16話 異海の災禍

白い悪魔は空を流れていた。


目的を失い、空虚なままの白い悪魔は、ぼんやりと海を眺める。空は仄かに赤みがかかり始めてはいたが、青が迫ってくるような、空と海の間を漂うのが、白い悪魔は好きだった。


今の水の都を、神子の姿を見て、この抱えた憎悪を水底に沈めることを決めた。そう割り切ったと、自分には言い聞かせているものの、そう簡単にこの柵は崩れてくれるものでもない。だからこそ、何も考えなくても良いようにと好きな景色に浸っていた。


『……船くらいは、目に入るわよね』


白い悪魔はため息を一つ吐く。その目線の先には、水の都の船が一隻、海上を進んでいた。進路からして、国へと戻るところなのだろうと、悪魔は何気なしに船を見送る。


見送るつもりだった。


『何よ、アレは……!!』


その船は、甲板を溶けた肉塊が広がり、埋め尽くしたかのように変貌しており、そこには景色を眺めながら談笑する船乗りも、波を見張る航海士も、ただの一つの人影と呼べるものはなかった。


代わりに船に乗っている肉塊は、遠目からも蠢いていることがわかり、それが何らかの生物であることを物語っている。


白い悪魔は、咄嗟に『アレを沈めなければ』と考え、その手に風を纏わせようと構える。


しかし、魔法が機能することはなかった。


『魔法が……まさか、契約者に何かあった……!?』


白い悪魔は、南端の監獄に契約者を作っていた。囚人の一人を騙し、自らの目的のために契約の約束を結ばせたのだ。しかし、魔法が機能しない今、その契約者に生命に関わる何かがあったことは間違いない。


そして、あの得体の知れない船は、間違いなく水の都の真南から、真っ直ぐにあの国を目指している。


『っ……!!』


白い悪魔は、舌打ちを一つして、南へと急ぐ。異常な胸騒ぎと、すでに鼓動すら無い胸が早鐘を打つような感覚に襲われながら、空を駆けた。









水の都は、ざっくりと言うと円形の国だ。神殿を中心に、その周りに街が広がっている。


私たちが復興作業をしていた街からそう離れていない位置、国のほぼ真南に位置する港町に、文字通りに船が突っ込んでいた。


『なんでこんな……!』とレヴィが驚愕の声を上げる。周りの様子を見るに、パニックになっている住民も見受けられるが、現状は船が突っ込んできた以上の異変は見られないようだ。


『一先ず住民の避難だ。神殿へ急がせろ、軍もすぐに合流してくれる』


『傭兵に軍部のこと戦争以外で手伝わせんなよ!!異常事態かもだしやるけどさ!』


幸い、街はフォカロルの件もあり、あまり多く人が残っておらず、すでに避難済みの人間も多かったようだった。目についた人に、神殿へ逃げろと声をかけつつ、私たちは船の元へと駆ける。


街へと突っ込み、座礁した船はかなり大型の船で、所々に水の都の国紋が見えるため、少なくとも船自体はこの国のもので間違いはなさそうだ。


魔法道具を動力源とした、帆を使わずに推進力を得るタイプの船で、その姿形を見るに、軍用やそれに伴う物資輸送船などの役割を担っている船なのだろう。簡単に沈められないようにというのはもちろんだが、技術の高さの誇示など、一見しょうもない意地の張り合いのような理由で、立派な設備を用意するのはよくある話だ。


問題は、それ程の船が何故、自国に突っ込んで座礁しているのかということだが。


『お、神子様にイラ嬢!なあこいつぁどういうことだい?』


ガタイの良い男性が船の周りに数人集まっており、そのうちの一人が私たちを見つけて声をかけた。


『状況は詳しくはまだわからない。私たちが対応するから、君たちは神殿の方へ避難してくれ』


『おうよ。ただちょっと待ってくれ、今一人中に入ってって様子を見に行った奴がいてよぉ』


『待て、船内に入った者がいるのか?』


男は頷き『ついさっきの話だがな』と笑ってみせた。怪我人がいないかとか、乗員は無事かを確認するためだろうが、先程の異様な通信を知っている私たちには笑えなかった。


イラさんが血相を変えて『すぐに戻らせろ』と言ったのとほとんど同時に、甲板からこちらを見下ろすような人影が映る。船のサイズもあり、本当に影しか見えないが、人影は手を振っているようだ。


