21話 それは御伽話のような

『なんか、こういうのちょっとワクワクするなぁ』


『呑気だねえご主人様は』


私とダンタリオンは、ワノクニの物品を運ぶ数少ない貿易船の貨物室に転がり込んで息を潜めていた。


ダンタリオンの魔法があれば、潜入くらいは容易だったし、仮に見つかったとしても誤魔化し方は言葉通りにいくらでもある。それを考えると、バレるバレないの心配よりも船内が暇で仕方ないことの方がよっぽど大変な話だ。


『ねえクリジア。ワノクニってどんなとこなの?』


『あー、いや正直本当にあんまりよくわかんないんだよね。知ってる人の方が少ないと思うけど』


安定した国家であるにも関わらず、世界連合には加盟せず、他国との関わりも極端なほどに少ない閉鎖的な国。それがワノクニという国だ。


完全に外界と関わっていないわけではなく、今私が乗り込んでいる船のように、ほんの僅かな貿易による交流はあるが、逆に言えば人の出入りはそれくらいのもので、長いこと傭兵として色々なところへ赴いてきた中でもワノクニ出身の人間は見たことがない。


世界的に見ても異質な国であり、独特な文化を形成しているとされている未開の地。私の持つ武器もワノクニ製な故に、他所ではよく珍しがられる。それくらい何もかもが謎な国がワノクニだ。


『言葉が通じないとかだったらどうする?』


『貿易はしてるんだし流石に大丈夫でしょ』


『わかんないよ、もしかしたらなんかこうさ……魔石とかの物々交換なのかも』


『いやいや、亜人の群れじゃあるまいし』


ケラケラと、私たちは本来人がいるはずもない貨物の中で笑う。実際のところ本当にどういう国で、どういう人がいるのかが全くわからない国というのは珍しい。それもあって、私としては少し楽しみなところもあった。


小国が乱立するような時代なので、国として認められてるのかも怪しいところや、紛争地域すぎてもはや人がいるのかもわからない国は何度か経験があるが、単純な鎖国国家というのは初めてだ。ワノクニしかそんな国はないので、当たり前と言えば当たり前ではあるのだが。


『にしても、なんでマギアスのお偉いさんが来た時に私たち連れて行かなかったのさ』


『連れて来ないように言われてたんだよ。怖い人だったなああれ。人形かよってくらい無機質でさ』


『実は人間じゃなかったりして』


『世界の司法機関の一角の頭が?まさかぁ』


人間の中に溶け込んだ悪魔の例は、割と身近にいる。


フルーラさんの悪魔の一本、フルフルは人間の偽名まで持って、屋敷で生活していると聞くし、ダンタリオンも赤髪青髪の双子として溶け込んでいる。


それでも、世界の司法の頭が悪魔だなどと、いくらなんでもあり得ないだろう。


『……まさかね』


『思い当たる節あるのかよ』


『いや、それくらい無機質な人だったなあって思っての躊躇いだよこれは』


ダンタリオンは『そんなに言われる奴なら見てみたかったけどなあ』と言いながら、暇つぶし用にと持ち込んだらしい本を開く。


まるで普段の竜車での移動のようなくつろぎ方だなと思いつつ、私も特別やることはないし、外の景色を眺めるわけにも行かないので、いくつかの適当な貨物を動かして、寝転びやすい空間を作ってそこに横になる。


『くつろぎすぎでしょ』


『お前に言われたくねーよ』


ダンタリオンに『何かあったら起こして』と伝えて目を閉じる。聞いているのかいないのかわからないような生返事を返されたが、こいつらは自分の不利益になることに対してはいざとなれば協力してくれる。


いつもとは一味違う船旅を、私たちは各々のんびりと過ごすことにした。









ワノクニの港町。


家は木造が主で、塗装などはほとんどせずに素材そのままの家が多い。街並みも独特で、悪く言えば派手さがなく地味だが、素朴でどことなく暖かいような、落ち着く雰囲気を感じる。


