35話 坩堝

建物の崩れる音がする。



人が焼ける臭いがする。



空気が喉を焼き、死が道を照らしている。




畏れよ。


こんなものは望まれるべきではない。








戦地の周りというのは、案外不気味なほどにいつも通りだったり、静かだったりするものだ。渦中でなければ、思ってる数倍は平穏に暮らせる。いつ火の粉が降りかかってくるかはわからないが、それでも皆なんとなく"大丈夫なはず"と思っているものだ。


私たちが戦地への突入前の最終準備のためにと入り込んだ、絶賛戦争中のはずの国の外れの街でさえ、例に漏れず案外平和なものだ。


『激化してるって聞いてたけど、流石に国全域がってわけじゃないんだ。飯も食えるし』


『全域まで行ってたら二カ国間だけじゃ済まなくなってる頃だよ。危惧はされてるんだろうけどね』


エルセスさんはあっけらかんとした様子でそう言うと、通信用の魔具を人数分取り出して私たちに手渡す。


『通信魔具?あたし達、みんなもう持ってますよ』


『こいつは緊急用。うちの心配性のリーダーに繋がるから、なるべく使わないようにね』


私とサルジュは成程と納得して、普段使いのものとは別に通信魔具を受け取る。つまり、こっちを使った時点で尋常ならざる事態が発生したと即座にわかるようにするための準備というわけだ。


私たちが魔具を受け取ったところでエルセスさんが再び口を開く。


『さて、こっから俺たちがどうするかだけど、ジアちゃんとサルジュちゃんは二人で侵略されてる側の国の方に行ってほしい』


『えっ、こいつと!?』


『あたしだって嫌なんだから黙って聞きなさいよ!!』


『仕事だから我慢してね二人とも』とエルセスさんが圧も込めて微笑み、私たちは押し黙る。私たちのその様子に満足してから、エルセスさんは続きを話す。


『戦況、戦力、主要都市の様子。これを確認できればいいから極力戦闘は避けること。ひとまずこれだけ守って、完了したら二人でそのまま離脱して』


『エルセスさんは?』


『俺はこっち側。つまりは侵略してる側の国を同じように調べて撤退するよ』


『……ここから近い方選んだってこと?』


『ご明察!……って冗談めかしたいとこだけど、そういうわけじゃない。真面目な理由があるよ』


私の冗談めいた質問にエルセスさんは明るく返してくれたが、サルジュが隣で『んなわけないでしょ……』と本気の呆れ顔を向けてくる。私はそれを見えていないフリをしてガン無視を決め込む。


『理由って?』


『まず一つ。君らの方が戦場には慣れてる。戦地を抜けるのなら俺より死なない可能性が高い』


『この雪女戦争経験とかないからカスじゃない?』


『あんた本当に一回本気で殴るわよ』


『まあまあ。戦闘慣れはしてるだろ?』


サルジュが『もちろんです!』と怒り混じりの声で返し、私が『本当かよ』と茶々を入れる。それを見てエルセスさんが笑うといういつものギルドのようなやり取りにちょっとした安心感を覚える。


『そしてもう一つ。先におかしくなった国は近い方だから、俺がさっさと終わらせてしまいたい』


『え、でもそれってお兄さんの方が危ないんじゃ……』


『真正面から馬鹿正直に行ったらそうだろうね。けどま、俺はこの通り不真面目で嘘つきだから心配ないよ』


エルセスさんはあっけらかんとした態度でそう言うと、席を立ってから軽く伸びをする。


今回の件は正直、その辺の貴族だとかどうでもいい小国の依頼ではなく、国連という世界そのものと言っても過言ではない存在からの話で、戦争の規模に加えて情報の不明瞭さも普段の仕事の比ではない。これでも私は結構緊張しているし、サルジュは尚更だろう。そんな中で、いつも通りの調子で振る舞ってくれるエルセスさんは思った以上に安心感があった。


『さて、それじゃそろそろやろう。二人ともまたね』


『今日は帰るわ〜くらいのノリで言うねエルセスさん』


『実際そんなもんだろ?気負わずいこう、俺たちは所詮野良犬なんだから、自由にやらねえと』


『はは、言えてる。んじゃまた後でねエルセスさん。ほらさっさと行くよ雪女』


『仕切んな辻斬女。お兄さんはお気をつけて』


ひらひらと手をふりあって、私たちはそれぞれの目的地へと向かい始める。いつものように、日常のように過ぎる時間が、なんとなく嬉しい。非日常にこれから飛び込むからなのかはわからないが、そんな気がした。










