26話 伽藍蒐心

黒い濁流。触れたもの全てを殺す悪意そのもののような毒がバルバトスを呑み込む。


もはや黒い塊のようになったバルバトスを、マルバスがそのまま掴み、地面へ引き摺り倒し、投げ捨てる。私が突き刺した刀も、サルジュが作り出した氷もとっくに溶け崩れて消えてしまっているようで、マルバスの毒の凄まじい威力を痛感する。


『ミリは無事か』


マルバスは投げ捨てたバルバトスを一瞥することもなく、私たちの方へと歩いてくる。それを見てか、私たちの後方からミリがマルバスに駆け寄る。


『マルバス!!』


『……無事か。なら良い』


ミリはマルバスにそのまま抱きつき、涙声で『よかった』と小さく繰り返す。マルバスはそれに特別何を返すわけでもなく、自分の足に抱きついたミリにされるがままになっている。


私は正直よくマルバスへ抱きつくなんてできるなと考えてしまうが、これに関しては信頼関係だとかそういう部分の差なのだろう。ミリの体質のこともあるのかと思ったところで、流石に野暮なような気がして思考を止めた。


『あいつほっといて良いの?まだ倒せてなくない?』


バルバトスは毒に呑み込まれ、それに包まれているような状態で姿はろくに見えないが、まだ動いている。いくら強力な毒に漬け込まれようと、悪魔の損傷は自動的に回復するものだし、即死したりは滅多な限りではしない。


『問題ない。直ぐに死ぬ』


『直ぐに死ぬって言っても……』


『見ていればわかる』


マルバスはそれ以上は何も言わず、私は訝しげにバルバトスへと視線を戻す。


バルバトスは全身が溶け崩れ、煮立ったシチューのようにボコボコと音を立てながら身体の一部が膨らんでは弾け、地面に落ちるのを繰り返している。悪魔に腐る肉があるのかは知らないが、あの姿に一番近いのはおそらく腐乱死体だろう。


『ごぁ、ご、れは……ガたち。わ、だじのかたぢが、ど……げ、て……?』


悪魔は損傷した部位が修復される。


しかし、バルバトスは直り始めた側から崩壊し、気色の悪い音を立てながら少しずつ、少しずつ地面へと身体が落ちていく。


さっきまでのマルバスの毒は、直りが遅かったりはしたものの、あんなことにはなっていなかった。


『な、る……ほど、こ、ご……れが、あ』


バルバトスは蹌踉めきながら動こうとするが、足首が溶けてしまったのか地面に取り残され、身体が滑るように前に放り出される。手足も受け身を取るなど到底できないほどに溶け崩れていたバルバトスは、地面に衝突すると同時に『ぐちゃり』と嫌な音を立てて、完全に崩壊した。


それはもはや原型を一切留めておらず、元が何だったのかと聞かれたらわからないだろう。ごぽごぽと気味の悪い音を小さく鳴らしながら、バルバトスであったはずの何かは徐々にその何かの姿すらも蝕まれ、地面へ溶けていくように小さくなっていく。


