五章・跋斬垓世

43話 見据える先

世界に穴が空いた。


何かの比喩表現でもなく、私たちが赴いたあの戦争をしていた二カ国。そこにあったもの全てを呑み込んで、世界に底が見えないほどの大きな穴が空いたのだ。


世界各国の必死の調査も虚しく、穴の正体は一向にわかっていない。この数ヶ月の間に唯一判明したことといえば、この大災が発生した時にその場にいた人間は、私たちを除いてほぼ全員が行方不明になっているということだ。


私はあの時、ブエルに追い詰められてから暫く記憶がない。目が覚めた時には除け者の巣に帰ってきていて、ダンタリオンに思いっきり引っ叩かれ、周りから『そりゃ仕方ない』みたいな目で見られて、本気で訳がわからなすぎて泣きそうになったのをよく覚えている。ただ、助けられたのはなんとなく理解していたので渋々その扱いを認めはしたが。


『大災の件を聞いた時は肝を冷やしたが……君たちが無事でよかったよ』


世界中が大災の調査と対処に追われている最中に、イラさんが再び除け者の巣に顔を出してくれた。


どうやらレヴィも『今回はなんとしてでも顔を出す』と駄々をこねたらしいが、世界の情勢があまりにも不安定な今、神子が国を離れるのはまずいと待てをされたらしい。あの神子様は本当に国の頭とは思えないなと少し呆れるが、私たちのような傭兵を気にかけてくれているのは嬉しい話だ。


今は除け者の巣の面々にイラさんが加わって、各々の情報の交換をしている。主にミダスさんが話し、私たちは周りで話を聞いているような状態ではあるが。


『ありゃ俺らも後から聞いてビビったわ。国連軍だけで何人死んだ?』


『数えるのも馬鹿らしくなる程の人数が消えている。私としては君たちがどうやって生き延びたかの方が気になるくらいだ』


『ちょーっとグレーなこともしてっからお前に言いたくねえなぁ』


『今は私のことを国の人間として見なくても良いだろうに』


イラさんが肩をすくめ、ミダスさんがそれに『そうは言ってもな』と茶化しつつ返す。


国への許可なしの侵入、国連が介入してる戦争に無許可の乱入に加えて見覚えのない魔具の使用など、おそらくグレーなんてもので済まされないことをやらかしているのだろうが、それはお互いに理解もしているのだろう。


『ま、知らない方がお前らにも都合が良いだろ。傭兵集団のならず者が勝手やっただけだ』


『気遣いはありがたいが、私たち水の都も色々やってはいたからお互い様というやつだろう。マギアスには少しばかり嫌われそうだが……』


『おい待て。後ろ盾失いたくねえって言ったよな俺』


『違法はしていない。レヴィも国王も馬鹿ではないんだ。あまり心配するな』


『それならいいけどよ……』


イラさんが、というよりは水の都が、あの世界の実権を握っていると言っても大げさではない大国ヴィーヴ・マギアス相手になにをどれだけやったのかはわからないが、ミダスさんの大きな溜息と顔色を見る限り、それなりにはやらかしてくれてそうな予感がして思わず変な笑いが零れる。

 

私だってさすがに好き嫌いだけで全てを判断するような子供ではない。けれど、それはそれとしてあの人形女の冷酷無比な顔が崩れる様に悪い気はしない。好き嫌いを全ての指標にはしないが、嫌いな奴の不幸で喜ぶ程度にはガキの部分も残している。私も許されるのなら文句の一つ二つぶつけてやりたいものだ。

 

『さて、本題を話そう。君たちがあの渦中にあって、尚且つ生き延びたという話は公にはされていない。君たちと水の都に繋がりがあることを知っている者はほんの一握りだし、現場での目撃者は全員消えているからな』

 

『だが、それを知ってる奴も上にはいるだろ』

 

『そうだ。そしてそれこそが今回、私が君たちの所に来た理由の一つでもある』

 

言いながら、イラさんが一枚の紙を取り出す。そこいらの適当な用紙ではなく、厚みと光沢があるしっかりとした紙。内容はさすがに距離があることもあって判読は出来ないが、マギアスの刻印がされているのは確認できた。

 

『マギアス魔導評議会から招集が掛かった。水の都から代表者を一名。そして君たち除け者の代表……ミダス。君は名指しで呼ばれている』

 

