三章・ワノクニ騒乱

20話 特級魔具・腐敗の魔女


──幸せの最後は、いつも腐臭がした。



明日は、そうだ。

家族みんなで買い物に行くんだ。


お母さんが今日の夕ご飯は何にするかを私に聞いて、


お父さんが一緒になって考えてくれて、


明日からも、みんなで一緒に


みんなで……







水の都での事件から一ヶ月ほど経った頃。私はこの一ヶ月間は怪我も含めて療養ということでのんびりと過ごしていた。


少しばかり精神的にしんどいことにもなっていたし、ミダスさんをはじめとして皆気を使ってくれていたらしい。レヴィとイラさんからは手紙も届いていて、まだ色々と大変だが元気にしているとのことだ。


そんな療養期間を経て、私は胃がギリギリと音を立てて捻じ切れそうな空間に立っていた。


『それでは質疑応答を開始します。アトラティカ特殊機動部隊所属員、クリジア・アフェクト』


『ッス……』


ここは、魔道国家ヴィーヴ・マギアスに存在する"マギアス魔導評議会議事堂"で、目の前にいるのはその代表者"アビィ・トゥールム"だ。


マギアス魔導評議会、それはこの世界全体の魔法を監視、収集、保護並びに破壊する世界最大の司法機構の一つ。ヴィーヴ・マギアスが実質的に世界連合の魔法を独占していると言われている最たる理由の機関。


そして、その代表者であるアビィ・トゥールムは、詳細不明の大魔法使い。一体いつからその地位にあるのか、何を目的としているのか、その全てが謎の存在……なんて風に、陰謀とかなんとかが好きなゴシップニュースでは、割と頻繁に名前が上がる程度には不思議な人物だ。


そんな現代に生きる怪物をはじめとして、普通に生きてればおそらく会うことのないマギアスの貴族院連中や、魔法使いの大御所に囲まれて、私は見下ろされていた。


『あまり身構えないでください。我々の問いに答えてくだされば十分ですから』


この状況で身構えない奴がいたら余程の大物か天性のバカだろと内心吐き捨てながら、無言で顔を少し上げる。


『襲撃した悪魔と交戦していたと伺っていますが、その悪魔はどうしましたか』


『神子様が倒したよ。これ本当、嘘つく意味もないし、ていうか嘘なら今頃あの国ないでしょ』


『では、アトラティカへの大規模な侵略の際に活用されたと思われる、スレヒトステの多重複合魔力炉についてはご存知ですか?』


『魔力炉?スレヒトステ?』


聞き覚えのない話に、単語を返す。

評議会の連中は顔色を変えず、まるで人形か何かのように無表情のまま話を続ける。


『成程、存じ上げないようですね。理解しました。残りの質問は形式上のものとなりますので、面倒でしたらご退出いただいても構いません』


『……んな適当でいいわけ?』


『目的外のことを律儀に行うことを利口だとは考えていませんから』


そう言いながら、分厚い議事録と思しき本を閉ざし、アビィは早々に背を向ける。どうやら本当にこれ以上続けるつもりはない様子で、周りも困惑してざわめき始めている。


水の都の一件は世界でもかなり話題になっていて、前代未聞の悪魔による災害だとか、世界全体を巻き込んだテロだとか、嘘も本当も混ざって大騒ぎになっている。そんな大事件の重要参考人の一人への尋問が、これほどあっさりと終わるとは誰も想定していなかったのだろう。


『また後程、お会いしましょう。欣快の主、強欲の隷下よ』


アビィの無機質な声の言葉の意味を、私が聞き返すよりも前にアビィの姿が消える。議事堂内は困惑のざわめきが広がり始め、このままここに居ては確実に面倒事になると思った私は、そそくさとその場を後にした。



