46話 跳梁する災禍
『魔法隊!姿が見えたら一斉にやるぞ!!』
地面を砕き、そこに降り立ったと思しき悪魔を見据えてこの場の全員が身構える。さすがにこの不意打ちで完全なパニックに陥るようなことはないあたり、曲がりなりにも戦争や戦場を生き抜いてきた面々ということだろう。地上と空中で遠距離から攻撃ができる魔法使い達が土煙を包囲するように見据え、私たち武器を構えた部隊は巻き添えを食わないように土煙から距離をとる。
ほどなくして土煙が風で流され、その中に人影が見えた。
『放てっ!!』
瞬間、無数の魔法による攻撃が人影に向けて放たれる。相手が人間ならば、まず間違いなくタダでは済まないだろう量の攻撃。一人一人が並み以上の魔法使いなことに加え、これだけの規模、いつもなら『こんなんできるなら鉄の棒振り回すだけの私とかいらなかったろ』と暢気に構えていたと思う。
しかし、今回の相手は十の柱の内の一本だ。
人影に向けて放たれた雷、氷、炎、風、その他諸々の強力な魔法たちは、その全てが突如として進む方向を天に変え、空を貫いて消えた。
『外した……ってわけじゃないよな、今の』
まだ残る土煙が、重厚な風切り音と共に払われ、その中の人影の姿が露になる。
背丈は子供のそれだった。ボロボロのワンピースのようなドレスを身に纏い、紫色の長髪が風になびいて揺れている。見かけはほとんど人間のそれだが、その顔には四つの瞳があり、その瞳全てが無表情で冷たい目線を巡らせながら私たちを見る。
しかし、顔の印象の衝撃よりも、その手に握られた身の丈を遥かに超える大刀が私たちの視線をくぎ付けにしていた。おそらく地面をその場にいた人間ごと叩き割って見せたのはあの大刀だ。先程振り回した時の音からも、あれが見かけだけではなく相当な質量を持った鉄塊であることは間違いない。
それをあの悪魔は片手で易々と振り回しているという事実に冷や汗が頬を伝う。
『さて、闘ろう』
悪魔の姿が再び視界から消える。ほぼ同時に、悪魔が立っていた位置から少量の瓦礫と土煙が上がったのが見えた。つまり、消えたように見えたのは魔法でもなんでもなく、私たち人間と同じように、地面を蹴って飛んだだけだ。
私が悪魔の姿を再び視界に捉えると同時に、巨大な大刀が地上に構えていた魔法使い達を数人まとめて叩き潰し、その返り血を浴びながら悪魔はゆらりと振り向く。
『身構えていたのならもう少し、必死になると良い』
『……っ!!魔法で奴を拘束しろ!これ以上なにもさせるな!!』
部隊の誰かが叫ぶと同時に、悪魔が再び地面を蹴る。悪魔が魔法を使っている様子はなく、純粋な速力だけで降り注ぐ魔法の嵐を掻い潜っているようだ。走る速度は緩めず、悪魔が大刀を手放すと同時に魔術鞘に入れ、その鞘から一対の短剣を取り出し、ひと際強く地面を蹴る。
一太刀目で魔法使いの一人が身に纏っていた防護壁が叩き割られ、二太刀目でその魔法使いの脳天に短剣が突き刺さる。宙に浮いている魔法使いにあの接近の仕方ができるというのもとんでもない話だし、魔法使いの防護壁も素手で簡単に割れるような代物ではないだろうにと舌打ちをしながら、小柄な悪魔を見る。今殺された魔法使いと、その周りの数人はもう助からない。私が見なければならないのは次だ。
『雪女!やるよ!ビビッて動けませんとかぬかすなよ!!』
『言わないわよ辻斬女!!あんたこそ死に急いだら許さないかんね!!』
悪魔は次の標的を四つの瞳で眼下に見据え、まるで羽虫のように叩き落された魔法使いのうちの一人を足場代わりに飛ぶ。地上に構えていた別の魔法使いの部隊に、悪魔の凶刃が振り下ろされる。それと同時に、私は標的になっていた魔法使いと悪魔の間に滑り込む。
