36話 渾然起首

『そろそろ頃合いかな』


数刻前、某国某所。侵略国家として名を馳せていた王宮内。その玉座で王がぼやく。


『頃合いも何も、私は複合炉の試験以外に何かするなんて聞いてないんだけどなぁ』


玉座の影に隠れるように立っていた錆色の魔女は、不服そうな顔をしながらそう言うと、ぽりぽりと頬を掻く。


『試験はできたろう、鉄錆』


『なんでそれ以上の事をしてるのかだよ。まだあんまり目立ちたくないのに、サナアまで連れてきちゃって』


『創作の力は一度見ておきたかったからね。都合が良かったんだ。やはりと言うべきか、素晴らしいね。あの魔法』


『そりゃそうだよ。空想に比肩する魔法……世に知れ渡れば即刻破壊対象の魔女だよ。アレは』


国王は『全く恐ろしいね』と言って、くつくつと笑う。錆色の魔女はその様子に不満そうな溜息を一つ吐くと、国王の態度の矯正は諦めたと言わんばかりに再び話始める。


『まあ、私の複合炉の試験はあの悪魔とこの国で十分できたけど、君が出張ってきた理由がよくわからないなぁ』


『隠れ蓑は欲しいだろう?目立ちたくないと言ったのは君じゃないか』


『そんなの心配せずとも全部悪魔のせいになるよ。証拠も何もないし』


『君、自分の頭を過小評価してる節があるなぁ。あんな魔具は君しか作れないんだから』


『そうかな?それこそサナアとかは作れそうだけどね。そんな話より、君の言う隠れ蓑って何?』


『配備された国連軍を吹っ掛けてみたんだ。国連側の対応力とかも見てみたかったしね。残念ながら主戦力は見られなかったけど……』


国王はそう言うと玉座から立ち上がり、その姿を音もなく白髪の青年の姿へと変える。錆色の魔女はそれに特別驚くこともなく、日常の風景が流れていくかのように当たり前の顔で会話を続ける。


『……私たちは復讐はしたいけど、戦争をしたいわけじゃないからね』


『結果は同じさ。まあ、今回はそもそも国連がなだれ込んでくる事を狙ってる奴がいた。その狙い通りになる以上、どうせここは碌でもないことが起こるだろうし、俺たちはさっさと引き上げよう』


『はぁ。やっぱり君とは仲良くはなれなさそう……けど、碌でもないことになりそうなのは同感。サナアももう離脱してるんだもんね』


錆色の魔女はそう言うと、スタスタと出口へと歩き始め、その後を追うように青年も歩き始める。


『勝者のいない戦争、劇の題材としては面白いかもしれないな』


『役者は題材すら知らないじゃない。その上作家は早々に舞台からいなくなるんでしょ?』


『ははっ、作った舞台に残る作家なんて何処にもいないさ』


『ああ、確かに。それはそうだね』


二つの影が空白の玉座の間を後にする。


残されたのは、どこまでも冷たい静寂だけだった。











火と鉄の雨はいまだに降り続けている。


ここに来る前クリジアが言っていた通り、私に戦争の経験はほとんどない。腕っぷしは強いし、魔法剣の指導も厳しく受けてきたので、自分に自信がないわけではなかったが、それでも戦争が未経験なのは事実だ。あのムカつく女の言う通り、あたしは戦争を知らない。


『にしても!!これはあいつも体験したことないでしょーよ!!』


降り注ぐ鉄、噴き出す炎、そして微かに聞こえてくる悲鳴。明らかに魔具とは異なるこの鉄塊が作り上げた地獄は、少なくともあたしのイメージする戦争の光景とはかけ離れたものだ。


すでに頭の中は混乱と恐怖で大混雑しているのだが、そこに追い打ちをかけるかのように、突如として空が黒に包まれ始めた。


『今度はなんなの!?』


空が、というよりはこの辺り一体が丸ごとこの黒い壁に覆われて、鳥籠のようになっているとしか思えない光景。鉄の雨とはまた質の違う異常事態。幸か不幸か、この鉄の雨の主にとってもこの黒い籠は異常事態だったのか、絶え間なく降り注いでいた雨が止んだ。


