四章・嬉々壊界
34話 禍根の揺籃
呪われろ、呪われろ。
正義を騙りし怪物が。
お前達が願うなら、永劫の果てまで穢してやる。お前が願い祈るのなら、ワタシが世界を呪ってやる。
正しき者に報いあれ。
正しき者に報いあれ。
お前達の全てに、我が呪いがあらんことを。
世の中には良いことと悪いことは半々くらいでバランスを取ってるなんて話がある。少し嫌なことがあったら、その先に同じくらいの良いことがあるとか、良い知らせが続きすぎると何か悪いことが起きるんじゃないかとか、そんな話だ。
私は正直言って全く信じていない。良いことなんてあればあるだけ良いんだし、悪いことは極力少ない方が良い。悪いことが連続して起こるなんてもっての外だ。良いこと続きの後に悪いことが大爆発するなんて話も勘弁してほしい。というか、それなら今頃サピトゥリアあたりは焦土になっても足りないくらいの幸福が溜まっているだろう。
『私も君とはプライベートでのんびり話せる場面で再会したかったのだが……』
『流石にお茶しながらこの話は無理だよね〜……』
つまり何が言いたいかというと、私はここ最近良い話ばかりを聞いていたせいで、今こんな話を聞いている訳では断じてないはずだということだ。
遡ること一時間程前。ワノクニでの怪我の療養期間もとっくに終え、ベルフェールさんたちが来ていたのがだいぶ過去の話になった頃、またいつも通りの傭兵業に戻っていた私は、いつも通り何の気なしに自室から広間へと降りてきた。
『やあ。息災で何よりだ。クリジア・アフェクト』
『イラさん!?』
目を惹く真紅の髪に、黒を基調にした少し厳つい軍服を身に纏った女性。水の都では散々お世話になったその人が、除け者の巣の広間に腰掛けている。
あの戦いで失ってしまった片腕は、言っていた通りに義手をつけたのか、見た目には綺麗に揃ってついている。
『久しぶりってかビックリした!!なに?休暇?』
『休暇ならレヴィも連れてきてたよ。私としても不本意だが、仕事の話だ』
『そりゃそうか……。そうでなくとも忙しいでしょイラさん』
『療養休暇が恋しくなる程度にはな』
イラさんはそう言って、小さな溜息と共に微笑んだ。水の都での関わり合いでようやく知れたことだが、この人は生真面目だ。生真面目だが、こういう風にちょっとした冗談も言うし、多分基本的に人のことが好きな人だと思う。だからこうして私にもよくしてくれている。
『イラ嬢よぉ、お前みたいな真面目ちゃんが何の連絡もなしに急に来るのは嫌な予感しかしねえぞ』
『お前の予感はよく当たるな。ミダス』
『やっぱ厄介ごとかよ……』
客人用の飲み物と茶菓子を乱雑に机に置いたミダスさんが、派手な溜息を吐きながらどかりと音を立てて私の隣に座る。一応、形式上とはいえイラさんはミダスさんの上司のはずなのだが、明らかに態度はミダスさんの方がでかい。
『ミダスさん相手上司なのに態度エグくないすか』
『テメェに言われたくねえよクソガキ』
『仕事の話をしていいだろうか』
『はいよ。手短にどーぞイラ嬢さん』
イラさんが『君のそういう態度は素直に問題があるな』と溜息を吐きつつ、少しだけ姿勢を直してから神妙な顔つきで口を開く。
『紛争地域での戦争に関する話なのだが、我々……ひいては君たちがご指名なんだ』
『指名?おい待て、水の都からの話じゃねえのか?』
『君たち……特にクリジア、君にとっては因縁深い話にもなるかもしれん。君たちを指名したのはマギアス魔導評議会のアビィ・トゥールムだ』
その名前を聞いて、鳥肌が立つような、腹の底から悪寒が湧き上がるような感覚が襲ってきた。ワノクニの件で関わった、世界連合の中でも有数の権力者にして、冷静、冷徹、公平にして無慈悲。魔導評議会という機関そのものとも言うべく存在である彼女が、再び私たちを指名したのだ。
