45話 落日
『しっかしまあ、大層なことを考えるもんだねぇオジキ。これで晴れて俺たちは世界の敵ってわけだ』
サピトゥリアへの宣戦布告の翌日。世界は徐々に慌ただしくなり、不安と恐怖が少しずつ滲み出し始めていた。
そんな混乱と鬼胎が顔を覗かせている世から切り離されているかのような態度で青年は一人、虚空へと声をかける。
『付いてきたのはそっち。不満は口に出さないことを推奨する』
『不満じゃねえよぉひいさま。感想さ感想。随分感慨深いと思ってさ』
『……無駄口叩きに繋いだわけじゃねえだろうなテメェら』
『そりゃもちろん。報告がしたかったんだ。ひとまず繋げるだけここらの人間は繋いだが、準備期間なんて必要だったかい?』
姿形は見えないが、どこからか聞こえてきている二人の声に、青年はケラケラと楽しそうに笑いながら言葉を返す。
『同感。私もそれについては疑問だった』
『前も言ったが、アレは常に俺達を見ている。人間程度なら関係ねえが、アレが動かんとも限らねえ。その様子見の時間が欲しかっただけだ』
青年がオジキと呼んだ男から、ぶっきらぼうな声色で帰ってきた答えに、青年は肩をすくめて小さくため息を吐く。
『王様かぁ。アレが俺たちを見て動くような存在かね?オジキ、ありゃ所詮は傍観者だろ?』
『……傍観に徹してくれるならよっぽど良かったんだがな』
『理由は理解した。この先の議論に意義は少ない。漂白は起こる。ならば、私たちは目的を果たす事に注力すべき』
少女の声が会話を遮り、少しの間の静寂の後に、男が意を決したように声を出す。
『チビの言う通りだ。どうせ滅ぶ世界なら、俺たちの手でやる』
『む、私はチビじゃない』
『ひいさま、そのやり取りいつもやってるじゃないか。それにも意義は少なそうだよ』
『……どこまで吹き飛んでみたいか、次に会う時までに考えておく事を推奨する』
『あぁちょっと冗談だって!あれ!?聞いてるかひいさま!?ってか、オジキももういねえな!?おいおい勘弁してくれよぉ、俺は二人と違って非力側なんだからなぁ!?』
青年の情けない悲鳴に返事を返す声はなく、暫くしてから青年はガックリと肩を落とす。
『……はぁ〜……全く相変わらず素っ気ない二人だよ……。こうも素っ気ないと寂しくなっちまう』
青年の背から漆黒の翼が生え、翼の羽ばたきと共にふわりと青年は宙に浮く。
眼下に広がるのは人間の世。
暴力を持って正義を叫び、利益を持って孤独を埋める者たちが、小さな波に浮かされて、大きな、大きな波へとその身を委ね、世界という大陸へ押し寄せようと蠢いている。
『俺は寂しいのは嫌いだからねぇ。来る日にはよろしく頼むよ、独りぼっちの皆々様』
サピトゥリアへの宣戦布告から六日。世界はサピトゥリア防衛に向けて動きを固めていた。
マギアスの魔導部隊や各国の主要軍隊、サピトゥリアの自衛団という名の軍隊に加え、傭兵やらなにやらが物々しい雰囲気でこの大都市に集っている。
『ここまでくるとさすがに壮観だなぁ』
除け者の巣の面々もサピトゥリアへとすでに入国しており、この錚々たる面々の中のどこかに配備されている。私も当然ながらその中の一人なわけだが、除け者の巣の中でも一番不名誉な辻斬の異名で名が通ってることもあり、若干肩身が狭い思いをしている。
今回は私やソニム先輩のような傭兵を本職にしている者だけではなく、サピトゥリア内陸に用意された本拠点ではベラさんやミリが治療や支援のために派遣されている他、ミダスさんとエルセスさんはアビゴールとの秘密裏のやり取りも含めて本拠点に潜んでいるらしい。フルーラさん、ゼパルちゃんはいつものように除け者の巣の防衛役に回ってくれている。
フルーラさんが居てくれれば頼れるのは間違いないが、フルーラさんは私たちにとっての秘密兵器であり、いざという時の緊急脱出装置でもある。最悪、門を開いてもらって生き残れる人だけでも生き残る。その為に今回は比較的安全な除け者の巣での待機役というわけだ。