あたしはとりあえず倒壊していない、丈夫そうな建物の影に身を隠してから、ほっと胸を撫で下ろす。今の状況は安心とは程遠いが、少なくとも先程までの眼前まで死が迫っていた状況よりはいくらか心持ちがマシだ。


一息ついて落ち着けた頃、通信魔具のコールが鳴った。


『げっ、出た。生きてやがったか』


『仲間への第一声がそれなの本当にどうかと思うわよ辻斬女!!』


すでに割と聞き慣れた、憎たらしい仲間の声にあたしはいつもの調子で返事を返す。


『んなデカい声出すな敵地で!……この黒い壁みたいなの何かわかる?』


『さっぱり……というかさっき迄の爆発も意味わかんないし』


『だよねー……とりあえず閉じ込められたと見ていいだろうし、元凶探さないとどうにもかも』


『目標はこの壁の元凶探しになるってわけ?』


『うん。まあ正確には壁の元凶探しか壁の突破方法探しのどっちか。エルセスさんからの伝言ままねこれ』


クリジアからの話で、エルセスさんが無事なこともわかりそこにまずは安心した。クリジアもエルセスさんに戦えるイメージはないと言っていたし、あたしも正直戦うイメージがないと思っていたのもあるが、心配しすぎだったのかもしれない。


それならば、とにかくここからの離脱の為に動き出そうと、建物の影から顔を出し、周りを見渡してから外に出る。


『ねえ、できれば再合流したいんだけどあんたどの辺に逃げたの?』


『あー、だいぶ離れた気がするんだよなぁ。お前と逆方向だったし結構走ったからさ』


『じゃあ最初に逸れたとこ、この街の広場にお互い向えば合流できそ……え……?』


視線の先、クリジアがいるであろう方を目で追った時、偶然視界に入った異常事態に思考が止まる。


『ん?なに?どうしたの?……サルジュ?』


破壊され、倒壊した建物がまるで時間が巻き戻ったかのようにして直っていく。


一瞬自分の目を疑って、目にゴミか何かが入ったのではないかと擦ってみたが、見間違いではない。どう見てもさっきまで崩れ壊れていた建物が元通りに直っており、その修復がおそらくクリジアがいるであろう方向に移動していっている。


『クリジア!なんか……よくわかんないけど!あんたの方に街を直しながら向かってる何かが居る!!』


『は?街を直しながら?何言って……あぁ!?マジじゃんなんだアレ!?』


クリジアからも確認できたようで、この現象があたしの幻覚ではないと確信する。それと同時に、例の老紳士が言っていた言葉を思い出した。


繰り返しているだとか、確実に自分達は焼けたはずだとか、そんなことを言っていた。そして、今目の前で起きてる事実が、建物だけではなく人にも適用されるのなら、老人の言葉のほとんどに合点がいってしまう。そんな自分の想像に血の気が引くのを感じた。


『あたしもあんたの方向かうわ!!あんたは……とにかくその、気をつけときなさい!!』


『あやふやすぎだろ!まあ死なないようにしとくけど、お前は私より自分自身のこと気にしとけよ雪女!』


『心配してやってるんだから素直にありがとうって言えばいいのよ辻斬!!』


クリジアの『どーもありがとう』という吐き捨てるような声とほとんど同時に通信が切れる。あたしは内心あの野郎と思いつつ、クリジアがいるであろう方、建物の修復が進んでいる方向へと走り出す。


『とにかく火の雨がない間に急いでいかないと……!』


『あァ、同感だナ。アレはよくわからねえからワタシも困ってんダ』


ほとんど反射的に、聞こえてくるはずのなかった声の方へ振り向く。視線の先にあったのは、十数歳の子供と同程度の背丈の影。その手には杖か、歪な剣のようなものを握っているらしい。


燃え上がる炎を背にしているせいで顔はよく見えないが、長く、癖のある緑髪をポニーテールのようにまとめている。その側頭部には、人間にはないツノが三本ずつ左右にそれぞれ生えており、それがこの影の正体を物語っていた。


『悪魔……!!』


『その通リ。物知りだナ、褒めてやるヨ』


悪魔はぱちぱちと拍手をしながら、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。


目を凝らしてその顔を見れば、顔の左半分は骨が剥き出しになっており、到底人間の顔とは呼べない恐ろしい様相だった。加えて、片腕は樹木か何かが歪に絡み合い、腕のような形を成したなにかになっているなど、ところどころ言い表せない歪さが窺える。