ワノクニでのあの感じを踏まえて、正直に言うならば私からのあの女への印象は最悪に近い。世界的には正しいのかもしれないが、人間には理屈が正しいからと言って納得することのできないものというやつがある。あの女はそれをどストレートど真ん中に捉えているような存在だ。当然、好きか嫌いかで言われれば大嫌いである。
『苦虫をまとめて噛み潰したような顔をするな……』
『いや、マジでいい思い出のない名前なもんで』
『まあ、実際彼女は君の苦手なタイプだろうな。私やレヴィ、父も彼女のことはまるで人形のようだとよく言っている』
『めっちゃくちゃわかるよそれ。今度その悪口だけで一晩明かしたいくらいにはわかる』
『俺もいけ好かねえ奴だとは思っちゃいたが、どんな話持ち込んできやがったんだあの国……つか機関か?』
イラさんが『話が早くて良いな』と微笑み、紙の束を二つ取り出して、片方を私たちに渡してくれた。そこには今回の一連の話が丁寧にまとめられているようだ。ミダスさんが受け取り、私に見えるようにと机に置いてページを捲る。
『まず経緯から話そう。元々発生していた中規模の国家間での戦争が急速に激化した。その調停に当たる連合軍先遣隊の役割が水の都に与えられたというわけだ』
『はい質問。まずなんでそんなよくある話に国連がデカい顔して割って入る理由があったわけ?』
『もっともな疑問だな。私たちに伝えられた理由は一つ。資料にも記載があるが、渦中の二カ国のうち片方は元々国連に属する国だった。しかし突如として国連の脱退を宣言し、それと同時期に戦火の勢いは異常な速度で増していった。背景に何があるかわからん以上、放置するわけにもいかないのだろう』
『難しく言ってるが要約しちまえば火の不始末ってわけだ。お偉いが勝手にやりゃ良いだろーがよそんなもん』
『私も立場がなければそう言うんだがな……』
ミダスさんが呆れたと言った様子で天を仰いで大きな溜息を吐き、イラさんもそれに同意するように片手で顔を覆って大きな溜息を吐いた。
実際、元々首輪をつけてた飼い犬がうっかり逃げ出して、そいつがいきなり暴れ出したから元飼い主として放置ができません。助けてくださいなんて話にこの場の全員が巻き込まれているのだから、私としても二人と同じ気持ちではある。
『加えて、私たち水の都……そして君たち除け者の巣は表立ってではないにしろ、未だ例の第六柱の件での疑いが晴れているわけではない。そこも含めて私たちなのだろう』
『あー……なるほどね。信用問題ありきの脅しも入ってるってわけだ』
『そういうことになるな。同じ被害者の身でこんな言い方はしたくないが、残念ながら拒否権は君達にはない話になる』
『そこに関しちゃ最初っからお前が悪いとも水の都が悪いとも思っちゃねえよ』
イラさんが『そう言ってもらえると助かるよ』と自嘲気味に笑う。私はもちろん、ミダスさんもおそらくイラさんが私たちのことをよく考えてくれていることは重々承知している。というか、そうじゃなければこの場で喧嘩になってる頃だろう。
『詳細はどうなってんだ?最低限、評議会だろうが国連だろうが俺らに頼るリスクもあるだろ。所詮はただの傭兵集団だぞ』
『大方予想はついているだろうが、嫌な噂が目白押しと言ったところだ。それ故の君たちなのだから』
イラさんが持っている資料を捲りながら再び話始める。口振りや依頼者、依頼の経緯から私も予想はしていたが、背景にちらついているのはやはり悪魔の影だった。
戦争の急激な激化の裏に、同時に流れ始めた妙な噂話。それは異形の兵器と不死の兵団の噂だった。とはいえ、不死者に関しては本当に噂話で、実際に姿形を見たとか、首を切られたのに生きてるとかの実例はないらしい。しかし、異形の兵器についてはどうやら本当の話と断定して良いもののようだ。
曰く、魔法や魔具ではない大破壊兵器や、魔法銃と呼ばれる魔法を撃ち出す魔具に類似した武器など、少なくとも世には知れ渡っていない不可解な武装が確認されているとのことだ。人を殺すくらいならともかく、大破壊ともなると魔法を用いない何かでできるとは到底考えられないが。
『……ガス爆発とかじゃねえのか?魔法なしに建物吹っ飛ばすとか龍狩じゃあるめえし』
