48話 今この瞬間を
『今回お前に細かいことは何も言わねえ』
傭兵ギルド除け者の巣頭領であり、ウチの飼い主のミダスの書斎。そこに用意された応接用のソファーに寝転ぶうちに向けて、ミダスは書類を眺めながらそう言った。
『おぉ?いーんですかぁ?ウチはてっきり厳重な注意事項を山ほど言われるもんだと思ってたんですけど』
『お望みならそうしてもいいぞ』
『嫌で~す。ありがたく自由を頂戴しますよぅ。待ったなしってやつでごぜーます。ね、リーダー?』
ミダスは『最初から素直に礼だけ言っとけ』と呆れた様子で呟き、ウチはその様子を見てケタケタと笑う。そこから少しの間沈黙が続いて、何とも言えない空気になってきたあたりで再びミダスが口を開いた。
『お前、思ってたよりまともだよな』
『あれ、バカにしてますぅ?』
『少し』
『ひでぇ~』
ぶつくさと文句を吐くウチを気にすることもなく、ミダスは手にしていた書類を軽くまとめて片付けると、ウチに目を合わせる。
『もっと手に負えない獣だと思ってたんでな』
『たはは~!思ったより可愛かったですか?』
『暴れまわる猛獣かと思ったら餌がありゃ一応言うことは聞く猛獣だったくらいのもんだ。図に乗んな』
ミダスはそう言いながら笑い、ウチはそれを聞いて『手厳しい~』なんて返しながらまたケタケタと笑う。
実際、ウチは殺人鬼と言われればそうだし、狂人だとか言われてもその通りですと納得するが、手当たり次第に人殺しをしてきたわけではない。そりゃあ戦うのは好きだ。殺し合いこそが至高の娯楽で、他のことは退屈しのぎとか暇つぶしとか、そんな風に考えてはいるけれど、それを除けばウチはいたってまともな人間というやつなのだ。
『居心地良けりゃあ獣でもそこに居続けたいと思ったりはするもんですよ。あんたはウチの望む餌をくれるし、ウチはあんたが望む芸をする。ま、餌以外でも此処は監獄より相当良いハウスですからねえ』
『だが首輪はつけたまんまだろ。俺ならそれが息苦しく感じるだろーよ』
『そこはほらぁ、ウチはイかれたケダモノですから。変に人間扱いしちゃ噛みつかれちまいますよぉ?』
人を襲う猛獣を檻から出して展示する見世物小屋はない。
ウチの性格、というよりはもはや性質なのかもしれないが、これはもうどうしようもない。自分でもそれは理解している。殺し合いが好きだ。楽しいことが好きだ。そしてそれを堪え続けることが心底苦手だ。だからこそ戦争を、戦場を、狩場を、血の匂いに満ちた遊び場を転々として生きてきた。
そんな獣を縛っておくのは当たり前のことだし、ウチはウチで耐えられなくなったら、
『平和な日常ならそうだな。だが今回は規模もワケも違う。俺もお前の手綱握ってる余裕がねえ。だからまぁ、好きにやれ』
『まぁたそんなこと言ってぇ。ウチを好きにしたら敵も味方も喰っちまうかもですよん』
『はっ、そん時はお前を──
『さあ!ウチと楽しく遊びましょう!!』
自分の得物である大鎌を振り上げ、目の前の悪魔に飛び掛かる。加減など考えず、全力で振るった刃を悪魔は避けることなく正面からその腕で受け止めた。
悪魔の腕にはところどころに赤い熱を帯びたヒビが入っており、その腕に溶岩を鎧のように纏わせたらしいことがわかる。広範囲高威力の地魔法を扱うとは聞いていたが、この悪魔の持つ固有の魔法はこの惨状と今の溶岩の鎧から見るに、溶岩の噴出や地割れなどを引き起こし操る魔法なのだろう。
『ははぁ、しっかり受け止めてくれるあたり魔法頼りの貧弱野郎ってわけじゃねーようで』
『テメェも並大抵の人間じゃあないらしいな、龍狩』
『あっは!人間扱いはしてくれるたぁお優しいじゃねーですか!!』