物事をうまく進めるために必要なことは入念な準備だ。それは例えば料理をする前には材料を揃えておくとか、店を開く前に中を掃除しておくとか、日常的な話の中でもよくわかる。小さな物事で大事なことは、土壇場だとかここぞといった大きな物事でも変わらずに大事なことであるというのが世の常だ。


今回も時間は少なかったがやれることはやってきた。ミダスから話を受け、実際に事が動き出すまで一日もなかったのはさすがは国家権力様だなと呆れたが、それでも常日頃からの仕込みのおかげでどうにかなってくれた。


『それにしたって勘弁してほしいけどな。本業じゃないとはいえ店のこともあるんだし』


やれやれとため息を一つ溢し、つい口に出た不満に自嘲しながら街中をふらふらと抜けて行く。戦時下とはいえ、やはり戦火のど真ん中以外は平和なものだ。敵国へのヘイトや自国への賛美など、多少思想は強く色濃く浮き出ているが、せいぜいその程度で、きっとこの街を行く人の大半が血の匂いも知らず、死体の顔も見たことがないのだろう。


なんとも皮肉な話だなと、誰に対して言ったかもわからないような文句を心の中で吐き捨てたところで、ズカズカと歩く大柄の男が小さな女の子をその勢いのまま突き飛ばしたのが目についた。


男は女の子を気にする様子もなく、そのまま歩いて行ってしまう。女の子は突き飛ばされ、尻餅をついて座り込んでしまっている。冷たい光景だが、特別酷い話でもない。こんなものはどこにでもよくある光景だ。


『お嬢さん、大丈夫?怪我してないかい?』


だから、俺がそれに手を差し伸べたりするのもどこかにあるよくある光景だろう。


『うん。ありがとう。今日はね、すごく嬉しいから平気!』


『へえ、それは素敵だ。とびきり良い日になるといいね』


『うん!ありがとうお兄ちゃん!そうだ、お兄ちゃん優しいから教えてあげる』


『ん?何を教えてくれるの?』


『ここから逃げた方が良いよ!とっても"楽しい事"が起こるから!』


『じゃあねー!』と手を振りながら、俺の疑問を投げかける暇もないままに女の子は雑踏へと走り去って見えなくなってしまう。


ぽかんと、一人だけ止まった時間に取り残されたように暫く固まったあと、軽く頭を振って時と共に止まっていた思考を再開する。


『逃げた方が良い楽しい事ってなんだよ……。荒っぽい祭り?んなわけないか』


怪我人が当たり前のように出る祭りが文化や風習としてあるところはたまにだが存在する。ただ、この国はそんな文化はないし、ましてや戦時下にそんなことをしている余裕はもちろんないだろう。


どう見ても十歳にも満たない女の子が、上機嫌に走り去って行っただけにしては、あまりにも不気味で不穏な気配に冷や汗が頬を伝う。


『ジャックポット〜ってか?参ったね……流石に心の準備が足りてねえや……』


『マスターにしちゃ珍しい!負けるのは慣れてない?』


独り言のつもりだったぼやきに返事が返ってくる。


いつの間にか、俺の後ろには金の髪にほのかに褐色の肌、異国風の服に身を包んだ子供が、ニヤニヤと笑みを浮かべながら立っていた。


『負けてねえよ。むしろ引きが良すぎたくらい』


『ならサイコーでしょ!楽しくやろうぜマスター、マスターはボクのイチオシなんだから!』


『ああ勿論。張り切っていこうぜ、ベリス』


ケタケタと笑う子供、ベリスは『そりゃ当然!』と笑顔で返す。クリジア、サルジュには勿論。ミダスにも内緒の隠し玉。俺の遊び仲間がこのベリスだ。


『にしても、最初っから負ける気でやるつもりかよマスター。想定外なんだろ?』


『想定外なんざいつも通り。準備させてくれねえのが玉に瑕だが、釣れる大物が増えるから楽しいんだよこういうのは』


『ふっ……はっはー!やっぱ良いね!んじゃまあ勝ちにいこうぜマスター!楽しくなってきた!』


高らかに笑いながら、俺の前を歩いていくベリスに『最初からそのつもりだって』と返して再び歩き始める。不安要素は当たり前のように増えてくれたが、そんなことは本当によくある話でしかない。結局俺たちは当初の目的を果たしてさっさとトンズラこくのが一番の勝ち筋だ。


