幕間・絵空の旅人
29話 絵空の旅人
見慣れた天井に、珍しくすでに明るくなった外。朝、というよりすでに昼に近い時間帯であろう目覚めは本当に久々で、気分の良いゆったりとした朝だ。
この全身の激痛がなければだが。
『痛い痛い痛い痛いぃいいい〜……!!』
全身のありとあらゆる場所から発生しているあらゆる痛みに叩き起こされ、逃げ場もないまま呻き声を上げる。その呻き声すらどこかしらの傷に響いて痛いのが最悪だ。
涙目になりながら、私のベッドに腰掛けているダンタリオンを見る。
『ダンタリオンの痛み止めは……!?』
『魔力切れで〜す。ていうかもう誤魔化すのやめときなよ。変に動いたら治らんでしょ』
『休むものも休まんないんだよ痛くてぇ……!!』
ダンタリオンが興味なさげに『はいはい』と生返事をしながら本のページを捲る。いつもならこの野郎と噛み付いているところだが、あいにくと今は身体が本当にまともに動かない。
せめてもの抵抗にと忌々しげに天井に舌打ちをしたとほぼ同時に、部屋のドアが開かれた。
『よう、悲惨だなクソガキ。元気か?』
『これが元気に見えます?』
『割と見える』
『アモンに視力でも焼かれたんすか』
『見えまくってるわ。色は変わったけどな』
ミダスさんがため息を吐きながら、私の部屋の椅子に勝手に腰掛ける。別に気にはしないが、年頃の女の部屋に勝手に入って勝手にその部屋の椅子を使うのはどうなのだろうか。多分これを伝えたらほぼ間違いなく『文句言うな』と返答が返ってくるので言わないが。
まあ、そもそもの話としてこの人はそういう気遣いを私に向けたことはないとは思うので、本当に今更気にかけない部分なのだろう。
『事の顛末はある程度は聞いてんだがよ、一応確認しときたくてな』
『あ、私も一個先に聞きたい。あの子……とあのおまけ元気?』
『お前よりは元気だ。チビの方はエルセスとベラが面倒見てる。もう一人はおおよそお前と同じ状態だな』
ミダスさんの答えを聞いて『それなら良かった』と私は安堵の息を吐く。ワノクニから帰還後、私はずっとご覧の有り様で布団の上で悶えていたので、なんだかんだ言って一緒に帰ってきた二人の事が気がかりなままだった。
特にミリの方は心配だったが、エルセスさんとベラさんが見てくれてるなら間違えても自殺するだとかそういう話にはなってないだろう。あの雪女の方は知らない。というか出ていってくれて構わないのだが、残念ながら話を聞く限りはまだいるのだろう。
『んで、マギアス関係の話だが……向こう側から何かされたってわけではねえんだな?』
『そうすね。扱いとしちゃ助けてもらったって方が近いんすけど……でもあんま好きくないですあいつら』
『きな臭くはあるわな。悪魔だ魔女だに詳しすぎる国ってのは間違いねえし、今回それが俺たちなんぞに関わってきたんだ』
ミダスさんは『面倒臭えことになったな』と頭を掻き、大きなため息を吐く。パラパラと紙の束を捲りながら、報告との擦り合わせをいくらか脳内でし終えたのか、紙の束を机にポイと放り投げる。
『ダンタリオンから見てどうだったよマギアスの連中は。クリジアよりそういう見る目あるだろお前ら』
『連中つっても一人しか見てないけどね。よくわかんなかったってのが本音だよ。心読めるほど魔力も残ってなかったし。ただまともな感じはしなかったね』
『なんにせよ嫌なもんに目ぇ付けられちまったのは間違いないってわけだ』
ミダスさんが再び大きなため息を吐いて、机に放り投げていた紙の束を手に取り、それを焼き捨てる。若干の灰が舞い散り、部屋に散って消えていく。
気にするほどの量でもないし、そもそも一応部屋は間借りしてる身で、本質的な所有者はミダスさんではあるのだが、仮にも人の部屋に灰をばら撒くのはやめてほしいという言葉を口に出さずに飲み込む。
『ま、よく無事に戻ってきた。今回お前らに関しちゃそれでいい』
『ボロボロですけどね』
『死んでなけりゃ無事みてえなもんだ』
