41話 信じたものに手を伸ばせ

私たちは悪魔の中でも人間によく関わっていた悪魔だった。

 

悪魔が世に知れ渡っていないというのは、あくまで世間一般的にはという話であって、世界中の誰も知らないというわけではない。どこかの国のお偉いさんだとか、どっかの過激な思想家だとか、宗教まがいの悪魔崇拝者だとか、知ろうとして知っている人間というのは一定数存在している。

 

生まれた時のことははっきりとは覚えていないけれど、私たちは最初から一人で二人、二本で一柱だった。だから初めは人間も他の悪魔もそんなものなんだと思っていた。初めて人間を見た時は随分と形が違うものだと驚いたものだ。それでも、言葉は同じで、感情も同じだったから、分かり合えるはずだと思っていた。

 

『もしかしてあなた、さっきまでの人間さんじゃないのかしら?』

 

ブエルが腕を振り下ろし、私たちはそれをギリギリで避ける。クリジアの身体能力の高さに感謝しつつ、同時にクリジアの身体能力と豊富な戦闘経験をも凌駕するブエルの動きに冷や汗が噴き出るような気分になる。

 

『どうだろうね!そのなんも考えてなさそうな頭で考えな!』

 

『病気だったら大変!治してあげなくちゃ!』

 

『ほんっと……!なんだよこいつ!!』

 

ブエルの攻撃を避け、再び粗雑な幻覚を作り出して距離を離すのを繰り返す。

 

魔法はあまり派手には使えない。まず魔法を使う暇がほとんどないのもあるが、契約者であるクリジアの魔力量がお世辞にも多いとは言えないのが原因だ。魔法を使う余裕がなくなれば、心を読んで動きを先読みすることでなんとか躱せている攻撃もさばけなくなってしまう。

 

今までのどうでもいい契約者相手なら、そいつが魔力欠乏で身体のあちこちが潰れようが、血反吐をぶちまけて死のうがどうでもよかった。なんだったらもうとっくに見限って、次の契約者を探していただろう。そう、今までなら本当に人間なんてどうでもよかったはずだった。

 

『ちくしょう、ちくしょう!バカみたいなことしてるのはわかってるんだよ!!人間なんて掃いて捨てるほどいるのになにやってんだって!特別魔力があるとかすげえ魔法使いだとかそういうのでもないのにってさ!!』

 

今まで私たちが契約した人間の中には、クリジアよりずっと魔力に富んでいて、私たちが自由を謳歌するのに何一つ不自由のない優良物件も当然いた。実際、そういう契約者がいた時期は好きに魔法も使えるし、人の中身をいたずらに弄って壊すような、私たちの大好きなことも沢山出来て楽しかったとは思う。それでも、そのうち嫌気がさして鞍替えをしていた。

 

理由はとにかく単純で、私たちを使おうとした奴は、私たちを見ていないからだった。

 

『けど唯一だったんだ!私たちにとっては特別!他の何より優先したいくらいの宝物!!』

 

悪魔のことは悪魔として見る。それはどんな人間でも同じだったし、悪魔も同じだった。私たちだって他の悪魔は"他の悪魔"だし、人間はそこら中にいる"人間"だと思って見ていたと思う。それがいつしか少し、ほんの少しだけ寂しくなって、契約者に特別なものを求めるようになっていった。

 

けれど、求めているそれがどういうものなのかは自分でもわからなくて、納得が出来ないまま彷徨い続けた先で出会ったのがクリジアだった。

 

家族を失ったばかりだとか、そんな話をしていたクリジアの中にあった寂しいという感情に、私たちは少しだけ共感したんだと思う。

 

『別に良い奴だなとかは思ったことないし!なんならめんどくさいなって思ってるけど!それでもこいつが私たちの居場所だ!!お前みたいなのに壊されてたまるか、気狂い女!!』

 

ブエルの方へ振り向き、視界にブエルを捉える。

 

あれの思考回路は何一つとして理解できるような内容ではないが、人が死ぬのは悲しいとか、けがや病気が嫌いだという言葉には嘘はなかった。つまり、言葉通りに喜怒哀楽ははっきりと存在しているということで、それが発露するきっかけは異なるものだとしても、人間と同じように心を起因にして言動に影響を及ぼすことができるはずだ。