鎖国国家とまで言われている以上、余所者に厳しかったりするのだろうかという不安があったのだが、流石に港町では目立った差別や余所者軽視がある様子はない。


そそくさと街中に逃げ込んだ私は、たまたま見つけたカフェのような店に入って、この後はどうしようかとぼんやりと考えていた。


『お前さんたち、船の人かい?』


そう言って一人の男が、私の座っていた席の隣の席に腰掛ける。


『ん?あーそう。護衛役みたいな。今は自由時間。この子らは……貿易船の乗組員の子供かな』


『そうかいそうかぃ。いやなに、外の世界からの来客ってのは珍しいからよ』


快活そうに笑って見せた男は、どうやらここの常連客らしい。隣にいるリオンとリアンに、心の中は覗いてもらっているが、私たちを訝しんで近づいたのではなく、本当に珍しいからと近寄ってきたようだ。


男はだいぶ大柄で、片目が傷痕になって潰れている様子だった。赤銅色の長い髪を後ろで一本に縛り、適度に着崩された衣装からは鍛えられているであろう筋肉がのぞいている。よく見れば、男の腕も随分がっしりとしていた。


『銀の髪のお嬢ちゃん、あんた剣士だろう?』


『えっ、なんでわかったの?』


『なに、目利きってやつさ』


ちらりと、私はダンタリオンたちを見る。


二人は"別にこいつに怪しい目的があるわけじゃない"と言いたげに軽く首を横に振ってから、リアンが男の方を見て口を開く。


『そういうおじさんは鍛冶屋?』


『おじさんはやめてくれよ。よくわかったなぁ坊主。俺ぁ鍛冶師ってやつだ。職業柄わかるモンなのさ』


男はそう言って笑う。私は本当にわかるモンなのかよと思いつつも、職人とかそういう人たちはそんなもんかと自分を納得させる。


『しかしお前さんら、何しにこんなとこまで来たんだぃ?』


『さっきも言ったけど貿易船の護衛役だって』


『いやいやそいつぁおかしいぜ。船は今頃荷を広げてるころだからな。一番護衛が必要な時間じゃあねえのかい?』


男の雰囲気が変わると同時に、しまったと顔を顰める。下手に会話を避けたりして、怪しまれないようにととった行動が裏目に出てしまった。


どうするかを考え始めた時、一瞬だがアビィの『目的以外の生き死にはどうでも良い』という言葉が過ぎる。男を斬り殺す、騒ぎにはなるだろうがダンタリオンで隠せば不可能ではない。そこまで考えて思考を白紙に戻す。


『……だったら何?騒ぎでも起こそうっての?』


男に睨みを効かせて問う。私は実際のところ小娘だが、何人も斬って殺してきた小娘だ。殺意や悪意は人一倍に発揮できる。たかだか鍛冶屋の成人一人に簡単に負けるようなものでもない。


男は怯むこともなく、ニヤリと笑う。


『そう睨むなよお嬢ちゃん。俺も騒ぎだ喧嘩だは嫌いなんだ。一つ頼みを聞いてくれりゃそれでいいさ』


『忙しいんだけど』


『騒ぎを起こされる方が忙しいんじゃねえのかぃ?』


ニヤニヤと笑う男に聞こえるように舌打ちをして、私は男の次の言葉を待つ。


ダンタリオンの二人に頼んでも良いが、二人の魔法は"見る"必要がある以上、もし誰かを見落とした場合に誤魔化しが効かなくなる。残念なことにここは店内で、どこで誰が見ているかを把握しきるのは難しい。それ故にダンタリオンは最終手段にせざるを得なかった。


『なに、難しい話じゃあねえよ』と言って男は席を立ち、私の方へと歩み寄る。ガタイが良いのはわかっていたが、立ち上がると尚更大きく見える。


私は軽く身構えて、男の挙動に意識を集中させる。


男はスッと手を挙げる。


『頼む!お前さんの相棒を俺に見せちゃあくれねえか!?』


その挙げた手を、顔の前で勢いよく合わせると同時に、膝をついて男が頭を下げた。


『…………は?』


『ん、ああこういう言い方すると伝わらねえんだっけか。つまりだな……お前さんの武器を俺に見せてくんねえか!?外の国から流れてくる奴ぁ貴重なんだ!』


予想外の展開に私は固まる。横を見れば、リオンとリアンが笑いを堪えているのが目に入った。おそらく、途中で男の思惑に気がついて、敢えて止めずにそのままにしていたのだろう。