──それがつい先日の話だ。


そして、今はエルセスさんのバーの裏口。除け者の巣の依頼窓口であるここに、魔導評議会の代表がいる。


『な、なんでこんな大物が……』


『先日、後程お会いしましょうと伝えたつもりでしたが』


『寝て起きたら出会うとは思わないでしょ普通』


アビィは議事堂で出会った姿と寸分違わない様子で、目の前の椅子に行儀よく座っている。


改めてまじまじと世界有数の権力者を見る。年齢はフルーラさんと同じくらいだろうか。なんにせよ、大層な肩書きに対してはかなり若い。長い銀色の髪に、マギアスの人が好む少し派手なローブのような衣類も相まって、凛とした美人を通り越し、怪しさや異質さ感じさせる。


『やあ、待たせて悪いね魔導国家のお姫様』


『お構いなく。此方こそ、急なご依頼となり申し訳ありません。傭兵ギルド"除け者の巣"』


『ははは。事前に一言入れてくれるだけよっぽど良心的だけどな』


エルセスさんがいつもの調子で店の奥から顔を出す。


『何か飲む?まともに話せる範疇なら酒も出すぜ』


『紅茶をいただけますか。角砂糖と一緒に』


『酒じゃないんだな』


『あまり味が好きではなくて』


エルセスさんは『もっと真面目な理由で返されると思った』と笑いながら、一度奥に戻り、しばらくして飲み物を用意して戻ってきた。


扉を足で蹴って閉め、飲み物を机に並べてから私の横に座ると、足を組み、頬杖をついた状態で話し始める。


『さてと、それじゃ話を聞こうか。まだ依頼自体を受けるって決めてるわけじゃないし』


『エルセスさんってこういう時結構不真面目だよね』


ミダスあいつが真面目すぎんだよ。俺くらいが普通だって』


『いや普通よりは絶対不真面目だよそれ』


エルセスさんは『そうでもないと思うんだけどなぁ』とぼやいている。アビィの方はというと、そんなエルセスさんを気にすることもなく、紅茶を一口静かに飲んでから話を始める。


『アトラティカでの一件は災難でしたね。クリジア・アフェクト』


『いやまあ。生きてたからよかったけど』


『まずは確認ですが、現れた悪魔は第六柱・羨望の祈りの願望機ブァレフォールで間違いありませんか?』


『間違いないね』


『他に悪魔の介入はありませんでしたか』


『……ないよ。私が悪魔憑きなのは知ってるんだろうから、強いて言えばダンタリオンくらい?』


アビィは『成程』と呟いて、再び紅茶を口に運ぶ。表情が動かず、口調も声色も異様なほどに淡々としていて、まるで自分の言動全てを握られているかのような感覚に妙な汗が滲む。


『魔導国家のお姫様ともなると悪魔にも詳しいのかい?』


『詳しい訳ではありません。悪魔について記した奇書の研究の一環のようなものです』


『へえ。けど本題じゃあないんだろ?あんまりうちのを問い詰めないでやってほしいんだけど』


エルセスさんはニコニコとした顔のまま話す。アビィはそれすらも特別気にする様子はなく、悪びれもせずに話を続けていく。


『本題ではありませんね。一度気になるとどうしても、というやつです。どうにも知りたがりの気質でして』


『抑えるとこは抑えてくれよ。君は今、礼儀正しいだけの無法者を相手にしてるんだから』


『礼儀が正しいかどうかは些か疑問ですが』


私は内心『それはこの人の言うとおりだな』とエルセスさんの態度を見て思う。アビィは変わらずに淡々とした、人形のように無機質な調子で『それでは本題をお伝えしましょう』と言って、手に持っていた紅茶を置くと話し始める。


『貴方達は"特級魔具"と呼ばれる存在をご存知ですか?』


『特級魔具?エルセスさん知ってる?』


『詳しくは知らないな。とんでもない魔法とかに付くことがある名称だろ?』


『簡潔に言うのであればそうです』


アビィは『一度ご説明します』と言葉を続ける。


『特級魔具とは我々マギアス魔導評議会が定めた"単体で文明及び国家への致命的な影響を与え得る可能性のある魔法全般"を指すものです』


『魔具だけじゃないってことか』


『はい。悪魔や魔女に対しても使用します。例えばですが、第六柱が現存していたのならアレも特級魔具に加えられていたでしょう』


ブァレフォールを倒した時の話については、幾らかの嘘を織り交ぜて話してはいるものの、危険性やことの顛末についての嘘はない。つまり、私やレヴィたちの話を聞き、現場の状況を整理した上で"ブァレフォールは特級魔具に値する存在である"と判断されたということだ。