『ジアちゃんたちも上手くいくと良いけど、ま、もしもの為にも俺がまずは頑張らねーとな』


自分は親友二人ほど、子守りだなんだに向いてはいないんだけどなと自嘲しながら、雑踏を再び速足で進む。


元より"大当たり"は事前に調べてあたりは付けていたし、ここまでは予定通りに進んでいる。あの二人には何事もなかった、肩透かしだったと思いながらさっさと帰ってもらって、あとは俺が上手くやれば良いだけ。とにかく簡単なお使いだ。




──雑踏を少女が駆けていく。


踊るように、上機嫌に、道ゆく人々にその小さな手で触れながら駆けていく。


不愉快な男も、助けてくれた男も、少女にとっては今はどうでも良い。快も不快も今はただの気まぐれで、少女は抱えきれないほどの希望と期待を胸にしてひたすらに街を駆けた。


抑えきれない笑みが口角を釣り上げ、歓喜と期待が笑い声となって口から漏れ出ている。そんな浮かれ切った少女が、大柄な男にぶつかる。


『痛ぇなクソガキ!』


男は何か不愉快な出来事があり苛立っていたのかはわからないが、少女の様子が酷く不愉快に映るようだった。未だに笑みを抑えられない小さな少女を、少女の首よりも太い腕で引っ掴み持ち上げる。


少女は未だ笑っている。


『何笑ってやがんだてめえ!!』


男が叫び、空いている手を少女へ振り下ろさんと掲げるのとほとんど同時に、少女が自身の胸ぐらを掴んだ腕に、まるで祈るように優しく手を添え、光悦の表情のまま叫んだ。


『あぁ、ロザ、ロザ!私の光!!ねえ、ねえ!見ててねロザ!!』


少女の歓喜と光悦の声に、怪物が讃美歌を歌う。


人の肉を裂き、捻じ曲げ、継ぎ足した歪な怪物が、創造主を称えて歌い出す。


『私の世界を見せてあげる!!』










戦争というものは凄惨で、元がなんだったのかも判別できないような肉塊を、瓦礫の山が埋め尽くし、そこから腐臭と血の臭いが混ざって漂ってくる。そんな地獄をこの世に引き摺り出してぶちまけたかのような光景が広がるものだ。


ましてや今回は国際的な勢力が動くほどの規模に化けた大戦争。戦火の外は露知らず、この戦争の中心はまさしく地獄というに相応しい光景が広がっている。そのはずだった。


『道間違えたとか冗談みたいなこと言わないでしょうね辻斬女……』


『なわけねえだろ……って大声あげたいとこだけど、そう言われた方が納得できる光景なのは認めてやるよ雪女……』


私たちが今立っているこの場所は、比喩でもなんでもない本当に戦火のど真ん中。ここで事前に聞いてた妙な兵器やら不死身の兵士やらの噂が生まれていたはずだ。


しかし、今眼前に広がっているのは無傷で日常を過ごしている街。攻め込まれ主戦場となったはずの街が、まるでそんなこと一度もなかったかのような顔でのんびりと佇んでいる。人々は当たり前の毎日のように街を行き交い、戦火の影など欠片すらも見えない。


『……ちょっとこの辺の人に聞いてみない?少なくとも変な話の流れじゃないでしょ。ダンタリオンちゃんで嘘とホントもわかるし』


『確かにアリかも。戦争してないんならしてませんでしたでさっさと帰れるしね。ちょい待ってて』


私は物陰でダンタリオンを呼び出し、人間のフリをしてもらう。こいつらは元々人間に馴染みやすいというか、悪魔っぽさが薄いのでこういう時にはスムーズで助かっている。


今回はリアンが表に出てくれるようで、リオンは中でお留守番のようだ。正直、リオンよりリアンの方が若干おとなしいし、細かい仕事は得意分野にしてるので私としてもありがたい。リオンが聞いたら、あるいは今見られていたら怒るだろうが、事実なので気にしないことにした。


