52話 一縷の望みを手繰り寄せ


防衛戦から数日が経った頃、私は病室で目を覚ました。幾らかの検査を受けて、それもひと段落ついた頃。


慌ただしく復興に追われる戦後のサピトゥリアの中で、私が病室の中で最初に聞いたのは、信じられないような訃報だった。


『は?嘘でしょ……?』


『俺もそう思いたい。だがまぁ……死体受け取ったのが俺じゃあな』


スライ・アンシーリが死んだ。


別に、私は特別仲が良かったというわけではない。危ない人だったし、変わり者だったしで、どっちかというと若干の忌避感があったのも本音だ。


それでも、不思議と気分が悪い人ではなかった。なんだかんだ言って、私たち除け者の巣の仲間の一人だった。


『ま、それ以外は全員無事だ。内地も黒枝の化物に襲われちゃいたが、見ての通り大した被害は出てねえ』


『……なんか、あの人。死なないんだろうなぁって思ってました』


『人間だからな。死ぬときゃ死ぬさ。お前も死なねえように療養しとけ』


ミダスさんはそう言って背を向ける。その背中がいつもとは違って、やけに小さく見えた気がして、思わず手を伸ばそうとしてしまった。


当然病室のベッドの上なので私の手は届かない。咄嗟に声を出して、ミダスさんを引き止める。


『あの、なんというか……大丈夫ですか。ミダスさん』


ミダスさんは少しの間立ち止まり、ガシガシと頭を掻いてから振り向いてへにゃりとした笑顔で笑った。


『……他の連中の顔見て、さっさと安心させてもらうよ。バタついてて見舞いに来んのも遅くなっちまったし』


そう言うと寂しそうな笑みを残して、ミダスさんは病室を後にする。


考えてみれば、少なくとも私がここに来てから除け者の巣の誰かが死んだというのは初めてのことだ。傭兵なんてそんなものだと思っていても、隣にあった当たり前が欠けるのは誰だって苦しい。それが仲間想いのリーダーともなれば尚更だろう。


『……ダンタリオン!頼んだ!ちょっと動くから!』


『はいはい。私たちも同意見だから今回は文句言わずにやったげよう』


ベッドから抜け出し、ミダスさんの後を追う。雪女の顔も見れてないし、ソニム先輩の様子も聞いていない。それにベルフェールさんの容体も詳しくは知らない。


私だって気にかけてる人がたくさんいるだからと、よくわからない言い訳をしながら、いつもより小さく見えるリーダーの背中を追いかけた。







『他の面々は大事ないって言ったろ。いつの間にか増えやがってお前ら』


『まあまあまあ。クリジアちゃん一人でいたら暗くなりすぎそうなんで』


『ベルフェールさんのところ行くなら行きますよあたしは!最後一緒にいたのあたしとクリジアだし心配ですし!』


『病み上がりにお前ら二人は喧しすぎるだろ……』


ミダスさんをサルジュと二人で挟むようにして病院内を歩く。ミダスさんはため息を吐きながらもそれ以上は何も言わず、両隣のミダスさんから言わせればガキ共の私たちを引き連れて歩いてくれている。


ミダスさん本人が心配なのはもちろんだが、ベルフェールさんの容体も本当に気になる。話によれば命には別状がないようだが、最後に見た姿があの半死人状態ともなれば心配しない方が無茶だ。


『……一応、あいつも同じこと言うだろうが言っとくぞ。お前らのせいとは誰も思っちゃいねえ』


『あの、やっぱり全くの無傷とはいかない……』


『命を落とさなかっただけ運が良かったよ』


後ろから唐突に声がかかる。振り向くとそこには白髪に明るい黄色の瞳をもった、どこか浮世離れした雰囲気を感じさせる医者が立っていた。おそらく、別の病室から出てきた時にちょうど私たちの会話を聞いたのだろう。


『お、アイン。ちょうど探してたんだが……忙しそうだなお前も』


『これだけの争い事があった後にしてはマシな方だと思うよ。サピトゥリアには人員も多いから。直接会うのは久しぶりだねミダス』


『ミダスさん、この人知り合い?』


『おう。ちょいちょい世話になってる医者で、ベルの旦那』


『旦那さん!?』というサルジュと私の声に合わせて、アインさんが小さく頭を下げる。確かに、ベルフェールさんは以前除け者の巣に来ていた時に旦那さんの話をしていたような気もするが、ここで会うことになるとは思わなかった。


