50話 干戈鳴りて剣戟響く

もしも明日世界が滅ぶなら、何をして過ごしたいか。

 

そんな何気ない会話を、ありもしない事だろうからと友人と話したことがある。割と多くの人がこんな会話をしたことがあるのではないかと思うけれど、そもそもあり得ないものだと思って話しているし、結局のところいざ本当にそうならないとわからないというのが答えだろう。

 

私は家族と過ごしたいとか、そういうようなことを言っていた気がするが、やはり実際にその時になってみないと何をどうしているかなんてわからないものだと小さく溜息を吐く。

 

なにせ所詮はただの作家の私が、いざ世界の危機となった今、悪魔を迎撃するための戦場に立っているのだから。

 

『いやぁ……魔法は特級でも私の戦闘経験なんてないのと同じだけど……役に立つかなぁ』

 

私の配備されたのはほぼ最終の防衛線。アビィの話ではここまで攻め込まれるのは最悪に等しい状態とのことだったが、悪魔を相手取って最悪にならない可能性のほうが低いこともなんとなくとはいえ理解している。

 

長い旅の経験と、身近な友人の異様とも言える経歴のおかげで悪魔と会ったことがないわけではない。しかし、その悪魔に明確な敵意を向けられて戦ったことも私はない。一番危うかったものでヴィエラがルリさんに会うために赴いた孤児院でのシトリーとのやり取り程度のものだ。


一体どれほどの力で、どれほどの悪意を持って人間を蹂躙しようとしているのか、私にはそれが全くと言っていいほど理解できていない。

 

『それでも、サピトゥリアは故郷だし、家族だっているし、そう簡単に滅茶苦茶にさせるわけにもいかないもんね。頑張るしかないよ、ベルフェール!』

 

頬を両手で軽く叩き、沸き上がる不安を払拭する。

 

そもそも、ここまで悪魔が来るかもしれないというのも私のネガティブな想像にすぎない。もしかしたらもうとっくに問題を解決してしまっているのかもしれないなんて考えて、ふと顔をあげたその瞬間、視界に遠方から飛んでくる複数の何かが映った。

 

『なにか来て……?』

 

飛んでいる物体に目を凝らす。周りの人たちも同様にアレは何だと声をあげている。少しの間その場の全員が飛翔体を見つめていたが、唐突に誰かが声をあげた。

 

『おい、人間だ!人間が吹っ飛んでる!!』

 

その声に弾かれるように、魔法使いたちが風や水の魔法を使ってクッションを作る。私もそれに混ざって、悲鳴をあげながら飛んできている人々を受け止めるために、雲のクッションを想像から創り出して敷き詰めた。

 

一人、また一人と墜落する人々の中には既に絶命している者もいる。一体何が起きたのかはわからないが、想像を絶するものと対峙した故の今であることだけは嫌でも理解できた。場の全員がこの異様な光景による混乱と恐怖に青ざめる中、私の近くにまた一人悲鳴をあげながら誰かが落ちてきた。

 

『うぉああっあ!?なにこれ泡!?雲!?よくわからんけど助かったぁ!!』

 

『クリジアちゃん!?』

 

『うぇ?何……ってベルフェールさん!?はぁ!?私らここまでぶっ飛ばされたってこと!?』

 

──パイモンに吹き飛ばされ、このまま地面に叩きつけられてミンチになる覚悟をしていた私を受け止めたのは雲のクッションだった。感触としては綿みたいな感じで、子供のころに想像する雲の上でお昼寝とか、そういうのを考えるときにイメージする雲の柔らかさ。それがそのまま現実に出てきているような感じだ。

 

雲に深々とめり込んだ身体を起こし、どういう状況だと顔をあげると、驚愕を顔に浮かべたベルフェールさんと目が合った。


ベルフェールさんがこの場に出てきていること自体知らなかったが、問題はそこではない。顔ぶれを見る限り、私たちは全員揃って後続で構えていた部隊の位置まで吹き飛ばされて、そこでたまたま命を落とすことなく墜落できたという現実を理解したと同時に滝のように冷や汗が噴き出す。

 

『いや、でもとりあえず生きてるならいいか……サルジュは!?サルジュ!おい!!死んでないだろうなお前!!』

 

ベルフェールさんへのあいさつもろくにせず、私は雲のクッションをかき分けるようにしながらサルジュを探す。まさかあの巨大な斬撃に巻き込まれてだとか、ここの魔法使いたちがカバーしきれない位置に墜落してないだろうなとか、色々と嫌な可能性が頭を過っては消えていく。


しばらく探して、嫌な予感の輪郭が濃くなり始めた頃、沈み込んだ雲のクッションの中から勢いよく見慣れた顔が飛び出した。

 

『助かったぁ!!ほんっとに悪魔ってのは滅茶苦茶やるわねもう!!』

 

『生きてたなら早く返事しろよお前!!』

 

『無茶言わないでもらえる!?まあ、あんたも無事だったのはよかったけど!』

 

やれやれといった様子でサルジュは溜息を吐き、私もそれに合わせて安堵の息を吐く。いがみ合いはするし、気に入らない奴とは思っているが、それでも仲間が死ぬのは気分が悪い。我ながらよくもまあこんなことを思うようになったものだと思うが、別に悪いことじゃないから良いだろうと誰に向けてかわからない言い訳を脳内で繰り返した。

 

周囲を見れば、あのパイモンの斬撃で吹き飛ばされた面々はその半数以上が無事なようだった。斬撃に運悪く斬り裂かれた者もいるようだが、ほとんどは吹き飛ばされてからここの魔法使いたちに助けてもらえたようだ。

 

『クリジアちゃん、サルジュちゃんも!無事でなによりだけど、どういう状況なのこれ!?』

 

