32話 夜明けを迎えに

ベルフェールさん達が除け者の巣に来てから一週間程経った頃。


ヴィエラさんの精神状態はかなり安定したものにダンタリオンが書き換えたらしく、本人も最初に会った時と比べるとかなり明るくなった。


詳しい事はいまいち分からないが、元々は殺人衝動に加えて自我の抑制やらなにやら、とにかく操り人形のようになって人を殺す暗示がかかっていたらしい。それを壊すのが得意と豪語するリオンが壊し、リオンよりも細かい仕事が得意なリアンが組み直すことで、突発的な軽度の自傷癖くらいのものにまで緩和したとのことだ。


そんなことができるのなら私の寝起きの悪さもマシにできるのではないかと文句を垂れてみたが、適当な返事と屁理屈で躱されてしまった。


『にしても、ほんとにあっさりすぎるくらい治ったんだねヴィエラさん』


友人探しについては音沙汰はなく、動ける人は各々動いているようだが、私はこれでも結構な重傷者なことと、シンプルにワノクニでの一件での疲れもあるしで、こうして病み上がりのような状態のヴィエラさんとのんびりと会話を楽しんでいるというわけだ。


『私も驚いています。なんとお礼を言えば良いか……』


『いやいいよ。あいつらにとっちゃ心弄るのなんて遊びみたいなもんだろうし、私はなーんもしてないし』


『人を助ける人は皆、そんな風に言いますね』


『いや流石にヴィエラさん助けたのはベルフェールさんの方でしょ』


『貴方も私を助けてくれた一人ではあります。過度な謙遜は損ですよ』


『……あんたに言われたくないね』


椅子の上で私は天を仰ぐように伸びて、天井に向かって吐き捨てるように言う。ガキの頃に友人逃して自分は殺戮人形にされてましたなんて人に、そんなこと言われたくねえよという気持ちをふんだんに詰め込んだセリフだったが、本音の部分が届いているかは分からない。


そんな調子で、おそらく自分のことがそこまで好きになれない二人が色々と話をしていたところに、門の開く音が響いた。


『よっ。初めましてシスター……ってこれあんまいい呼び方じゃないか。気を悪くしたらごめんよ。君から頼まれ事されてた情報屋』


『あれ、エルセスさん?てっきりミダスさんかと』


軽い調子でフルーラさんの作る門から顔を出したのは、ミダスさんでもフルーラさんでもなく、こっちに来るのが少し珍しい人でもあるエルセスさんだった。


『俺もいる。ったくベルフェールのやつ……人殺しより人探しの方が面倒臭えんだぞ……』


『探してたのはほとんど俺だろ親友くん』


『俺の金でな親友ろくでなし


『そりゃあ負けた親友カモくんが悪いのさ』


ミダスさんがエルセスさんを睨みつけ、エルセスさんがそれを見てケラケラと笑っている。


会話の内容からするに、二人でゲームでもして人探しの費用をどっちが持つかを決めたのだろう。エルセスさんは賭け事がバカみたいに強いので、こういうゲームでは大抵勝ちを収めて良い思いをしている。かくいう私も何度か飲みのついでに勝負に負けて財布が軽くなった経験がある。


『さて、負け犬の遠吠えがちょっと騒がしいけど、一応吉報だぜお姉さん』


未だにエルセスさんの後ろで文句を言っているミダスさんを無視して、エルセスさんが話し始める。


後から出てきたフルーラさんが、そっとミダスさんを宥めている。拗ねた子供みたいな様子のミダスさんが少し面白いが、そんなところに注目してるのは私くらいだ。


『それってまさか……』


『お探しの本人かはわからないけど"盲目のシスターさん"の話は見つけたよ』


『シスター……?そんな、逃げられたはずじゃ……』


『その辺は本人かもわからねえしなんともだな』


『ただその辺で見たってだけで、しかも噂話だからね。正確な街やら場所やらは全くわからない。そこでフルーラの猟犬の出番……ってことでいいのかな?』


『はい。ここからでは無理ですが、場所を絞りさえすればできるとの事でしたので。ご友人を探してみる事はできそうですよ』


ヴィエラさんはぱっと見ただけでもわかるほど目を輝かせ、今すぐにでも飛び出したい気持ちを必死に押さえ込むようにしながら、何から聞けば良いのか、言葉がまとまらない中で選んでいる様子だ。