『と、溶けた……?』


それからどれだけ待ってみても、バルバトスが再生してくる様子はない。核を失った悪魔は霧散して消えてしまうが、こんな悪魔の死に方が有り得るのかと私は困惑する。


サルジュの様子を見れば、おおよそ私と同じ状態のようで、どうなっているのかわからずに目をぱちぱちとさせて、微かに地面に残った黒いシミを見つめている。


『倒した……ってことで、いいの?』


『多分……?』


『……マルバス!!あんたミリのこと最優先なのはわかるけどもう少し説明とかをねえ!』


サルジュがズカズカと足音を鳴らしながら、大股でマルバスへと詰め寄る。マルバスは全く興味関心がなさそうな様子で溜息を吐いて『見ての通りだろう』と呟く。


言葉通りだとして、私たちはバルバトスに勝利したのだろう。ただ、そうなるとその割にはミリがずっとマルバスを心配しているのがよくわからない。


『魔法、使わないって……約束してたのに……!』


『多少なら問題はない』


『いつもそう言ってたのです!ワタシのためとか、いいから……!そんなの……!!』


ミリがマルバスのことを力無く叩く。ミリの発言からも、内情からも何かしらの事情はありそうだと思っていたが、それよりも私の目を惹いたものが一つ。


マルバスの腕がボロボロと、微かにだが崩れた。


『……お前、その腕』


『己の事は気にするな。よく、我が夢を守ってくれた』


マルバスはこちらを見ず、言葉だけで私に返す。崩れた箇所はすでに直っており、ミリの様子や発言は気になるが、マルバスの言う通りあまり気にしすぎるようなものでもないのかもしれない。


『下手に覗いてダンタリオンと同じ目に遭ったら私は治らないしなぁ……』


『そーだよクリジア。と言ってもまだろくに読めてないからどうなるかわかんないけど』


ダンタリオンの声が響く。この声は私にしか聞こえてない。纏衣で正直一番感動したのはこれかもしれない。ダンタリオンの魔法は直接的にダメージを与えたりしない以上、罠のような使い方が基本だし、ダンタリオン本人が物理的な話だと弱いので、こっそりとやり取りができるのは便利なのだ。


『だよねー……にしても、頭の中で声するのこれやっぱ気持ち悪いな』


『気持ち悪い言うなよ。声に出してなくても言っていいこと悪いことに違いないかんね』


『気をつかっても隠せないんだから正直者の方が幾分かましでしょ』


ダンタリオンは『それは確かに』と言ってケラケラと笑う。もちろん周りは聞こえてないし、側から見れば私が少し怪訝そうな顔をしながら考え事をしているだけだろう。


私は一つ伸びをして、仕事自体はもう終えたからさっさと帰ろうと未だに喧嘩紛いの状態のマルバスとミリを見る。言い合いにはサルジュも参加して、マルバスがある程度言われるがままに怒られている状態になっていた。


『おーい、喧嘩してるとこ悪いけど私らそろそろ──



黒い杭。



見たことのない、禍々しさすら感じるそれが、マルバスを貫いているそれが、私たちの視線と思考を奪った。



『残念です。本当に』



無機質な声。抑揚に対して感情が付随しない、不気味で冷たい音。私たちはそれを知っている。今まさに、死滅したはずの存在。


バルバトスが、マルバスを背後から貫いた。


ギリギリのところで、ミリにまでは黒い杭は届いていないが、貫通している角度から見るに、おそらくミリもまとめて貫いて殺すつもりの一撃だったのだろう。マルバスがミリを軽く突き飛ばすようにしたおかげで、ミリは助かったようだ。


マルバスが背後のバルバトスを狙い腕を振るうが、バルバトスはひらりと後方へ飛び退く。


『私一本では同じ十柱と言えども勝てませんか。流石、私は弱いですね』


『死んでなかったのかよ……!!』


『死んでいますよ。溶け崩れて無くなってしまったようで。いやはや、頽廃の願望機、蠱毒の魔法とはかくも恐ろしいものですね』


マルバスが自身に突き刺さった黒い杭を引き抜き、バルバトスを睨みつける。黒い杭は地面を転がるが、やはり見覚えのない謎の魔具だった。


形状は単純に大きな杭。真っ黒なその杭に何らかの魔法式か何かが刻まれている様子が窺える。先程の使い方からしても、突き刺して発動する魔具なのだろうが、効果はよくわからない。


『一本では足りませんか。まあ、先程はその背に隠した魔女を貫くのが本命だったのですが』


『……どうやって甦った』


『私の魔法は"増幅"です。私という魔法を増やしていただけですよ。本来の予定では私は予備だったのですがね』


『増やすものも何でもありかよ……!』


『いいえ。何でもとはいきません。複雑なものは複製に時間を要しますし、悪魔は完全に同一を作成するのならば一つしか増やせません。加えて、私の魔法で人間や動物は増やせませんから』