 

『あら、逃げるのはおしまいにするの?』

 

『死んでもしないね。諦めが悪いのはこいつらから学んでんだ!"心象版画劇スヴニル・ディマージュ"!』

 

ブエルの心の内側から、ブエルが苦痛を感じたり、戸惑い足を止めたくなるような光景を引きずり出す。こいつの場合は戦争で怪我を負ったり、病気に苦しむ人間が山ほどいる光景らしい。当然見えているのは幻覚の類なのだが、私たちが好き勝手に作ったものではなく、本人の記憶と心に入った傷から作られた光景は、心を持っている奴相手なら相当な効果を発揮してくれる。

 

『怪我も病気も本気で嫌がってるくせに、どうやったら笑顔で人も物も壊せるんだよこいつ……!』

 

『あなたもひどい事するのね』

 

ブエルが指で自身の目を突き、眼球を潰す。

 

『なっ……!?』

 

こんな対処法をとられたのはアモンに続いて二回目だ。

 

私たちの魔法は見る魔法、そして相手の眼を通して影響を与える魔法でもある。ただ、他の悪魔がアモンやブエルと同じように、一度眼を潰しただけで解除されるほど私たちの魔法はちゃちなものではない。ただ眼を潰して治すだけならば、眼そのものに付与した魔法は消えずに残る。だからこそ、アモンは眼球ごと私たちの魔法を焼き尽くして解除していたのだが、ブエルは私たちの魔法に侵された"異常な眼球"を潰し、自らの魔法で"正常な眼球"に治してみせた。

 

『おかしなことしちゃやぁよ?ねえ、お仲間さん』

 

『なんっでこんな的確に対処できんだ!』

 

恨み言を吐き捨てながら、地面に向けて雷魔法をぶつける。幻覚だと悟られる内容のものがあの治し方で突破されてしまうのなら、目眩ましに土煙を立てる方がいくらか有効的だ。合間合間に判別のしにくい幻を挟めることが出来ればなお良いが、今は最大の利益よりも目先の生存を優先して考え続けるしかない。

 

『もう!鬼ごっこがしたいわけじゃないのよ!"氷哀の落涙リュストラオル・ラクリマ"!』

 

ブエルの声の後、巨大な氷塊が私たちの頭上から降り注ぐ。雪国の天気には雹だとか霰だとか呼ばれる、氷の降るものがあるとは聞いたことがあるが、人間と同サイズの氷塊が降ってきている今の状況はそれの比ではないだろう。

 

降り注ぐ氷塊は容赦なく地面を砕き、落ちた地点から広がるようにして地面が凍結していく。多少なりとも魔法を扱うものならば誰でも理解できるほどに、強力かつ高度な魔法。これがこいつの力のほんの一部だというのだから、まともに戦って勝てる相手ではないということを突き付けられた気分だ。

 

『だあああ!!こういう時にいの一番に文句言うのほんとはクリジアの役目だろバーーカ!!』

 

大まかな狙いだけをつけ、無造作に降り注ぐ氷塊の雨を掻い潜りながら走る。人間の体の限界がイマイチはっきりわかっていないのもあって、この走り続け方はそろそろ負荷がかかりすぎているような気がしてきた。しかし、止まれば死ぬのだから走るしかない。

 

あと一歩で掻い潜り切りそうなところで、進行方向に降ってきた氷塊を避け、氷塊の横を通り抜けようとした瞬間、地面の凍結に足が巻き込まれる。

 

『うぇ!?』

 

靴が凍り付き、足がそこからすっぽ抜けた勢いのまま、前方に派手に転がって吹っ飛ぶ。身体中あちこちを打ち付けたせいで、どこがどう痛いのか自分でも理解できず、あまり慣れない衝撃と感覚に悶絶する。

 

『っつ~~~……!!なんで人間って飛べないんだよぉ……!!』

 

泣き言を言いながら、辺りを見回して自分の状況を確認する。どうやら少し開けた場所に転がり出たらしい。私たちが走ってきた方向には、無数の氷塊が鎮座しているが、肝心の術者であるブエルの姿は見えない。

 