生死不明の友人が、もしかしたら生きているかもしれなくて、それが今手を伸ばせば届く可能性があるともなれば、誰もがそうなるだろう。


『落ち着け。どちらにせよ動くのは明日以降になる。ベルフェールの奴が戻るのも夜だし、準備もあるだろ』


『……そ、れは……そうですね。すみません、動揺してしまい……』


『まあ、動揺くらいするさ。でも一先ずは落ち着くといいよ。今日は俺もこっちにいるから、少し豪華に宴会でもしよう』


『お、エルセスさんマジで?ベラさんも来るの?』


『うん。ちょっとしたら来るってさ。ミリちゃんも連れてね』


ミリの名前を聞いて、少しドキリとした。そういえば、あの日以来ミリには会っていない。雪女とは残念なことに何度か顔を合わせたが、ミリは傭兵というわけではないし、無理に喧騒の中にいる必要もない。そんな諸々の理由で顔を合わせる機会がなかったのだ。


色々と言いたいことも聞きたいこともあるが、最初に口を出たのはこれだった。


『……ミリ、元気そう?』


『会えばわかるさ』


にこりと笑うエルセスさんに『意地悪ぅ』と口を尖らせた後に、確かに今どうなってるかわからない人に会えるとなると、多かれ少なかれ気が動転するなと、先程のヴィエラさんと今の自分を重ねて自嘲する。


私は改めて、まだ少し落ち着かなさそうなヴィエラさんを見て小さく笑った。


『会えるといいね、ヴィエラさんの友人』


『…………はい』









昨夜の宴会は楽しく終わり、私が気にかけていたミリも元気そうだった。その最中でスライが調子に乗りすぎて簀巻きにされたり、ベルフェールさんが脱ぎ癖があるのが判明したり、エダちゃんが魔女なこと抜きにして大喰らいなことに除け者の巣全員が度肝を抜かれたりと色々あったが、とにかく楽しい時間として終わった。


そして今朝。私は見送りだが、ヴィエラさんの友人探しへ向かう面々が集まっていた。


『ミリちゃんのこと連れてっていいの?ミダス』


『ちゃんと返せよ。そいつ外出たことほぼねえんだ。目的地もサピトゥリア近郊なら都合も良い』


『人を人攫いみたいに言わないでよ……』


軽く凹んでいるベルフェールさんと一緒に、少し不安そうな様子でミリが立っている。ワノクニで会った時には、手足や顔に無数の札を巻き付けていたが、今はそんなこともなく、普通の服を着ている。


そしてそんなミリを見て、床に膝をつき、泣きながら過保護すぎる心配をしてる奴が一人。


『ミリぃい……一緒に行けなくてごめんねぇ……ハンカチ持った?話せる魔具は?あとはえっと……』


『だ、大丈夫なのです。サルジュちゃん心配しすぎで……』


『雪女、うっさい。あと顔が汚い』


『うっさいわね!!心配にもなるわよ!!大きい声出させないで!まだ骨に響くのよ!!』


『勝手にうるせえんだよ!!もう何本か今ここで折ってやろうか!?』


私とサルジュの啀み合いが始まった直後、私の視線が床とほとんど同じ位置まで一気に落ちた。何が起きたかわからなかったが、サルジュも同じように床に落ちている。


地面に叩きつけられたのだと理解したその瞬間に、頭上から声が降ってくる。


『揃ってうるさいわよ。ガキ共』


遅れて私の頭には声の主の足が降ってきた。この容赦の無さにはよく覚えがある。


『よくやったソニム。護衛の方もその調子で頼むぜ』


『あのね、あんたもあんたよミダス。よくも昨日の今日でこんな面倒事押し付けてくれたわね』


『殺さねえのが一番上手いのはお前だろ。ベルにも面識あるし』


ソニム先輩は返事の代わりに舌打ちで返すと、私の頭から足を退け、ベルフェールさん達から少し離れた位置に不機嫌そうに歩いて行き、立ち止まった。どうやらこれ以上口をきくつもりはないらしい。


