51話 不覊の獣が帰る場所

──サピトゥリア防衛戦終結より数刻前。第二柱迎撃戦線。

 

炎と溶岩に囲まれた灼熱の中、獣と悪魔が躍っている。

 

『熱っちちちち!だぁもう、魔法ってやつはウチぁほんと好きになれねーですよ!』

 

波打ち、唸りをあげて自身を呑み込もうとした溶岩を避けながらスライは叫ぶ。不満を訴える声とは裏腹に、その口角は楽しくて堪らないと言わんばかりに吊り上がり、目は爛々と輝いて目の前の殺し合いへの期待を映し出している。

 

そんな様子のスライに反して、対峙する悪魔の表情は硬く、操る魔法の熱量からは想像もできないほどに冷たい。ただ目の前の障害を排除するためだけに力を振るう。今この戦いではなく、他のものを見ているような態度。それがスライは少しばかり気に入らなかった。

 

『ウチは所詮その辺の人間と変わらない十把一絡げって言いてぇわけですか。ツレないですねぇほんと!』

 

スライが大鎌を振るい、それをアガレスが地面を隆起させて盾を作り防ぐ。自由自在に大地を操り、灼熱の溶岩を手足のように使いこなすアガレスの魔法の前に、スライの攻撃はことごとくが往なされ、つぶされていた。

 

『これ以上邪魔をするな』

 

大地が波打ち、次々と隆起する。無数の破城槌のように地面がスライを目掛けて突き上がり、空からは溶岩と岩石が降り注ぐ。

 

一切の逃げ場を断ち切り、目の前の哀れな獣を殺すための攻撃。それを前にしてなお、獣は笑う。

 

『ハハァ、邪魔には感じてるわけですか。じゃあもっと邪魔してやりますよ!』

 

大鎌を地面に突き立て、その勢いを利用して高く跳ねる。降り注ぐ溶岩と岩石は直撃するものだけを往なし、多少の掠り傷は気にしないとでもいうように灼熱に埋め尽くされた空を突き破ってスライはアガレスへと飛び掛かる。

 

振り下ろされた刃を、アガレスは硬化させた溶岩を纏わせた腕で受けようと構える。これまでの戦いの中でも見せていた溶岩の鎧。スライの刃を幾度も受け止めていたその鎧を纏った腕が宙を舞った。

 

『何っ……!?』

 

大鎌が腕に触れる瞬間、反射的にアガレスは身を引いて半歩下がっていた。もし下がっていなければ腕ごと身体を縦に真っ二つにされていたであろう一撃と、それを放ったスライへとアガレスは驚愕の目を向ける。

 

スライはにやりと笑い、驚愕で僅かに出遅れたアガレスに向けて既に構えた二撃目を振るう。

 

『慣れりゃ斬れる硬さですよぉ。咄嗟に退いたのは偉いです……ねっ!!』

 

振り抜かれた刃はアガレスを捉え、脇腹から肩へと走る巨大な傷を生んだ。アガレスは大きく飛び退きつつ顔を顰め、スライを睨む。

 

悪魔の性質上、斬り飛ばされた腕も、斬り裂かれた傷も瞬く間に再生する。しかし、アガレスにとって初めて貰ったまともな一撃であり、先程までと相手は変わっていないにも拘らず、通用していた防御手段が突如として通用しなくなったことなど、アガレスから見て不可解な要素が多い。それ故の困惑と驚愕だった。

 

『特別な魔法の組み込まれた武器ではねえはずだ……何をしやがった?』

 

『あ?言ったでしょーよ。慣れですよ慣れ。どんくらいでどんだけやったらいー感じになるのかとか、調味料とかかける時のちょうどいい量の感覚みたいなのあんでしょ?』

 

『つっても悪魔は飯とか食いませんか?』とスライはケラケラと笑う。アガレスは怪訝な顔でスライを睨み続けるが、スライの言葉に嘘はない。

 

スライ・アンシーリという龍狩は、龍狩の血族の中で見るのならば平均的な身体能力を持ち、そこに鍛錬や経験を加えることで今の形になっている。天性の素質だけで語るのならば、スライは同族のソニムに勝つことはできないだろう。では、そんな彼女がなぜ自身の生まれた龍狩の集落の民全員を皆殺しにし、稀代の快楽殺人鬼として名を馳せることになったのか。

 

