33話 青空の下を行く

悪魔。それは意思を持つ天災と称される存在。一つの柱の顕現が、一つの国の滅亡に直結しうる世界最大にして最悪の厄災。


それほどの力を持つ存在は当然のように恐れられ、恐怖の象徴となり、それを超えて畏怖、或いは崇拝の域まで至ることは不思議ではない。その結果として生まれたものが、悪魔を崇める異教だろう。


そして、その関係者がいるかもしれないという場所に、最もあってほしくない天災の匂いがあると言う。


『悪魔がいる……?じゃあなに?まさかとは思うけど、ヘルミーナはすでに瓦礫の山とか言うんじゃないでしょうね』


『そりゃねえ。血の匂いもねえし、人の匂いも大量にしてる。生活は少なくともしてるんだろう』


『なら尚更わかんないわね。その悪魔何がしたいのよ』


ソニムの尤もな疑問に、答えられるものはいなかった。当然、街の現状がわかる者は誰もいないし、悪魔の思惑がわかる者なんてさらに当たり前のようにいない。


どちらにせよ、今の私たちはヘルミーナに向かうか、ここで一度引き返して何かしらの対策を考えるかの選択肢以外には道はない。そして、目の前にまできた可能性を、不確定な情報と怯えで諦めることができるほど、私たち人間は利口ではない。


『とにかく、危険があればすぐに逃げよう。まずは皆、それを約束して』


『言われなくてもそうするわよ。こんなチビもいるんだから』


ソニムがミリのことを見る。この子は相変わらず、性根の部分というか、根本的なところでは本当に優しい人だ。昔からそれは知っている。過去のことは何も聞いたことはないし、この先ソニムが私にそれを語ることも決してないだろう。それでも、この子は根の部分で私よりも人が良い。


『うん。ソニムのそれには私も賛成。エダもいるし、ヴィエラだってこれから先があるからね』


『あんたもガキいるでしょ。殴るわよ』


『死ぬ気はないさ。お人好しだからね、先に人のことが気になっちゃうんだよ』


『難儀ね。なんでもいいけど、わたしの仕事が失敗したら金も出ないんだから、死んだら許さないわよ』


『あはは、君は本当に優しいね』


『金の話してんのよ馬鹿作家』


ソニムはそう言い捨てるようにして背を向ける。本当に、基本的には心底ガラが悪く、無愛想だ。昔からずっとそれは変わらない。


けれど、除け者の巣なんて皮肉な名前をつけた優しい人よりも、誰よりも人を見ている。そんな優しい人に心配させて、それを悲しませるというわけにもいかないだろう。


『ヴィエラも、逃げるときは逃げるでよろしくね』


『ええ。私としても、恩人を死なせるわけにはいきませんから。それに、エダちゃんもいます』


『ヴィエラも、死んじゃ嫌だ……』


『……もちろん。私も死にませんよ。楽しいことが、これから沢山あるはずなんですから』


私たちは不安を抱えながら、ヘルミーナへと足を進める。街に異様な様子は見られないし、今すぐ何かがあるというわけでもない。ただ一点、そこに得体の知れぬ悪魔が存在するという事実だけが影を落としていた。









花森の街ヘルミーナ。落ち着いた雰囲気が心地よい田舎街。街は草花を主にして彩られ、街の温かさが伝わってくるような、木製の建造物が並ぶ街並みはまるで時間がゆっくりと流れているかのような感覚を与えてくれる。


街はドーナツ状になっていて、中心には規模はそこまで大きくないが森がある。ここは"妖精の住む森"と呼ばれていて、街の人たちにとって大切な場所であると同時に、グラーシャの話を加味すると妖精、もとい悪魔の居城でもある。


そんな街の様子は、私たちが想像していたものとは違っていた。


街中を子供達が元気に駆け回り、大きな街道の両脇に並ぶ商店からの心地よい喧騒とカフェやスイーツ屋から漂う甘く落ち着く香りが私たちを歓迎している。


『…………平和、ですね』


『そうだね……グラーシャ君、例の匂いってどう?』


『……いるつったもんはいる。戦争中ってわけじゃねえなら尚更何考えてんのかわかんねえ』


『気は抜けないってわけね』とソニムがため息を吐く。流石は傭兵と言うべきか、普段と様子はほとんど変わらないように見えるにも関わらず、刺すような緊張感が伝わってくる。


