42話 負け犬の勝ち方


突如として現れたアンドラスと、黒煙を噴き上げる炎を前に、エルセス達は状況を飲み込めないまま茫然と立ち尽くしていた。

 

『何者なのよ……アレ……』

 

『……俺たちと戦った悪魔。例の鉄の雨の主犯だよ』

 

『まだボクの賭場から出て来れるはずないんだけどなぁ普通は』

 

煌々と燃え盛る戦火に照らされながら、アンドラスはエルセス達の方を振り返ることをせずに、二人の疑問へ答える。

 

『無理矢理に出させてもらった。此方は望まれた以上、その役割を果たさねばならん』

 

『戦争の役割?ほんと、心底真面目な悪魔なんだねお嬢さん』

 

『貴公達にも、役割があるのだろう』

 

アンドラスが外套を翻し、そこから無数の兵器が現れる。

 

その銃口は全て、エルセス達とは真逆を向き、ブエルとヴォラクを睨みつけていた。

 

『行け。役割を果たすことが、今に在る者の責務だ』

 

エルセスは少し考え、アンドラスの背を見た後にサルジュとダンタリオンの方へ向き直る。

 

『……このまま最初に俺たちが集まった場所に向かって逃げる。二人とも走れる?』

 

『えっ、いや、走れるけど……あいつ味方なの!?』

 

『味方とは言い難いけど、都合は良いってやつ。今回は向こうで勝手に喧嘩してくれるらしいからね』

 

エルセスは納得しきれていない様子のダンタリオンとサルジュを半ば無理矢理に走り出させ、その後を追う形で走り始めるが、少し進んだ先で足を止め、アンドラスの方を振り返った。

 

『ありがとうって言っといた方が良いかな。お嬢さん』

 

『必要ない』

 

『そっか』

 

アンドラスは振り返らず、エルセスは少しの間その背を眺めていたが、納得したように小さな笑いを零してアンドラスに背を向ける。

 

『マスター、あいつ……多分、相当な無理してるよ』

 

『わかってるよ。でも、どうにかできる力は俺たちにはない』

 

不安そうな顔のベリスの頭を軽く叩いて、エルセスは微笑む。

 

エルセス自身、どういった心境の変化なのかまではわからないが、アンドラスが限界に近い状態で、自分たちを助けるためにここに来てくれていることは理解していた。理解しているからこそ、エルセスは振り向かないことを選んだ。

 

『貴公、感謝する』

 

『いいよ。カッコつけたい奴の気持ちはわかるのさ』

 

『……次に貴公達に逢えた時には、此方と遊んでほしい』

 

『もちろん。……楽しみにしてるよ、お嬢さん』

 

エルセスはそう言って、アンドラスの返事を聞くことなく走り出す。アンドラスは一度もエルセスとベリスの姿を見ることなく、自身の外套から取り出した銃器を握りしめ、顔をあげる。

 

『……ありがとう、友人よ』


直後、天すらも焦がさんと燃えていた炎を裂き、巨大な氷塊がアンドラスへと降り注ぐ。アンドラスは手にした銃器を数発撃ち込み、ミサイル弾の炸裂で氷塊を粉々に砕いた。その爆炎と氷片の隙間から、人の手を模られた無数の黒い泥がアンドラスを捕えようと伸びるが、アンドラスは手のひら大の爆発物をばらまき、泥の手を木端微塵に吹き飛ばした。

 

爆炎と粉塵の奥から、二本の悪魔が姿を見せる。

 

『おいおいおいおイふざけんなヨ……なんだァ、テメェは?』

 

ガリガリと骨が剥き出しになっている顔を掻きながら、心底不愉快だと言うようにヴォラクが杖を地面に打ち付ける。地面からはまるで沸騰しているかのような音を鳴らしながら、黒い泥が溢れ出し、その全てがヴォラクの怒りに呼応するように、脈動しながらアンドラスを睨みつけている。

 

『此方は戦火。戦争の祈りの願望機。貴公等の敵だ』

 

『戦火、戦争ねェ……いいじゃねえカ。正義ワタシも、快方ブエルも、戦争のことは大好きダ』

 

『発言の意図を理解しかねる』

 

アンドラスが鉄塊を二本の悪魔へと複数放り、それをヴォラクが杖で弾き飛ばす。弾かれた鉄塊は地面に落ちる前に火を噴いて爆ぜた。

 

『……やっぱそうカ。最初っかラ妙な感じはしたガ、お前の力……魔法じゃネェな?』

 

アンドラスはヴォラクの問いに答えることなく、銃口をヴォラクへ向け、引鉄を引く。手に持った銃器が咆えるのと同時に、既に造り出されていた兵器も呼応するように咆哮する。