『ほらほらァ!ぼんやりしてる場合じゃねーですよ!ご崇高な目的があるんでしょう悪魔さんにゃあよ!!』

 

それは彼女が唯一生まれ持った天賦の才、殺し合いの才能が故に。

 

アガレスが反撃として放った岩石弾をスライが避け、一気に距離を詰める。アガレスが再び飛び退くのとほとんど同時に、スライは手にした大鎌を投げつけた。

 

『悪魔はまだまだ死なねえでしょう?』

 

アガレスの身体を貫き、そのまま飛んでいく大鎌にスライが追い付き、持ち手を掴むとそのままアガレスごと大鎌を振り抜いて地面へと突き立てる。アガレスは突き刺さった大鎌から自分の身体を裂いて無理矢理に脱し、十把一絡げと考えていた人間から、明確な脅威へと変化した獣を見る。

 

『おーう。人間なら絶対死んでるのに無茶苦茶な抜けかたしますねえホント』

 

殺し合いの才能。それはただ戦闘に長けているわけではなく、身体能力が圧倒的に優れているわけでもない。殺し合いは相手を皆殺しにする他に、誰かが自分の命を奪うことでも終わってしまうものだ。故に、殺し合いに長けるためには強いだけでは不十分である。

 

どうすれば敵を殺せるか。そして、どうすれば自分が死なずにいられるか。スライはこの二つに関しての感性が異常とも言える程に優れている。


"試合"をするのならばソニムには勝てないだろう。しかし、"殺し合い"ならばスライに軍配が上がる。相手が誰であろうと、何であろうと、殺した者だけが勝者である血戦の場において、スライ・アンシーリという獣の持つ本能は絶対の武器となる。

 

アガレスは目の前の獣の危険性を理解し、それを有象無象ではなく明確な輪郭を持った敵として捉えた。

 

『……噛みつく相手は選べ。忠告はしてやったはずだ』

 

『選んでますよぅ特上霜降り肉。ウチはグルメですからね』

 

『そうか。獣に言葉はなかったな』

 

アガレスが構えを取る。同時に、一際大きな溶岩の噴出が複数発生し、地獄が熱量を上げ、君主たる暴君の敵を灼き尽くさんと脈動する。

 

『アハァ!やっとウチを見ましたねえ?』

 

『信念も無え凶牙で俺の喉を喰い千切れるか、やってみるといい。獣』

 

『弱ぇ奴は何持ってようが死ぬんですよ。喰うか喰われるか、楽しくやろーじゃねえですか』

 

 

 

 

 

 

 

信念の話。理想の話。志の話。目的の話。いろいろな理由を持って殺し合いに臨む者を見てきた。家族、友人、仲間、特にわかりやすいのはこの辺。けど何かを守るために凄い力を発揮して、とびきりの戦果をあげるような奴は見たことがない。結局のところ戦場という無慈悲な空間に存在するのは勝つか負けるか、生きるか死ぬかの単純な分かれ道だけだ。そこに何を思って誰を想ってなんて話は欠片も影響しない。

 

ウチに信念を説いた奴もいた。頭をかち割って殺した。崇高な志を語った奴もいた。喧しかったので喉を裂いて殺した。死んでも仲間を守ると吠えた奴もいた。殺したら動かなくなったので仲間も殺した。


負けた奴には何も残らない。それだけが戦場で、殺し合いだ。それは生物の原初に刻まれた最も単純な掛け合い。だからこそウチはこの空間が何よりも堪らなく好きだ。

 

そう、何よりも好きなはずだ。

 

『さ~あ餌は目の前ですよスライ・アンシーリ!!かっ喰らって晩餐会といかねぇと!!』

 

大鎌から大剣へと武器の形を変え、アガレスへと駆ける。溶岩の海に呑み込まれでもすればウチはひとたまりもない。下手に離れて魔法で圧し潰されるくらいなら、近距離で喰らい付き続ける方がいくらかマシだろう。

 

襲い来る溶岩を走る速度を上げて振り切り、アガレスへ刃を叩き込むために振りかぶる。岩山のようなその身体を両断してやれるつもりだったが、反射的にウチは大剣の腹で身を守る構えに切り替える。

 

『破山』

 

瞬間、山そのものに追突されたのではないかと錯覚するような衝撃が走り、ゴキンという嫌な音が体の内側から響く。吹き飛ばされるのは堪えたが、地面を抉りながら無理矢理に後退させられた。

 

