47話 終局の方舟
『なんであんたがここにいるのよ、ラフ・ドゥルケ』
『そっくりそのまま返したいところだぜぃ?ソニム・ネイロスぅ』
ひりついた空気の中、周囲の混乱とは真逆の重く静かな時間が数秒ほど流れる。
わたしとこの龍狩、ラフに助けられた人らは、可哀そうなことにこの空気感に完全に気圧されてしまって微妙な表情のまま微動だにしない。そんな重苦しい沈黙を破ったのは、他でもないラフだった。
『……いやいやいや!あーしら喧嘩別れとかしたっけ!?してないっしょ!?確かにこんなとこで会うなんて~とは思ったけど、これ久しぶり~って感じのテンションのとこじゃないの!?』
『うるさい』
『取り付く島もな~い!昔はあんなに可愛かったニムニムがぁ~!』
ラフは大袈裟に悲しむ素振りを見せ、わざとらしい泣き真似ををしながら近くにいた兵士に『時間が経つと変わっちゃうものなのかなぁ』などと言いながら絡み始める。
この女、ラフはわたしの昔馴染みだ。外界との関りが薄く、閉鎖的な思想が強い龍狩の集落の中では非常に変わり者の部類で、外の文化に興味関心が強い奴だった。
そんな奴だからしょっちゅう色々な理由で年寄り連中からは怒られていたが、それでいて集落のことは好きだったらしく、集落を飛び出そうとはしなかったし、そんな人となりのせいか集落の中ではなんだかんだ言って人気者だった記憶がある。
『昔はラフお姉~って言いながらあーしにてこてこ付いてきてくれてたのにねえ』
『昔話してる暇ないのよ。わたし急ぐから』
『ちょい待ち。ニムニム、この化物の出所みたいなの知ってる感じ?』
『だったら何』
『一緒に行こうよ。どっちにしろあーしも元を断たないとダメだこりゃってんで宛てなく走り回ってたから渡りに船っしょ』
ラフの提案にわたしは渋い顔をしていたのだろう。ラフが『そんな嫌そうな顔しないでさぁ』と半泣きになりながら懇願してくる。
群れるのが嫌いというわがままは置いておいて、頭数が増えること自体は悪い話ではない。ラフならばたとえ悪魔が相手だろうと、全く問題なく戦うことが出来るだろうし、並みの人間よりも遥かに強いのも間違いない。
ただ、ラフを自由にしておいた方が助かる命が多いような予感もしていた。この戦場に蔓延る怪物を相手に余裕を持って対処できる存在は少ない。その筆頭とも言えるわたし達龍狩が、二人で組んでしまって良いものだろうか。
『ニムニムの心配もわかるよ。あんた優しいかんねぇ。けどま、案外強い人らもいるっぽくて、今も死人の数は言うほど多くない。だったら、そっこーで元凶ボコして解決しちゃった方がいんじゃね?ってラフお姉は思うわけよ』
『単純にあんたと一緒が嫌だなって考えてたのよラフ・ドゥルケ』
『フルネーム呼びやめてね?』
わたしが図星を指された腹いせに吐き捨てた言葉に、ラフはしょんぼりとして少し小さくなる。そんな問答に割って入るように『なあ!』と少し大きめの意を決したような声で兵士の一人が声をあげた。
『あんたらならこの怪物の親玉をどうにかできるんだろ?だったら行ってくれ!』
『どうにかできるかはわからないわよ』
『それでもあの怪物を倒せちまえる奴らってのは間違いない!あんたの言う通り、俺たちは人型のを相手にするからさ。だから俺たちがやられちまう前に、親玉がいるならそいつを倒してくれよ!』
『だからどうにかできるかは……』
わたしの言葉を遮るように、兵士は言葉を続ける。
『結局あんたらが勝てないんじゃ俺達でも勝てないだろうしな。情けないけどよ、あんたらに心配かけないよう、みんなで死なないようにだけはするよ』
『あんたの言う通り、でっけえのには勝てそうもないしな』と兵士は自嘲するように笑う。
そんな様子を見て、わたしは深い溜息を一つ吐いてから『わかったわよ』と自分へ言い聞かせるように吐き捨てた。