『おーい』


顔は見えない。


『なんともねえみたいだぜイラ嬢』


『……無事なら良いんだが、とにかく早く戻るように言おう』


男が船の上の人影に向かって戻ってこいと声をかける。人影は変わらず、手を振っている。


『おーい』


『……聞こえてないんじゃない?』


『おかしいな。そんなに耳遠かったかあいつ』


男がもう一度、先程より大きな声で呼びかける。しかし、人影は変わらずに手を振っている。


『おーい、おーい』


『何か、様子がおかしくないかしら……?』


『おーい、おーい、おーい、おーい』


人影は手を振り続けている。


『おーい、おーい、おーい、おーい、おーい』


声が大きくなっていく。





『おーい、おーい、おーい、おーい、おーい、おーい、おーい、おーい、おーい、おーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーいおーい』




『どしゃっ』という音が響く。人が落ちてきた。私たちは、理解が追いつかずにその場に固まる。


どしゃっ、ぐしゃっ、ぐちゃっ


気色の悪い音が続いていく。


『おーい』


人が、肉が降っている。私たちを呼びながら、手を振りながら落ちてくる。


『っ……!!全員!!すぐに逃げろ!!!』


イラさんが叫び、私たちはその声で我に返る。私とイラさんは武器を構え、レヴィの前に立つ。男たちは『ひい』と小さく悲鳴をあげて、後退りしていた。中には、何人か腰を抜かしてしまった者も見受けられる。


人としての形を成していない、例えるなら肉人形のようなものが積み重なった肉塊の上に、一際異質なものが落ちてきた。


ぐしゃりと、肉の潰れる音がする。落ちてきたものの全貌は見えないが、巨大な翼のようなものが確認できる。翼といっても、フォカロルの持っていた鳥のような翼ではなく、骨と膜で構成されたような形状で、尚且つ私の知るどの生物の翼にも似つかないものだった。


『なんなんだよ……!』


『縺薙s縺ォ縺。縺ッ』


肉塊から、くぐもった声のような音が聞こえると同時に、最後に降ってきた異質が起き上がる。シルエットは、人間のそれに翼がついて、頭上に光輪が浮いているものだった。


外見は、正装の青年のように見える。しかし、明らかに人間ではないとも理解できる。肌の色は血が通っていない、まさしく死体のような色をしており、胸元には巨大な目が開いている。


しかし、何よりも異質で悍ましいのは、その一見人間に見える貌が、複数の人間をドロドロに溶かして混ぜ合わせ、また一つの人の形に無理やり戻したかのように、顔も身体も所々『間違えている』ことだった。眼球の数、口の位置、指の本数など、とにかくあらゆるものが曖昧でチグハグなのだ。


『縺ゅl?縺翫°縺励>縺ェ。謖ィ諡カ縺ッ髢馴&縺医※縺?↑縺??縺壹□縺代←』


老若男女、複数の声が同時に何かを喋っている。聞き取れず、言葉として成立しているのかもわからない。混乱し、恐怖する私たちに対して、目の前の異質は『おかしいな』と言いたげに首を傾げている。