私はアビィの話を聞いて、少なくともあのブァレフォールと同等の危険性を持った存在が、すでに世界ではいくらか確認されているという事実に血の気が引くのを感じた。


『現存する特級魔具は、有名なところで言うのなら"空想の魔女"ベルフェール・トレークハイトや、貴方達とは浅からぬ因縁のある"第七柱"でしょうか』


ベルフェール・トレークハイトと言えば、世界中で有名な作家の名前だった。絵本やら小説やら、とにかくいろいろ本を書いている人としか知らないが、そんな人が特級魔具なんて物騒な肩書を持っているのは意外だった。


もう一つの例は言わずもがなそうだろうなと思ったが。


『悪魔なら全部その特級魔具とやらになるんじゃないのか?』


『確かに。私もやばくない奴って正直いないと思う』


『そういった意見もあります。事実、魔法の危険性を見れば悪魔は大半が特級魔具でしょう。ですが、刃物を一緒くたに危険だと騒ぎ立てるのは無意味です』


アビィは角砂糖を一つ摘みあげて、紅茶には入れずに手に持ったまま話を続ける。


『管理できるもの、危険だと促し抑止できるもの、早急に対処が必要なもの……取捨選択を誤れば必要は常に不要に呑まれ崩壊します。故に、危険性や現状などをさまざまな観点から思案した上で、刃物の中でも触れるだけで大怪我をするようなものだけを特級魔具へと区分するのです』


『ものの喩えですがね』と付け加えて、アビィは手に持っていた角砂糖をそのまま口に放り込むと、カリコリと小気味の良い音を立てて咀嚼する。


私は予想外のその行動に何気なく啜っていた飲み物を詰まらせて咳き込み、エルセスさんは珍しく傍目から見てもわかる程度にドン引きの顔をしている。


『おや、失礼。今飲み物を飲むのはやめておいた方が良いとお声がけをしておけば良かったですね』


『いや角砂糖そんまま齧ることの方が問題あるでしょ……』


『職務中は特に、甘いものが良いらしいですよ』


『角砂糖そのままは偏食がすぎるだろ……』


アビィは何が問題なのかわからないとでも言いたげに、無表情のまま軽く首を傾けている。私もエルセスさんもこれ以上この件について突っ込んでも無駄だと悟って、軽く目を合わせた後に、一つため息をついてアビィへと向き直った。


『……それで、肝心の依頼内容はなんなんだ?偏食家のお姫様』


『とある特級魔具の調査。それを貴方達にお願いしたいのです』


『なんで俺たちに?』


『一つ、国や人のしがらみが我々と比較して極端に少ないこと。二つ、悪魔や魔女について他に比べて実体験が非常に多いこと。これらの理由から貴方達、ひいては水の都アトラティカの一件に関与したクリジア・アフェクトへの依頼という形を取りました』


アビィの言い分は理解できた。


国のしがらみ、特に国際組織の一角を担うマギアス魔導評議会ともなれば、下手に他国への動きを見せればそれだけで戦争の火種になりかねない。


加えて、先程話された危険な魔法を有する悪魔や魔女、魔具に関わるのならば、経験が他より少しでも多いに越したことはない。下手に人員を割いて話を大きくしたところで、多額の資金と数多の命を一瞬でドブに捨てる結果になる確率の方が高いだろう。