『痛ってぇ……!!ただの正拳突きでこれとかマァジですかぁ!?』

 

未だにビリビリと全身が衝撃に震えている。受け止めた際に両腕が砕け散ったのではないかとも思ったが、どうやら左肩が外れるだけで済んでいたらしいことに一先ずは安堵しつつ、無理矢理外れた肩を嵌め直す。

 

『呑気にしている暇があるのか?』

 

『はははっ!んな暇はなさそうで!!』

 

肩は激痛を訴え続けてはいるが、動かす分には問題はない。アガレスの踵落としを避け、首を狙って大剣を振るう。アガレスはそれを避けるのではなく、前に出てウチの腕を掴むことで防いだ。

 

まずいと思うのとほとんど同時に視界が回り、地面へと叩きつけられる。肺の中の空気が一気に飛び出て、潰れた蛙のような声が漏れた。そのままウチの顔面を叩き潰そうとアガレスが拳を構えるが、ウチを掴んだ腕をへし折りギリギリで拘束から抜け出す。

 

『マジになったらめちゃ強いじゃねーですか!いいですねえ!!』

 

『この戦いは所詮前座だ。すぐ終わる』

 

アガレスが言いながら腕を振り、それに合わせるようにウチを目掛けて地面に亀裂が走る。微かに亀裂から漏れ出している熱が噴き上がる直前に、横に跳んで避ける。そこを狙いアガレスがウチを踏み潰さんとして詰めてくる。

 

『すぐ終わるぅ?そりゃ困るってもんでしょーよ!』

 

振り下ろされた足と踏み砕かれた地面に巻き込まれないように飛び、アガレスの肩を掴んでそこを軸に身体を捩じる。背後に回ると同時に蹴りを入れ、そのまま数発打撃を撃ち込んでからアガレスを全力で蹴り上げる。

 

『ほぉら!ぶった斬れやがれってんですよ!』

 

宙に浮いたアガレスを目掛けて大剣を振るう。浮遊能力のないアガレス相手ならほぼ間違いなく入る一撃。斬り裂いた後、落ちるまでに細切れにしてやるつもりだったのだが、アガレスはウチが振るった刃を蹴り飛ばして防いで見せた。

 

『うぉえ!?』

 

想定外の力を加えられ吹き飛んだ武器に引きずられる形でウチはよろめき、その隙を逃すことなく着地したアガレスがその拳を振るう。躱すことは勿論、受け流すこともほとんどできずにウチは吹き飛ばされた。

 

内臓がいくらかダメになったような感覚がある。血を吹き出しながら吹き飛び、なんとか体勢を立て直したと思えば再びアガレスの拳が迫る。

 

『ははははっ!!やばいやばい、本当に死ぬって!』

 

拳を何とか受け、続けざまに放たれる打撃を往なしながら隙を伺う。一撃一撃が竜の尾で打ち付けられるような重みなのに加え、闇雲な打撃ではなく技術を伴った武術なのが非常に苦しい。

 

一瞬の攻撃の切れ間に掌底をアガレスの胴に喰らわせて無理矢理に距離を空ける。四肢はまだ無事に動くが、全身がくまなく痛むせいでどこをどう怪我しているのかは判別がつかないような状態になっている自分に少しばかり笑えてきた。

 

『いやはや、ほんととんでもねえですね。悪魔ってみんなこうなんです?』

 

『これから死ぬ奴に何か話す意味があるのか?』

 

『あー正直それ言われると弱いですね。死んだらなんも残らないんで意味はねーです。このままいけば死ぬのはウチでしょうからね。けどまぁ、ウチが死んだら……』

 

死んだら、何だ?

 

痛みと出血で若干朦朧としている意識の中で漏らした自分の言葉へ疑問が浮かぶ。


死んだら、悔しいか?いいや、そんなことはない。もっと言えば自分は戦いの中で死ぬことを望んでいるし、その思いに変りもない。ならば、今更になって死ぬのが怖いか?それも違う。今この瞬間も命のやり取りも所詮は楽しい遊びだろうと思っている。だったら、ウチが死んだらなんだというのか。

 

もう遊べなくなるからつまらない?それは考えなくもないが、ピンとはこない。いくつもの問いかけが脳裏を過っては、あれも違うこれも違うと通り過ぎていく。

 

『……あ。いや、まさか。いやぁ?』

 

『なんだ、今更気でも触れたか?』

 

