24話 心無き狩人

『……と、まあ一先ずは今話した通りかな。本人に聞かせるような話じゃない気もするけど』


封楼塔、腐敗の魔女の部屋の中で私は、例の街で見かけた魔女狩りについて、わかる範囲の話を伝えていた。


『国の軍隊絡みでここに来るってことよね?なんなのよそれ……!』


『お前が逃したりした生き残った奴が嘘も誠も混ぜて、恐怖心に火をつけて煽るようなことを言うからこうなるんだって』


『死んでたとしても、結局誰かが話を大きくはしてたろ。人間はとにかく未知が怖いもんね』


サルジュはバツの悪そうな顔をして黙り込む。正直なところ、ダンタリオンが言う通りに、どちらにせよ遅かれ早かれこうなってはいたのだろう。


当事者であるミリは、案外落ち着いている。というよりは、諦めているに近しい感じだが。


『それも踏まえて、一時的に逃げるとかでも協力はするけど』


『……逃げても、ワタシはどこにもいけないのです』


『どこか行かないと死んじゃうよ』


『だめなのです。外に出たら、ここにいれば、誰も傷つかないから、ワタシは。ここに……』


ミリはカタカタと震え始める。その顔は恐怖で塗り潰されており、明らかに混乱している。それを見て、サルジュが宥めるようにミリの頭を撫で、落ち着くようにと優しく声をかける。


『痛いのも、苦しいのも、嫌。みんな、みんなそう思ってるはずなのです………』


ミリは震えながら、ぶつぶつと小さく呟きを繰り返す。トラウマの類に囚われてしまったようで、会話は暫く無理そうだと判断した私は、悪いことをしたなとは思いつつ、マルバスの方へ向き直って話を続ける。


『とにかく言えることはこれで全部。悪魔の対策とかもしては来るだろうから』


『……それはないな』


『ないことはないでしょ。無駄にはなるだろうけど、こんな強力な悪魔がいるの知ってて無策なんて』


『己の事を知って戻った者はいない』


『……なるほどね〜』


マルバスの言葉に、引き攣った笑みを浮かべながら私は納得する。賊を追い返しているのは主にサルジュで、ミリは人が死ぬ事や傷つく事をあまり良しとしていない。しかし、それだけでどうにかなるほど人間は単純じゃないのが現実だ。


おそらく報復だとか、夜襲やら奇襲やらを仕掛けにきた際には、マルバスが対応しているのだろう。そして、ミリには極力悟られないように、哀れで運のない者を形も残らぬように皆殺しにしてしまっている。私もそこに仲間入りするところだったのが笑えないが。


『私は人殺しに関しては何にも言わないけど、なるべく考えたげた方がいいんだよね?』


未だに震え、怯えた様子のミリを指さして問う。


『……そうだな』


『案外優しいよねこいつ。いや殺すつもり全開の時はマジで怖かったけど』


『役に立ちそうになければ今からでも死なせてやる。餓鬼』


ダンタリオンは『本気で言ってて怖えよこいつ!』と怯えながら私の背後に隠れる。実際、マルバスには優しい部分もあるのだろうが、その優しさが私たちに向けられることはまずないタイプの"優しい"だ。今のはそれを考えずに喋ったダンタリオンこいつらが悪い。


『けど、死人を出さない方法なんてあるわけ?』


『ゼロは無理だろうね。戦争で人死にが出ない方法はありませんか?って言ってるようなもんだし』


私の言葉を聞いてミリとサルジュの表情が曇るが、こればかりは致し方ない。自分のせいで人が死ぬ事を厭うタイプで、サルジュは可能な限りそれを叶えてやろうとしている。そして、マルバスもそれを知って敢えてサルジュに任せているのだろう。