『というわけで、まずはぱっと見てみてどう?』


『んー、ぱっと見変な感じしないよ。平和そのものっつかなんつーか』


『あ、今日は赤い子の方なのね。リアンくんだっけ』


『そ。そんな会ってないのによく覚えてんね雪女さん』


『サルジュね!そいつの言い方真似しなくて良いのよリアンくんは!!』


リアンの雪女呼びに、まるで姉か何かのように若干の憤りを乗せて嗜めるような口ぶりで話し、リアンはそれを見てケタケタと笑う。


『冗談冗談。つってもさ、仕事内容の割にこんな光景なことある?』


『こんなことなさそうだから困ってんだよね。ちょっと話聞いてみるから、こっそり心読んどいてくんない?』


『オッケー。でもお前で大丈夫?サルジュの方が人を怒らせずに話せそうだけど』


『日常会話一つで人をマジギレさせたらもう才能なんだよそれは!いいからよろしく!今これ異常事態なんだから遊んでる場合じゃないかんね!!』


『せいぜい頑張んなさい』と手を振る雪女と『はいはい頑張れ』とニヤニヤと笑うリアンに寛大に舌打ちをしてから、街道まで出ていって街をゆく適当な人間に声をかけるべく辺りを見回す。


なるべく温和そうで、話が通じそうな人間をと考えていた時に、初老の紳士が通りがかったのでしめたと思い小走りで駆け寄って声をかけた。


『おーい!そこのおじ様!』


『おや、私かね?どうかしたのかいお嬢さん』


歩いている様子も何もかも、どう考えても平常時そのもので、戦争どころか喧嘩すら見たことがなさそうなほどのんびりした空気感だが、自分に言い聞かせる意味も込めてここは件の戦争の戦地ど真ん中であり、今この状況はあまりにも異常なのだと脳内で繰り返す。


『ちょっと聞きたいんだけど、ここ結構前から派手に戦争やってるんだよね?こんな平和なわけ?』


『戦争?ははは、そんなのとっくに終わった話だよ。ほら、こうして平和にみんな生活をしているだろう?』


『マジ?いや、そんなはずはと思ってびっくりしちゃって……終わったならよかったけど』


『本当にね。私は老い先短いが、若人があんな事に巻き込まれるのは悲しい』


しみじみと話す老紳士を前に、私はちらりと建物の影にいるリアンに目配せを送るが、リアンは何もおかしなことはないとでも言いたげに首を横に振る。


どうやら本当に戦争はすでに終結しており、この平和な光景は間違いでも何でもないらしい。


『ただね、そろそろ鉄が降るんだ』


そう思った直後だった。


老紳士の顔から表情が消える。


『はい?鉄?』


『鉄が降ってきてね。鉄は火を吹いて、街を、私たちを焼き尽くす。もう何度も、何度も焼き尽くしたんだ。鉄の雨。火の海が来る』


『ちょっ、何の話……』


『何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も私たちは繰り返している?進んでいないんだ、何処にも、勝ちも、負けも、ここで永遠に止まっている。治ってしまうんだ、何もかも。確実に私たちは焼けている。鉄の雨が来る。鉄の雨が来る。鉄の雨が来るんだ。その度に手が触れる。治っている。何度も繰り返している。私たちは、忘れているんだ。忘れていたい!鉄の雨が来る!!鉄の雨が来る!!!』


尋常ならざる様子で蹲り、頭を掻きむしり始めた老紳士から私はほとんど反射的に距離を取り、そのままリアンとサルジュの方へと弾き飛ばされたような勢いで戻っていく。


『おいリアン!!何もないんじゃないわけ!?』


『さっきまではなかったって!!急に噴き出してきた感じだよ!!ぶん回した炭酸水みたいに一気にね!!』


『わかりやすい例どーも!!あの言葉の意味は!?』


『トラウマの類だろうけど意味不明!とにかくここ離れた方がいいかもくらい!』


リアンの提案に私は即座に同意し、戦地から離脱してエルセスさんに指示された国の首都圏の方へと路地を抜けて走り出す。


『ちょ、あのおじいちゃん大丈夫なわけ!?』


『ほっとけ!!自分のこと以外気にしてたらマジでお前死ぬかんな!!私は今回本気で助けねえぞ雪女!!』


『けどあれ!』


『自殺なら私に関係ないとこでやれ!!』


『っ……!わかったわよ!!この場の離脱ね!!』


私は雪女に『最初っから素直に従え』と吐き捨て、リアンの腕を引っ掴んで街を駆け抜ける。


老紳士の言葉は意味不明だし、何が起こるのかも全く想像がつかないが、ただ一つ間違いないと言えることは尋常ならざることがこの場で起き、その異常故に今この街はこの光景だということだ。ならばほぼ確実に、間違いなくろくでもない事態がここでは発生する。