『まあ、無愛想な護衛だが頼りにはなる。気をつけてな』


『ソニムも相変わらずだねぇ。また今度ねミダス。次はリベラちゃんとエレフくんにも会いにくるよ』


『いや暫く来んなマジで。てかお前はまず自分の娘にツラ見せろよ』


『これからサピトゥリア行くんだから見せるよ!私ただでさえダメ親なんだから!!』


『おー、是非そうしろ。旦那にもよろしくな』


そんな調子でワイワイと、出発前の賑わいが落ち着いた頃に、フルーラさんがサピトゥリアへ向かうための門と、もう一つ門を開く。


その中から現れたのは、少なくとも私は初めて見る悪魔。一言で表すのならば黒い獣。死の気配や匂いは何度か感じた事があるが、それよりももっと身近な匂い。血の匂いがその場に満ちる。


獣のような鋭い爪と、漆黒の毛を携えた四肢。先端が赤く染まっている黒髪、刺し殺すような眼光を放つ眼。人の形をした獣というに相応しい姿だった。


『……おい、女。本気で俺を人探しに使おうってのか?あの優男の言葉を魔に受けて?』


『あはは……すみません。頼れるのがあなただけでして……。お願いします、グラーシャ』


フルーラさんのことを女と呼んで出てきたその悪魔、グラーシャは露骨な舌打ちをして不機嫌極まりなさそうにその場にどかりと胡座をかいて座り込む。悪魔なのもあるが、体格の良い大柄の男のその態度は素直に怖い。


『と、いうわけでご友人さんの匂いを追ってくれるグラーシャこと、殺戮の祈りの願望機のグラシャラボラスです。ヴィエラさんのご友人探しはこちらのグラーシャがご協力します』


『フルーラ、君の悪魔へのメンタルの強さってなんなの?』


『餌の割には良いこと言うじゃねえか。この女はいつもこうだ』


おそらく、その場の誰もが思ったことを口から溢したベルフェールさんに同意したのは、他でもないグラーシャだった。呼び方が"餌"だったのは聞かなかったことにしたいが。


『ちょっとフルーラ。こいつ危ない奴じゃないの?まさかとは思うけど暴走でもしたらわたしにこいつと戦えって言うつもり?』


ソニム先輩の疑問はもっともだろうし、どう見てもグラーシャは"危ない奴"に分類される存在だろう。見れば、ベルフェールさん達も若干怯えた顔をしているし、サルジュは今にも全力でミリの安全云々の抗議を始めそうなくらい動揺している。


そんな中でミリだけは全く怖がっていないのが少し面白いが、一旦見なかったことにした。


『いえ、グラーシャはこれでも良い人ですから大丈夫かと……』


『あー、俺は少しそのつもりでお前を呼んだ』


『そ。ミダス、倍額払うかこの場で殴られるか選んで良いわよ』


『心配すんな。心底不愉快だがこの女に頼まれたからにはやってやる。やってやるが……』


本当に言葉通りに不機嫌そうな様子でグラーシャが頭をガシガシと掻きながら立ち上がり、フルーラさんの前に立つと、顔をフルーラさんへぐっと近づけた。


常人ならそれだけで怯えて腰を抜かすなり、気絶するなりしそうな絵面だが、フルーラさんはまるでいつも通りと言ったようにニコニコと微笑んだままだ。


『いいか!俺を殺し以外で呼ぶことの方が多いのだけはどうにかしろ女ァ!!呼んだと思えば子守りだなんだとよぉ!!』


『一番頼りやすいんですよ〜!すみません、気をつけはしますから〜』


ミダスさんは何度か見た光景なのかさほど気にしていないが、他の面々は大半が珍しいほどにフルーラさんへのドン引きの表情を浮かべていた。


おそらく、というか十中八九グラーシャは本当に恐ろしい悪魔であり、その願いに相応しい存在なのだろうが、この人はそんなものにあろうことか子守まで頼んでいる事があるらしい。そりゃあ、この場のほとんどが凄い顔でこのやり取りを見るだろう。


『……ベルさん。友人に辿り着く前に、私は少し不安になってきました』


『私も、ちょっと怖い……』


『あはは……生きててみるもんでしょ?面白いんだよ、生きてた方が色々とさ』


そんなやりとりがあったせいで、出発前だというのに、ワイワイと賑やかで騒がしい、ある意味ここ除け者の巣らしい見送りとなってしまった。


留守番の身としては、良い話が持ち帰られてくることを祈るばかりだ。






学術都市サピトゥリア。大国の中心都市がそう呼ばれるようになり、それがいつしか国名かのように根付いた最初の大国。それがこの巨大な国家サピトゥリアだ。中心都市はまさしく世界の中心なのだが、なにしろ国土が膨大なので、郊外までくると田舎街のようなところも増えてくる。それでも紛争地域やら他国やらに比べると相当平和ではあるのだが。