彼らもこの怪物に太刀打ちできなかったからといって、決して弱い人間ではない。そもそも、あんなものを見て立ち向かえるだけでも相当なことだ。加えてこの気の良さそうな兵士たちは、自分自身にも今までの人生にも、それなりに自信と誇りを持っている人々だろう。
それがその誇りも何もかもを抑え込んで、現実を受け入れその中で最善の策の為に動こうとしている。それを無碍にしてやろうという気はさらさら起きなかった。
『固まって動いて、極力死なないようにしなさい。生きてればなんとかなるはずだから』
『ニムニムの言う通りぃ。ま、人型くらいならあんたらも敵じゃないっしょ?また元気で会えることを祈ってるぜぃ』
『このバカ女みたいに気を抜くと死ぬから気をつけなさい』
『ラフお姉の心にナイフを刺すのは楽しいかニムニムちゃん!?』
わたしはラフのことは無視して、怪物の元凶であろう悪魔がいると思しき方へ歩を進め始める。ラフの泣き言に混じって、兵士たちからの感謝と応援の声が聞こえてくる。わたしはそれを聞いて、思い出したくない記憶をいくらか思い出して、軽く頭を振ってその記憶を振り払う。
勇敢な人を見ると嫌でも思い出す。わたしにはないものを持っている。今は少しくらい変わることが出来ただろうか。そんな風に思考が滑っていく。
『……ソニムは昔から優しいからね』
わたしの少し後ろを走るラフが、先程までの調子とは打って変わって、静かに、優しい声色で呟いた。わたしは聞こえなかったふりをして、そのまま走り続ける。
ラフもそれ以上は何も言わなかった。昔馴染みな以上、こいつはわたしが集落を離れた理由も知っている。ラフが話していた通り、昔はよく三つほど年上のこいつの周りを付いて行っては色々な事をして遊んでもらっていた。
わたしに優しいなどと言うが、こいつも相当優しくてお節介焼きの人種だ。わたしは今も気を遣わせているなと少し考えてから、まったく別の話題に関して口を開く。
『……あんたがさっき言ってたそこそこ強い奴って、どんな?』
『そうだねえ、あーしが見かけたのはこう、魔女って感じの人とかかな。見たことない道具とか使っててすごかったなあって』
『凄かったかどうかじゃなくて戦えてたのかどうかを聞いてんのよ』
『戦えてたよ。でかいの相手でも余裕そうだったし、腕自慢ってのは結構いろんなとこにいるっつーわけ』
ラフの答えにわたしは安堵する。各国から相当な人数が集っていて、その全てが全く歯が立ちませんなんて話だったらどうしようかと本気で心配していたが、さすがにそんな冗談のような話はないらしい。しかし、それでもこの数相手に戦い続けるのは限界があるだろうし、その強い奴が他全員を守って回れるかと言われれば答えは否となる。
『それなら、急げば少なくともこの辺りは軽い被害で済むかもしれないわけね』
『そゆこと~。死人なんて少ない方がいいっしょ』
『それは間違いないわね』
行く手に怪物が複数現れる。人型の群れと、大型の獣のようなものが一体。わたし達は速度を緩めることなく進んでいく。
『邪魔』
人型の群れを薙ぎ倒し、大型の怪物の前へ躍り出る。怪物はわたしを噛み砕こうと、大口を開けた。
『ニムニムぅ~、いい感じの一つよろしゃ~す!』
言うが早いか、ラフがわたしを目掛けて大鎚を振るう。かち上げるように振り上げられる大鎚は間違いなくこちらを目掛けて振るわれており、傍から見たら完全に仲間割れの絵面だろう。
『水薙・風輪華車』
ラフの大鎚の渾身の一振りに、より勢いを乗せた上で怪物の頭へと受け流す。元は相手の攻撃の勢いを自分のものにして返す技だが、今回は本来反撃に利用する勢いをラフの打撃に乗せる。
怪物の頭と大鎚がぶつかり、鈍い音の後に怪物の頭が鮮血と共に弾け飛ぶ。
『ひゅう~!いや~ナァイスニムニム!やっぱ凄いわぁ』
『わたしが対応できなかったら死にかねないようなことを打ち合わせもなしにやるんじゃないわよ』
『ニムニムなら余裕っしょ。あーし信用してっから』
『次やったら殴るから』
『えぇん……ごめんて……』