『ベルさん!?え!?作家ですよねあなた!?』

 

『その驚きはあとでいいんだよ雪女。とりあえず状況の把握と説明を──

 

『あ、生きてた。僥倖、まだ闘れる』

 

場にそぐわないような、抑揚の少ない子供の声。その声がした方に何人かが一斉に振り返る。

 

巨大な戦斧を携えた悪魔は、私たちを見下ろすようにして空中に佇んでいた。地面も何もない空中に、翼も何ももたない悪魔が地面に立つのと同じように、さも当たり前のことだとでも言うように立っている。

 

パイモンは何もない空中でぴょんと、小さな段差を下りるような素振りで跳ねると、そのまま地面に降り立った。

 

『うん、他のも存外しぶとい。良いこと』

 

ぐるりと周囲を見渡し、パイモンは満足そうに呟く。

 

その様子は外見だけを見るのなら不気味さよりも可愛げのほうが勝るような様子だが、ミシミシと空気が音を立てて軋んでいるのではないかという錯覚を覚える重圧と、物静かそうな表情に反して炎か何かのようにギラついた闘志のせいで、対峙するだけでも精神が摩耗するような感覚に襲われる。

 

『よぅし、何が何だかではあるけど誰がやばいのかだけはベルさんもしっかりわかったよ……!』

 

『説明の手間が省けたみたいでよかったけど、マジで守ってる余裕とかないからね』

 

『みんなの邪魔はしないようにさせてもらうよ!』

 

一早く武器を構え直した私たちを見て、パイモンの口角が僅かに上がる。

 

『いいね。覚悟がある人間は好き。さっきも言ったけど、逃げたいなら逃げても良い』

 

パイモンは変わらない様子で喋るが、その声は奇妙なほどに大きい。拡声器と呼ばれる声を大きくして響かせる魔具があるが、そういったものを使っているかのように声が大きく周囲に響いている。

 

『邪魔をするなら殺す。覚悟があるなら、闘ろう』

 

パイモンが脚に力を込め、地面を蹴る。その瞬間、パイモンの身体が水に沈んだ。

 

『何っ……?』

 

『"乙姫様の溜息"』

 

水の球が虚空に唐突に現れ、その中にパイモンが閉じ込められるようにして浮いている。手に持った武器を何度か振るっているが、流動体の水はそれに沿って形を変えるだけで斬り裂けない様子だ。

 

『二人とも、今のうちに封印具撃ち込めたりしない!?』

 

ベルフェールさんの言葉に弾かれるようにして、私たちは封印具を手に走り出す。パイモンは自分に纏わりつく水に対してか一瞬不満げな表情を見せた後に、自分の胸の前で拳を握り、それを勢いよく開いた。

 

その直後に水の球が弾け、それと同時に私たちは後退り、中からパイモンがずぶ濡れの状態で出てくる。

 

『そう簡単にはいかないかぁ……』

 

『……疑問。その妙な魔法、何?』

 

『君のも大概な気はするけど……ねっ!』

 

ベルフェールさんが手に持っていた本を閉じる。それと同時にパイモンの左右の地面が、まるで本が閉じられるように競り上がり、パイモンを挟んで叩き潰す。

 

パイモンが『妙な魔法』と言っていたが、確かにベルフェールさんのこれは奇妙な魔法だ。まず複数の属性の魔法を高水準で扱うというのは口で言うよりも数段難しい。それに加えて、魔法はその大半が"放たれるもの"だ。杖や手を起点にして、魔法を放つ。これが一般的な魔法の形式。ダンタリオンの心を読む魔法にしても、眼を起点にして相手に魔法を浴びせることで効果を出すという捉え方ができる。

 

それに対して、ベルフェールさんの魔法は突然そこに初めからあったように現象が現れた。今パイモンを挟んで潰した魔法もそうだが、特に顕著なのは最初の水の球だろう。空想の魔女は想像を現実に変える特級魔具だと聞いていたが、その片鱗を垣間見たような気がした。

 

『よしっ……!ベルフェールさんはそのまま援護よろしく!雪女!やるよ!!』

 

『言われなくとも!ベルさんお願いします!』

 

『期待しすぎない程度に任せといてー!』

 

パイモンを挟み潰していたはずの土壁が砕け、その土煙と瓦礫の中から紫の髪と四つの深紅の眼光が覗く。陽光に照らされ、ギラリと鈍い光を放ったのは短い柄に大柄な頭の付いた片手鎚のようだ。どうやら、あの土壁の一撃を以てしてもパイモンに人間が死亡するに値する傷を与えることはできていないらしい。

 

『むぅ……その魔法使い、少し厄介』

 

『そりゃよかった。早いとこゲームオーバーになっちまえ!』

 

パイモンの首を狙い、刃を振るう。パイモンはそれを躱し、私を叩き潰すつもりで鎚を振り下ろそうとしたが、その振り上げた腕がゼリーのようなものに絡め捕られて勢いを失う。

 

『ホント次が予想できない魔法だなあれ!』

 

『同感。私としてもかなり困る』

 

もう片方の刀で心臓部分を貫いてやろうと突きを放ったが、嬉しくはない共感と共に、絡め捕られた腕を軸にして振り上げた足に刀を弾かれる。しかし、まだパイモンの片腕の拘束は解けていない。

 

背後からサルジュも大剣を振り上げて斬りかかっている姿が見えた。私は刀を弾かれた勢いを利用して身体を捻り、そのままパイモンの胴体を狙って刃を走らせる。

 

──捉えた。

 

そう確信できる一撃だった。片手はふさがり、両足は地面から離れている。その場から動くこともできない状態での挟撃を避ける術はない。ほぼ間違いなく人間にとっての致命傷を与えられる状況だ。

 

『"停滞ロコ"』

 