『だからこの不安定な情勢の中でお前がわざわざうちまで来たってわけか。ま、俺が呼ばれるのは仕方ねえ』

 

ミダスさんがガシガシと頭を掻きながら、ため息を吐く。対外的にはミダスさんはこの傭兵ギルドのリーダーで、役割も仕事の斡旋や外交が主だ。ミダスさんやエルセスさんがこういった面倒事をこなしてくれているからこそ、私たちは依頼を受けて現地で荒事をこなすだけで仕事ができている。

 

今回はまさしくその割りを食う役割としてミダスさんが指名されたという状況だろう。ミダスさん自身、そういう役回りが俺の立場だとは色々な場面で言ってくれているが、少し申し訳ない気分になる。

 

『それと、クリジア。君も名指しで呼び出されている』

 

『へー……えっ!?なんで!?』

 

他人事のように話を聞いていた私は、突然のご指名に飲んでいたお茶を吹き出し、椅子を倒しながら立ち上がり、二人が話していたテーブルに駆け寄って机に勢いよく前のめりに身体を乗り出してイラさんの提示した紙を凝視する。

 

そこには確かに私の名前が無機質な文字で書かれていた。

 

『理由は私にも詳しくはわからないが……君は水の都、ワノクニ、そして今回の大災と大きな出来事にマギアスと共に関わった頻度が多いからだろうな。おそらく』

 

『関わりたくて関わったわけじゃないんだけど!?ていうか、今回のにいたっては私ほとんど意識飛んでたって言ったよね!?いやあのマギアスの人形女は知らんかもしれないけど!!』

 

イラさんが心を読まなくともわかる『お気の毒に』といった表情で私を見る。

 

『その通り。あの鉄仮面の魔女は君の事情など一つも知らないのだろう』

 

『表情の硬さでいったらお前も大概だぞイラ嬢さんよ』

 

『今私を攻撃する必要はなかっただろうが野良犬』

 

冷たく突き付けられた現実に、私がやり場のない怒りをこめた寛大な溜息を吐き、それをまったく気にしない様子でイラさんに怒られたミダスさんはケラケラと笑いながら心の一つもこもっていない謝罪を繰り返している。

 

イラさんは一つ咳ばらいをすると、私たちに向き直る。

 

『とにかくだ。ミダスとクリジアの二人は私と一緒にマギアスへ一度来てもらう。拒否はしてもいいがオススメはしない』

 

『俺ぁ拒否はしねえよ。お前はどうする?クソガキ』

 

『拒否できるならしてやりますけどね!!いいですよ行きますよ!あの人形女会ったらほんとに一発くらい殴ってやろうかなぁ!?』

 

『つーわけだ。楽しい魔導国家旅行の決定だな』

 

『楽しい旅行なら嬉しいんだがな……』

 

『ほんっとにイラさんの仰る通りっすよ』

 

三人でそれぞれ顔を見合わせ、揃って大きな溜息を吐く。

 

仲が良いわけでもない権力者に呼び出されて会いに行くなんて話で、ワクワクするような人間は当然いない。ここだけは全員の心が通じ合ってそうで安心した。

 

『明日の出発でマギアスへ向かおう。君たちには苦労をかけるが、よろしく頼む』

 

『気にすんな。苦労かけてんのはこっちの方が多いだろうしな。とりあえず今日はもう飲もうぜ』

 

『ミダス……お前、明日マギアスに行くと言っているのに……』

 

『今日この後明日嫌だな~って思いながら時間過ぎるのを待つの嫌だろ。潰れたりはしねえようにすっから安心しろ』

 

ミダスさんは言いつつ席を立ち、離れた位置にいたエルセスさん達に飲み会の準備をするようにと声を掛けに行ってしまう。私からするといつも通りの光景というやつだが、さすがにイラさんは慣れていないようで、しばらく茫然とミダスさんの方を見つめた後に、小さく『いつもこうなのか……』と零していたのが少し面白かった。

 

私は当然ながらミダスさんに賛同する側なので、イラさんには『諦めて楽しんじゃったほうがいいよ』とだけ声をかけることにした。

 

 

 

 



 

 

 

 

──魔導国家ヴィーヴ・マギアス。世界有数の大国にして、魔法技術の最先端である国。階級や身分よりも実力主義という異様な国風と、マギアス魔導学院と呼ばれる巨大な魔法研究組織が国の実権を握っている異質な国家。