『あー、いや正気です正気。すんませんね。いや、一ついいですか?悪魔さんはサピトゥリア落したあと何する気で?』

 

『……今の世界を全て焼く。この先への布石として、今は二度あるかもわからん好機だ』

 

『ははぁ、なるほどなるほど。うわ、マジですか。はははっ!いやいやいや……』

 

過っては消えていった無数の疑問と理由の中で、一つだけ引っかかったものがあった。

 

『ウチが死んだら、次はお仲間の誰かが殺される』

 

今まで生きてきて他人を理由に戦ったことはない。誰かがウチの生きる理由になったこともない。自分がそんなことを考えること自体が異常極まりない状態だと、笑い飛ばしてしまいそうな疑問。そのはずなのに、それを無視できない自分がいた。

 

そして、心底不思議なことにそれを肯定すると、面白いくらいに自分の中で自分が今死ねない理由として納得できてしまう。

 

『はは、はははははっ!!ええ?居場所、居場所ねえ?飼い主と犬だったでしょ?ウチが、そんな……はははっ!!』

 

ひとしきり大笑いした後、一つ息を吐いてからウチはアガレスを見据えて武器を再び構える。

 

『はぁ~あ。初めてやりますよこんな戦い。けどま、今の世界を焼こうなんて言うのなら、負けるわけにゃあいきませんねぇ』


他人を理由に、誰かを守るために、何かを背負って戦う。それがこんなに恐ろしく感じるものだとは知らなかった。









身体は重い。直感は勝てやしないから死にたくねえならさっさと逃げろとずっと吠えている。ウチは勘が鋭いほうだから、多分この直感も間違っていない。


殺し合いは死んだら負けだ。逃げようが何をしようが、生きてさえいれば負けてない。そんな中で死ぬ予感を無視するのはバカのすることだと、わかってはいる。


それでも、ウチはまだここに立っている。


『あぁもう鬱陶しいクソ魔法!!あんだけ殴り合いできてなんでこんな魔法使えんですかズルでしょ!!』


岩石と溶岩を打ち払いながら、その主である悪魔へと不満を叫び散らす。文句を言って何が変わるわけでもないが、言わないでも変わらないなら言った方がすっきりできる。


悪魔は何かを答えることもなく、岩の柱をウチ目掛けて放ち、ウチはそれを避けてそのまま足場代わりにしアガレスへの距離を詰める。


武器を振りかぶって飛びかかるウチに合わせる形で、アガレスが蹴りを放つ。


『アハっ!引っ掛かったァ!!』


武器を手放し、蹴りに手をついて身を捩りながら受け流す。そのままアガレスの正面へ着地して、地面を砕く勢いで足を踏み込み拳を構えた。


『龍喰舞闘・飛燕、半間死地ッ!!』


足を振り上げたことで位置が下がっていた顔面に、握りしめた拳を全力で叩き込んだ。アガレスは吹き飛び、数回地面を跳ねて転がりながらも体勢を立て直す。


威力は悲しいことにウチのものの方が劣っているが、同じ血が流れているとはとても思えないお優しい同族が使う技。仕事の時に数回程度見たことがあった。構えは見様見真似だが、技自体は知っているので七割くらいは真似できているはずだ。


『ま、同族ほど上手くはできねーですねぇ』


あの同族に対して、あれだけ強ければもっと楽しい生き方ができるだろうにと何度も思ったことがある。


だけど多分、あれも居場所というやつが大事だったのだろう。


手放した武器を握り直し、吹き飛んだアガレスへと駆ける。潰してやった顔の形は直り切っていないし、体勢もまだ立て直し切れてはいない。畳み掛けるのなら今だ。


『理由はなんでも勝ちゃあ関係ねえって話でしょうよ!!』


身体を捩り、体重を乗せて大剣をアガレスへと振り下ろす。アガレスは直撃を避け、腕を犠牲にしながらも前に出る形で刃を躱し、その勢いのまま裏拳を放つ。


防ぐことなど当然できずにその威力全てを顔面で受け、脳が派手に揺れる。吹き飛びかけた意識を引き千切るように追加の衝撃がウチを襲い、鮮血と共にウチは吹き飛んだ。


『ごぁ………!は、ははっ。まだ生きてますよ、ウチぁ』


視界が揺れる。色が抜けていき、霞んでいく。死にかける経験はいくらかしたことはあるが、本当に久しぶりだ。高揚とは裏腹に熱を失っていく身体。生き残りたいはずなのに動かなくなっていく頭。死の足音だけが明瞭に響く時間。