その希望を嘲笑うかのように、私たちの振るった刃はパイモンに届く事無く静止した。

 

見えない壁があるとか、何か不可視の力で抑え込まれているというよりは、突然全ての運動が停止したような感覚。刀を振るっていたはずの腕が、突然脱力して刀を振るうことをやめ、その場に立ち止まったような状態で私とサルジュは一瞬固まってしまった。

 

『魔法への対策には、こちらも魔法を使わせてもらう』

 

パイモンはゼリー状の何かに包まれ、囚われている状態の片腕を軽く捻る。するとゼリーは異様な勢いで捻じれ、その勢いのままに弾け飛んでパイモンの手から離れた。

 

私たちは一度飛び退き、それに合わせてパイモンの周囲の地面が液化する。液化した地面はパイモンを包み込むようにドームを形成して再度硬化した。時間稼ぎになるかはわからない程度のものだが、ベルフェールさんがくれた助け舟だろう。

 

『二人とも私たちの声聞こえてるね!あのチビの魔法、大体だけど今のでわかったよ!!』

 

頭の中にダンタリオンの声が響く。

 

『あいつの魔法、力そのものの操作って魔法だ!だからさっきみたいに斬撃を馬鹿でかくしたり、攻撃を止めたりもできる。力の向きも大きさも弄って変えたりできるような魔法!』

 

『ちょ、ちょっと待って、それほとんど無敵なんじゃないの!?』

 

『サルジュの言う通り!自分の魔法がつまらないって言ってたのはだからこそだと思う……!攻撃はやろうと思えば全部無効化できちゃう、そのくらい強力な魔法ってこと!』

 

力そのものの操作、そう言われれば納得のいく光景はすでに何度か見ていた。初撃の魔法による一斉放火が突然天に昇って行ったのもそうだし、私たちをここまで吹き飛ばした巨大な斬撃も、今まさに私たちの一撃を止めた不可解な現象もそういう魔法を持っていると言われれば説明はつく。

 

しかし、単純なフィジカルだけでもこちらを悠々と上回っているパイモンにこれほど強力無比な魔法が付いているとなると、パイモンの気が変わりでもしたら私たちの勝ちの目は限りなくゼロに近いものになってしまう。

 

『つまり、私たちはあの化物に飽きられない程度には斬り結んで、魔法使ってさっさと終わりにしようとか思わせないようにしないといけないってわけだ……!』

 

パイモンを包んでいた土の殻が砕かれ、中から悪魔が顔を出す。

 

私はパイモンが周囲の把握をしきっていないであろう隙を狙って距離を詰めて斬りかかり、パイモンが私の刀を同じような形状の刀で受ける。鍔迫り合いの最中、パイモンはもう片方の手に元々持っていた片手鎚を手放し、空いた手にもう一本新たに刀を握った。

 

『真似っこしようってつもり?照れるね』

 

『同じ武器なら、君も戦いやすいと推測した』

 

数発刀をぶつけ合い、パイモンの一振りで私は後ろに弾き飛ばされる。同じ武器とはいえ膂力に差がありすぎてまともに打ち合いなんてできやしないだろと内心愚痴をこぼしながら、詰めてくるパイモンに視線を合わせる。

 

そう、膂力にも速力にも差がある。どう足掻いたところで龍狩かそれ以上の身体能力を有するこのチビ悪魔にフィジカルで上を取れる瞬間はない。そんなものに真正面から馬鹿正直に挑んでも遅かれ早かれ哀れな亡骸が戦場に一つ増えるだけだ。ならば、自分たちの持っているアドバンテージを最大限に活かして喰らい付くしかない。

 

『集中して、捌けないと死ぬよクリジア・アフェクト……!』

 

パイモンが刀を振るう。その勢いが乗り切る前に、自分の得物をぶつけて勢いを殺す。

 

『やるね。上手』

 

『それはどうも!』

 

二撃目、同じように振り抜かれる前に止める。三、四とそれを繰り返し、パイモンと斬り結ぶ。

 

『まさか、私の動きに完璧に……』

 

水随方円すいずいほうえん──

 

ダンタリオンの眼で動きを読み、その動きに被せるように自分の動きをあわせる。それを繰り返し続けて、常に先手を取り相手を上から押し潰す。玄人の剣士が予測や経験則でやることを、ダンタリオンの力で絶対の精度で行う私だけの剣技。

 

──合身舞刀あわせみぶとう!!』

 

パイモンが次を振るう前に、頭を狙って刀を振るう。並大抵の相手なら、このカウンターで確実に頭を斬り裂いてやれていたはずなのだが、さすがと言うしかない反射速度でパイモンは身体を反らして刀を躱す。しかし、初めてこの悪魔が、若干だが武器同士の打ち合いの中で顔を顰めた。

 

好機だとみて、体勢を立て直しきっていないパイモンの胴を目掛けて追撃を加える。今までのように回避することはなく、宣言の通り魔法を使用することもなく、パイモンは私の刀を自身の得物で受け、体勢を大きく崩しながら後方に弾き飛ばされた。

 

『サルジュ!!』

 

『任せときなさい!!』

 

よろめいたパイモンに、サルジュが駆け寄り渾身の斬り上げを叩きこむ。パイモンはなんとか両手の刀でそれを受けるが、さすがの怪力も不安定な体勢ではどうにもならないようで、パイモンの刀は二本とも砕け、そのままパイモンは空中に吹き飛ばされる。

 

着地までに追撃をと、私とサルジュはそろって走り出すが、先程見せたように空中で跳ねたりもできることを考えると難しいかと顔を顰めた瞬間に後ろから声が聞こえた。

 

『二人ともそのまま追って!!』

 