まあ、それを抜きにしてもこの甘ったれた雪女は人殺しはできないのだろうが。


『で?死人の数減らすならどうする?私たちの魔法じゃ人数に限度あるよ』


『あんたは幻覚とか見せられるんだっけ?悪魔ってみんなマルバスみたいなのだと思ってたけど、本当に色々なのね〜』


『ダンタリオンのじゃ無理だね。雪女の技、見た目は派手だしあの氷魔法とマルバスに威圧してもらって撤退させるのが良いかな』


『そう簡単にいく?お前と同じ傭兵共だよ?』


『金目当ての連中は散らせるでしょ。死んだら意味ないし』


私は少し考え込む。協力してやりたい気持ちに嘘はないが、その気持ちの中には私が安全にここから離脱するという絶対条件がある。


例えば、私がここでこの面々を騙して逃げた場合。多分、というか九割くらいの確率で殺される。かと言ってワノクニの軍勢にこの少人数でまともに真っ向勝負を仕掛けるのは現実的じゃない。


単騎であの街の人間くらいならば簡単に皆殺しにできそうなマルバスはいるものの、その後私がこの国を出られるのかとかという問題もあるし、それをするつもりなら私が来る前に、この悪魔はこの国の人間を皆殺しにしているだろうという確信がある。


『……私が魔女狩り傭兵団の仲間のふりして混ざり込もうかな。そんで、ここに着く前に抜け出してお前らに敵襲を伝える。で、あとは向こうがたどり着く前に派手なのかましてビビらせよう』


『あ、死人の幻覚とか添えようか。それくらいなら併せられると思うよ私たち』


ダンタリオンの言葉にサルジュが『えげつな……』と小さく溢し、私がそれに『相手は集団で魔女狩りにくるんだから』と呆れた声で反論する。若干喧嘩のような言い合いをしながら、作戦会議の大筋はそれで決定された。


『お前達が裏切らない保証はどこにある』


『死にたくないって一心。あんたに勝てる気はしない。一番信じるに値するでしょ、どう?』


『……己は期待をしない。好きにしろ』


マルバスはそれ以上は何も言わずに、目を伏せる。一応、今すぐ殺す必要はない程度には信用された様子に安堵する。


正直なところ、マルバスが私たちをどう思っているのかはよくわからないし、ダンタリオンが"見た"だけで目玉を潰されたのも含めて心を読めとも言いにくい。


『なら勝手にさせてもらおうかな』


『あの、ワタシのために、ごめんなさい……』


ミリは絞り出したような声でそう言って、俯いたまま震えていた。自分のせいで他の誰かが傷つくことに敏感な人間は結構いるが、ミリはおそらくその最たるものだ。


ここまでしおらしく、弱々しい感じではないが、ソニム先輩が案外似たようなタイプなのでよくわかる。優しい人間ほどこうなってしまうものだ。加えてこの幼さで、こんな辺境に封じ込まれ、化け物扱いを受け続ければ、自分の価値とかそういったものもわからなくなっていくのだろう。


『あー、心配しなくてもお前のためとかじゃないよ』


『けど……』


『言ったろ。死にたくないんだよ私は。私のために私がやりたいことやってるだけ』


私はそう言いつつ立ち上がる。サルジュが『案外気遣いとかできんのね』などと言ってきたのが腹立たしいが、ひとまず無視することにした。


『んじゃ、お互いうまくやろうね。魔女のお付きさん』










私とダンタリオンは封楼塔を出て、再び魔女狩りへ向かう者達が集う街へと向かっていた。


殺風景な禁足地を抜け、私たちが入ってきた森の切れ間の辺り、来た時は夜だったのでシルエットでしか見えていなかったのもあるが、改めて見ても異様な光景だった。


『学者とかってやっぱこういうの見たらテンション上がるんかな』


『仕事好きなら上がるんじゃない?急に何?』


『いや、やっぱ意味わかんないなって思ってさ。この森の切れ方』


ダンタリオンが『いきなり何を気にしてんだか』と言いながら両手を開く。確かに普段は気にもかけないかもしれないが、たまにはいいだろうと不服な顔をしつつ禁足地の出口へ向かう。


縄で区切られていた道のあるこの森は若干だが山になっており、木々が生い茂っていることも含めて街が見えるのはほとんど森を抜けてからになる。


『私はなーんで知り合って間もないガキ相手に必死になってんだろうなぁ』


『あれ、気が付いてないと思ってたんだけど自覚あったんだ。お優しいクリジアちゃん』


『うるせえよ。水の都の一件以来今になって私の軸がぶれ始めてんだよ』


『変わってないと思うけどね』


『昔なら見捨ててた』


ダンタリオンは『どーだかねぇ』と言いながら、ケラケラ笑って私の前を飛んでいく。私はダンタリオンの態度に不満を訴えながらその後をついていく。


実際、昔の私ならミリのことを見捨ててこのまま逃げ帰っていたと思ってるのだが、ダンタリオンから見たらそんなことはないのだろうか。それはそれでわかったような顔をされてる感じがして腹立たしい。