ニヤリと、悪戯な笑みを見せてミダスさんが笑う。この人はこういう時は子供っぽい。だからこそ私みたいな奴とも気が合うし、周りからも慕われているんだろう。エルセスさんとはまた違う、等身大の魅力とでも言うのだろうか。なんにせよ、この人を見ると安心する。ミダスさんは私たちにとってそういう人だ。
『いつもよりよく寝れたようだしな』
『疲れてましたからね!怪我してるし!』
『そうかいクソガキ』
ニヤニヤと、ミダスさんが私の顔を見る。しばらく無言で見つめ合って、私が少し目を逸らしたと同時にミダスさんは『動けそうなら降りてこいよ』と言って立ち上がり、ドアの前までスタスタと歩いていく。
『……夢見は、珍しく悪くなかったですけど』
『そうか。良かったな、ヒーロー』
ミダスさんは振り返らず、ひらひらと手を振って私の部屋を後にする。
私はなんだか負けたような気分になって、不貞腐れるようにして布団を被り直した。傷が痛んで顔を顰める羽目にはなったが、気恥ずかしさに比べれば幾分かマシだった。
その日の夜。傷が癒えたわけではないが、流石に夕飯は食べたかったので、ダンタリオンの魔法で痛みを誤魔化して、下の階へと降りることにした。
『……ん?なんか聞き慣れない声がする』
除け者の巣の食堂は、大抵誰かしらが集まって話して、盛り上がってることが多い。なので、話し声がすること自体は不思議じゃないが、聞き覚えのない声がするというのは不思議な話だ。
傭兵なんていう裏切り量産機、他人の恨み買取屋のような連中の本拠地が他人にバレるのは良くないというのが理由だが、基本的にメンバー以外の人間が来ることはないし、レヴィたちが来た時は相当なレアケースだった。私は少しだけ警戒するようにして、食堂をこっそりと覗き込む。
視界に入ったのは、ミダスさんとフルーラさんに加えて、見慣れない綺麗な銀の髪。白銀とでも言うのだろうか、うまく言えないが白髪とは少し違う色。まるで絵本か何かの世界から出てきたかのような、不思議な美麗さを感じる色だ。
『あれ?クリジアだ。怪我大丈夫なの?大丈夫?』
『うわぁあっ!?』
突然後ろからかけられた声に驚き、反射的に飛び退くようにして物陰から飛び出す。痛みは誤魔化してるので大丈夫なのだが、多分この誤魔化しがなかったらこの場で泣いていた気がする。
背後にいた声の主はゼパルちゃんだ。私が慌てて飛び出した様子を見てキヒキヒと小憎たらしい声で笑っている。
『あら、クリジアちゃん。大丈夫ですか?』
『おめー怪我してんだからコケたりすんなよ』
『背後に急に怪物ちゃんが立ってたら怪我しててもコケるくらいしますよ!!』
『案外元気そうだね、元気。キヒヒッ!』
『おかげさまで!!毎回背後に出てくるのなんなの!?』
見知った面々が各々の反応を私に向ける中、物陰から飛び出たことで見知らぬ人の姿がしっかりと視界に入る。
やはり不思議さすら感じる美麗さの白銀の髪に、青空をそのまま落とし込んだような青い瞳。少し風変わりな赤色の外套を纏った女性の姿は、印象としては"良いとこの出"というような感じだった。
そして、ミダスさんたちの影になって見えていなかったが、その隣には灰色の髪に薄紫の瞳の物静かそうな女の子がちょこんと、少し緊張した様子で座っていた。
そんな二人が私のことを不思議なものを見る目で見つめている。
『えぇっと……ひとまず大丈夫?』
『あ、はい。大丈夫っす。すんませんなんか』
白銀の髪の女性が『大丈夫そうならよかった』と微笑む。なんというか、本当に人当たりの良さそうな人で、レヴィとはまた違う良い人の気配がする。
『君がクリジアちゃん?フルーラから少しだけ話は聞いてたんだけど、会うのは初めてだよね』
『フルーラさんの知り合いなの?ちょっと言い方アレだけど……珍しくない?』
『確かにフルーラの知り合いって珍しいかも。まだフルーラが旅してた頃に知り合ったんだよ。七、八年とか前かな?』
女性がフルーラさんに『懐かしいよねー』と声をかけ、フルーラさんはそれに『そうですね』と微笑んで返す。