ベルフェールさんの声と同時に、巨大な蔓がパイモンを目掛けて伸びる。その蔓はそのまま私たちにとってパイモンへ一直線に駆け寄る為の道になった。

 

『"天上へ至る一粒ジャックスストーク"!』

 

『ホントに何でもありだなあの人の魔法!!』

 

驚愕を声に出しながら、私とサルジュはそのまま伸びた蔓を走り、空中で体勢を立て直せていないパイモンに追いつく。パイモンはさすがにこの追撃には魔法を使う判断をしたのか、空中でまるで地上にいるかのように虚空を掴み、自身の身体にブレーキをかけた。

 

それでも、パイモンはまだ武器を持っていない。向こうのポリシーがどこまでのものかはわからないが、私たちと斬り結ぶにあたってはこの状況でも恐らくパイモンは魔法を使わないはずだ。極力対等に、武器と武器でぶつかり合う戦闘を好み、それを望んでいる。その心には一切の嘘偽りがない。

 

『その気質、信用してるよチビ悪魔!!』

 

私が振るった刀をパイモンはギリギリで避ける。やはり、例の魔法を使って防御をしようというつもりは今のところはないらしい。あれを何の迷いもなく使われてしまえば私たちは言葉通りに手も足も出ないので、こっちとしては都合は良い。

 

私の連撃をパイモンは避け、往なしを繰り返してなんとか耐える。掠り傷は与えてはいるものの、悪魔に対してそんな小さな傷はなんの影響も及ぼさないし、当然ながら人間が死ぬほどの傷にも至らない。身体能力の高さに辟易しつつ、この機を逃すまいと畳みかける連撃の中で足を狙った攻撃でパイモンが上に跳ねた。

 

『クリジア、頭下げて!!』

 

『は?何って痛ぁ!?』

 

私の後ろを追っていたサルジュに言われるがまま頭を下げて屈んだ瞬間、背中に鈍い衝撃が走る。一瞬何が起きたのかわからなかったが、すぐにサルジュが私の背中を踏み台にしてジャンプした時の衝撃だと理解した。

 

『てめ……!念話あるんだから言えよ雪女ァ!!』

 

『あとでごめんって言うわよ!!』

 

文句を言いつつ、飛び上がったサルジュを見る。パイモンは空中にいて、魔法を考慮しなければ間違いなく自由には動けない状態だ。既に振り上げられた氷の大剣は、確実に目の前の悪魔を捉えている。加えてサルジュの馬鹿力ならば、間に合わせの防御手段では身を守ることもできないだろう。

 

パイモンが魔術鞘を開き、そこから顔を覗かせた鎚を握る。

 

『今更間に合わないでしょ!』

 

『否定。避けるには十分』

 

顔を覗かせた鎚が落下するのに引き摺られる形で、パイモンの身体がガクンと地面に向かって落ち始める。よほどの重量の武器なのか、その落下速度はかなりのもので、パイモンはそれに身を任せることで普通では考えられない動きをしてサルジュの一撃を避けた。

 

『ウソでしょ!?』

 

『何やってんだって言いたいけど、アレは私も想定外!追うよサルジュ!!』

 

自由落下していくパイモンを追って私たちは蔓から飛び下りようと下を見る。それなりの高さだが、サルジュの雪のクッションがあると思えば躊躇するような高さではない。そう思った直後、周囲の魔法使いたちがパイモンを狙い魔法を放った。

 

空中で、尚且つ戦闘中に身動きが取れないと見ての攻撃だろうが、あれを相手にその攻撃はまずい。そう思った直後、噴き出すような殺気を感じ反射的に叫ぶ。

 

『全員!!伏せろっ!!!』

 

パイモンが身体を捩じり、空中で大剣を一薙ぎする。

 

パイモンを目掛けて放たれた魔法は巨大な斬撃の前に掻き消え、斬撃はそのまま周囲を薙ぎ、触れたもの全てを斬り裂いた。私たちの乗っていた蔓も叩き斬られ、メキメキと音を立てながら倒れていく。

 

響く悲鳴を掻き消すように、パイモンの手放した鎚が地面を叩き割り、少し遅れて悪魔が砕けた地面に降り立つ。

 

『……今ので半分は殺したつもりだったけど、やるね』

 

戦場が悲鳴と混乱に包まれたが、そんな状況とは裏腹にほとんどの人間は目の前に突如出現した巨大な盾に守られて無事なようだ。パイモンはそんな人間たちの混乱も悲鳴も気に留めることなく、再び武器を構えて、この場で最も厄介且つ危険な魔法使いであるベルフェールさんに狙いを定める。

 

ベルフェールさんは近くにいた人を抱えて地面に伏せていたようで、まだ起き上がってもいない。というより、起き上がれていないらしい。目を凝らして見れば、ベルフェールさんは動けるかも怪しそうなほどに手が震えている。

 

『君のことは嫌いじゃないけど、一番面倒なのは君だった』

 

『ベルフェールさん!!』

 

パイモンが大剣を振りかぶる。









剣を振り下ろそうとした直前。突如、驚愕を顔に浮かべてパイモンが固まった。

 

それとほとんど同時に、私たちに生えていた黒い枝がボロボロと崩れる。

 

『……サロス?』

 

パイモンは自身の腕、というよりそこに生えていた黒い枝に問いかけるように呟く。その声に答える者はなく、この戦いが始まった直後に響いたあの青年の声が聞こえてくるといったこともない。

 

『……ん、そっか。それなら、仕方ない』

 

パイモンは見た目より動揺しているようで、この戦いの熱も高揚も今は全くと言っていいほど感じていないようだった。そうなっている理由はわからないが、こっちまで困惑して足を止めている場合でもない。

 

『今の内に叩き斬る……!』

 

