六章・黎明の王
53話 小さな願いの鍵
いつも、夢のような話を楽しそうにする奴だった。
『砂漠の真ん中で、溢れるくらいの水を用意できたら、みんな喜ぶと思うんだ』
『道具も、火種もなしに火を出せたら、暗くて冷たい夜に怯えなくていいと思わないか』
誰もが笑って言った。そんなことはできやしないと。だけど、誰もがあいつの語る夢に希望を待っていた。もし、その夢が本当になれば、それはとても素敵なことだと。
誰もが皆、より良い明日を願っている。
それは本当に、ただの小さな願い事だったんだ。
マギアス魔導学院。魔導国家ヴィーヴ・マギアスの象徴にして世界最大の魔法研究施設でもあるこの学院で、異様としか形容できない面々が集まっていた。
この世界において有数の権力者でもあるマギアス魔導評議会の代表者であるアビィ・トゥールム。マギアスの事実上の国王とも言えるマギアス魔導学院学長ヴァン・コクマー。私たちの所属する傭兵団を率いる除け者の巣管理官ミダス・エンシア。そしてミダスさんの下で傭兵業に勤しむ辻斬クリジア・アフェクトこと私。
それに加えて世界の心臓部とも呼べる国家サピトゥリアを襲撃した二本の悪魔、アガレスとパイモン。こんな異様なメンツが顔を揃えて座っている。
『お久しぶりです。義侠、親愛。こうしてお会いするのは何年ぶりでしょうか』
『俺ぁできればお前には会いたくなかったがな変態野郎』
『同感。三本目は気色が悪い』
『これは随分と手厳しい』
ヴァン、もといヴァサゴは同胞のはずの悪魔からの酷評に対して特に何かを気にする様子もなく、ミダスさんと私へと視線を移して再び口を開く。
『欣快の契約者はお久しぶりです。そして、初めまして。強欲に魅入られた者』
『初めまして魔導国家のお偉い様。今更のこのこ最初の挨拶たぁ恐れ入る』
『あんまり再会したくなかったよ、薄気味悪い悪魔さん』
『申し訳ございません。私の目的には貴方達と対面して話すことの必要性がほとんどなかったものですから』
ヴァサゴがにこりと微笑み、ミダスさんと私は揃って苦虫を噛み潰したような顔をする。なんとなく理解はしていたが、こいつはアビゴールよりもさらに無機質で、さらに不気味な存在だ。
纏わりつくような、小さな隙間からも顔を覗かせる蛇のような、とにかく不気味で不快な威圧感のある悪魔。正直な気持ちを言うのなら、私はこいつと関わり合いになりたくない。
『……皆様、積もる話はあるかもしれませんが、先ずは本題を』
嫌な空気のまま流れていた沈黙をアビゴールが裂く。私はダンタリオンを呼び出し、自分の隣に浮かばせて議題の始まりを待つ。向かいの席に座っていたパイモンがダンタリオンに興味を示していたが、明らかに本題とは関係のない関心の寄せ方に見えたため私はそれをいったん無視することにした。
『……そうだな。残された時間もそう多くねえ。まず、お前らマギアスは、知恵の奴隷とその一派はどこまで何を掴んだ?』
『ふむ、何と言うと?』
『しらばっくれるな。王と、それに付随する事象についてだ』
『成程。言い方を変えましょう。義侠、貴方は私に何を与えてくれますか』
ヴァサゴがにこにこと微笑みを浮かべていた表情を崩し、冷たく無機質な目でアガレスを品定めするように見る。その瞳は深紅に輝き、眼球は闇のように黒い。もはや自身が悪魔であることを一切隠す気はないその様子に部外者の私ですら少したじろぐ。
『私の目的は常に知識の収集です。王のもたらす災禍は確かに壊滅的ですが、私は災禍の先に存在し続けることができます。故に、今のこの現世に固執する必要は私にはないのです。つまるところ、現状私にとって王の災禍に逆らうことは利点が薄い』
『アガレス。力づくで従わせた方が早い。元よりこれはこういうモノ』
『まだ待てチビ。三本目、お前の言う利点はお前の知らない事実とやらで足り得るな?知恵の祈りが無知なんざ、恥晒しもいいところだろう』