キメ顔からすぐにしょんぼりとした顔になり、しゅんとするラフの表情のやかましさにため息を吐いてからわたしは再び走り始める。
ふと気が付けば、わたしの周りはこんな奴らばかりだ。頼んでもないのに世話を焼いてくる雇い主、何をしたわけでもないのに慕ってくる生意気なガキ、そして十年ぶりに出会ったのに昨日も会ったように話してくれる昔馴染み。誰も彼もわたしなんて放っておけば良いのに、気にかけてくれる。
『……もう少し静かなら、文句ないんだけど』
ぽつりと呟いた声に、ラフが何か言ったかと聞いてきたので『なんでもない』とだけ答えて、わたし達は先を急ぐ。
親切なバカ達を、一人でも多く助けてやれるように。
──それはまるで隣人のようにそこにいた。
怪物が跋扈し、阿鼻叫喚の地獄絵図と化したはずの郊外の一角。その最中でゆったりと、友人と喫茶店で世間話を楽しむように、日常の何気ない時間をぼんやりと過ごすかのように、今ある全てが当たり前のことだとでも言うように、黒い枝に囲まれた中で、怪物と悪魔が談笑をしている。
距離はまだ離れており、サピトゥリアの郊外とはいえいくらかの建物もある。わたし達は建物の影に隠れ、怪物と悪魔の様子を伺っていた。
『……随分薄気味悪いのが親玉みたいね』
『なんか、違和感なさ過ぎて逆に不気味ぃ~……』
『そう冷たいことを言うなよ。寂しいじゃないか』
すぐ傍で、青年の声がした。
反射的に身構え、周囲を見る。人影は見えず、声の出所もわからない。
『落ち着きなよ。俺はずっと一緒にいたじゃないか』
再び声が響く。わたしとラフはほぼ同時に、自分の身体から生えた例の黒い枝を見る。
『そう、そこだよ同胞。見つけてくれてありがとう』
声は間違いなくそこから聞こえていた。
語りかけるような、子供に寄り添うような、優しく、やけに心地の良い声。それがより一層不気味で、得体の知れなさを強く感じさせる。
『君たちのことはずっと見守ってたんだけど、やっぱり龍狩だからなのかな。どうにも繋がりが悪くてね。近くに来るまでぼんやりとしか見えなかった。いやはや、申し訳ないよ』
隠れているつもりだったが、近くにいることもこの枝を通じてバレているらしい。それならば、わざわざ隠れている理由もないと、わたし達は建物の影から出て、怪物と悪魔が鎮座する黒い枝が生い茂る、不気味な森のようになっている場所を見る。
全ての瞳がこちらを見つめている。
人の姿を残した怪物も、巨大な怪物も、ぱっと見では人間にしか見えない奴も、その全てがわたし達を無表情のまま見つめて静止している。先程まであの悪魔と、遠目にも談笑とわかるような雰囲気で会話をしていたとは思えない様子に、得体の知れない不気味さを感じ身を震わせる。
『面と向かい合うのは初めまして。俺はサロス。まぁ、見ての通り悪魔ってやつさ』
異様な視線を注がれている最中、唯一温度を感じる様子で悪魔が自己紹介をした。
背中からは一対の大きな黒い翼が生え、どの生物のものにも該当しない矢印のような形をした長い尾がゆらゆらと揺れている。顔は柔らかい印象の青年といった具合だが、片目のあたりを黒い枝で作られた仮面のようなもので隠している。
『今すぐ片付けして出て行ってくれないかしら』
『にべもないね龍狩のお嬢さん。悪いが、そいつはできない相談なんだ』
『あ、そう』
サロスの言葉を聞き終える前に、地面を蹴り距離を一気に詰める。その勢いのまま、サロスの顔面を蹴り抜くつもりで脚を振るう。
わたしの脚が周囲の黒い枝をいくらかへし折り、サロスに届く直前で、サロスが尻尾で未だに人形のように静止している枝の生えた人間を掴み、盾代わりにわたしとの間に滑り込ませる。
『っち!』
蹴りをギリギリで止め、後方に飛んで距離をとる。サロスは驚いたような、面白いものを見たような顔でわたしを少しの間見つめ、感心したように口を開く。
『ふぅん、本当に君は優しいらしい。この状況でも殺さないのか』
『……随分と悪趣味なことするじゃない』
『怒らないでくれよ。俺だって争い事は嫌なんだ』