『ベルフェールから話は聞いてたよ。しかし本当に、熟練の傭兵とは思えないほど若い子達だね……』


『時代が時代だからな。つーか、お前からしたら俺すら若いだろ。お前の知ってる平和な時代の面影なんざ今はねえよ』


『はは、それは違いない……君も苦労人だもんなあ』


ミダスさんとアインさんが笑い合う。側から見れば単純に親しい仲の雑談だが、私は若干の引っ掛かりを覚えて首を傾げる。


というのも、アインさんはミダスさんと見た目の年齢は全く変わらないように見えるのだ。年齢と見た目が釣り合わない、俗に美魔女だとか呼ばれる人はいるが、そういうことで説明のつく若さではない。歳の近い人間が世代を一つ二つ隔てたような話をするだろうか。


『あの、失礼かもなんすけどアインさんって歳いくつなんすか?』


『ん?ああ、それはね……』


アインさんが少し考えるのとほとんど同時に、ミダスさんが割って入る。


『ま、一先ずはベルのとこ行こうぜ。俺がお前探してた理由もそれだ。マギアスのお人形姫も待ってるんだろ』


『……それもそうか。俺の歳のことはまた後でにしよう』


私は『はぐらかされたな……』と感じながらも、これ以上深く追求しようとも思わなかったし、ベルフェールさんの様子の方が心配なこともあって、そのまま流れに流されることにした。






病室の匂いはあまり好きじゃない。無機質で、生活感がなくて、綺麗で清潔なはずなのにどことなく陰鬱で空気が重い。人によると言われたらそれまでだが、私はどちらかというと死の匂いを感じてしまう空間だ。


『あ!やあ二人とも!元気そうでよかったよ〜。それとミダスにアインも!今大変でしょ?疲れてない?何もない部屋だけどゆっくりしていくといいよぉ!』


そんな空間に、あんまりにも不釣り合いな明るい声と雰囲気が満ちる。


『よし、満足した。俺ぁ帰る』


『ちょーい!ミダスくん!?お見舞い来てくれたんでしょ!?アビィも来るって聞いてるよ!?』


ベルフェールさんは頭に包帯を巻き、院内着を着てはいるものの、慣れ親しんだ明るい雰囲気のお姉さんそのままの姿がそこにあった。


あれだけの大怪我のわりにはと言うと言い方が悪いが、かなり元気そうで安心を少し通り越して拍子抜けなくらいだった。


『思ったより元気そうで安心しましたよベルさん!あの時本当に死んじゃうんじゃないかと……!』

 

『あはは、心配かけてごめんね二人とも。ごらんの通り、結構ぴんぴんしてるんだよ』

 

『なんだぁ。ミダスさんがやけに深刻な顔するから身構えちゃったじゃないすか~。いや、あの時は本当に大丈夫かなとか不安でしたけど』

 

『……』

 

私は冗談めかしてミダスさんをつつく。しかし、ミダスさんの表情は変わらずにうかないままだ。スライの件が私の想像以上に堪えているのか、もちろん私も未だにあの喧しさがすぐに戻ってきそうな感覚は引きずっているし、まったく気にしていないとは口が裂けても言えないが、ミダスさんらしさのない様子に何とも言えない不安感が積もっていく。

 

サルジュもスライの件はショックを受けていたものの、私と同じくミダスさんを心配して付いてきたクチだ。私はサルジュと一瞬顔を見合わせてから、ミダスさんのいつもの調子を出してもらおうとベルフェールさんのベッドへと寄って半ば無理矢理に会話を弾ませようとする。

 

『けどほんと良かったよ!天才作家が亡くなったなんてニュース、世界中の誰もが聞きたくないだろうしさ』

 

『いやぁ照れるなぁ。病院にずっといるから原稿なんかも進んじゃうしね。ほら見て見てみんな、目覚めてから結構な枚数書き進め……』

 