バルバトスはニコリと笑いながら、嘘偽りなく自身の魔法を説明する。言葉以上の意味はなく、言葉以下の含みもない。ただ淡々とした解説の様子には、得体の知れなさをどうしても感じて不気味だ。


『しかし、まさか五本目のような強力な悪魔がこんな辺境にいるとは。慌てて準備をする羽目になりましたよ』


言いつつ、魔術鞘から先程の黒い杭をバルバトスが取り出す。


『何なのよあの武器……?』


封縛柱ふうばくちゅう。このワノクニが魔法に対抗する為に製作した、突き刺した対象の魔力循環を停滞させる魔具なのですが、人間に使用するとそもそもサイズの関係で損傷で死亡してしまうようです。もっぱら悪魔用でしょうね。こういった場面では役に立ちますが』


『自信あるみたいじゃんか。一本じゃそんなに効いてなかったように見えるけど?』


『私で完全無力化に四、五本必要でしたからね。自信、というのはわかりませんが、同程度当てれば五本目にも効果はあるでしょう』


バルバトスはそう言いながら、先程までの刀剣類と同じように封縛柱を増やし、自身の周りに滞空させる。


本当にあの悪魔の言葉にはそれ以上の意味もそれ以下の意味も存在していない。おそらく封縛柱の効果についても、言葉通りに自分自身を増やして試した上での発言だ。


『さて、改めて御挨拶をしましょう。私は第八柱・蒐集の祈りの願望機バルバトス』


重々しく、空気がギシギシと軋むような、悲しいことにすでに何度か味わった、十の柱が持つ異質な重圧。


そして、それすらも呑み、深く暗い闇が纏わりつくような、不快で冷たく、内臓を掻き回されるような不安が世界を支配する。


『殺戮兵器たる腐敗の魔女を、命を賭して守るその愛を、貴方達の持つその温もりを、私に見せてください』


にこりと、バルバトスが微笑む。


その笑顔の裏には、やはり何も感じなかった。









『ミリを守れ』


マルバスがそう呟いて前に出る。ミリはそれを追うようにして走り出そうとするが、サルジュに抱えられ、後ろへと連れられていく。


『待って!サルジュちゃん離して!やめて、マルバスが!!』


『大丈夫よ!マルバス強いし、あんな奴に負けるような悪魔じゃないでしょ!』


『違う、違うのです……!!そうじゃ……!!』


ミリとサルジュを狙い封縛柱が数本飛ぶ。私は間に入り込み、それを打ち落とす。ビリビリと手が衝撃で痺れるが、弾けないほどの威力ではない。加えて数も先程までの刀剣類と比べて極端に少ない分、逃げるしかなくなるようなことはなさそうだ。


