17話 守りたいもの

いつか見た御伽噺だ。


悪い怪物がやってきて、世界が大変なことになる。


その怪物をやっつけて、みんなを助けるヒーローがいる。


そんなヒーローになって、私は私の好きなものを守りたかった。本当にくだらない、よくある幼い頃の夢の話。






『待ちやがれ化物!!』


私は今、水の都を全速力で駆けている。


ブァレフォールを見失ってはいないが、私が追いつけるかどうかはギリギリの瀬戸際だ。しかし、私が追いつけなければそれだけで何人かは確実に死ぬだろう。


『くそッ……!私には興味すらなしかあいつ……!』


私は舌打ちを一つして、さらに強く地面を蹴る。ブァレフォールの分体は、変わらずにフォカロルの嵐に見舞われた街の人達が避難している神殿へと向かっている。当然のように、私の声には反応すらしていない。


直後、背後から轟音が響き、私は振り返る。


『なんだよあれ……』


目に飛び込んできたのは、巨大な赤子のような生物。スレヒトステで見た亜人にサイズは似ているが、明らかにこの世の生物の形をしていない異形だった。建造物をほとんど意に介さず、真っ直ぐに神殿を目指している。


人殺しなら得意だが、あんな化物を相手にするのは私には無理だ。加えて目の前には悪魔がいるとなると、私一人で神殿の防衛をどうにかするというのは不可能に近くなる。


私は即座に、通信魔具を手に取った。


『ミダスさん!!緊急!!』


『うおっ、何事だよ』


『悪魔に加えて化物の群れが水の都襲ってて!私軸にしてフルーラさんの門開けない!?私じゃこれ全部は無理!!』


『……ソニムとスライは今別所でいねえ。悪魔寄越す話になるぞ』


『その方が助かるかも!なるべく守れる奴でお願い!!』


『わかった。少し待て。なるべく死ぬなよクソガキ』


そう言って、ミダスさんが通信を切る。あの人は本当に話が早いなと感謝しながら、私は目の前の悪魔へと意識を戻す。


でかい怪物については私がいくら頑張ってもどうにかなる話ではない。幸い足は遅いようだし、神殿へ辿りつくにはかなりの時間を要するだろう。それまでには、フルーラさんの悪魔が来てくれる。


『私たちはあいつを足止めすりゃ勝ちってわけだ!ダンタリオン!!』


『足止めだけでも相当苦労するだろうけどねあんなん!!』


ダンタリオンがそう言いながら、ブァレフォールへ向かって適当に魔法を放つ。炎と雷、リアンとリオンでそれぞれ得意な魔法まで異なる二人が放ったそれは、ブァレフォールに直撃はせずとも、行手を遮り、足を止めをするには十分だった。


ブァレフォールは足を止め、ぐるりとこちらを首だけで振り返る。その姿は"人の形に近い"などと言われている悪魔とすら思えない、不気味で悍ましい姿で、止めたのはこちらだというのに、少したじろぐ。


『邪魔するなよ、人間』


『邪魔するだろ、化物』


ブァレフォールの表情は、相変わらず理解できる物では到底ない。ダンタリオンにもこいつの中身は読めない以上、何を考えているのかを知ることは基本的にないだろう。


首に遅れて、身体も私の方へと向き直る。ひとまずは意識をこちらに割いてくれたようだ。避難中の人影は見えないし、神殿までもまだ距離はある。時間稼ぎにはもってこいの状態だ。


『あとは私が死なないだけってわけか』


フルーラさんの門は、万能とは言えど少しは時間がかかる。座標点移動だとか、どこに飛ぶのだとかに関しては、フルーラさんの調節以外に絞れない。それ故に除け者の巣のメンバーは全員がフルーラさんに魔力の質を覚えられている。


魔力の質、というのは正直よくわからないのだが、個々人で魔力の雰囲気か何かが異なるらしく、それを道標代わりにしてフルーラさんの現在地と私たちの現在地を繋ぐらしい。そういった理由で私の魔力を辿るのに多少時間がかかる。加えて私が死ぬと導自体がなくなるのでゲームオーバーだ。