ベルフェールさんが机の横に除けていた紙の束を手に取り、私たちの方へ見せてくれようとした瞬間だった。ベルフェールさんは糸が切れた人形のように脱力し、作家にとっては命にも等しいほどに大切であろう原稿がその手から滑り落ちて、バラバラと無造作に地面に散らばる。

 

それでもなお、ベルフェールさんは動かない。

 

『えっ……?』

 

『……お人好しだからなこいつ。もう一度言うが、お前らのせいじゃねぇ』

 

『え、なに?どういうことですか……?』

 

『俺から説明するよ。ベルフェールは本当に、命があっただけよかった状態なんだ』

 

困惑する私たちへ、優しく言い聞かせるような声色でアインさんが言う。

 

『ベルフェールの魔法は、脳にかかる負荷が大きいというのは聞いたことはあるかな』

 

『い、一応本人が言っていたのは聞いてたけど……』

 

『今回の戦いで、負荷がかかりすぎてしまってね。短時間の発作のような形ではあるけれど、突発的に意識が飛ぶような状態になってしまった』

 

『ちょうど今みたいにね』と言うアインさんの言葉に、私とサルジュは絶句して固まる。

 

当然ながら普通の生活には多大な影響が出るだろうし、そんな危険を顧みずにあの時私たちを助け、サピトゥリアをパイモンの一撃から守り抜いたのかと、私の頭の中でどうしようもなかったことへの後悔がぐるぐると回り出す。

 

言ってしまえば、この人が居なければ今頃このサピトゥリアそのものが壊滅状態だっただろうし、結果的には最小限の被害で済んだと言えるかもしれないが、それで全部よかったと言えるのは何も知らない奴だけだ。

 

『……あっ。えっと……あ~……その、やっちゃった?あはは……』

 

衝撃で固まっていた私たちを引き戻すように、ベルフェールさんが意識を取り戻して申し訳なさそうにして笑う。

 

『まあ……さすがに目の前でこうなっちゃ理由とかも聞いたよねぇ。うぅん、元気に過ごしきるつもりだったんだけどな……』

 

『なんで、そんなになってまで人のこと……』

 

『勘違いしないでね?私ももし君たちがわざと私をこうしようとしてこうなったなら怒ってるさ。でも今回は助けてもらってるからね。私が君たちを恨むような理由なんて一つもないんだよ』

 

そう言ってベルフェールさんは私たちに笑いかける。

 

この人は本当に、眩しすぎる人だ。何を返せばいいのか、言葉をいくら探しても何も出てこない。私も、サルジュでさえも言葉を失って固まってしまい、その場に重い沈黙が満ち始めた頃、病室の扉をノックする音が響いた。

 

『失礼します。遅れて申し訳ありません。容体はいかがですか、ベルフェール・トレークハイト』

 

無機質なように聞こえて、少しばかり沈んだ声色。アビィもといアビゴールの声が静寂を静かに裂く。

 

『元気だよ、そっちは疲れてない?アビィに会うのも久しぶりな気がするなあ』

 

『……刺されるようなつもりで来たのですが』

 

アビゴールは手に持った見舞いの品を静かにわきに置くと、ベルフェールさんとアインさんへ深々と頭を下げる。

 

『この度は、申し訳ございません。貴方に、空想の魔女に頼らざるをえない状況に陥ってしまい、結果としてこのような事態に』

 

『気にしないでって!ほら、元々何かあった時は手伝うって、そういう約束で私も自由にさせてもらってたでしょ!?お互い様なんだよ今回のことは!』

 

『……俺は少し怒ってるけど、ベルフェールがこう言ってるからね』

 

『アイン~!?不安にさせないであげてよ!?』

 

ベルフェールさんがアインさんを制しながら、未だに頭を下げているアビゴールへ頭を上げるようにと声をかける。

 

ベルフェールさんとアビゴール、というよりマギアスの間の約束事は、特級魔具である空想の魔女を所有するベルフェールさんを徹底管理しない代わりに、有事の際には協力を要請するといったようなものだろう。


ただ、そういった取り決めがあったとしても、ベルフェールさんほど納得できるような人間はおそらく世界中を探し回ってもそうそういない。

 