 

『"羨望千手千辨万禍せんぼうせんじゅせんぺんばんか"』


鉄の雨がブエルとヴォラクに到達する直前、その全てが異形の怪物の手に呑み込まれ、脈打つ肉の塊のようなものに姿を変えた。

 

黒い泥で形作られた、無数の手の塊のような怪物は空に咆え、その手で触れたものを作り変えていく。生み出されたものは、肉を無理矢理繋ぎ合わせ、腐乱死体を操り人形としたような人の形を模した怪物の群れ。その全てが呻き声をあげながらアンドラスを睨みつける。

 

『ブエル。お前はあの人間を追っテ殺してこイ』

 

『……いいの?』

 

『どうせ逃げられやしネェが、殺した方が安心だしナ。ちゃんと殺せヨ?治すのはなしダ』

 

『そうね、そうしましょう。この悪魔は大丈夫?』

 

『ヒヒッ、死に損なイ一本くらいどうとでもなるサ』

 

ブエルは『そう』と短い返事を返すのとほぼ同時に、アンドラスの横を抜け、エルセス達を追うために走り始める。

 

『行かせると思うか』

 

アンドラスはすかさず銃を構え、ブエルを照準に捉える。

 

『邪魔させルと思うカ?』

 

弾丸を放つ前に、銃に怪物の手が触れ、肉腫のように銃が変貌する。肉腫はどくどくと不気味に蠢いてから、アンドラスを呑み込もうと広がり始めた。

 

アンドラスは舌打ちをして、銃だったものを放り投げ、新たな武器を取り出そうとするが、怪物から伸びる無数の手に捕まり、地面に叩き伏せられる。

 

『ア?なんだヨ、悪魔には効かネェのか。羨望……まぁ、人間に憧れタんなら当然カ』

 

蠢く無数の手を爆炎が吹き飛ばし、炎と煙の中からアンドラスが飛び出す。自分自身を巻き込んで拘束から抜け出したがために形が崩れているが、お構いなしに機銃を取り出し、ヴォラクと怪物へ向けて弾丸を放つ。

 

弾丸はヴォラクに到達することはなく、怪物の手に触れたものは溶けるように別の物へと変貌し、他の弾丸は肉人形の群れをいくらか蹴散らし、脈動する腐肉に絡め捕られて失速する。

 

『ヒヒヒ!あいつの祈っタ戦争がお前なラ納得いくゼ。魔法を用いなイ兵器、殺すたメにだけ作られタものが生ム戦争!いいネ、お前のことは好きになれそうダ!』

 

『此方を呼んだ者を知っているとでも?』

 

『契約者は知らネェよ。もっと根っこの部分サ』

 

『理解しかねる』

 

『そうかヨ、悲しいナァ。あいつの理想の体現者だっテのに』

 

ヴォラクの操る怪物の手が地面に触れる。地面は一瞬のうちに泥沼のように変化し、上に存在する全てをゆっくりと呑み込み始める。

 

アンドラスは外套から出したいくつかの大型の兵器を足場に泥沼から逃れ、その要領で爆弾を足場に空を駆けるようにしてヴォラクの頭上を目指す。

 

泥沼に囚われ、降り注ぐ爆弾が着弾するのを待つのみとなっていた肉人形たちは、沈みながらも近くの仲間にしがみつき、一つの巨大な鎖のようになって怪物の手に再び触れた。瞬間、肉人形は一つの腐乱した大蛇のような怪物に変わり、爆撃でその身をいくらか砕かれ、焼かれながらもアンドラスを呑み込み喰らおうと迫る。

 

『奇怪な……!』

 

アンドラスは大砲を大蛇に向け、口腔内に向けて放つ。炸裂した弾頭は大蛇の頭を吹き飛ばしてみせた。その爆風でアンドラスはさらに高い位置へと飛び上がり、眼下のヴォラクと怪物を見据える。

 

鉄翼八十七式・崩壁ノ鬨シュトゥーカ・ヴァルトルナ

 

唸り声とも、楽器の音ともとれるような、独特な音と共に特大の爆弾がヴォラクの直上から、急加速を伴って複数発放たれる。怪物の手に触れた爆弾は、爆ぜることなく肉塊へと変わってしまうが、放たれたうちの一発が怪物の手を掻い潜り、爆炎を噴き上げる。

 

『怪物諸共焼き払う……!』

 

爆炎に包み込まれた怪物は悲鳴を上げ、無数の手を苦しそうに蠢かせる。アンドラスはその隙に複数の機銃や大砲を外套から造り出し、眼下のヴォラクと怪物へ全ての銃口を向ける。

 

『報復、惆悵、因果の鎖──

 

怪物が形容し難い咆哮をあげ、アンドラスへ全身の手を伸ばす。

 

『敵を滅ぼすのが此方の役割だ』

 

それとほとんど同時に、アンドラスの持つ全ての兵器が叫んだ。

 

──咎人の首縄、滴る緋色に澱を映す』

 

業火と轟音が弾け、熱が世界を呑み込む。

 

 

 

 

 

 

 

──何が起きた?