あの怪力に真正面から鍔迫り合いを仕掛けるのは、山と押し相撲をして勝とうとするような話だ。私は振り下ろされる刃を自分の刀の上を滑らせるようにして受け流し、カウンターを食らわせるつもりで刀を振るう。
『ん、良い動き』
悪魔は空中で身をよじるようにして、私の攻撃を短剣で受けて器用にいなす。バルバトスやブエルのような、悪魔の怪我を気にしなくていい特性と天与の身体能力にかまけた防御ではなく、武器の扱いという技術をかませた動きに一瞬戸惑ったが、即座に狙われた魔法使いを引きずるようにして後ろに飛び退く。
『その足の速さだけは認めてあげる……わ!!』
サルジュが私への余計な一言と共に大剣を悪魔へ振り下ろす。渾身の力で振り下ろされた氷の大剣は、地に足を付けていない悪魔が避けられるはずもなく、確実に悪魔を捉えた一撃だった。
衝撃で空気が揺れ、悪魔ごと地面を割る一撃に土煙と氷雪が弾ける。その様子に微かにだが周囲から驚愕と感嘆の声が漏れた。しかし、私から見えているサルジュの表情には余裕も、敵を倒した高揚もない。
『僥倖……かなり闘れるのがいるね。嬉しい誤算』
『こ……の……!!』
悪魔は片膝をついてはいるものの、二本の短剣でサルジュの一撃を真正面から受け止めてみせた。
サルジュは力だけならば龍狩の二人にも引けを取らない馬鹿力だ。さすがに同じとまではいかないにせよ、そこらの人間なら大剣の一振りでまとめてなぎ倒せる程度には強い。そんな怪力女の渾身の一撃を、見た目には十歳の少女のような奴が受け止めた。他の連中よりサルジュのことを知っている分、この事実への驚愕が大きい。
人間なら熱したバターのように真っ二つに叩き斬ることができたであろう威力の一撃を、こうも易々と止められるのは何かの魔法だと信じたい。信じたいのだが、私はこの悪魔から最初の一斉放火の時以外、魔法を使ったと思しき気配を一度も感じていない。
『雪女っ!退け!!』
『退かなくても良い。私が退かす』
悪魔がサルジュの剣をかち上げ、大剣諸共サルジュを押しのけて吹き飛ばす。私は態勢を崩したサルジュへ追い打ちをかけようとした悪魔へ、こちらに注意を逸らせるためにと斬りかかった。
私の斬撃を悪魔は器用に往なして弾き、何度か打ち合った後にひと際強く互いの武器を弾きあい、お互いに距離をとる。
『ったくもう!こないだの骨頭といい、力比べの自信なくすわ……!』
『さすがにあれと比べるのは無茶だろ雪女。見かけはチビだけどバケモンだよ』
氷の刃を作り直しながら文句を垂れるサルジュに、呆れ交じりに声をかけながら悪魔の姿を見る。
背丈はゼパルちゃんよりも小さい。おそらく五、六歳くらいのリベラちゃんとか、エレフくんといい勝負だろう。悪魔の外見に年齢だとかが関係ないというのは重々承知の上だが、それでもあの桁外れの怪力と見た目のギャップに脳が混乱を起こす。
『訂正を要求する。私はチビじゃない』
『だったら何て呼ぶよ悪魔。私らから見たら間違いなくチビだけど』
表情が希薄で、いわゆるジト目っぽい悪魔の表情が少しだけむっとした顔になる。どうやらチビ呼ばわりされるのはあまり好きではないらしい。
この悪魔はどこか化物然とした態度ばかりではなく、以前に会った悪魔と比べても人間味が強い。その反応や心の機微にむしろ違和感を感じる気がしたくらいだ。
『私は第九柱──
悪魔の姿が消える。
否、消えたように見えただけで、実態はかなりの速度で移動しているだけだ。そして、やはり魔法は使っていない。
『前に飛べ!!』
『言われなくても!!』