アガレスの挑発にもヴァサゴは動じる様子を見せず、変わらない様子で『では一先ず話だけでもお聞きしましょうか』と微笑む。
『王がもたらす災いについては当然知っているな?』
『勿論。幽世が噴出し、現世を呑み込み喰らい尽くす世界の終わりでしょう』
『その目的についてはどうだ』
『ふむ、貴方の見解をまずはどうぞ』
ヴァサゴはこちらの手札をひけらかすつもりは毛頭ないと言わんばかりに言葉を返し、アガレスが露骨に舌打ちをする。
私は当然どちらの味方かと言えばアガレス側なのだが、それよりも単純に世界を終わらせる理由というものの方が気になった。言われてみれば世界を滅ぼす側にもそうするという意思があるわけだし、何故そんなことをしようとするのかというのは当然ながら気になってくる。
『……この厄災は、言うなれば悪魔の修復作業だ。折れた柱を修復し、世界を貫く楔を復活させるためのな』
『ふむ』
『一つ目の世界からそのまま今日まで存在し続けている連中には関係ないが、長い時間の中には折れた柱も存在する。それを修復するためには膨大なエネルギーが必要だ。そこで王が目を付けたのが、現世……というよりも人間だ』
『ちょっと待て。じゃあなんだ?過去には一回折れて消えた悪魔もいるのか?』
『そうだ。二つ目に新たに作り直された存在もいる。冠する祈りと力は変わらねえが、姿も形も、記憶までも別物のな』
ミダスさんは怪訝そうな顔をして考え込み、私はその隣で何とも言えない悍ましさに顔を歪ませる。
例えばの話だが、ダンタリオンが死んでしまったとしても、世界が今回のような災禍とやらで終わるたびに全く別物の"ダンタリオン"が作り出され、ダンタリオンという役割の抜け穴を埋めて世界がそれで正しいとでも言うように再び回り始めるということなのだろう。理屈としては理解できなくもないが、吐き気のするような話だ。
それこそマルバスはミリをその命を賭して救ったにもかかわらず、王とやらによってその守ったものを全て蹂躙され、挙句の果てには全くの別人に"マルバス"という役割を当てはめられるということだ。私はマルバスとそこまで親しいわけではなかったが、それでもそんなのは絶対に嫌だ。
『成程。何も知らずにというわけではなさそうですね。しかし、その程度であれば私だけではなくアビゴールも理解はしています。なにしろ彼女も一つ目ですからね』
『だろうな。なら、何故わざわざ楔をそうまでして修復する?』
『……幽世を完全に現世へ持ってくるために必要だからなんじゃないの?』
『俺たちも初めはそう考えた。だが、世界に今回のような大穴を一つさえあけられりゃあそこから幽世を引っ張り出すことはできる』
私は『えぇ?』と素っ頓狂な声を出しながら首を傾げる。そう言われてしまっては確かに悪魔を作り直す理由がよくわからない。世界を滅ぼすのに必要がないのならわざわざ直す必要もないし、意思を持つ魔法である以上、今まさにこの瞬間のように反旗を翻される可能性だってあるのだ。それなら全滅してしまった方がいっそ良いだろう。
私が多くない知識を絞って色々と考えていると、一拍置いてアガレスが再び口を開いた。
『世界の漂白の他に、王にはもう一つ目的がある。悪魔は楔であり、柱だ。現世を砕くのが楔としての役割ならば、柱としての役割は何だ?それは──
『魂の受け皿である煉獄の維持。素晴らしい、まさかそこまで掴んでいるとは』
アガレスの言葉に被せるようにしてヴァサゴが口を開き、ぱちぱちと称賛の拍手を送る。
『しかし、その程度であれば私とて掴んでいます。我々がどれほどの時間世界に存在していたと思っているのですか』
『俺ぁこの話を人間から聞いた』
余裕を一切崩さなかったヴァサゴの動きがぴたりと止まり、顔から表情が消える。
全身に虫が這い回るような、纏わりつくような不快感のある重圧が濃くなったのを感じて私は顔を引き攣らせる。
『お前が一度世界の終わりを経て、そこから何百何千という年月を過ごし辿り着いた真実に、俺たちからすれば瞬きのような時間で辿り着いた者がいる』