確かに、フルーラさんがここに来たのは五年前くらいで、実は割と新顔の方だ。結構色々あって、ミダスさんと知り合ってからここに来たという話だけは聞いていたが、それ以外の人間関係はすごく希薄というか、本人もあまり語らず興味もなくといった様子だったのもあり、友達のようなものが他所にいたというのがそもそも意外な話だった。
『こういうのはてっきりミダスさんとかエルセスさん、ベラさんあたりの知り合いだと思ってましたよ』
『アホ言え、偶然でもなけりゃこんな大物と俺らみたいのは知り合わねえよ』
『大物?』
『ベルフェール・トレークハイトって言ったらお前も知ってるだろ。それがこいつ』
『へー、ベルフェールさんって言うんすね……ベルフェール・トレークハイト!?』
私が驚愕と共に振り返り、女性を見ると『そうだよ〜』とニコニコしながら両手でピースをしている。
ベルフェール・トレークハイトと言えば、世界的に有名な作家にして、アビィ曰く"特級魔具"の一つである"空想の魔女"の力を持つ魔女だ。
魔女としての力は知らないが、作家としては本当に世界中で絵本、小説が読まれていて、ある程度の教養を得られる環境に生きている子供たちなら一度はベルフェール作の本を何かしら読んだことがあるレベルの超有名人だ。そんな人間が、歴史の屑に埋もれて消えていくばかりの傭兵の溜まり場にいるようなことがあるのだろうか。
『まーたまた。何言ってんすかミダスさん。流石に騙されませんよ。そんな超絶有名人が何だってこんなところに来るんすか』
『だよな。俺もそう思う。けど一応こんなんが超絶有名人の作家ベルフェールだ』
ミダスさんが真顔で私の問いかけに応え、それと同時にベルフェールさんが私の手を握る。
『私のこと知ってくれてるのは嬉しいな!名前長いから気軽にベルとかベルさんとかで呼んでよ!』
『本人だとしてそう気安く呼んで良いもんなのこれ!?雲の上レベルの人っすよね!?』
慌てふためく私を、一部は納得したような顔で私を見つめ、また一部は愉快なものを見るような目で私を見ている。
そんな完全にこの場のおもちゃと化した私に、フルーラさんが笑って声をかける。
『ベルはいつもこんな感じですから、緊張しなくても大丈夫ですよクリジアちゃん』
『うわフルーラさんが他人をすごいフランクに呼び捨てにしてるの初めて聞いたかも』
『ベルは前から変わんないよねえ、変わんない』
『ゼパルちゃんも最初会った時から変わってないからベルさんはやっぱ君のこと少し怖いけどね』
ゼパルちゃんとつつき合いながら、ベルフェールさんは笑う。怖いというのはどうやら本心のようで、それを正直に伝えているのがゼパルちゃんからすると面白いようだ。そんな様子からも、本当にこの人はフルーラさんたちと友人なのだろうことが窺える。
まだこの場の状況についていけていない私を引き摺り回すように、わいわいと騒がしくも楽しげに盛り上がる会話の中、ミダスさんが私たちに声をかける。
『世間話に花咲かせるのは楽しいが、一旦本来の目的に戻って良いか?』
『本来の目的?』
『クリジア、お前も都合良いから一緒に話聞いてけ。飯食いながらとかでも良い』
『はぁ……いや、全然聞きますけど。何の話なんすか?』
ミダスさんは溜息を一つ吐いてから、少し真面目な顔つきになって口を開く。
『マギアスとその周辺……世界で妙な動きのある箇所についての話だ』
座席にはミダスさんと私、そしてベルフェールさんと少女が座っている。
フルーラさんは何か食事でも用意しますねと厨房に向かい、ゼパルちゃんはその手伝いにとついて行っている。
『あのー、その子ってベルさんのお子さんとか?』
『違う違う。まだこんなおっきな子供いる歳じゃないよ!この子はエダ。ちょっと色々あって一緒に旅してるの』
エダと呼ばれた少女は小さく頭を下げる。その様子にベルフェールさんが『人見知り気味でね』と微笑んだ。
『なんだ、隠し子じゃなかったんだな』
『なわけないでしょ!せめて歳の離れた妹とかだよこの歳なら!』
『冗談だ。その辺の事情云々含めて色々聞かせてくれ』
ベルフェールさんは『まったくもう』と言いつつ、軽く姿勢を直してから話を始める。