『……分体ってどんくらいやばいと思う?』


『私たちが二人になるのとはわけが違うから全くわかんない』


『だよねぇ。弱いといいな』


『弱かったら立ち止まらないと思うよ』


ダンタリオンの正論に私は『そりゃそうだ』と苦笑いで返す。刀を構え、一先ずは目の前の悪魔をどう足止めするのかだけに意識を割くことにした。


『邪魔するなよ。なんで邪魔をするのかな。何を邪魔されたんだっけ?なあ人間』


『そのまま忘れちまえよ』


『赤青、悪魔かな。悪魔だ。一緒にいるのは僕と同じだね』


『私たちとお前を一緒にすんな肉団子』


『酷いなァ』


ゲラゲラと、笑い声がブァレフォールから響く。しかし、表情に変化はなく、笑っているのは頬や額に無造作に現れた裂け目だ。口を模しているようにも見えるが、その穴の奥に眼球が覗いていたり、指と思しきものが見えたりと、ただ一つとしてまともな形のものがない。


ブァレフォールが自分の腕を掴み、自身の腕を刃物のように変化させる。自分の身体を引きちぎって増やせるのだから、それくらいできても当たり前な気もするが、見た目も相まって不気味だった。


『何も知らない。知らないよね?知らないはずだ。殺そう。そうだ、そうだっけ?まあいいか』


『まあいいかで殺されてたまるかよ』


ブァレフォールが私へと駆け始める。私は内心、斬り合いならまだなんとかなるという気持ちと、うまく気を引けたことに安堵した。


刃と化した腕をブァレフォールが振り被り、その瞬間に私がその腕を斬り落とす。ダメージがあるのかは知らないが、そのままもう一撃を顔面に叩き込んだ。


その顔面の切り口から、無数の瞳孔が私を覗く。


『譯亥、門シキいなあ』


直後に足元が槍のように変化し、迫り上がる。私は慌てて飛び退いて、服の裾を破られる程度で済んだ。


『手で触れなくてもいいのかよ!』


『邪魔だなぁ、邪魔だよなあ。そうだよな』


ブァレフォールの腕が直り、直った側から形が溶けるように乱れ始める。あの不安定な形は、まるで腐乱死体のような、腐った肉塊が無理矢理形を保とうとしているようで全く慣れない。崩れ、直り、また崩れる。それを繰り返しているにも関わらず、目の前のそれは全く意に介さないのも一層不気味だ。


『ああ、そうだ。良くないぜ、そうよ。嫌だなぁ。羨ましいよ、何でだろうな。なあ王様』


ずるりと、一際大きくブァレフォールの腕の形が崩れ、掌が地面へと触れる。


『お前は王様じゃないよな』


地面が蠢き、人のような塊が生まれる。歪で不気味だが、かろうじて人の形だ。


『あいつのせいなんだろ』


ブァレフォールが私を指さすと同時に、作り出された肉人形が私に向かって、声とも呼べない音で叫んだ。


『気色悪っ……!』


お世辞にも人間ではないが、人に近しい形をしているのは幸いだった。私は元々、化物だとか魔物だとかの相手をするより、人間を相手にする方が得意だ。目の前の肉人形は人間の形をある程度守っているし、切断してしまえば動かなくはなるだろう。


悲しいことに、不本意だが私の通り名は"辻斬"だ。人の形をしたものを斬り伏せていくのは慣れている。実際のところ、通り名は可愛くないから嫌いだが、人斬りは大得意だ。


『デカイやつじゃなくて良かった』


人を殺すのは簡単な話だ。首と頭が離れれば良い。悪魔みたいに殺し続ける必要もないし、魔物のようにどこを斬れば良いのかわからないとか、そもそもデカすぎて斬れないとかが発生しない。


飛びかかって来る人型の異形を、すれ違いざまに斬り捨てるのを繰り返し、ブァレフォールへと駆け寄っていく。首を斬り飛ばせば動きは止まるし、武器代わりに変形していた腕さえ斬り落とせば大した脅威にはならない。


スルスルと肉人形の群れを抜け、私はブァレフォールの脚を斬り飛ばす。感触は人のそれではなく、腐った肉のようで気色が悪い。


『痛いなぁ』


斬られた脚は、元の形ではなく揺れる身体を支える為に乱雑に直される。ズルズルと流動的に動くそれは、次第に脚を象っていく。


『待てって言ったろ、化物』


『そんなに邪魔したいの?俺を。何か理由でもあるのかな』


『有り余るだろーが!!』


直りかけた脚と一緒に、乱雑にブァレフォールを斬り刻む。悪魔はとにかく殺して削る以外に対処法はない。正確に言えば契約者を殺すのが何より早いのだが、契約者の姿が見えない時点でそれは無理だ。