『いよいよ世界の一大事って感じね……』
『世界の一大事に一緒にいるのがなんでお前なわけ?最悪なんだけど』
『こっちだって好きであんたと一緒じゃないのよ!!ミダスさんの指示なんだからしかたないでしょ!!』
今回は三本の悪魔の侵攻に備え、大別すると三つの部隊にこの一大連合軍はわかれている。龍狩の二人はそれぞれ一人ずつ別の部隊へ配備され、私は二人とはまた別の部隊に配備されている。心底悲しいことに、この雪女と一緒だが。
『っはぁ~あ、ソニム先輩とが良かったなぁ』
『人の目の前でそのでかい溜息吐けるのほんといい性格してるわねあんた』
ミダスさんの采配能力は確かだ。実際、あの人はどこかの軍隊だとか部隊で軍師役でもやらせれば相当な手柄を挙げるタイプの頭の良さを持っているとは思う。運やはったりの関与してこない駒遊びの類のゲームでならば、エルセスさんにすら勝ち越しているし、私やベラさんは完膚なきまでにボコボコにされたことがある。
経験則はゲームと普段の指示だけにはなるが、素人目で見てもミダスさんは何事においても盤上や力量の配分を考え、大局を見据えるのが上手い。だからこそ、この配備も信頼のおけるバランスではあるのだが、残念ながら駒とは違い私たちには感情というものがあるので文句は吐くし、愚痴も溢す。
『除け者の巣の皆さん、聞こえていますでしょうか』
『うわっ。前も似たようなことあったけど急に来るのビビるな……』
耳元で響いたアビゴールの声に少し驚いた後、アビゴールから『問題なく聞こえているようで何よりです』と言葉が続けられる。
『……幾らか事前にはお伝えしておりましたが、対悪魔戦においては貴方達を非常に頼りにしています』
『それは確かに聞いてたけど、だったらこの御大層な大部隊はなんなのよ』
『人間同士の戦争であれば、間違いなく有用な人々です。ソニム・ネイロス』
事情は知っているとはいえ、仮にも世界有数の権力者であるアビゴールに、全く物怖じしない様子でソニム先輩が問いかける声に、私はある種の尊敬の念を抱きながらアビゴールの答えに耳を傾ける。
実際、ソニム先輩の疑問は私たち全員が同じようなことを考えていた。私たちは確かに個々の能力で言えば、大別するなら強者の側に入るだろう。しかし、そうであったとしても世界各地の猛者や軍隊が集ったこの状況で、私たち除け者の巣を特別頼りにする理由は少ない。都合の良い駒だとか言われた方がまだ納得がいくというものだ。
『悪魔と戦う、ということを想像できる人間は少ないです。貴方たちはこの世界において特例側であるという認識をまずはお願いします』
『そーですかぁ?いざ死ぬかもって思ったらガキでも棒切れ拾って立ち向かうんじゃねーです?』
『そういう認識を改めろって話だスライ。つーか、お前にすら立ち向かえなかった奴ごまんと見てきただろ』
『あぁ~……言われてみりゃそーですね!さすがはリーダー!仰るとおり!』
『……続きをお話ししても良いでしょうか』
ゲラゲラと笑うスライの声に、若干かき消されかけているアビゴールの声を聞いて私は思わず吹き出す。
ここ数日、除け者の巣とアビゴールは何度かやり取りをしていたが、普段アビゴールが関わっているのであろう礼儀正しい紳士淑女の皆様と私たちは当然のように違い、このわずかな期間だけでもアビゴールが相当な回数困惑と混乱で言葉に詰まる瞬間を見聞きできた。流石に気の毒な気しないでもないが、私としては面白さの方が勝っている。
『今回の目的は防衛戦です。悪魔の魔法を目の当たりにしたことがある貴方たちならば想像は容易いと思いますが、あの力を都市内で振るわれれば甚大な被害が発生します』
『だから今回はこんだけ大外囲うように人員配置してるってわけだ』