『一先ずはクリジアちゃんにもわかるように発端から話すね。私は世界中を旅しながら作家をやってて、ミダスに頼まれて世間に出ないような各地の話を集めてたんだ』
『はい先生、何で旅しながら本書いてんすか?』
『私、サピトゥリアの都心で生まれ育ってね。俗に言う富裕層。だから戦争とか飢えとか、何にも知らないの。知らないって恥ずかしいでしょ。想い描くには、今あるものを知らないとダメなんだよ』
少し茶化すつもりでした質問に、もの凄くよくできた人間の答えを返されて私は『あ、はい』と気圧されたような返事を返す。
サピトゥリアに生まれ、そこで育ったのならば本当に裕福な生まれだろう。羨ましいとは言わないが、それこそ血生臭い話や私たちの日常なんてものは、歴史書とかニュースとか、他人の言伝に聞いて知る程度にしか触れない世界。そんな人が、こんな考えを持って世界を歩き回るなんて下手をすれば狂人扱いだろう。
『そんな変人とも名高いベルさんが、実際に見たものを君たちに伝えようと言うわけ!』
『自分で変人まで言うんだ』
『実際こいつは変人の類だからな』
『ミダスは少しくらいベルさんをフォローしてくれてもいいんじゃないかな』
『いいから早く話せ』
ベルフェールさんはミダスさんに言われて、若干不服そうな目をしながら、一つ息を吐く。
『実はね、結構色々あるんだ。噂話程度のものもあれば、事実でほぼ間違いないものまでさ。その中で気になったと言うか、君たちの分野だろうなってものを主に話すね』
『ああ、それで頼む』
『まず一つなんだけど、ミダスに言われて確かにって思ったことがあってさ。悪魔の話は本当にここ数年で増えたと思う』
この話には聞き覚えがあった。他でもない悪魔から聞いた話。フルフルやアモンが意味あり気に語った話が、全く別の関わりの人間から出てくると、急にあの悪魔たちの話に現実味が出てくる。
『大きな街とか国では御伽噺として伝わってることも多いんだけど、そういう話ではなく、強力な魔法、願いを叶える願望機……つまるところ力の象徴とか兵器みたいな扱いで有名になっていってる感じ。実際悪魔を呼び出す方法なんてあるのかはわからないけど』
『あ、それは呼べる奴は呼べるみたい。応えてくれるかはともかく、戸を叩くことはできるって』
私の話にベルフェールさんは『そりゃゾッとする話だね……』と答える。
これはミリから聞いた話で、ミリはマルバスのことを指定して呼び出したらしい。その方法というのが、その悪魔の冠する願いの名と悪魔の名を刻んだ特殊な魔法陣を用意するというもので、これで指定の悪魔の影を呼び出すことができるらしい。
マルバスは呪殺の呪いとして名が残されていたこともあり、その呼び出しの陣が有名だったそうだ。もっとも、その呼び出しに応えるかどうかは悪魔側の意思によるらしいが。
『それじゃ、悪魔の話が有名になった原因の一つに"クラウィスファルサ"っていう奇書があるのは知ってる?』
『奇書?本の名前なのかそれ』
『その通り。誰が何の目的で、いつどうやって書いたのかもわからない。正しいのかデタラメなのかも謎の奇書。その内容は七十二本の柱の名と力を記してる』
『七十二の柱の名と力……悪魔のってこと?』
『多分そう。これが何冊あるのかもわからないけど、少なくとも複数見つかってるのは間違いないの。これは噂とかじゃなく事実で、サピトゥリアの大図書館にも収蔵されてるよ。封印書架だから簡単には見れないけど』
ベルフェールさんは『もしかしたら写本なんかもあるかもしれない』と続ける。どこまでどうやって書かれてるのかはわからないが、もしその奇書が世界中にばら撒かれているとしたら、世界の終わりで済めばマシにも思えるような話だ。
それが何かわかる奴が見て、悪意を持って悪意のある奴を呼び出せばそれだけで世界がひっくり返るような天災が起きてもおかしくはない。奇書と言えば聞こえはいいが、それはもはや得体の知れない殺戮兵器ではないか。
『とは言え書いてることは本当にめちゃくちゃだったりすることもあるみたい。どうしても読みたいなら、サピトゥリアの大図書館に国とかから頼めば何とか見せてもらえるかも……って感じかな』