『……それで?どんな特級魔具なわけ?』


アビィは相変わらずの無表情のまま一つ息を吐いてから口を開く。


『その特級魔具の名は"腐敗の魔女"。鎖された地"ワノクニ"にて記録されたとされる魔女です』











特級魔具・腐敗の魔女。


ワノクニにおける大量魔殺事件の原因とされ、報告書のみの提出のため詳細は不明だが、死者522名、重軽傷者1428名の甚大な被害を及ぼした未知の魔法を有する。


魔法に曝露した被害者は皆腐り落ちていたとの報告があり、世界協議においてこれを『腐敗の魔女』と任命。なお、現状報告書の真偽は不明である。


広範囲の魔法効果であり、僅かな時間で大規模な殺戮を行える魔法であると推測されることから、これを特級魔具とする。


『……というのが、現在の情報です』


『いやこれ近寄ったら死ぬよね!?』


アビィが手にした報告書と思しき紙を読み終えた直後に、私は相手が世界有数の権力者であることを忘れて叫ぶ。


この話が仮に全て事実だとすれば、今頃ワノクニは。そこまで考えて私は『あれ?』と声を出す。


『気がつかれたかもしれませんが、これが全て事実であるのなら、今頃ワノクニは死の大地と化しているでしょう。そもそも報告書が上がってきてるとも思えません』


『そうだよね、私も今そう思った』


『けど、ワノクニの物品は数は少ないにしろ今現在も流れてきている』


アビィは『仰る通りです』と頷き、魔術鞘から紙と万年筆を取り出すと、サラサラと図解を書きながら話を続ける。


『ですので、大きな目的の一つは腐敗の魔女の存在の真偽の確認。これが偽ならその時点で終了です』


『真だった場合は?』


『現状確認と魔法の危険性についての調査が必要となります。伝聞通りか否か、制御は効くのかなどですね』


私とエルセスさんは成程と頷きながら話を聞いていく。正直、私は若干わかってないが、エルセスさんはこういうのは得意なので心配ないだろう。


エルセスさんがアビィの書いている図解に指を置いて『ちょっといいかい?』と話し始める。


『仮になんだけど、伝聞通りだった場合のそっちの目的はどこになるのかな』


アビィは『ふむ』と言って、少し考え込むような仕草をして、もう一枚紙を取り出してサラサラとそこへペンを走らせる。


『少し話は逸れますが、我々魔導評議会はあくまで世界連合の魔法管理組織です。組織の利益になるものは利用し、不利益になるものは排除する。ご大層な理念思想はあれど根幹はここです』


『トップがそこまでぶっちゃけて良いんだ』


『言わないことで何が変わるわけでもありませんから』


澄ました顔をしながら、アビィは淡々と吐き捨てる。生真面目というより無機質に近く、道具のようだと思っていたが、こういうところを見るに案外ミダスさんとかに似たところもあるのかもしれない。


『つまり、組織に属さない者には可能な限り力を与えず剥奪したい。というのが世界連合としての意見になります』


『自分たちの仲間以外はどうでも良いと?』


『自由を主張するための責任を果たせないのなら、不自由を享受し団体に属せというだけです』


『ははは、おっかないお姫様だな』


エルセスさんは大袈裟な身振りと併せて笑う。これに関しては私もアビィのことを怖い人だとは思うが、考え方としては間違えてないだろう。


自由を主張するのなら、その主張を押し通す必要は出てくる。今回はそれが連合の加盟国と非加盟国で発生するというわけだ。


『そういったしがらみも含めてですが、私としては着地地点は保護及び確保、回収としたいところですね』


『人命の尊重はしたいってわけ?』


『いいえ。知識や経験の損失はその先の選択の損失ですから。私は可能な限り物事の選択の幅は多く残したいというだけです』


あっさりとした人命軽視に、清々しさすら感じた私は、呆れ混じりの笑い声を溢す。アビィはそんなことは気にせず『庭木も枝葉の伸び方をある程度は木に任せるでしょう』と続け、まるでそれ以上言うことはないとでも言うように紅茶を口に運ぶ。