表情を変えないヴァサゴへ、アガレスは嘲笑うようにしながら言葉を続ける。
『魔法の真理を知る、だったか?人間に遅れをとるばかりか、好機さえも易々と手放すつもりとは……作り直された方がマシになりそうなモンだが』
重苦しい沈黙が流れ、それこそ永遠にも感じたような数秒が過ぎたあと、おもむろにヴァサゴが再び口を開く。
『……成程。それは大変素晴らしい。感動という言葉このような場面で使うのでしょうね』
『これ以上御託を並べようってつもりか?』
『いいえ。今回は協力しましょう。王に逆らえば必ず滅ぶというわけでもありませんし、真理に辿り着く"知恵"は必ずしも今の私である必要もありませんから』
『……初めから首を縦に振れば良い。余計な時間を過ごすのは好ましくない』
パイモンの呆れきったようなぼやきに私は内心『そればっかりは確かにそうだな』と頷いて同意した。
アビゴールやミダスさんも同じような考えだったらしく、ミダスさんはともかくとしてアビゴールも珍しく大きな溜息を吐いている。その元凶は何も気にする様子もなしにまた普段通りの貼り付けたような笑顔に戻っているのがなんともやるせない。
『さて、それでは皆様。王に如何にして抗うかの話をしましょうか』
『貴方のせいで話が進まなかったんですよ、ヴァサゴ』
『私が協力的になったという進展はあったでしょう。元より私の持つ情報を目当てに交渉の場を設けたと考えていましたが』
『……一応、代わりに謝罪をしておきます。彼はこういう形だと思ってください皆さん』
アビゴールが再び深い溜息と共に頭を抱える。ワノクニの時に会ったアビゴールも私からしたら今のヴァサゴとほとんどイコールではあったのだが、それは昔の話でアビゴールにも人柄のようなものがあることを知った今では少しばかり同情する。
アガレスはもちろん、あの心底楽しんでいる戦いの中でも無表情だったパイモンさえ露骨に嫌なものを見る顔をしているのがさらに同情を誘う。
『で?世界を憂う悪魔と、マギアスのお偉いは何をどうすりゃ世界を救えるとお考えなんだよ』
『はいはーい!ていうかなんでそもそもアガレスとパイモンは王様より先に世界滅ぼそうとしたわけ?そこも良くわかんないんだけど私』
『ふむ。では協力的になったという証明のために私から説明をしましょう』
小さく息を吐いて、ヴァサゴはそう言いながら椅子の背もたれに身体を預けて深く座る。
あれだけ私情と私欲で反発しておいて偉そうなというか、癪にさわるというか、少なくとも気分の良い態度では一切ないが、アビゴールの言う通りにこいつはこういう形なのだろう。
『先程話にあった通り、王の目的は悪魔の修復にあります。その為には魂の受皿である煉獄を通さず、人間という素材を最大限に活用せねばなりません』
『そもそも煉獄やら魂やらが俺にはなんだかわからねえよ。そんなもんが本当にあんのか?』
『魂に関しては詳しく知らずとも、魔力を回す心臓と考えていただければ結構かと。煉獄については……現世と幽世の狭間とお考えください』
『ご理解はいただけましたか?』とヴァサゴはミダスさんに微笑みかけ、ミダスさんは『法螺話ってわけじゃねえのか』と溜息を吐きながらも納得したらしい。
『煉獄は魂の受皿ですから、基本的に人が死ぬと煉獄へ魂が還ります。しかしそれでは素材として使用できない。故に、楔を用いて現世を貫き、楔をパイプ代わりにして煉獄を介さずに魂を得る。それが悪魔の修復のための手段です』
『じゃあパイモンたちはそれをさせない為に先に人間っていう材料を減らそうとしたってわけだ……思いついてもやるかよ普通』
『ん、正解。今の世界は悪魔がかなりの本数折れてる。数を減らすには好機だった』
『それを、我々が阻止した。と……』
『否定。十五本目の言い方には誤りがある。阻止したのではなく、私たちが歩む道を変えただけ』