 

空気の焼け焦げた臭いと、夥しいほどの黒煙が埋め尽くした空を見上げながら、アンドラスは自身に起きた異変を確認するために身体を起こそうとする。しかし、身体が起き上がることはなく、辛うじて首をあげて身体を見れば、胸元から下が殆ど吹き飛んでいることがアンドラスの霞む視界でも確認できた。

 

悪魔の身体は損傷を受けても自動で元の形に修復される。しかし、それはあくまで悪魔の核に修復のための余力が残っている場合に限られ、核が限界を迎えれば、形は修復されることはない。アンドラスは自分の身体の修復が止まっていることを悟り、脱力して空を見る。

 

『叶わず、か……』

 

ガリガリと、杖を引き摺る音がする。アンドラスが音の方向を見ると、無傷でゆっくりと近づいてくるヴォラクの姿が目に入る。

 

その表情は嘲笑でもなく、憤怒や不愉快でもなく、微かな寂しさが浮かんだような表情だった。

 

『……勝者の割に、嬉しくなさそうだな。貴公』

 

『そりゃあナ。ワタシは仲間を殺しテ喜ぶような奴じゃネェのさ』

 

『仲間か。貴公とは親しい記憶はないが』

 

『ヒッヒッヒッ。勿論そうダ。初めましテだからナ。だがワタシはお前を知っていル。気に入ってもいル。実にあいつの願いの欠片らしイ呪いだヨ、お前は』

 

ヴォラクはアンドラスの眼前に杖の切先を突き付け、ぐにゃりと歪んだ笑みを見せる。

 

『お前、何か叶えたイものがあるだロ。あの人間との再会カ?元々敵だっつーのニ、何がそこまデさせた?』

 

『願望機が、何かを願ってはならないという規則はない』

 

『願い、願いネェ。確かに悪いことじゃねえナ』

 

ヴォラクは少しの間考え込むような素振りを見せた後、何かを思いついたように再び口を開く。

 

『叶えてやろウか?その願い』

 

『何……?』

 

『ワタシ唯一の魔法は願いを叶える魔法ダ。お前が本当に願うなラ、ワタシがそれを叶えてやるヨ』

 

アンドラスは自身を見下ろすヴォラクの目を、若干の驚愕を込めて見つめながら考える。

 

彼女は戦争を願われ、その為に現れる悪魔である。己の為に勝たなければならないものであり、勝利こそが自分の背負うものを守る唯一の手段となる。それこそが戦争であると、誰よりもこの残酷な行いを疎い、畏怖していた者。何よりも役割に、自分の意味に愚直に向き合った彼女だからこそ、エルセスともぶつかり合い、街に突如として出現した怪物にもその力を振るった。

 

そんな愚直さと諦観に突き動かされ続けた彼女にとって、叶うはずのない願いが叶う手段というのは、それがたとえ罠であったとしても、酷く魅力的なものだった。

 

『……此方は、望まれるべきではない』

 

だからこそ、彼女はそれに手を伸ばすことをしなかった。

 

『好きに生きた方ガ楽しいゼ。他人なんザ、気に留める方が異常なんダ。それに言ったロ、ワタシは仲間を殺したイってわけじゃネェんだ』

 

『貴公の言葉が真実ならば、此方にはとても魅力的だ。……人と、手を取り合ってみたかった。此方が在る場所は、戦火が絶えなかったから』

 

『なら、それをワタシが叶えて──

 

ヴォラクの眼前に、鉄塊が放られる。

 

『喋りすぎたな、貴公。此方はもう……欲したものは得ている』

 

爆炎が吹き出し、二本の悪魔を呑み込みながら辺りを吹き飛ばす。

 

『さようなら。私の手を取ってくれた、友人よ』

 

 

 

 

 


 

 アンドラスと呼ばれた悪魔にあの場を任せた私たちは、あてがあるのかもわからないままにエルセスの指示した地点へと走っていた。

 

『エルセス!言われた通りに逃げてるけど、あそこ行ったらどうにかなったりするわけ!?』

 