『てっきりこの鉄雨の仲間か何かだと思っテたんだがナ。巻き込まれてルあたり、仲間ってわけじゃねぇのカ』


『そういうあんたはこの国に呼ばれでもしたのかしら?』


『あァ。この国ガ無くならねえようニと願われてナ。だからご覧の通リ、その願いをワタシが叶えてやっタ……いや、力を与えてやっタが正しいか?』


『……じゃあ、鉄の雨を降らせたり、この黒い檻みたいなのを作った奴にとっての敵だったりするわけ?同じ敵を見てるなら、手を組めたりは?』


悪魔は一瞬、きょとんとした顔をした後に、顔を伏せて不気味に笑い始める。


『ヒッヒッヒッ……いいナお前。人間らしい、素晴らしい提案ダ』


伏せた顔をあげ、ぐにゃりと歪んだ笑顔で悪魔があたしを睨みつける。


『良い事教えてやル。この檻はワタシの仕業だゼ』


瞬間、悪魔が手に持った歪な杖で地面を突く。すると、まるで濁流を堰き止めていた岩が崩れたかのように、地面から黒く、悍ましい、得体の知れない何かが溢れ出た。


泥沼から縋り付く手のような、死地で肌を撫でる風のような、死にゆく者の怨嗟の声のような、とにかく不愉快で悍ましい黒。それが悪魔の周りでまるで生物のように蠢いている。


『って事は敵ってわけね……!!』


剣を構え、悪魔から少し距離を取る。


悪魔は不敵に、歪な笑みを湛えてあたしを見据える。


『いいや、違うゼ。ワタシは、正義の味方ってやつサ』









あたしは悪魔には近づかず、氷柱を飛ばしながら距離を保って戦い、悪魔はその氷柱を得体の知れない黒い何かで易々と防いでいる。そんな睨み合いを続けていた。


違和感がある。


この悪魔と対峙した時。そして、この悪魔が魔法らしきものを使用した瞬間。そのどちらにも違和感はあった。


『威勢よく構えタ割に慎重だなァ、お前』


『勇気と無謀って違うのよ!』


剣を振り抜き、冷気の刃を飛ばす。悪魔はそれを、手にした歪な杖で弾き飛ばしてみせた。杖は一切凍りつく様子を見せず、魔法自体が機能していないように見える。


あたしが感じていた違和感。人間だろうと悪魔だろうと、魔力を使って魔法を使う時、そこそこ派手な魔法を使えば、人が動いた時に空気の流れが生まれるように、魔力にも若干の流れが感じられる。加えて、悪魔は魔力の塊、一つの魔法というだけあって、近くに居れば独特な圧を感じるものだ。そのいずれも、この悪魔から一切感じなかった。


今の攻撃を弾いたあの杖。そしてこの悪魔にずっと感じてた違和感。そこから考えられるのは、この悪魔は魔法を無力化する力を持っている。あるいは魔力を消し去る力のようなものがあるのだろうか。


『だったら……!』


剣を振り、悪魔の前に巨大な氷の壁を作り出す。魔法の冷気の刃は消されてしまうが、すでに魔法で作り終えた氷ならただの物体だ。流石にこれを一撃で粉砕されるような事はないだろう。


氷の壁を目眩しに、氷柱で自分の足元を突き上げ、跳躍して斬りかかる。


『ヒッヒッ、魔法が効かねェならってカ。存外、頭も回ルようじゃねえカ』


あたしの大剣を、歪な杖と小さな身体で受け止め、悪魔は笑って見せる。この見た目からは想像もつかないような怪力と杖の強度だ。


『っ……!!力も強いってあんた、ちょっと反則気味じゃ……ない!?』


鍔迫り合いを制し、悪魔を吹き飛ばす。悪魔はそのまま崩れかけていた建物の壁に叩きつけられ、その衝撃で起きた崩落に巻き込まれる。


叩き斬るつもりで振り下ろした一撃を耐えられたのは驚いたが、純粋な力比べならばあたしの方が勝っている。問題があるとすれば、未だにあの悪魔の得体の知れなさが少しも解決してない事だろうか。