サロスはへらへらと軽い調子で口を動かし続ける。
明らかに人間ではないことがわかる外見に反して、話している声色や動作は奇妙さを覚える程に身近で、親身な隣人のように感じる。それがより一層不気味さを助長していた。
『そうだなあ、優しい龍狩を見込んで提案なんだけど、これが終わるまで俺達とお喋りでもしないかい?』
『は?』
『言葉通りの意味だよ。ほら、お茶菓子とかもいくらか用意するからさ』
サロスはそう言うと、黒い枝の影から簡素なクッキーを乗せた皿を取り出した。幻覚でもなければ作り物の類でもないようで、よくある紅茶と併せて出される焼き菓子そのものだ。
それに続くように、人形のように立っていた枝の生えた人間が、相変わらず視線はわたし達から一切外さないまま、ティーセットを用意している。
『なになに?ナンパ?空気読めし』
『いやいや、どうせこの先こんな風にゆっくり話せる機会がないんだと思うと寂しいからね。それなら、僅かな時間だったとしても皆で過ごせたら寂しくないだろう?』
『要領を得ないわね。何がしたいのよ』
『世界が無くなる前に、少しくらい平和な時間を過ごしても罰は当たらないよって話』
内容の良く分からない、不可解な会話を遮るように、ラフが唐突にサロスとの距離を詰め、大鎚を振るう。
『ごめんけど、あーしナヨナヨした男嫌いなんだよねっ!』
『そっか、それは残念だな』
ラフの大鎚を、サロスの背後に構えていた一際巨大な怪物が手で受け止める。並大抵の相手ならば、そのまま受け止めた手の方が砕け散っていたであろう一撃を易々と受け止めて見せたあたり、道中で見てきた怪物とはレベルが違う相手なのだろう。
巨獣は受け止めたラフの大鎚を掴み、そのまま腕を大きく振るって投げ飛ばした。
『のわぁあああぁあぁああぁ~!?』
『ラフ!!』
間の抜けた情けない悲鳴をあげながら、建物を二、三ぶち抜いて遥か彼方へと吹き飛んでいった昔馴染みは多少心配だが、それよりもとわたしは悪魔の方へと向き直る。
『君も引き下がらないんだろ?わかった、それなら仕方ない。一先ずはやるしかないか』
サロスが手を挙げる。その動きに合わせて、静止していた怪物達が一斉に動き始める。黒い枝を生やした生物が一斉に動き出すその様は、まるで黒い森が意思を持って動き出したようにも見えた。
『けど、君たちの中にも俺は在る。手はいつでも取りあえるはずだ』
『訳の分からないことしか言わないわね。叩き潰して黙らせてあげる』
黒い森が天に咆え、悪魔が嗤う。
黒い枝の怪物が群れているのはここに来るまでにも幾度となく見た光景だった。しかし、その群れは大半が個々で自由に動き回っていて、ただ近くにいるだけという様子のものだった。
しかし。今目の前にいる群れは違う。大小の怪物が統率され、確実に獲物を仕留めようと集団で動いている。この変化の理由はまず間違いなくサロスの存在だろう。
『あんたら雑兵に構ってる暇ないのよ』
自身を取り囲む鬱陶しい人型を散らすためにと、わたしは地面を思いきり踏み砕く。そのまま砕けた岩盤と共に吹き飛び、体勢を崩した奴らの足を蹴り折った。
ここに来るまでに見た怪物もそうだったが、怪物共は怪我に対して一切の苦痛の反応を見せず、砕けた足を引き摺りながら、這うようにしてわたしの方へと寄ってくる。黒い枝に支配された時点ですでに死んでいるのか、黒い枝に操られていて悲鳴すらあげることができないのかはわからないが、いずれにせよ悪趣味で不気味な話だ。
『そいつら、殺さないと止まらないぜ』
『止まったみたいなもんよ』
『頑固なんだなぁ君』
サロスが地面に手をつく。直後に地面から黒い枝が槍のように生え、わたしが足を蹴り折った奴らを串刺しにしながら、わたしを貫こうと伸びる。悪趣味な絵面に舌打ちをしながら、槍を躱した。しかし、避けた先に巨獣が振り抜いた腕が迫り、受けるのは無理だと早々に諦めて受け流すための構えをとる。
『龍狩は丈夫だもんなあ、念入りにやっておかないと』