再び立ち上がって逃げ出そうとした瞬間、物陰になっていた通路から声が聞こえた。

 

『クリジア……?よかった!無事だったのね!』

 

『サルジュ!!そっちも無事……じゃ全然なさそうだねそれ!?』

 

声の方を振り返れば、ボロボロの身体を引きずりながらもこちらに駆け寄ってくるサルジュの姿が目に映る。人間は身体がすぐに治ったりしないし、明らかに重傷の姿ではあるものの、今の私たちにとっては嬉しい再会だった。

 

『とりあえずは動けてるからいいの……!とんでもない音したから隠れようとしたらあんたの姿見えたから──

 

氷塊が砕け、その中からブエルが姿を現す。

 

ブエルは私たちを無視して、サルジュへと手を伸ばしている。

 

『サルジュ!!目の前!!とびきり派手な氷魔法!!!』

 

ブエルの手がサルジュの顔に触れるのと同時に私たちは叫ぶ。

 

サルジュの傷が治り、ブエルがサルジュの頭を砕こうとした寸前、ブエルを巻き込んで巨大な氷柱が形成され、サルジュを掴んでいた腕だけを残してブエルは氷の中に閉じ込められた。

 

『っ……!あっぶな!!なにあいつ!?ていうかあたしの怪我……治ってる……?』

 

『説明は走りながらする!!とにかく逃げ!身体元気になったでしょ!?』

 

『はぁ!?いや、元気にはなったけど……あ、ちょっとクリジア!!もう何が起きてんのよ!!』

 

サルジュの返事を待たずに私たちは走り出し、その後を追いかける形でサルジュも走り始める。氷漬けになっているとはいえ、そう長くあの怪物を拘束しておくことはできないだろう。可能な限り距離をとり、早急にエルセスと合流して離脱するのが私たちとしては一番の勝ち筋だと信じるしかない。

 

『サルジュ!通信魔具持ってる!?私たちのどっかいったんだよね!』

 

『通信魔具は持ってるわよ。っていうか、今もしかしてダンタリオンちゃん……?』

 

『この状況でちょっと面白いとか思ってる場合じゃないんだよ!そうだよダンタリオン!!いいからエルセスと連絡とって!!』

 

『ごめんごめん』と謝りながら魔具を操作するサルジュに、ある意味での頼りがいを感じながらもエルセスが応答してくれることを願う。


私たちはもちろん危機的状況だったし、サルジュも最初の様子を見る限りかなり危ない目にあっていたのは間違いない。こんな異常事態に異常事態を重ね合わせて作られたミルフィーユのような空間で、エルセスにだけ何もなかったということもあり得ないだろう。最悪の場合、すでに命を落としていることも考えられる。

 

しばらく呼び出し音が続き、嫌な予感が増してきたのとほとんど同時に魔具から声が響く。

 

『サルジュちゃん?連絡が来るってことは、無事だってことでいいのかな』

 

『エルセスさん!出るの遅いから心配しました!!』

 

『いや悪いね、俺も安全安心ってわけじゃなかったから移動してたんだ。ジアちゃんは一緒?』

 

自分で思っている以上に聞き慣れていたらしい、嫌な感じのしない軽い調子の声に急に安堵が沸き上がり、泣き出しそうになった自分をなんとか律しつつ、サルジュからひったくるようにして魔具を奪う。

 

『一緒!一緒だけど、けど……!あの、すごく良くない状態で、正直どうしていいかわかんない……!助けてほしい!!』

 

『……ああ、ダンタリオンズか!ごめんびっくりしちまった。ジアちゃんっぽくなかったから』

 

『今それはどうでもいいんだって!!』

 

『それもそうか。とにかく生きてるならまずはオーケー。最悪じゃないからね。君らは今国境戦のあたりにいるのかな?そのまま最初の侵入地点の方に移動できる?』

 

『とんでもない化け物引き連れてんだけど大丈夫かなあ!?』

 

『まあ、なんとかするしかねえさ。俺も急ぐから、魔具繋いだままにして走りな』

 

結局半べそをかきながら、エルセスの言葉に情けない返事を返して顔を上げる。この二人、ひいては除け者の巣の面々は、クリジアがたとえ自分が死んでも守りたい、失いたくないと思えるだけのことはある。本当に良い仲間で、家族のような存在なのだと思う。