嫌な汗が全身から噴き出すような感覚に、私は無意識に一歩後退りをする。それとほとんど同時に、ダンタリオンが嘔吐してフラつき、地面に手をついた。


『ダンタリオン!?大丈夫!?』


『大丈夫じゃないけどどーも……』


涙目で顔を上げ、ダンタリオンは目の前の異質を指さす。


『アイツ、一人で人混みみたいに中がぐちゃぐちゃしてる……感情も声も心も、何もかもが濁流みたい』


『どういうことだよそれ……』


『わかってたらこんなことになってないって……とにかく、さっきの白いのより断然やばそうなのは確かだよ……!』


ダンタリオンの言葉に、レヴィとイラさんは改めて身構える。


目の前の異質は、顔を手で覆いながら『あー、あー』と呻いているようだったが、唐突に天を仰ぎ、動きを止めた。


『あ、あ"ー。そうだ、これだった。これだっけ?どうだったかな。まあ良いか、うん。良いだろう。そうだね』


その声は、落ち着いた青年のような声だった。そして、それは初めて言葉として聞き取ることのできる音で、その分何故か不気味さが増している。


異質が私たちに視線を戻し、パーツが明らかにいくつか正しくないその顔で笑いかける。


『こんにちは。ごめんよ、混ざってしまった。気をつけてはいるんだ。僕は、私は?あたし、俺……あ、あー違う違う。挨拶、挨拶だよ。水の都、あってるかな。ここは』


独り言のような、会話のような、とにかく不気味で得体の知れない言葉の羅列。アモンとは異なる、言葉にならない恐怖から来る気味の悪い圧が私たちに纏わり付いている。


『貴方は、何をしに来たのかしら……?』


『白い鳥が来ただろ?混ざり物。人間の悪魔だ。話は聞いていたから。外に出られたら、俺は知りたかった』


白い鳥、というのはおそらくフォカロルのことだろう。だとすればこの異質は、フォカロルのことを知っていて、それに関わる何かしらの理由でこの国に来たということだ。


『あー、あ?そう、そうだ。困ってる。何百年……何千かな?ずっとあたし達は、俺たちは、僕には。形がないんだ。わかるかな』


ぼたぼた、ずるずると『形がない』という言葉の通りなのか、異質の身体は溶けているかのように、零れ落ちては直り、形が変わり、また溢れ落ちを繰り返している。


悪魔には肉体は無い。しかし、一応決まった外見があり、人間のふりをする時も、その形にある程度は引っ張られる。例えばダンタリオンは赤髪と青髪の少年少女のふりをできるが、リアンが金髪の青年にはなれないし、リオンが黒髪の美女になることはできない。


だが、目の前のアレはおそらく、そういった決まった形がない。最低限の人型の枠組みはあるようだが、絶えず自壊し、修復し、変貌し続けるその姿は得体の知れない恐怖感をさらに助長していた。


『私は、なんだっけ、ブァレフォール。それで良いのかな、我々は。良いはずだ、違った気もするな。僕は』


ブァレフォールと名乗った、異質な悪魔の纏う雰囲気が変わる。この感覚は知っている。身体の全てが"今すぐ逃げろ"と警報を鳴らし、突き刺すような恐怖が息をすることすら忘れさせる感覚。空が落ちてきたような重圧を、私は知っている。


『第六柱、羨望の祈りの願望機』


始まりの十本の一柱。悪魔の中でも特に強力な存在達の独特な重圧。


幸か不幸か、その中でも最強を私は知っている。むしろ、あれを知らなかったらなりふり構わずこの場から逃げていただろう。他でも無いその最強アモンが、私たちに語ってくれた。


『一から十の柱は悪魔の中でも特上品……』


『……どういう意味だ。クリジア・アフェクト』


『化物が教えてくれてね。十柱っていうんだってさ。まあ、つまるところとびきりの化物だって意味』


ブァレフォールが嗤う。グニャリと、歪としか形容できない表情で、それでも確かに嗤っている。


『僕は、君たちが羨ましい』


肉塊の津波が、私たちを呑み込もうと唸りを上げた。







蠢き、脈動する肉の波が迫る。


レヴィが咄嗟に水でそれを押し留め、押し返す。もしレヴィがおらず、アレに飲み込まれていたらどうなるのか、想像はしたく無いが、まあどう間違えても心地の良いものではないだろう。


『みんな無事!?』


『問題なし!あいつは!?』


『姿が見えんな……!』


私たちはレヴィを囲むように陣形を取って、辺りを見回す。その直後上擦ったような短い悲鳴が聞こえ、咄嗟にそちらへと振り返る。


『人間になりたいんだ。オレたちは。形が欲しい、羨ましいよ。人間』


ブァレフォールが逃げ遅れた男の首を掴んでいる。ガタイの良い大柄な男のはずだが、ブァレフォールは片手で軽々と男を引き摺り、私たちに向ける。男の顔は恐怖に引き攣っており、今にも泣き出しそうだ。