そんなサピトゥリアの郊外地域。私、ベルフェールにとっては結構見慣れた景色なのだが、ヴィエラやエダ、加えてミリちゃんには初めての世界だろう。ソニムは何度か来たことはあるだろうし、グラーシャについてはわからないが。


『それで、どうやって探すの?グラーシャ君』


『……魔力の匂いを辿る。その首飾り、ほとんどはその教会人のもんだが、微かに違う魔力がこびり付いてる。それがあたりかハズレかは知らねえが』


『成程……手伝えることはありますか。私の友人ですから』


『ねえよ。テメェらはついてくりゃいい』


そう言うと、グラーシャは振り返ることもせずに歩き出す。無愛想でガラは悪いが、速足で行ってしまうこともなく、人間のペースに合わせてくれているあたり、優しいというか、素直にフルーラの言うことを聞いてくれているのだろう。


猟犬と言われていたが、こういうところも少し犬っぽいのかもしれない。私が調子に乗ったことを言ってしまえば八つ裂きにされかねないが、主人には素直なあたりフルーラのことは好きなのかもしれない。


『……悪魔がいるならわたし要らなかったんじゃないの?』


『まあまあ、君とも久々に会えたしさ。私は嬉しいよ』


『わたしは会いたいとも思ってないのよ』


『そ、ソニムさん……その、喧嘩は……』


私とソニムのいつも通りの空気感の会話に、ミリちゃんが不安そうに割って入る。私はソニムのこの感じに慣れているが、慣れてなければどう聞いても喧嘩の口調だ。


私がミリちゃんに謝ろうとしたのとほとんど同時に、ソニムは溜息を吐いてから姿勢を低くして、ミリちゃんの頭にポンと手を置いた。


『…………悪かったわね。わたし普段からこんな感じなのよ。あんたがいる間くらいは気をつけるわ』


ソニムのことはミダスと知り合った時と同じタイミングで知っていたが、こんなに素直で優しい姿を見せるような人ではなかったと思っていた。少なくとも、私の記憶の中にはない姿だった。


ミリちゃんはソニムの様子に安心したようで、ほっと息を吐いて柔らかい笑みを見せる。この子も相当辛く、異様とも言える生い立ちをしていることはミダスから聞いている。そんな子が笑えているのだから、ソニムもソニムなりに気を遣ってあげているのだろう。


『君も優しくなったねぇ、ソニム先輩?』


『埋めて置いてくわよ馬鹿作家』


『口調口調。気をつけるんでしょ?』


『ッチ……さっさと行くわよ』


ソニムはミリちゃんの手を引いて、ズカズカとグラーシャの後を歩いていく。その姿を見て、どこか少しだけ嬉しくなった。まだそこまで歳は取っていないつもりなのだが、この分だと娘に会ったら泣くかもしれないなと自嘲して笑う。


私は小さく溜息を吐いて、ヴィエラとエダの手を握った。


『さ、私たちも行こっか。急ぐに越したことはない話だしね』


『……まだ少し怖いですが、そうですね』


『もし違ったら、また一緒に探そ、ヴィエラ』


『ありがとうございます、エダちゃん……行きましょう』


期待と不安を山ほど抱えて、私たちは歩き始めた。




──そこからしばらく歩き続け、昼時を過ぎた頃に私たちは少し遅めの昼ごはんの休憩をとっていた。悪魔のグラーシャは当然だが、ソニムとヴィエラもまだまだ歩けそうな様子だったのが少し驚きだった。というか、ちょっと引いたかもしれない。


加えてソニムはミリちゃんのことを途中から背負って歩いていたにも関わらず、息一つ上がってないどころか、お腹も別に空いてないとまで言う。正直、ソニムに関してはとんでもなさすぎてドン引きの域だ。