『いやぁ、なるといいな~って思ってはいるんだけどね』

 

『うぉい!!え!?嘘でしょ!?』

 

藁にも縋るような思いで、一縷の望みをかけて走っている今、考えられるなかで一番聞きたくなかった返事に思わず叫ぶようにしながらエルセスの方を見る。悲しいことに、私たちは見ただけである程度は人の心が読めてしまうため、エルセスが嘘をついているわけではないということがわかってしまって驚きが倍になる。

 

一緒に走っていたサルジュはもちろん、エルセスとどの程度一緒にいて、どのくらいの信頼関係があるのかははっきりとはわからないとはいえ、少なくともこの場での死線を共に潜り抜けてきたであろうベリスすらも驚愕が隠せない顔でエルセスを見ているので、私たちのこの反応は間違いではないらしい。

 

『え!?じゃあこれなんのために走ってるんですかエルセスさん!?』

 

『いや一応ね?一番生き残れる可能性を選び続けてはいるんだよ俺も。けどこんな状況だし絶対はないしで、諦めないことくらいしかできないってわけで』

 

『マスタぁー!?おま、ホントにいよいよ頭の部品いくつか吹っ飛んだんじゃないかって疑うぞ!?今正気だよな!?』

 

『正気正気。けどま、こればっかりはうちの寂しがり屋さんに賭けるしかなくってさ』

 

『なんの話だよそれ──

 

私たちの緊張感のないやり取りを遮るように崩落音が響き渡る。

 

建物を焼き菓子のように砕きながら現れた、私たちを睨みつける悪魔の姿が目に映る。もう既に見たくもないものになった五本の腕。破綻した性格、性質に似つかわしくない可愛らしいケモノ耳。緩やかな曲線を描いた二本の角。私たちとクリジアを極限まで追い詰めた化物、ブエルの姿がそこにあった。

 

『ま、皆は俺が賭けに負けたら恨んでくれていいからさ。最後の鬼ごっこと思って、気合入れていこうじゃねえの』

 

『っ~~!!もしこの場の人間全員死んだら本気で恨むからな詐欺師男!!』

 

『まだ負けてないのに酷ぇ言い草だなダンタリオンズ……』

 

こんな時でも軽い調子のエルセスに恨み言をぶつけ、私たちは一斉にブエルに背を向けて走り出す。

 

ブエルの様子は未だに最初とは打って変わって苦しそうで、殺意を明確に向けてきている恐怖感はあるものの動きや思考回路に関しては鈍っている。あれの思考回路は最初から機能していたかは怪しいが、動きが鈍っているのは僥倖だろう。

 

『私を、何を、見たなら、殺すわ。消えて』

 

ブエルが雷の弓矢を構え、逃げる私たちを見据えて矢を放つ。放たれた雷の矢は瞬きの間に着弾し、先程のものとは違い着弾地点を派手に吹き飛ばしてみせた。

 

私たちがいるように見えていたであろう位置で起きた惨劇に血の気が音を立てて引いていく。

 

『ダンタリオンちゃんの魔法やっぱ便利ね』

 

『そう長くは持たないかんね!!ついでにクリジアの身体というか、魔力も限界だし!こいつ魔力量多くないんだよ!!』

 

魔力を過剰に使いすぎると人間の身体はすぐに悲鳴をあげる。大気から魔力を取り込み超回復をしようとする作用と、一気に流れ込んでくる魔力に肉体が耐え切れずに損傷が発生するのが原因で、ざっくりと言ってしまえば過呼吸の魔力バージョンのようなものが発生する。今そんなことになればクリジアの身体は当然動かなくなってしまう。

 

『十分時間稼ぎにゃなってるさご友人!というかあんなとんでもないのとずっと鬼ごっこしてたわけ?命知らずなこったね~』

 

『したくてしてたわけじゃねーよ!!』

 

『そりゃそうか!』と笑うベリスにお前も大概呑気というか危機感がないぞと文句を吐き捨てる。この悪魔は頼もしいのか何も考えていないのか、あるいはそもそもこの場がどうでも良いのか、私たちにはわからないが、少なくとも真面目ではないのだろう。

 

そんな漫才をしているうちに、ブエルが自身の目を潰し、私たちの魔法から脱する。ただでさえ異質さからくる威圧感を持つ眼光に加え、一度潰した眼球から溢れ出た鮮血が、涙のような跡を残しているのが心底不気味で恐ろしい。

 

『面倒なことするわね、本当に!あなたたちのこと嫌いよ!!』

 

『こっちのセリフだよイカれ女!!』

 

私たちを目掛けて走り出したブエルに、中指を立てながら罵倒を返す。

 