正直、私もあんなことになったらあんな顔になるだろうなと思いつつ、悪魔が人質なんて取るのかと身構える。


『た、たすけ……神子さままま"ま"ま"ぎゃあ"ばぎびゃびばげァ!!』


その刹那、男の体が捻れ、変形し、何本もの槍のように伸びて、私たちを貫こうと迫ってきた。


『はぁ!?なんだぁ!?』


『伏せろ!!』


イラさんが私とレヴィを抱えて地面に倒れ伏せる。肉の槍は、イラさんの服を少し引っ掛けた程度で、私たちには当たることなく、直線上にあった船に突き刺さる。


『……人の肉だよね、あれ。なんで鉄板ぶち抜いてんのさ』


『得体が知れんことしかわからんな』


私とイラさんは、引き攣った笑みを浮かべながら顔を見合わせる。笑っている場合ではもちろん無いのだが、人間はこういう時無意識に口角が引き攣って上がる。何度か経験したのでわかってきたことだ。


『とにかく、止めないとまずいわね……!!』


『それは間違いないな。君はどうする、傭兵』


『逃げられる気があんましないからさぁ、生き残るためにやってやるよ!そもそも海上国だし、逃げようにも檻みたいなもんだろもう』


『生きることに貪欲で良いことだな』


『生き汚さならお墨付きなんだよ、なめんな』


ブァレフォールが改めて私たちを見る。無惨に変形し、人としての形を留めていない男にブァレフォールが再度触れると、その瞬間に男だった物体は『ぱしゃっ』という呆気ない音を立てて、溶けるように、液体と化して消えた。


ふらふらと、焦点と数の合わない眼で私たち見つめながら、溶け崩れた自らの身体をずるずると引き摺って、ブァレフォールは私たちにゆっくりと歩み寄ってくる。


『君たちは知っているかな。人間になりたいんだ。白い鳥はここで生まれたんだろう?聞いたよ。契約者がいたんだ。いたんだっけ?いや、どうでも良いか。知ってるかな、人間の悪魔の作り方』


『悪いけど知らないわ』


レヴィが水鉄砲を放ち、ブァレフォールの身体を捉えた。この神子様は本当に肝が据わってるなと、私は変な感心をしながら、様子見を兼ねて一歩、前に踏み込む。


瞬間、レヴィの水が歪な鉄塊のようなものに変わり、そこから無数の刃が飛び出る。私は慌てて飛び退き、レヴィはイラさんに突き飛ばされる形で傷を負わずに済んだようだ。しかし、イラさんは左腕を突き出した刃に貫かれてしまったようで、顔を顰めている。


『イラ!!』


レヴィが青い顔で叫ぶ。


『大したことはない!私の身体は並より丈夫だ!!』


腕を引き抜き、イラさんは手際良く止血を済ませて、レヴィを背にして構える。神子の護人というのは本当に生真面目だなと思いつつ、私はブァレフォールが鉄塊へと変えた水を見る。


材質も質量も、明らかに鉄の塊に変質しており、水だったとは誰も信じないだろう状態だった。元あるものの形を変えるというのなら錬金術が思い浮かんだが、ニコラから聞いた話を踏まえるとそれもあり得ない。となれば、この異様な変形や変質が、ブァレフォールの魔法ということなのだろう。


『ダンタリオン、なんかわかったりしない?』


『読めないんだよ気持ち悪すぎて!!何百何千って数の人間同時に見てるみたいな感覚なの!!』


『細かくなくていいから!あの魔法使う瞬間とか何しようとしてるのかくらいでいい!』


『簡単に言いやがってよおご主人様め……!』


言いつつ、ダンタリオンはブァレフォールを見る。ブァレフォールは先程の鉄塊に触れ、鉄塊を炎そのものへと変えて消滅させた。


『……触れたものを好きに変える感じ、だと思う』


『マジでキツそうだね……』


『キツイんだって!多分アレ触れられたら冗談抜きで即死だよ。そこだけならアモンよりやばそ……』


青い顔でダンタリオンが言う。気分の悪さからなのか、恐怖感からなのかは微妙だが、とにかく相手がとんでもない存在なことは理解できた。


つまり、アレに触れられれば、元が何であったとしても全く別のものに変えられてしまうという事だ。アモンの炎も大概だったが、人が火傷をするのと人が炎になって消えるでは話が違う。後者は治療の可否を考える余地すらないのだから。