 

『ダンタリオンちゃん、クリジアって今どういう状態なの?』

 

『心の方が壊れかけてる……!さっきのあいつ、殺して治してを繰り返すようなやつで、もう数回殺されたら完全に壊れちゃうから……!!』

 

『んなっ……!?あんだけあたしに言っといて何してんのよ!』

 

『ホントだよ!!意地張って、自分のこと結局考えないで……!』

 

『あんたがいないと寂しい奴もいるんだって、帰ってからぶん殴ってやんないとね!絶対帰るわよ、ダンタリオンちゃん!』

 

サルジュの言葉に、滲んだ涙をぬぐってから力強く頷く。

 

自分以外をもっと信じて良いんだと、私たちに教えてくれたのは他でもないクリジアだったのだから、今度は私たちがクリジアに教えてやる番だ。あいつみたいなタイプの人間には説得はいらない。結果を叩きつけてやるのが一番いいだろう。


だから生きて帰って、あいつの顔を殴ってやるんだ。







ブエルからの猛追をサルジュと捌きながら、エルセスから指定された合流目標地点へと走る。


『もう少しで最初のとこ!ダンタリオンちゃん大丈夫!?』


『人間の体の方が若干限界だけどぉ……!!なんとかなる、なんとかする……!』


走り続けていたせいで、頭は殴られたように痛いし、中身がおかしなことになっているような感覚はあるが、それで足を止めるわけにもいかないからと無理矢理に身体を動かす。


後でクリジアが苦労する可能性はあるが、命には変えられないだろうとでも言って許してもらうことにする。


『とにかく生きて帰れば……!』


『悪イが帰さねえヨ。人間』


目の前に突如、黒い杖が迫る。


『うわぁ!?』


身体を仰け反らせ、ギリギリのところで避けたが、体勢を無理に変えたせいで走っていた勢いをそのままに前方へ転がるようにすっ転ぶ。


『ダンタリオンちゃん!!』


足が止められたせいで、一気に肉体の疲労が吹き出し、乱れた呼吸で視界が狭まる。ぜえぜえと荒い呼吸を必死に整える私を、庇うようにしてサルジュが立ってくれている。


『あら、ヴォラク?奇遇ね!どうしたの?』


『奇遇ねじゃねえヨ。ブエルテメェ、ワタシは面倒なのはさっさと殺しとけっテ言ったよナ?派手すぎるくらいの鬼ごっこしやがっテ……』


『やぁよ。私に人殺しなんかさせる気?』


『……まぁ、良イ。どうせ今から全部ぶっ壊しテ終わりダ』


乱れた呼吸を必死で整えながら、突如現れた新たな敵の姿を見る。

 

顔の半分は肉が削ぎ落されたように白骨が剥き出しになっており、歪な黒い杖を携えた悪魔。ブエルとの様子を見るに、そこの二本は仲間同士なのだろう。

 

『また会ったナァ、人間。怪我が治ってよかっタじゃねえの。ヒッヒ』

 

『あたしは会いたくなかったけどね……!わざわざ人間ごとき追いかけてきたのかしら?ご苦労な事じゃない』

 

『そう邪険にするなヨ。ところデ、死ぬ理由はそいつでいいのカ?』

 

『死ぬつもりないっての!!』

 

サルジュが氷を放ち、ブエルが炎でそれを打ち払う。水蒸気で視界が覆われ、二本の悪魔の姿が見えなくなったと同時に、サルジュが私たちを引っ掴んで再び走り出す。

 

『ダンタリオンちゃん立てる!?あいつに構ってられるほど余裕ないし、悪いけどこのまま逃げるよ!』

 

『だい、じょぶ……!さっきの怪我って、あいつにやられたの?』

 

『そう!魔法なのかもわからない、変な力を使う悪魔!今構ってらんないでしょ!?』

 

サルジュが思い返している、ヴォラクと呼ばれていたあの悪魔との戦闘の様子を読み取り、確かにこれはサルジュの言う通りだと納得する。


言われてみれば、あの悪魔からは何故か魔力を一切感じない。魔力の塊であるはずの悪魔から魔力を感じないというのはそれだけで異常だし、悪魔ではなかったとしても魔力を持たない存在などこの世界ではあまりに異質だ。