『詳細は私にもわからない。魔法なしに意図的に爆発を起こせるようなものがあるのか、或いは魔女や悪魔の類なのか……なんにせよ、不可解な何かがあることは間違いないとしか言えんのだ』
『成程ね……んで?最終的な目標は何になるんだ?』
『戦争の調停……と言えば聞こえはいいが、目標は国連の軍事介入及び両国の主要戦力等の破壊、制圧だ。両国の国王も生死問わずの粛清対象になっている』
『つまりは戦争を完全に武力制圧して喧嘩両成敗しましょうってわけ?』
イラさんが『そういうことになるな』と頷く。国連という組織は、言い換えれば強力無比な世界最大の連合軍隊だ。単純に人間同士の戦争をしますとなった時に、この軍隊に物量で押し潰されればどんな国でもひとたまりもない人間という資材の量はもちろん、技術に関しても世界有数の大国が属する時点で世界最高峰と言って過言ではない。
そんな世界最大級の暴力と権力の化身が、わざわざ子供の喧嘩に首を突っ込んで喧嘩を止めるために粉骨砕身しようと言うのだから、なんとも感動的で世界思いのお優しい話だ。
『で?勇敢な先遣隊に抜擢された俺たちは何すりゃいいんだ?連合軍出張るなら下手すりゃ俺ら要らねえだろ』
『内部調査が最優先事項だ。情報を掴んで欲しい。情報を元に準備が整えば後は本格的な介入に併せた主戦力等の陽動になる』
『それってものすごく簡単に言うと情報掴んだらあとは用無しの捨て駒じゃない?』
『理解が早くて助かるよ……つまりは貧乏くじだ』
『あんの人形女私になんか恨みでもあるかの如くハズレ引かせてくるな……』
私がこの場にいない権力者へ盛大な舌打ちを送り、それに同意してくれるかのようにイラさんが大きく溜息を吐いた。ミダスさんも難しい顔で考え込んでいるあたり、私たちにとってこの話は本当に良くない報せだ。
そして、こんな重い沈黙とやり場のない怒りに満ちたまま、イラさんとの久々の再会から現在に至るというわけである。
『……メンバーに関してはミダス、君に一任する。クリジアに関しては確実に引き摺り出されるが』
『やっぱそうなる?』
ガックリと肩を落とした私にミダスさんが『気の毒だなお前』と声をかける。いつものような小馬鹿にする感じではなく、本気で同情されてるのがなんとなく伝わってより一層凹んだ。
『つってもメンツなぁ……龍狩二人は別件、となるとこの件に関しては必然的に新入りか』
『はぁ!?いやいやいやいや嫌ですけど!?だったら一人で行きますよ!!私真剣にあいつのこと嫌いなんすよミダスさん!?』
『黙って仕事しろクソガキ。俺に逆らうな』
『急に暴君になる!!つかあんな甘ったれ戦争に放り込んだら瞬きする間に死にますって!!』
『そうじゃねえに越したことはねえが、最悪それでいい』
ミダスさんの予想外の返しに、私は『えっ』と情けない声を発して固まる。
『ソニムの"殺さない"はあれで仕事になってるから認めてる。殺さないなら勝手にやってくれていいが"殺せない"なら戦争屋は無理だ。死ぬか心が壊れるかのどっちかだってのはお前もわかるだろ』
『いや、そりゃそうですけど……』
『俺は親じゃねえし、学校の先生でもねえ。仕事と金は回してやるが、子守りをしてやるつもりはねえ。死ねとは言わねえが、傭兵やれるかどうかはあいつ次第だ。良い機会だろ』
ミダスさんのもっともな言葉に、私は気圧されて黙り込む。私はあの雪女のことは本当に嫌いだ。だからあいつに関しては良い。ただ、ミダスさんがここまで言うのが少し意外だった。
どこまでを本心で言っているのかはわからないが、少なくとも言っていることに間違いはない。
『そうじゃなくとも戦闘経験ありの腕の立つ奴ってだけでどっちにしろ駆り出すけどな』
『まあ確かに弱かないですけど……』
『引率もつけてやるからせいぜい頑張れ、クソガキ』
私が引率とは誰かを聞こうとしたのとほとんど同時に、イラさんがふと口を開く。