『脱線してしまいましたね。依頼内容について再度整理してお伝えします』


アビィは初めに依頼の流れを図解していた方の紙を取り出して、続きを書き始める。


『一つ。先程もお伝えした通り、腐敗の魔女の真偽の確認。偽ならばこの時点で終了します』


『真だった場合は、腐敗の魔女がどんなもんなのかってのを調べて報告すれば良いんだよね?』


『はい。それが二つ目ですね』


アビィはペンを置き、私達の方へ紙を寄せる。紙には依頼の流れが記されており、結果に応じてそれが成された場合の報酬額が記載されている。


『そして三つ目。腐敗の魔女が伝聞通り、またはそれ以上だった場合。可能であれば無力化及び確保、状況によっては対象の破壊をお願いします』


『対象の破壊って……』


『魔女の魔法は人間という容器に入った未知の魔法です。"腐敗の魔女の破壊"が目的ですから、魔女の依代である人間そのものを殺さない手段があるのならばそれでも構いません』


アビィの発言に、私は『ああ、この人しっかり頭おかしいな』と内心で毒吐きながら、国やら世界やらを見る以上はこのくらい冷たくならないといけないのかもしれないなと、自分を納得させようと色々と考えていた。


エルセスさんはアビィが一通り話し終えたことを確認して、一つ息を吐くと、姿勢を正してから口を開く。


『俺たちに、というかクリジアに断る権利は?』


『便宜上ありますと言っておきますが、気休めにはなりますか?』


『ちょっと待って?私に断る権利ってないの?』


エルセスさんは『やっぱりそうか』と言ってため息を吐き、アビィは『その通りです』と言って頷く。


『貴方がアトラティカの件について秘匿したいことがある事は理解しています。これは提案ですが、世界の司法の暗いところなどあまり見たくはないでしょう』


この提案は脅迫だ。


流石に私でもすぐに理解できた。おそらく、悪魔についての情報を隠したとか、主犯の協力者にされるとか、下手をすれば水の都の襲撃犯に仕立て上げられることもあり得る。


『我々が欲しいものは常に知識と情報、そしてそれを集める都合の良い駒です。提案に賛同してくださるのならば未開の地であるワノクニへの一手として貴方を利用したい』


『いよいよ隠す気なくなったね』


『意味のないことに割く労力ほど無意味なものもありませんから』


依然として表情を変えず、淡々と言葉を並べていくアビィに対して、エルセスさんが大袈裟にため息を吐いて、ガシガシと頭を掻く。


『ミダスが俺に応対頼んだのは正解だなぁ……あいつだったら反抗して話蹴ってたかも』


『貴方達の頭領ですか。思慮分別には向かない方で?』


『仲間想いが過ぎるだけ。あんたみたいな冷血さんと違ってね』


エルセスさんが珍しく皮肉を言うが、アビィは皮肉に気が付いているかも怪しい様子で短く『成程』とだけ頷いた。


私としてはこの話を受けないという選択肢はほぼない。癪な話ではあるが、仮にここでムカつくからという理由で話を蹴ったとして、私は評議会で拷問にかけられるか魔法研究の礎にされ、それだけではなくレヴィやイラさんにまで迷惑が飛び火するだろう。


これまでの話を整理すると、この依頼は初めから相談ではなく命令であり、提案ではなく脅迫をするためにわざわざ最高権力者自らが足を運んできたというわけだ。


『まあ、逃げ道ないって話なら受けるけどさ』


『ありがとうございます。話が拗れることがなく助かりました』


『よく言うぜ』とエルセスさんが吐き捨て、私もそれに同意する。何を考えているのかわからない人や、冷徹な人に会ったこと自体はある。それでも、この人ほど無機質で淡々としてはいる人はいなかったと思う。


私はせめてこのお堅い権力者様の顔を動かしてやりたいと思い、少しだけ挑発するようにして口を開く。


『けど良いの?私らみたいな傭兵じゃ、ワノクニで暴れて大量殺人とかしたりするかもよ?』


『構いませんよ』


『構いませんて』


『非加盟国ですし、我々の不利益になることはないですから。そう言った意味では、貴方も気を使う必要はありません。目的以外の生死は問いませんし、報酬に影響もしません』


言葉を失い、引き攣った顔のまま固まる私に、アビィは『そういった心配があるのかと思っていましたが』と言って少しだけ首を傾げる。その姿を見て、これ以上この人を相手に何か抵抗をしようとする気は完全に失せてしまった。