『成程ねェ、力自慢の剣士様ってわけダ』


悪魔は『嫌だ嫌ダ』と気怠そうに頭を掻きながら、崩落した建物から何事もなかったように瓦礫を退けて出てくる。


『あんた一体何が目的──


瞬間、轟音が響く。


離れた位置ではあるが、巨大な爆発音。そしてそれよりも遥かに近い位置で建物が倒壊する音がほとんど同時に響いた。


爆発音に関しては何が起きたか本当にわからない。しかし、建物の倒壊音には思い当たる節があった。


『……今の、近くの方、クリジアのいる方の!?』


『アー、始まっタか。いやお前、運が良イぜ。よかったなァ、相手がワタシで』


『どういう意味よ……!!』


『どうセ死ぬなら楽に死にてぇだロ』


声とほとんど同時に、悪魔との距離がほとんどゼロになり、杖が振り抜かれる。なんとか剣の腹で受けることができたものの、打ち上げられるように吹き飛ばされ、受け身も取れないまま背中から地面に落ちた。


『何が目的カって言ってたナ。教えてやるヨ』


叩きつけられ、詰まった呼吸を半ば無理矢理に整え、剣を構え直す。悪魔はあたしの様子を見ながら、不気味な笑みを絶やすことなく言葉を続ける。


『現世に穴をぶち開けル。その前準備ニ、檻の中身全員に死んデ貰うのサ』


『意味わかんないこと、言ってんじゃないわよ!悪魔!!』


氷柱を放ち、それと一緒に悪魔へと距離を詰める。悪魔は氷柱を弾き、あたしが振り下ろした剣を杖で受ける。


『意味わかんねェ事はねえだロ。喧嘩両成敗、お前ラはそれを正しイと語ったんダ』


『現世に穴とか、檻の中全員殺すとか、意味わかると思ってんの!?』


『悪い事をしタら、それ相当の罰が下ル。不幸には同等の不幸を、不平等を悪としテ、平等こそが正しイ』


『子供のお説教?ずいぶん余裕じゃない!』


剣と杖の打ち合いを繰り返す。身体能力だけなら、微かにだがあたしに分がある。この得体の知れない悪魔には、何かをさせるとまずい。そんな直感だけがあった。


それならば、このまま無理矢理にでも押し切って、氷の中に閉じ込めるなり、倒し切ってしまうなりの対処をとった方が安全だ。そう思った。


『報復、惆悵、因果の鎖、咎人の首縄、滴る緋色に澱を映す』


『お喋りしてる場合!?』


悪魔の武器をかち上げ、上半身の守りをガラ空きにする。あたしは振り上げた剣を、そのまま悪魔の身体目掛けて振り下ろす。


人間お前らガ、そう望んダんだ』


剣が悪魔の身体を捉え、肩に深々と刃が叩き込まれる。





瞬間、あたしの身体から鮮血が吹き出した。





『がっ……あっ……!?』


──斬られた。


そう直感し、傷口を凍らせて無理矢理止血する。肩に刃を振り下ろされたようだが、骨を切り落とす前になんとか止まってくれているようだ。


自分の傷の具合を頭の中で整理し、その中で一つの疑問と懸念が頭を過ぎる。


『あたしが、斬った場所と同じ……?』


『へェ、お前本当に勘が良イな。才能ってやつカ?』


悪魔は感心したように、少しばかりの驚愕を顔に浮かべる。


『わかりやすイ術だロ?目を抉られりゃ目を抉り返ス、肩を斬られりゃ肩を斬り返ス。そういうものサ』


『これがあんたの魔法ってワケ……!!ずいぶん狡いもん使うじゃない……!』


『"魔法"だァ?』


悪魔の雰囲気が変わる。空気が重く、暗くなったような感覚。腹の底から冷えていくような、不快な寒気に思わず身を震わせる。


『……お前らは本当にわかっちゃいねェ。これだけ魔法を使っておいテ、ワタシのこれを魔法だト?そんなお綺麗に見えルのか?自惚れるな』


あからさまな怒りを見せて、悪魔は心底不愉快そうな様子で剥き出しの顔の骨をガリガリと掻き毟る。今までのニタニタとした、不気味で歪な笑みを浮かべ続けていた様子とは、遥かにかけ離れた姿がより一層不気味だった。