念話で考えは伝わっている、それはわかっているのだが、反射的に声をあげ、それと同時に私たちはその場から全力で飛ぶ。
──親愛の祈りの願望機・パイモン』
言葉の続きが背後から聞こえ、一瞬遅れて地面を叩き割るほどの威力の斬撃が振り下ろされる。地面の砕ける衝撃で勢いよく弾き飛ばされた私たちは、何度か地面に身体を打ち付けながらも体勢を整え、得物を構えて悪魔、パイモンと向き合う。
地面を叩き割ったのは、先程までのものとはまた別の細身の大剣だった。武器だなんだにそこまで詳しいわけではないが、あの形状は確か刃の中腹あたりに持ち手になり得る部分を作った、小回りと威力を両立させた両手剣だったはずだ。無骨さすら感じるシンプルな鋼色の武器は、サルジュの持つ魔法剣や私の刀ともまた違う圧と存在感を放っている。
『ん、やはり良い。私が見えているのは評価に値する』
『そりゃどうも。で?魔法使わないで来てくれてるのは温情かなにか?』
『否定。魔法は苦手。だから使わない』
『……え、なに?あんたそんな理由で魔法使ってないわけ?』
『そう。気を使うし、難しいし、面倒。それに、私の魔法はつまらない』
パイモンはサルジュを指さして『だから私は君を凄いと思う』と付け加える。おそらくは魔法剣士ということを指しての言葉だろう。
パイモンの嘘のような受け答えに、サルジュが困ったように私を見る。私だって同じ気持ちだと言いたいところを堪え、ダンタリオンが見る限り間違いなく嘘偽りのない本心からの言葉だということだけを伝える。やはり、人間味があるという点だけで言うのなら今までの悪魔と比べるとかなり会話ができる方だ。
『それに、君たちと闘れないのは私としても困る。私も、私の収集品も、武人同士の討ち合いを待っていた』
両手剣のはずの大剣を軽々と片手で構え、パイモンは私たちを見据える。
表情はあまり動いていないが、その眼は高揚と期待に輝き、心はまるで祭りか何かのように浮足立っているのが見て取れた。そしてそれは、この襲撃に崇高な目的を持っているからでは決してない。
『武人以外は退くと良い。邪魔をするなら殺す』
アレはスライに似たタイプだ。戦いを悦とし、命のやり取りに高揚を覚える者。戦闘狂だとかなんだとか、言葉だけなら傭兵業界ではよく聞くが、本物はそういない。そして、往々にしてそういう存在の本物は、普通には理解できるような代物ではない。
四つの瞳が私たちを、滅亡に抗わんとする人間を期待と悦楽に満ちた眼光で突き刺す。
『覚悟があるなら、闘ろう』
『戦えそうにない奴は退け!私は助けないからな!!』
周囲の人間に向かって叫びつつ、数回互いの武器を打ち合ってから私はパイモンと距離を取る。腕力もさることながら、この悪魔は反射速度も武器の扱いも並み以上だ。ダンタリオンのおかげで行動の先読みをしながら動けているのでまだ余裕があるが、これがなかったらパイモンの動きを捌ききれる自信はない。
『ん、その人間の意見には賛同する。逃げるなら追わない』
『だったら宣戦布告なんてしてくんなよ』
私は大袈裟に嫌悪を顔に出してパイモンを煽る。残念ながら、向こうはまったく気にしていないらしく、心も顔もピクリとも動きはしなかった。
ただ、言葉には裏表がないようで、本心から人殺しが好きというわけではないらしい。戦闘狂の気質とその本心が両立するのかは些か疑問だが、心にまで嘘をつけるタイプには見えないし、事実としてそうである以上認めるしかないのだろう。
私とサルジュ、そしてパイモンのにらみ合いの中、パイモンの死角から一人の男が斬りかかった。
『人間を、なめるな!!』