斬り刻まれたブァレフォールの破片は、一部は霧散したが、殆どが各々に肉を伸ばして一つに戻り、繋がりかけている状態で私へ手を伸ばす。


『ッチ!化物も大概にしろよ!!』


触れられれば即死な以上、私は飛び退き、手に触れられることなく退がる。


『ダンタリオン、見れそう!?』


『ダメ!見ようにも意味不明すぎる!!上下左右逆さまの怪文書を縦読み横読み入り乱れて読んでる気分!!』


『つまり今回お前らはほぼ役立たずってわけね!!』


『言い方考えろよてめえ!!そうだよバーーカ!!』


ダンタリオンの魔法は、相手の心を"見る"ことで"読む"魔法だ。相手の思考回路を読むのはもちろん、幻覚を見せるにしても相手を読む必要がある。理屈に関しては詳しくないが『好きな幻を見せている』のではなく、『相手の心の中から幻覚を引っ張り出している』からというのが理由らしい。


漠然とした恐怖、トラウマ、目の前のことへの執着、先入観、経験則、その他あらゆるものを心の中から読み取り、心を弄り現を蝕む魔法。それがダンタリオンの"心握"の魔法だ。


逆に言えば、心を読めなければ何もできないというわけなのだが。


『んーーーーー、本当に邪魔だなぁ。君』


『そりゃどうも。光栄だよ』


パキンっと、虚空に綺麗な切れ目が入る。


私の背後に、魔法陣のような模様が浮かび上がり、切れ目を中心にして扉が開いていく。私に取っては見知ったもので、私たちが勝つための最強の一手。フルーラさんの"門"だ。


『これからもっと邪魔してやるさ』


カッコ良いヒーローのような、自分自身の力ってやつではないが、私の役割はこれで果たされた。時間を稼ぎ、依頼された民を守る為の力をここに呼ぶ。十分すぎる成果だろう。













『驍ェ鬲斐r縺吶k縺ェ』


ブァレフォールの腕が変形し、伸びて何かを掴んでいる。私の頭上を、膨張し肥大化した腕が通り過ぎている。ぐしゃりと音が鳴ったのを理解して、私は門を見る。


『嘘だろ……』


門は気色の悪い肉塊に変貌し、ピクピクと得体の知れない臓物のようなものが脈打っている。中を通ってこちらへ来るはずの悪魔の姿は勿論なく、すでに門ではない何かに変えられてしまったということなのだろう。


呆然とする私を呼び戻すように、通信魔具の呼び出しが鳴る。


『おいクリジア!!門がいきなり閉じたぞ!どうなってる!?無事なんだろうなお前!!』


『うわっ、あ、はいはい!私は無事!!』


ミダスさんの声が響き、私はハッとして正気に戻る。現実逃避をやめ、頭を回す。油断してしまった。勝ったと思ってしまったのだ。


『敵の、悪魔の魔法で門が壊された……』


『んなことできる奴までいんのかよ。どうすんだお前』


『どうするもこうするも……!』


ブァレフォールが腕を戻し、私へ視線を向ける。その目には相変わらず感情らしいものは伺えないが、疎ましそうに私を見ている。そんな気がした。


そして、明確に何かを感じ取れるような視線が向いたのは初めてだった。


『そんなに嫌かな。嫌だよな。わかるよ。わかる、わかる?わかるのかな?どうでも良いか、そんなこと』


ゆらゆらと、不規則に揺れる異形の悪魔は、呻くように何かを呟いている。


『……とにかく、門なしだとまずいんだろ』


『それはもう』


『開ける状況を無理矢理にでも作れ。なるべく生きて帰ってこいよ。いいな』


『簡単に言いますよねミダスさん』


『生き汚いのは得意なんだろ。準備はしといてやる』


ミダスさんはそう言って、通信を切る。言い方はぶっきらぼうだが、割と心配してもらえているようだ。そんな事実に少し嬉しくなりながら、すぐに目の前の現実に意識を戻す。


ブァレフォールが門を破壊できる以上、こいつをどうにかしない限りは門が機能しないだろう。選択肢としては、私が一度逃げてブァレフォールの視界から外れるか、ブァレフォールを無力化してから再度門を開くかだ。