大鎌を振り払い、お互いに距離をとる。ついでに腕を斬り落としてやるつもりだったのだが、想像以上に丈夫な鎧らしく、表面に切れ込みが入った程度で済まされてしまった。
元より大型の魔物を獲物に狩りをする民族のウチら龍狩にとって、体格差はさほど問題にはならない。ただ、この規模と威力の魔法を有しているというのは単純に厄介だ。いくら龍狩の身体が丈夫だとは言っても、溶岩の中を泳ぐような真似は当然ながらできないし、真っ赤に赤熱した岩やら何やらを素手で受け止めれば火傷だってする。
『さてさてどうしたもんでごぜーましょ』
『邪魔せずに死んでくれると助かるんだがな』
悪魔がこちらに手を向け、その動きに合わせて赤の塊が数発放たれる。見た目は近いが先程の岩石弾ではなく、おそらく溶岩をその形にまとめただけの塊。特別製のウチの武器が一発でダメになることはないだろうが、事実上これは防御不可の攻撃というわけだ。
ウチは悪魔への距離を詰めるために前へと駆けながら、溶岩弾を避ける。やはりと言うべきか、地面に着弾した攻撃はその場に質量のある塊を残すことはなく、赤くどろどろとした液体をぶちまけて消えていく。
『つれませんねぇ、かわいー女からのお誘いだってのに!』
横薙ぎに大鎌を振るい、悪魔を上下にぶった切るつもりで振り抜く。悪魔はその巨躯からは想像もできないような俊敏さで大鎌を跳ねて躱した。
だが、地面から離れた。
悪魔の中にはあのアモンだったかのように宙に浮ける奴もいるが、わざわざ足場の悪いこの状況の中で地に足を付けたままということは、こいつには少なくとも浮遊能力はない。予想でしかないが、ウチが浮遊できるならこんな地面には立っていない。その感覚を信じ、好機と見る。
振り抜いた大鎌の遠心力に身体を預け、勢いのままに一回転してもう一度悪魔を狙い刃を走らせる。悪魔は先程腕に纏わせたものと同じ溶岩の鎧を盾のようにして刃を受け止めるが、空中で踏ん張りが効くはずもなく、ウチの一撃はそこまで生易しいものでもない。溶岩の盾を裂き、悪魔の脇腹へ大鎌の切先が突き刺さる。
『ぐっ……!』
斬り裂けはしていない。おそらく真っ二つにならないように突き刺さった切先と身体の間に溶岩の盾を作りでもしたのだろう。やはり相当に戦闘慣れはしているらしい。その事実に嬉しくなり、口角が吊り上がる。
『はっはぁ!!ぶった切れやがれってんですよ!!』
切先に悪魔を突き刺したままの大鎌を振るい、地面に切先を突き立てるつもりで振り下ろす。当然、地面と切先の間には悪魔がいるわけだが、悪魔はこの程度で死ぬわけでもないし、ダメージは与えられるだけ与えてしまった方が良い。このまま地面に叩きつけて真っ二つにする。そのつもりだった。
ウチの足元がひび割れ、そこから熱が噴き出す。大鎌を手放し、ほとんど反射で飛び退く。呑み込まれれば足が溶けて消え失せていただろう。想像しただけで身体が冷えるような恐怖感に心臓が早鐘を打つ。
『狂人の類か……自殺志願なら今じゃなくても死ねる。邪魔すんな』
脇腹に突き刺さった大鎌を引き抜き、悪魔はやれやれとでも言いたげな様子で溜息を一つ吐く。
どうやらウチそのものにはあまり興味はなく、鬱陶しい羽虫か何かの類だと思われているらしい。現状眼中にないというのが少々癪だが、こんな絶好の遊び相手を諦めて、見す見すフラれましたとあっては毎晩涙で枕を濡らす羽目になってしまう。
『相変わらず人間扱いしてくれて嬉しくなっちゃいますねえ。ウチもおじさんが想像以上に強い奴っぽくてウキウキですよ』
『戦闘狂ってやつか。俺よりもチビの方が気が合いそうだがな』