『事情は知らないけどとにかく守られろ!!そう頼まれてんだよ!!』


『守ってなんてワタシは頼んでない!!』


『はぁ!?死んでもいいってか魔女サマは!』


『いいのです!!ワタシは、いいから……!!』


私がミリの方を振り返り『お前なんなんだ』と声を荒げかけた瞬間、私の視界、ミリとサルジュの正面にバルバトスが現れた。


『死んでもいいと言うのなら、私としては非常に楽で助かります』


バルバトスが刀剣を携えニコリと笑う。


マルバスとまだ戦っているはずのバルバトスが何故今目の前にいるのかが理解できなかったが、まずは無理矢理にでも攻撃を止めなければ全員穴だらけになって死ぬ。


『死んでもいいわけないでしょ!!』


ミリを抱えたまま、サルジュが片腕で武器を振るう。大剣ではなく、長刀のような形になった氷の剣はしなやかな動きでバルバトスを斬り裂き、その全身を一瞬で凍結させた。


氷塊と化したバルバトスは、地面に落ちると同時に砕け散り、再生することはなかった。


『直らない……?』


悪魔はどんな壊れ方をしても基本的には修復される。そもそも、バルバトスは今現在もマルバスと戦っている。


頭を少し回すが、とにかくすぐに答えが出る話でもなさそうなので意識を切り替える。


『……一先ずでかした雪女!とりあえずその死にたがりは瓦礫の影にでも置いとけ!!』


『あんたもう少し言い方とか考えなさいよ!!』


『守られる奴が死んでもいいとか言うなつってんだよ!!』


サルジュがミリを降ろし、倒壊した塔の瓦礫の影に隠れさせる。あまり効果があるとは思えないが、何もないところに突っ立たせるよりは幾分かマシだろう。


私たちは武器を構え、ミリを守れるような位置に立つ。視線の先ではマルバスとバルバトスが戦っている。


『……ワタシのことは、いいのです』


絞り出したような、か細い声でミリが呟く。


『まだ言う?なんにせよ今更遅いんだから諦めてくんない?』


『だからあんたね。人の気持ち考えなさいよ』


『こっちの気持ちも考えてほしいだろ』


サルジュが怒るが、私のこれは正直なところ本心だ。そもそも巻き込まれてるわけだし、命懸けで守ってやってるというと少し恩着せがましいが、死にたいとかいう奴を守って死んだら流石に私が浮かばれなさすぎる。


ミリは涙声で、俯いたまま言葉を続ける。


『死なないで……ワタシの、せいで、これ以上誰も……死なないで、ほしいのです……』


他人の心配。というよりはトラウマから来る懇願に、さすがに少しばかりばつが悪い気分になり、私は溜息を吐いてから吐き捨てるように言葉を返す。


『死んでたまるか。私は少なくとも死にかけたら全部捨てて逃げるし』


『清々しいわね本当。大丈夫よ、誰も死なない。そもそもマルバスがミリの前で負けるわけないでしょ』


『カッコつけつつそれを祈るしかないんだよね〜実は』


マルバスが負けることがあれば、少なくとも私はさっさと逃げるべきだろう。殺される心配もなくなるし、意地で逃げ切れば私は助かる。そもそも、死にたくないからこうして協力しているだけで、死ぬ要素がなくなれば即座に逃げ出しても問題は一つもないのだから。


それでも一番丸く収まって、ハッピーエンドって奴を目指すのならマルバスがバルバトスを倒してくれることなので、一番期待しているのはそれなのだが。


『随分と信頼されているようですね、五本目は』


『そう簡単にいかないよな。十柱相手には』


バルバトスの姿が私たちの前にある。当然、マルバスはまだ戦っているし、その相手はバルバトスだ。なのに何故、とは思いかけたが、その答えはこの状況が説明してくれている。


私たちを取り囲むように、バルバトスの姿が四つ見えている。


『なんでもありかよ。悪魔の魔法ってのはさ』


『先程も説明しましたが、なんでもとはいきませんよ。即席で増やした私は脆く、性能も低いですから』


『なら、さっきみたいに斬れば倒せるってわけ?』


『ええ。その通りです』


バルバトス達がにこりと笑う。増えただけの別人のはずなのに、動きや表情にほとんど差異がないのはアレに感情が存在しないからなのだろうか。心理学だなんだに詳しいわけじゃないが、不気味なことだけはよくわかる。


『斬れば倒せるってならまだマシね。辻斬女、気合い入れなさいよ』


『言われなくても気合いくらい入れてやるよ雪女』


音もなく、バルバトス達が各々武器を増やしていく。数も本体のバルバトスに比べるとかなり少ないが、それでも私たちは当たりどころが悪ければ一発で死ぬ人間な以上脅威なことは変わりない。