斬り倒された蔓の上から飛び降り、パイモンの脳天を目掛けて刀を振り下ろす。パイモンは少し遅れて反応し、ギリギリのところで私の刀を弾いた。しかし、その心の中にはまだ困惑と混乱が残っている。

 

数発打ち合い、一瞬の隙を縫ってパイモンの鳩尾に脚をねじ込み蹴り飛ばす。それを追うように地面を氷が走り、パイモンの足を捉えた。

 

『……しまった』

 

そのまま一気に凍り付く、そう思った直後にパイモンが地面ごと氷を叩き割り、無理矢理に氷の拘束から脱する。サルジュの氷で追いつかないのなら、他の誰が何をやっても結果はほとんど変わらなかっただろうと、私はさっさと追撃に頭を切り替える。

 

『一発でいい、一発致命傷になるもの喰らわせれば私たちの勝ちだろ。何とかするしかないんだからやるしかない!』

 

パイモンの側面から私は駆け寄り斬りかかる。パイモンは正面の私を見て武器を構え、そのまま動かない。

 

『私たちの魔法でも勘付かれない保証ないかんねクリジア!誤魔化せてるのはあくまで認識くらいのやっすい幻覚なんだから!』

 

『普通はそれだけでどうにかなるはずなんだよあんな化物じゃなけりゃさあ!』

 

胴体を真っ二つにしてやるつもりで振るった刀を、直前まで反応できていなかったにも関わらずパイモンは無理矢理に跳んで避ける。前回とは違い、身体に刃が当たる前から動かれたが、どうやら風切り音だとか空気の流れだとか、そういうものからほとんど直感的に判断しているようだ。

 

そんな無茶苦茶な話があるかと文句の十や二十言いたくなるが、さすがに着地も気にせず転がるようにして避けているあたり余裕はないらしい。

 

『クリジア!そんまま走って!』

 

『はいはいカバーよろしく!!』

 

立ち上がり、おそらく自身の目にかかった魔法を打ち破ったパイモンが私を睨む。目が合えばダンタリオンの魔法は僅かでも機能する。一瞬お互いの視線が交わった後、背後からパイモンを包むように細かい雪が巻き上がる。

 

『この程度の目眩まし……』

 

パイモンが手を振るい、その動きで生まれた空気の流れが巨大化されたのか、粉雪の煙幕が一瞬で振り払われる。

 

『どこまでがこの程度のかな、チビ悪魔』

 

パイモンの視界に映るのは、複数の私。

 

もちろん私に分身する能力なんてないし、ダンタリオンも人間を増やしたりする魔法は持っていない。単純に私が何人もいるように幻覚を作って、それが雪煙の中から一斉に斬りかかっているように見せているだけのもの。たとえそんな雑な幻覚でも、一瞬の隙さえ生み出せれば刹那のうちに終わる命のやり取りには十分すぎる時間になる。

 

『乱歩調・空中楼閣』


パイモンの一振りで複数の私のうち一人が斬り裂かれたが、そこに実体はない。斬り殺された幻覚はダンタリオンが作ってくれているが、アレを騙しきるのは難しいだろう。


『ん、面倒。まとめて……』


パイモンが大剣を振り上げ、地面を砕くのを目的として振り下ろす。大剣を叩きつけられた地面はぐにゃりと撓んで大剣をそのまま飲み込んだ。


『何っ……!?』


『ちょっと、寝てたけど……!!大丈夫、大丈夫……やらせないよ悪魔ちゃん……!!』


『ちっ、厄介な魔法使い……!』


『ベルさんでいいよ、二度会うかはわからないけどね!』


そのまま撓んだ地面がパイモンを沈み込ませ呑み込もうとする。パイモンは即座に大剣を手放し、手を叩いて鳴らす。その小さな衝撃を魔法で拡大させ、そのまま流動する地面と私をまとめて弾き飛ばした。


『くそっ!あの魔法本当に全部対処できるじゃんか!手加減されてなかったらとっくに全滅だろ!!』


『文句言ってもしょうがないって!私たちの魔法通じるだけまだマシと思うしかないよ!』


弾き飛ばされ、文句を吐きながら少し距離を置いて体勢を立て直す。体力はいい加減に限界が近いし、纏衣もそろそろ維持し続けるのが厳しくなってきた。


周りを見れば、大半はそもそもパイモンに手出しができるような状態ではないし、サルジュも肩で息をしている。ただ、それよりもベルフェールさんの状態が危うい。


『……ベルフェールさん、一応聞くけど大丈夫?』


『大丈夫ではないかな……ベルさんの魔法、私の身体にはあってないらしくてさぁ……!』


ベルフェールさんはひゅうひゅうと不安な音を鳴らしながら浅い呼吸を繰り返し、手はガタガタと震えている上に鼻からドロドロと血が流れている。顔色も状態も誰がどう見ても限界の姿だが、なんとかといった様子でベルフェールさんは立っている。


『魔力消費も、脳にかかる負担も大きくてね……!情けないけどもうだいぶしんどい……』


『ベルさん本業作家なんだから十分すぎますって……!』


『まあ、あんなのがサピトゥリアにきたらほんとに家族も友達もめちゃくちゃになりそうだし必死にもなるさ……!』


『無理しないで少し下がっててください!クリジア!あんたは少しは無茶しても大丈夫なんだからいくわよ!!』


『お前に言われなくても常に無茶してんだよ悪魔戦なんて!!』


新たな武器を取り出したパイモンへ私とサルジュは同時に走り出す。サルジュが再度雪煙を撒き、パイモンの視界を覆い隠した。


『何度も同じことをするのは芸がない』


『同じかどうかは喰らってから決めなさいよ』


パイモンが雪煙を払うのと同時に、バキバキと音を立てながら空気が凍りついていく。異様な冷気に思わずサルジュを見れば、その手にした大剣に吹雪が集い、渦巻いている。


『"天牢雪獄"っ!!』


サルジュが剣を振るうと同時に、荒れ狂う吹雪がパイモンを呑み込む。吹き荒れる氷雪が天を衝き、周囲の全てを凍り付かせていく。サルジュの氷魔法が強力なことはわかっていたが、この規模と威力のものは見たことがない。