悪魔はそうぼやきながら、スッと静かに構えをとる。これは武術とか呼ばれるものの類の構えだろう。ウチら龍狩にも種族全体に受け継がれている武術というやつがある。お仲間のソニムがかなりその武術に精通しているようで、最近も何度かあの独特の構えを見たことがあった。構えの形こそ違えど、独特の構え方はその類のものだと予測する分には困らない。
悪魔が何故、対人戦闘に重きを置いた武術なんかを知っているのかは甚だ疑問だが、殺し合いができるのならば今はそんなことどうでも良い。
『どうせ今の人間は全員死ぬが、邪魔しようって言うなら先に殺してやる』
自分の腹から抜き取ったウチの大鎌を、悪魔は大きく振りかぶってからこちらに投げつける。常人には振り回すことも困難な重さのはずだが、そんなことはお構いなしのようで、空気を斬り裂きながら、唸り声をあげて飼い主であるウチを目掛けて大鎌は飛んでくる。
こう言うとロマンチストな気もするが、あの大鎌は長く一緒に居て、あまりにも夥しい量の血肉を啜ってきた友人だ。その分あいつの性格というか、性質もよく理解している。あいつは獲物を喰えれば何でもいいし、その獲物が誰であろうとどうでもいい。ペットは飼い主に似るとはよく言ったものだと笑いがこみあげてくる。
『長年やってきた相棒ににべもないたぁ冷たい奴ですねっ!!』
返事を返すわけもない無機物に文句を吐きながら、風を切って回転し宙を駆ける大鎌の持ち手を掴む。身体がその勢いに持っていかれて浮き上がると同時に、その勢いを乗せて地面に向かって大鎌を振り下ろす。大地を砕き、深々と突き刺さった刃を地面から抜き取り、まるで最初からここに居ましたとでも言いたげにしている大鎌を呆れながら眺めて溜息を吐いた。
『ったく。ちゃんと収まるとこに収まっといてくだせーよじゃじゃ馬姫め』
視線を悪魔へ戻すと、既に目の前まで迫ってきている。巨木かと見紛うような拳がウチを叩き壊さんと振るわれる。
まともに喰らえば脳が揺れて動けなくなるであろう一撃を、身体の表面を滑らせるようにして受け流し、そのまま悪魔の顔面を狙って蹴りを振るうが、狙いを捉えることはなく避けられてしまった。
『随分慣れてるもんだ』
『そりゃ大好きですからね、殺し合い』
『そうかい』
互いに少し距離を取る。ウチは大鎌を構え、悪魔は地面を軽く踏み抜く。その動きに連動するように溶岩が噴き上がり、悪魔の手の中で形を作り上げていく。数秒もしないうちに赤熱した溶岩は黒く固まり、建造物の柱か何かのようなサイズの六角柱に変化した。
ところどころひび割れた個所から深紅の熱が漏れ出ているのを見るに、自然の溶岩がただ固まっただけのものではないらしい。悪魔はその巨大な溶岩柱を細枝か何かのように軽々と振り回し、構える。
『見かけによらず器用じゃねーですか』
『享楽程度に邪魔されんのは純粋に気分が悪ぃ』
悪魔が一歩踏み込み、溶岩柱が豪速で振り下ろされる。ウチの身体を掠め、地面を叩き割った一撃の威力に、直撃していたら一発でミンチになっていたなと引き攣った笑みがこぼれる。
反撃を喰らわせてやろうと大鎌を振りかぶる。その瞬間、ほとんど直感のようなものだったが、死の気配に身を翻す。
『如意煉柱』
溶岩柱の一部が砕け、流動する溶岩へ変化する。地面を叩き割るほどの強度を持った先端部分はそのままに、ウチを目掛けて溶岩柱が伸びた。
『うぉわっと!?』
溶岩柱の先端を大鎌で弾き飛ばすが、まるで生き物のように再びウチを目掛けて伸びてくる。この溶岩柱は流動する溶岩が繋ぎになっているが故に、伸縮自在な上にこの悪魔の意思で操作できる武器となっているらしい。