『やはり人間は暖かい』


『故に理解できない』


『何故命すらも賭すのですか』


『脆弱な命を、無意味に費やすことはないでしょう』


バルバトス達がそれぞれ、示し合わせたように声を繋いでいく。正直、この言葉には少しばかり同意する。私はなんでこんなことに命を賭けて、会ったばかりの魔女を必死で守ろうとしているんだとは何度も思った。


単純に見捨てたくなかったのかもしれない。自己保身かもしれない。けど、今考えてもどうにもならない。そして、これをあの無感情の怪物が理解することは決してない。


『……お前にゃ一生わかんねえよ白紙野郎』


『それは残念です』


戦いの火蓋が切って落とされる。


守るとかは、性に合わないつもりなのだが。









マルバスはバルバトスを睨みつけ、舌打ちをする。背後にいる人間を気にかけながら、同格の力を持つ十の柱を相手取るのは、想像以上の疲弊感を感じさせた。


『……己の足止め役のつもりか』


『ええ。契約者を殺した方が楽なのは変わりませんからね』


バルバトスの魔法は自身を含めた物を増やす魔法。初めにマルバスが殺したバルバトスは、先程の説明と対峙した様子を加味した上で"完全な複製"だったのだろうとマルバスは確信していた。そして今、バルバトスが増やしミリ達を襲わせているのは、ベースのバルバトスと比較すれば弱い模造品だ。


マルバスは他者を信頼はしない。しかし、実際に目の当たりにした戦闘での事実から、あの程度の相手ならば彼女らが殺されることはないと考えた。


『都合は良い。己はお前を早急に殺す』


『一度壊されているんですからご容赦を。バルバトスちゃんは弱いんですよ』


バルバトスが刀剣類を増やし放つ。マルバスはそれを溶かし崩し、そのままバルバトスを呑み込もうとするが、バルバトスは引いて避ける。


バルバトスの持つ武器は大きく分ければ三種類。炸裂する魔札、通常の近接武器、そして封縛柱だ。前半の二つはマルバスには殆ど影響がない。魔札は起動さえしなければ良いし、武器はそもそもダメージにもならない。


問題になるのは封縛柱だと、一度その身に受けたマルバスは理解していた。アレを数発突き刺されれば指一つ動かせなくなると。


『よくこれ程の面倒を用意したものだ。どこまで塵だ、この国は』


『私も同じ意見ですよ五本目。貴方のような怪物の対処をしなければならないなど勘弁願いたい』


魔札と黒い柱が増え、放たれる。封縛柱を直接受けるのはまずいと、マルバスは毒を凝固させた黒い壁を作り、魔札ごと受けきる。


『ふむ、封縛柱の特性をよく理解していらっしゃるようで』


『一度喰らえばわかる』


あの魔具封縛柱は簡潔に言うのならば"魔法を停止させる魔具"だ。川の流れを堰き止めるように、魔力や魔法を強制的に流れない状態に変える。それ故に身体が魔力でできている悪魔には絶大な効果を発揮する。


そして、人間に当たれば生きていたとしても、一本で魔法が使えなくなるだろう。


『しかし、貴方と出逢えたのは私としては少しばかり僥倖でもありました。何故貴方から人と同じ物を感じるのか。我々は伽藍堂、所詮ただの魔法でしかないはずだと言うのに』


『何を言いたいのか理解できん』


マルバスは黒い帯を伸ばし、バルバトスを追う。バルバトスはそれをひらりひらりと躱しながら、次々と武器や魔札を放ち、それをマルバスが撃ち落とす。


『呪い殺すだけの毒。貴方はそうではないですか。それが何かを守るだなどと、奇怪極まる』


『……己の在り方に随分文句があるようだな』


『疑問なだけですよ』


バルバトスが高く跳び、その視界にマルバスの後方で攻防を繰り広げる二人の剣士と模造品の自分を映す。四つの模造品は壊されてはいないが、魔女を殺すことはできておらず、剣士へのダメージも殆ど与えられていないことを確認し、バルバトスは空中で魔札と武器を大量に増やす。