男の武器がパイモンの頭蓋を捉える寸前、先に男の頭がまるで地面に叩きつけられたスイカのように砕け散る。
『人殺しは好きじゃない。だから、人の生死はどうでもいい』
男の頭を砕いたのは、短い棒の先端に鉄塊を取り付けた、メイスと呼ばれる武器。魔法武器でもない、純粋な鉄の塊。おそらくだが、パイモンが主に使用する武器に特殊な武器はほとんどないのだろう。私たち人間に合わせているのか、魔法道具も魔法同様に苦手なのか、はたまた好みなのかはわからないが、どちらにせよ小細工なしでこの強さというのは間違いない。
『逃げたとして、どうせこの後死ぬ。それをわざわざ追うくらいなら、私は闘れる側に時間を使いたい』
頭を失い、地面に血溜りを作って倒れ伏した男の亡骸に、パイモンは軽く手を添えてから『君も良かった』と小さく呟くと、再び私たちへと向き直る。
パイモンが手にしていたメイスを手放すと、支えを失い自由落下するそれを受け止めるように魔術鞘の口が開く。メイスが鞘に入ると同時に、パイモンの周囲に無数の魔術鞘が開き、そこから多種多様な武器が地面に突き立てられる。
『私と闘るなら、死に方は選んでも良い。斬殺、刺殺、絞殺、圧殺……希望には応えられるはず。だけど──
複数の武器の中から、少し吟味するような素振りを見せて、斬馬刀らしき武器を手に取った瞬間にパイモンの姿が消える。
──希望は、死ぬ前に伝えるよう推奨する』
私はそれとほとんど同時に走り出し、パイモンが狙う標的との間に飛び込んだ。
斬馬刀と刀がぶつかり合い、若干割り込むのが遅れたせいで衝撃を逃がしきれずに後方へ吹っ飛ばされる。
『っ痛ぅ……!!こんの、馬鹿力が……!!』
衝撃が残り、痺れて力が入らない腕を無理矢理動かし、刀を落とさないようにして構え直す。やはりあれを真正面から馬鹿正直に受け止めれば、少なくとも私は冗談でもなんでもなくそのままミンチにされるか、受け止めることなく両断されるだろう。
『妙な事をする。守らないと言っていたはず』
『守る気はないけど、目の前で死なれると気分悪いんでね』
パイモンは私の誰に向けてかわからないような言い訳に『へえ』と短い返事をし、ゆっくりと武器を構え直した。
私はパイモンから視線は外さずに、庇ってやったどこかの兵士だか傭兵だかに『どいてろ』と吐き捨てながら、間合いを取りつつ様子を伺う。
『お前ほんと素直じゃないよねクリジアさあ』
『うるさい黙れ仕事しろクソ悪魔』
『全力でやってますぅ~。いくらか素直だから読みやすいけど、わかってても動けるかはそっち次第だから頑張ってよね』
『ねえ、あんた達っていっつもこんな感じで仕事してるの?』
『悲しいことにねっ!!』
頭に響くサルジュからの呆れた声を聞きながら、飛び込んできたパイモンの攻撃を受け流し、斬り結ぶ。ダンタリオンの先読みに加え、自分の反射神経と瞬発力に我ながら感謝をしつつ、武器と武器の打ち合いを制し、一瞬の隙を縫ってパイモンの首へと刃を滑らせた。
首筋を狙い放った刃をパイモンは後ろに軽く跳んで避ける。その隙を見て、私は一歩踏み込み、眉間を狙い突きを放つ。
刀剣類において、相手を殺すことを考えるのならば一番都合の良い扱い方は刺突だ。動きも少ないし、威力は乗るし、身体に穴が空いて無事な人間というやつはそうそういない。私の戦いは剣術などという高尚なものではなく、殺人術に等しいこともあり、私自身この使い方が一番得意だ。
『良い動き』
刃がパイモンを捉える寸前、パイモンが後ろに跳んだ勢いをそのままに振り上げた足が私の刀をかち上げる。並大抵の相手なら反応すらさせなかったであろう動きを、こうもあっさりと捌いてくるかという驚愕と同時に、死の直感が全身を突き刺すようにして駆け抜ける。