『……あれ?ねえ、クリジア』


『あ?なんだよクソ悪魔』


『なんで機嫌悪いんだよ。ってそれより、あれ人だよね?』


ダンタリオンの指さす方を見れば、確かに人らしきものが道の端に倒れている。街からは少し離れてるし、仮にも禁足地へ続く道に酔っ払いが倒れてるとも考えにくい。


『……私の斬った死体は残ってたし別だよなぁ』


『喧嘩でもして捨てられたんじゃない?』


『あり得る。ガラ悪いの多かったし』


私とダンタリオンは話しながら、倒れてる人影に近寄っていく。ある程度近づいたところで、それが男であることがわかり、そこからもう少し近づいたところで異常に気がついた。


男の身体には無数の刺し傷があり、そこから流れ出たと思しき血はまだ液体のままだ。つまり、この怪我を負ってから時間はさほど経っていないということになる。


『うわっ、喧嘩にしても相当……これ生きてる?ダンタリオン見れる?』


『んー……もう死ぬだろうけど。まだギリギリ生きてるよ。譫言状態だねこりゃ』


『何があったか知らないけど可哀想に』


私が街へさっさと向かおうと歩き始めるとほとんど同時に、ダンタリオンが『騙された?』と呟く。


『騙された?何が?』


『いや、こいつが……騙された、最初から、あんなもんが……あっ、だめだ死んじゃった』


『……?なんの話だそれ』


『さあ?』


私たちはどこか引っかかるものを感じながら、目的地の街へと足を急がせる。




街に着いた時の感想は『静かだな』だった。



人の声は無く、気配すらもない。傭兵が集まっていたはずの街が、こんなにも静かなのはおかしな話だ。それもそのはず、街の中に生きている人間はもういなかった。


『なっ……んだよこれ!?』


街の中は見渡しても死体のみ、おそらく傭兵達が持っていたものだと思しき武器は、死体に、地面に、建物の壁にと突き刺さっている。ただ、それにしても武器の数が異様に多く、その全てが射出されたかのようになっているのは不思議だった。


死体の傷はどれも刺し傷がほとんどで、たまに鈍器や瓦礫を投げつけられたかのような殴打や破砕の跡が混じっている。無数の刀を突き刺されたまま絶命している人間の様子は異様だが、少なくとも、魔法でどうこうというよりは武器でやられたような様子だ。


問題はこの惨劇の犯人の姿も、生き残りもいないことなのだが。


『ダメだクリジア!建物の中も全滅!女子供も全員死んでる!!』


『マジで皆殺しかよ!ていうか、何がどうなったらこうなる……!?』


『死体の心が読めたら説明できるんだけど、私たちにはさっぱりだよこんなん!』


身なりがバラバラの傭兵、一般市民に加えて装備が全く同じ人間も何人か死んでいる。つまりはワノクニの軍隊も殺されているということだろう。加えて、そのどれもが同じ傷を負っていることから、犯人は別の何者かなこともわかった。


『なんにせよおかしな事になってるのは間違いない……!一旦戻る!!』


私たちは死体しか残っていない街から、逃げ出すようにして走り出した。









ぜえぜえと、肩で息をしながら私は封楼塔の前まで戻ってきていた。こういう時は、空をふわふわと浮いて移動できるダンタリオンが本当に羨ましい。私は息を切らして必死になってるのに、こいつらはまるで宙を泳ぐようにして、息一つ乱さずに着いてくるのだから。