『君が今回みたいな場面で私に声をかけるっていうのは苦肉の策だっていうのは知ってるつもりだからさ。本当に気にしすぎないでいいよ』

 

『……そう、ですか。ありがとう、ございます』

 

アビゴールの顔が傍から見てもわかる程度には暗く沈んでいる。私はこの人形のような奴でもこんな顔ができるのかと少し驚いたが、それを上から塗りつぶして有り余るほどにベルフェールさんの人間性のある種での異常さを感じていた。

 

良い意味でだが、あまりにも善人がすぎる。アビゴールは冷徹ではあるが冷酷なわけではない。まあこれは本当に最近ようやく知ったことだが、心がある人ならベルフェールさんの人柄を知った上で悪意をぶつけるのは無理だろう。当然、こんな状況になれば人形の顔も負い目で歪むというわけだ。

 

『……では改めて、嫌な聞き方をしましょう。私の役割としてはこちらですから』

 

アビゴールは小さく咳払いを一つして、スッと普段の冷たく無機質な様子へと戻ると、その静かな眼差しでアインさんを見つめて再び口を開いた。

 

『今回の影響を踏まえ、空想の魔女は再利用することは可能ですか?』

 

『一切の機能を喪失したわけではない。しかし、戦闘に関しては不可能。日常での使用についても以前のよりも使用可能な回数は減少している。加えて、次に今回の負荷と同等の負荷が脳にかかった場合、まず間違いなく死亡……よくても一生植物状態になる』

 

アインさんの答えにアビゴールは『そうですか』と機械的な返事を返す。

 

私は改めて、今回どれだけの無茶をしてベルフェールさんが私たちを助け、自身の故郷を守ったのかを突き付けられたような気がして、正直に言えば今すぐにでもこの場から逃げ出したいような感覚に囚われていた。それでも、ここから逃げたらだめだと自分に言い聞かせ、なんとか足をその場に留める。

 

『ごめんねアビィ。今回で事実上、空想の魔女は死んじゃったんだ』

 

へにゃりとした、寂しい笑顔。

 

『死んでないっ!』

 

私に向けられたわけではないが、思わず口から言葉が漏れる。

 

誰かが遠くに行ってしまう感覚。身近にあった当たり前が、二度と手の届かない場所に行ってしまうような感覚。本当に、本当にそれが嫌いだった。

 

『あっ……いや、その、ごめん……でも、ほら。そのさ、ベルフェールさんは生きてるし』

 

スライの話も聞いていたからだろうか、死ぬということが今はやたらと恐ろしかった。

 

傭兵として山ほど殺し殺されの場面は見てきた。今更になって命の尊さだとかそんなものを説いて回ろうとか、綺麗なことを言おうとは思わない。思わないが、今のこの感覚に嘘をついてはいけないと、なんとなくそう感じた。

 

『なんて言うか、その……』

 

言葉に詰まって、しどろもどろしている私の手をベルフェールさんが握る。

 

『その通り!私、ベルフェール・トレークハイトはちゃんと生きてる!空想の魔女っていう魔法はちょっと使いにくくなっちゃったけど、気に病むことなんてなにもないさ!』

 

驚いて振り向いた私に、ベルフェールさんが先程とは違う、快活で明るい、いつものベルフェールさんらしい笑顔でそう言ってくれた。

 

『まあアビィには苦労かける話になるだろうけどね!』

 

『……この程度の苦労なら、苦労のうちにも入りませんよ』

 

『お前も大概真面目だな。マギアスの人形女』

 

『貴方も似たようなものでしょう。野良犬の飼い主』

 

『おや、評議会議長様がそんなことを言うのは初めて聞いたかもしれない』

 

ケラケラという笑い声と、暖かな雰囲気が場に満ちていく。

 

私はそれに心底安心して、油断したら泣いてしまいそうなほど緩まった涙腺を必死で締める。ふと横を見ればサルジュは泣き出してしまっていて、ベルフェールさんがそれを慰めるというよくわからない状態になっていた。