皮肉なことに、不安定になっている様子の今のブエルの方が、精神的な動向に関しては人間に近しいというか、当たり前の心の動きに近づいていてわかりやすい。

 

『サルジュ!』

 

『やっぱり便利ですごいわよ!その魔法!』

 

ブエルが一際地面を強く蹴り、飛び上がった瞬間をサルジュの氷が捕える。下半身を氷に呑み込まれたブエルが顔を顰めた直後、ブエルの頭が光と共に爆ぜて消し飛ぶ。

 

『うお、思ったより威力あるねベリスの爆弾サイコロ』

 

『爆弾サイコロって呼び方やめろよな!やってることは確かにチンチロなんだけど!』

 

エルセスの魔法、というよりはベリスの魔法だろうか。遊び道具や遊戯そのものを用いた魔法のようだが、サイコロで悪魔の頭を吹き飛ばすような真似ができるのはだいぶめちゃくちゃだと思わずツッコミたくなる。

 

思い返せば、最初にブエルの一撃を防ぎ切った大盾のようなものも、ルーレットに使われる盤のようなデザインをしていた気がする。ベリスの魔法は強力なことは間違いないが、運や遊戯の勝敗など、様々な要因で上振れも下振れもする、不安定極まりない魔法なのかもしれない。


それを信じて使うエルセスも、術者であるベリスも相当肝が据わっているのか、あるいはブエルとはまた違う狂人の類なのか、少しわからなくなるが、今は頼もしい味方であると割り切ってそこで思考を止める。


『これで少しは時間稼ぎになるかな……運が良いことを祈ってもう少し逃げよう』


『もう今なるようになれとは思ってるけど、マジで運任せなのどうかしてるからなエルセスお前!!』


『そんくらいやらないとどうにもならない状況ってわけ!』


ブエルの身体が動き、吹き飛んだ頭を治して再生させる。下半身を捉えている氷を背から生えた腕で砕き、四本の腕に魔法を構え始める。


先程、辺り一帯を吹き飛ばして見せた破壊魔法。


『げぇっ!?アレはボクが止めるしかないけど保つかなぁ……!?』


『あたしも手伝うわ!!』


『大丈夫かよあんた!人間は吹っ飛んだら直らねえよ!?』


『逃げても立ち向かってもあれ止めなきゃ死ぬでしょ!!』


『それもそうか……!んじゃ気合い入れて頼むよ人間さん!』


ベリスが魔具を、サルジュが剣をそれぞれ構える。ブエルはすでに魔法を放つ直前になっており、ここから魔法の発動自体を止めることは不可能だ。


つまり、あの破滅的な威力を誇る魔法を、なんとか防いでもらうしか生き残れる術がない。


『いい加減、消えて!!あなた達のこと嫌いよ!!』


『消されるのは勘弁したいぜご友人!"回る運命盤ルゥリエローク"!』


『ここまで逃げて無駄でしたなんて絶対嫌よ!"万年氷壁"!!』


破壊の種が放たれ、氷と黄金の盾に触れたと同時に芽吹く。音が消えたような感覚と共に、視界が炸裂した光に飲み込まれる。


身体が後方に吹き飛ばされ、幾らか地面を転がった後に、現状を確認するために顔を上げる。


土煙の中に見える、立っている人影は一つ。人間とは異なる影の形をした、五本腕の魔人の姿。ベリスの魔具もサルジュの氷も砕かれたようで、私たちは全員揃って吹っ飛ばされたようだ。


『鬼ごっこも終わり。人を殺すのは嫌いだけど、あなた達は殺さなきゃ』


ブエルが雷魔法を構えて、私たちへ向ける。


『悪魔ってのはやっぱとんでもねえな……悪いねみんな。とてもじゃないけど、俺じゃ守りきるのは無理だった……』


あとは焼かれて全滅するだけだと、諦めて目を閉じる。私たちは悪魔だから生き残るかもしれないが、この場にいる人間は助からない。それではなんの意味もない。


そう思っていた。


『だから俺以外に賭けることにしてたんだ』


響いたのはガリガリという地面を削る音と、鈍く重い衝突音。


目を開けて、視界に映ったのは竜車を模したような妙な魔具と、それに追突され吹き飛ばされたブエルの姿。


『えっ……?』


竜車らしきものから炎が飛び出し、ブエルへと飛びかかってブエルを焼き、さらに吹き飛ばす。


ブエルを吹き飛ばした炎の中から姿を見せたのは、紫の髪に少し柄の悪そうな眼の男。側頭部に生えたツノと長い爬虫類のような尾には見覚えがないが、間違いなく見慣れた人間の姿だ。