 

この世界において、魔法技術という生活からも戦争からも決して切り離すことのできないものを有しているこの国家が、世界で非常に強い権力を手にするのはそう難しいことではなかっただろう。


現に、今のこの世界の実権を握っているのはマギアスとサピトゥリアの二大国家と言っても過言ではなく、魔法に関してはマギアスが独占しているとまで言っていい。それほどまでにマギアスという国は強大で底の知れない国家だ。

 

『御足労を頂き恐縮です。水の都、神子の守人イラ・エルガー。除け者の巣、管理官ハンドラーミダス・エンシア。そして、"辻斬"クリジア・アフェクト。ようこそ、ヴィーヴ・マギアスへ』

 

そして、私たちの目の前にいるのは、そんな大国の事実上の支配者に近しい存在。

 

『こちらこそ、お招き頂いて光栄です。アビィ評議会議長』

 

『へぇ、管理官ハンドラーなんて呼ばれ方してんのか俺。いいなそれ』

 

『その通り名嫌いなんだけど、人形女』

 

『君らな……その、無礼についてはお許し願いたく……』

 

『構いません。元より、上下関係を言及するために呼んだのではありませんから』

 

相変わらず、無機質にさえ映る無表情で、アビィは淡々と言葉を続ける。

 

『大したおもてなしも出来ませんが、どうぞお掛けになって下さい。水の都……というよりも、神子とその近辺には先んじて伝えていますが、今回はお互いに、信頼を築きたいのです』

 

イラさんがいる手前『どの口で信頼なんざ言ってんだよ』という言葉をギリギリで呑み込んで、二人と一緒に用意されたソファに座る。客人として招いたという言葉通りなのか、茶菓子とお茶が用意されているし、ソファは体験したことがないくらいには柔らかい。それでも目の前の女への評価が私の中で最低な以上、差し引きで気分はマイナスなのだが。

 

『まずは先日の例の大災ですが、ご無事で何よりです。我々マギアスを含め、助力も出来ず申し訳ありませんでした』

 

『それに関してはマジで文句言って良いわけ?天下の魔導国家に国連がそろって何もできませんでしたって、本気で言ってんの?』

 

『はい。あの魔法を打ち消す性質を持った黒い壁、それを前に無力な状態でした。連日世界中で非難囂囂でしょう。ひとえに我々の無力が招いたものです』

 

アビィが顔色一つ変えずに、淡々と話しているこれは事実だ。

 

あの異常事態の中で、救える命があったんじゃないかだとか、連合軍は何をやっていたんだだとか、その場にいなかった人間が日夜声を大にして騒いでいる。


それはもうサルジュあたりが目の当りにしたら気を病みそうな勢いなのだが、正直な話あの場で『何もできなかった』と言われてしまえば、仕方なかったのだろうと納得できる気持ちが当事者だった私にはある。

 

『散々抵抗はした上でのあれなんだろ。それはもう仕方ねえだろうが、あの災害の正体はなんなんだよ』

 

『判明していません。魔法をほぼ完全に無力化するものなど、観測されたことがありませんから。あの黒い壁の正体も、その後に出現した大穴の正体も、全てわからないというのが現状です』

 

『そりゃ世界中から非難もくるわな』とミダスさんが天井を仰いで大きな溜息をわざとらしく吐く。アビィは『仰る通りですね』と、いつもの調子で頷き、ミダスさんの煽り混じりの意見に同意する。

 

『……と、ここまでは世間一般でのお話です。この先のお話が、貴方たちをお呼びした本題です。ダンタリオンは連れていますね?』

 

アビィが私の方を見る。事前にあったマギアスからの通達に、ダンタリオンも一緒に来るようにとの指示があったことはイラさんから聞いていたので、私は軽く頷いてから、魔術鞘に居てもらったダンタリオンを呼び出す。

 

『初めましてだよねお偉いさん。想像通りのつまんなそーな顔だね』

 

『初めまして、第71柱・欣快の祈りの願望機ダンタリオン』

 

『私たちがいたらその鉄仮面の裏側筒抜けだけど、ほんとに良いわけ?』

 

『はい。そのために貴方を呼びましたから。下手な言葉を重ねるよりも、貴方に見られている状態のほうが周囲も信頼できるでしょう』

 

アビィの淡々とした物言いに、ダンタリオンはすぐに怪訝な顔つきになり、若干困ったように私の顔を見る。

 