『クリジアちゃん、ありがとうね。もし君が負い目とかを感じてるなら、私は君たちに助けられたことを自慢させて欲しいと思ってるのを忘れないで』


『付き合い浅いのになんでそんな気つかえるのさ……性分ってやつだからちょっとは大目に見てよね』


『あはは!少しなら許してあげよう!』

 

守ったものには胸を張れ。そう言ってくれた人の言いたかったことが、今やっとわかったような、そんな気がした。

 

 

 

 




病院での生活は退屈なものだ。ろくに運動はできないし、話し相手も早々いない。療養中なんてそんなものだとは思っていたが、今回ばかりは違った。

 

まずダンタリオンとはよく話していた。これはいつもそうだったのであまり大きな変化でもないのだが、少なくとも退屈はしなかった。加えて雪女が頻繁に顔を出しに来た。別に嫌とは言わないが、お前も同じ怪我人だろうがと思ったりもした。極めつけにはベルフェールさんだ。あの人も多分、というか絶対私に気をつかって、動けるようになってからは頻繁に私の病室に来ては色々話して去っていくのを繰り返していた。

 

来てくれる全員が善意で来てくれているし、フルーラさんやベラさん、ミリとかも顔を出してくれていたり、なんならあの迎撃戦で一緒になっただけの奴が感謝を伝えに来てくれたりもした。本当に別に嫌なことは何一つとしてないのだが、私の中の当たり前とはかなり違う療養期間に、感謝よりも困惑と疲弊が若干勝っていた。

 

『こ、ここ数日何もしてないのに疲れた気がする……』

 

『連日いろんな人が代わる代わる来てるもんね。人気者になったんじゃない?』

 

『人気も何も顔見知りしか来てないっての。お見舞い自体はまぁ、嬉しいんだけどさぁ』

 

『前までは顔見知りもそんなにいなかったでしょ。水の都からもお見舞いの品届いてたじゃん』

 

『お前らが私の寝てる間にほとんど食べやがった果物な!ふざけんなよほんと!!』

 

私のベッドに腰かけて座っているリオンとリアンがケラケラと笑いながら『ごめ~ん』と全く心のこもっていない謝罪をする。私はいくらかぎゃんぎゃんと文句を言ったあと、不貞腐れたようにしてベッドに寝転ぶ。

 

そんないつも通りのやり取りをしていた部屋に、今日もまた扉を開ける音が響いた。

 

『こんちゃお~。お元気?ニムニムの姉で~す』

 

顔を見せたのは知らない女性。親しげに手を振ってはいるが、本当に面識がない。パイモンの襲撃の際に一緒の部隊にいたとかですらないし、まったく誰かはわからない。

 

『喧しい』

 

少し遅れて、慣れ親しんだ声と共に謎の女性が私の困惑と一緒に蹴り飛ばされて床に転がった

 

『久しぶり。案外元気そうね』

 

『ソニム先輩!?え、お見舞いですかもしかして。珍しい通り越してちょっと怖いんすけど』

 

『何?もう数ヶ月ここに居たいのかしら?』

 

『すんませんやめてください。なんだかんだ病院のベッドも早く空けた方がいい状況なんですよ今』

 

ソニム先輩がリオンとリアンにも挨拶をしつつ、ベッドの横にある椅子に腰かける。それとほとんど同時に、地面で伸びていた謎の女性ががばっと起き上がった。

 

『ちょいちょいちょーい!あーしをあのまま放置して話さないでもらえるかなぁ!?せっかくニムニムの大事な友達だっていうからついてきたってのにさあ!』

 

『わたしは帰れって言ったでしょうが』

 

『ニムニムの帰れは別に来てもいいよの意味でしょ!!』

 

ソニム先輩に猛抗議をしている謎の女性は、金色の髪に赤い瞳、若干奇抜にも映る独特な民族衣装に身を包んでおり、この人もソニム先輩と同じ龍狩の血族なことが見て取れる。加えて、頭に付けた大きなツノ飾りが異彩を放っていた。

 

抗議をしつつソニム先輩へにじり寄ろうとする女性を、ソニム先輩が顔面を容赦なく手で押さえて寄せ付けまいとしている謎の空間に、リオンとリアンですら困惑の目で私と目の前の龍狩二人の顔を見比べてながらきょろきょろとしている。