人間お前らはもっと醜いゼ。ワタシと同じサ、忘れるなヨ。これは魔法願いじゃねエ』


そう言うと同時に、一際強く骨を掻き、悪魔は顔を伏せる。


ほんの一呼吸の間、永遠かと見紛うほどの重苦しい沈黙を置いて、悪魔は言う。


『ワタシは正義の祈りの願望機。そしテ、ワタシの力は他でもねェ、人間お前らの"呪い"ダ』


地の底から溢れ出るような、悍ましい黒を携えて、正義を名乗った悪魔は笑う。


『さァ、正義の振り翳し合いと行こうゼ。戦争なんザそういうもんだロ?なァ、人間』










黒い檻が降りた直後、エルセスは怪物の溢れる街を駆け抜けていた。


『マスター!戦ったりしないのかよ!っていうかこいつらなんなんだ!?』


『わかんねえよ!得体も知れないし、俺がこんなのと戦えるように見える!?』


『いや〜正直見えない!にゃっはっはっ!』


怪物の跋扈し、住民の悲鳴が響く街を二人は駆ける。怪物達には敵味方の区別のようなものはなく、目につくものを攻撃している。そのおかげもあり、地獄か何かのような魑魅魍魎に溢れる街をエルセスは潜り抜けることができていた。


『くそッ!ジアちゃんとサルジュちゃんも逸れたって話だし急がねえと……!』


『街の人間も襲われてんねぇ』


『悪いけど、助けてやれる余裕なんてないね』


『心が痛む〜とかない?』


『俺はそんなに優しくないさ』


ベリスはエルセスの答えに『それなら良かった』と笑って返し、二人はそのまま悲鳴と咆哮に満ちた街を抜ける。


エルセスから見れば、ミダスはアレで理想を語り夢を追う夢想者だ。それに対して、エルセスは所詮は勝負師で、言ってしまえばつまらない現実主義者であると自負していた。それ故に、エルセスは勝ちに繋がらない勝負の舞台には決して上がらない。


ミダスならば街の人間を助けられる範囲でならばと助けようとしたかもしれないが、エルセスはそれをすることはない。


例えばここで怪物を数匹倒せたところで、その先に何が潜んでるかは未知数。加えて仲間の安否も不明、謎の黒い檻の出現など、今回自分達の勝利条件である"生きて帰る"に対して不利になる不確定要素があまりにも多い。それを加味した上で、エルセスは目の前の救うことができた他人を捨てる判断を下した。


『気分良くはねえけど、諦めるなら早くだ』


『それでこそだよマスター。ボクらはたとえ勝負に負けても、試合に勝たないと始まらない』


『気分くらいならいくらでも損切りしてやるさ。取り返しの付かなくなる前に、勝ちのチップを獲りに行こう』


そう己に言い聞かせ、エルセスは眼前の悲劇からは目を逸らし、勝利へと焦点を合わせる。


ひたすらに街を駆け、目指す王宮まであと僅かとなった時、目の前にいくつかの生命を無理矢理継ぎ合わせ形を作ったような、大型の竜種のような怪物が姿を現す。


『これは無視させてもらえねえか……』


『こりゃさすがに勝負所ってやつかもねマスター!』


『俺が龍狩くらい強けりゃ良かったんだけどなぁ……』


溜息と共にぼやきながら、エルセスはカードを模した魔具を構える。怪物はその姿を一瞥し、獲物を見つけた歓喜か、或いは矮小な存在へ己の強大さを誇示するためか、天を仰ぎ、空を揺るがすかのように吼えた。


自然の産んだ災害とまで称される竜種。この怪物は紛い物かもしれないが、それでもその名に恥じぬほどの重圧にエルセスとベリスが身を強張らせた。その瞬間だった。


怪物の首が、咆哮を掻き消す程の轟音と共に、空をも焼き尽くさんばかりの業火に飲まれ吹き飛んだ。


『何っ……!?』


『うえ!?あいつ自爆しちまった!?』


『いや、違う……!ベリス!下がって伏せろ!!』


エルセスが叫んだ直後、頭を失い、ふらふらと力なく揺れる怪物の身体に、続け様に何度も鉄塊が叩き付けられた。その鉄塊の悉くが轟音と爆炎を噴き出し、怪物の身体は吹き飛び、焼き焦げ、無惨な姿に変わり果てて地に臥した。