そこからは依頼についての細かい説明を受けた。


実在するかどうかもわからないものを、現地に行かずに報告されたら困るのでということで、私を監視できる魔具を渡される。なんでも視界を共有できるような魔具らしく、腐敗の魔女の真偽や危険性などは評議会が、というよりはアビィ本人が判断するらしい。


『成程、これで監視もできるってわけだ』


『そうですね。後程お礼代わりにお譲りしましょうか』


『あー、貰えるなら助かるかも。これ非売品?』


『はい。評議会というよりは、マギアスの技術です。何かと貴方達のような方には役立つでしょう』


魔法技術についてはやはりとんでもないものを持っているなと、私は感心した。アビィはそんな私たちの様子には目もくれず、魔具についても一通りの説明を終えると『最後に……』と切り出す。


『ワノクニへは密入国をすることになります。さほど難しい話ではないと思いますが、お気をつけて』


『船出たりしないの?アレも島国だよね?』


『我々の所有する船だと出本がわかってしまいますからね。ワノクニに出入りする数少ない船は調べてますから、そこにうまく転がり込んでください』


『そういうとこは雑なのなんなんだよ』


『普通はやらないだろう、というような行動の方が捕捉されにくいものです』


珍しく、というより初めて少しだけ得意気な顔をしてアビィは言う。私は思わず吹き出しそうになり、慌てて顔を逸らしたのだが、エルセスさんが大真面目な声で『顔動くんだなあんた』と言うものだから耐えきれずに吹き出した。


アビィは幸い、全く気にしていない様子だった。エルセスさんの皮肉にも気がついていないようで『仮面ではないのですから当然です』と返していて、それも面白くていよいよ笑ってしまった。


もはや遠慮なしに笑っていたのだが、アビィはそれも気にすることなく一つ息を吐いてから口を開く。


『さて、私からの依頼は以上になります。ワノクニへの入国は三日後、何か諸事情があった場合はご連絡を』


アビィはそう言うとスッと席を立ち、軽く身支度を整えてから出口へと向かい始める。


『連絡に関しては俺からするよ。よろしく、鉄仮面のお姫様』


『わかりました。……ああ、そういえば。お見送りの際は室内からで大丈夫ですよ。外に出ると猫が貴方の頭を踏んでしまいますから』


『猫?なんの話?』


『少し未来の話です。それでは』


アビィは戸を開き、そのままスタスタと歩いて行く。エルセスさんと私はアビィの去り際の発言の意味がわからずに、開いたままの戸を見ながら首を傾げていたが、ちょうどそこに猫が降りてきて『にゃお』と短く鳴いてから、走り去っていった。


『……普段通りに見送ってたら、確かに頭に降りてきてたな。あの猫』


エルセスさんがそう呟いたのを聞いて、私は少しだけ背筋が寒くなる。


もしかしたら、思った以上にとんでもない人間に目をつけられたのかもしれないと、頭を抱えた私を慰めるように、エルセスさんが撫でてくれた。














怖い。


何故とか、何がとか、そんな細かい話はなくて、きっと生き物なら誰もが恐怖する。


『なんでこんなことになったんだ?』


一人女を殺すだけで遊んで暮らせる金が手に入ると言われてここにきた。


無力な魔女だと言われていた。


怖い。


ぐしゃりと、嫌な音を立てて俺の横に何かが落ちる。それが昨日まで同じ釜の飯を食った奴だと理解して、胃の中身をぶちまける。


怖い。


腐り落ちる肉、蝕む黴、朽ちる骨、溢れる血、俺たちは常にそれを恐れている。


鼓動が、時間が、流血が、運命が、骨肉が、歴史が、生命がそれを覚えている。


怖い。


崩れていく、壊れていく、人間から、自分から別のものへ。


悪意と憎悪が渦を巻き、命を喰らっていく。


死が迫ってくる。


怖い。






『凡て死ね』







恐怖はもう、感じなかった。



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