グラグラと揺れる視界に合わせるように、自分の身体を揺らしながら脱力した。下手に踏ん張ろうとしてしまえばその踏ん張りで意識が途切れてしまいそうだったので、今にも倒れそうなまま最低限の回復を目標にする。

 

『執念深い獣だな』

 

アガレスが溶岩柱を手にし、ウチを叩き潰そうと踏み込む。

 

『乱歩調──

 

同時に、脱力した状態から一気に動き、アガレスとすれ違う瞬間に居合の要領で大剣を振り抜く。

 

──渺茫斬。……でしたっけぇ?アハァ』

 

お仲間の勇敢な子猫の技。自分の身体の使い方だとか、どうやって相手を狩るのかとか、そういう嗅覚が鋭いのだろうと感心しながらよく見ていた。明らかに殺人鬼には向いていないが、人を殺す才能には溢れているのが皮肉なものだなとウチですら感じていた。

 

今度会ったら、お前の技がウチの寿命を延ばしてくれたとかなんとか言ってやろう。

 

『ビックリしましたァ?ウチも最初見たときはビビったんでお仲間ですねぇ』

 

『……驚愕はしたが、お前が動けることに対しての方が大きい。何故動く?』

 

深々と胴に刻み込まれた斬り跡をみるみるうちに修復させながらアガレスが問う。今の自分が動けている理由なんてこっちが知りたい程度には限界も近いが、せめてと思いウチはけらけらと笑ってみせる。

 

『言ったでしょう?ウチぁ殺し合いが好きなんですよぅ。好きなことしてりゃあ多少無茶でも身体は動く。人間って馬鹿なんで案外そんなもんですって』

 

『……死ぬ理由は本当にそれでいいのか』

 

『他にあっても墓場まで持ってきますよ。バレたら恥ずかしくて泣いちまうんで』

 

『そうか。気が変わったら、教えてくれ』

 

『ハハァ!そん時ウチかあんたが死んでなけりゃあね!』

 

瞬きの間にアガレスが間合いを詰め、ウチへ溶岩柱が振り下ろされる。ウチはそれを避けアガレスへ拳をねじ込もうと腕を振るうが、拳が届くよりも先に溶岩柱がウチを叩き飛ばす。

 

血を口からぶちまけながら、地面を数回跳ねて転がる。無理矢理勢いよく吹き飛ぶ自分の身体を止め、目の前に迫るアガレスへ反撃の一振りを放ったが、これも呆気なく弾かれてしまった。

 

『終わりだ龍狩』

 

『終わんねぇですよ悪魔』

 

アガレスがウチの身体に風穴を開ける気で放った拳へ向けて、勢いが乗り切る前に自分の拳をぶつける。威力の差も拳を放った態勢も、明らかにこちらが不利な以上打ち勝てることはないが、直撃をもらって即死するよりはまだましだ。

 

『めしゃっ』という、木材かなにかがひしゃげて壊れるような音が身体の内側から響いた後、少しだけ遅れて激痛と共に身体が再び吹き飛ぶ。上下も左右もわからない状態で転がった後、何とか手放さずに済んでいる武器を杖代わりに立ち上がった。

 

拳をぶつけた左腕は原型を失って、拳は木の枝を詰めてから潰された麻袋のように、いたるところから砕けた骨が飛び出た何かになっている。肘からは腕の骨が押し込まれたせいか皮膚を突き破り飛び出ていて、これを腕として使うのは金輪際不可能なことが医者でなくてもよくわかる。

 

『まだ立つのか』

 

声が耳を滑っていく。自分の意識が残っているのが不思議なくらいだった。それでも今ここで倒れるわけにはいかないと、自分らしくもない何かがずっと必死に叫んでいる。

 

武器はまだ握れる。足も、腕も残っている。牙を向けるべき獲物も、待ち望んだ死地も、その全てがまだ残っている。それならばここにウチが立つ意味は十分すぎるほどに余っている。らしくない何かを、自分らしい理由で固めて己を起こす。

 

『スライさんっ!!』

 

『……ま、ある?』

 

響いたのは少女の声。

 

勇敢で、無謀で、随分夢見がちな奴がいるものだと、内心鼻で笑っていたあの少女。誰かを守るなんて、そんな理由をもって何が楽しいんだとずっと思っていたウチに、なぜか妙に眩しく見えた気がしたあの少女が、ウチの前に立っている。