『……先程までは水の都の人間として話をしたが、この先は私個人として、一ついいだろうか』
『おう。珍しくよく喋るなお前』
『一言余計だ。先程も話した通り、君たちの役割はほとんど捨て駒だが、それを理解した上で友人をはいどうぞと差し出すのは業腹なんてものじゃない』
あまり言われたことのないようなセリフに、私は少し面を食らって固まってしまった。確かにイラさんはこういう人だが、傭兵に対してこんな言葉が向けられることは本当にない。というか、向ける方が異常とまで言える。
ミダスさんも同じ感想だったのか、あっけらかんとした様子で『つっても俺らの仕事なんて』と言いかけたところを、イラさんが遮るようにして言葉を続ける。
『使われっぱなしというのも気に食わん。なので君たちには秘密裏に私からの依頼も受けてもらう』
『この期に及んで仕事増やす気かお前』
『簡単な仕事だ。生きて帰ってこい。最低限、現地に赴いた事実さえあれば水の都がいくらでも言い訳をしてやる』
『ちょ、それ世界中に喧嘩売ってるようなもんだよイラさん』
『国連は元々対等な関係だ。対等な関係ならば、喧嘩の一つ二つするだろう』
ニヤリと、したり顔でイラさんは言う。この人もこんな顔をするのかという意外さと、私たちのことを想像以上に大事に扱ってくれていることに驚いてしまう。
『お前……言うほど簡単な話じゃねぇぞそれ』
『生き汚いのは得意だと聞いているが』
『世界に対して言い訳する方に言ってんだよ』
『うちの神子様のわがままに敵う奴なんていないさ』
『……わーった。しっかり心得て向かうように言っとく。俺らもお前らが無茶苦茶やって後ろ盾を失うのは困るんだよ』
ガシガシと頭を掻きながら、呆れたといった様子でミダスさんがそう言うと、イラさんは満足そうに『期待しているよ』と言って微笑んだ。
傭兵的にはここまで大事に扱われると違和感はあるが、悪い気はこれっぽっちもしない。これが初対面のお役人様とかだったら、何を言ってるんだこのアホはと一蹴していたところだが、イラさんに言ってもらえているのは素直に嬉しい。
『期待されちまっちゃ仕方ねえ。準備してやるから少しの間お待ちください、お嬢様』
『よろしく頼む。仔細は資料の通りだ、野良犬』
『……お前、冗談上手くなったか?』
『誰かさんのおかげかな』
軽口を叩きながら、イラさんとミダスさんが席を立ち、私もその後を追うようにして立ち上がる。急ぎで来ていたという言葉の通りに、ここに滞在し続けるような時間もないのだろう。
玄関前まで来たところで、イラさんが立ち止まり、私たちの方へと振り返る。
『本当に、気をつけてくれ。正直今回はあまり良い予感はしないんだ』
『肝に銘じとくし銘じさせとく。俺らのこと気にしすぎんなよ、お前の一番は神子だろ』
『気にかけてもらえんのは嬉しいっすけどね』
『オメーら野良犬のことは俺が気にかけてりゃ良いんだよ』
『強面の男性より美人さんの方が嬉しいとこある気も痛ぁ!!』
私の頭に一切の躊躇いなく拳骨が振り下ろされ、若干鈍い音を奏でた。蹲り、痛みに呻き声をあげる私を見てイラさんが笑っている。
『……確かに、君たちなら心配はそれほど要らないのかもな』
『いや今私を心配して欲しいことが目の前で起きてるんだけど!』
『元気なのは良いことだろう?』
イラさんはそう言ってまた笑い、私は幾つかそれに文句を返しつつ一緒に笑った。そんな調子で少しだけ談笑をしてから、これから水の都へ急いで戻るというイラさんを私たちは見送った。
水の都の一件がなければ、私はあの人にここまで好意的ではなかっただろうという確信が、自分の器量を物語られているようで少し自嘲してしまうが、なんにせよあんな優しい人に気にかけてもらっているというのは、私の中では十分すぎるくらいに生き残る理由になり得る。
『……さて、仕事すっか。準備しろ、辻斬』
『その呼び方嫌いだって前も言いましたよね!?やる気に水差すのやめてくださいよ!!』
『あと俺はちょっと別件あるからお前からサルジュに声かけといてくれ』