しかし、残念ながら前者は状況的に不可能で、後者は実現の可能性がそんなに高いわけではない。つまるところ、かなり厳しい状態だ。


『行かせないつもりなんだろ?違う?どうでも良いけどさ。どうかな』


『さあね。お前がなに言ってるのかわかんないし、興味もそんなにないね』


『悲しいな。僕は、僕?私、俺……あーーー。こんなに羨ましいのに。残念だよ、そうかもね。そうだなぁ』


ブァレフォールの腕がずるりと、溶けるように落ちる。掌が地面に触れた。


ボコボコと地面が変形し、人間の頭部のような瘤がいくつも現れる。その不気味な瘤の一つ一つに一本の線が入り、裂ける。


『縺薙▲縺。縺ォ譚・縺ヲ繧ゅi縺翫≧』


瞬間、悲鳴が響いた。


私のではないし、ダンタリオンのものでもない。当然ブァレフォールのものでもない。壮絶な悲鳴。絶叫としか形容のできないそれは、先程作り出された瘤から発せられている。


『助けて!!!助けて!!!誰か!!!嫌だ!!!助けて助けて助けて!!!』


あまりの音に私たちはたまらず耳を塞ぐ。助けを求める声のほかに、泣き声や悲鳴など、あらゆる音が混ざっている。心底気分の悪い話だが、これの狙いは理解できる。


動物の狩りをするときに、弱った獲物を餌にして、より大きな獲物を狙ったりする。血の匂いとか、悲鳴とか、そういうものは誘引材料になる。動物という枠組みには、当然人間も入ってくる。人間には理性なんてものがある分、こういった罠はさらに有効だろう。


優しい人と、勇敢な馬鹿は死ぬ。


幾多の殺し合いを、争いを、戦争を、見てきた中での私の考えはこれだ。そして、残念なことに人間というやつには案外、優しくて勇敢な馬鹿が多い。


『……っ!!ダンタリオン!!』


ダンタリオンが魔法を放ち、泣き叫ぶ瘤を破壊する。命などとも呼べない存在の割に、壊れる瞬間にはしっかりと断末魔まであげるのだから心底タチが悪い。


『人間がいればそれで良い。そうだよなぁ、そうだったっけ。まあ、良いか』


『チィっ!!頭狂ってんのか頭良いのかどっちなんだよ化物!!』


ギョロりと、ブァレフォールの胸元の巨大な目も、顔についた歪な目も、その全てが私を睨む。響く声は老若男女、まるで数十人に同時に話しかけられているような奇怪な音。それでも、今回は聞き取れた。


『勇敢なのか臆病なのか判らない君に言われたくないなぁ、人間』


同じ事を、違う声が音を揃えて言っている。めちゃくちゃな奴に、あらゆる人の総意だと言われてるようで気分が悪い。


というか、そんな事に関しては私が一番わかっているのだと心の中で吐き捨てる。とにかく一刻も早くこいつを、一時的にでも動けなくして、万一集まってきてしまった優しい人たちを守らなければならない。私はそう考えて、一気にブァレフォールへと詰め寄る。


『とにかくお前を止めれば全部上手くいくのは間違いないんだ』


ブァレフォールの首を目掛けて刀を振る。しかし、首には届かなかった。背に生えた奇妙な翼に防がれる。その翼は生物のような見た目に反して鋼のように硬い。


ブァレフォールは翼で私を払い除け、よろめく私を見据えてグニャリと笑った。


『もう遅い』


体勢を崩した私の眼前に、ブァレフォールの手が迫る。触れられたら即死の手。悲しいことに私にこれを躱す手段は一つもない。掠るだけなら死なない可能性はないだろうかと、せめてもの抵抗に顔を逸らす。


死の指先が私に触れる直前、目の前の地面が隆起し、ブァレフォールを突き飛ばした。


『クリジア!!大丈夫!?』


私を救った救世主の声がする。それは今、この場で一番聞きたくなかった声だ。


『ニコラッ……!!』


視線の先には、鮮やかな金の髪に、この国の海のような青の瞳。優しくて勇敢な良い人。その典型のような少女がそこにいた。


突き飛ばされ後退するブァレフォールが、私を見据えて嗤う。


『遅いって言ったろ』


ニコラの後ろに、数人の人影が映る。見知った顔はニコラとオロバスの二人で、他は知らない顔だった。おそらく、錬金術をはじめとして何かあった際に最低限戦える力がある人が集まったグループなのだろう。