片腕を刀ごとかち上げられ、無防備になった胴を目掛けてパイモンが斬馬刀を振り抜こうと腕を伸ばす。しかし、その腕は振り抜かれることはなく、地面と繋げられるようにして氷ついた。
『お前のそういうセンスは信用してるよ雪女っ!!』
『素直にありがとうって言いなさいよ辻斬女っ!!』
サルジュが動けなくなったパイモンに大剣を振り下ろすが、パイモンはまるでボロ布を破くように氷を砕きながら腕を引き抜き、サルジュの一撃を避ける。
『……ふふっ。君達、やっぱりとても良いね』
表情が薄く、仮面のようだったパイモンの口角が微かにだが上がる。
四つ目の少女の微笑みとだけ言えば不気味なはずだが、不思議と不気味な感じはしない。おそらく、良くも悪くもこのパイモンという悪魔が素直だからなのだろう。これがバルバトスとかあのあたりだったら、あまりの違和感に全身の毛が逆立っていたに違いない。
『我々も続けぇ!!』
周囲に構えていた連中が声をあげ、パイモンへと挑みかかる。
私たちも含め、古今東西の猛者たちがパイモンを囲うようにしながら斬りかかり、殴りかかりを繰り返し、パイモンはそれを器用に捌きながら立ち回る。ワノクニで見た封縛柱、それに類似したものを悪魔対策として配られている今、この悪魔に誰かがそれをねじ込めばそれで勝ちだ。
『押し切りさえできれば討伐成功だ!皆、徹底的に叩け!!』
『へえ、まったくの役立たずってワケじゃないらしい!』
奮い立った連中を見て、私は正直あまり期待していなかった自分を少しだけ恥じる。何も棒立ちになってそのまま殺されるわけじゃない。そりゃこんなところにいるのだから、動きさえすれば強者の側にいる者ばかりというわけだ。
『一対一にならないように!!集団で切れ間なく叩け!!』
戦争だとか闘技場だとか、戦いという場においてよく上がる論争に『圧倒的な個が強いか、圧倒的な数が強いか』という話がある。言葉通り一騎当千の存在がいるのなら百の凡人が束になっても勝てないだとか、たとえ一騎当千の一人だとしても十の凡人に囲まれてしまえば勝てないだとか、水掛け論のような話題の一つ。
私はどちらかと言えば集団の方が強いんじゃないかと思う派閥だ。どんな奴でも不意を突かれれば実力なんて関係ないし、そもそも戦争とかの場においては決闘のような上品な一対一の場面などまず存在しない。
龍狩が徒党を組んだ奴隷商に囚われることもあるように、竜種を人間が討伐することがあるように、集団は個に対して基本的に優位なものだろう。
『いいね。揚がってきた』
しかし、それはあくまで机上の空論の話で、人間の規範の中で語る討論にすぎない。
人間たちの怒涛の連撃の一瞬の切れ間に、パイモンが一際強く足を踏み込む。その小さな身体のどこにそんな破壊力を秘めているのかと、思わず叫びたくなるような光景だが、その重い一歩で大地が砕けた。
『"
体勢を崩した数人、その中の鎧を纏った屈強な兵士が、その鎧ごと斬り裂かれ、数枚の肉片となって崩れ落ちる。鎧の中に裂かれた肉がきれいに残っており、叩き斬るのではなく撫でるように斬り落とされた骸の姿に流石に血の気が引くのを感じた
『今のがあの悪魔の魔法……!?』
『いや違う……!!ありゃただの技術だ!あのチビ、伊達に武器振り回してるわけじゃない!!あの膂力でなんで繊細な真似までやれんだよ!』
パイモンは斬馬刀を手放し、鞘から新たに細く華奢な短刀を取り出すと、先程斬り捨てた人間とは別の相手に向き直る。
『"