 

『死なせませんっ!仲間は死なせないと言ったでしょう!?黒い枝の怪物は消えました!あなたが二本目をずっと留めてくれていたから、助かった人が大勢いるんです!お礼を、お礼をさせてあげてください!!』

 

『退け、悪魔。同族だろうが容赦なんざ欠片もしねえぞ』

 

『退きません!私は、私は皆を護りたいと願った人たちの力ですっ!!』

 

弱い奴が信念だけで吠えて何になるというのか。

 

残念だがアガレスとマールの実力差は明白だ。天地ほども差がある。こんな弱者一匹をこの状況に加えたところで、死人の数もなにも変わるわけがない。なのに何やら必死に叫んで、震える身体を無謀な勇気で抑え込んで、一体全体なにがしたいのかと思わず笑ってしまう。

 

見捨ててさっさと逃げればいい。生きていれば殺し合いには負けない。

 

この場にいるのは仲間なんて大層なものじゃない。都合のいい犬や駒みたいなもののはずだ。

 

腹を抱えて笑っちまうほどの大馬鹿野郎。ああ、けど、今のウチも同じだったっけ。

 

アガレスが溶岩柱をマールへと振り下ろす。

 

 

 

硬い物同士がぶつかり合った音と、重い衝撃がウチの身体に響く。

 

 

 

『……はっ。これほどまでか、龍狩っ!』

 

『アハッ……!!もちろん、もちろんですとも。手負いの獣は怖えぞ、悪魔ァ!!』

 

アガレスの一撃を受け止め、辛うじて膝をついて受け止める。そのままウチを叩き潰そうと力を籠めるアガレスに押しつぶされないようにと、全身が悲鳴をあげているが、そんなものを気にしている余裕すらウチにはない。

 

『スライさ──

 

『聞きやがれですよお嬢さん!!テメェの護るものなんざ、ここにゃ一つたりともありゃしねえ!!』

 

マールの言葉を遮り、必死で叫ぶ。なりふりも構わず、心の底から、喉が裂けるような気持ちで叫ぶ。

 

『ウチぁこれでいい!ウチの命はここにゃねぇ、帰る場所にとっくに置いてきた!!テメェが護るのは、ウチの帰りてぇあの場所だ!!』

 

アガレスを溶岩柱ごと弾き飛ばし、ガクガクと震えてろくに支えにもならない両足を地面に突き立てるようにして無理矢理立ち上がる。

 

片腕はもはや原型を留めておらず、残っていた腕も今の一撃で、拳を握ることもできないくらいには滅茶苦茶になった。武器を握るのは諦めて、刃を絡め脈動する持ち手を自分の腕にも絡めさせ、武器を握らずとも大鎌を構えられるようにする。

 

肩で息をして、吹き飛びそうな意識を繋ぎ止めて、マールに振り向いてから自嘲するように笑う。

 

『……んじゃ、頼みましたよ強い人。ウチが死なねえように、ウチが居るあの場所を護ってください』

 

マールの返事を待たず、アガレスへと視線を向ける。

 

揺れる視界の焦点はろくに合わず、流れた血が多すぎて世界の色もはっきりしない。もうとっくの昔に限界は超えている。それでも案外、人は馬鹿だから動くものだ。

 

『……理由、聞こえました?どんな獣も、巣は大事なんですよ。ハハァ、笑えますね』

 

『お前がどう思うかは知らないが、少なくとも俺はそれを笑わん』

 

『あは、優しいですねぇ……あんたにも理由はあんでしょ?せっかくだから聞かせてくれません?ウチだけ言ったんじゃあ恥ずいでしょ』

 

『……似たようなもんだ。約束をした。遠い昔の約束。俺はそれを叶える。そのために今を焼こうと、この先でその景色を見るためにな』

 

『な~るほどぉ……』

 

信念、というやつだろうと感じた。そして、ウチと似たようなものというのもなんとなく理解できた。大切なものとやらの為に、どれほどのことをしても何かを成し遂げようとする。そういう強靭さを持っているものは実際に見てきた。大別すれば今の自分もそうなのだろう。

 

だが、過去のためだとか、未来のためだとか、そんな理由で巣を踏み躙られることに納得できるような獣はいない。

 