自在に動き回り迫り来る柱の攻撃を避け、弾き、往なすを繰り返すが、徐々に自分の周りを赤熱した溶岩が囲っていく。この溶岩柱は伸び続け動き回り、その間一度も千切れていないので当然なのだが、このままだと溶岩に包まれて蒸発させられるのが結末になってしまう。
『ははぁ!滅茶苦茶なことしますねぇ!!』
しつこく迫る溶岩柱を一際強く弾き、大鎌を地面に突き立てそのまま棒高跳びのような要領で上に跳ぶ。逃げ出せたと安堵したのも束の間、跳び上がったその先で悪魔と目が合った。
悪魔は獲物を仕留めんとする眼光と共に、溶岩柱を振りかぶっている。
『失せろ。龍狩』
衝撃。視界が飛ぶように動き、再び身体に衝撃が走る。
一つ目の衝撃は当然溶岩柱で殴られたものだ。二度目は、おそらく壁か地面に派手に叩きつけられたのだろう。咄嗟に勢いを殺そうと柱に打撃をぶつけてなおこの威力とは、膂力だけで言えばあのアモンよりも上かもしれない。
四肢の動きの具合を確認し、いくらかの痺れはあるものの捥げているわけでもなければ骨がへし折れてもない様子に満足して起き上がる。多少の流血はあるが、こんなものはこの場では化粧にも等しい。気にするだけ無駄だろう。
『ふふっ、ふはははは!!痛え!!』
死ぬかもしれない、殺されるかもしれない、狩られる側かもしれない。そんな高揚感が痛みと流血と共に沸き上がり、堪らずに天を仰いで笑う。やはり、ウチは殺し合いが好きだ。こんなにも楽しいことは他にない。
求めていたものが今ここにある。自分を縛る首輪も今は実質存在しない。
『好きにしていい、好きにしていいんですもんねぇ!!じゃあとことんまで楽しませてもらいますよ飼い主様よぉ!!』
地面を蹴り、悪魔へと向かって駆ける。
『大人しく死んでりゃ楽なもんを……』
『こんな楽しそうなもの前に死ぬわきゃねーでしょっ!!』
悪魔が溶岩柱振り下ろすが、ウチはそれを大鎌で弾き飛ばす。先程まで正面から受けるような真似をウチがしなかったからか、悪魔は微かに驚愕の表情を浮かべる。
『あっは!んなビビりなさんな、力比べに負けたくらいで!!』
無防備になった悪魔の胴体を目掛けて大鎌を振り抜く。大抵の相手なら真っ二つにしてやることができただろうが、悪魔はギリギリのところで身を逸らして刃を躱して見せた。
これだけの魔法を持っていてこれほど肉弾戦もできるのかと感心しつつ、大鎌の遠心力を乗せた蹴りを喰らわせる。さすがに大鎌を避けた体勢から蹴りまでは躱せなかったようで、悪魔はウチの蹴りをもろに受けて吹き飛ぶ。そのまま悪魔を追い、脳天を目掛けて大鎌を振り下ろしたが、悪魔は崩れた体勢のままなんとか後ろに引き、大鎌の直撃を免れた。
『旧時代の遺物が……』
『まぁだ油断すんじゃねーですよ!!』
叩きつけた大鎌を軸に飛び上がり、大鎌を地面から引き抜いてそのまま振り抜く。空中で一回転する形で悪魔の背面に刃を滑らせるが、さすがと言うべきかこれも避ける。強敵も強敵であることが確信に変わり、溢れる高揚のままに眼下の悪魔を見据えて笑う。
『ウチのことちゃんと見てくれねーと、遠く見てる間に死んじまいますよ!悪魔ァ!!』
大鎌が形を変え、刃が持ち手に対して垂直に変化し、大鎌から大剣のような形になる。
この親友の仕組みだとか、どういう製造方法で作られただとか、難しい話をウチは知らない。ただ、こいつは生きた武器と呼ばれており、本当に微量な魔力の流れで大鎌と大剣の二つの形状を取ることができる。生きているのは持ち手の部分で、刃は純粋に強固で切れ味抜群の刃物なので、厳密にはこいつは大鎌でも大剣でもないのだが、今の持ち主であるウチとこれを作ったどこぞの名匠にとってこいつは大鎌で大剣だ。
溶岩柱と大剣がぶつかり合い、一瞬の硬直の後に溶岩柱に亀裂が入る。
赤黒の破片を散らし、刃が悪魔へと迫る。悪魔は大剣の腹に掌底を喰らわせて軌道を逸らし、ウチの一撃は悪魔の薄皮を切り裂き、地面を叩き割るだけで終わってしまった。
『伊達に戦闘狂やってるわけじゃねえようだな』
『そちらさんこそ、ファッションで武術なんてかじってるわけじゃなさそーですね』
『随分気味の悪ぃ武器だが、龍狩ってのはそんなもんまで作るようになったのか?』
『お?なんですかなんですかぁ?まともに話してくれたの初めてじゃねーです?』
悪魔はウチの茶化しには一切反応を見せずに『龍狩が魔具を使うとはな』と言葉を続ける。
『っちぇ、ウチより相方の方に興味津々ですか。妬けちゃいますねえ』
『お前らは魔法を捨てたもんだと思っていたが』
『うん年前の歴史の話なんざウチぁ知りませんよ?こいつも拾い物ですし』
生まれた場所を捨て、彷徨い歩いていた中で見つけた武器。どこで誰がどうやって作ったかなんて話は一切知らない。
だけど、こいつがどういう奴なのかはよく知っている。あらゆる命の生き血を啜り、死してなお血肉を貪る執念を宿した生きた武器。ウチと同じ、殺し合いの中でしか自分で在り続けることができない修羅。なんて気の合う狂刃なのだろうと、出会った日のことを今でも鮮明に思い出す。
『悪魔にゃ返り血がないのが残念ですけど、ウチらと楽しく殺し合いましょう♡』
狂った獣にはお誂え向きの、哀しい相棒だ。
『お前ら今の人間に恨みがあるわけじゃねえ。だが、邪魔されるのは気分が悪い』
『ははぁ、先の話ですか?ご崇高な皆様は過去だ未来だ大変そうで馬鹿馬鹿しいことこの上ねえですねえ』
ウチの周囲から溶岩が噴き上がり、赤熱した瓦礫が溶岩に押されるようにしてウチへと向かってくる。ウチは得物を大剣から大鎌へと戻し、バトンのように振り回して瓦礫を全て叩き落とす。
そのまま悪魔へ飛びかかり、溶岩柱と大鎌がぶつかり合う音が重く響く。
『矜持も背負うものもねえ獣か……噛み付く相手くらいは選ぶことだ』
『ウチぁ今さえ楽しけりゃ他はなんでも良いですよ!!矜持だなんだでウチが殺せるんなら殺してみな、悪魔ァ!!』
第九柱・パイモンの襲撃。私たちは圧倒的な戦闘能力を見せるパイモン相手にほとんど何もできないまま、ズルズルと戦線を押し上げられていた。
最前線に構えていた面々はほぼ崩壊したといっても過言ではない。私とサルジュも辛うじて生きているだけで、何か一歩でも踏み間違えてしまえば命を落とす羽目になる。そんな状況がずっと続いていた。
『くっそ……!滅茶苦茶な強さしやがって!十柱め!!』
『しかも魔法は未だに魔術鞘以外使ってないときたよ!クリジアこいつどうすんの!?』
『どうするかはわかんないけど、どうにかしないと死ぬんだよダンタリオン!!』
パイモンが踏み込み、長刀を振りかざす。ワノクニの太刀だとかそんな呼ばれ方をする、私の得物と同じ刀の類。パイモンの馬鹿力を真正面から受ければ、私は何の抵抗も与えないまま真っ二つにされることが容易に想像できるので、長刀を受け流すように刃の上を滑らせ、鍔迫り合いへ持っていく。
『ん、特別戦えるのは君とそっちの氷の人間らしい』
『はっ!お褒めに預かりどうも!』
『称賛は肯定する。けど、まだ足りない』
互いの得物を弾き合い、お互いに後方へ軽く飛ぶ。体勢を崩したところにサルジュが追撃を仕掛けるが、サルジュの大剣はひらりと躱されて宙を切る。
最初のやり取りでわかってはいたことだが、パイモンは純粋に武器の扱いや対人戦闘の技術に秀でている。異様な身体能力はあれど、これだけの戦闘の中でまだ一撃たりともまともに攻撃を受けていないのがその証明だろう。
『悪魔のくせしてなんでそんなに慎重なのよ!あんたら怪我しても直るんでしょ!』
『肯定。ただ、この性質はあまり面白くない。君たち人間は治らない』
『その通り!あたし達は悪魔のそれ羨ましいって思ってるわよ!』
サルジュの追撃を往なしつつ、パイモンは言葉を続ける。
『悪魔の形が直るのは意思とは関係ない性質。私はこれについては不服。やり取りに緊張感がない。できることなら、君たちと同じ条件で闘りたい』
パイモンが長刀の重い一振りをサルジュに叩き込み、サルジュの大剣が砕ける。その勢いでサルジュは大きく弾き飛ばされた。
あの雪女の剣は核となっている部分以外の刀身は全て氷で作られた可変の刀身だ。砕かれたからと言って大きな問題があるわけではない。ただ、その氷もそこらの鉄よりも丈夫なものであるはずなことを考えるとパイモンの一撃の威力に辟易する。
『よく形残ってたな雪女』
『心配してくれてありがとう辻斬女』
『今この状況でそのやり取りできる余裕あるのお前らだけだからな馬鹿二匹』
『ちょっと!あたしとクリジアのこと一緒にしないでよダンタリオンちゃん!!』
『こっちのセリフだわ脳筋雪女が!!』
ダンタリオンの呆れたような『一緒だろ』という声に、私とサルジュは揃って違うと返す。
傍から見れば愉快な言い合いをしている二人の剣士だったとは思うが、パイモンはそんなことには一切の興味がない様子で、武器を長刀から巨大な戦斧へと持ち替えつつ言葉を続ける。
『怪我や疲労はどうしても君たちとは違う。だからせめて、死ぬ条件くらいは揃えたいと思う』
『はっ、だったら何?首刎ねたら死んでくれるわけ?』
『そう。実際に死ぬわけじゃないけれど、人間が死ぬ傷を私につけられたら、君たちの勝ちで良い』
パイモンの言葉に嘘はない。
私たちだけではなく、その場にいた人間全員が悪魔の言葉に我が耳を疑って固まっている中、パイモンはまるでおかしなことなど何もないとでも言うように言葉を続ける。
『根幹の目的は、アガレス一人でも十分にこなせる。だから、私は私のやりたいようにやる』
すでに死屍累々の状況ではあったが、それでもこの場に微かに希望が射したように見えた。悪魔と戦い慣れてない人間にとっては尚更だろう。人間を簡単に凌駕する身体能力を持ち、傷を与えても即座に再生し、理屈すらも不可解な魔法を操る天災が人間の規格で勝敗を決めてくれると言うのだから心底ありがたい話だ。
だが、私たちはアレにまだまともに一撃を入れることすらできていないという事実も間違いなく存在している。
『アガレスは今に期待をしていない。サロスは今を諦めている。けど、私は君たちにまだ期待をしているし、諦めていない』
パイモンが地面を蹴り、私とサルジュを目掛けて武器を振り下ろす。私たちはそれを躱し、地面から武器を引き抜いたパイモンを叩き斬るためにそれぞれ武器を振るう。
『私は今のことも好きだし、先の話ばかりしてアガレスも苦しそう。だから、君たちに
パイモンはサルジュの大剣を避け、私の刀を受けてから私ごと弾き飛ばす。体勢を崩した私の隙を埋めるようにサルジュの追撃と部隊の人達の援護が放たれたが、パイモンはそれすらも軽々と往なして見せた。
『くそっ!一発入れるのもままならないのは変わってねえんだよなぁ!』
恨み言を吐きながら私はパイモンに肉薄し、互いの得物を何度かぶつけ合う。できればこいつと近距離でずっと剣戟の鳴らし合いなどしたくないが、目的がこいつを見ることな以上、直ぐに離れて逃げるわけにもいかない。
勝てる見込みのない鍔迫り合いは武器を滑らせて往なし、まともに一撃を受けないように身を守ることに重点を置く。
『魔法もなしでこんだけやれるの、悪魔じゃなけりゃ名前も売れただろうにさ』
『望んでこうなったわけではない。私も君たちと同じように血が通っていれば良かったと思う』
『さよですかっ!』
鍔迫り合いから刀を振り抜いて脱し、パイモンから距離を置く。剣をかち上げられ、微かにではあるがパイモンがよろめいた。その隙を逃すまいと数人がパイモンの背後から斬りかかる。
そして、その姿は今のパイモンの目には見えていない。
『素直な奴は騙しやすくて助かるね』
戦闘狂のチビ助には悪いが、こちらは悪魔の道楽に付き合っていられるほど余裕はない。このまま彼らに叩き斬られて、宣言通りに負けを認めて大人しくなってもらう。
刃が振り下ろされ、パイモンを捉える。その刹那だった。
『なっ……』
パイモンの身体に振り下ろされた刃が微かに触れた瞬間、パイモンは身を捩り飛び退いて刃がその身体にめり込むのを避ける。
ダンタリオンの魔法はまだ機能している。それは攻撃を避けられた連中が立っている場所を怪訝そうに見つめるパイモンの様子からも間違いない。
『見えてもないのに身体に触れた武器の感触だけで致命傷避けたのか……!?どこまでバケモンだよ……!』
傷はどう見ても致命傷には至っておらず、人間だとしても痛みはあっても動くにはさほど問題はない程度のものだろう。
パイモンは若干疑問を残したままの様子だが、武器を構え直して私を見る。
『……魔法。私と同じ、使わないようにしてるものと思っていた』
『生き残るためにケチるものなんてないんでね。つか切り札のつもりだったんだけどなあ……!』
『ん。確かにそれはその通り』
パイモンはそう言いながら、戦斧を大きく振りかぶって私を見据える。距離は離れているし、心を読み続ければ避けられないような一撃があるわけでも今のところはない。
気を抜くわけではないが、余裕は持って構えていたことを、私はすぐに後悔することになる。
『そういえば、私の魔法が気になる様子だった。君の魔法も見せてもらったし、私も見せてあげようか』
限界まで身体を捻り、ギチギチと音が聞こえてきそうな程の溜めを作ってパイモンは戦斧を構える。
私は心を読んだ内容を伝えるよりも早く、弾かれるように近くにいたサルジュに声を掛けた。
『サルジュ!!壁!!!!』
サルジュが返事よりも早く氷の壁を作り、その直後にその壁ごとパイモンの正面にいた私を含む全員が吹き飛ばされる。
今私たちを襲ったのは、言葉通りに巨大な斬撃。戦斧の一撃をあの場所から飛ばし、さらにはそれを巨大化させて一つの暴風のように変化させたものだ。そう理解した頃には目の前の景色が恐ろしい速度で離れていた。
眼前の全てを薙ぎ払い、吹き飛ばして見せた悪魔は満足気に一つ息を吐くと、残る人間に向けて戦斧をその場で振るい、その場から動くことなく叩き斬る。
『さあ、今を生きる人間たち。私たちに、王に、迫る運命とやらに見せてみると良い。死にたくないなら、血の一滴、肉の一片までも使って抗うべき』
自らが吹き飛ばした人間を遥か彼方に見据え、小さな天災は歩を進める。
その先にあるものはまだわからない。滅亡か、存続か、それを決めるのは今この瞬間を生きる者たちだと、その言葉を聞く者はこの場には誰一人としていなかった。
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