『とにかくまずは情報収集といこうか。あそこのお菓子屋で話聞いてみよう』


『なんで菓子屋なのよ』


『おやつ時だしさ。食べるでしょ?ここのお菓子、甘くて美味しいよ?』


『………………』


ソニムは喉元あたりまで来ていた何かを、ミリちゃんの顔をちらりと見てギリギリ飲み込むと、代わりに大きな溜息を長々と吐きだした。


そんなソニムの様子の理由はよくわかるが、私は小さくソニムへ耳打ちをする。


『気持ちはわかるんだけど、変にみんな不安がらせてもあれだからさ……君もいるしと思ってるんだけど……』


『……わかったわよ。わたし外にいるからさっさと行ってきて』


そう言ってから、ソニムはミリちゃんに私について行って何か買ってもらうよう伝えると、それ以上は何も言わないと言いたげに、道から少し外れた木陰に移動する。グラーシャも声をかける前にそれに合わせるように移動していってしまった。私はソニムに『ありがとね』と礼を言って、残った人を連れてお菓子屋に向かった。



──数十分後、私たちは歩きながら食べられそうなお菓子を手にお店の外に出た。特産品のはちみつを使ったクッキーやキャンディを持って、エダとミリちゃんは満足そうな様子だ。


そんな私たちに向かって、ソニムがつかつかと歩いてくる。


『どうだったの。言っとくけど、聞いてるのは菓子の感想じゃないわよ』


『盲目のシスターはやはりいるようです。教会……というより孤児院の場所も聞きました』


『少なくともヴィエラのロザリオについてる匂いの人なのはほぼ間違いなさそう。早速行ってみようと思うから、もう少し護衛よろしくね』


ソニムは『何も聞いてこなかったら殴ってやるつもりでいたのに』と呆れたように溜息を吐いて言う。一応、これでもいろいろ気にかけてくれているのだと思うと少し面白い。ただ、これを口に出そうものなら躊躇なく拳か脚が飛んでくるので口は噤む。


『グラーシャ君には引き続き悪魔の匂いを警戒してもらって、なんにせよ早めに行ってしまおうと思うんだけど』


『菓子持って早めにとか言うな』


『まあまあ。ソニムも食べる?クッキー好きだったでしょ』


『……なんで覚えてんのよ気持ち悪い』


『友達だからかな〜』


『あっそ』という素っ気ない返事と共に、ソニムは私の買ってきたクッキーを受け取って背を向ける。


『早く行くわよ。あんたの連れも心穏やかじゃないでしょ』


『そうだね。行こう』


私たちの不安と期待が混ざった心境など知ったことではないと言わんばかりに、街は平和な日常そのもので、本当に悪魔が潜んでいるのかすら疑いそうになる。ただ、往々にして非日常は日常に埋もれているものだ。大多数には関係がないまま、非日常はその被害者と共に日常の影に消えてしまう。そして、私たちは今間違いなく非日常の側に属している。


優しい街の人々、美しい草花の彩る街道、暖かい喧騒、その全てが私たちの外で巡っている。そういう感覚があった。特別な一日と当たり前の日常は、皮肉なことに同じ空の下で流れていく。幸運なのは、特別な一日に私たちは孤独ではなかったことだろう。


買ったお菓子の感想を言い合ったり、友人に会えたらどうするのかなんて話をしたり、非日常へ向かう道中は正直なところとても楽しく過ごした。ヴィエラも変に気負ってしまっている様子もないし、ミリちゃんとエダも怖がるようなことはなく、お互い少し控えめな性格の中で仲良くなっていっているようだ。


ソニムは相変わらずの人嫌いで、ほとんど会話には混ざらずにツカツカと歩いていってしまうが、歩く速さは合わせてくれているし、定期的にミリちゃんを主に様子を見るため振り返ってはほんの少しだけ優しげな表情を見せてくれる。グラーシャは主人であるフルーラの言いつけなのはあるだろうが、文句の一つも言わずに私たちの空気感に付き合ってくれている。なんなら、ソニムよりも話しかければ雑談にも応えてくれているかもしれない。