『ベルさん、この方向に街や村はありますか?』


『んー幾つかあるね。サピトゥリアの郊外と一口に言っても、とにかく広いからさ』


『なのにどこもかしこも平和なんだから、大国って立派なもんよね』


『君らが見てきてるものがとんでもないってのもあるよ?まあ、ソニムのそれには概ね同意するけどさ』


私たちは焚き火を囲んで、現在地の確認や世間話をしながら、食事を楽しんでいる。


少し離れた位置に、不機嫌そうな顔をしながらグラーシャが座り込んでいた。あの少し不気味な悪魔のレライエが言っていた通り、人探しが不服なのも本当なのだろう。


『おい、俺も早く終わらせてえんだ。無駄口叩いてねえでさっさと休め餌共』


『急いでも休まる速さ変わらないよ。あ、グラーシャ君これ食べる?フルーラからもらってたジャーキーを炙ったやつ』


『けっ、不便なもんだ……肉はもらう』


『フルーラも身体弱いでしょー。それに、エダとミリちゃんも子供だから、不便の中でもより不便なのさ』


グラーシャはそれ以上は何も言わず、渡したジャーキーを荒々しく食いながら、こちらに背を向けてしまった。やはり、フルーラのように会話を楽しむところまではいけなさそうだ。


これ以上無理に踏み込んでも恐ろしいので、私はヴィエラの方へと向き直る。


『ね、ヴィエラの友達ってどんな人?探すにしても、色々聞いておきたいと思って』


『……あまり、多くの記憶があるわけじゃありませんよ』


『五、六歳の頃の話だって言ってたもんね』


『ええ、まあ……周りをよく気にかけて、笑う子でした。私は無愛想だったので、少し羨ましかった覚えがあります』


懐かしそうに話すヴィエラの膝に座っていたエダが『ベルみたいに、笑う人だった?』と、パンを頬張りながら聞く。


ヴィエラは少し考えてから、私の顔を見た後に、エダへと視線を戻して笑う。


『……ベルさんよりは静かに笑ってた気がしますね』


『ヴィエラそれちょっと悪口入ってない?私への』


ヴィエラは『そんなことはありません』と言って微笑んでいた。元々、結構ふざけたり、不真面目な部分があったりと、口調に反して愉快なところが多いタイプだったが、ダンタリオンちゃんに見てもらってからは全体的に明るくなったと思う。


今までは殺戮衝動の発作のこともあり、意図的に私やエダとも距離を置いて近寄らないようにしていた分、特にエダには姉妹のように接しているようで、勝手に嬉しくなってしまった。


『あぁ、あと一つ面白かったことがあります』


『面白かったこと?なになに?』


『よく笑っていた理由の一つでもあるのですが、目つきが怖いので、ずっとニコニコするようにしてると言っていまして』


『そんなに怖いの……?』


『あまり私は気にしたことありませんが……盲なのもあり、怖い人には怖いのかもしれません。あと本人がすごく気にしてたので、もし会えたら、今はどうなのか見てみたいです』


ヴィエラはそう言って、エダの頭を撫でながら笑う。友人探しが動き出してからずっと、期待よりも不安が多そうな顔をしているヴィエラだが、それでもずっと暗い顔をしていた今までに比べるとすごく良い状態なのだろう。


不安はもっともだが、その不安が悪い方向に向かってしまうものではなく、先のある不安ならそれは決して悪いことだけのものではない。もしその友人に今回会えなくても、一緒にまたこれから探すことはできるのだから、今回で終わるわけでもない。この先、何をしたいかはもうヴィエラ自身が選べる。


『さて、もう少ししたら行こうか。日が落ちたら面倒だし、ソニムも怒りそうだしね』


きっと悪い終わり方はしない。無責任すぎるので口には出さないが、ただなんとなく、私はずっとそう思っている。








日が傾き、空が少し茜色になってきた頃。私たちを先導して歩いていたグラーシャが立ち止まり、私たちの方を振り返る。


『おい、この近くに街はあるか』


『ん?えーっと、ちょっと待ってね……』


私は地図を取り出し、現在地と照らし合わせる。サピトゥリアの郊外には地図に載ってない街や村といったものはほぼ存在しない。歩いてきた道を指で辿り、私たちの進む先にある街を探す。