私たちの今の勝利条件は"生きて帰ってあとを国連に丸投げすること"だ。戦って勝つことでも、この不気味な戦争に巣食う何かを解決することでもない。ある意味で唯一とも言える勝ち筋をおいそれと手放すわけにはいかない。


『にしてもマジで何なんだあれ!』


『あたしがわかるわけないでしょ!』


息を切らせながら、私たちは走る。目的さえ果たしてしまえば大義名分を掲げて逃げられる。それだけを考えて走る。


『派手な心的外傷は記憶の封じ込めとかも起こす!何があったかの意味はわかんないけど、無意識に忘れてたんだろうよあれ!』


『じゃあ本当にろくでもないことが起きるか起きたってわけね!!』


リアンからの補足に、自分の予想が合っていたことを確信した瞬間、通信魔具のコールが鳴る。


『ジアちゃん!サルジュちゃんも!聞こえてる!?』


『エルセスさん!?何!?どうしたの!?』


『国連連中がなぜか動き出した!なんか声かけた!?軍が雪崩れ込んでくる!!』


『はぁ!?なんだよそれ!?命じられた調査もろくにまだしてないってのに!?』


『俺とおんなじ反応どうもありがとう!とにかく、これが狙いの奴がいるって事だ!俺たちの当初の目的がほぼ崩壊した以上撤退を視野に──


瞬間、轟音が響く。


二つの轟音。一つはエルセスさんが話していた通信魔具の先から響いた、竜種か何かの咆哮のような音。そしてもう一つは、私たちの背後。私たちが走って逃げてきた街の建物が瓦礫を巻き上げ、黒煙と共に無惨な姿へ変わっている。


『今度はなんだよ!?つかエルセスさん無事!?』


『俺は無事!さっきの街に急に化物が沸いてる以外はね!!そっちは!?』


『化物!?どういう事!?ちなみにこっちは建物が吹っ飛んだくらいでいつもの光景!!』


『お祭り騒ぎってわけね!!俺もさっさと合流するつもりで動くから、全員死なねえように!!撤収開始!!』


エルセスさんはそう言い終えると同時に通信を切る。戦闘要員じゃないとかなんとか言っていた割に、不思議とエルセスさんの言葉に安心できるのは、昔からお世話になっているからなのだろうか。


そんな事を一瞬考えてから、即座に脳を今現在の自分達の状況判断へと切り替える。街では第二波、第三波と爆発が響いている。


『んであの爆発なんだよ!!』


『あたしに聞かれてもわかんないわよ!!けどいきなりよ!?派手な魔法だとかも見えなかったし!』


『クッソどうなってんだ……!ろくでもないことばっか持ってきやがってあの人形女ァ!!』


特大の呪詛を吐き散らしながら、私たちは爆炎と黒煙が噴き出す街を駆け抜ける。不可解なのはサルジュの言う通りに、魔法の使用の形跡がろくに見えないことだ。


街を吹き飛ばすような炎魔法はアモンとの戦いでも見たし、派手なものならミダスさんが使う炎魔法だって何度か見ている。ただ、派手な魔法というやつは大抵魔力の溜めのようなものがあったり、それ相応の威力の魔法が来ることがわかるものが多いはずなのだが、それがこの爆発には一切ない。


そんな調子でわけもわからないまま走る私たちの比較的近くで爆炎が上がり、堪らず足を止めて顔を覆う。


『マジで何なんだ……!!』


それとほとんど同時に"カンッ"という、瓦礫とは少し違う、金属のような音が響く。音の方を見てみれば、そこには握り拳程度の大きさの鉄の塊が転がっているのが見えた。自然物ではなく、明らかに人の手の加えられた何かだ。