『ははっ!やっぱ俺らの切り札と言えばお前だよなぁ、ミダス!!』


『死にかけといてよく言うなテメェエルセス!!さっさと逃げんぞ!!』


ブエルを焼き飛ばしたミダスが、私たちの方に走りながら叫ぶ。


『動けるやつはこれに乗りな!エル!!あんたはカッコつけてないでさっさと来る!!』


魔具の方からも声が飛び、その声はエルセスも予想外だったのか、珍しく目を見開いて驚いて口を開く。


『うぇ!?ベラもいんの!?大盤振る舞いじゃんか!』


『細え話は後でしてやるから動け親友!つか俺も聞きてえこと山ほどあんだよこの状況!!』


叫びながらミダスがサルジュを引っ掴み、エルセスが私たちを担いで竜車のような魔具の荷台へと転がり込む。


何が起きているのか、今のこの状況が都合の良い夢か幻覚なんじゃないかと、何もわからないままあたりをキョロキョロと見回すことしかできなくなっていた私たちにエルセスが笑いかける。


『ほら、全員無事だ。賭けには勝ったぜ?』


悪戯な笑顔でそう言ったエルセスの頭上にミダスの拳が落ちる。


『ほらじゃねーよ。俺らが来てなかったらアウトだったろ』


『いやいや、寂しがり屋のお前なら来てくれるとは信じてたよ』


『じゃれ合いは後にしなバカ二匹!さっさと逃げるよ!!』


ベラの怒声と共に、魔具が再び動き出す。かなりの速度が出ているせいなのもあるが、乗り心地はお世辞にも良くはない。それでも、赤子の揺籠のように安心感のある空間に感じるのは、ここが現実で、頼りになる仲間というやつがいるからだろう。


『み、ミダスさんに賭けたって……連絡取れなくなってたのに……』


『連絡取れなくなったからこそだよサルジュちゃん。言ったろ?うちのリーダーは寂しがり屋だからさ。どうせ居ても立っても居られなくなっちゃったんだって。だろ?』


『お前だけ叩き落として置いてくぞこの野郎』


『ごめんごめん!感謝してるって!俺一人じゃどうにもならなかったからね!』


ある意味の信頼関係だろうが、じゃれ合うミダスとエルセスを見ながら、ようやく意識が現実に追いつき始めたあたりで、私たちはエルセスに詰め寄る。


『最初から言えよ賭けの中身さあ!!私たちは何も知らずにいたんだぞ!!』


『言っちゃうと君らが最後に恨むのミダスになっちゃうだろ。恨まれるなら俺、感謝されるならミダスとかベラが良いんだよ』


『……人間ってのはどいつもこいつも!!』


不貞腐れ、大の字に寝転んだ私たちを見てエルセスはケラケラと笑い、そんな姿を見かねてかベリスが私たちの頭を軽く叩いて慰めてくれた。


クリジアもそうだが、誰かのためにここまでやるかという人間は本当に多いし、よくわからない。助けられた以上文句も言い難いが、ここに駆けつけた二人も二人だ。私たちなら見捨ててただろうなとまで考えてから、今まさに変えの効く契約者を必死で守りながらここまで来た自分のことを思い出して、自爆したような気分になり思考を止める。