 

加えて、一点の光も差し込まない程に心の中が憎悪と憤怒に埋め尽くされている奴なんて、少なくともまともではないに決まっている。

 

『逃がさネェって言ったろうガ』

 

『もう!ヴォラクが怖いこと言うから逃げちゃうのよ!』

 

『お前に比べりゃワタシは怖くねえヨ!!』

 

ヴォラクの声と共に、黒い泥の様なものが地面を這って迫ってくる。魔法のように見えるが、魔法と呼ぶにはあまりにも悍ましい、人の黒い感情がそのまま吐き出されたようなものに本能的な忌避感を覚える。

 

『なんだあれ!?』

 

『"呪い"らしいわ!触れるとロクなことないからね!』

 

サルジュが簡潔すぎるほどの説明と共に地面ごと黒い泥を凍らせる。黒い泥は氷を溶かすのではなく、氷の内側へ入り込み、蝕んでいくようにして氷の中を微かに蠢いているようだ。


飽きるほどに見てきた人が心の内側に溜め込んでいる黒い感情。それが形を持って蠢いているのがこれ程までに恐ろしいものかと、身体が内側から冷えるような感覚に襲われる。

 

そんな感覚に囚われている暇もないというように、凍り付いた地面を飛び越えるようにしてブエルが跳ね、腕を振り上げる。

 

『そんなに怖がらないで。私がいれば死んだりなんて絶対しないんだから!』

 

『死ぬよりとんでもない目に合ってんだよ!』

 

ブエルの地面を砕く威力の掌底を躱し、せめてもの抵抗にと雷魔法をぶつけるが、腕一本で軽く往なされてしまう。魔力の温存も必要な分、大した威力ではないことは重々承知していたが、このブエルとかいう悪魔の基礎の異常な強さに辟易するには十分すぎる絵面だ。

 

ブエルが再び私たちに狙いをつけ、前へ詰めようとした瞬間、サルジュの冷気でブエルの足が凍り付く。

 

『そのまま氷漬けになってろ!!』

 

サルジュの叫び声と共に、ブエルは氷柱の中に閉じ込められた。

 

『ッチ。何やってんダあのイカれ女は……!』

 

『っ!お前はこっちだ骨頭!!』

 

ヴォラクを視界に捉え、先程の黒い泥の幻覚を見せる。

 

幸いなことに、あの力の理屈や法則はわからないが、根本的な部分は人の黒い感情であることだけは私たちには直感的に理解が出来た。そして、こんな力が使える奴は他に見たことがない。

 

『あァ!?ワタシと同ジ……!?』

 

それをヴォラクが理解していることも承知の上で、私たちが自分しか使えないはずの力を使えば、少なからず動揺は生まれる。これで動揺せずにいられるのは、それこそバルバトスのような本当に無感情な存在だけだ。

 

『サルジュ!!』

 

サルジュは『さっすがダンタリオンちゃん』と私たちに返しながら、武器に氷ではなく吹雪を纏わせたようにして、大きく振りかぶる。

 

『ちょっと大人しくしてなさい!"天牢雪獄"!!』

 

サルジュが武器を振り抜くと、ヴォラクを包むようにして吹雪が吹き荒れ、中心のヴォラクが一瞬で見えなくなる。


バキバキと音を立てながら周囲の空気が凍っていくのを見るに、あの吹雪の中心はとっくに氷漬けになっているのだろう。そんな容赦のない吹雪が、勢いを緩めずにヴォラクを雪と氷の牢獄へ押し留めてみせた。

 

『すっげ……。サルジュって強かったんだ……』

 

『ちょーっと失礼じゃないかしら!?そりゃこんなの人に使ったことはないけど、あたしにだって師匠にしごかれたりしてた時期あるのよ!!』

 

『助かってるし褒めてるって!一先ずあとはあの多腕女を……!』

 

振り向くと同時に、ブエルが氷柱を砕いて外へと出てくる。特別強固な氷じゃないにせよ、あの状態からこうも早く出てくるのだからつくづくとんでもない悪魔だ。

 