そんな調子で歩いていた最中、先頭を歩いていたグラーシャが立ち止まる。


『おい、お前らの目的の場所はあれか?』


そう言ってグラーシャが指差した先に見えたのは、この街の中心の森を囲うように敷かれた大きな街道から、少し外れた位置にある建物だった。街の他の建物と比べると、少し古いもののようで、ボロく見えるということはないが、少し趣のある建物といった具合だ。


私は先ほどお菓子屋で聞いていた孤児院の話と今見えている建物を照らし合わせ、店主からもらった簡素な地図を確認してから頷く。


『そうみたい。留守にしてるとかじゃないと良いけど……』


『あそこに居るぞ』


グラーシャの言葉に、その場の全員が一気に緊張する。


『一応確認だけど、居るのは探し人じゃない方ってこと?』


『お前らにとっちゃ悪い報せになるがそうだ。悪魔の方が居やがる。ついでに吉報になるかはわからんが、探し人の匂いも強く放ってる』


『悪魔崇拝の団体が口封じに悪魔を連れてきたとかもあり得るのね』


『血の匂いだのなんだの、妙な匂いはねえ。どんな奴がなんの目的でいるのかは知らねえが……』


暫くの間、私たちは黙ってその場に立ち止まったまま、目的地の建物を見据えていた。目の前に目的があるかもしれない。しかし、同時に得体の知れない天災がそこにある。触らぬ神になんとやらとはよく言ったもので、きっとこのまま引き返せばヘルミーナを出て帰路につくことはできるだろう。しかし、私たち、特にヴィエラにとってはそう簡単に引き返せるようなものではないのも間違いない。


重い沈黙の中、ヴィエラが絞り出したような声を出す。


『……私は、行きます』


俯いたまま、拳を握りしめてヴィエラは続ける。


『危険なのは理解しています。けれど、そこにあの子がいたら……?もし、もしも助けを求めていたなら……?私は、私にはそれを振り払って引き返すことが、できません……』


震える声の中には、微かな期待と大きな恐怖が満ちている。そして、ヴィエラは自分の我儘で他人を危険に巻き込むことをしたくない。そんな中でも想い続けてきた友人に手が届く可能性を捨てられず、私たちを天秤にかけたことを悔やんでいることも伝わってきた。


そんなこと、少なくとも私は気にしないのだが、性根が優しいのだろう。加えて、自分の過去から来る罪悪感も手伝っている。ヴィエラはそういう人だと私は知っている。


『それなら行くしかないね』


『えっ……』


私に続くようにして、ヴィエラの手をエダが握り『みんなでなら、大丈夫』と励ましの声をかける。


『エダの言う通り!それに、今回は頼もしい護衛もいるからね』


『……仕事なら仕方ないわね。グラーシャだっけ?あんたに期待してるわよわたしは』


『俺ぁ闘う方が本業だっつの』


グラーシャは呆れ切ったといった様子で大きな溜息を吐く。ソニムは『だったらいいのよ』と言ってから、ミリちゃんの方へ振り向く。


『ミリ、あんたはできれば待ってて欲しいんだけど……いや、いいわ。一人になる方がいっそ危ないわね。帰ったらミダスのやつに文句言ってやるわ』


『め、迷惑でしょうか……ワタシ……』


『まさか。迷惑だと思ってたらそもそも置いて行ってるわよ。遊んで帰って、帰ったら一緒にミダスに文句垂れるわよ』


ミリちゃんの頭をポンポンと優しく叩いてからソニムは小さく微笑む。ミリちゃんは安心した様子で小さくお礼を言う。


『というわけで、除け者の巣は仕事だし協力するわ』


『しかし、私の勝手で……』


『帰れってんなら帰るわよわたしは』


『あぁほらソニム!ヴィエラのこといじめないであげて!私からお願いするからさ!』


『人聞き悪い言い方すんじゃないわよバカ作家』


ソニムはそう吐き捨てて、ひと足先に建物の方へと歩いていく。私たちはその後を追うようにして歩き出す。


その先に何があるかはまだわからない。それでも、きっと大丈夫だという感覚だけはまだ、私の中に残っていた。









件の建物の玄関前。壁や扉には経年劣化と補修の跡が見え、見た目以上に昔からある建物のようだ。この補修の跡を見るに、職人がというよりは色々な人がその時その時でなんとかしてきたといった具合なのだろう。


建物と同じでやはり少し古い、年季の入った扉には呼び鈴がなく、ドアの取手でドアを叩き、音を鳴らして呼び出しをする形式のようだ。扉の前でヴィエラが私たちと目を見合わせて頷き合ってから、取手を握ってコンコンとノックを鳴らす。


暫くの間、なんとも言い難い空気の沈黙が流れる。全員が留守にしてるのかなにかかと思い、もう一度ヴィエラが取手に手を伸ばしたとほとんど同時に扉がギギッという音と共に開いた。


『はいは〜い、こちらペタル孤児院ですけど……何用で?』


姿を見せたのは長いクリーム色の髪を携えたシスターだった。背は平均か少し高いくらい、若干猫背なせいか少々小柄に見える。見たところ眼が見えていない様子もないため、少なくとも"盲目のシスター"ではないだろう。


しかし、私たちの意識はそんなところにはほとんど向かなかった。全員がほとんど反射的に後退り、ソニムとグラーシャが私たちを庇うように前に出る。


『あんた、何者?』


それもそのはず、そのシスターの額からは巨大な捻れたツノが生えているのだ。


飾りだとか、ちょっとした体質だとかでは断じてない。明らかに初めからそういう形なのだと言わんばかりに堂々と生えているそれが、少なくともこのシスターがまともな人間ではないことを物語っていた。


『何者だぁ……?そりゃこっちのセリフだろうがよお』


シスターは一瞬目を伏せた後に、私たちをギロリと睨みつける。その瞬間、身体の内側から一気に冷や汗が噴き出した。まるで巨大な生物に睨まれたようで、自分がこれから一呑みで喰い殺される哀れな餌のような錯覚にすら陥る。


その場に釘付けにされたように固まる私たちをシスターは一通り目線で確認すると、グラーシャを指さして口を開く。


『んな物騒なもん引っ提げて来やがって……めんどくせぇなぁ……頭のおかしな宗教なんざよく続けるもんだぜ、本当によぉ』


『俺のこと知ってんのかテメェ』


『よぉーく知ってるぜ〜?殺戮の祈りの願望機グラシャラボラス。直に会ったこたぁねぇが、一つ目の生まれなら大体知ってるだろーよ』


シスターが喋り切るとほとんど同時、ソニムとグラーシャがシスターへと飛びかかる。


『めんどくせえなぁ……』


ソニムの蹴りとグラーシャの爪がシスターを捉える。そのはずだった。


私たちの視界に飛び込んできたのは巨大な眼。否、目を模した模様が描かれた巨大な蝶羽だ。それがシスターを覆い隠すようにして二人の攻撃を受け止めていた。


『切れねえ……!?』


『当てた感覚がない……!!』


『そうやる気になるなよなぁ、めんどくせえからさあ』


不気味な蝶羽が二人を振り払い、私たちの方へと吹き飛ばす。蝶羽はやはりと言うべきかシスターの背から生えており、今は左側から三枚の羽が姿を見せている。普通の蝶にある羽は四枚二対だが、あの形状を見るにシスターの羽は六枚三対あるのだろうか。


蝶羽に描かれた巨大な眼が、私たちをギロリと睨みつける。


『はぁ〜……元々クソつまらねえ教団だとは思ってたがよぉ。加えてしつこいとは恐れ入ったぜ。そんなに悪魔が好きなら、うちに殺されるくらい受け入れてくれるよなぁ?』


『ちょっと待ってください!教団って、オラクルム教団のことですか!?それならばその人たちは無関係です!!』


『そりゃいいねえ、祈ってみりゃ助けてくれるかもしれねえよ?おめーらの言う神様ってやつがなぁ〜』


シスターが羽を振るい、私たちの周りに鱗粉が飛ぶ。少し遅れて、その鱗粉の中を雷が走っていく。


皆を守ろうと咄嗟に魔法を使うが、魔法が発動しない。それどころか足が棒になったように動かなくなっている。


『魔法もねえ、身体も動かねえ、そんな状態で助けてくれる奴が居るなら嬉しいだろうなぁ。じゃあなぁカルト教団、次は神なんぞより自分を頼るこった』


『っ!待ってください!!』


叫び声と共に、ヴィエラがシスターの前に飛び出る。ヴィエラも同じように足が動かなくなっているのか、ヴィエラの武器である魔力を通すことで自在に動く縄鏢を使い、自分の体を紐で突き飛ばすことで地面を転がって飛び出したようだ。


形振りも構わないその様子に驚いたのか、シスターの動きが一瞬止まる。


『殺すなら私だけを殺してください!!私は元教団関係者です!!この人達は、関係ありません!!私が、私に利用された被害者です!!』


『ちょっとヴィエラ!?何言って……!!』


『私は恩人を見す見す死なせるわけにはいかないんです!!』


ヴィエラの叫びに圧倒され、私は何も言えなくなる。そのまま、数時間は経ったのではと思えるような重い沈黙が暫しの間流れ、突然シスターがぺたりと地面に座り込んだ。


『……っはぁ〜あ。やめだやーめだ。無関係なら戦うなんてめんどくせーことやってられっかよ〜』


空を見上げながら、やれやれといった様子でシスターが大袈裟な身振りと合わせて言う。それとほとんど同時に私たちの足が自由に動くようになる。


『助かった……と思っていいのかな?』


『おー、あのクソ教団にはこんな人のためにこんなんする奴ぁいねぇからなぁ〜。悪ぃことしたなぁ。だがまあ、おめーだけはそんまま縛っとくからなぁ殺戮の』


『……テメェは何だ』


『そう睨むなよぉめんどくせー。ここじゃなんだ、悪ぃが裏まで回ってもらっていいかぁ〜?』


ガキ共が不安がるからな〜』とシスターは付け加え、手招きをして建物の裏手側へと歩いていく。


私たちは顔を見合わせた後、逆らったところであの場の誰もあのシスターに抵抗できなかったことを思い返し、半ば諦める形でその後を追った。


『ヴィエラ、無茶したらダメ……』


『……すみません』


『エダの言う通りだけど、実際のところ助かったよ。ありがとうヴィエラ』


ヴィエラは少し俯いたまま、スタスタと歩いていく。ヴィエラの内心は穏やかなものではないのだろうし、私たちとしてもこの状況はあまりにもどういうことなのかが理解しきれない。余計に混乱させないよう、それ以上は何も言わずに、例のシスターの後をついていく。


少し歩くと、建物の裏庭の木陰にベンチがあり、シスターがそこの前で地べたに何も気にする様子もなく座り込む。


『全員は座れねーがそこにかけていいぞ〜』


『それより前に、あんたが何者かをまだ聞いてないんだけど』


『あー?ただのめんどくせえことが嫌いな悪魔だよ。名前はシトリーってんだ〜』


わかってはいたが、あまりにもあっさりと悪魔だと認められ、質問をしたソニムも私たちも拍子抜けしたような顔になる。当のシトリーは『そんなどうでもいいことはどーでもいいんだよ』とぼやきながら、着ていた修道服の背が先程の蝶羽のせいで破れてしまったことを気にしているようだ。


『でぇ?おめーら何しにこんな田舎街の孤児院なんぞに来たんだぁ?わざわざそんな物騒なもんまで連れて、託児ってわけでもねえんだろ〜?』


『人を探しに来たんだ。盲目のシスターさんをね』


『へえ〜、なんで?』


『……私の、友人かもしれないんです』


シトリーは『ふぅ〜ん』とさほど興味がないといった様子で返事をしてから、ヴィエラのことをじっくりと眺める。


先程のような敵意は全くないが、それでも見知らぬ悪魔に舐め回すように見られるのは結構恐ろしい気分になるもので、ヴィエラも流石に少したじろいでいる。


『んーーー……考えるのめんどくせーやぁ。どーせご主人もそろそろ帰ってくるしなぁ』


『街では盲目のシスターさんの話は聞いたんだけど、君じゃないってことだよね?』


『うちの目は見ての通り見えてるさぁ。ご主人が探し人なのかは知らねーが、あの教団の関係者じゃねえなら余計なことしなけりゃ殺しゃしねーから安心しなぁ』


『……貴方も元々教団関係者なんですか?』


ヴィエラの問いにシトリーは『まぁなぁ〜』とあっけらかんに答え、そのまま話始める。


なんでも、当初は流れ者だったが教団に拾われ、一時教団に属する悪魔として活動していたらしい。活動と言っても、何もせずにダラダラと過ごしていただけとのことだが、そこはどこまで本当なのかはわからない。


そんな生活の最中、ここヘルミーナで件の盲目のシスターに出会い、教団よりものんびり良い思いができそうだからという理由でここに住み着いているらしい。本当にそんな理由でかとは思うが、先程の言動や雰囲気を見るに、どういう理由にしろ契約者については大事に思っている様子が窺える。


『そんな簡単に逃げられました……?』


『あー、いくつか壊して殺してはしちまったなぁ』


『案外物騒なんだね君……』


『案外も何も、おめーらのこともふっ飛ばそうとしたろぉ。面倒事はいなくなっちまえば楽だしなぁ〜』


『それは、確かにそうかぁ……』


悪びれる様子もないシトリーを見て、悪魔といえば確かにこんな感じだったなと忘れかけてた恐怖心が込み上げてくる。


『シトリー?どこにいるのー?』


『んぉ、帰ってきたなぁ。ヴィエラだっけ?会ってくればぁ?』


『えっ?いや、知らない人の可能性もあるのに』


『いーからいーから。焦れててもめんどくせーし』


シトリーはそう言いながら、ヴィエラにさっさと行けとでも言うように手を払う。ヴィエラは困ったように私の顔とシトリーを何度か交互に見た後に固まってしまった。


私が困り果ててるヴィエラに『せっかくそう言うのなら行ってくれば』と声をかけようとしたのとほとんど同時に、正面玄関の方から歩いてきたであろう先程の声の主が姿を見せた。


『シトリー?お客さんが来てるの?どうして裏庭になんているのよ、まったくもう……』


現れたのは、シトリーと同じように修道服に身を包んだ水色の髪の女性。閉じられている眼と手に持っている杖を見るに、話に聞いていた通りに盲目なのは間違いなさそうだ。その割には迷いなくスタスタと歩いているのが少し不思議だが、おそらく慣れがなせる技なのだろう。


『お客さんが来てるんでしょう?お二人?もう少しいらっしゃるの?』


『大所帯だなぁ。流石に声ねえとご主人もわかんねーのぉ?』


『見えてないもの……皆さんもごめんなさいね。私は目が見えなくて、杖があればある程度は問題ないのだけれど……。私はルリといいます。ペタル孤児院の院長です』


ルリと名乗ったシスターはぺこりと小さくお辞儀をする。私たちのいる場所をだいたいで予想していたのか、少しずれた位置に向けてのお辞儀だったのが、盲目だということを言わずとも伝えてくれた。


私は挨拶を返してから、ヴィエラの方を見る。ヴィエラは少し困惑したような、動揺して固まってしまっているようで、少し近くに寄ってから耳打ちをする。


『ヴィエラどうしたの?名前、聞き覚えないとか?』


『……いえ、その。私も友人も、名は知らないんです。当時私たちには名前がなかったので、私の名前も後々つけたものですから』


『君の経歴油断するととんでもないもの出てくるね……』


『ただ、多分、彼女ですね。無事ならよかった』


ヴィエラは心底、安心したといった顔つきで、安堵の息を吐いてからスッと立ち上がる。そのままルリさんの方へ近づいた。その足音で、ルリさんもヴィエラに気がついたようで身体を向ける。


『お騒がせしてすみません。盲目のシスターがいらっしゃると聞いて足を運んだのですが、人違いだったようです』


『あら、そうだったの。ここまで大変だったでしょうに、なんだかごめんなさいね』


『いえいえ。何か、苦労はされてませんか?その、きっと……色々と大変なことも多いでしょう?』


『大変なことはあるけれど、大丈夫よ。心配してくれてありがとう』


ヴィエラは『そうですか』と言って微笑むと、私たちの方へ振り返る。


『そろそろ帰りましょう』


『……いいの?』


『はい。人違いだったのですから』


ヴィエラはそう言うと、帰り道へと少し早足で歩いていく。きっと、自分と関わり続けるのは良くないだろうと考えてのことなのだろうが、その姿は酷く寂しそうに見える。


そんなヴィエラがルリさんとすれ違ってすぐに、ルリさんが『ねえ』とヴィエラを呼び止めた。


『……私、好きな色があるのよ。おかしな話だと思わない?』


『好きな色、ですか』


『昔ね、私の大切な人が教えてくれたの。あなたの髪は澄んだ青空のようですって』


『それっ……』


『あなたが昔言ってくれたんでしょう?また何も言わずにいなくなっちゃうなんて嫌よ?』


ヴィエラはその場で見たこともないほどあからさまに動揺し、前にも後ろにも進めなくなっている。ルリさんのことを指さし、口を小さく開閉させて何から話そうかと必死に頭を回している様子だ。


『貴方、それ……覚え……というか、目、見え……?』


『忘れないわよ。目は、シトリーに助けてもらってるの。少しの間なら、シトリーがいれば見えるのよ。はじめて顔を見られたのだから、もしかしてはじめましてになるのかしら?』


ヴィエラがどういう意味だと言わんばかりにシトリーの方を見るが、シトリーはそれを見越していたのか『めんどくせーから聞くな』と背を向けてひらひらと手を振っている。


私も事態をの見込めているわけではないが、とりあえずはルリさんが間違いなくヴィエラの友人であることだけは理解できた。ひとまずは悪い方向に話が転がったわけではないと安堵して息を吐く。


『あなたも無事でよかった……もう、会えないんだと思ってたわ』


ルリさんが握手をしようと差し出した手に、ヴィエラは怯えたように半歩引いて目を逸らす。


『あの、私は……貴方を、子供達にも触れる手を、汚すわけには』


そう言って後退りするヴィエラに、ルリさんがグッと近づいてその手を掴む。


『大丈夫。私を助けてくれたあなたの手が、汚れてるなんて誰も言わないわ。何度でもありがとうを言いたいの。だから、そうやって遠くに行かないで』


『わた、し、は……』


『昔から優しすぎるのよ、あなたも大変だったでしょうに』


声にならない声を出そうとしながら、その場に泣き崩れそうになったヴィエラをルリさんが抱きしめる。二人とも泣いていて、言葉がそれ以上あったわけではないが、何よりも暖かい瞬間がそこにあった。


私は心底安心して、脱力しきって空を見上げる。日も暮れはじめ、空が赤く染まりつつあるが、その空に残る微かな青は、何よりも澄んだ色をしている。そんな気がした。








翌日。ペタル孤児院で私とエダ、そしてヴィエラはルリさんに見送られて玄関前に立っていた。


『ヴィエラ、本当にいいの?』


『はい。私がそうしたいことなので、もう少し貴方の旅について行きます』


『このままここに居てくれても良いのに』


『帰ってきますから。その時はよろしくお願いします、ルリ』


ソニムとミリちゃんは、昨日の時点で仕事は終わったからと言って竜車に乗ってサピトゥリアへと出発してしまった。ソニムが言うには、ミリちゃんを返すのもめんどくさいし、自分の休暇にミリちゃんを連れ回すことにしたとのことだが、おそらく最初からその気だったのだろう。


グラーシャも『こんなもん二度とごめんだ』と言いつつ、さっさと居なくなってしまった。ちゃんとしたお礼をしておきたかったのだが、フルーラと会った時にしておくことにしよう。


『皆さん、本当にありがとうございました。私の友人を、ヴィエラをよろしくお願いします』


『任せといて!と言いつつ助けられてる回数の方が多いんだけどね』


『託児みたいな挨拶やめてください……ルリも、色々とお気をつけて』


『ふふ、シトリーに頑張ってもらうわ』


積もる話は山ほどあっただろうが、名残惜しさを引きずりながらも私たちは歩きはじめた。ルリさんは私たちの姿が見えなくなるまで手を振ってくれていた。


ヴィエラはエダと手を繋ぎながら暫く歩き、孤児院が見えなくなった頃にふと立ち止まった。


『ベルさん、エダちゃん。ありがとうございました』


『気にしないでいいよ。にしても会えてよかったよねぇ』


『ヴィエラ、泣いてたね』


エダに言われて、気恥ずかしそうにヴィエラは目を逸らす。そんな様子を見て私とエダは笑い、それに釣られてヴィエラも笑った。


『……私は、人殺しであることに変わりはありません。だからせめて、傷つけた人よりも助けた人が多くなるように努力してみます』


『いいね。君変なところ真面目だから、そのくらい前向きになれてるなら大丈夫そう』


サピトゥリアへと向かう、私にとっては歩き慣れた整った道。けれど、こんなに嬉しい気分でここを歩いたことは初めてかもしれない。


これから二人がなにをして、どこへ向かうのかは私の知る由はないことだが、道が同じ間は一緒にいよう。いつか三人の旅が、私たち全員の良い思い出になってほしい。そんな風に願いながら、また一つ足跡を刻んで行く。

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