『いやもうダブルショックでめっちゃ萎えましたクリジアちゃん。どうしてくれるんすか』
ぶつくさと不平不満を投げかける私を『知るか』と一蹴してミダスさんはその場を後にする。私はその背中をしばらく文句を垂れ流しながら見送って、大きなため息を一つ吐いてから心を切り替える。
一先ず、あの憎たらしい顔にこの件を伝えなければと考えてから、もう一度心の底からため息を吐いて、雪女の帰りを準備をしながら待つことにした。
貿易都市レゴラメント。この国は特殊で、俗に言う都市国家のようなものだ。学術都市を首都とする世界最大の大国"サピトゥリア"が世界を支える骨格だとするのなら、貿易都市レゴラメントはあらゆる文化と資源という血液を世界へ送る心臓と言えるだろう。
この都市には良いも悪いもあまり関係がない。文化にも資源にも善悪はなく、それを手にした者にのみ善悪という付加価値は与えられているのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、言い方を変えればここは世界一発展した無法地帯だ。
表向きには大商人や商会グループなどの裕福層が羽振の良いくらしをして、労働者階級も少なくとも仕事にあぶれることはないという良いところだが、路地裏にスラム、盗賊に強盗、闇取引に違法薬物などもやりたい放題。残念ながら、俺はここの事をよく知っている。どれだけ嫌な思い出の数が多かろうと、ここは俺の故郷で、思い入れのある場所だ。
『まあ、ある意味うってつけの街でもあるけどな』
誰に聞こえるわけでもない、雑踏の中で声を溢し、目的の店の扉を開ける。
アンティーク調の装飾が施され、敢えて灯りの鈍いランタンを使う事で仄暗いながらも落ち着いた雰囲気のある空間となっている店内。バーカウンターの奥には多種多様な酒とグラスが並び、まさしく洒落た店というに相応しい様相だ。ついでに、これが店主の趣味であることもよくわかる。
派手すぎない程度の宝飾、目立ちすぎない程度の小洒落た小物、どれもこれもよく知った顔が好きそうなものばかりだ。昔からずっと、あいつは落ち着いたフリをしたようなものを好んでいる。カッコつけたがりと自負はしていたが、おそらく自負以上にカッコつけたがりの側面があるのだろう。
『よお、いらっしゃい。つっても、今は準備中だからなんも出さねーぜ。ミダス』
『お前はカウンターに足乗せて、読みかけの本をアイマスク代わりに昼寝すんのを準備って呼んでんのか?エルセス』
『英気を養うとかなんとか言うだろ?』
ヘラヘラといつもの軽い調子で話す親友、エルセスは伸びをしてから椅子に座り直し、俺にも適当に座るようにと手でカウンター前に並んだ椅子を指す。
俺は勧められるまま椅子に掛け、親友とカウンター越しに顔を突き合わせる形になった。
『しかし、お前がこっちに顔出しに来るのは珍しいよな。忙しくしてるしあんま来ないだろ』
『俺だってできれば毎日客として来てえよ。手のかかる奴が増えすぎた』
『ははっ、新顔まで受け入れといてよく言う』
『うるせー』
親友との談笑を少しばかり楽しんで、話がひと段落したところで、エルセスが足を組み直してから口を開く。
『仕事の話だろ?ざっくりとは聞いたが、俺で役に立つかね』
『お前ほど適任なのもいねえだろ。忍び込んで、情報引っこ抜いて帰ってくるって話にお前より向いてる奴を俺は知らねえぞ』
『だったらなんでそんな不安そうな顔をするんだよ』
エルセスに指摘され、言葉に詰まって目を逸らす。昔からこいつ相手にはまともに隠し事が成功した試しがない。言葉で他人の相手をすることに関して、右に出る者がいないと言っても全く過言ではないこいつに隠し事をしようとする方が無謀なのかもしれないが。
『……顔に出てるのがわかるのはお前くらいだろ』
『俺への隠し事で俺にバレるなら意味ねーよ。何?結構危ない橋?』
『あのイラ嬢が心配してくれた程度にゃあな』