私はダンタリオンたちに覚えてろよと思いながらも、肩透かしを食らった影響か起こる気にもなれず、目の前の出来事の処理を固まった頭で始める。


『いや、まあそれくらいなら良いけど………え?逆にそれだけ?』


『おうさ!脅すような真似して悪かったなぁ。ま、お前さんらが正規の入国者じゃねえってことはわかってたんだ。そいつを内密にしておくってことで手を打ってくんねえか?』


『いや、うんまあ良いか……もうなんでも。武器見せりゃいいんでしょ』


私は呆れ返りながら、愛用の刀を取り出して、男に手渡す。そもそもが盗品だし、それなりに良いものらしいことだけは知っているが、それ以外は何も知らないこれを渡して良いものかと少し悩むところではあるが。


『へえ……こいつぁワノクニで造られたもんじゃねえか』


『そうらしいね。外から来たのに珍しくなくて悪い気もするけど』


『お前さん、こいつの価値だなんだにゃ興味がねえクチか。名刀も名刀だぜこりゃ。随分変わった魔法まで組み込まれてる面白え刀だ!ちょいと無骨な外見に反して細部の淡麗さがにくいねぇ!』


男は刀をまじまじと見ながら、意気揚々と刀について語る。


『マジ?あんまり褒められたもんじゃない方法で手に入れたんだけどなそれ……』


『そんなもんはどうでも良いだろうさ。月並みだが運命ってやつだろう。この別嬪達がお前さんを選んだのかもしれねえよ』


『別嬪ってその刀のこと?』


『おうさ!美人も美人、華奢さと強さを備えた別嬪さん。大切にもされてるようだしねぇ』


『ありがとさん』と言いながら、男は私に刀を戻す。本当に刀を見せてもらいたかっただけなのかよと思ったが、職人という変わり者故の趣味嗜好なのだろう。


『まったく、他所の国からは面白えもんがこんなに入ってくるってのにこの国はいつまでつまらんことをしてるのかねぇ』


『他にもこんなふうに武器を見せてもらったりしてんの?』


『おう。ちょいと前には氷の魔法剣を持った剣士がいてなぁ。あれも随分変わった美人だったねぇ。持ち主はお前さんと同じくらいに見えたぜ』


『美人なのはその剣の方かよ』


『人の美醜は見た目じゃわからねえからなぁ。さほど興味もねえし』


男はケラケラと笑う。これを、おそらく本気で言っているのだから相当な変わり者なのだろう。出会ったことのない人種に若干げんなりする。


『しかしお前さんたち、外から何をしに来たのかは知らねえが、こんな時期にとは災難だねぇ』


『こんな時期?』


『そうさな、美人に会わせてくれたお礼に話してやるよ。今この国じゃあ狩りが行われてやがるのさ』


『狩り?』と、私は首を傾ける。口振りからして、何か大規模な魔物の群れでも出てるのか、あるいはそういう行事があるのか、なにぶん未開の地すぎてピンとこない。


『そう、狩りだ。国を上げての狩りなんだが、どうにも切羽詰まってるようでなぁ。こんな国がこっそりとだが外にも話を流してると来てる』


『鎖国国家が?馬鹿でかい竜種でも出るわけ?』


『その程度なら良かったんだがねぇ。なにせ御伽噺の類を狩ろうとしてると来たもんだから始末に負えねえのさ』


『お前さんたちもそのクチかと思ったんだがねえ』と男は続け、茶を啜って大きく息を吐く。


『狩りの標的を知りてえって顔だな。まあそりゃそうだ。教えてやるから関わる前にさっさと帰ることをお勧めするぜ』


なんとなく、私には予想がついていた。


もしもあの話が本当の出来事なら、間違いなく逸話や伝記のようになって語り継がれる。人の口に戸を立てることはできない。報告書通りの数の死人が出たとすれば、誰かがその悪夢を語り継ぐ。