『こんな技持ってんのかよあいつ……』


『私たちは見たことあるよこれ!並大抵の相手なら出てこれないはずだけど……』


瞬間、轟音と共に吹雪の牢獄に風穴が空く。


氷も雪も風も、冷気すらも全て自分には向かないように操作していたのか、パイモンはあれだけの吹雪の中にいたにも関わらず衣類の一部すら凍っている様子は見えない。


『あたしの大技がこうも簡単に無傷だと本当に傷つくわねもう!!』


『アレがおかしいだけだから気にすんな!』


雪煙の中からパイモンに斬りかかる。まだこちらの位置には気がついてないようだが、そのまま斬らせてくれるならこの戦いはとっくに終わっている。


ひと足先に斬りかかった私を、四つの瞳が睨みつける。


『動きは良い。でも、まだ届かない』


『どうかな!ダンタリオン、よろしく!!』


得物を両手で振りかぶり、そこに冷気を纏わせる。私が握るのは氷の大剣、氷魔法の増幅装置の役割も果たすらしいサルジュの剣。


ダンタリオンが私の振りかぶったその剣に、魔法を合わせる。


『"氷刃の飛鎌リュスタル・コルタール"!!』


冷気の刃が飛び、完全に予想外だったのかパイモンはそれを避けきれずに無理矢理に手にしていた武器で受ける。


武器を握っていた腕が凍りつき、怯んだ隙にサルジュが私の刀を持って駆け寄り、胴を真っ二つにしてやる気で刀を振るう。


その刃が、パイモンの片腕を斬り飛ばした。


『くそっ……』


パイモンがその場から大きく飛び退き、腕の形を直していく。悪魔だから当たり前なのだが、今はあの再生能力が心底恨めしい。人間なら少なくともアレで片腕は二度と使えなくなっていたはずだ。


『今ので、片腕だけ……!』


『相手が人間ならなぁ……雪女、これ返す』


サルジュに氷の大剣を返し、貸していた刀を受け取る。私は魔力も少ないし、力もこの雪女ほどあるわけではないので、やはりこういう軽くて小回りの効く武器の方が性に合う。


『凄い物なのはわかったけど重いし冷たいし二度と使わねえわそんなもん』


『二度と貸さないわよ!!あんたのも軽いし細いし碌でもないわね!!』


直り切った腕をパイモンは軽く動かしてから、私たちを見る。


『……腕、やられた』


『直ってんだろ、いいよね便利でさ』


『いいや、もう使わない』


パイモンはそう言うと、斬り飛ばされた右腕をダラリと脱力させる。こいつが相手でなければ明らかに信用する意味すらない言動だが、こいつは本気でそのつもりらしい。


パイモンが剣を取り出し、左手に握る。


『さあ、闘ろう。もう少しで私の敗北へ君たちの手が届く』


私たちへ斬りかかってくる、そう思った瞬間にパイモンの真横の地面から溶岩が噴き上がり、その灼熱の中から新たに人影が現れた。


『……アガレス。どうしたの』


『新手……?嘘だろおい……』


現れたのは大柄な男の形をした悪魔。聞いていた情報と照らし合わせるのなら、もう一本現れていたはずの十柱。第二柱の悪魔だろう。


『……俺とサロスは負けた。お前はどうする、チビ』


『そっか。私はまだ。けど、アガレスはどうするの』


『どうなるかはわからねえが、約束を果たす。現世に期待する……サロスと同じだな』


『そう。じゃあ、まずは信じるところから始めるべき』


アガレスと呼ばれた悪魔といくらか言葉を交わした後、パイモンは再び私たちを見る。


『私たちに打ち勝ち、運命とやらに喧嘩を売れる現世を、しっかりとそこで見てると良い』











パイモンが私とサルジュへと一気に距離を詰め、パイモンの一撃をサルジュがなんとか受け止める。


アガレスと呼ばれた方はどうやら何かをするつもりはないようで、後ろで観戦者として立っているだけらしい。私としてはこいつらが一体何を目的にしているのかわからなくて不気味だが、悪魔が追加で襲ってこないのは唯一の救いと言えるだろう。


『さあ、君たちも天災わたしに打ち勝って見せて』


『勝手なことばっか言ってるんじゃ……ないわよ!!』


サルジュがパイモンを弾き飛ばし、浮いた身体に追撃を仕掛けるように水でできた触手のようなものがパイモンを捉えようと伸びる。それを剣で軽く打ち払い、着地したところに私が肉薄する。


目が合った。僅かな時間ではあるが、十分だ。


鍔迫り合いから脱し、距離をとってから雷の刃を飛ばす。その雷の刃と共に複数人の私が一斉に斬りかかる。


『"乱歩調・空中楼閣"っ!』

 

見えているものと実際の動きが全く違うことはパイモンも理解している。それ故に、闇雲に武器を振るうこともせず、パイモンはその場に構えた。

 

一つ、二つと幻覚の刃がパイモンを斬り裂くが、パイモンはそのまま本物の一撃を待ち続ける。

 

『よくもまあそんな度胸に溢れた待ち方できるなほんと!』

 

正面からまた一人、私が斬りかかる。

 

パイモンはその私を実態のある攻撃だと見做したようで、反撃のために武器を振るう。

 