しかし、最低限戦える程度でこの化物の相手をするのは無理だ。私はブァレフォールを睨みつけながら体勢を立て直し、なりふり構わずに叫ぶ。


『全員逃げろ!!悲鳴は罠!!戻れ!!!』


私の声とほぼ同時に、ブァレフォールが錬金術師たちへと距離を詰める。アモンよりは鈍いが、それでも常人に反応できるような速度ではなく、術師の女が顔を掴まれた直後に溶けた。


一拍置いて、悲鳴が響く。顔見知りが目の前で溶けて消えたとなれば当然だろう。問題は危機は未だに去っておらず、今その手の届く範囲に全員の命があることだ。


『くそっ!!だから逃げろっつった!!』


どうにもならないことは知っていた。それでも口を衝いて出る言葉というものはある。


私はブァレフォールを追う。奴は今、私には背を向けている状態で、新しくこちらへ来た人間に意識を割かれている。一先ず派手に損傷させて、周りが逃げる時間を少しでも稼ぐ。そう考えた。


『君は優しいなあ』


ぐるりと、ブァレフォールの首が真後ろを向き、私と目が合う。一歩遅れて、ブァレフォールの腕が、自身の背を突き破る形で私に迫る。飛びかかる形になった今、避けるには空を蹴るしかない。残念ながらそんな能力は私にはないが。


『焦んなバカ鈍色!!!』


ダンタリオンが私を掴み、引き倒す形でブァレフォールの手から逃す。


『助かった、サンキューバカ悪魔』


『悪口返す余裕あんなら焦って飛び出すのやめてもらえる?』


『それは本当にごめん』


ブァレフォールが気色の悪い音を鳴らしながら、自身の形を直してこちらへ向き直る。周囲の人間は未だに逃げられてはいない。ブァレフォールはぐるりと辺りを見回し、再び地面を変化させようと掌を地面へ近づける。


掌が触れる直前、地面が槍のように競り上がり、ブァレフォールを貫いた。


『縺翫≠?』


『みんな逃げて!!私とオロバスでなんとかするから!!』


ニコラが叫ぶ。状況から見て、地面の槍はニコラの錬金術だろう。やはり他の術師と比べても凄まじいものなのだろうが、今の問題はそんなことではないと、私はニコラへ向かって叫ぶ。


『逃げてじゃなくてお前も逃げるんだよバカ!!』


『天才錬金術師に向かってバカとは何よあんた!!』


『ふざけたやり取りしてる場合じゃないんだっつの!!』


『実際クリジア助かったでしょーが!!』


ギャイギャイと言い合う私とニコラに、オロバスがため息混じりに『落ち着いてください』と声をかけてくる。落ち着いていられるかという気持ちしかないが、私が文句を言う前にオロバスが言葉を続けた。


『どちらにせよ罠に掛かった以上、手を打たなければ全滅です。協力してください』


『そうは言ってもさあ……いや、わかった。ニコラみたいなタイプが言って聞かないのは知ってる』


『わかってくれて助かりますクリジアさん』


『オロバスも私のことバカにしてない!?』


憤るニコラをほどほどに流して、私たちはブァレフォールへと向き直る。ブァレフォールは串刺しになった身体の一部を引きちぎり、無理矢理脱して形を直し始めていた。


『……死んでも自己責任にしろよ。私は他人守らないからね』


『ニコラは僕が守ります。できることはそれくらいでしょうから……』


『それで良いよ。他の人らはとりあえずこの場を離れることまではできたっぽいし』


ちらりと視線を移して私は言う。一先ずは誘い出された人間全員が死ぬような事態にはならずに済んだようだ。一人死んだだけで済んだのだからよかったと思うしかない。


『ねえ、あっちの巨大な化物はどうするの?神子様頼り?』


『私がフリーになればどうにかできる。けど、まずは目の前のをどうにかしないと』


『とにかくあいつが邪魔ってわけね』


息巻いているニコラを『喧嘩慣れしてないんだから無茶すんな』とため息混じりに諭す。判断や思考については聡明な方なのだろうが、これ相手に立ちはだかる辺り少なくともニコラが勇敢な馬鹿なことは間違いない。私も人のことを言えた義理ではないのだが。