『はい。そして、言い方を変えるのであれば貴方たちの居るその場所が、防衛が防衛として機能しうる最後の一線になるでしょう。そこを悪魔に突破された場合、防衛ではなく被害を最小に抑えるための戦いになります』
『そうなりゃ、死人の数は馬鹿みたいに増えるだろうな』
『ですので、貴方たちを含めた最前線の防衛ラインで確実に悪魔を撃退することを理想としています。全戦力とは言いませんが、戦力の多くをそちらに割いていますので、貴方たちには恐怖し委縮するであろう周囲の人間の火付け役としての役割も担っていただきたい』
私は『なるほどな』と頷き、周囲の人間を改めて見る。皆当然この時代を生き抜いてきた、戦火の中に多少なりとも身を投じる人間だろう。しかし、この中でどれだけの人間が悪魔の魔力に触れたことがあるか、対峙しただけで気を失いそうになるあの重圧を感じたことがあるかと問えば、ほとんどの人間がそんな経験はないはずだ。
そこまで面倒見なきゃいけない奴らで固めた防衛線もいかがなものかと思うという気持ちもあるが、これに関しては私は幼いころからダンタリオンと一緒にいたし、除け者の巣の面々は歴によってバラつきはあれどフルーラさんの悪魔やゼパルちゃんにも触れている。世間一般というやつを考えたときに異質なのはどう考えても私たちなのは間違いない。
『そして、今回の悪魔はいずれも完全顕現と呼ばれるものです。貴方たちの知る範囲でならば、第七柱が最も近しいでしょうか』
『一本あたりがアモンと同じならこの戦いは最初から詰みの状態だが?』
『実力の面ではありません。契約者を持たず、魔法の使用に実質的な制限を持たない状態という意味での第七柱と近しいということです』
『もっとも、第七柱に引けを取らないというのも事実ですが』とアビゴールは付け加える。
私たちはほぼ全員がアモンの強大さについては理解している。あれはこちらと遊んでいる程度の心構えであの強さだったと思うと今でも血の気が引くが、十柱と呼ばれる悪魔はアモン以外にも尋常ならざる存在ばかりだというのを私は身をもって体験してきた。
『あー……そもそも存在しないから契約者の暗殺とかそういう動きは皆無なんだ』
そして何より、アモンとは違い、今回も含め他の悪魔は私たちを本気で殺そうとしてくる。
『はい。悪魔にとって最も明確な弱点とも言える契約者を持たない以上、直接悪魔本体を叩くしかありません。悪魔の無力化を目的とした魔具は各部隊に支給していますので、最終的な目標はそれらを用いた対象の無力化、或いは破壊になります』
アビゴールからの指示を受け、私は今回の戦いに対する覚悟を決める。
なんにせよ、この戦いに勝つことが出来なければ世界は滅茶苦茶になるだろうし、やる事自体はいつもの仕事とさほど変わらない。アビゴールの言葉を借りるのならば、これは未来を守るための戦いというわけで、ソニム先輩やスライも、いやスライはちょっとどう思っているか正直わからないが、私と同じように覚悟はしているのだろう。そして、程度は違えど、ここに集った人々も同じような覚悟は持っているはずだ。
『私たちも最大限の支援は致します。そして、重ねてにはなりますが期待をさせていただきます。傭兵集団・除け者の巣』
アビゴールの言葉の後、通信が切れる。
今回は近くに仲間が多いのもあるのか、前の仕事に比べると気持ちだけならかなり楽だ。昔ならこんなことは考えもしなかっただろうなと、改めて自分の中の軸の変わり方には嫌気がさしはするものの、悪い変化ではないと自分に言い聞かせる。
『案外楽勝で勝てちゃうくらいだったりしてね』
『さすがにそうはいかないでしょ辻斬』
『期待するだけならタダだろ雪女』
サルジュといつもの調子でお互いに言い合う。ワノクニ以来、何度かこいつとは一緒の仕事をこなしたが、本当にいつも喧嘩や言い合いになる。ただ、これがもう当たり前になっているのか、絶対に本人には伝えてやる気はないがこのやり取りは結構安心するものだったりする。