『収蔵されてるのは少なくとも本当ってのが笑えねえな……』
『何冊もあるってのも怖いですよ。下手したら悪魔大戦争が起きるってことでしょ?』
『そうなってないから少なくとも重大な欠陥はあるんだろうなとは思うよ』
私はベルフェールさんの言葉に『それもそうか』と納得して、軽く安堵の息を吐く。確かに冷静になって考えてみれば、その奇書で必ず悪魔を呼び出せるのなら、国やら野心を抱く思想家やらが血眼になって奇書を探し、世界各地で悪魔がその力を振るい跋扈するだろう。
今のご時世では悲しいことにそうならない可能性の方が限りなく低い以上、少なくともすぐに世界が終わりにならない原因は何かしらあるというわけだ。
『ちょっと調べたらその奇書が現れたのも数年前程度の話でね。噂が噂を呼んで、いつしか広まった。その時期と同じくらいに悪魔の話は増えてるっぽいんだよ』
『内容の真偽はともあれ名簿みてえなもんが出回ってるならそりゃ話も増えるわな』
私はフルフルの言っていた『悪魔を望む者が増えた』という言葉を思い出し、奇書の話と照らし合わせて妙な寒気を感じた。
何にせよ悪魔を広めようとした何者かがいて、それを通じて悪魔を望む人間が増えたと考えればかなり辻褄が合う。アレが虚偽を冠する悪魔であることは不安要素だが、自慢じゃないが私は他人の話す嘘と本当を見極める力はそこそこある。私の勘では、あの時の話はほとんどが本当の話だったはずだ。
『……できればそんな本燃やして欲しいね』
『確かに。クリジアちゃんの言う通りだよ』
ベルフェールさんは笑いながら応えてくれたが、私としては経験と別口から聞いた話もあって流石に笑う気にはなれなかった。
もし私がその本を見つけることがあれば、とりあえずダンタリオンの項目だけ見て笑った後に焼き捨てようと思う。
『奇書の話は頭の片隅にでも入れといた方が良さそうだな。他になんか噂話はあるか?』
『んー、噂話はやっぱり根も葉もないのがほとんどかなぁ。顔の無い人の話とか知ってる?』
『なにそれ、怪談の類?』
『あー、怪談っちゃ怪談だ。遥か昔から生きてる不義の忌人ってな』
『そうそう。神に仇なしたとか、世界に絶望してとかいくつかパターンはあるんだけど、罰を与えられ、永劫を何者でもないまま生き続ける宿禍を背負った忌人。それが今尚その運命を呪ってる〜って御伽噺』
ベルフェールさんの説明に、ミダスさんが『有名な話って訳じゃねえけどな』と付け加える。
私は聞いたことがない話だったし、実際千年魔女と呼ばれる有名な御伽噺などに比べると有名とは言い難い話なのだろう。
『何者でもないから顔の無い人か、成程ね。けどそれが噂になることある?』
『紛争戦争の諍いが増えた裏にとか、どこかの犯罪者が顔の無い人に唆されたとか……まあ本当に根も葉もない話だけど、各地で不思議と多く聞くようになったんだよ。知ってる人は知ってる程度の話なんだけどね、あの話』
『不都合の裏に悪者がいると思いてえのは誰しも共通の話だ。大方、都合がよかったんだろ。顔の無い人の話がな』
ミダスさんは呆れ気味に『御伽噺どころか宗教まがいの言い伝えだけどなアレ』と溜息を吐く。
縋るものを欲しがるというのはわからなくはない感覚だし、別にそれにとやかく言うつもりもないが、そんな話が広まるほど不安定な世界なんだなと少し不安な気分になる。
『まあ噂話ってそんなもんだよ。次のは少し話の質が違うものになるんだけど……』
『ただの旅人のお前に頼んだのは俺の方だ。信憑性云々は気にせず話してくれ』
ベルフェールさんは少し神妙な顔つきになり、軽く考え込むようにしてから口を開く。
『……悪魔、ひいては魔具関係で、マギアス製に引けを取らない魔具や魔法の知識がいろんなところに流出してるって話は聞いたことある?』
私は『あ、それなら』と反射的に声を上げる。噂話になってるというのは知らなかったが、自分自身の体感で覚えがあった。それ故に心当たりというより何となくの感覚だが、そこらのゴロツキが持つようなものじゃない魔具が増えたというのは仕事の中で感じていた。