ブァレフォールはキョロキョロと周りを見回し、ため息を吐くように項垂れて、そのままの姿勢でニコラを指さす。


『ああ、人間が減った。悪魔もいるのか。どうでも良いか。知ってるかな、人間の悪魔の作り方。白い鳥が来ただろ』


『なんの話か知らないけど、人にモノ聞くなら礼儀くらい大事にしたら?』


『知らないなら要らないか』


ブァレフォールが地面に手を伸ばす。その手が触れる前に、再び地面が隆起しブァレフォールを突き刺した。


『ははっ、カッコつかないことに頼もしいぜ錬金術師!』


『どういたしまして!』


串刺しになったブァレフォールを斬り刻み、修復が始まるタイミングで、私と入れ替わるようにニコラが錬金術で追撃を仕掛ける。


ブァレフォールは流石に堪らないといった様子で飛び退き、私たちから大きく距離をとった。その様子を見ていたダンタリオンが首を捻る。


『あいつ、なんで自分の魔法で錬金術の槍を溶かしたりしないんだろ』


『……言われてみりゃ確かに。最初も身体千切るようにして抜け出してたな』


距離をとったブァレフォールが、私たちへ地面を変化させた鉄塊のようなものを伸ばす。触れたものを好きに変える魔法故の芸当だが、それなら尚更ダンタリオンの疑問の答えがわからない。


そんなことを考えつつ、攻撃を避けようとした私の前にオロバスが立ち、手を前に向けた。しかし、何かを放つわけでもなく、ただ手を前に向け続けている。


『おい!避け──




オロバスの手にブァレフォールの攻撃が触れた瞬間、鉄塊が溶けて消えた。


ブァレフォールの魔法と、全く同じように。




『触れなきゃいけないから、流石に少しは削れるか……』


若干形の欠けた手を直しながら、オロバスが私たちに向き直り『無事ですか?』と笑いかける。


『今のって……』


『ええ、アレの魔法です。僕の魔法は"模倣"でして』


控えめに、謙遜するようにオロバスは笑う。全く謙遜する必要のない魔法な気はするが、気質とかの問題なのだろう。


『どうやら触れるものを事前に決めておかないと変化させることができないようです。不発した後は一度起点を離す必要があるみたいで、先程は地面が"変わった"から槍を溶かせなかったんでしょう』


『特徴までわかるわけ?めちゃくちゃ便利じゃん』


『あはは、真似事以外はできないんですよ。本物には出力も劣ります』


『十分すぎるくらいだっての』


オロバスの話を鑑みて、今の状況を整理すれば私たちの勝率は格段に上がったと言っても良い。ブァレフォールの魔法は錬金術との相性が極端に悪い。加えて最低限の攻撃の思考はダンタリオンで読めるし、オロバスとニコラで向こうの魔法を封殺しながら動くことが可能だ。向こうが100%の状態なら話は別かもしれないが、分体である以上ある程度は楽だろう。


ブァレフォールは驚愕したような顔をしたまま、ニコラを目掛けて飛びかかるが、それをオロバスが庇うようにして抑える。


『俺と同じ魔法?おかしいな、誰だよお前。僕?私?違う、違うなら変だな』


『以後はないことを祈りますが、オロバスと言います。お見知り置きを』


オロバスからブァレフォールが離れ、ブァレフォールが自身の腕に触れる


その瞬間、ダンタリオンが叫ぶ。


『全員伏せ!!!』


その声に弾かれるように、私たちは地面へ伏せる。


『とにかく邪魔だ』


ブァレフォールの腕が伸び、薙ぎ払うように振り抜かれた。周囲のものを切り裂きながら振り抜かれたそれは、ダンタリオンの警告がなければ私たちを上下に分けていただろう。


しなるように振われた腕は、元に戻されることなく再び私たちを目掛けて振り下ろされようとしていた。


『クリジア!アレ斬り落とせる!?』


『任されてやるよ錬金術師!』


私は低い姿勢のまま駆け始め、その瞬間にブァレフォールの片足を突き上げるように地面が動く。ブァレフォールはよろめき、その隙をついて私が変形した腕を肩から斬り落とす。


『君ら、邪魔だな。本当に邪魔だ。なんで邪魔を?邪魔だ』


『邪魔しなきゃ死ぬからだっつの!』


修復の始まったブァレフォールを蹴り飛ばし、無理矢理に距離を取らせる。触れられれば即死、加えて身体能力も並以上で、おまけに身体の形は不定とくれば、接近戦は極力避けたいのが本音だ。