『何──


瞬間、鉄塊が火を噴いた。


轟音と共に炸裂したそれは、魔具特有の魔力の感じも、魔法らしき形跡も一切なく、ただ爆ぜ、私たちを熱と共に吹き飛ばす。


幸い、鉄塊から距離が離れていたので怪我は大したことがないが、サルジュと吹き飛ばされた勢いで分断された。お互い真逆の方向に吹っ飛ぶのは面白さすら感じるが、そんな悠長な事を言っている場合ではもちろんない。


『クリジア!!あんた無事!?』


『ピンピンしてるよ!!さっさとこの街抜けて……』


鉄の雨が降る。


確かにあの老紳士はそう言った。


私たちの周囲に、今まさに降り注ごうとしているのはまさしく"鉄の雨"だった。


直後、地面に激突した鉄が火を噴き爆ぜる。


『うぉおおお!?何だこれ魔具!?』


轟音で声は掻き消され、サルジュの声は肉声ではもはや聞こえない。通信魔具を起動し、この鉄の雨から逃れるために走りながら叫ぶ。


『雪女!無事か!?消し炭じゃねえよな!?』


『生きてるわよ失礼ね!!』


『はい元気ね残念!!再合流は一旦無理だ!お前はお前で無理矢理この街抜けろ!!』


『一言多いのよ!了解っ!死ぬんじゃないわよあんた!』


『そのまま返すわ英雄気取り!!落ち着いたら連絡!以上!!』


通信魔具を切り、とにかくこの火と鉄の雨から逃れるために走る。本来向かうべき方向とはズレるが、今はそんな事を言っている場合でもないし、目的が破綻した以上エルセスさんが言う通り仕事を続行する意味もない。


生きて帰れば勝ちなんだからというエルセスさんの言葉を改めて意識に刻み込み、黒煙と轟音の中を駆ける。


『全員無事に済むといいね、クリジア』


『大丈夫だろ。エルセスさんなら上手くやるよ』


『サルジュも多分大丈夫だよ』


『あいつはどうでも……いや、まあ、死なないでしょ。嫌われ者っていなくならないから』


『ははっ、お前と同じでね』


『うるせえよ』


生きて帰れば勝ち。何とも単純で、わかりやすく、最高の勝利条件だ。何をしても生き残るなんてことは、私たち除け者の巣にとっての一番の得意分野なのだから、当たり前の面をして帰ってやろう。











渦中の某国、王宮の最上階、己が国の街々を見渡すことができる玉座の間に一つの影があった。


『なぁんデ国連が早くモ出張ってきてんだヨ。っかしぃナァ、動向は見てたつもりなんだガ……』


ガシガシと頭を掻きながら、それは面倒くさそうに大きな欠伸を一つする。その眼には黒煙と爆炎を噴き上げ始めた街が小さく映っており、暫く街を眺めたあとにそれは小さく溜息を吐いた。


『まア、いいカ。元より数は必要なんダ。釣った魚の活きが良かっタってだけの話だもんナァ。マジの大物に来られルと面倒だガ……』


『雑兵なら都合は良イ』と、それは空に文字を描くようにして指を走らせる。指がなぞった虚空には、黒く重い液体のような跡が残り、虚空に文字を刻んでいく。


『怨恨、敬愛、悲願と熱望。爪を突き立てる者。空に吼える者』


虚空に浮かんだ文字はそれの掌の上に集い、一つの黒い球体になる。


『見果てぬ夢、無念の檻、泥濘の祈りよ来たれ』


球体はそれの掌から静かに地面へと落とされ、沈むように地面へ溶けていく。


『怨嗟沸沸・夢泡囹圉』


地より、黒い泥が噴き出す。


地平を、天を、全てを覆っていく。


『さア、気に入らねェものはぶっ壊しちまおウ。お前はそれでいいのサ』


泥に閉ざされた怨嗟と呪詛を、業火と黒煙を見下ろして、それは笑う。口を引き裂いたような笑みのまま、玉座の周囲にぶちまけられた残骸を足蹴にして、黒く深い怨恨の笑い声を残し、それは王宮を後にする。


『お前が笑えない世界ダ。だからワタシは許さねェ』


その声を聞く者は、何処にもなかった。

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