サロスの声と共に、足元から黒い枝が再びわたしを貫こうと伸びる。巨獣の腕を受け流せば枝に串刺しにされ、枝を避けるか壊そうとすれば巨獣に叩き潰される。避けきるのは諦めて、即死はしないようにするしかないかと考えた瞬間、耳に声が飛び込んでくる。
『デカブツ無視しなニムニムぅ!!』
ラフの声に弾かれるように、巨獣の腕に突っ込むような形で前に出る。何も起きなければ叩き潰されて即死の行動だったが、巨獣の腕はわたしに届くことはなく、その代わりに滝のような鮮血が頭上から降り注いだ。
黒い枝は空を切り、巨獣は鮮血と骨肉をぶちまけてゆったりと地面に倒れ伏す。わたしは前に駆けた勢いのまま、サロスの首根っこを引っ掴んでやろうとしたが、黒い枝が伸びて作り出された柵に行く手を遮られ、舌打ちをしながら足を止めた。
『間一髪だったぁ。よくもこの可愛いあーしをぶん投げてくれやがったもんだぜ』
ラフが倒れていく巨獣の亡骸の上から降りてきて、今まさにこいつが大鎚で頭を粉微塵に粉砕した巨獣を指さしながら的外れな文句を垂れている。
自分も同じ種族な以上あまり言いたくはないのだが、石造りの壁を薄紙のようにぶち抜く勢いで放り投げられてほぼ無傷というのは、そこらの化物より断然化物染みているなとラフの元気そうな様子を見て小さく溜息を吐く。
『ぶん投げられたのはあんたが考えなしに突っ込んだからでしょうが』
『ごめんて。でも助けたったっしょ~』
『それはありがと』
『お、素直なニムニムだ。レアものじゃん』
『次はわたしがぶん投げるわよ能天気』
ラフはケラケラと笑いながら適当な謝罪の言葉を吐き、わたしはそれに対して特大のため息で返す。状況に対してあまりにも呑気なやり取りだが、正直今この場に自分一人だったとしたら気が滅入っていたであろうことを思うと少しありがたい。
『あ〜あ。俺の友達を粉々にしてくれちゃって。酷いことするなぁ』
『友達ぃ?悪趣味な人形ごっこの間違いっしょ。ナヨナヨしてる上にきっもいなぁ』
『みんな俺にとっては友達なんだ。ずっと一緒に居たからね……心苦しいよ、こんな思いはもう二度としたくないと何百年も願ってきたさ』
言葉が通じない。
わたしとラフがその結論に至るタイミングは同じだった。わたしはサロスへ真っ直ぐに駆け、行手を遮る怪物をラフが薙ぎ倒す。
『怪物の相手はあーしがやったるぜぃ。あの黒もやしはニムニムに任せたぁ!』
『言われなくてもやるわよ。雑魚はよろしく』
わたしの蹴りをサロスはギリギリで宙に飛び上がり避ける。背に生えた巨大な翼はただの飾りではないらしく、サロスはそのまま滞空してわたし達を見下ろした。
『こんな寂しいことの繰り返しを終わりにするためなんだ。せめてお別れまでは友達でいよう』
『いちいちわからない事しか言わないわね。あんたと友達なんて反吐が出るわ』
サロスが小さく笑い、わたしを見る。
その目には嘲笑もなく、こちらを見下したり、蔑むような意図は一切見えない。その代わりに浮かんでいるのは、言葉通りに心底寂しそうな、もの悲しさを無言で訴えるような、そんな色が瞳に浮かんでいた。
『俺は、人間のことは本当に好きなんだけどなぁ』
悪魔がぽつりと零した言葉は、誰の耳にも届く事無く消えていった。
天災に立ち向かい、打ち勝とうとする人間はいない。そして、悪魔というものは意思を持つ天災である。この世界ではそう言い伝えられてきた。
大地が血を噴き出し、熱と悲鳴に満ちた世界を走る少女、マールも同じようなことを言い伝えられながら育ってきた。それを聞いていた時は、そうは言っても人の形をしたものだろうとか、魔法一つにできることなんて限られているはずだとか、そんなようなことを考えていた。そんな自分がなんて浅はかだったのだろうと蔑みながら、少女は地獄と化した世界を走っていた。
『誰か!誰かいませんか!!はぁ……!無事な人は!!誰か!!』
侵攻開始直後に起きた惨劇。マールたちがいた最前線、そこに被害はなかった。突如として大地が裂け、血を噴き上げたのは自分たちがいた場所よりも後方、支援と補助を主な役割として構えていた第二戦線の部隊が構える地点だった。
そこからの混乱は酷いものだった。噴火と共に黒い枝を身に纏った異形の怪物が溢れ出し、後方は突如火の海に呑み込まれ、そんな状況で冷静でいられる人間などがいるわけはない。各々が死にたくないだとか、そんな生存本能に従って散り散りに逃げた。そんな中で他者の無事を確認するためにと火の海の中に踏み込んだマールは、勇敢だと言えるだろう。
『はぁっ、はぁっ……!誰も、いないの……!?そんな……こんな一瞬で……!!』
マールは自分のいる部隊には、ほぼ全ての人に自身の加護の魔法をかけていた。しかし、後続の部隊にはさすがに手が回らず、火の海の中に呑み込まれた人々は誰一人としてマールの魔法の効果を受けていない。
しかし、それは幸運だったのかもしれない。
生命に害をなす影響を、同じ加護下にある者に分散し抑制する魔法。一人の人間が死ぬ程度のことならば、彼女の魔法は絶大な効果を発揮する。しかし、赤熱し煌々と輝く溶岩に呑み込まれた人間は何をどれだけ他者に分散すれば助かることができるだろうか。そして、分け与えられた熱に耐えることができなければ、一瞬のうちにどれだけの人に熱が伝播し、その全てが灰も残らずに溶けて消えていただろうか。
マールは自分の魔法のことは熟知していた。だからこそ、どこかで安堵している自分がいることが嫌で、それを掻き消すように必死で生存者を探して駆けずり回った。
『どこもかしこも凄い熱……っ……!』
そんな彼女の視界に、熱で揺れる空気の奥に佇む人影が映る。
ついに生存者を見つけたと思い、救われたような気持ちのまま声をかけようと歩を進め、少し進んだところで少女は足を止める。
──アレは人間じゃない。
周囲はもはや建造物が立ち並んでいたことすら思い出せないような火と溶岩の海になっているというのに、マールは自分の身体が吹雪の中にいるかのようにガタガタと震えていることに気がつく。それと同時に、人影がこちらを認知したと、漠然とした感覚だがマールは理解し、震える身体で腰に下げた剣を抜き構える。
人影の姿が徐々にはっきりしていく。一般の男性よりもさらに一回り大柄な大男。ガタイも良く、巨木か何かと見間違えてしまいそうな四肢。荒々しさの中に、どこか気品のようなものを感じる出で立ちだが、その眼は闇のように黒く、瞳は今尚燃え盛る紅蓮の海よりも深く紅い。
『焼け残った奴がいたか』
重く、圧迫感を感じさせる声色。気の弱い人ならばこの状況にこの声が降ってきただけで気を失ってしまうのではないかとも思える圧倒的な重圧。
マールは無意識のうちに逃げることを諦めていた。生存への希望を有しているせめてもの意思表示に武器は下ろさなかったが、身体の奥底から沸き上がる恐怖心と震えは収まらない。
『あなたがこの惨状の犯人ですね……!』
『そうだな。だったらどうする』
悪魔が少女を睨みつける。空気がギシギシと音を立てているような錯覚と共に、漠然とした重圧が殺意に変わった。天災が自身を敵とみなしているとマールは悟り、吹き飛びそうになる意識を唇を噛み締めてなんとか保つ。
『何もねぇなら消えろ』
悪魔はすっと少女に手を翳す。直後、悪魔の足元から紅蓮が噴き出し、連鎖するように噴火が次々と引き起こされ、マールへと近づいてくる。
マールは震える足を無理矢理に律し、受け身も考えずに真横に跳んで噴火を避ける。溶岩に呑み込まれずには済んだが、先程までは自身とそれなりに距離があったはずの巨躯が目の前に迫っている。そしてそのまま、巨木のような足でマールは蹴り飛ばされた。
『っぐぅあ……!!』
数回地面を跳ね、転がる。マールが体勢を整える前に、赤熱した岩石がマールを目掛けて数個放たれ、無慈悲にも直撃し少女の身体を灼き抉り、圧し潰す。
人間ならば確実に生きてはいない。
『はあっ……!はっ、うぅぅ……!!』
