『や、やっぱり奇跡とかそういう類なのか……?』


『説明できるものじゃないのはそうだ。だがまあ……感覚の話だぞ。人にも物にも直接目で見えるようなものじゃない何かが流れている。それに願い事をすると、そうなるように動いてくれる……そんな感じかねぇ?』


私はなるほどと小さく口から漏らしつつ、ぐるぐると音を立てていると錯覚しそうなほど色々なことを、自分の知識を頭の中で回し続ける。


『私はそれが、まあ人よりよく見えるんだろう。そんで、自分や他人の願い事ってやつをその何かに与えてやる……そんな感じの力で──


『それだ!!それだよジュジェ!!』

 

私は叫び、勢い余って寝台から転げ落ちる。痩せ細った手足は身体を支えきれず、ほとんど這うようにしてジュジェに近づき、その手を握った。ジュジェの目が人間を見る目ではなく、何か得体の知れない恐ろしいものを見る目になっていたが、今の私にはそんなことはどうでもよかった。

 

『私たちの中には、その何にでもなれる力が流れてる!そしてそれは、願い事を、つまりは情報を与えれば何にだってなってくれる!!人それぞれに体質があるように、きっと細かい部分は異なるだろうが、人間誰しもに血が流れてるのと同じで……!』

 

『だぁあわかったわかった!!いや、何言ってるかはわからねえが落ち着け!!痛みとか誤魔化してるだけだって言ったろ!!ていうかお前寝台に自力で戻れるんだろうな!?』

 

『あ。いや、自力で戻るのはちょっと……無理かもしれないな……ははは……』

 

『なんなんだよお前!!……ったく、私みたいなガキが大人運ぶの大変なんだからな!?』

 

ジュジェは神人なんて身分とは思えないような、必死な様子で私を引きずって寝台まで運んでくれた。私は感謝と謝罪を伝えつつも、隠し切れない興奮をジュジェに見透かされていたようで寛大な溜息を目の前で吐かれる。

 

『っはぁ~……何があったのかは知らねえが、養生しろよ。病人』

 

『あはは……ありがとう、ジュジェ』

 

『……ヒッヒ。また会えること祈ってるぜ、リア』

 

『ああ、次に会った時は、神様も驚くようなものを見せてやるさ』

 

私の言葉に『そりゃ楽しみだ』と返してから、ジュジェはひらひらと手を振って私の部屋を後にする。奇跡だとか運命だとかをあまり信じたことはないが、今回ばかりはそういう言葉を使う以外に表現できる出会いではなかった。

 

私は机の上に散らばった私の日常の欠片を軽く整え、痩せ細った指で力強くペンを握る。


夢など叶わなくてもいいと心のどこかでは思っていた。毎日をただ日々動かなくなっていく身体と皆の哀しそうな顔を見て過ごすのが嫌で、恐ろしくて、縋りつけるものを探した果てに辿り着いた夢物語のようなくだらない探求だった。自分ですらどこかで自分をバカにしていた。そんな、そんな子供の描く絵空事のような話に、今は手が届きそうになっている。

 

『砂漠の真ん中で溢れるような水が出せたらどれだけ皆は楽だろう……!』

 

一心不乱に、ただひたすらにペンを走らせ、あらゆる可能性を書き連ねていく。

 

『道具を使わずに火を起こせれば、寒くて冷たい夜にどれだけ嬉しいだろう!』

 

いつだったか、ユイやグレイルに私のこの絵空事の話をしたことがある。

 

二人は馬鹿にすることはなかったが、できるわけもない話として聞いてくれていた。私も当時はできるわけもないような話と思っていたし、二人も悪意を持っていたわけでもなかったので、悪い気は一つもしなかった。

 

『皆を幸せにできる、魔訶不思議な方法・・・・・・・・……!』

 

私たちは、私の絵空事をそう言って笑い合った。これが完成すれば、きっともっとたくさんの人と笑い合える。

 

『この絵空事の名前は……"魔法"だ!!』

 

 

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