『で、リーダー。この魔具なんなんだよ?』


『魔竜車っつー魔力を動力にして動く魔具だ。どっから仕入れたかは聞くな』


『ベラが動力もやってるってこと?魔力大丈夫か……?』


『いや、状況が状況だからな。怪物を動力に連れてきた』


『怪物?』とミダスの話を聞いていた全員の声が重なる。そこに少し遅れて『キヒヒ』という笑い声が響いた。


ミダスの足元の影が不自然に伸び、そこからずるりという音と共に無邪気な笑顔が顔を出す。


『ヤッホー。みんな元気?元気そう。良かった、良かったねえ』


『あー、なるほどね……まさしくモンスターマシンってわけだ!あっはっはっ!』


『あの、あたしは魔具よりミダスさんのその姿の方が気になるんですけど……』


『あ?あぁ、そうかお前はあれ見たことも──


ミダスの言葉を遮るように爆発音が響く。慌て気味に全員が後ろを確認すると、ブエルが速力だけで魔竜車に迫ってきている姿が見えた。


『とんでもねえなあの女……』とミダスが呟きながら、ブエルに両手を向ける。


『一つ言っとくが、契約はしてねえ。アレが勝手に俺に力を寄越してきたから、奪ってやっただけだ』


ミダスの手に炎が渦巻き、それが圧縮され、龍の頭を模した形に固められていく。


『全員、落ちねえように掴まっとけ!ベラぁ!!飛ばすぞ!!』


『いつでも来なよ!!』


私たちは知っている。悉くを焼き尽くすまで止まらない炎を、凍えるような重圧と共に燃え盛る幽世の熾炎を。その根源たるモノ、強欲を冠する悪魔を。


『"悪鬼の怒咆イルフレーレ・ツォルン"!!』


炎で模られた龍が吼え、視界を埋め尽くすほどの熾炎が放たれる。あの時アモンが見せた三発の極大の熾炎。それをミダスが一発とはいえ再現してみせた。


ブエルは当然、熾炎を躱すことはできずに呑み込まれ、私たちを乗せた魔竜車は放たれた炎の威力に押されて、本来ならあり得ないであろう加速で戦地を駆け抜けていく。この暴走状態でも道を逸れずに進んでいるあたり、ベラの魔具操作の腕も相当なものなのだろう。


『あんたら振り落とされるんじゃないよ!このまま帰るからね!!』


『ちょ、ちょっと待った!!多分この黒い壁というか、檻壊さないと……!!』


『心配すんなクソガキ。魔法が効かねえ壁なんざ関係ねえ奴らに任せてる。そもそも俺らがどうやって入ってきたと思う?』


魔法が効かない壁というのは初耳だが、そうであればこの異常事態にマギアスや国連からの援軍がないことも、ヴォラクが『どうせ出られやしない』と言っていたことに対しての合点がいく。

 

ただ、そうなると尚更のこと、ミダス達はどうやって入ってきたのだろうかという疑問が強くなる。

 

『魔法が効かないって、そんなのどうやって……』

 

『うちには居るだろ。悪魔も龍も殴って黙らせるおっかねえ奴らが』

 

私たちは思わず『ああ』と納得と感嘆の声を漏らす。おそらくベリス以外の全員が同じ顔を思い浮かべたであろうタイミングで、ベラから再び声がかかる。

 

『さあ!この黒い壁ぶち抜いて帰るよ!!全員衝撃に備えときな!!ソニム!景気よく頼むよ!!』

 

ベラの警告とほとんど同時に、魔竜車がなにかに激突した衝撃となにかの砕ける音が響く。激突の衝撃で荷台の中にいたほとんど全員が前方へと吹っ飛び、荷台の壁に順々に激突する。悲しいことに壁の近くにいた私たちは残る全員に激突されることになったのは不服だが、どうせクリジアの身体だからと怒ることを諦める。

 

微かに見える後方の景色は、急速に先程までいた戦場が遠ざかり、見慣れた除け者の巣の周りの景色へと切り替わっていく。おそらく、フルーラの門を出口に構えて待っていたのだろう。ギャリギャリという地面を削る荒々しい音を鳴らし、魔竜車が停止する頃には、平凡な日常が流れるいつもの風景以外には見えなくなっていた。

 

『よし、全員揃ってるな?仕事は終わりだバカ野郎共!』

 

ミダスの掛け声に、元気のある者は鬨の声で応え、私たちを含む疲労困憊の面々は軽く手をあげる程度で何とか応える。

 

見慣れた景色と、あの命がけの鬼ごっこから脱せたのだという安堵で、急激に疲労感が溢れ出し、クリジアの身体が脱力すると共に纏衣が解け、私たちはそのまま外に出てへたり込む。

 

『に、人間の身体で動くなんて、もう二度とやらない……』

 

『頑張ったねダンタリオンズ』

 

エルセスが地面にへばっている私たちの頭をぽんぽんと叩きながら笑いかける。

 

『ほんっとに頑張ったよ!!ママさんに美味しいごはん作ってもらうかんね!このボケ契約者サマのツケで!!』

 

『はっはっはっは!そりゃいいや!ジアちゃんまた金欠だって泣かせてやりな!』

 

私たちの心の底からの叫びにエルセスは珍しく大声で笑い、近くにいたサルジュが『ついでだし、あたしとミリも奢ってもらおうかしら』と冗談めかしながらにへらとした笑顔で私たちを見る。

 

周りを見れば、ミダスが壁を叩き壊してくれたのであろう龍狩たちに労いの言葉をかけ、いつの間にかミリがサルジュに駆け寄って抱きついている。ゼパルはベラと一緒にフルーラの方へぱたぱたと駆けていく姿が見え、目が合った時にフルーラがひらひらと優しく手を振ってくれた。

 

まるで悪夢から目覚めた朝に過ごす日常のような、とにかく安心する感覚に、じわりと視界が滲む。

 