『まったくもう、二人とも随分やんちゃさんなのね』

 

『あれをやんちゃで済まされるのはなかなか堪えるものがあるわね……』

 

『つーか、お前は本当に何がしたいんだよ多腕女!人死ぬの嫌なんだろ!あの骨頭は人殺す気満々だし、仲間って言うには難しいんじゃないのかよ!』

 

『何がしたいなんて特別何もないわ。私はただ治したいだけだもの』

 

にっこりと笑い、本心からの言葉でブエルは語る。

 

そんな姿に本当に気味の悪さを覚えながら、私たちはブエルの心の奥を、人の死を嫌う理由を探し暴こうと読み続ける。心の内側からトラウマを引きずり出す私たちの魔法は、例えばクリジアのように過去のせいで深く傷ついた人には劇的な効果がある。そして、ブエルの死や怪我への忌避、病気への忌避、それらを治すことへの執着の仕方はそれに近しいものだ。

 

『そのために人も物も壊すって?どんな矛盾だよイカれ女』

 

『何言ってるのよ。壊れてないと治せないじゃない』

 

ブエルの言動は完全に狂人ではあるが、忌避や恐怖、執着には絶対に理由がある。会話でいくらか時間を稼ぎながら、心のより深い場所まで眼を凝らし覗き込む。

 

無数の戦争、無数の病魔、ありとあらゆる死の巣窟を、狂喜と悲嘆の両方を抱きながら笑い続けてきた狂った願望機の記憶を、見ているこっちが狂いそうになりながら読み解いていく。

 

『あなたたちも壊れてくれないと治せないわ。安心して、私がちゃんとなおしてあげるから』

 

惨憺たる死の光景の海を越え、私たちはブエルの心の底に辿り着いた。

 

『……なん、だこれ』

 

心の奥底にある心象風景というものは、人によって本当に様々だ。百人見れば百人が違う景色を持っているし、それが良い思い出かもしれないし、悪い思い出かもしれない。とにかく心の奥底、他人が見る事のないはずの景色というのはそういうものだ。

 

ブエルの中に広がっているものは一面の荒れ果てた荒野。そんな世界の中心に、蹲るようにして泣いている女の子が見えた。

 

泣いている理由はわからない。もしかしたら、昔救うことのできなかった契約者だとか、そういうものなのかもしれない。なんにせよ、目を潰そうするのを躊躇うほどの心の傷を引きずり出さなければ、ブエルの足を止めることはできない。そう思い、ブエルの心奥に私たちは手を伸ばす。


その瞬間だった。

 



 

 

 

『 触   る   な 』

 

 

 



 

視界を埋め尽くしたものは、煮え滾るほどの憎悪。黒く醜い、人の抱く最も悍ましい感情が噴き出し、濁流のようにうねり狂いながら、私たちの意識を呑み込もうとする。

 

『うわぁあ!?』

 

殆ど咄嗟に目を閉じ、ブエルの心の底から抜け出す。我ながら情けない悲鳴をあげた上に、あまりの恐怖に尻餅をついてしまった。

 

『ダンタリオンちゃん!?どうしたの!?』

 

『いや、あいつの心の中……何だよ今の……!?』

 

震える身体を無理矢理抑え込み、浅くなった呼吸を整えて、目に浮かんだ涙を拭う。あまりにも得体の知れない憎悪の感情と、前例のない心の動きに思考が止まりそうになるが、次の手を打たなければとブエルを見る。


その様子は明らかに今までのものとは違っていた。

 

『あ、ああぁ。あ、見た、な。私を』

 

先程までとは違う、混乱と憤怒に彩られた声。

 

頭を四本の腕で掻き毟るようにして、呻き苦しみながら私たちとサルジュをブエルが睨みつける。全身を針で刺されたような感覚に、呼吸が止まりそうになるのを必死で堪える。

 

『私、の。私を、何かを、あああ……』

 

『……傷が、治ってない……?』

 

ブエルの顔からは裂けた皮膚から零れ落ちる鮮血が止まることなく流れ落ちている。


悪魔は傷を負っても勝手に形が治るし、血が通っていることもない。肉体を持たない存在なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、ブエルの形は治る素振りを見せず、まるで人間かのように傷からは血が流れ落ちている。