道中ではおかしなものを見ることはなく、何者かと遭遇することもなかった。それはある意味幸いだったのかもしれないが、尚更街の異変の意味がわからない。


『ちょ、人斬り女!どうしたのよそんな息切らせて』


『うるっ……せぇ……よ……!!やば、ちょっ……待って……はぁ、はっ……あ、ダメだ……ダンタリ、オン。頼むわ……』


『はいはい。いやね、例の傭兵集めてるって街あったでしょ?あそこの街の人、全員死んでたんだよね……』


『はぁ!?どういうこと……!?マルバス!!あんた何もしてないわよね!?』


『……己はお前と此処に居たことをお前も知っているはずだが』


息を整えながら、サルジュたちのやりとりに耳を傾ける。どうやら二人も何も知らないようだった。


『私たちもあんたじゃないとは思ってたよ。毒じゃなくて刺し傷とかで死んでたから』


『けどだとしたら誰がそんなことしたっての……?』


『それがわかれば苦労してないってやつだよ雪女さん。んで、一応はと思って焦って戻ってきたんだけど……』





『こんにちは』



会話を遮ったその場の誰のものでもない声に、私たちは一斉に振り返る。


透き通るような、中性的な声だった。


『腐敗の魔女は此方にいらっしゃいますか?』


にっこりとした、張り付いたような笑顔。


トリコーンをかぶり、灰色の長いコートを身にまとい、青色の髪を後ろで一本にまとめている。声と同じように男女のどちらかがわからない外見をしているそれは、一見すると人間に見えるが、帽子を突き破るようにして額から生えているヒレのように滑らかでしなやかなツノがその正体を暗示していた。


『魔女に何の用だ』


目の前の悪魔はにこやかな顔を崩すことなく、何か武器を構えるだとか、魔法を放とうとする様子もない。だというのに、マルバスと対峙した時とは違う悪寒が止まらない。


『ええ、野暮用の類なのですが……ちょっと魔女狩りに』


言葉と共に、悪魔が立っていた場所に黒い波が襲いかかる。悪魔はそれを跳ねて躱し、少し離れた位置に着地した。


まだ、表情に変化がない。


アモンには愉悦が、フォカロルには憎悪が、ブァレフォールには敵意が、マルバスには殺意がしっかりと存在していた。人だとか悪魔だとかではなく、行動に対しては誰もが多かれ少なかれ思考の他に感情が乗る。目の前の悪魔がとにかく不気味に映るのは、それが一切感じられないからだろう。


『避けなければ壊れてましたね。怖い、怖い。バルバトスちゃん泣きそうです』


よよよ、と。馬鹿に芝居染みた様子で悪魔、バルバトスと名乗ったそれは泣き崩れるような真似をする。当然のように涙は出ていないし、何も感じ取れない分その様子が一層不気味だった。


私は武器を構え、ダンタリオンに情報収集をするからと心の中で合図を送る。ダンタリオンがバルバトスの方を向いたのを確認して、私は口を開く。


『あの街の人間殺したの、お前か?』


『はい。契約者の御用命でしたから』


『誰がなんの目的でやってんだよそんな真似』


『ここワノクニの上層です。魔女を消し、魔女を知る者も消す。制御不能の自爆装置である魔女を排除し、魔女の実態は闇に屠ったまま、特級魔具という外界への圧力だけを残す。それが目的だとか』


『全部喋るじゃん。隠そうとかしないわけ?』


『それに何か意味がありますか?』


淡々と、当たり前のようにバルバトスは答える。ダンタリオンの方をちらりと見ても、嘘をついている様子はないようで、本当にただ当たり前のように答えているらしい。


『しかし、同胞がいるというのは聞いていませんでした。少々困りましたね、私は悪魔の中では大した力も持っていないのです』


『よく言うね。街であんだけめちゃくちゃしといてさ。良心みたいなのないわけ?』


ダンタリオンが煽るように放った言葉に、バルバトスが若干だが反応らしい反応を示す。アビィに対して人形のようだと散々罵ったが、目の前にいるこれに比べたらあっちの方が相当人間味がある。


『良心。私と同じ伽藍堂が心を語りますか』


表情も、声色も変わらない。強いて言えば、先程までの話題より少しだけ興味がありそうな様子なだけ。


いや、正確には表情は動いている。ただ、ダンタリオンのように心が読めなくてもある程度は感じ取れる表情の裏側にある感情。それが未だに一切察することができない。深く、底の見えない穴を覗き込んだ時のような不安感。こいつの不気味さはそれに近い。