 

『えーっと先輩、その人は?』

 

『……わたしの昔馴染み。悲しいことに』

 

『一言余計だぜぃニムニムぅ!』

 

盛大な溜息を吐いたソニム先輩の手をパッと払い除け、謎の女性は私へと向き直る。

 

『改めてこんちゃお!あーしはラフ。ソニムの昔馴染みで姉貴分ってやつ!よろしくぅ』

 

『どこの誰が姉貴よ能天気』

 

『いや、わりと姉妹っぽく見えま痛い痛い痛い痛い!!手首変な方向に曲げるのやめてくださっ、ちょ待っ、入院期間伸びちゃう!!!』

 

ソニム先輩が舌打ちと共に手を放す。ギリギリと音を立てて捻じ曲げられた手首にふーふーと息を吹きかけながら、痛みから解放された安堵に一息ついて、私は改めてラフと名乗った龍狩へ向き直る。

 

『それで、ソニム先輩の知り合いなのはなんとなくわかりましたけど、なんで私のとこに?』

 

『ニムニムがお見舞いに行く~なんて珍しいこと言うもんだからさぁ。この子がどんな仲間と今一緒にやってんのかなってあーしは気になっちゃったってわけよ』

 

『こんなかわいい子たちだとは思わんかったけどね~』と、ラフさんはリオンとリアンの頭をわしゃわしゃと撫でながら笑う。初対面にしては妙に距離感が近いが、あまり悪い気はしない人柄に感じているせいか嫌悪感はない。ひとしきりリオンとリアンを撫でまわした後、満足そうにラフさんは息をついた。

 

『うん。確かに良い子そうだし、あーしは安心したよ。まあソニムが懐いてるくらいだから最初っからあんまし疑ってはなかったけどね』

 

『そりゃどうかな?私は辻斬なんて呼ばれてるし、そこの二人は悪魔だよ』

 

『嫌な奴にゃあこんなに見舞いの品も心配する人も来やしないっしょ~』

 

うんうんと、一人で納得したようにラフさんは満足げな様子で頷く。

 

私は正直この人の勢いとソニム先輩が結構たじたじになっているような珍しい姿に完全に置いて行かれているような状態なのだが、この人もどことなく、周りの人達と同じように気をつかってここに来てくれたのだろうことは伝わってきた。まあ、気づかいの比率はソニム先輩に対しての方が多いのだろうが。

 

『たまに顔見せにくるからさ、ソニムの事よろしく頼むよ。愛想はないけど、あーしの可愛い妹分なんだ』

 

『あのね、クリジアはわたしが除け者の巣に拾ってきたのよ。よろしくされる筋合いないわ』

 

『あんたのこと先輩なんて呼んで慕ってくれてるんだから大事にしなって~。お姉ちゃんからのアドバイスだぞぅ』

 

ラフさんがぱちんとウインクをする。それとほとんど同時に、ソニム先輩の結構容赦のない勢いの蹴りがラフさんの腹にめり込み、ラフさんはその場に短い悲鳴と共に崩れ落ちた。

 

勿論加減はしていたのだろうが、多分、おそらくきっと、普通の人間が喰らったら無事な内臓を探す方が大変なくらいには中身が壊れる威力の蹴りだった気がする。

 

『ったく……。とりあえず、元気そうでよかったわ。落ち込んでるかと思ったけど』

 

『怪我はあれど元気っすよ。ダンタリオンもいるし、それこそ今回は、まあ胸張ってくれってお願いもされてるんで』

 

『そう。ならさっさと怪我も治しなさい』

 

ソニム先輩はそう言いながら立ち上がり、ツカツカと病室の出口へと歩いていく。お見舞いの割にはろくに会話してないななんて思ったりもしたが、ソニム先輩と言えばこんな感じだ。心配してくれていたのは本当だろうし、いろいろ気にかけてはくれていたのだろう。

 

そんな風に都合よく考えていると、扉に手をかけたところでソニム先輩が止まり、こちらを見ずに再び口を開いた。

 

『スライのことは、あまり気にしないようにしなさい』

 

『……まあ、まったくとはいかないですけど』

 