加えて、前回の仕事ではこいつにも助けてもらった分、そこいらの有象無象よりは断然信頼はしているつもりだ。人としては嫌いというか苦手なタイプだし、信頼しているなんて本人には絶対に言わないが。
『……今回もよろしく。癪だけど』
『余計な一言がなければ完璧なのよあんたは。こっちこそよろしく』
何事もないに越したことはない。
そんな祈りにも似た期待を抱きながら、私たちは迫る決戦へと備えることにした。
戦争が好きだ。
人を殺しても、何を殺しても、誰に何を言われることのない世界が好きだ。
空気が鉛に置き換わったような重圧と、祭りの前のような浮足立った狂人共の心が跳ねて踊る、平和とは対極のこの空間が好きだ。
唯一自分が自分でいられる場所、殺し合いが好きだ。
久しぶりの大規模な戦争、厳密には戦争とは少し異なるものかもしれないが、悪魔の他に武装した人間もいるようだし、殺し殺されの世界が間もなく幕を開けるのだと思うとそれだけで歌いだしたくなる程度には気分が良い。
傭兵という立場も好きだ。小難しい話は飼い主が全部やってくれる。うちは飼い主がやれといったことをやるだけ。飯とおもちゃを与えてくれる互いに都合の良い関係。気に入らない飼い主なら、飼い犬なら、互いにさっさと殺してしまえばいい。心底気楽でわかりやすい関係だ。
『スライ・アンシーリ。聞こえていますか?アビィ・トゥールムです』
『んお?はいはい聞こえてますよ~ん。個別に連絡くれるなんて照れますねえ。デートのお誘いですかぁ?』
我ながら浮かれた調子で、今回の依頼人からの呼びかけに応じる。飼い主曰く、確か魔導国家のお偉いさんだったはずだが、うちには大した関係はない。印象に残っていることといえば、スレンダーな美人だったことをよく覚えているくらいで、抱ければいくらか気分がよさそうだった。ただ、このお偉いさんとは飼い主がそれなりに懇意にしていたので、噛みつくのはやめておく。
『貴方に事前に会っておいていただきたい人物がいますので、それに伴っての連絡です』
『つれませんねぇ。せっかく美人さんからの夜伽のお熱い誘いかと思ったってのに』
『……貴方は女性だと認識していましたが』
『うちぁどっちも喰えますよん』
『……極力、仕事以外の言動は控えるようお願いします』
声色から明らかな疲弊と困惑を感じられる依頼人の声に、うちは『はーい』と返事をしながら笑う。クリジアからこの依頼人の人柄はざっくりと聞いていたが、想像通りこういった礼儀作法を無視したやり取りには馴染みがないらしい。飼い主とのやり取りもいくらか聞いていたが、頻繁に固まる様は愉快だった。
『相手側に話は事前に通してあります。少々変わった経歴の持ち主ですが、貴方にとっても有益な存在ではあるかと』
『有益云々は興味ねーですけど、まあやれと言われりゃやりますよぉ。会うだけでいいんです?』
『はい。ただ……彼女は人間ではないのですが、人間として接してあげてください』
『ははは!人間なのにバケモノ扱いのうちと真逆とは!もちろんもちろん、任せてくだせぇよ。うちぁ気遣いのできるワンちゃんですからねぇ』
『お心遣いを期待しています』と、皮肉なのか微妙に掴みにくい様子で返事を返され、うちはさらに笑う。
人間ではないとなると正体はよほど飼いならされた魔物か、あるいは何かしらの生物兵器の類か、魔女か、もしくは悪魔だったりするのだろうか。なんにせよ、同じ戦場に立つことになる相手なら、いつかは殺し合うかもしれないし、会いたくない理由もない。
『んで?人外の人間ちゃんとして、どんな奴なんです?』
『先の襲撃、第九柱による被害を大幅に抑えることに貢献してくれた者です』
『ほほぅ。それはそれは……ちぃっと楽しみになってきやがりましたね』
強い奴は好きだ。いつかうちを殺してくれるかもしれないから。
殺し殺されも所詮は遊びでしかない。それでも、殺されるかもしれないという恐怖心が、大物を喰えるかもしれないという高揚が、生き死に以外の全てを忘れ捨て去れるような瞬間こそが、うちの求めている最高の娯楽であり、極上の快楽だ。
もし、これから出会う何者かが、うちの期待に応えてくれる存在ならば、開戦の前に殺し合うのも悪くないかもしれない。
『……な~んつって。流石に飼い主さんに怒られちまいますね』
『どうかされましたか?』
『ああいや、こっちの話ですよおねーさん。で?どこ行きゃ会えます?その英雄サマのバケモノ人間さんには』
『これから指定する場所まで移動してください。それと、くれぐれも彼女にはそのような言葉を投げかけないように』
『あーいお任せくだせー』
殺し合いも、生き死にも、世界の危機もなにもかも、うちにとっては遊びだ。さほど興味もないし、関心もない。楽しそうな匂いがするから、そんな理由だけで動く。
今回も、それは変わっていない。
──依頼人に指定された場所へ到着してから数十分。行き交う人を眺めるのも飽きてきたが、未だに目的の人物は現れない。
『……お見合いの話忘れてんじゃねーでしょうね』
欠伸をしながら、ぼんやりと空を見る。こういう時間が生きている中で一番退屈だ。この退屈を愛おしく思う奴がいるのも理解しているが、うちが共感することは絶対にできない感覚だろうと思う。一日中ぼんやりとすごす同族がお仲間にもいるが、うちなら退屈のあまり半日で気が狂いそうだ。
あまりの退屈さに、もう話をすっぽかして適当に酒か男か女かを求めて散策でもしようかと考え始めた頃、こちらにパタパタとかけてくる少女の姿が目に映る。
茶色の少し癖のある髪の毛に、良い意味で田舎っぽい、落ち着いた雰囲気ながらもどこか気品のある服装。あきらかにこれから戦争が始まるこの場にはそぐわない少女は、うちの方へ走ってきて、目の前に来るなり頭を下げる。
『すみません遅くなりました!スライさんですね!?』
『お、おおぅ。どーもどーも。元気いいですねぇ』
恐らく、依頼人の言っていた人物はこの少女だろう。どう見ても悪魔と戦ってそれをどうにかしたようには見えない様子に、うちは勝手に少し落胆しながらも改めて少女の姿を見る。
頭に角が生えているわけでもないし、肌の代わりに鱗が身体を覆っているわけでもない。肌の色は健康的だし、眼も綺麗な赤色だ。美人というよりは可愛い寄りの顔つきで、動きからも少し小動物のような雰囲気を感じる。人間ではないと聞いていたはずだが、うちの目にはどこからどうみても可愛らしい少女にしか見えやしない。
『アビィさんからお話は伺ってます!私はマール、マール・アミュナといいます!!えぇっと、その、実はですね……!』
『はいはい一旦落ち着いてくだせぇよ、お嬢ちゃん。別に逃げやしませんって』
ん
『す、すみません!えっと、アビィさんからはどのくらいお話を聞いてますか?』
『お嬢ちゃんに会ってくれとしか言われてねーですね』
慌ただしい様子の少女は、息を整えるように数回深呼吸をする。
腰には巧緻な装飾が施された剣を小型の盾と合わせて携えているのを見るに、一応非戦闘要員とかではないらしい。それにしても、なかなかこういう場面で見ることのないタイプの人間な気はするが、うちが今まで経験してきたのは戦火のど真ん中ばかりだからというのもあるのだろう。
『ふぅ……すみませんでした。実はですね、今回この部隊が対峙すると想定されている悪魔が、おそらく最も被害を出し得ると言われているんです』
『へえ、そりゃ大変なこって』
『き、気楽ですね……』
『まあ別に今更ですからね。悪魔って大体とんでもねーんでしょ?』
『それはそうかもですが……ええっと、それでですね。私の魔法を使って、この部隊にその対策をかけてます。あなたにも魔法の説明をした後に付与をしたいのです』
『対策ぅ?』
うちが半笑いで聞き返すと、少女は『はい!』と満面の笑みで返事を返す。