アビゴールの言葉に食い気味に反論し、不満気なパイモンの様子にダンタリオンが思わずといった様子で『そこは意地はるんだ……』と言葉を漏らし、私はそれを聞いて小さく噴き出す。
実際言っていることには何一つとして間違いはないのだが、何せ見た目が四つ目なだけで少女な分拗ねた子供のようで少し面白い。
『なら、俺たちは悪魔の作り直しをさせなけりゃ世界を救って万々歳ってことか』
『そうだ。そして、その鍵になるのが……』
『"
この場に座る十の柱たちが一斉に頷く。
『……小さな願いの鍵について、私は詳しくは知らないのですが、実態はどういうものなのですか?』
『あ?ヴァサゴから聞いてねえのかよ。王の魔法、というよりは魔具に近しいもんだ。悪魔の核の他にもう一つ核があると思えばそれで良い』
『そいつを壊せば、世界の終わりは免れるってわけだ』
『いえ、小さな願いの鍵だけでは一時的な遅延のみに留まるでしょう』
『なんで?王とやらの目的はそれがないとできないんでしょ?』
『鍵の作り手は王です。王が残存していれば、いつか鍵は再び造られることでしょう。そして、それが千年後の話なのか、数日後の話なのかは我々には知る由がありません』
私は『なるほどね』と相槌をうちながら項垂れる。確かに、魔法や魔具の類とするならそれを使う者、作り出す者が残ってさえいれば再び作り出されてもおかしくない。時間のかかるものだと人間なら寿命という制約はあるが、悪魔ならばそれすら気にはならないだろう。
『加えて、王が鍵を壊せば世界の漂白を止めるという保証もありません。なので、今を続けるのならば王を破壊する以外に道はないということです』
『なら、むしろ鍵をわざわざ壊す必要はあるのか?』
『小さな願いの鍵はそれ単体で一つの魔法です。壊さなければ地上の人間は殆どがそれだけで死滅するでしょう』
『てことは、私たちはその鍵と王様を倒さないといけないってわけかぁ……』
全員が頷き、少しの間沈黙が流れる。
私は世界の命運を賭けた戦いなんてものが、私の目の前というか、殆ど私を中心にしたように繰り広げられようとしている現実にすでに目眩を起こしそうだったが、どんなに夢だと思ったところで今が変わるわけでもない。
そんな具合に自分をなんとか納得させようと頭の中で言い訳を重ねていたところに、アビゴールが口を開く。
『……情報共有としては現状ここまでです。一度、この場は解散としましょう』
『私とミダスさんは帰っていいわけ?いつその王様が来るのかわからないんでしょ?』
『天災には予兆というものがあります。近々なのは間違いありませんが、今すぐにとはなりません。それに……』
アビゴールは若干悩むようような仕草を見せた後に、小さく首を横に振ってからいつもの無機質な態度に半ば無理やり戻って私たちを見据える。
『……貴方達は、最後かもしれませんから。時間は有効に利用してください』
アビゴールの言葉に、私は改めて心臓を掴まれたような感覚を覚え、無意識に背筋が伸びる。世界が終われば、この場の誰とも二度と会うことはない。そう思うとやはり恐ろしい。
そんな不安を一蹴するようにミダスさんは溜息と共に立ち上がり、私の肩を叩く。
『そうならねえ為に必死なんだろうが。よろしく頼むぜ、未来の祈りさんよ。俺ぁ明日からも楽しくやってたいんでな』
明日からも楽しくいたい。こんな簡単で当然のような言葉で、これだけ前を向けるのだから、私も相当この場所が好きなんだろうなと自嘲しながら立ち上がる。
私はそんなことを呑気に考えながら、部屋を出ようと歩いていくミダスさんを慌てて追いかけた。
ミダスさんと共に除け者の巣へ戻り、そこから私は本当にいつも通りの日常を過ごしていた。
ベラさんの作ってくれた夕食を食べ、特に特別することもないので自室でゆったりと時間を過ごす。世界の終わりが迫ってるのにと言われるとそれはそうだけどとしか言えないが、だからと言って何ができるわけでもない。