伏せていたエルセスとベリスは立ち上がり、怪物を吹き飛ばして見せた爆炎の残した黒煙と土煙の奥を睨み、構える。


『ははっ、どうやら怪物の方がマシだったって言えそうなもんを引いちまったらしい……!』


カツカツと、規則的な足音を鳴らしながら、煙の奥から一つの影が姿を見せる。


白を基調とした軍服のようなものを身に纏い、空気を焦がすかのような重圧を携えたそれは、静かにエルセスとベリスを見据える。その瞳は黄昏のように不気味な紅を湛え、眼球は夜闇のように暗く黒い。


『貴公ら、何者だ』


刺すような殺気と共に、それは問う。


それの姿が、身に纏った異質な圧が、それが最も恐ろしく強大な天災、悪魔であると物語っている。


『……ここの調査に来ただけなんだけど、敵じゃなけりゃ見逃してくれたりするのかな。お嬢さん』


悪魔はエルセスの問いには答えず、外套から鉄の筒のようなものを取り出して、エルセスへと向けて構える。


『筒……?』


『戦火は焼く者を選ばぬ』


瞬間、エルセスはほとんど直感でその場から飛び退く。ほとんど同時に、筒から何かが放たれ、直前までエルセスの立っていた場所を通過していった。


『なんだ今の!?鉄球!?どんな魔具だよそれ!!』


『あれ石の壁にめり込んでるぜマスター!あんなの身体に当たったら余裕で穴空いちまう!』


驚愕する二人を意に介する事もなく、悪魔は再び外套を翻すように腕を振るう。外套からは先程の鉄の筒と同じ物がガチャガチャと無機質な音を立てながら現れ、それが地面に突き立てられた。


『マジか……隠れるよベリス!!』


『言われなくてもぉ!!』


エルセスの掛け声と共に、二人は建物の影へと駆け出し、悪魔は鉄の筒から弾を放つ。


悪魔は弾を放つ度に鉄の筒を投げ捨て、次の突き立ててある筒を構え、弾を放つを繰り返す。放たれた鉄球、弾丸は二人を掠めつつも捉え切る事はなく、エルセスとベリスは建物の影へと飛び込むようにして隠れた。


『なんだありゃ……見た事ねえぞあんな魔具……』


『それなんだけどマスター。ボクちょっと一発キレーに当たったんだけどさ、アレ魔具なのかな?』


『というと?』


『放つ時も喰らった時も魔力を一切感じないんだよアレ。ただの包丁とか、石ころとか、そういうレベル。なんなら、あの怪物吹っ飛ばした時も魔法の感じ全然しなかったじゃん?』


『魔具でも魔法でもねえって事か?けど魔法なしにあんな──


轟音と共に建物が瓦礫の山に変わり、エルセスとベリスはそれに巻き込まれる形で吹き飛んだ。


幸い爆風に吹き飛ばされたために瓦礫の下敷きになるようなことはなく、大きな怪我もなく、エルセスとベリスは土煙に咽せながら体勢を立て直す。


先程のものとは形の異なる鉄の筒を投げ捨てながら、悪魔は二人の方へと規則的な足音と共に歩み寄ってくる。


『考えさせる暇はくれないってわけね……やるしかねえか……!』


『つまんねー奴だなぁあいつ!ボクは好きになれねーな!何の祈りだか知らねーけどさ!』


『戦争』


ベリスの罵声に、悪魔は無機質に、端的に答えを返す。


人災の極致、人が人に齎す最も直接的な災害の名を冠する悪魔は、ただ静かに外套を靡かせ、死を放つ鉄筒を手にする。


『畏れよ。此方は戦火也』


戦争が牙を剥く。


無慈悲な鉄の雨と、灼熱の業火を携えて。









雪女との通信を切り、私は次々と直されていく建物を見据え、嫌な予感に身慄いしていた。


『物を壊しながら向かってくる何か』と言われればまだ納得はできる。やろうと思えばソニム先輩とか、スライあたりはそんな事もできそうだし、あり得そうな話で言えば竜災だとか悪魔だとかが、人の暮らしの悉くを踏み潰してやって来たとか、そんな風に言われれば納得する。