『よくやったよ。一人でも死んでたらみんな笑えなかったんだ。ジアちゃん守ってくれてありがとな』

 

『……いいよ別に。私たちだってこいついなきゃつまんないんだもん』

 

『素直じゃねえなあ、クソガキ』

 

『素直じゃないのはお前もだろ詐欺師男!!』

 

ケラケラといたずらな顔で笑うエルセスに、ムカついていないとは言わないが、こうしてふざけあえる時間が本当に楽しく感じる気がして思わず吹き出してしまった。せめてもの抵抗がわりに、思いっきり舌を出してみる。

 

今、私たちがいたあの場で何が起きているのかも、何が企てられているのかも、私たちにはわからない。戦って勝ってはいないし、背を向けて逃げて、必死に生きることに縋りついただけの負け犬と言われればそうかもしれない。

 

それでも、誰に何と言われても、これは私たちの、除け者の巣の勝ちだ。

 

『どうだクリジア。お前が信じきれなかったものは、お前が思ってる以上に最高なんだよ』

 

とりあえずはこいつが目を覚ましたら、全力でぶっ叩いてやろう。

 

好きなだけ文句を言って、散々バカにしてやるんだ。

 

『なんてったって生きてるからね。ざまあみろ!』

 

 

 

 

 

 


 

 

──数刻前。

 

『随分してやられたようじゃないか、正義のミカタさん?フフフ!』

 

『なんデお前がここにいル……?』

 

『たまたまだよ、たまたま。散歩してただけさ』

 

ゆらゆらと静かに揺れる炎が嗤う。

 

『王様は元気かい?どうせ今も見てはいるんだろ?やっぱり僕はあいつ嫌いだなぁ』

 

『……どうやっテもあるが、何をしに来タよ強欲。まさカとは思うが協力しに来ましタってか?』

 

『協力?フフフ!まさか!するわけないじゃんか。したことあるかい?僕が王様に協力なんてさ』

 

アモンは無邪気な様子で笑って見せるが、その様子とは裏腹に、二本の悪魔の間には重く冷たい重圧が満ちていた。お互いに敵意を見せることはなく、しかし決して友好的ではない。殺意よりもどす黒いもの同士が、静かに反発しあっている。

 

『なら尚更なにしに来タよ。まさか人間に絆さレでもしたカ?ヒヒヒッ!だとしたラお笑いだがナ』

 

『絆されやしないけど、僕はずっと魅せられてはいるよ。今回は特に面白そうだからさ、王様にも教えてやろうと思って来たんだ』

 

アモンはヴォラクを指さすが、ヴォラクのことを見るのではなく、この場にいない何者かに視線を合わせるようにして言葉を続ける。

 

『ちゃんと降りて来いよ傍観者。だからお前はつまらない』

 

『言いたイことはそれだけカ?』

 

アモンの言葉の直後、ヴォラクの黒い泥がアモンを包み込む。瞬く間にアモンの姿は黒い泥に閉じ込められ、一瞬の静寂が場に流れる。

 

『うん。満足したから帰るよ』

 

黒い泥の内側から炎が吹き出し、灰すらも炎が包んで焼き払う。

 

何食わぬ顔で黒い泥から脱したアモンは、ひらひらと手を振りながらヴォラクに背を向ける。

 

『僕は邪魔はしないでおいてやるけど、人間は面白いぜ。忘れるなよ。僕らは人間の願いの欠片なんだから』

 

炎がアモンを包み、揺れる炎が消えた後、そこにはもうアモンの姿はなかった。

 

ヴォラクは忌々し気に地面を蹴り、大きな溜息を一つ吐いてから、ガシガシと頭を掻きながら呟く。

 

『……ヒヒッ、お前らこそ忘れルな。ワタシ達は、あいつの祈りの欠片ダ』

 

ヴォラクが杖を地面に突き立てる。じわじわと滲み出るように、地表を黒い泥が滑って埋め尽くしていく。

 

『正しイ正しくネェの問答じゃない。認めたいモノの為にワタシは正義を振りかざス。勝手は好きだろウ?ワタシだってそうサ』

 

泥は檻の中全てに蔓延し、ぐつぐつと煮えるような憎悪を吐き散らす。

 

『あぁ、そうダ……ワタシは、お前の正義のミカタでいたいんダ』

 

 檻の中の全てが沈み、崩れ、壊れていく。


深い、深い闇の底へ、現の世が落ちていく。


かつての栄華も、燃え盛る戦火も、人々の悲鳴も、そこにあった全てが等しく呑み込まれる。


最後には世界に空いた穴が、ひどく静かに佇んでいた。



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