『アレは、これで良いのよ。理解したくないけど、なんとなくわかるから。そんなに悲しいことじゃないわ』

 

ソニム先輩はそう言い残すと、私の返事を待つこともなく病室から出て行ってしまった。

 

ソニム先輩の言い残した言葉の意味は、正直よくはわからない。あの二人は仲が良いわけでもなかったし、友人はおろか下手すれば犬猿の仲の類だった。考え方も生き様も、その悉くが噛み合わない。これはスライも、ソニム先輩もよくお互いをそう言っていた。

 

『……スライ・アンシーリって龍狩はね、案外どこにでもいる、誰にでもあるものを欲しがってた人だったんだよ』

 

床に倒れ伏していたはずのラフさんが、まるで何事もなかったかのようにすんなりと立ち上がり、どこか遠くを見るような眼で話す。

 

『そりゃ同族から見ても狂った獣だったけど、欲しいものが手に入らないって暴れ狂って、その果てがここなら、まあ悪くないって言えたんじゃないかな』

 

『あの、それってどういう意味で』

 

『できればさ、笑ってあげてよね。あんまり泣いたりしたら噛みつかれちゃうだろうから』

 

ラフさんは私の質問に答えることなく、ひらひらと手を振って『またねジアち~ん』と最初のおちゃらけた雰囲気に戻り、病室から風のように去って行ってしまった。

 

取り残された私は少し呆けて固まった後、リオンとリアンに愚痴のように言葉を溢す。

 

『なんかさぁ、私の周りの人ってこう……ずるい人多くない?』

 

『あはははは!お前に言われちゃおしまいってやつだよそれ!』

 

『みんな必死なんだよ、自分ってやつを守りたいからね。お前も、僕も、あたしも同じだろ』

 

『自分のことで精一杯のつもりだったんだけどな。私』

 

『自分に他人が入ってないなんてことはないよクリジア。いい加減気が付くべきだねぇ』

 

『ここ最近いたるところで思い知ってるっつーの』

 

リオンとリアンがケラケラと笑いながら、声を揃えて妙に得意気なしたり顔で『わかっているなら何より!』とベッドに寝転んだ私の顔を覗き込む。

 

喋っていなくても鬱陶しい二人の顔をしっしと追い払い、私はありがたい見舞い疲れを癒すためにと目を閉じた。


 

 

 




気がつけば時は流れ、騒がしい療養生活が少し過去の話になり、若干の落ち着きを世界も、私の生活も取り戻し始めた頃。私は除け者の巣の傍に用意された小さな墓標の前で手を合わせていた。