手持ち無沙汰なまま、何をするでもない時間を一人で過ごしていたその時、唐突に部屋の中の温度が下がる。
『なんだ……?』
体が冷えただとか、隙間風だとかとは断じて違う。もっと恐ろしく、漠然とした不吉に温度を与えたような、不快感と恐怖感を纏った冷気。
『久しいのう銀ネズミ。悪いが少しばかり時間を寄越せ』
『お前は……!!』
夜の海、光の届かない海底のような暗く深い青。対峙しただけで心も体も芯から冷えるような威圧感。
死への恐怖がそのまま形を成したような悪魔。十の柱の一つにしてフルーラさんの悪魔の一柱、サミジナの姿がそこにあった。
『そう身構えるな。とって喰おうという訳でもありゃせんよ』
『だったら何の用で私のとこに来やがった』
『ちぃと聞きたいことがあってのう』
『聞きたいこと……?私に?それならフルーラさん伝てに聞いてくれりゃ』
『主人には悪いが話せんのよ。二度目じゃが、そう怯えるな。儂の気分を害さなければその命を喰うたりせんわ』
サミジナはそう言いながら私の部屋にある椅子に勝手に腰掛ける。水の都で一瞬あった時もそうだったが、この悪魔は本当に心底偉そうな態度が癪に触る。
ただ、それを直接伝えて気分を害されても困るし、流石にダンタリオンもなしに悪魔と正面からやり合って勝てるわけもないので大人しくこの悪魔の目的とやらに従うことにした。
『貴様ら、王とやりあうつもりなんじゃろう?』
『私らというか、世界全体というかだけどねそれ』
『貴様も戦うつもりなんじゃろう?何故戦う?』
『そりゃ……戦わないと全員死ぬかもしれないし』
『ふむ……』とサミジナは何かを考えるように顎に手を当て、口を閉じる。
私からすると何を当たり前のことをという気持ちでいっぱいなのだが、悪魔にまともな感性は期待するだけ無駄なことも知っている。
『……やはり、儂には生き死にのことはわからぬなぁ。水も、空気も流れ巡る。命も魔法も同じことだとは思わんか?』
『長い目でみたいな話?悪いけど、私は今とせいぜい明日くらいしか見てないから』
『かかっ、なるほどのう。立場が違えば見る目も違うか……。いや、儂もすでに似たようなものなのかもしれんが……』
『……で、なんなの?王様の味方だから受け入れてくれみたいな頼み事?もしそうなら、首は横に振るし最悪私はフルーラさんを斬るけど』
『はっ、あの時の迷い憂う魂から随分と変わったものじゃのう銀ネズミ。良い良い、貴様が憂うことなど言いやせんよ』
ケタケタと愉快そうな様子でサミジナは笑い、私はそれを怪訝な顔で見つめる。怪訝の内容としては急に出てきてこの態度や言い分というのももちろんあるが、それよりも別の場所に私の目は向いていた。
ダンタリオンがいなければ心は読めないが、いなくてもある程度人の機微に気がつくようになった気がしている。そんな私の目には、サミジナが何かを迷っているというか、言い出しにくいことを口にするタイミングを伺っているように映った。
『……ただ、そうじゃのう。傭兵というやつには頼み事ができるんじゃろう?一つ、頼まれてくれはせんか』
『報酬次第だけどねそれ』
『金かえ?かかっ!世界が終われば使えんじゃろう。なに、事が済んだらくれてやろうて』
『あー……それは確かにその通りか……できるかは知らないけど、聞くだけならいいよ』
サミジナは『随分尊大な態度をとるようになったもんじゃのう』と言いながら笑う。私はそりゃ今は立場的にこっちが選ぶ側だしと思いながら、サミジナの頼み事とやらの内容を待つ。
『……貴様と会った悪魔。いや、人もか。何故か知らんが随分と変わるらしくてなぁ』
『私と会った奴?別に誰もそんな変わってないと思うけど』
『ああ、生きてる間の話ではない。儂のところに来てからな。白い鳥の小娘、六本目、模倣の小僧……あぁ、あとは黒い毒もか。とにかく、何かが変わっておった』
『その何かは儂には何もわからんがな』と自嘲するようにサミジナは微笑し、小さく息を吐く。