『……近いのはヘルミーナってとこかな。良い意味での田舎街だよ。花森の街って呼ばれてるところ』


『どんな街なんです?』


『ヘルミーナは自然と一緒に育ってるような街でね、特産品もハチミツとか花とか、木製の家具とか……のどかですごい良いところだよ』


『あぁ、そこか……そこが一番近え街で間違いねえか?』


グラーシャの問いに私は頷く。グラーシャは私たちに背を向けてから、一つ息を吐く。


『なら、匂いはその街からだ』


私たちはその言葉に驚きまじりにワッと歓喜の声を上げた。本当にヴィエラの友人なのかはまだわからないが、少なくともその可能性がついに目の前までやってきたのだ。


私はヴィエラとエダの手を握り、跳ねるようにして既に歩き始めているグラーシャの後を追いかける。ヘルミーナは地図で見たかぎり、ここからもう一時間もかからずに辿り着く。私の足は自然と軽くなった。


『よーし頑張っていこう!ヘルミーナはご飯も美味しいから良いもの食べれるよ!』


『ベルが今一番嬉しそう』


『……なんで私より貴方が嬉しそうなんですか』


『なんならヴィエラには私以上に喜んでほしいけど!まだわかんないけど、楽しみでしょ!』


『あんたがうるさすぎて驚いてんでしょ……』


浮かれた調子の私を見て、少し遠巻きに私たちを眺めながら歩いていたソニムがため息混じりにそう呟いた。


『ミリちゃ〜んまたソニムが酷いこと言ってる〜』


『えっ、えっと……その……』


『相手にしなくて良いのよああいうのは』


ソニムはそう言うとミリちゃんをぐいっと持ち上げて背負い、ツカツカと私たちよりも早く前へと歩き始める。


『そ、ソニムさん。ワタシまだ自分で歩けるのです』


『いいから。街についてすぐ寝たりしたら勿体無いでしょ。美味しいものもあるらしいわよ』


私は声には出さなかったが『やっぱり君は優しくなったね』とソニムの背中を見て笑い、置いていかれないようにとヴィエラとエダの手を引いて早足でついていく。


そんな調子で私たちはヘルミーナへの道を歩いていた。ヘルミーナには大きな建物や目立つオブジェのようなものはない代わりに、一面の花畑と"妖精の森"と呼ばれる街の奥にある不思議な森が街の顔になっている。まず私たちを出迎えてくれたのは、両脇が花で彩られた街の入り口への道だった。


私は何度かここに来たことはあるが、それでも壮観だ。大都市や魔導国家とはまた違う、穏やかで優しい景色がそこにはある。グラーシャは興味がなさそうだが、他のみんなは各々息を呑んで花の道を見ていた。


そんな中で、グラーシャが急にぴたりと立ち止まる。


『グラーシャ君?どうしたの?』


私はそう言いながら、立ち止まったグラーシャの顔を覗き込むように回り込む。その表情はゾッとするほどの殺意と、警戒心が混ざった顔。間違っても花に感動したとかではないその表情に私はたじろぐ。


『……おい、龍狩。その背負ってるチビは戦えねえならこの馴れ馴れしい餌に預けとけ』


『あ?いきなり何よ。こんな花畑でいきなり喧嘩でもしようっての?』


『俺ァあの女に友人守れって言われてんだ。テメェもだろ』


グラーシャは顔つきは変えず、私に少し下がるようにと手で合図を送る。ソニムはミリちゃんを背中から下ろして私に預けると、少し神妙な顔で『……なんかあるわけ?』とグラーシャに問う。


『花森の街……あそこにゃ一本、変わり者が住んでる。それは知ってた。あいつはずっと昔からそこにいる。そいつに害はほとんどねえ』


『悪魔がいるってこと?でも、害がないなら……』


グラーシャはガシガシと頭を掻き、舌打ちを一つしてから『そいつは問題ないんだよ』と続きを話し始める。


『溶け込むのが上手いのか、花の甘ったるい匂いのせいか……この距離まで気がつけねえとは……だが、間違いねえ』


先ほどまでの空気から一変して、ひりついた緊張感が場を支配する。そもそも、悪魔が昔から一本ヘルミーナにいるという話ですら私からすれば腰を抜かすレベルの話ではあるのだが、それよりも今はさらにまずい問題が眼前にある。


悪魔崇拝の異教に関わっていた者がいるかもしれないその場所に、最もあって欲しくなかったものがそこにある。


『これは、悪魔の匂いだ』

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