『良心とやらに限らず、私にはそれが理解できない。一度も見たことがありませんから。私も探しているんです。あの街でも見つけられませんでした』


ダンタリオンが小声で私たちに『人間の考え方、通じないと思った方がいいかも』と告げる。正直最初から通じるとは思っていないのだが、ダンタリオンの様子を見るにそういう当たり前の話とは別のようだ。


『我々は空洞です。形を模し、言葉を並べるだけの伽藍堂。では、人は何を持って人たり得るのでしょうか』


袖口からひらりと、一枚の札をバルバトスが取り出す。魔札と呼ばれる、簡単な魔法式を札に刻み、魔力を流すことでその魔法を発動させることができる汎用的な魔具だ。


それがバルバトスの手の中で"増えた"。


『それは愛ですよ』


山のように増えた魔札が、宙を舞い、一斉に封楼塔へ向かって射出される。


『なっ!?』


力魔法と呼ばれるものの類だろう。治療などに使われる命魔法と同じで、魔力の適性を持つ者が少なく、比較的珍しい魔法属性とされるもの。そして、おそらく札を増やしたのがバルバトスの固有魔法だ。


放たれた札を、マルバスが咄嗟に防ぐ。一部は魔法で溶かし崩したようだが、大半は間に合わずに、塔を庇うようにしたマルバスに直撃し、無数の魔札が爆ぜた。


『人だけが持つ温もり、私はそれを見たい』


『マルバス!!』


サルジュが叫び、その声に弾かれるようにして私はバルバトスへ斬りかかる。


悪魔はあれですぐに死ぬようなことはない。マルバスの心配はさほどしなくて良いだろう。それよりも、こいつを自由にさせておくほうがまずい。


『訳わかんないこと言ってんなよ!!』


バルバトスは私の振り下ろした刀を一切避けずに、魔術鞘から刀を取り出し、私の心臓を狙って放つ。


『なっ……』


肌に刃の冷たさが触れた瞬間、足元が跳ね上がるように隆起し、後方に弾き飛ばされる。


『っぶね助かった!!』


見れば、私を弾き飛ばしたのは突き出した氷のようだ。それを貫いて突き刺さっている刀を見て血の気が引く。


『あんたねぇ!!考えなしに突っ込むやつがある!?』


『お前にだけは言われたくねえよ雪女!!』


『喧嘩してる場合じゃないんだよ馬鹿共!今のでわかった!!やっぱあいつ当たり前が通じる類じゃない!!』


私とサルジュの啀み合いをダンタリオンが一喝する。それとほとんど同時に、バルバトスは突き刺した刀を引き抜き、先程の魔札と同じように数を増やし、こちらに向けて放つ。


サルジュが氷の壁を作り、放たれた刀を防ぐ。分厚い氷壁に深々と突き刺さる無数の刀を見るに、街の惨劇はやはり嘘偽りなくこの悪魔の仕業なのだろう。


『当たり前が通じないってどういう意味なのダンタリオンちゃん!』


『アレ、いわゆる感情みたいなのが一欠片もないんだ。思考回路だけ。だからさっきのクリジアの攻撃も、一切の躊躇いなく避けなかったんだろうね』


『けどマルバスの攻撃は避けたよね』


『危険は理解できるんじゃない?なんなら、怯えたりしない分そういうものには対応しやすいのかもね。意味わかんないけど』


『マジで人形かよ……』と、苦虫を噛み潰したような顔をしながら私は吐き捨てる。サルジュも薄気味悪いものを見た時のような顔をしているのを見るに、私たちの感性は少なくともまちがえていないようだ。


『とにかく、ビビらせるとか怯ませるみたいなのは基本通じないと思いなよ!』


『これなら魔女狩り軍団と戦う方が気が楽だった……』


私の嘆きと同時にサルジュが氷の壁を解除し、ガランガランと音を立てて突き刺さっていた刀が落ちる。幻覚でもなく、魔力の塊とかの類でもなく、本当に刀そのものが増えているようだ。