パイモンに睨まれた人間は瞬きの間に身体の正面半分を細切れにされ、まるで身体が溶けて血飛沫だけを残したかのようになって絶命した。おそらく、刻まれた本人も死んだことに気が付いたか怪しいくらいだろう。私だってあの距離で今の技をされたら形が残るか怪しい。
一瞬のうちの惨劇に、恐怖が一気に全体へ伝播する。踏み砕かれた地面に足を取られた者、恐怖で足が竦んだ者、理由は様々だろうが、半数ほどが一瞬だったとしても、その場で動けなくなってしまっていた。そんな中、一際ガタイの良い屈強な男が自身の後ろにいる者を守るようにパイモンの前に立ちはだかり、そのまま巨大な戦斧を構えパイモンの攻撃を受け止めんとする。
『なっ!?馬鹿野郎!!力比べで勝てるわけ──
『"
私の声が届く前に、パイモンが男に鉄塊のような武骨な大剣を振り下ろす。大剣は戦斧も、鎧も、頭蓋も何もかも関係なく男を叩き斬り、背後にいた人間も地面ごと一刀両断してみせた。
膂力にものを言わせた圧倒的な威力の斬撃は、パイモンの真骨頂とも言えるような一撃だろう。私は当然、サルジュも、おそらくはソニム先輩やスライだったとしても、真正面から受ければ死ぬ。それに真正面から立ち向かった男は、たとえ大馬鹿だったとしても、尊敬に値する者だったと言える。
『さあ、もっと闘ろう。歓迎する。君達を、好きになれるかもしれない』
集団が圧倒的な個を凌駕する。それはその個が手の届く範囲の存在だった場合の話だ。
例えば、竜に蟻が群がって勝てるだろうか。人が集まれば火山の噴火を抑え込めるだろうか。天災に武器と信念を振りかざせば天災に傷を負わせることができるだろうか。
誰に聞いたとして、その答えは否だろう。しかし、私たちが今直面しているのは、そういった誰もが不可能だと鼻で笑うような規模の話であり、諦めれば死ぬし、諦めずともこの天災と真っ向からぶつかり合う道は避けられない。
『このレベルのがあと二本って……真剣に世界の終わりが見えてきたねこりゃ……!』
『それじゃあ、こいつ止めたらあたしらヒーローね……!あんたにゃ特におあつらえ向きなんじゃない?英雄気取りの馬鹿野郎さん!』
『お前にだけは言われたくねえよ英雄気取り!死んでも慰霊碑なんて建ててやんねえからな!!』
頼もしくも腹立たしい雪女といがみ合いながら、パイモンと、私たちが抗わなければならない天災と改めて対峙する。未だに底が見えない天災に、嫌でも腹の底が冷えるような感覚が襲ってくる。
『前回みたいなことはなしだよクリジア。協力はするけどさ!』
『耳にタコできるほど聞いたわ!頼りにしてるよダンタリオン!!』
私は、私たちは今までだって散々天災だとか運命だとかを相手に、無意味にしか見えないような意地を振るってきた。
今更この程度で諦められるほど、利口ではない。
──サピトゥリア襲撃開始時、第十九柱迎撃部隊。
『ちょっとミダス、わたしは悪魔以外なら取るに足らない人間相手の制圧戦って聞いてたはずだけど?』
金の髪を靡かせながら走る龍狩、ソニムは通信魔具に怪訝そうな声を吐きながら目の前に広がる光景を見ていた。
『俺に文句言われてもどうにもできねえよ。黒い枝が育ったみてえな化物が群れを成して攻めてくるなんて誰も予想できねえだろ』
『そうね。誰かに文句言いたかっただけよ』
かの襲撃に伴う武装勢力の迎撃。クーデターのような動きが見られていた国に最も近いこの迎撃戦線は、悪魔以外への対処は人間相手であるという予想のもとに集っていた。それ故に、大小無数の怪物が跋扈しているこの状況は、それだけでこの場に大混乱をもたらすのには十分すぎる状況と言える。
『文句はいくらでも聞いてやるから仕事は頼むぜ』
『わかってるわよ。で?どういう状況なのか把握は出来てるわけ?』