ブァレフォールは相変わらず、何を考えているのかはわからない様子で私たちを見る。


『遏・繧峨↑いか。莉悶の莠コ髢薙↓も聞い縺ヲ縺ソ繧医≧か』


聞き取れない声が再び響く。


ブァレフォールは唐突に自分の翼を掴み、それを引き千切った。


『は?』


引き千切られた翼は消滅せずに、その場に落ちる。悪魔の身体は、基本的に核から離れた部位は霧散する。アモンも、フォカロルも、もちろんダンタリオンだってそうだ。詳しくは知らないが、そういうものらしい。


それが消滅せずに残っているのも理解できないし、そもそも行動の意図が謎だ。


『繧ゅ≧蟆代@蠢必要ヲ√°縺ェ縲√o縺九i縺ェ縺?¢縺ゥ縲√∪縺ゅ>縺?d』


ブァレフォールが自分の片腕を千切る。翼に重ねるように放り投げ、その自分自身の断片に触れる。


混ざり溶け合ったその断片は、次第に形を成し、ブァレフォールと瓜二つの姿形をとる。そして、千切った腕と翼は修復され、元通りとなり、ブァレフォールの姿が二つになった。


『おい、悪魔はあんなこともできるのか?』


『いやごめん、知らない。私も今かなり夢だと思いたいよ』


目の前で起きた事態に、私とイラさんは一周回って緊張感のないやりとりをして、思わずといったように笑う。面白いとか、おかしいとかじゃなく、夢か何かだと思いたい逃避からくる失笑。それを嘲るように目の前の現実は動き始める。


『あー、あーー。また混ざる。わたしたちはやっぱり良くない。俺たちには形がない。形がないから、白い鳥が来たんだろ?いた場所になにかあるかもしれない。何もない、どこか人が多い場所、カケラで足りるだろ、人間くらい』


『カケラで足りるね。そうだよ、僕は。神殿、そうだね。人がいる』


ダンタリオンが血相を変え、私たちに振り返り叫ぶ。


『おい!!増えた方のアレ!!多分力の断片みたいなやつだけど、フォカロルのあれで避難中の人間狙う気だよ!!』


『そんなこと私がさせるわけ……!』


『神子はボクがやろう』


分断され、新しく作られたブァレフォールは、フォカロルが襲撃した街の方へと動き出す。それと同時に、元々いた方、おそらくは本体、というより力の配分が多い方がレヴィへと跳びかかる。アモンほど早いわけではないが、それでも人間ではほぼ不可能な速度での移動に、レヴィは当然反応できない。