だが、今迫って来ているものは壊れた悉くを直して迫って来ているのだ。


『なんなんだよありゃ……!!』


自分の目に映る、理解のできない現象を、私の頭は何とか都合よく解釈しようと思考を回す。


例えばこの国のすごい魔具か何かで、この辺りの建物は壊れてもすぐ直るように作られているんじゃないかとか、或いはそういう力を持った魔女か何かがいて、国の危機に東奔西走しているんじゃないかとか、内心あり得ないだろうなと思っていることばかりが浮かんでは消えていく。


おそらく、この得体の知れない修復は私を狙って来ているわけではない。私を狙っているなら、そもそも道中で物を直す意味がわからない。しかし、アレから逃げるには壊れている物がないところに逃げなければならない。あたり一面が瓦礫と死にかけの人間やら死体やらの山になってしまってる以上、逃げるのはほぼ不可能というわけだ。


『ダンタリオン、纏衣』


『りょーかい』


逃げ切れる算段がつかないことに加え、いつ火の雨が再び降るかもわからず、黒い檻の打破方法もわからない現状では、この謎の存在に万全の構えを取って対峙した方が良いと腹を括る。


纏衣は時間をかけずにできるようにしておいたのは英断だったなと、不安を誤魔化すために自分を褒めてから刀を構え、変わらずに建物を直しながら近づいて来ているであろう存在に意識を集中する。


そして遂に、この怪現象の正体が姿を見せる。


『あら!元気そうな子がいるわね!あなたがヴォラクの言ってた子なのかしら?元気そうだからきっとそうね!』


『……知るか。誰の何だよお前』


現れたのは悲しいことに予想通りに悪魔だった。まず目を惹いたのは四本の腕。普通の人間のものと変わらないが、人間より一対腕が多い。頭には獣の耳と湾曲した一対のツノが生えており、それだけでもわかりやすい異形だったが、加えて背中からは一本の巨大な腕が尻尾か何かのように生えている。


『あらごめんなさい!自己紹介しなきゃよね!私はブエル、快方の祈りの願望機!ここでみんなを治してるのよ!』


『みんなって……人も治してんの?』


『もちろん!元気でいるのは良いことでしょう?』


ブエルと名乗った悪魔は、やけに明るい調子で話し続ける。話している内容は普通に聞いていれば嘘のようないい話だが、ダンタリオンの魔法で心を見ても、一切嘘を吐いていない。


本当にこの悪魔は物や人を善意で治して駆け回っているらしく、都合の良い妄想だと思っていたものが現実に現れたことに面を喰らってしまう。


『よくわかんないけど、もしかして味方してくれたりしない?私達、どっちかと言うと戦争止めに来たんだよね』


『まあ!やっぱりそうなのね?』


瞬間、ブエルの雰囲気が変わる。


重苦しい、息が詰まるような重圧。表情は変わらず、先ほどまでの快活で明るい笑顔のままなのが恐ろしさを助長している。


『私ね、人が死ぬのは悲しいの。怪我も病気も大嫌い』


『……だったらマジでちょうど良いと思うんだけど』


『だから戦争が好きなの!』


言葉に嘘偽りはない。


『は?』


あまりにも脈絡のない、意味不明な会話に思わず声が漏れる。


『ヴォラクの言ってた通りなのね。戦争を止めようなんて、酷いことを言わないで!』


『はあ!?いや、怪我も病気も大嫌いなんだろ!?嘘ついてるわけじゃないのに何言ってんだ!?』


『もちろん。死ぬなんて悲しいわ。怪我も病気も大嫌い』


まだ、言葉に嘘偽りはない。


心の内が読めることが、これ程まで嫌だと思ったことはきっとなかっただろう。ブァレフォールのような滅茶苦茶の継ぎ接ぎでもなく、バルバトスのような空虚でもない。目の前のアレは、確実に喜怒哀楽を持ち、死や怪我、病気を心の底から厭っている。


『けど大丈夫!私が全部治してあげるわ!だから安心して、いくらでも壊れて良いのよ!全部、全部治して元通りにしてあげる!私、治すのは大好きなの!!』


一才の曇りのない、その顔に浮かべた満面の笑みと同じ、眩しいほどの真っ直ぐな心で悪魔は語る。


純然たる善意と、溢れんばかりの悦楽を宿したそれは、ただただ愉しそうな笑みを湛えて、声高らかに叫ぶ。


『さあ、戦争をしましょう!!』

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