『ざっくりとだけな。同じようなのがスライのとこにも沸いてるようだが、数はそっちが段違いに多い。怪物の親玉はお前の方の悪魔と見ていいだろうよ。発生源は当然のごとくだが、怪物が向かってきている方向って具合だな』
『だったら、さっさと大元を潰すのが早そうね』
言いつつ、目の前に現れた人型の怪物に蹴りを入れて吹き飛ばす。おそらくだが、この怪物は元々人間だ。人の形を多く残している個体が多いし、周囲の人間に突如として生えた不気味な枝と目玉に類似した特徴をもつ、不揃いで不気味な黒い棘や角、爪などを生やしているので、嫌な想像だが間違いではないだろう。
何を原因にこの怪物へと変貌するのかもわからない以上、元凶と思しき悪魔を野放しにしておくのはまずい。
『ソニム。この怪物だが……』
『元人間でしょ?わかるわよ。わたしは人は殺さないから、動けなくだけしとくわ』
『……戻るかもわからねえもんだ。足掬われねえようにだけ気をつけろ』
『気遣いありがと。心配ないから、他の奴らに気遣ってあげなさい』
通信魔具を切って懐にしまい、改めて怪物の群れを見る。
人型の個体はさほど強いわけではない。ここに集まった連中でも二、三人で組んで対応すれば難なく対処できるだろう。問題になるのは大柄な個体だ。歪な獣のような風貌のものから、人型がそのまま大きくなったようなものまで形は様々だが、一体一体がかなり厄介な程度には強力らしい。
魔法も武器も見た目以上に強固な黒い枝に阻まれ、有効打になり難い。加えて巨体というのはそれだけで十分すぎる程に武器として機能する。腕の一振りで人間をなぎ倒し、足の一踏みで人間を踏み砕く。もたもたと戦っていれば奴らが暴れるだけで壊滅もあり得るだろう。
『全部助けて回る……のは無理ね』
遠くから響く悲鳴と争いの音に、いくらかの罪悪感を抱きながらもそれを無視して大群の根本を目指して走る。数も不明、増殖する要因も限界も不明な以上、闇雲に怪物に構っている暇はない。
目の前にいる人型の怪物を数体薙ぎ倒し、わたしはとにかく元凶の元へと足を急がせる。
『でかいのもいるわね……』
自分の進行方向から少し外れた方面、数人と交戦している大型の怪物の姿が視界に入る。人間相手なら、それなりに腕の立つ連中なのだろう。しかし、こんな怪物を相手にするには少しばかり人数も力も心もとない。
必死で抵抗を続ける人間の一人を、怪物が振り上げた歪な腕で叩き潰そうとする。半端に人間の形が残っている分、光悦を浮かべたような、吊り上がった口角が笑みに見えて不気味だった。
『……嫌なもの思い出すわ』
舌打ちを一つして、地面を強く蹴る。
その勢いのままに怪物が振り下ろした腕を蹴り抜いた。予想外の方向から加えられた力に、想定していない向きへ進んだ腕の重さで怪物は体勢を崩し、転倒した。
起き上がろうとした怪物の足を思いきり踏み、ボキボキという固いものが折れて砕ける音を響かせる。そのまま苦痛に絶叫をあげた怪物の顎を蹴り上げ、無理矢理閉ざし砕く。
『た、たすかった……!あんた龍狩か!?』
安堵の表情を浮かべた、今まさに死にかけていたどこぞの国の兵士へと向き直り。わたしは会話をする気はないという意思表示も含めて追い払うように手を払いながら口を開く
『お礼はいいから、人型のやつを対処することに集中して。でかいのとまともにやりあってもあんたらじゃ無理よ』
『いや、だがこの数の怪物を放っておくわけにも……』
『死体を増やしたいってんなら好きにしなさい。さっさと逃げたほうが──
沈黙させたつもりだった怪物が起き上がる。