私はダンタリオンに『気持ちはわかるけど面と向かってもこんな奴』と声に出さずに伝え、ダンタリオンはとりあえず納得したのか、渋い顔をしながら私の隣に座った。

 

『さて……何をどこから話すべきでしょうか』


『それはこっちが聞きてえよ』


『ああ、すみません。仰る通りですね。ふむ……それでは、まずは私たちの目的、そしてそれに付随する秘匿事項をお伝えします』


アビィは紅茶を一口飲んでから、小さく息を吐き、私たちを見据える。


その瞳は妖艶な紅色の輝きを放ち、眼球は闇のように黒く暗い。その目を持つモノがどういうモノなのか、この場にいる全員が知っている。


『改めてですが、はじめまして。私はアビゴール。第15柱・未来の祈りの願望機です』


全員が絶句し、身構える。


ダンタリオンに目配せをすれば、これが夢でも嘘でもない現実であるとの答えが返ってくる。つまり、マギアスの、世界の実質的な指導者の一人が悪魔であることが現実として目の前にあるということだ。


『そう身構えないでください。殺し合いをしようというつもりはありません。この後の話の基盤として正体を明かしたのに加え、私の秘匿し続けている真実を知っていただくことで、貴方達からの信頼を期待しているだけです』


『……一体いつから、マギアスの中枢に立ち続けていた?』


『初めからです。イラ・エルガー』


『評議会設立からってことか……?』


『いいえ、初めからですよ。この国、マギアスが作られた時から、私はここに在ります』


私は歴史に詳しいわけではないが、マギアスの建国はかなり大雑把に考えても五百年は前の話のはずだ。この話が本当なら、それだけ長い期間をこのアビゴールという悪魔は、アビィ・トゥールムとして、あるいはその他の人間として、世界に当たり前のように紛れ込んでいたということになる。

 

人間に紛れて生活をする悪魔がいること自体は知っている。これでも悪魔に慣れすぎているくらいで、普通の生活をしている人が聞けばそれだけで卒倒してもなんら不思議ではない。だというのに、今この瞬間、目の前にある現実は、世界が文字通りひっくり返るほどのあり得ない話だ。というか、あり得ないことであってほしい。

 

『じゃあ何?私らは悪魔が率いる組織に世界の実権の半分以上を握られたまま生きてましたってこと!?』

 

『大袈裟に表現するのならその通りです。実態としては、私はただの中間管理職ですが』

 

『ダンタリオンの様子を見るに、嘘ではなさそうだが……だとしたら、お前は何を目的にしている?』

 

『今からそれをお話致します。ただ、少々遠回しな経緯もありますので、その辺りはご容赦を』

 

アビゴールが軽く姿勢を正し、私たちは全員が息を呑んでアビゴールの言葉を待つ。

 

『私たちの目的は知識の収集です。これは遥か昔……千年も前から変わらない唯一にして最大の目的になります』

 

ミダスさんたちが怪訝な顔をする中、私だけがハッとして、思わず立ち上がりアビゴールを指さしながら声をあげる。

 

『それ……!お前の上司が言ってた……まさかあの学長が契約者か!?』

 

『ああ、貴方は彼に会ったことがありましたね』

 

マギアス魔導学院の学長、ヴァン・コクマーと名乗ったあの男のことはよく覚えている。私たちをワノクニでバルバトスから助けてくれた人。と言えば聞こえはいいのだが、素直に助けてくれてありがとうとは言い難い、不気味で底の見えない謎の男が話した目的と同じ言葉を、今この悪魔は言ったのだ。

 

『彼は確かに仲間ですが、私の契約者ではありません。これももはや隠すつもりはありませんのでお伝えしますが、彼は貴方達が十柱と呼ぶ悪魔の一本です』

 

『はぁ!?学長っつったら実質マギアスの国王だろ!?』

 

『順序で言うのならば、彼の目的に賛同したのが私です。つまり、マギアスの創始者は彼……第3柱・知恵の祈りの願望機ヴァサゴ。現在のマギアス魔導学院の学長その人というわけです』

 

『今日ここだけで何回世界がひっくり返ったかもうわかんねえな……』

 