『アッハァ!ふざけんな!!ウチは今、この瞬間に大事なものがあるんですよ!過去だ未来だ言ってる暇もないくらい、大事なもんがね!!』

 

 武器を、己の牙を構え、獲物の喉に視線を集中させる。見据えるのは獲物の死。その喉を裂き、血肉を喰らい空に吼える。それだけを見据え、瀕死の身体に力を込める。


『それで良い。龍狩……名は?』


『……スライ。除け者の巣の、スライ・アンシーリ。突き立てられる牙の名を、地獄までどうぞお忘れなきようにっ!!』


地面を蹴る。同時にアガレスの魔法がウチを襲う。溶岩を避け、赤熱した岩石を砕き、ただただ目の前の獲物を目掛けて駆けていく。


身体が灼け、溶けていく。避けきれないものはもう気にするな。お前は死なない。命なんてものはとっくに置いてここへ来た。お前はただ、獲物の喉を喰い千切れ。


『お前の手綱を握ってる余裕はねえ』


アレは知っていたのだろうか。手放してもどうせ戻ってくる程度には懐いてしまったことを。


『だからまあ、好きにやれ』


誰もウチにそんなことは言わなかった。


縛って、抑えて、上手く扱って、ウチはそれに従って扱われる。それで良かった。気にしなかった。気にしたくなかった。


認められないことはとうの昔に知っていた。異常だと、狂気だと、罵られ続けたことも知っていた。だけど、どうすれば良かったのかは誰も言わなかった。


縛らなければ、抑えなければ、ウチは血の匂いに逆らえない。そういう形のモノだ。暴れて、狂って、最後には何も残らない。本能には抗えない。


『そん時はお前を、俺たちが殺してやる』


だから、柄にも無く嬉しかったんだと思う。


自分をどうしようもない奴だと認めてくれて、その上で手綱を手放して、好きにしろと言ってくれたあの場所を、どうしようもなく好きになってしまったんだと思う。


思えばどいつもこいつも、ウチに普通になれとは言わなかった。本当に、居心地の良い場所だった。


『……つっても、知らん奴守ったのは、絆されすぎですかねえ』


身体のどこがまともに残っているのかはもうわからない。腕に絡み付けた刃は生きている。足もまだ身体を前に進ませることはできる。獲物の喉はもう目の前だ。


刃を振りかざし、もう一度強く地面を蹴る。


『威勢と志は認めてやる。だが、お前の牙は届かねぇ』


アガレスが溶岩柱を振るう。


刃が砕ける音がした。













戦場の熱が静かに冷めていく。


陽炎と黒煙の中にはただ一つの柱が佇んでいた。


『悪魔が喉を破った程度で死にやしねえことは、知っていたはずだろうがな』


悪魔はその場に座り込み、己の足元に倒れ伏している龍狩へ言葉を続ける。


『矜持や信念では敵は殺せない。そう言っていたが、ならお前の最後はなんだ』


その問いに返事を返す者はいない。


『死ねば何も残らんと言っていたが、それでも獣をそうまでさせたものはなんだ』


返事のない龍狩へ、アガレスは変わらない様子で言葉を続け、一人その戦いの行く末を目撃した少女、マールへと視線を向ける。


『……同族。お前はここからどうする』


マールはボロボロと涙を流し、両の手をギリギリと音が聞こえてきそうなほどに強く握りしめながら、絞り出すように言葉を返す。


『……託されたものを、護ります。私は、護りたいと願う者の、力です』


『そうか』


アガレスはゆっくりと立ち上がり。天を仰ぐ。


『いつから、今を見なくなったのかは思い出せん。いつか、いつかと……あいつを理由に逃げてきた。失うことを恐れた』


遠い昔、己の最も古い記憶へとアガレスは想いを馳せる。ただの少女だった。弱く儚い人間だった。それでも今を生きることに必死であり続ける強い人だった。


世界が終わったあの日、もう二度とこんなことがないようにと笑った彼女が今の自分を見たら怒るだろうか。


『……情けない話だな』


半身を吹き飛ばされ、刃すらも失った獣は、それでも最期に己の牙で悪魔の喉を喰い千切った。


あの日、あの時の己に、王の喉を喰い千切る気概はあっただろうか。


『誇ると良いスライ・アンシーリ。お前の牙は、確かに運命へ突き立てられた』


アガレスはマールとスライの亡骸に背を向け、その場を後にする。


過去でも、未来でもない。今の先を見据え、世界が再び動き出した。



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