『今この国じゃあ腐敗を冠する魔女の首、そいつを求めて魔女狩りがおっ始まってんのさ』


神様とやらに心の中で舌打ちをしてから、引き攣った笑みをなんとか表に出さないようにして口を開く。


『そりゃ私はほんっとに運が良いらしいね』










私は男と共に店を変え、そこで食事をご馳走になりながら先程の話の続きをしていた。


『つまりお前さんたちは件の魔女がいるかどうかを確認しに来たってわけかぃ』


『そういうこと。実在している確証はないって様子だったけど、間違いない?』


『そうさね。国が名前と金を使ってまで狩ろうとしている以上、何かはいるんだろうがそれが何者なのかはわからねえってわけだ』


『場所とかも情報は出てるの?出来るだけ安全に終わらせたくてさ』


『場所はこの国の北側に"封楼塔"って石造りの塔がある。そこに魔女は封じられてるって話らしい』


『封じられてる?それわざわざ殺しに行く必要あるわけ?』


『お国の考えはわからねえよ。俺ぁ俗世には詳しくなくてねぇ』


男は大袈裟に降参のポーズをとって見せる。俗世に詳しくないと言う割には、魔女狩りについて詳しく知っている気はするが、余計なことは言わないようにと口を閉ざした。


ここまでの話を整理すると、腐敗の魔女そのものが実在するという確信はないが、国が頼りたくもない他国を頼ってまで討伐したいと考えている"何か"は確実に存在する。そして、それはこの国の北側の僻地にある"封楼塔"という建造物を根城にしているというわけだ。


『一つだけ俺の知ってる情報で確かなもんがある』


『タダで教えてくれんの?』


『お前さんはあんまり嫌いになれねえから教えてやろうかね。気をつけな、あそこに行って帰ってきた奴はいねえんだ』


『マジかよ』と、私は顔を覆って深いため息を吐く。そう簡単な話ではないだろうと思っていたが、賞金狙いの奴らが揃ってミイラになってることを考えれば、確実に面倒な何かはいるのだろう。


一筋縄ではいかなそうな話になったことを確信して、少しばかり嫌になり始めたが、情報もなしに八方塞がりから始まるよりは相当マシだったと開き直って、私は残っていた自分の分のソバとやらを啜り終えて席を立つ。


『ごちそうさま。ありがとね親切な鍛治師さん』


『親切ついでにこいつも持ってきなお嬢さん』


そう言って、男は私に石の延棒のようなものを投げ渡す。


『なにこれ?』


『砥石さ。お前さんの手入れは問題ねえが、仕上げにそいつで磨いてやると良い。あの別嬪達ならよく似合うだろうよ』


『貰っていいの?遠慮とかしないけど』


『持ってきな。その子らをただの人斬り包丁にしねえ、誇りあるもんにしてやれる見込みがお前さんにゃある』


『そんな大層なもんじゃないけど……まあいいや、どうも鍛治師さん』


男はひらひらと手を振りながら『ささやかながら無事を祈ってるぜ密入国者』と笑う。


私はそんな言葉を背に、店を出て北へと歩き始める。密入国者である以上、竜車などの移動手段は使えない。数日は野宿をする羽目になるだろうなと覚悟して、ため息を一つ吐いた。