『やはり先に人間を殺すべきですね』


マルバスを範囲に含めた、自身の眼下にある存在全てを狙った絨毯攻撃。バルバトスの天を指していた指が下を向くと同時に、無数の魔札と武具が降り注ぎ始める。


マルバスは舌打ちと同時にクリジアとサルジュのいる位置まで下がり、その道中でバルバトスの模造品を一体叩き潰し、毒製のドームを作り全員を包んだ。


『うおっ!?』


突然目の前のバルバトスの模造品を一体叩き潰し、私たちの方へ来たマルバスに対して私は驚愕の声をあげる。直後に毒の殻に包まれ、その外で爆音が響いたあたり、バルバトス本体が自分の模造品ごと私たちを含めて攻撃を放ったようだ。


『随分手こずっているようだが?』


マルバスが私とサルジュを見る。怒っているとかではなさそうだが、圧があって少し怖い。


毒の殻が砕け、バルバトスの模造品がマルバスの死角から封縛柱を構えているのが目に入る。私はマルバスの身体を掠るように突きを放ち、模造品の顔面を貫き、頭を斬り裂く。


模造品はそのままボロボロと崩れて消滅する。連携、と言っていいのかは微妙だが、一体が壊れたことで模造品たちのリズムが乱れてくれたようだ。


『悪いねほんと、守るって慣れてないんだよ!!』


『……己もそうだ』


『ほんっとに慣れてなさそうねあんたらは!!』


サルジュが私の背中スレスレの位置に冷気の斬撃を飛ばし、その奥にいた模造品を凍結させる。


私はマルバスが悪魔だからああしたが、あの雪女は私にもし当たったらどうするつもりだったんだと若干ムカついた。ムカついたが、今はとりあえず許してやることにしよう。多分、あの女も流石に私に当たらないとわかって撃っていたのだろう。


『ふう、よかった当たらなくて』


『よかったじゃねえんだよ斬るぞクソ雪女』


『当たっても擦り傷くらいになる予定だったわよ』


『氷魔法の塊掠って擦り傷で済むわけねぇだろ!』


怒る私を雪女とマルバスは無視してバルバトスを見据える。私は不服だったが、渋々と二人と同じように模造品含め、バルバトスへと意識へ戻す。


模造品は残り一つになったにも関わらず表情も感情も何もないし、本体は言わずもがな無感情のままだ。同じ顔、同じ姿が並んで立っているのはなんとも気味が悪い。


『守るのも様になってるではないですか、五本目』


『皮肉を言える頭はあるのか』


『本当にそう考えていますよ。未だに一人も死んでいないではないですか』


バルバトスが封縛柱を手に取り、数を増やす。奴の持つ武器の中で、あの魔具が一番危険な物だろう。私たちが喰らえば当然普通に致命傷になるし、マルバスでさえ喰らえば動けなくなる可能性がある。


増やした封縛柱の一本をバルバトスが握ると同時に、模造品が動く。


『偽物は大したことない!本体とあの魔具だけ気をつける!!』


『偽物とは失礼な。私は私ですよ』


魔札が爆ぜる。私たちの手前に放たれたそれは土煙を巻き起こし、簡易的な目隠しになる。私の、ダンタリオンの魔法もこうなると使えない。


土煙の中からバルバトスが姿を見せる。


『死ね』


『簡単に殺されるわけにも』


マルバスの手が触れる直前、バルバトスの身体が爆炎と共に弾ける。おそらく、自分ごと魔札で爆破したのだろう。至近距離で爆発に巻き込まれたマルバスも身体が吹き飛び、私たちは爆炎に巻き込まれつつ吹き飛ばされる。