異常な勘の鋭さなのか、研ぎ澄まされた感覚の成せる技なのかはわからないが、この私の一撃が実態を伴うものだというのは正しい。ここまで力技でダンタリオンの魔法が突破されたのは私もダンタリオン自身も見たことがない。

 

『ほんと、とんでもない奴だな……』







 

『ぱんっ』と、乾いた音が響く。

 

まるで夢から覚めろと言うように唐突に、軽快に。

 

パイモンが驚愕し眼を見開く。直前まで華奢で二本の爪楊枝を必死に振り回している奴だと信じ切っていたものが、氷の大剣を構えた怪力女に目の前で入れ替わればさすがの無表情の鉄仮面も動くらしい。

 

『別に斬りかかるのが私だなんて言ってないからね。ざまあみろ』

 

サルジュの最初の渾身の一撃はパイモンですら膝をついて、両手で受けることでなんとか耐えていた。今、パイモンは片手で、私を想定して大剣を振るっている。あの程度ならばサルジュにとって大した壁にはならない。

 

『これで……倒れろォ!!』

 

サルジュの一撃は、鋼も、悪魔も、自らの進む道にあるもの全てを叩き斬った。

 

パイモンは咄嗟に退いたようだが、躱しきることは当然できずに斬撃を貰っている。即死の傷かは微妙だが、人間なら武器を振るい続けることは殆ど不可能な傷を負ったはずだ。

 

『っ……!』

 

パイモンは飛び退き、直り始めている自身の傷を見る。肩口から大きく斜めに入った傷は、即死ではないにしろ人間ならばあと数回武器を振るえばほぼ間違いなく絶命するものだ。パイモン自身もそれは理解しているようで、天を仰いで息を吐きながら、魔術鞘から武器をまた一つ取り出す。

 

黒い、何らかの魔法式が刻まれていると思しき杭のような武器。

 

『……あれ、封縛柱?』

 

ワノクニで見た、悪魔に対して使用する封印具。パイモンがそれに酷似したものを取り出したと思った次の瞬間、パイモンは自分自身の傷を目掛けてその武具を突き刺した。

 

『はあっ!?なにやってんだあいつ!?』

 

『……これで、この傷は修復しない。放置されれば、死ぬ傷と推測』

 

戦闘狂故の矜持というやつだろうか。必死に生き残ろうとしている私たちからしたら異様なことこの上ない精神性と行動だが、悪意のなさと妙なまでの誠実さはここまでくると少し清々しさすら感じる。

 

パイモンはまた新たな武器を取り出しながら言葉を続ける。

 

『だけど、私はまだ生きている』

 

取り出された武器は、巨大な槍。武骨だがどこか繊細さも感じさせるその槍を、パイモンは片手で握りしめる。

 

先程までの戦闘を楽しんでいた悪魔が放っていた者とは違う、異常なまでの重圧と威圧感に、周囲の人間全員が動けないままにパイモンを見ている。

 

『君たちは戦士に打ち勝った。さあ、次は天災に打ち勝つ番』

 

パイモンが槍を振りかぶる。

 

その先に見据えているのは、私たちでも、ベルフェールさんでもない。

 

『その槍を投げさせるなぁ!!!』

 

私は身体の硬直を解こうと叫び、限界が近い身体を無理矢理突き動かしてパイモンへと駆け始める。何でもいい、止めなければ、あの槍は放たれたら二度と止まらない。

 

力の操作の魔法。それにこんな使い方があるのかと絶句しそうになる発想。最高速の瞬間を固定し、その勢いのまま永遠に進み続ける破滅の槍。パイモンが放とうとしているのはそんな絶望をそのまま武器にしたような最悪の一撃だ。

 

『さあ、私たちの願いに応えてみせて』

 

風を貫く音が響く。

 

巨大な槍が投げられた衝撃で、一瞬身体が浮いたと思った瞬間には自分の後方に唸り声をあげながら絶望が駆けて行った。

 

『あ、あぁ……!!』

 

サピトゥリアにはまだたくさんの人がいる。ミダスさんたちもいる。あの槍はその全てを貫いて、何も後には残さないだろう。この場の人間が生き残ったとして、これと同じレベルの悪魔がまだ存在する。そんなものが世界を本気で滅ぼしにかかってきたら到底抗うことなど不可能だ。


もっとも、私は大切な人が吹き飛んでしまった世界でこんな悪魔と戦おうだなんて思い立つこともできないだろうが。

 

『クリジアちゃん!!あの悪魔に封印具捻じ込んで!!頼んだよ!!』

 

絶望で足を止めかけた私を突き動かすように、ベルフェールさんが声をあげる。

 

それと同時に、無数の壁が槍の前に現れた。

 

『家族も友達もいるんだから!私の大切な場所を、人を、やらせてたまるかぁああ!!!』

 

ベルフェールさんは頭から血を噴き出し、目や鼻からも流血していて明らかに限界をとっくに通り越したような状態だった。それでも、次々と壁が生まれ、槍に砕かれては壁ができを繰り返して進み続ける槍を徐々にだが砕き削っている。

 

私は止まりかけた足に再び力を込め、パイモンへと一気に駆けながら持たされた封印具を構える。

 

『願いだか何だか知らないけど……!!』

 

後ろで破壊音が響き続ける。間に合うのかどうかもわからない。それでも走るしかない。

 

私が止めなければ、今は私しか私の大切なものを守れない。

 

せめて、せめて私のヒーローくらいは私でいたい。

 

『勝手なこと言ってんなよ、クソ悪魔!!』

 

ほとんどがむしゃらに、相手の動きなんて考える余裕もないまま飛び掛かって封印具をパイモンに捻じ込む。パイモンも自分に突き刺した封縛柱の影響もあってか、はたまた躱すつもりがなかったのかはわからないが、特に抵抗を見せることなく封印具による一撃を受けた。

 