 

狂乱するその顔は、先程までの異様なほどに快活な笑顔の面影はなく、何かに追い詰められたような、酷く怯え苦しそうな表情を浮かべている。瞳は焦点も合わず、頭から滴る血が涙のように見えるのがさらに不気味だ。

 

『見、た。私を、見て、ああ、あああぁぁああぁあ……!見て、嫌、いや。いやだ。お前、私は、何で、違う。消えろ、消えてよ。消えて。お願い。嫌。消えて……消えろっ!!』

 

ブエルが魔法を構える。四本の腕で、別々の属性の魔法を構え、その全てを背中に生えた五本目の腕で一つに固める。黒い点か何かのようになったそれが、もはや何魔法と呼ぶものなのかはわからない。しかし、破滅的な威力を持っているであろうことと、先程までとは異なる明確な殺意とともにそれが向けられていることは理解できた。

 

『サルジュ、逃げ──

 

『"始禍の種ベール・ビゼル"』

 

黒い、小さな破滅の種から光すら呑み込むような閃光が芽吹き、世界から音が消える。

 

一瞬遅れて、破裂音と共に全てが吹き飛んだ。

 

 

 

 




 

 

 

恐る恐る目を開こうとする。

 

ブエルの放った魔法は、比喩でもなんでもなくここら一帯を更地に変えるほどの威力だった。目を開けたらもうあの世かもしれない。たとえ私たちが生きていたとしても、クリジアの身体やサルジュが蒸発してしまっているかもしれない。そんな不安が瞼を縫い合わせたようで、なかなか目を開けられない。

 

『間に合ったってことでいいかな?喧嘩ばかりのお二人さん』

 

そんな最中に聞こえてきた、聞きなれた声に弾かれた様に顔をあげ、目を開く。

 

『エルセス!!……と誰!?は!?悪魔!?』

 

『おいおいご友人。このとんでもない状況でチップいのちを守ってやったのは主にボクだぜ?驚くのはわかるがまずはありがとうだろ~』

 

エルセスと共に立っているへらへらと笑う悪魔に言われ、それは確かにと一瞬言葉に詰まるが、すぐに誰だか知りもしない悪魔がこの状況で出てきて信用できるわけないだろうと再び声を荒げる。

 

そんな私たちをエルセスが嗜め、この軽い調子の悪魔が味方だということ、名前はベリスだということを教えてくれた。

 

『エルセスさん、無事だったんですね!よかったぁ……』

 

『こっちのセリフだよサルジュちゃん。まぁ、お互い今無事じゃなくなるところだったけどね……間に合っても守れるか半信半疑だったし』

 

『あんたもマスターもボクに感謝することだねぇ。つか疑うなよマスター!これでも特別品なんだよボクのダイスは!!……とはいえあんなの連発されたらさすがのボクも堪ったもんじゃないから早く逃げたいんだけど』

 

おそらく私たちをブエルのあの破滅的な威力の魔法から守ってくれたのであろう金色の盾のような魔具が、ベリスの手に折り畳まれるようにして戻っていく。


一体どういう理屈の魔具で、どれほどの強度があるのかはさっぱりわからないが、見た目には傷一つ付いていないあの魔具を以てしてもこれ以上ブエルの魔法を凌ぎ切ることは厳しいのかと気が遠くなる思いがした。

 

改めて周りをよく見てみれば、立ち並んでいた建物も、整備されていた街路も、何もかもが吹き飛ばされ、言葉通りに一面が更地と化している。唯一元の街だった面影を残しているのは、ベリスの盾のすぐ後ろにいた私たちがいる空間だけだ。この惨劇を鑑みると、一度防いでくれただけでも相当なものだったのだろう。

 

『ハァ~~……一体全体どういう状況だヨ。くそったレ』

 

ガリガリと杖を引き摺りながら、ヴォラクが気怠そうに更地を歩いてこちらへ戻ってくる。

 

『アレに巻き込まれて無事なのかよ……』

 

『無事じゃねーヨ、半身吹っ飛んダわ。ワタシもさすがに必死に守ったゼ。氷の剣士、オメーの魔法も厄介だったしナ。やっぱ逃がさズ殺しておくべきだっタ』

 