『魔女さえ殺せば楽になりますからね』


爆炎の中から、バルバトスがミリへと距離を詰める。


『やらすかっ!!』


『させないわ!!』


模造品を爆弾代わりにしてマルバスを吹き飛ばし、本物がミリを狙った。私はそう思っていた。ミリを狙うバルバトスの思考が、ダンタリオンの眼を通して私の眼に流れ込む。





『人間とはそういうものですよね』






『っ!?雪女!!止ま──


バルバトスの身体が爆ぜる。


一歩、先に踏みとどまれた私は再び吹き飛ばされ、サルジュは爆炎と爆風で地面へと叩きつけられる。短い悲鳴が轟音に掻き消され、視界が炎で埋まる。


『これは賭けの類かもしれません』


模造品は今爆ぜた方だ。初めにマルバスを吹き飛ばして見せたのが、本物。


『五本目、貴方の持つその温もりが、人間のものと同じならば──


黒い杭が並ぶ。まだ形は不完全なバルバトスが黒い悪魔のその奥を見据えている。


マルバスの形も直り始めている。今手を伸ばせば、バルバトスを掴むことはできるだろう。しかし、バルバトスに恐怖はない。恐怖がなければ怯まない。杭は必ず放たれる。





──私の勝ちです』






瞬間、地面に背が叩きつけられ、肺の中の空気が押し出される。音の鳴らない悲鳴を漏らしながら私は転がり、何度か地面へ身体を叩きつけられて止まる。


どうなった、その答えを目で見る前にミリの悲鳴染みた絶叫が聞こえた。


『マルバス!!マルバス!!いや、いやだ!!なんで、なんでぇ…………!』


封縛柱が全身に突き刺さり、静止している黒い悪魔の姿が眼に映る。ミリとサルジュを庇うように、腕を広げ、背に何本も黒い杭が突き立てられている。それに縋り付くようにしてミリが泣いていた。


『サルジュちゃん……あ、ああ、あぁあ……なん、で……マルバスも、ワタシ、が……』


サルジュは地面に倒れたまま動いていない。バラバラになって吹っ飛んだとか、そういうわけではなさそうだが、あれは生きててもろくに動けるような状態ではないだろう。


全身が痛い。痛いが、幸い骨が折れてるわけでもなければ、筋肉が千切れているわけでもない。手足は揃ってついているし、痛み以外に身体が動かない理由はない。


バルバトスはマルバスへ意識を割いているようだし、吹き飛んだ私のことは見ていない。


今逃げれば死ぬことはない。


『ダンタリオン……痛み、誤魔化せる……?』


『できるけど、後で後悔するやつだよ』


『動かな、きゃ……どうにも、ならないし……』


自分自身にダンタリオンの魔法を使う。精神操作、つまりは意図的な勘違いで痛みを消す。


『よし、動けそう』


『あーあ。私たちは止めないよ、クリジア』


『もとよりお前らの言うこと聞いたことない気がするけどね、私』


『人が心配してるのにさあ』


『悪魔が心配すんなよ』


立ち上がり、地面を蹴る。問題なく身体は動く。腕が吹き飛んでるとか、足が折れてるとかではなくて本当によかった。これなら、どうにかなるかもしれない。






一際強く地面を蹴り、刀を握る手に力を込める・・・・・・・・・・・






マルバスへと伸ばされていたバルバトスの腕が宙を舞う。


感情のない悪魔のその顔が、微かにだが、虚をつかれたように目を見開く。


『……その姿』


『悪魔の様なって?そりゃどうも!!』


バルバトスの身体を斬り裂く。


深々とめり込んだ刃は、紙を切るように抵抗なく振り抜かれた。


『何者なんです?貴方は』


別に特別な人間でもない。その辺にいるどうでもいい傭兵だ。そんな風に考えながら、私が今の私を見たら言いそうなことを、問いかけの答えとして返す。


自嘲混じりに、自信満々で、後悔しながら。




英雄ヒーロー気取りの馬鹿野郎』




悪い気はしない。後で泣くより余程マシだ。



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