『あ?何だよ、人間じゃねえのか』
マールの身体から血が滴るようなことはなかった。傷口が焼け焦げたのでも、血の一滴も残さずに蒸発したのでもない。元から血などその身体には通っていない。代わりと言わんばかりに、欠けた身体は修復を始め、消しとんだ部分を補って直していく。
悪魔はマールに歩み寄り、そのままマールの頭を鷲掴みにして持ち上げる。
『何本目だ、お前』
『な、にを……!』
『何本目の悪魔だって聞いてんだ』
悪魔がマールを地面に叩きつける。マールの身体が枯れ枝か何かのようにへし折れるが、悪魔はそのまま二、三回マールを地面に叩きつけ、ぐちゃぐちゃになった身体をぶら下げたマールの頭を再び持ちあげる。
『答えたくねえなら構わねえよ。悪魔一本へし折れるのは願ったり叶ったりだ』
悪魔の片腕が赤熱し、直りつつあるマールの身体の中心、不可思議な輝きを放つ核を見据える。
『何者かは知らねえが、二度と会えねえことを祈る』
赤熱した剛腕が振るわれる。
全てを灼き焦がすような熱が空を切った。
『……人間も焼け残ってたか』
悪魔がマールを掴んでいたはずの腕は、肘から先が斬り落とされなくなっている。悪魔は腕の形を直しながら、マールを抱えている目の前の人間を睨んだ。
長い金の髪に赤い目、身の丈を超えるほどの大鎌を携えた女。灼熱の火の海の中、絶望的な光景の中で女は不釣り合いな様子で笑っている。
『あっはァ!や〜っと見つけましたよ強そうな奴!黒い爪楊枝へし折るの飽きて困ってたんですよぉ』
マールを傍に抱えながら、女は怪物の返り血に塗れた身体を気にする素振りもなく、心底嬉しいというようにケタケタと笑う。
『スライ、さん……?』
『どーもお嬢ちゃん。悪ぃんですけど直ったらさっさと居なくなってもらっていーですか?』
身体がまだ直りかけのマールを乱暴に放り投げ、スライは大鎌を構えて悪魔を見据える。
その顔は高揚と光悦に満ち満ちており、恐怖や危機感は欠片ほども存在していない。ただひたすらに楽しいという感情だけが浮かんでいるその様子に、マールは若干の恐怖を覚える。
『わ、私も戦えます!あなた一人じゃ……』
『邪魔したら殺すってうちぁ言ってんですよ』
睨みつけられ、マールは小さく悲鳴を溢す。
唐突に向けられた殺意、善悪をかなぐり捨てた狂気はマールが今まで経験したどの悪意とも違う異質なものだった。
『お嬢ちゃんは黒爪楊枝の雑魚狩りの手伝いしに戻りやがってくだせえ。うちぁアレと遊ばせてもらうんで』
マールは何か反論をしようとして、何度か言葉に詰まった後に『……わかりました』と搾り出すように言って背を向ける。
仲間であるスライを置いていくのは心苦しいという気持ちもマールの中には確かに存在していた。しかし、それ以上にこの場に居続ければスライは本当に自分を殺すだろうという確信に近い予感がマールを動かした。
『……死なないでくださいね!すぐに救援を呼びますから!!』
『いらねーですってぇ。お守り、頑張ってくだせえよ〜ん』
走り去ろうとするマールに向けて、悪魔が赤熱した岩石を放つ。スライがそれを大鎌で叩き壊し、砕けた破片を大鎌の腹で器用に悪魔へ向けて打ち返した。
悪魔は破片の散弾を腕の一振りで打ち払うと、すでに遠くに離れたマールを見て、小さく溜息を吐いてからスライを見る。
『悪魔を助けるとはな』
『見殺しにしても良かったんですけどぉ。まあ一揉みさせてもらったんで』
『それで?お前は俺に勝てるつもりでいるらしいが』
悪魔の周囲で地面がひび割れ、大地の血液が沸騰する。
『勝てるかどうかは知らねーですよ?けどぉ、玩具見つけたら犬は尻尾振って喜んじまうでしょ』
スライは大鎌を構え直し、口が裂けたようにニヤリと笑って、狂喜を込めた眼で悪魔を見据え、地面を蹴る。
『さぁ!!うちと楽しく遊びましょう!!』
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