『はぁ、はぁ……!!サピトゥリアは!?』

 

倒れたパイモンを見るよりも先に振り返り、守りたかったものを見る。

 

聳えていたのは高い、城門のような壁。そこに巨大な槍が突き刺さり、静止していた。ベルフェールさんの創り出した無数の壁が、パイモンの放った破滅の槍を完全に抑え込んでくれている。

 

『……いいね。信じて走った君も、守った魔法使いも。そして、抗い続けた君たちも』

 

一瞬の静寂の後、壁に大きな亀裂が走ったかと思った瞬間に音を立てて崩れる。サピトゥリアに槍が到達する寸前だったことを確認して、私はその場に安堵で崩れ落ちるように座りこんだ。

 

その目の前でパイモンは立ち上がり、身体に刺さった封印具を抜き取り始める。

 

『まだ、動けるのかよ……』

 

『無論。けど心配ない。この闘いは私の負けで、君たちの勝ち』

 

ぱんぱんと服についた土埃を払うと、パイモンは私の後ろを指さして口を開く。

 

『私のことよりも、まずはあの魔法使いの手当てを急ぐことを推奨する』

 

パイモンの言葉にハッとして、私はベルフェールさんを見る。ベルフェールさんは地面に倒れ伏し、頭からドクドクと血を流してピクリとも動いていない。

 

既にサルジュが駆け寄って様子を見てくれているようだが、どう見ても状況は芳しくないし、血の気が一気に引いて、身近な誰かが死ぬという恐怖感が沸き上がってくる。不安と恐怖に動かされて、私は限界に近い身体を引き摺るようにしてベルフェールさんへと駆け寄る。

 

『ベルフェールさんっ!!』

 

『く、クリジア、どうしよ……!息も浅い、手も、身体も冷たい……!!』

 

『どうもこうも……!医療系の魔法使える奴!一人くらいいるでしょ!?応急処置でもいいから早く!!』

 

戦闘が止み、生き残った人間が徐々に、この冗談のような戦いの光景から現実に戻ってきて、慌ただしく負傷者の手当の為などに動き始める。


何人かはパイモンとアガレスに向かおうとしたが、二本の悪魔に軽くあしらわれてしまっている。それでもあの二本が相手を殺そうとしていないあたり、これ以上戦う気がないのは本当のようだ。

 

『近いうち、本当の最後がやってくる。その時にまた会おう』


二本の悪魔は悠々と、私たちに背を向けてその場を後にする。


圧倒的な力の差を突きつけられるような光景だが、今はそんなことにも、パイモンの残した意味深な言葉にもかまっている余裕はない。


私の仲間たちは全員無事で済んでいるのかとか、ベルフェールさんは生きてられるのかどうかとか、目先の心配で精一杯な私の頬を、ひどく冷たくなってしまっている手が撫でる。


『あり、がとう……。おかげ、で、守れたよ……』


今すぐにでも消えてしまいそうな声で、ベルフェールさんが私に言う。


『言ってる場合か!!今くらい自分のことだけ考えてろよお人好し!!』


『はは、は……かっこ、よかった。絵本の、ヒーローみたい、だねぇ……』


ベルフェールさんはそう言うと同時に意識を再び手放し、脱力する。本当に死んでしまったようで、我ながららしくない気もしたが、とにかく目の前の人の死が怖くなった。


程なくして魔術医たちにベルフェールさんは運ばれて行ったが、祈るしかできない自分がなんだか情けなくて、無力感と不安で涙が溢れたことに気がついて慌てて拭った。


『大丈夫よ、頑張ったんだから。あたし達』


どうしていいかわからないまま、立ち竦んでいる私の肩をサルジュが軽く叩く。


『……どんな根拠だよ、それ』


『今回は守れた。大丈夫。絶対大丈夫なんだから、そう信じてあげないと。ヒーローなんでしょ、あんた』


そんなこと言ってもと私が口を開く前に、それを遮るようにしてもう片方の肩にも手が置かれる。


『そうだよクリジア。どんと構えておかないと、手に掴んだもの落としちゃうよ』


ダンタリオンが私に笑いかける。いつものように小馬鹿にした笑みではなく、柔らかくて温かい微笑み。


『お前が信じられないって言うなら私たちが信じてあげるからさ。ほら、友達の言うことなら少しは信じるでしょ?』


ダンタリオンはそう言うと、にやにやとしたいつものような人を小馬鹿にした笑みに戻る。反対側を見れば、サルジュも同じような顔で私の顔を覗き込んでいて、気恥ずかしさが一気に込み上げてきた。


そして悔しいことに、これに安心している自分もいる。


『あーもういいよ!私ベルフェールさんの治療付いてくから引っ付くな!!』


『あたしも行くわよ。ていうかあんたろくに身体動かないでしょ。肩貸してあげる』


『お前も同じだろうが雪女。貸してるのどっちだよ』


『ボロボロのヒーロー共だなぁ』


ダンタリオンがふらふらと歩く私たちを見てケタケタと笑う。


『背負って運んでくれてもいいのよダンタリオンちゃん』


『重いから嫌だね〜。特にサルジュは重そうだし』


『んなっ……!特にって何よ特にって!!』


『耳元で叫ぶんなら肩組むのやめてくんない!?』


ギャイギャイと、聞き慣れたような喧嘩が始まる。


サピトゥリアの街を、世界を守ったのは私というわけではない。だけど、今回は少しだけ自分に胸を張っても良い。そんな気持ちに、お人好しな奴らがしてくれた。


まあ、これを今周りにいる喧しい奴らには絶対に素直に言ってやるつもりはないが。


お人好しの最たる人に、まだ礼を言えてないから言わせてくれと願いながら、私たちは必死で守り抜いた街へと足を急がせた。

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