砕けた顎で絶叫をあげ、砕けた足を無理矢理支えにして身体を起こし、わたし達を叩き潰そうと腕を振り上げる。避けるのは無理だ。かといってこれを真正面から受けるのも難しい。
『全員、その場から絶対に動かないで』
息を吐き、怪物に対して構えをとる。
わたしの武術は人間相手を想定したものではない。元よりこういった、自分よりも巨大なものを相手にするための技術。
『龍喰舞闘・水薙……行雲流水』
振り下ろされる巨木のような怪物の腕を、勢いを殺すのではなくそのまま流すようにして逸らす。怪物の腕は川の流れに身を任せる木の葉のように、わたし達の横を通過して空を切る。
一歩遅れて鈍い衝撃音と破砕音が響き、怪物の頭が砕けた。
『今の……まさか』
怪物の頭を粉砕したのは、人と遜色ないサイズをした大鎚。それがとんでもない勢いで飛んできて、怪物の頭を砕き、そのまま地面を叩き割りながら着地した。
ああいった大型の武器に、わたしは見覚えがある。
『お~い、無事だった?間に合ったかなぁ。結構急いできたんだけど、だめだったらあーしちょっとしょげるなぁ~』
場の緊張感にそぐわない陽気な声が響く。声がする方を見れば、ひらひらと手を振りながらこちらに歩いてくる女性の姿が見えた。
緩いウェーブのかかった金の髪に、赤い目。目の下に文様があり、独特な衣装に身を包むその女性は、わたしの大鎚への既視感が正しいものだと裏付ける特徴だ。
『同族、っていうかアレ……』
武器を用いないわたしの方が龍狩の中では珍しく、あの狂人スライの大鎌のように、そして今まさに怪物の頭を砕いた大鎚のように、龍狩が扱う武器は軒並み通常の人間が扱うものより一回りか二回りほど大柄なものが多い。
これは相手にするものが竜種をはじめとした大型の魔物であることが多いことに加え、わたし達龍狩は通常の人間よりも力が圧倒的に強いからだ。あのサイズと質量の武器となれば、必然的に龍狩の得物だろうと想像がつく。
そしてもう一つ。わたしはあの独特な軽い調子の口調と、こちらに手を振っている女性が頭につけている竜種の角を加工したと思しき装飾に物凄く見覚えがあった。
だからこそ『それじゃ、あとは勝手にやっといて』と助けた兵士に告げ、逃げるようにその場を離れようとしたが、一歩遅かった。
『あ、こらこら見てたよニムニム~。久しぶりじゃんかー。あーし、集まった時から似てるな~とは思ってたんだよぅ』
女性に声をかけられ、わたしは大きな溜息を吐いて踏み出した足を止める。
おそらく、自分でも引くほどにすごい顔をしていたのだろう。ゆっくりと振り返ったわたしの顔を見て、助けた兵士が心底気まずそうな顔でわたしと女性を二、三回交互に見比べてから、若干ひきつった愛想笑いを浮かべて固まってしまった。
『……人違いじゃないかしら。ハジメマシテ、龍狩の人』
『違わないでしょ。相変わらず素っ気ないなぁ。あんな技できるのニムニム以外にそういないよー』
自分の故郷や過去の話は、ミダスにもエルセスにも、ベラのやつにも詳しくはしていない。わたしにとって思い出したくないことだし、捨ててしまいたい記憶。
過去を誰かに聞かれることなんて滅多にないし、聞かれても答えることは決してなかった。話題に出さなければ出てくることはない。過去なんてそういうもののはずだった。
『はぁ……なんでこんなとこに居んのよ。ラフ・ドゥルケ』
『そっくりそのまま返したいところだぜぃ?ソニム・ネイロスぅ』
そんな過去の欠片が、予想だにしていないタイミングで顔を覗かせたことに、わたしは改めて大きな溜息を吐いた。
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