『ま、悪い気のする出会いじゃなかったか……手入れ道具までもらったし』


異国の出会い、今までなら私はさほど気にしてなかったかもしれない。


そんなことを思いながら、自嘲気味にもう一つため息を吐いてから、そそくさと街を抜けるために走り始めた。


目指すのは北。魔女の根城である封楼塔だ。












銀の髪の剣士を見送った後、男は茶屋でのんびりとお茶を啜っていた。


『お師匠!!こんなところにいたんですか!!』


そんな男の元に、バタバタと足音を立てながら一人の少女が駆け寄る。男は怒った様子の少女に笑いながら手を振る。


『おーうよく見つけたじゃねえのスフィリ。石は買えたかぃ?』


『買いましたとも!おかげで重てえ石を持って探し回る羽目になったんですよサヴナク師匠さん!?』


『はっはっはっ!!ご苦労だったなぁそりゃ!』


サヴナクと呼ばれた男は上を向く勢いで大笑いし、その様子に少女スフィリは心底腹を立て、麻袋に詰まった鉱石類を一つ鷲掴みにしてサヴナクへと投げつける。


サヴナクはそれにさほど驚く様子もなく、投げつけられた鉱石を受け止め、まじまじと見つめた後に立ち上がり、スフィリの頭をわしわしと豪快に撫でた。


『良い質のもんを持ってきたなぁ!流石だねぇ俺の弟子!』


『それは嬉しいですけどムカつく〜!!』


『さて、そんじゃあさっさと撤退しようぜスフィリ。俗世の空気はとんと好かねえからよ』


『はいはいわかりました!帰ったら魔法刀の打ち方教えてくださいね!うちと約束しましたもんね!』


『あーそれなんだが……』とサヴナクは目を泳がせる。スフィリはそれを聞くが早いか、サヴナクに縋り付くようにして声を張り上げた。


『や・く・そ・く!!しましたよね!?』


『おう、すまん。悪ぃが仕上に使う砥石を譲っちまってな。帰りにもういっぺんとって帰らねえとならねえ』


スフィリは蹌踉めき、力無くその場に座り込む。一拍おいてから、勢いよく飛び跳ねてサヴナクの顎に強烈な一撃を叩き込んだ。


『うちが三日三晩かけてやっとの思いでとった超上質な魔砥石に何してくれてんですかバカ野郎ァ!!』


『はっはっはっ!!今回は俺も手伝うから勘弁してくれ!こればかりは悪かったと思っちゃいる!』


『あれ買ったら数ヶ月遊べる値段するんですよ!?お師匠もそれはわかってるでしょうに譲ったって………!!』


わなわなとスフィリは震えながら、顎を強打され尻餅をついたサヴナクに向かって抗議の姿勢をとるが、大きなため息と共に脱力する。


『……なにか気に入ったんですか?』


『そんなとこさ。人が気に入ったのは久々でねぇ』


サヴナクは立ち上がり、スフィリの頭をもう一度撫でながら『悪かったな』と苦笑する。


スフィリは呆れ切った様子で『もういいですよ』と言って、大きなため息を改めて一つ吐いてから笑った。


『なんだってあんな名刀、いや妖刀の類かねぇ。それが偶然渡ったのかは知らねえが、なんにせよあんなものを繋ぐために振るってるなんざ大したもんだ』


『妖刀ですか?』


『肉削骨断。人間が悪魔を呪って鍛えたなんて言われる二刀一対の刀さ。転々と持ち主を変え、非業の死を運ぶ……なんていつしか言われ初め、今日まで残ったある種の呪詛だねぇ』


『肉削骨断ってそれうちも知ってますよ!?というか刀鍛冶してたら知らない人いないやつ!見たかったなぁ……!!』


『また会えるかもしれねえよ。件の魔女がどうにかなればな』


サヴナクの言葉に、スフィリの表情が少し曇る。


サヴナクは遠くを懐かしむようにして見つめながら、言葉を続ける。


『悲劇から生まれた悲哀と憎悪にゃいい加減終止符を打ってほしいもんだ。あいつら・・・・は悲しすぎるからねぇ』


憂うような表情でサヴナクは虚空に語りかけるようにぼやく。スフィリはそんなサヴナクの様子を見て、少しの間を開けてから口を開く。


『……誰も帰ってきてないんですよ。あそこからは。お師匠が気に入ったと言ってた氷の剣士も結局、帰ってないじゃないですか』


『そうさな。けどな、俺でも夢くらい見るんだ。断ち切るのが大得意な刀が、繋ぎ止めたいと願う持ち主を連れて、何かを変えたくて生まれ故郷に帰ってきた……なんて御伽噺があってもいいんじゃねえの』


『お師匠も浪漫派ですね〜。御伽噺は本当じゃないから御伽噺なんですよ。現実に転がってるのはいつも悲劇か偶然だけです』


『お前さんの親御さんも悲劇かい』


『偶然ですよ、悲劇なのはあの子の方です』


二人は暫くの間、言葉を交わすことなく静かに歩き続ける。


お互いに何も言わず、ここには居ない誰かへと想いを馳せる。それが無意味であることも理解して、それでもなお何かに願うかのように、ただ何も言わずに。


『……けど、そうなったらいいな』


じっとりした沈黙を、スフィリが小さな声で引き裂く。それはほとんど独り言のような声で、返事を期待したものではなかった。


俯いたままのスフィリの頭をサヴナクが優しく撫で、スフィリと同じ独り言のように言葉を溢す。


『願うのは人間の自由だ。期待させてもらおうじゃねえか異邦人』


『お師匠は願って良いんですか?』


『たまには良いだろ?』


『……ですね!』


二人の笑い声と共に、誰に聞かれることもない願いが溶けていく。





誰もがより良い明日を願っている。


だからこそ人は、何かをねがって已まないのだ。

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