心底不服な様子でヴォラクはガシガシと頭を掻き、深い溜息を一つ吐いてから私たちを見る。

 

『頭数は増えタようだがもう終わりダ。元よりどんだけ頑張ろウが檻からは出さねェ。最初かラ負け戦だったと諦めナ』

 

『いやいや、俺たちは負け戦には慣れてるけど諦めだけは悪くてね。この場の全員、足が捥げようが腕が飛ぼうが、死なねえ限りは諦めねえよ』

 

『だったら、その子は今殺すわ』

 

吹き飛んでいたヴォラクとは逆の方向、この惨状の元凶であるブエルが飛び上がり、私たち目掛けて掌底を放つ。咄嗟に動くことが出来なかった私たちをサルジュが庇い、ブエルを大剣で無理矢理に弾き飛ばす。

 

弾かれたブエルはヴォラクの方へと飛び退き、再び顔を手で押さえるようにして小さく呻き声を零す。先程の錯乱状態よりは落ち着いている様子だが、未だに表情は初めの笑顔とは程遠く、荒い呼吸で肩が上下しているのが見て取れた。

 

『で?お前は何されタんだヨ』

 

『知らない。知らないわ。私はわからない。けど、あの子は殺さなきゃ。私は、私を……うぅうう……!!』

 

『アー、お前は元からだガ何言ってんのカさっぱりわかんネェ』

 

『知らないの。私の、何を、ねえ、ジュジェ』

 

ブエルの言葉の直後、ヴォラクの顔色が変わる。

 

心を読まずともわかるほどの驚愕。そして、ヴォラクの心を埋め尽くして有り余っていた憎悪と憤怒が突如として沸騰したように熱を帯びたのが私たちの目に映る。

 

『知ったのカ?お前ら……いヤ、そこの人間の中身カ?』

 

『何、を……?』

 

『……ヒヒヒ、ヒッヒッヒッ!そうかそうカ。理解もできネェか。いや、そりゃそうダ。まあ、ワタシとしても都合は良イ。何も難しイ話じゃねえ、全員殺せば済むコトだ』

 

ヴォラクはそう言うと、地面に杖を突き立てて、両手を使って形を作るように手を組み合わせる。ブエルがそれに合わせるように、先程私たちに向けて放たれた魔法を同じものを再び作り出そうと、四本の腕を広げる。

 

『おいマジで連発できるのかよそれ!!』

 

ベリスの悲鳴にも似た叫びに、疑問と困惑に埋もれていた意識からはっと我に返る。逃げようと声をあげると同時に、ブエルとヴォラクの方へとエルセスが向かおうとする。

 

『ベリス!ゲームにあいつら引き摺り込め!!それしか生き残れる道がない!!』

 

『それあんたは結局死ぬだろうが!!』

 

『あたしがベリスちゃんと盾役をします!!それならもう一回くらい……!』

 

『サルジュも魔力尽きかけてるでしょ!!』

 

私たちの必死な足掻きを嘲笑うかのように、ヴォラクはぐにゃりと顔を歪ませて嗤う。

 

『悪ぃナァ。運がなかっタと思っテ死んでくレ。どうセもう今世も末期サ』

 

 

 

 


 

 

 

 

響いたのは、轟音。

 

しかし、私たちの前に立っていた絶望の放った音ではない。

 

二本の悪魔が聳えていたはずの場所に、業火が黒煙を噴き上げながら、空をも焼き尽くさんと咆哮をあげている。

 

そして同時に現れたのは、白い軍服を黒い外套で包み、無数の黒鉄と共に戦火に照らされている悪魔の姿。

 

『おいおいマジか……?』

 

エルセスとベリスの声が重なる。二人が脳裏に浮かべている名は同じだ。

 

それは戦争の祈りを冠する悪魔。黒鉄と業火を携えた、戦火そのものたる存在。

 

『アンドラス……!!』

 

アンドラスと呼ばれたその悪魔は、私たちを一瞥すると、未だ燃え盛る業火へと視線を戻す。

 

『行け、貴公達。此方は彼奴等に用がある』

 

 

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