私の攻撃手段が斬撃である以上、一切近づかないわけにはいかないが、隙を作ってもらって斬り刻むのを繰り返すのは有効だろう。現に私一人だった時も似たような戦い方で死んではいない。


そう考えていた。


『邪魔をするな』


ブァレフォールの頭だけが、私の横を過ぎる。何が起きたのか理解できず、それを追うように私は振り向いた。


頭からブァレフォールが修復され、ニコラの頭を掴むのが見えた。


『やめ──


『豁サ縺ュ』











『離せ化物!!』


ニコラの声が響く。


ブァレフォールがニコラの錬金術とオロバスの魔法で弾き飛ばされる。


『お前、人間じゃないのか?人間じゃ。化物か。同じ。少し違うか、どうやって作った。ヒトガタだ。良いなぁ』


ブァレフォールが顔を歪ませる。その顔は驚愕でも、怒りでもない。喜びや好奇心といったものが近しいように感じられるものだった。


『気っ色悪いわね!!あんたに教えることなんてないわよ!』


ニコラが叫びながら一歩踏み込む。直後にその足を起点に地面が次々と隆起し、ブァレフォールを剣山が貫き飲み込む。


ブァレフォールが短く呻き声をあげるとほぼ同時に、ブァレフォールを貫いた剣山が炎に変化した。痛みがあるのか、思い通りにならないことへの苛立ちからなのかはわからないが、老若男女の声が混じった気味の悪い音で、ブァレフォールは焼かれながら悲鳴をあげている。


『畳み掛けろ!!何もさせるな!!』


私はブァレフォールに斬りかかりながら叫ぶ。何かに触れなければならない魔法である以上、損傷が続けば何もできないはずだ。


私が斬り、ニコラとオロバスがブァレフォールの周りの物質を次々と変化させながら攻撃を続ける。修復が始まった側から破壊され、ブァレフォールは完全に身動きが取れなくなっていた。


『あ"っ……がぁ……』


まともな形を保てないまま、ふらふらとブァレフォールは蹌踉めく。ほとんど原型を留めていないその姿のまま、辛うじて立っている様子は、明らかに先程までよりも追い詰められているように映る。


もう一押し、あとほんの少しだった。


一瞬の切れ間、私たちが丁度、ほんの一呼吸分の切れ間を作ってしまったその瞬間に、ブァレフォールが自らの腰を叩き折り、上半身を落下させるようにして地面に触れた。


『お前だ、良いな。羨ましい、羨ましい、人間だ。羨ましい。化物のくせに、羨ましいぜ』


地面が砕け、流れるように滑る。おそらく、下層の部分を液体か何かに変化させたのだろう。突然地面の荒波に揺られ、私たちは全員転倒してしまった。それだけではなく、地面が砕けた影響で、ニコラを守れる位置に人が居なくなる。


オロバスが地面に触れ、すぐに地面は固定されたが、それよりも早くブァレフォールは飛び掛かっていた。


『羨ましいな』


ニコラはまだ立ち上がれておらず、咄嗟に地面から槍を作るが、その槍はブァレフォールによって溶かされる。


恐怖は人の足を竦ませる。明確な死の重圧など当然味わったことがないだろう。私には、今のニコラが逃げられないことが理解できていた。


『逃げろニコラぁ!!!』


私は叫びながら、ブァレフォールへ刀を投げる。少しでもずらせれば良い。遅らせることができればそれで良い。






私の刀は、ブァレフォールの頭部を貫いた。


ブァレフォールは地面へと倒れ伏し、辛うじて形を成していた脚部と思しき部位から、音もなく崩れ、霧散していく。






『あっ』






それと同時に、ニコラの身体が『ぐしゃり』という嫌な音と共に壊れた。


心臓部を圧壊するように、内側に向けて折り畳むように歪んだニコラの身体は、酷く無機質な音を立てて地面に落ちる。







『羨ましいよ、化物の、くせに』







ブァレフォールの身体は、ボロボロと崩れ、その全てが霧散して消え失せた。






『なんでだ』


オロバスがニコラだったものに駆け寄るのが見える。それが、ニコラが大丈夫ではないことを明確にしているようで嫌だった。


『なんでだよ』


音が遠く感じて、視界が狭まくなる。

何も聞きたくない、何も見たくない。




守りたいものがあった。




ヒーローになりたかったんだ。







『いねえよ、そんな奴……』


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