私は私でサミジナの言っている意味がわからず、首を傾げて怪訝な目でサミジナを見るしかできない。そんな私を特に気にかける様子もなく、サミジナは言葉を続ける。
『現世で王と戦うことについては何も言わんよ。ただまあ、戦うのならば……銀ネズミ、お主が王に会うてやってくれんか』
『会ってって……いや、会えるかどうかは知らないけど、まあそれくらいなら』
『良い良い。お主に会うて王も、何か変わってくれれば良いが』
『……あんた、悪魔の王様の友人、とか?』
『友人とは違うなぁ。まあ、なんじゃ。あれは儂にとっては家族のようなものじゃ。一番近いものは……母親かのぅ』
そう言いながら、サミジナは少し遠い眼をする。最初に感じた冷たさは未だに残っているが、今の姿にはどこか親近感のようなものも感じられた。
『……そこまで言うなら自分で会えば良いんじゃない?家族みたいなもんなんでしょ』
『かっか!儂が会うても何も変わらんよ。王のすることを、儂は間違いとも感じてはおらんからな』
『そりゃ残念。家族の説得ならあるいはとか思ったんだけどなぁ』
サミジナは『したたかなネズミじゃなぁ』と言いながら大袈裟な様子で笑う。その様子は可笑しくてたまらないというよりは、どうしようもないことを誤魔化してしまいたいように見えた。
ひとしきり大笑いした後、サミジナは小さく溜息を吐く。
『……ただなぁ、儂も近づきすぎたかのぅ。人も生みの親、家族には情が湧くものなんじゃろう?それも含め、王を糾弾する気も否定する気も儂にはない。だが、それを認めてしまえば、儂の友人は、主人は消えてしまう……』
サミジナは寂しそうな笑みを浮かべ、私を見る。その姿は尊大な十の柱の一柱には到底見えず、弱々しい子供のような印象に私はさすがに戸惑ってしまった。
そんな予想外の姿のまま、十の柱は言葉を続ける。
『滑稽なことに、儂にはもう、何をどうすれば良いのかわからんのだ……』
サミジナはそう小さく呟いて項垂れる。力なく項垂れたその姿は、まるで枯れ草か何かのようで、ひどく弱々しく、小さく映った。
除け者の巣に流れ着いた人たちは皆、誰もがこういう姿を持っている。私だってもちろんそうだし、人には見せないだけでソニム先輩やミダスさんもきっとそうだ。それは悪魔であっても同じなのかもしれない。
『……故に、此度の争いに儂は介入せん。主人にはすでに伝えておるが、王にも、主人にも付かぬ。ただ座して、待つことにする』
『……王様を?』
『辿り着く者が誰かは儂にはわからん。だが、どこぞの獣が言うておったぞ。帰る場所というものは大事なんじゃろう?……道の果てがもぬけの空では、あまりに哀れだからなぁ』
言葉の意味を理解できず、首を傾げる私には特に興味を示すこともなく、サミジナはゆっくりと立ち上がり私に微笑みかける。
『期待しておるよ、銀ネズミ。命が巡り還る地で、儂は儂の願いのために、皆の最期を待とう』
サミジナはそう言い残し、ふわりと霧のように消える。
その場に残されたのは、心臓を撫でるような不気味な冷たさと、通り雨に降られたような気分の私だけだった。
何を願ってそれが生み出されたのかを知っている者はいない。
それを語り継ぐ者がいなければ、それを知る者がいなければ、それを知ろうとする者がいなければ、真実なんてものは簡単に消えてしまう。
『お前は今や世界の大敵らしいナァ』
ナイフを作った奴は、それで人を刺し殺してほしいとは願わなかっただろうが、人をナイフで刺し殺した奴にとってはそんなことはどうでも良い。
『人なんてもんは、自分勝手に生きていル』
世界には人がいて、悪魔がいて、魔法がある。
誰もが当たり前にそれを使い、自分の為に世界を歩んでいく。
だからこそ世界は──
『ヒッヒ、そんな勝手を許す……なんて言えねえよナァ』
── 魔法の起源を知らなかった。
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