『うわぉ。そりゃ驚きだな。俺あんまりイラ嬢と会えてないから、役人っぽいとこしかイメージないし尚更だ』
エルセスは大袈裟にリアクションをとりながら、ひょいと椅子から立ち上がると、徐にグラスと酒を手に取る。
『準備中なんじゃねえのかよ』
『景気付けも準備の一環さ』
自分と俺の分の酒をそれぞれ用意し、お互いにグラスを持って軽く打ち付け合い音を鳴らす。俺が軽く一口飲んだだけなのに対して、珍しくエルセスが景気良く一気にグラスを空にしてグラスを置く。
『気負うなよミダスくん。お前は確かにリーダーだが、最初の三匹はみーんな対等だろ』
『……メンタルケアされに来たわけじゃねーんだが』
『ならいつも通りドンと構えておいてくれよ』
『わーった悪かった。お前ならたとえ悪魔の一つ二つ居ようが欺き通せたりするだろうよ』
『そこまではどうかな。自信はあるけどね』
ニヤリと、おそらく普段は絶対に見せない悪い笑み。俺とベラにとっては見慣れた悪童の顔に、認めたくないが心底安心したような気がする。
一番信頼できる悪友に何を躊躇っていたのかと、自分への呆れを吐き出してから残った酒を一気に飲み干す。
『同族嫌悪のガキ二人の子守りも任せるぜ』
『それはなあなあで頑張らせてくれよ』
二人して笑ったあと、俺は席を立って、仕事の資料をカウンターへ置く。
『仕事の詳細は資料置いてくから目通してくれ。質問あったら連絡よこせ』
『はいはい。任せなリーダー』
エルセスは軽い、いつも通りの調子でひらひらと手を振りながら俺を見送る。これでいてしっかりとしている部分はしっかりしているのだから、親友ながら不思議な奴だと思いつつ、扉の前まで歩いてふと立ち止まる。
『ん?どうしたミダス。忘れ物?』
『一個伝え忘れがあった』
『なんだよ。告白前の乙女みたいなこと言い出して』
エルセスの茶化しに『うるせえよ』と返し、一つ咳払いをしてから、改めてエルセスを指さす。
『全員生きて帰ってこい。お前ならどうにかできんだろ』
『……それ、イラ嬢からの依頼?』
『俺からの命令』
『なら破るわけにもいかないな。任せとけよ、親友』
『ああ、期待してるぜ。親友』
いつも通りのやり取りを残して、エルセスの店を後にする。漠然とした不安を、ちょっとした会話だけで払拭してしまうのだから、自分の親友というやつは本当に大したものだ。
『……悪魔を欺き通して、ねえ。バレてんのかと思ったぜ。勘が良いのか間が良いのか……親友ながらわかんねえ奴だよ本当に』
一人残されたバーで、ミダスに渡された資料をパラパラと捲りながらエルセスはぼやく。
一通り目を通し終えて、カウンターに資料を戻すと、立ち上がり一つ伸びをする。
『まあ任せとけよミダス。お前にも秘密の隠し玉ってやつが俺にもあるんだ。お前は俺にアモンのこと教えてくれなかったし、お互い様だろ?なあ、そう思わないか?』
一人きりの店内。返事をする者などいるはずもない空間にエルセスは問いかける。当然、返事がどこからか返ってくるようなことはない。そのはずだった。
『いいねいいね隠し玉!やっぱマスターは面白くて助かるよ!』
楽しげな声が、パチパチと手を叩く音と共にエルセスの声に応える。
『まあね。俺の仲間はみんな面白い奴ばっかりさ』
『あのコワモテ君もマスターの親友ってだけあっていい感じだったもんなぁ。仲良くなれそうだ!』
『そりゃそうだろ。俺の親友だぜ?』
『違いない!面白い奴が減るのも困るし、協力は惜しまないよ!』
『その理由がなくともお前は俺に負けてるんだから、協力はしてもらうけどな』
『ゔっ……そこはお互いカッコつけて終わろうよマスタぁ〜』
泣きつくような声に、エルセスは笑い声で返す。扉に閉店中の札をかけ、軽く店の中を整理してから、別の仕事へ向かうための準備を始める。
『柄じゃねえが、頑張ってみようか。親友のためにもね』
翌日、準備を終えた私たちは件の戦地のすぐ近く、国連側が指定した中継地にきていた。
『指示されてる場所ここ?誰もいないじゃない』
『この場で軍隊待機させるわけにもいかないんでしょ。てか引率いるって聞いてたけど、誰かも結局聞き損ねたし引率いないし……』
国連軍は私たちの潜入とずらして配備されるというのは聞いていた。しかし、誰一人いないとは私も流石に思ってはいなかった。
やはり国連だとか魔導評議会だとか、お偉い連中みたいな奴らはどことなく気に食わない。せめて一人くらい指示役なりなんなり用意しておけよと思ってしまう。
『一人くらい人用意しとくべきでしょ。国連だかなんだか知らないけどどうなってんのよあたしらの扱い』
『初めて意見一致したな雪女。私もそう思う』
『そう言われるとなんか癪ね……』
『ああ!?私が歩み寄ろうとしてやってんのになんなんだよお前!』
『歩み寄り方下手すぎんのよ!!赤ん坊があんたは!!』
『よう、元気そうだな君ら』
ぎゃいぎゃいと言い合いをする私たちの横から、聞きなれた声がして、私と雪女は弾かれるように声の方を向く。
ひらひらと私たちに手を振っているのは、普段のバーテンダーの格好とは少し違う、怪盗や手品師のような服装のエルセスさんだった。
『エルセスさん!?えっ、引率ってエルセスさんなの!?』
『え?俺引率って扱いされてんの?むしろ君らに守ってもらいたいくらいなんだけど』
『いや、正直マジでびっくりしてるんだけど。エルセスさん戦えるイメージなくて』
『お兄さんって給仕とかそういう仕事じゃなかったんですか!?』
『まあ二人の言う通りあんまりこういうとこには来ないかな』
エルセスさんは『本当なら君らの帰りをのんびりと待ってたいとこだったんだけどね』と笑いながら語る。
実際、除け者の巣に入ってから私はそれなりに長いが、エルセスさんがこういったまさしく傭兵業というような場所に出た話は聞いたことがない。ミダスさんもエルセスさんのことは"情報屋"だとか"外交のエキスパート"だとか、直接的な傭兵業以外のところで頼りにしてるし、アモンの襲撃の際もベラさんとエルセスさんは戦闘役からは外れていた。
『ま、足は引っ張らないからよろしく頼むよ』
『そうは思ってませんけど……けど、なんでリーダーはお兄さんを?』
『今回の俺たちの目標は、サッと情報を掴んで、パッパと撤退して帰って宴会することだからね。俺は弱いから初めから逃げの算段だけど、君らは熱くなっちゃダメだよ』
『そう言われるとそっか……けどマジで守ったりとかは私も雪女も余裕ないと思うけど』
『その辺は気にしなくていいさ。傭兵なんてそんなもん、だろ?』
エルセスさんが私たちの頭をポンと叩いて『それじゃ頑張ろうか』と歩き始める。普段はソニム先輩だとか、スライだとか、こういう言い方をすると悪い気もするが、ある意味傭兵らしいちょっとおかしな人と一緒にいることが多い分少し戸惑ってしまう。
ただ、現状使い捨て扱いされて、死んでもいいようなところに放り込まれている今、目標が帰って宴会をするというのはある意味最高の生きる理由かもしれない。私はせっかくならばと開き直って、得体の知れない戦地へと歩き出した。
努力は必ず報われるべきだという者がいる。
誰がそんな残酷なことを言い始めたのかは知らないが、人間はそうであることを望んでいる。
努力が必ず報われるのなら、天賦の才を持って生まれたものがあまりにも報われないではないか。
人は平等であるべきだという者がいる。
まるで美徳だとでも言わんばかりに皆口を揃えるが、それを叫ぶ理由は不平等であるからこそだと気がつかない。
左右を綺麗に揃えたその足で、何処に歩むこともできないと気がつけない者ばかりだ。
善行には良いことを、悪行には悪いことを、それが正しい対価なのだと語る者がいる。
その善悪を誰が決めるかも知らず、まるで自らが世界の中心であるかのように我々は常に叫んでいる。
願望機は願いを叶えるモノだ。
悪魔は望まれたモノを、望まれた通りに人間に与える。
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