『……本当に死んじゃったんだなぁあの人。嫌いじゃなかったんだけど』


涙を流したりはしていない。けれど、やはりそこはかとない寂しさと、日常の一欠片がなくなってしまったのだという事実に改めて向き合う悲しさは感じてしまう。


『おうクリジア。来てたのか』


『あ、ミダスさん。調子戻りました?』


『なんとかな』


ミダスさんはそう言いながら、手に持っていた酒と干し肉を適当に墓の前に添える。


『仲間だとか、家族とか、そういうのが死んじまうのは慣れてるつもりだったけどな。よく考えてみりゃ、それが嫌でこんな傭兵団作ったんだったよ』


『慣れてるなんて言われたら私も寂しいですよ。なんだかんだ、みんなここの事好きなんすから』


『そりゃありがたいこった』と笑いながら、ミダスさんは服が汚れることも気にせず墓標の前に腰をおろし、持ってきた酒を小さな盃に注ぐ。


『コイツはどうだったんだろうな』


『どうでしょうね。掴みどころない人だったし』


『せめて一回くらい聞いてみりゃよかったな。あいつ買ったのは俺なわけだしよ』


やれやれと笑いながら、ミダスさんが盃に注いだ酒を飲み干し、瓶に残った分を墓標へと注ぐ。


空になった瓶を墓標の前に立て『じゃあな』と小さく呟いてからミダスさんは立ち上がった。


『さてと、俺たちもまだもう少し忙しいぜクリジア。アビゴールの話を聞く限り、まだ終わったわけじゃねえだろうからな』


『とはいえ災厄だとか世界の終わりだとか、私にゃ本当全然想像つかないっすよ。今でも絵本とかの話聞かされてるような気分なのに』


『確かに現世に賭けるとは言ったが、本当に碌な話聞かされてねえのは流石に想定外だぞ。除け者の巣とやらよ』


聞き慣れない声、反射的に振り返れば、そこにはミダスさんよりも一回りがたいの良い、超大柄な男が立っていた。


その姿は一瞬だが見たことがある。パイモンの隣にあの時現れた悪魔。おそらく、十柱の一本にして、スライを打ち負かした張本人だ。


私とミダスさんは即座に臨戦態勢をとり、目の前に聳える巨漢を睨む。悪魔は私たちの様子に反して、若干面倒くさそうな様子で一つ息を吐くと、それに合わせるように背中の影からから紫髪の少女が顔を覗かせた。


『ん。久しぶり、銀髪の剣士。息災で何より』


『パイモンっ……!?』


忘れもしない、私たちと死闘を繰り広げ、あわやサピトゥリアを更地にしかけた張本人。それが無表情な様子は変わらずに、なぜか気さくそうに手を振っている。


『絵本の人に聞いた通りだった。私の言う通り、顔見知りに会いに行くべきだったでしょ。アガレス、認めて』


『何の考えもなしにテメェが姿見せて大騒ぎになったろうがどチビ……ったく』


パイモンはアガレスの肩に飛び乗ると、その頭をぺしぺしと叩きながらよくわからない不満と主張をぶつけ始める。


アガレスは大きなため息を吐きつつもパイモンを無視して、私たちへと再び目を向ける。


『絵本の人……ベルフェールか?何の目的でこんなとこまで来やがった悪魔共』


『敵対じゃねえ、殺すつもりならとっくにやってる。……王を超えるために、情報共有といこう。マギアスの変態野郎ともお前は繋がりがあると聞いている』


『……俺らに仲間の仇を目の前にして、あろうことかそいつを信頼しろって?』


『ここで無駄死にするほど、あの獣の飼い主は愚物じゃあねえだろう』


暫くの間、呼吸すらも億劫になるほどの重苦しい沈黙が場に流れる。この二本が本気で暴れれば、私にもミダスさんにも勝ちの目は一切ない。とはいえ、こいつらの要求を素直に受け入れて、もしこれが罠ならば私たちだけで被害は収まらない。


ダンタリオンを連れてきていなかったことを後悔しながら、私は脂汗の止まらない沈黙が破られるのを刀を握りしめながら待つ。


『……アガレスっつったな。一ついいか』


ミダスさんが永遠とも思える沈黙を裂く。


『うちの飼い犬はどうだった』


『……義侠おれにお前らを信頼させるだけのことはした』


『そうかい。なら、まあ仕方ねえか……』


ミダスさんは小さくため息を吐いて、スライさんの墓標に向かって微笑みかけてからアガレスへ視線を戻す。


『わかった。うちの飼い犬を悪く言わねえってこたぁ、少しは信じてやっても良いってわけだ。乗ってやるよデカブツ』


『はっ、肝の座った奴だ。そうじゃなけりゃ困るがな』


私は緊張の糸が切れたのと同時に、大きく息を吐いて脱力する。とりあえず、ここで殺し合うようなことにはならないで済んだらしい。


アガレスとパイモンは私たちの緊張など知らないとでも言うように、早速だがと話し始める。


『アビゴールも含めて、まずは天災の正体について伝えておきてえんだ。敵のことも知らずに戦うなんざ嫌だろ』


『正体?悪魔じゃないの?王様ってやつでしょ?』


『王だけじゃあねえ。王の持つ魔法、その鍵を壊す必要がある』


『鍵?』とミダスさんと私の声が重なる。王と呼ばれる悪魔の話は聞いていたが、アビゴールからは鍵についてなんて話は聞いていないし、聞き覚えのある単語でもない。


アガレスは『やはり聞いたことはないか』と小さくため息を吐いてから再び口を開く。


『……世界の終わりへの道を開く鍵、"小さな願いの鍵エゴエティア"について、お前らは知っておく必要がある』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る