それに、水の都やワノクニでの悪魔の襲撃。特にワノクニは魔法にはあまり触れていない文化と言われていたにも関わらず、バルバトスの使役や封縛柱の開発、使用などと、魔導国家のような真似をしていたのは今考えればおかしな話だ。
『覚えがあるなら話が早いね。それじゃ、君たちは"
『"
『いや、聞いたことねえな。何だそりゃ』
『詳細はわからないけど、マギアスの中で生まれたテロ組織だとか、迫害された魔法使いとか魔女とか、そういう人たちが集まった組織だとか噂されてるらしいんだよ』
『マギアスは実力主義の現在と血統主義の過去の二つの価値観が強えし、その中で悶着あってと考えるとあり得そうなのが嫌な噂だな』
ミダスさんの言葉に私は同意する。マギアス出身の魔法使いならば、確かに魔法には精通しているだろうし、例えば貴族に迫害されたとか、生まれ故に不当な扱いを受けたとか、そんな理由があれば人間は簡単に世界を憎める。
マギアスそのものが世界を荒らすつもりはなくとも、そういった思想を持った腫瘍が生まれれば、それが世界を蝕み、憎悪や不満といった病巣を無数に生み落とすのはもはや当たり前の事象と言えるだろう。
『噂じゃ彼らが高度な魔具や魔法の知恵をばら撒いてる……なんて言われてるんだよ』
『けど、私らも聞いたことないですし、魔具に名前が書いてあるわけでもないしで所詮は噂話の域っすよね?』
『それがそうとも言い切れない話があってね……』
そう言って、ベルフェールさんが隣に座るエダの頭にポンと手を乗せ、優しく撫でる。
『この子、エダは"暴食の魔女"の力を持つ魔女なんだ。生まれた地で、酷い迫害を受けて育った』
『なるほどな。お人好しのお前が連れ出したってわけか』
『うん。迫害の理由には元々閉鎖的な村なのもあっただろうけど、処刑台の魔女らしき話が関わっててね』
『その話っていうのは?』
『魔女を忌避する文化っていうのは多かれ少なかれ各地に残ってる。この子が居たのはその思想が強い集落が固まってた地域だったんだけど、エダのいた村のすぐ近くの村が一つ、魔女に滅ぼされたらしいんだよ』
魔女を忌避するというのはよくある話だ。というより、人間によくある自分たちと違うものを忌避するという感覚だろう。例えばミリの封印だって大別すればそれだろうし、差別には未知への恐怖や嫌悪が大抵根付いている。そこに実害が加わればどうなるかというのは想像に易い。
『私も実際その近場の村跡は見たんだけどね。確かに異様な状態だった。ここ数年の話とは思えないほどにあらゆるものが風化して、ボロボロになってたから』
『魔女迫害の報復に、魔女が来た可能性があるってことか』
『そう。それで終われば単なる噂話だったんだけど、私実際に処刑台の魔女に勧誘されたことがあるの』
これまで噂の中だけの存在だったものが、急に現実に現れたような、予想外の体験談に私は『えっ?』と驚愕の声をあげる。
『私より一回り歳下……クリジアちゃんと同じくらいかな。異様な雰囲気で、大きな三角帽子を被ったまさしく魔女って人に一度だけ声をかけられた。何者かは知らないし、断ったらその後はそれっきりだったんだけどね』
『素性も謎の魔女ね……大方有名人のお前の名前が欲しいとかだったんだろうが』
『感覚の話だけど、アレは君たちをさらに暗く黒くしたような感じだった。ただの噂話では終わらないかもと思ってね。魔女狙いならエダだって危ないかもしれないし』
私は処刑台の魔女の話を聞きながら、アビィの話を思い出していた。
あいつらは曲がりなりにも"できる限り、人は殺さない"という体裁を保っている。ワノクニは繋がりがなかった故に人命軽視の話もあったが、あくまでもマギアスは世界の司法の一つであることは曲げていない。
あの国や組織の頭の話を鑑みても、マギアスという大国が魔女を差し向け、取るに足らない集落を一つ潰すとは到底考えにくいし、あの人形か何かのような無機質さならきっと、そんな集落があったとしても口から出る言葉は『魔法に関わりのない集団に関心はありません』とかだろう。