ミダスさんは頭を抱え、イラさんは何とも言えない表情のまま固まってしまっている。私はあまりの衝撃に眩暈を起こしてソファに崩れるように座り直す。ダンタリオンも何が何だかわからなくなっているのを見る限り、少なくともこの現実の異常さは悪魔と人間の意識の違いなどではないようだ。

 

『知識の収集、この目的のためには文明の存続が不可欠です。多種多様な思想、文化、価値、人生、そしてそれらから生まれる無数の選択……その基盤となるものがこの世界、ひいては文明であると私たちは考えています』

 

『お前らが何百年も前からいるなら、それこそ世界征服でもしちまえば良かったんじゃねえのか?今でこそわからんが、魔法がろくに普及してない時ならできない話じゃなかっただろ』

 

『ふむ、確かに世界の掌握も私たちの発想の中にありました。良い思考ですねミダス・エンシア』

 

『俺ならそうするってだけだ。なんでわざわざ面倒な箱庭を作った?』

 

『新しいものを生み出すためには柔軟で自由な発想が必要でしょう。支配下の奴隷から、主人以上のものは発生しない。それならば、自由で、ある意味では無秩序とも言えるような世界でこそ、知識の種は芽吹き、私たちにとって未知の世界へとその枝葉を伸ばしてくれると、私たちは人間にそういった期待をしています』

 

『無論、最低限の秩序は必要ですが』と付け加えて、アビゴールはお茶を口に運ぶ。

 

今までの話を整理すると、このヴィーヴ・マギアスという魔導国家は、二本の悪魔が自分たちの目的を果たすために、わざわざ一から築き上げた国家であり、世界をより快適な知識の宝庫として利用するために必要な管理機構ということだ。


一体どれだけこの国の在り方に介入していたのかはわからないが、マギアスは過去に貴族院が力を持ちすぎた際に、学院の創設と国家権限の分散が行われた歴史がある。現在のマギアスの在り方を見るに、少なくとも当時の貴族院を失墜させたのはヴァサゴとアビゴールで間違いないだろう。

 

『さて、ここまでは私たちの根幹の目的のお話でした。ここからは現在の私たちとしての目的、そして今この時代を生きる貴方達にとって、重要な話になります』

 

『我々にとっても重要な話?』

 

『はい。先程、文明の存続が知識の収集には不可欠だとお伝えしましたが、これは言い方を変えれば文明が崩壊すれば知識も失われてしまうということです』

 

『今回の大災みてえなことが起きた場合ってわけだな』

 

『その通り。そして、この世界は過去に一度全てを失っている』

 

『全てを失っている……?』

 

『ええ、今この世界は"二つ目"なのですよ』

 

アビゴールは淡々とした様子で、まるで御伽噺の冒頭のような言葉を続ける。

 

『今から千年以上も前……今現在、幽世と呼ばれている世界。人間の歴史では知られることの無い歴史を、これからお話します』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さて、大前提としてですが、貴方達は幽世についてはご存じですか?』

 

『俺は知ってる。クリジアも聞いたことはあるよな』

 

『ありますよ。ダンタリオンからも似た話聞いたよね?』

 

『したした。私たちが契約結ぶ前にいる世界だね』

 

『私もミダス経由で微かにならば……』

 

各々がアビゴールの問いに応え、アビゴールは『最低限の認識があれば結構です』と少し満足気な様子で頷く。

 

『今現在、この世界での幽世の認識は現世の影や裏側、或いは悪魔の住む世界といったものです。ですが、千年ほど前までは今の幽世が現世であり、今の現世が幽世でした』

 

『待て待て待て鉄仮面。早速何を言ってるのかわかんねえぞ』

 

『理解し難い話であることは理解しています。ですが、一度全てお話させていただいても?おそらく、その方がいくらか理解がしやすくなりますので』

 

『……わかった。お前らもそれでいいな?ダンタリオン、嘘だ謀略だがあったら即座に言えよ』

 

ミダスさんの言葉に、私とイラさんは頷き、ダンタリオンは『任せといて』と胸を叩く。

 

正直なところ、今の話が始まる前から私の頭はとっくに処理能力の限界を超えて、話を理解することを拒みたい気持ちでいっぱいなのだが、ミダスさんとイラさんの手前そんなことはさすがに口に出せない。


というか、ミダスさんはなんでこの状況で思考停止に陥らないのだろうか。頼もしい話ではあるが、この人はやっぱり胆の座り方が常人とはあまりにも違いすぎる気がする。

 

『では、そうですね……現世と幽世はそれぞれ一枚の紙だと思ってください。過去に起きたこと、そして今現在の状況を端的に説明するには、この例え話が良いでしょう』

 

アビゴールは言いながら一度席を立ち、紙とペンを持って戻ってくる。二枚の紙を重ね、ひらひらとその様子を見せながら『これが世界の簡易模型です』と私たちに説明した。

 

なんとなく癪だが、学院の所属で副学長というだけあって、淡々としていて人間味は薄いものの、説明や物の見せ方は妙に手馴れている。

 

『先の大災で空いた大穴。あれは現世にのみ空いたものです。ですので、あの穴の底を覗き込めば幽世が見える状態になっています』

 

アビゴールが重ねた紙の一枚にペンを使って穴を空ける。

 

『この穴が空いた状態が今現在。そして、この先に発生するのは幽世の氾濫。そして世界の漂白です』

 

『世界の漂白……?』

 

『順を追って説明しましょう。まず、この穴から幽世……裏側にあった紙が表側へと引き摺り出されます。そして、裏側が全て表へと出てきたとき、元々表であったはずの紙に覆いかぶさるようにして新たな表になります。これが世界の漂白の簡素なモデルです』

 

『……その漂白?が起こるとどうなるわけ?』

 

『世界の再構築が発生します。今あるものを全て消し去り、まったく新しい世界が生まれ、また新たな歴史が同様の破滅を迎えるまでの間築かれ、それを繰り返していくことになるでしょう』

 

『世界中どこにいても、その時には全員死ぬってこと?』

 

『はい。人も物も、歴史すらも全て等しく白紙に戻ります。今を生きる貴方達にとっては、文字通り世界の終わりです』

 

あまりにも突拍子が無く、あまりにも現実離れした壮大な話に、私の思考は完全に停止していた。今の世界が既に一度滅んだ後にできた世界だとか、千年も前の災厄が今再び現実で起きようとしているだとか、話の全てが御伽噺や与太話の類にしか聞こえてこない。しかし、そんなあり得ないとしか思えない話が現実として、容赦なく進んでいく。

 

『これに抗うためには、王と呼ばれる悪魔と、王の従える災禍に打ち勝つしかありません』


『王?悪魔にも王がいんのか?』

 

『形式上そう呼ばれている程度のものです。始まりの悪魔、第1柱・万災の王バアル……これに関しては残念ながら、私たちもあまり多くの情報は有していません』

 

『それに対処するために、より信頼のおける味方が欲しかったということか』

 

イラさんの言葉に、アビゴールは『その通りです』と静かに頷き、肯定する。


『私たちが貴方達を招き、正体を明かし、世界に秘匿している現状をお伝えした理由をご理解いただけたようで何よりです』


今までの話が現実味を帯びないのは変わらないが、ここに関してはアビゴールの考えも理解できる。


私たち除け者の巣は、悪魔との関わりが深く、イラさんが言っていたように良くも悪くもだがマギアスとの関わりに加えて、傭兵としてもそこそこ名の売れた連中だし、水の都については小国とはいえど、国連にも所属している強国で、尚且つ私たち除け者の巣とも繋がりが深く、なにより十柱の一本でもあるブァレフォールを退けたという実績が大きいだろう。


『漂白が起きれば、貴方達の築いてきたものは全て消え去り、私たち悪魔は新たな幽世で幾らかの休眠期間に陥ります。この協力関係の締結は我々の目的の為にも、貴方達の存続の為にも、決して悪い話ではないと考えています』


『確かに、話を聞く限りはそうだが……』


『いいや待てイラ嬢。悪魔はその漂白を越えられるんだろ。だったら、わざわざその王とやらに抗って、滅ぼされる可能性に立ち向かうのは理屈が通らないんじゃねえのか』


『……ミダス・エンシア……貴方を、あの強欲が気に入った理由が、少し理解できた気がします』


アビゴールが感心したように、深い溜息を吐いてから、再び顔を上げて私たちを見る。


その表情は、普段とはあまり変わらないが、今までとは違いどこか暖かさを感じられるものだった。


『私たち……いえ、ヴァサゴは、彼は人間に特別な思い入れを持ってはいません。故に、この先に起きる事に、感情を向けることはないでしょう』


『俺らがくたばろうが、世界が終わろうが、気にはならねえってことだな』


『そうですね。彼はこの先にあるものを、運命と言うほど壮大ではなく、ありふれた悲劇とも言い難いものであると、そう言っていました。抗う事も、抗わない事も、今を生きる者の選ぶ道の一つ。それについては、私もそれで良いと考えています』


淡々と話していたアビゴールの膝の上にあった手が、微かにだが握り締めたように動く。


『私も、初めはヴァサゴと同じ考えでいました。今の世界に固執する必要はない。私たちはこの世界が終わろうと、次がある』


アビゴールは『ですが……』と続け、その声は微かに震えていた。


淡々としており、冷徹で冷酷。目的の為なら何を犠牲にしても全く気にしないような奴だと思っていた人形女の、予想外の姿に思わず私は息を呑む。


『私は、今の世界の未来さきが見たい。……私は、学院の生徒が好きです。共に苦労を過ごしてくれたアジュエラ……契約者が好きです。それらを失いたくはない。私情ですが、私は私が守りたいものの為に貴方達と協力をさせて頂きたいのです』


初めて、表情を見た。


そんな気がして、ダンタリオンの方を見れば、この言葉に嘘がないことに確信を得ることができた。


『私は、今の世界には魔女や悪魔との関与を含め、抗う力があると見ています。何もせずに滅ぶくらいならば、私は……』


『最初に言えよそういう話は。人間と関わって長いんだろお前』


ミダスさんが呆れ切ったような様子で深い溜息を吐き、アビゴールはそんなミダスさんの姿に面を食らったのか、キョトンとした顔で固まってしまう。


『初めてこいつの人間っぽいとこ見たっすよ。私、関わり自体は割とあったのに』


『死ぬほど嫌ってたもんねクリジア』


『今も別に好きじゃないけどね』


『本人の前で言ってやるな……私も、公の場以外の姿を見たのは初めてで、概ね同じ意見だが』


私たちはそれぞれ顔を見合わせてから、小さく笑い合い、アビゴールの方へ向き直る。アビゴールは私たちの態度が流石に不服だったのか、若干不満気な顔で私たちを見ている。


それすらも珍しいものを見たような気がして、面白く感じる。


『俺は協力してやるよアビゴール。水の都はどうするか知らねえが、俺も世界が終わるのは困るからな』


『水の都も協力はするさ。あの神子様が自分の国を脅かすものを、指を咥えて見てるなんてできるわけもないからな』


『……貴方達の信頼の基準がよくわかりませんが……まずは、ありがとうございます』


アビゴールは不服そうな顔のまま礼を言う。


この辺りの人の心の機微に対して『よくわからない』という感想が出てくるあたり、やはり人間とは感性が違うところはあるのだろうが、少なくとも今までに比べれば相当好感が持てる姿なのは間違いない。


『では、早速ですが情報の共有と交換を行いましょう。我々の目的のため……そして、この世界の未来のために、よろしくお願いいたします』


『つっても俺らが持ってる情報でお前らマギアスが持ってないものなんて殆ど──


突如、部屋に大きな音が鳴る。私は比較的聞き慣れた、通信魔具の呼び出し音だ。


『失礼。緊急通信のようです』


アビゴールがそう言いながら立ち上がり、魔具に触れる。こういったところも一切秘匿しないのは、おそらくは信頼の証なのだろう。


『アビィ・トゥールムです。如何いたしましたか』


『緊急伝令……!!武装都市メルセナル近郊に一本、サピトゥリア郊外地区南部に一本、大穴近郊に一本、計三本の悪魔が同時顕現!!内、メルセナル近郊を除く二カ所は被害甚大、規模不明!!』


全員に、緊張が走る。


悪魔の同時顕現、というのは聞いたことがない。しかし、各地に害意を持った悪魔が、突如として出現したとなれば、それは天災にも匹敵する危機なのは間違いない。


『か、各該当地域より声明……!?お、おそらくですが、悪魔からのものであるとの情報有り!』


『……内容を』


深刻な表情のアビィを見て、イラさんとミダスさんはそれぞれ自分の所属する組織への連絡を取り始める。


私とダンタリオンはミダスさんに少しそのまま待ってろとの指示を受け、通信魔具を握りしめるアビゴールの姿を見つめながら、次の言葉を待つ。





『読み上げます……!し、"侵攻は7日後"……!"目標は、サピトゥリア"!!』



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