ここの部隊のかち合う予定の悪魔は、第二柱・アガレスという悪魔と聞いている。広範囲高威力の地魔法を操り、地脈の暴君の異名を持つ悪魔という話だ。なんでも、今回の依頼人側でもあるマギアスが唯一情報を少しだが持っている悪魔だったらしい。
うちとしては相手が強くて面白ければなんでも良いが、飼い主はありがたいことに危険性が最も高いところにうちを配備してくれたらしい。だからこそ、この可愛らしい少女にそれをどうにかし得る力があるとは俄には信じられなかった。
『私は少し変わった魔法を持ってまして、傷や怪我を魔法の影響下にある人達で分散して軽減することができるんです。なので、これを使って皆さんをお守りします!』
『ほう?』
少女の説明にうちはなるほどなと納得の声を漏らす。
直接悪魔と殴り合ったとは到底思えないこの少女が、一体全体何をどうやったら悪魔との戦いで死人を出さない、被害を抑えるなんて真似ができたのかと考えていたが、その答えがこの魔法というわけだ。
『と言うとなんです?例えばそこら辺の参加者Aさんをぶん殴ったら、殴ったダメージはバラけて雀の涙になると?』
『ぶ、物騒な例ですけどそうですね!なのでそれをスライさんにもと……』
それならば確かに悪魔に殺されるような攻撃をされても、百人で攻撃を分散すれば誰も死なないということになる。全体にダメージが入るのは如何なものかと思う気もするが、何百人、何千人と分散先が増えれば生存の確率は跳ね上がる。
『あーうちは要らねーです。お気持ちだけで』
『わかりま……ええっ!?』
目玉が飛び出るんじゃないかという勢いで驚く少女の顔に、うちは思わずケラケラと大きな声で笑う。
確かに、生き残ることを考える人間ならばこの少女の魔法は魅力的な魔法だろう。生き残ることを、その先のことを、今よりも未来のことを、普通の人間というのはだいたいそうなのだろう。今に不満がある。そして、未来に期待がある。まあ、後者に関してはうちもそれは似たようなものかもしれないが。
『百人死ぬ怪我負ったら百人死ぬんでしょ?生き残りてえ奴なら良いかもですけど、うちのせいで百人死ぬかもしれませんよ?』
『い、いやでも!死にかねない怪我をした時も大丈夫になるんですよ!?』
『あはっ!まあ確かに!でも、うちぁほら、死にてぇんですよ。お嬢ちゃんのは生きたい奴に使ってやってくだせえ』
殺されたいわけではない。自殺をしたいわけでもない。それでも、世間一般でいう普通の人たちとかいうやつからは、うちは確実にズレていて、それを理解してもらえることはなかった。
『うちは殺し合って死ねりゃ良い、血の海に溺れるみてえに、溶けて消えたい。期待してるんですようちぁ。ああ、今回は死ねるかもしれない、今度こそ死ぬかもしれないって。こんな奴と命分け合うとか勘弁でしょ?』
『そ、れは……』
『いーんです良いんです。気にしねえでくださいよ。所謂、異常者って奴ぁいるんですよお嬢ちゃん。守るとか生きるとか、立派な事とは思いますよ。胸張って頑張ってくだせーな』
困惑し、俯きそうになった少女の胸に手を伸ばし、そのまま柔らかい感触を楽しむ。控えめではあるがしっかりと存在する膨らみを揉みつつ、この時代にも戦う理由が他人の奴はいるものなのだなと、自分とは違う価値観に感心と呆れの両方を抱く。
何が起きてるかの理解が追いついていなかったのか、しばらく固まっていた少女は赤面し、腰に下げた剣を抜き放ちながら後ろへと飛び退く。
『なななな、何をしてるんですか!?なに……なんで!?』
振り抜かれた刃を躱しつつ、未だに混乱している様子の少女を見てうちはケラケラと笑う。
『挨拶みてーなもんですよぉ。うちはご覧の通り女ですけど、男も女も好きなもんで。特に身体触るなら女の子の方が好きですよ。やわこくて気持ちいいし』
『それは挨拶にはなりませんっ!!……そうですか……そんな嘘をついてまで、魔法は要らないと言いたいわけですね……』
『いやこれは別に嘘でもなんでもねーですけど』
『わかりました。強制するものではないので、尊重はします。けど死なないでくださいね。たとえどんな人でも、今回は仲間なんですから』
少女はうちの返事を待つこともなく『アビィさんには私から伝えておきます!』と言って、慌ただしく走り去っていく。通り雨に降られたような気分のまま、珍しく少しポカンとして固まってしまった。
うちは少女の胸に置いた手に残った感触を、手のひらを見つめながら思い出す。
『……脈拍なし、体温も人間のそれじゃない。でもって人の形、とくりゃ悪魔ですかねぇありゃ。ほんっと色々いるようで』
ささやかな膨らみ、主張しすぎない柔らかさはもちろん好みの感触だったが、それとは別の不安にも似た高揚が込み上げる。
国の飼い犬も、傭兵も、さらに暗く黒い位置にいる何者かも、世界がこの乱世の中でひた隠しにしてきた血の匂いが噴き出してきている。マールとか名乗ったあの悪魔も、マギアスは極力隠していたかっただろう。それでも、打ち明けざるを得ないほどに今の世界は瀬戸際ということだ。
『怪我やら何やらを分散させる魔法……はははっ!勿論、死にたがりと命共有したい奴もいねえでしょうけど……』
少女の魔法の有用性には納得している。確かに、役に立つものだろう。
『それよりも、雑魚にうちの遊びを邪魔されるなんてたまったもんじゃねぇですからね。勝手に生き延びやがれってんですよ。うちも勝手に殺し合いますからねぇ』
うちは周りの雑魚の命まで背負って戦うなんて絶対にごめんだ。そんな状況じゃ楽しめない。
せっかくの祭りだ。楽しまなければ損じゃないか。ご大層なことはまともな奴らがセコセコ必死にやってくれれば問題ない。
うちは楽しければそれでいい。
宣戦布告から七日。悪魔による侵攻が開始される当日。私たちのことなど何一つ気にかけるつもりはないとでも言いたげな美しい朝焼けの下で、私たち含め、サピトゥリア近郊はかつてないほどの緊張に包まれていた。
『七日後のいつとまでは言ってないもんなぁ……』
『さすがにそんな丁寧だったら違和感あるでしょ』
『けどいつ来るかわかんないってかなり嫌だよ。来るのはほぼ間違いないだろうから猶更さあ』
悪魔は天災のようなものだと各所で伝えられている。台風が今から行きますと宣言もしなければ、火山がもうすぐ噴火しますとも言わないように、天災の類が意思表示をしてから起こることはまずありえない。それを考えれば、いつ来るかわからないのも当たり前の話ではあるのだが、だからと言ってこの待ちの時間の気が軽くなるかと言われればそんなことは微塵もない。
『にしてもさあ。なんで宣戦布告なんて面倒な真似したんだろうね。私たちならいきなりドカーンとやっちゃうだろうけど』
『ダンタリオンちゃんの魔法なら、悪魔に会った時に聞いたらわかりそうね』
『それ聞いてどうすんだよ。ていうか念話に雪女いるのめっちゃ違和感あるから嫌なんだけど』
ダンタリオンの魔法は心に関する魔法だ。私とダンタリオンは纏衣のおかげで魔法を経由せずとも話せるが、今回はこの雪女とも周囲には隠して行うやり取りも存在する可能性がある関係で、ダンタリオンの念話を繋いでいる。
そうでなくとも、言葉を発さずにやり取りができるのはかなり便利なので、今回みたいな場面では積極的に使うこと自体には賛成だが、それはそれとして普段との違和感はある。
『あんたあたしが関わってたらなんでも文句言うじゃない!!』
『頭に直に響く声ででかい声出すのやめろバカ!!』
『うるさいよ!!一番迷惑してんの私たちだからなバカ共!!傍から見たら顔芸だけでいがみ合ってる面白人間になってるし、お前らは普通にしゃべれよ!!』
ダンタリオンのごもっともな怒声に、私とサルジュは一瞬ばつの悪い顔をした後に『ごめん』と声を揃えた。周囲を見れば、年齢的には若い女の私とサルジュの様子を見て、見下したような目を向ける奴、暢気さに対してか苛立ちを露にする奴など、様々な人間が目に映る。場面が違えば、絡んできた奴もいたかもしれない。
どいつもこいつも血の気が多くてガラが悪い。特に傭兵とはそんなものだ。ここにいるのは傭兵以外も多いが、戦争屋という言い方をすれば全員が当てはまる。それでも誰も最低限の統率を欠かないのは、この異様な状況と緊張感が成すものだろう。
『──か───ん』
ふと、そんな喧騒と緊張感の中から、声が聞こえた。
私に呼びかけるような声。
『ん?ダンタリオンなんか言った?』
『いや?お前こそなんか喋った?』
『あたしも聞こえたけど、二人のどっちかじゃないの?』
私たちはきょろきょろと辺りを見回す。すると、今の私たちと同じように、何かに呼びかけられた気がしてといった様子で辺りを見回している人間が目に映る。それも一人や二人ではなく、結構な人数が同じような状態になっているらしい。
私が何か妙だと感じるのとほぼ同時に、また先程の声が聞こえた。
『聞こえるかい?寂しがり屋諸君』
はっきりとした声。青年、身近なイメージではエルセスさんが一番近いだろうか。低すぎず、少し妙に明るい感じがする声。それが私の内側から響くように聞こえてきたと同時に、周囲からも同じ言葉、同じ声が響き渡る。
『なんだ!?』
弾かれるように身構え、サルジュに声を掛けようとサルジュの姿を見ると、サルジュの付けている手袋から黒い枝のようなものが突き出ている。
『雪女、その手……』
『あんたの腕もよ!』
サルジュの驚愕と、私の驚愕が重なる。
自分の腕を見れば、サルジュの手から突き出た黒い枝と同じようなものと、ギョロリと覗く深紅の眼球と目が合った。
『なんだこれ!?気持ち悪っ!!』
間違いなく、声はこの異様な眼球から響いている。周囲も同じ状況のようで、世界各地から集められた面々はいとも簡単にパニックに陥ってしまった。
『聞いておいて悪いね、そちらの声は今繋いでないんだ。俺を知っている人はこんにちは、知らない人は初めまして。まあ、誰の中にも必ず少し俺はいる。これから知ってくれればそれでいいさ』
青年の声は軽い調子だが、どこか淡々とした様子で話し続ける。
最初にこの不気味な枝の生えた私たちを含めた人間の他に、青年の話の途中で新たに枝が生えた人間もいる。まるで感染症、あるいは種子が根付いて芽吹くように、次々と枝は人の身体から顔を出す。
『さて、あまり長ったらしい挨拶もつまらないだろうし、早速始めよう。俺としては寂しくなっちまうし、できれば君たちにも長生きしてほしいんだが……こればっかりは仕方ない』
瞬間、少し離れた位置の岩盤が、そこに立っていた人間ごと砕け散った。
本部隊の少し前、歩哨役をしていた部隊が、私たち本部隊の方へ瓦礫と共に、大小も生死も様々な肉片となって降り注ぐ。
『だ、第九柱迎撃隊、歩哨部隊が壊滅!!被害の全貌は不明、交戦開始します!!』
少しだけ遅れて叫ぶような報告が響き、悲鳴とも鼓舞とも取れる声をあげながら、全員が身構える。それと同時に、私たちに生えた枝から、同じように怯え、恐怖した様子の声が一斉に響き渡る。
『こ、こちら第二柱迎撃隊……!大地が、大地が血を噴いた……!!後衛がみんな呑まれた!!どうしろってんだ、こんなもの!!』
『第十九柱迎撃隊は主に人間の相手だって聞いてたぞ!!こんなバケモノが人間の訳が……!!うわあぁあ!!』
辛うじて聞き取れるまともな状況報告の他に、響き渡るのは阿鼻叫喚の悲鳴、悲鳴、悲鳴。
一斉に溢れかえる人々の声は、これを地獄と呼ばずして何と呼ぶのかと言いたくなる凄惨なものだ。
『それでは皆さん、さようなら。君たちの最後が、せめて寂しくなければと願うよ』
地獄の最中、青年の声だけが、恐ろしい程寂しく、不気味に響いた。
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