レヴィの顔にブァレフォールの手が触れる寸前、イラさんがブァレフォールの腕を突き刺し爆破する。千切れた腕は今度は霧散し、消滅した。


『谿句ソオ、触れない』


『神子に指一本でも触れられると思うな、化物』


イラさんがブァレフォールを蹴り飛ばし、視線は敵から外さずに叫ぶ。


『クリジア・アフェクト!!除け者の巣への依頼だ!!報酬は言い値で聞いてやる!!』


『生きて帰れるならなんでもいいよ!!』


『一人でも多く民を守れ!!避難所を、神殿を死守しろ!!』


イラさんが叫ぶ。私は返事よりも前に、分離したあの力の断片を追い始める。


私の行手を遮ろうと、ブァレフォールは自らの腕を変質させて、引き伸ばし、肉片の濁流で私を呑もうとするが、レヴィの水をがそれを弾き飛ばす。


『お願いクリジアさん!!巻き込んでごめんなさい!!頼むわね!!』


『終わったら殴らせろ!!死ぬなよバカ神子!!』


ブァレフォールの横を抜け、私は断片を追う。


ブァレフォールは、特にそれ以上追跡や追撃をする素振りを見せずにレヴィとイラへと向き直り、自身の腕の形を直しながら嗤う。


『追い詰めれば良い。縋りたくなるまで、歴史、歴史は繰り返されてる。そうだろ?繰り返すことを望んでいなくても、ああ、王様。王様は見ている。繰り返すんだよ』


『何を言っているのかわからんが、これ以上この国に手出しはさせん』


『僕は人間になりたい。そのため、そのためだったかな?君たちを殺さなきゃ』


ブァレフォールが地面に手を置く。


地面がうねり、ぐちゃぐちゃと気味の悪い音を立てながら、異形を象っていく。それは脈打ち、皮膚のない剥き出しの肉が、辛うじて巨大な赤子のような形を保っている怪物だった。そんなものが数十体、地面から生み出される。


『そこらの人間くらい。足りるかな、これで。人間だしね』


怪物が神殿へと動き始める。動きは速くはないが、街も何もかも関係なしに、全てを踏み砕きながら、ゆっくりと進んでいく。


『止めないと……!』


『止められない』


レヴィが怪物の行手を遮ろうと放った水に、ブァレフォールが触れた瞬間、水が跡形もなく蒸発する。


『レヴィ、私たちはこいつをまず止めねばならないようだ……!』


イラが苦しげな表情でレヴィに告げ、二人は羨望の呪いへと向き直る。


『嗚呼、そうだ。僕は』


ブァレフォールの形が、先程より激しく崩れる。そんな最中に、表情だけは狂ったような笑みを浮かべ、自分たちを見据えていることをレヴィとイラは理解し、身の毛がよだつような悪寒に身体を一瞬震わせる。


蜷帙◆縺。縺檎セィ縺セ縺励>君たちが羨ましい


狂気に満ちた願いが嗤う。










私はひたすらに神殿を目指して走る。足は、私の方が速い。瞬発力だけなら私はソニム先輩に近いし、このまま行けば追いつけるはずだ。


避難所には錬金術師達がたくさん居るだろう。世話になったロゼ夫妻はもちろん、友達なんかではない、気の良い知り合いくらいだが、ニコラだっている。


傭兵なんて職業は、今日同じ釜の飯を食った仲間を、明日殺してるかもしれない職業だ。友情とか、思いやりとか、そんなものは要らない。自分が生き残ることを考えれば良い。それ以外は不要だ。頭ではわかっている。


『そうだ、逃げればよかったのに。バカだなクリジア・アフェクト。せっかく家族まで捨てて拾った命だぞ!』


そう、頭ではわかっている。私になにができると言うんだと、他でもない私自身が私に叫び続ける。あんな化物相手に鉄の棒切れ二本で挑むのか。守りたいものも守れなかったような奴に何を守れるというのだ。そんな声がずっと聞こえている。


『それでも、私は』


寝覚が悪いとか、どうせ逃げられるのかわからないからとか、言い訳が浮かんでは消えていく。そう、これは言い訳だ。


良い奴には良いことがあって、悪い奴はやられてほしい。レヴィは良い奴だろう。イラさんだって良い人だ。報われて欲しい、あんな化物に奪われて良いものは一つもないはずだ。


ニコラだって良い奴だ。まだたったの三年しか生きていない。これからもっと世界を見て、もしかしたら世界を変えるかもしれない。そんな奴世の中たくさんいる?そんなことは関係ない。私は、私が知っている良い奴にはせめて良いことがあって欲しい。


私が私の願いを願って悪いことはない。自分勝手でいい。より良い明日を望むことが間違いだなんて認めない。


『そうだよ、私は』


ずっと前からそうだ。私は──






『ヒーローになりたかった』






手の届くものくらい、守らせてくれ。


散々取りこぼしたんだ。このくらい抱えても良いだろ。


私は走る。これは私のための一歩で、私の意思で走っている。


私のために、私の友達を守れ。




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