バルバトスは先程と変わらない場所で、何も感じ取れない不気味な笑顔を浮かべながら佇んでいる。


『……貴方達は魔女を守っているのですか。何故です?そこに在るのは、数多の人間を殺めた殺戮兵器でしょう』


『っあんたに何がわかるのよ!』


『何も。事実以外は理解しかねます。同情と呼ばれるものですか?有象無象の何百が死ぬのは良いが、魔女一人は許せないと?』


サルジュは押し黙る。実際、これに関してはバルバトスの言い分は正しい。正しいとは思うが、正しいだけだ。人間はそこまで単純にできていない。


何百と殺した魔女も可哀想と思えば可哀想だし、十年も生きたか怪しい少女も憎く恐ろしいと思えば恐ろしい。足し算と引き算だけで世の中を見ることのできる者はいない。私だって、それは同じだ。


『まあ、人間とはそういうものなのでしょう。私が最も理解できないのは貴方ですよ、五本目』


バルバトスは形を直し終えたマルバスを見据え、マルバスはバルバトスを何も言わずに睨みつけて、おそらくミリに危害が及ばないように後方に構えている。


『何故、人間の真似事などをしているのですか』


『心もないのに煽りはすんのかよ。なんなんだお前』


『単純な疑問ですよ、人間。無意味でしょう。穴の空いた容器に水を注ぐようなことは』


なんの感慨もなく、本心からただの疑問として話しているのだろう。その目からは何も感じ取れず、言葉には何一つ込められていない。


『貴方のことは存じてますよ、呪殺の呪い。数多の命を貪り、善悪など問わず斃してきた最悪の魔法たる貴方が何かを守るというのは、どうにも理解ができない。まさか、人にでもなりたいのですか?伽藍堂の同胞よ』


『あんたいい加減に……!!』


憤るサルジュを、マルバスが制止する。こういう時にはちゃんと止めるんだなと、呑気な感想を抱きつつ、私はサルジュに『人形相手に怒るなよ』と釘を刺す。


『お前に己の話をする理由はない』


『そうですか。残念です』


バルバトスはにっこりと笑いながら、魔術鞘から武器を取り出す。おそらくはなんの細工もない、単純な刀剣類。それにバルバトスが触れると、数が増え、バルバトスの周りに浮き上がるようにして滞空する。


『……我が夢を、ミリを守るのに協力しろ。餓鬼共とその契約者』


『ここまで来たら最初っからそのつもりだよ真っ黒さんよ!つか逃げたら私ら殺すだろお前』


『お前の魔法なら悪魔も殺せるんでしょ?頼りにしてるからね大先輩!私たちと雪女さんは動き止めるくらいで良い!?』


『……礼を言う。お前達が隙を作れば、己がアレを殺してやる』


『気に入らないけど共同戦線ね!死にかけたらまた助けてやるわよ人斬り女!』


『私はお前のこと絶対助けねえからなクソ雪女』


『協力しろって言ってんでしょ!!』


ギャンギャンと喚く雪女を無視して、私は武器を構え、ダンタリオンに『なるべく早く馴染ませといて』と声をかける。私の切り札には残念ながら時間がかかるし、悲しいことにまだ完全にモノにしてるとは言い難い。


幸いなのは向こうに今までの悪魔のような、即座に致命傷になり得る異様な魔法がないことと、癪なことだがそれなりに戦えて頼りになる剣士がセットで付いていることだ。これなら、暫くの間ダンタリオンのサポートがなくても乗り切れる。


『助けられたら助けてやるけど、余裕あるかは知らねえからな雪女……腹括れ、悪魔相手はキツいよ!』


『やってやろうじゃないの……助けられて後で文句言うんじゃないわよ!!』


『そっくりそのまま返すわ私に負けたくせに』


無数の刀剣類に囲まれ、バルバトスは佇んでいる。不気味なことに、お互いに相手を殺すつもりの戦いが始まるにも関わらず、バルバトスからは当然のように何も感じ取れない。


身の毛のよだつような恐怖心も、噴き出すような冷や汗もない。ただ、暗く深い穴を覗き込んだような感覚。それだけがずっと纏わりついている。


『貴方達が持っているのなら、是非見たい』


バルバトスが微笑む。感情は相変わらず感じ取れないが、身に纏った雰囲気が重くなる。


この空気の軋むような感じは知っている。




『私は愛を求める探求者。さあ、人間の人たり得る理由を、貴方達の語る心を、その温もりを、この私に見せてください』



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