『ぼんやりとした話でごめんね。エルセス君みたいな情報屋とは違うから大目に見てよ』
『いや、構わねえよ。処刑台の魔女ってのはエルセスにも頼んで少しは調べてみる。他には何かあるか?』
『もう一つ、君たちにお願いしたいことも含めての話があるんだけど、こっちは後で話そう。当事者の話を聞いてほしいしね。そろそろご飯もできるし休憩しようよ』
ベルフェールさんはそう言って微笑み『私も少し話し疲れちゃった』と伸びをする。
言われてみれば、厨房の方からはいい香りが漂ってきていて、フルーラさんが料理を大方作り終えたのであろうことが窺える。私の当初の目的も夕飯だったのもあり、ベルフェールさんの意見に同意して頷く。
『ところで当事者ってベルさんじゃなく他にいるってこと?』
『うん。今ちょっと寝かせてもらってる連れがいてね。そっちが当事者。もう暫くしたら起きてくると思うから』
『あの訳ありそ〜な聖職者やっぱなんかあんのかよ』
『服装は聖職者だけどあの子無宗教だよ。勧誘とかは無いから大丈夫』
『勧誘されたらシスターに怒る前にお前を追い出すわ』
ミダスさんの返しにベルフェールさんは『勘弁して』と言って笑う。話している様子を見てても思ったが、この人は本当に不快感というものが微塵もない。十人に聞いたら十人が良い人と答えても何ら不思議には思わないような、親しみやすさの完成形とも言える雰囲気を持っているように感じる。
そんな風に私が謎の感心をしていると、厨房からゼパルちゃんが大皿を持ってこちらに戻ってきた。
『やほー。おまちどーさま〜。これみんなで食べる分ね、みんなで』
『……確かになんか食べようと思って降りてきたけど、その大皿を一人で抱え込んで食べようとは思わないからそんなに私のこと見なくていいよ』
『そう?でもこれしか用意してないよ。クリジアお腹空いたでしょ、空いた?』
『えっ』
『なんちゃってー。今フルーラが作ってるからもう少し待ってね、待って。キヒヒっ!』
ゼパルちゃんが大皿を机に置いたのを確認して、私はキヒヒと笑うゼパルちゃんの頭を小突く。人間とは明らかに違う感触と音に、いつぞやと同じように少し不安になるが、そんな不安を他所にゼパルちゃんは『いた〜い』と言いながら笑ってる。
『へえ。ゼパルちゃん、冗談とか言うようになったんだ?』
『結構言うよこの子。人脅かしたりするの好きみたいで』
『フルーラ頑張ったんだなぁ……昔はもっとこう、人の形だけした怪物!って感じだったのに』
そういえば、ベルフェールさんは昔のフルーラさんを知っている。つまりは昔のゼパルちゃんのことも見たことがあるというわけだ。
見た目は当然変わってないのだろうが、あの口ぶりからして中身は相当可愛らしくなったのだろう。そこまで考えて少し寒気がして、思考を止めた。
『それよりは今の方がマシな気がしてきた……』
『あはは!それは間違いないかも』
ベルフェールさんが笑い、それにゼパルちゃんが少し不服そうな様子で『そんなに変わらないよ』と文句を言っている。
おそらくそんなに変わらないことはないと思うので、フルーラさんは子育てというか、教育というかの才能があったということだろう。
『それじゃ休憩がてら、私の昔話でもしようか。エダとどうやって会ったかとかはミダスにも話してないしね』
『話疲れたとか言いながら話すのかよ』
『ベルさんは語り部もやってるからね。まあエダの紹介と、旅の思い出話と思って聞き流してよ』
『あ、私普通にちょっと気になる。有名人の話だし』
『本当?ならぜひ食べながら聞いてほしいな!』
ベルフェールさんはそう言いながら、手帳のようなものを取り出して、パラパラとページを捲る。タイトルとかは表紙に書かれてないし、端が欠けたりしてるところを見るに結構長い期間使い古した物らしい。詳細はわからないが、多分日記とかの類だろう。
『それじゃあ、空想作家の私の綴る唯一の実話。旅日記の話を一つお話ししよう。これは旅人が、小さな女の子に出会った時のお話さ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます