15話 蠢く行進

風が凪いでいる。


嵐の後は快晴がやたらと静かに思えるものだ。晴れ渡った空は呑気な面で私たちを見下ろし、まるで何事もなかったかのように、雲は青空を滑っていく。太陽は素知らぬ顔で、元々は街だった更地を照らし、私たちを嘲るように光で焼く。


私は空が嫌いだ。いつもいつも、それで慰めのつもりかと、お前は一体何様なんだと言いたくなるほどに、無表情に私たちを見下ろしてくる。


『空に唾吐いたら、自分にかかるってのもムカつくよな』


『空に唾吐く奴なんてお前くらいだよクリジア』


『もっといると思うんだけどな。そうしたい奴』


私はいじけたように小石を蹴飛ばして、水の都の神子様、レヴィの元へと歩く。


『なんで無事だったんだよ、神子様』


『それも含めて、これから話を聞くのよ』


目の前には、水でできた拘束具に縛られたフォカロルが、意識を失った状態で宙に吊るされている。


レヴィは、あの時確実に、フォカロルの狂風によって貫かれている筈だった。レヴィの攻撃は意識外からの一撃でもなかったし、風を集め終えているところを私は目撃している。魔法を放たれていれば、今この場には、無残な神子の亡骸と、水の竜に吹き飛ばされた白い悪魔が転がっているはずだったのだ。


『私は、この悪魔と向き合わないといけない。そんな気がするの』


『私はなんも言わないよ。国だなんだの話はそっちでやって。私は金を積まれりゃなんでもする傭兵だからね』


『君も大概真面目な傭兵だな』


イラさんが腰をさすりながら、私達の方へ歩み寄る。フォカロルに弾き飛ばされた際に打ち付けたのだろうが、普通の人間なら、立てるかも怪しいであろうことを考えると、龍狩のハーフというのは想像以上に丈夫らしい。


『ま、クリジアちゃんは結構仕事熱心なんで』


『それは良いことだ』


『冗談だよ』


生真面目に返された冗談に、やり場のない虚しい顔をして、私は一歩引いた位置に移動する。国だなんだの話に根無草が介入しても、良いことは一つもない。


細かく言えば、私も水の都の一員ではあるが、イラさんも『君は雇われだ』と言っていた。つまるところ、お国事情にまで私が関わる必要はないということだ。私としても、面倒は極力少ない方がいい。なぜなら、面倒事ってのは面倒臭いからだ。


『っ………』


小さな呻き声の後、フォカロルが目を覚ます。その目には敵意は無く、どこか虚しそうな、呆れたような様子だった。それも、だれかに向けるのではなく、自分自身に対して向けるような目だ。


『おはよう、悪魔さん』


『……御機嫌好う、神子様』


少しばかり、威圧感を感じさせる様子のレヴィとは対照的に、フォカロルは自嘲気味な笑みを浮かべて応える。その姿は先程までとは打って変わって弱々しく、今にも消えてしまいそうだ。


『……貴方達の勝ちね。悪魔の壊し方はご存知?』


『知ってるわ。でもその前に、貴方がこの国を憎む理由を教えてもらう』


『呪いの譫言なんて、聞くだけ無駄な話よ』


『無駄かどうかは私が決めるわ』


フォカロルは一瞬、面食らったような顔をした後に項垂れて、少しの間を置いて顔を上げ『信じなくて良い話』と切り出して、フォカロルは話し始める。


『水の都の神子の力……大海の魔女の力が、この国の人の中で代々受け継がれているのは知っているかしら』


『血縁とか、そういうのではないっていう話だけは、なんとなく』


魔女の性質、それは人間に宿る不可思議な魔法の力。いつ頃から発生し、どういった理由でその力が宿るのかはほとんど不明で、わかっているのは魔法が異様に強力なことと、同じ魔女は二人以上同時に存在しないことだ。


魔女の性質は血縁者など、繋がりが深い者に継承されることが多いとされている。それを加味すると、大海の魔女は随分と特殊な継承のされ方をするようだ。


『神子の代替わりは、前の神子が死んでから、次の神子が生まれてくるまで、どうしても時間が空いてしまう。昔、この国はその空白期間を恐れていた』


『それは間違いないな』とイラさんが相槌を打ち、レヴィも頷く。私も、後ろで聞いているだけだがそれはそうだろうと心の中で相槌を打っていた。


この海上の小国が、未だに独立した"海上の小国"で在り続けているのは、散々目の当たりにした神子の力によるものが大きい。


勿論、国防能力はそれだけではないだろうが、例えば神子が不在の期間が十年あったとすれば、その十年間はこの国にとって、腹を空かせた獣の群れの中に、ナイフ一本で放り込まれて生き残れと言われているような状態だろう。


『当時の神子は、貴方のように、大海の魔女の力を自由自在に使える神子だった。歴代の神子の中でも強いって、よく言われていたのよ。出来の良い武器、綺麗な宝飾品、豪奢な工芸品……そういったものって、永遠にそこにあれば良いのにって思ってしまうものでしょう?』


『私だってそう思うもの』と、自嘲気味にフォカロルが笑う。私たちは、おそらく各々が理屈はわかるといった意味で、首を縦に振り、白い悪魔の"信じなくて良い話"を聞き続ける。


『……ねえ、人間さん。この世界で、永遠に最も近い存在はなんだと思う?』


『永遠?』とレヴィが返す。


『そう、永遠。老いず、衰えず、死なず、変わらず、今のまま在り続ける存在。完璧な永遠はなくとも、近いものはあるのよ』


『……悪魔のことかしら』


『その通り』とフォカロルが返す。


『悪魔は魔法、つまりは情報。その情報を、神子にそのまま書き換えることができたら、永遠に朽ちることのない神子が生まれる。そう考えたのよ、この国は。それを』


『それを……?』


『永遠の神子計画と銘打って、実行した』


フォカロルの表情が歪む。永遠の神子計画の内容について話を進めていくほど、表情が憎悪や疑念、絶望といった色に染まっていく。


フォカロルの話によれば、永遠の神子計画とは、つまるところ悪魔の身体に人間を埋め込み、悪魔の不変性と神子の人格、力を手に入れようとした計画のようだ。


人道に反すると反発が出るとか、そもそも成功するかもわからないなどの反対派が生まれそうな計画だが、当時の神子は今のレヴィとは異なり、まさしく天上の存在であったそうだ。神聖にして大いなる神子が、永遠と安泰をもたらす存在へと昇華する。なんて話として伝わり、国を挙げて実行されることになったらしい。


『もし、神子がそれを知っていれば、反対したでしょうね。悪魔に頼るなんて、今よりも恐れられてた時代だし、なによりどうなるかがわからなかったはずだもの』


『神子が知っていれば?神子本人は知らずにそんなことをしたの?』


『ええ、神子と悪魔だけが知らなかったのよ』


レヴィとイラさんは絶句する。私も同じ気持ちだった。権力者を神聖視するとか、そういった話はよくある話だ。今でもあるし、現にレヴィも程度はともかくとして、神聖視される"神子"という存在なのは間違いない。


しかし、それ以前に神子も一人の人間だ。犠牲を出すのがどうだとか、可哀想だとかのお綺麗なことを言うつもりもないし、言われたら腹が立つまであるが、そんな私でも、国を愛し、国が愛した神子を、まるで正当な儀式か何かのように、自己保身のために奉り上げていたであろう当時の様子は想像したくない。きっと、見るも悍ましい一体感溢れる光景だったのだろう。


『一体どうやって悪魔を連れて来たのかはわからないけれど、計画は実行されてしまった。その後は……予想はついているかしら』


『……貴方が生まれた』


『そう。私がその成れの果て』


私は、あまりにも現実離れした現実に頭痛を感じていた。残念なことに、ダンタリオンといる私には、フォカロルの『信じなくて良い話』が『信じたくない話』である事がわかってしまう。レヴィとイラさんはこちらを見ていないので、まだどうかはわからないと言えばそうだが、フォカロルが嘘をついてるとは思っていないだろう。


『ご覧の通りだけれど、神子の力は無くなって、悪魔の魔法が残った……そして、悪魔の姿は無くなって、神子の姿が混ざってしまった』


『貴方はその後、どうしたの?』とレヴィが訊く。


フォカロルは『そうね……』と呟いた後、まるで昔話を聞かせるように、少しわざとらしく話し始める。


『哀れな混ざり物は、半狂乱で逃げ出して、そのうち怖くなった。この意思は?感情は?思い出は?どちらのもの?誰のもの?どこから来ているの?なんて考え続けて、狂いそうな頭を掻き毟ってる間に、私が本当に憎んだ人間はきっと、どこかで幸せに生涯を終えて消え失せた』


自らを嘲るように、心が擦り減った果てのような目を、他でもない己に向けて、フォカロルは俯きながら、弱々しく呟く。


『もう、私は何なのか、自分でもわからないのよ』


私は、言葉を失っていた。割り込むつもりは最初からなかったが、あまりにも壮絶で、現実離れした"信じたくない話"は、私の言葉を失わせるには十分すぎる程だ。


イラさんも同じ状態で、流石に血の気の引いたような顔をしている。レヴィへとかける言葉を探しているのか、あるいは自分を納得させる何かを考えているのか、何にせよ、言葉を失い、黙ってしまっている。


『もう一つ、聞いてもいいかしら』


レヴィが、沈黙を裂く。フォカロルは、俯いたまま顔を上げておらず、何も言わない。


『どうして私を殺さなかったの』


レヴィの質問に、フォカロルは俯いたまま、暫くの間何も言わなかった。誰も、何も言い出すことのできない重苦しい沈黙の果てに、絞り出すような声を漏らしたのはフォカロルだ。


『殺せなかったの』


『どうして?』


『わからない。憎かったのにね』


『貴方の力なら、街だけじゃなくて、国中を嵐で呑み込めたんじゃないかしら』


『そうね。できなかったわ』


『どうして?』


レヴィは、淡々と問いかける。フォカロルは俯いたまま、顔を上げることはなく、再び重い沈黙が流れ始めた。


『……私は、本当にこの国が憎くて、何で私がこんな目にって思ってる。お前たちも苦しめ、裏切ったのはお前らだって、心の底から』


ぽつり、ぽつりと。フォカロルが言葉を紡ぐ。


『でも、でもね。どうしようもないのよ』


嵐はとうに止んで、晴れ渡る空と輝く太陽が見下ろす地面に、小さな雨が降る。


『この国が好き。青い海が、白い街が、潮風の走る音が、朝日に柔らかく染まる様が、どうしようもなく大好きで、愛おしくて』


白い悪魔から降る小さな雨は、地面をほんの一瞬濡らして、すぐに乾いて消えていく。


『私にこの国は殺せない。どれだけ憎くても、愛してしまった』


『間抜けな話でしょう?』と、涙で崩れた顔を上げ、フォカロルは笑う。私はそれを、直視できなかった。あまりにも純粋で、複雑なこの愛憎に、私が言えるようなことは何もない。私は部外者で、薄情者だ。この話を背負う度量なんて、当然なかった。だからこそ、目を逸らしたのだ。


『本当に憎んだ相手が、もういない事なんて、わかっていたはずなのに、憎悪を捨てられなかった。本当に愛した相手が、もう私を見てすらいない事をわかっていたのに、恵愛を捨てられなかった。その果てに残ったのは、何者でもない狂った呪いだけ』


私たちは、何も言えないままでいた。


『信じなくて良い話は、これでおしまい。呪いわたしを壊して、幕を引きなさい』


フォカロルはレヴィに笑いかける。


初めに『神子に会いたい』と言っていたのは、この国に対して、自分の心の中への折り合いをつけたかったのだろう。憎悪と恵愛に揺れながら、文字通り滅茶苦茶な心のまま、故郷に舞い降りたのがこの天災というわけだ。


そして、この天災は、何もかもを焼き尽くさんばかりに燃え盛る憎悪を、海よりも深い恵愛へ溶かし、自らに幕を引くことを選んだのだ。


『……話してくれてありがとう』


レヴィが、フォカロルへ近づく。


拳を握りしめ、一歩ずつ、ゆっくりと。


イラさんは止めない。私も、もちろん止めることはしない。これは、水の都の問題だ。


レヴィは拳を振り上げる。








その勢いのまま、フォカロルの顔をぶん殴った。






『は?』


『……えっ?』


私たちの驚きと、フォカロルの驚きが重なる。先程までとは違う、奇妙な沈黙が場を支配する。


『今ので終わり!貴方にはこれ以上何もしないわ!!』


レヴィは、堂々たる仁王立ちで、胸を張って、声を張り上げる。その姿に、私はもちろん、イラさんも、フォカロルさえも、ぽかんと口を開けて固まる。


『……貴方、正気?』


おそらく、全員が同じことを思った質問を声にして、フォカロルが投げかける。


過去に何があろうと、フォカロルが水の都の船を沈め、街を破壊したのは紛れもない事実だ。それに、他でもない民を傷つけ、殺めた現実は変わらない。


『私が貴方でも、同じことをしたと思うから』


『私を見逃して、国民が許すと思ってるの?』


『たとえ私が殺されても、私は貴方を殺さないわ』


レヴィは、変わらずに、堂々とした態度で言い切る。いい加減、この神子様のことは少しだがわかってきた。イラさんも同じ考えに至っていたのか、ため息を吐いてから、呆れたような笑みで顔を上げる。


『諦めろ、先代の神子。レヴィはこう言い出したら……』


『嵐でも動きゃしないよ。雇われの私も散々振り回されて参ってる』


イラさんと顔を見合わせて、私たちはもう一度、大きな溜息を吐いてから笑い合う。私なら、この悪魔を殺さずに見逃すなんてことはしない。そもそも、あれだけの怒りを抱いた相手から、話を聞こうという発想すら出ないだろう。これが、今の水の都の神子、レヴィ・アイファズフトという人間なのだ。


『……馬鹿な子たちね』


フォカロルを拘束していた水が解かれ、フォカロルはその場にへたり込む。ダンタリオンが見るまでもなく、これ以上何かをするつもりはないようだ。


レヴィは、そんなフォカロルの胸ぐらを掴み、鼻先まで顔を近づける。


『勘違いはしないで、貴方を許しているわけじゃないわ』


『尚更馬鹿よ、神子様』


『だから貴方も、私を許さなくていいのよ』


レヴィはそう告げて手を離し、私たちの方へと振り返る。


『……貴方を憎む理由は、私にはないわね』


フォカロルがふわりと、レヴィに近づき、後ろから包み込むように、腕と翼でレヴィを包む。


『ありがとう、お馬鹿な神子さん。……私みたいにならないでね』


レヴィから離れ、フォカロルは少しずつ高度を上げていく。


『何かあったら、一度だけ助けてあげる』


そう言い残して、空へと飛び立っていく。空を舞うその姿は、本物の鳳のようにも見えた。


『……あ、朝の鳥』


『クリジアさん?どうしたの?』


『いや、何でもない』


あの時の鳥が、もしかしたら天災を運ぶ白い悪魔だったかもしれない。あるいは、故郷を懐かしむ白鳥だったかもしれない。そんなことは、私には関係ないし、今更それを知ったところで何かが変わるわけでもない。


イラさんが少しわざとらしく伸びをしてから、レヴィの方を向いて口を開く。


『さて、レヴィ。まずはどうする』


『……休みたいけど、街をある程度は復旧させないとね。錬金術師にも協力を仰がないと』


『わかった。連絡関係は私がやろう。君は休むと良い』


『イラも疲れてるでしょう?それに私が休むわけにも』


『君ほどじゃない。神子様も神様ではないんだ、休んで良い。周りには適当に言っておくさ』


イラさんはひらひらと手を振りながら、通信魔具を片手に背を向ける。程なくして、業務連絡のようなやりとりをし始めているのが微かに聞こえてきた。


レヴィは、そんなイラさんの様子を見てから、全身の力が抜けたようにその場にへたり込み、そのまま大の字になって空を仰ぐ。


『もう〜!こんなのごめんよ!!疲れたし、怖かったー!!』


あらゆるものの糸が切れたのか、レヴィは形振りを構うことなく叫ぶ。


『怖いとか思ってたんだ』


『思うわよ!悪魔と戦うなんて初めてだもの!』


『それであんなこと言えるんだから大物だね、神子様は』


『過去を知らないままだったら、きっと私は後悔してたから』


レヴィは身体を起こし、地べたに座ったままで話を続ける。神子様がその態度で良いのかと思いつつも、この神子様ならそんなものかと、私は特に何かを言うこともなく、会話を続けることを選んだ。


『過去なんて、知らなくていいこともあるでしょ』


『過去を想い、未来を見据え、今を笑って生きる……私の信条なの。私はね、良いことも悪いことも、過去は変わらないけど、大切だと思ってる』


『なんで?』


『だって、どんなに不恰好でも、今の自分が立ってるのは過去の上でしょう?今の自分を笑ってあげるために、立ってる場所すらわからなかったら困っちゃうわ』


にししと、いたずらな顔でレヴィが笑う。私は、レヴィの善人っぷりに若干の胸焼けを起こしながら、皮肉っぽく『ご立派だね』と返して視線を外す。なんとも格好悪いなと、自分に嫌気がさしたが、私にはこんな考え方は到底できない。今後何十年と時を重ねても、レヴィと同じ考えを持つことはないだろう。


拗ねた子供のような状態の私に、レヴィが『ねえ』と呼びかける。私は、特に返事をするわけでもなく、視線だけをレヴィに戻した。


『ワガママを聞いてくれてありがとう、傭兵さん』


『……どういたしまして、バカ神子』


たった一言、何の変哲もない言葉だった。それだけで、事が片付いたら本気で一発殴ってやりたいと思っていた私の心は、それをすっかり忘れて、もうどうでも良くなってしまった。







空がほのかに赤く染まり始めた頃、私はほとんど更地のような状態となってしまった街で、復興作業に従事していた。


もちろん、こんなことは仕事の内容に組み込まれていない。全力で断りたかったのだが、神子の恩人だとか、イラさんの友達だとかの話が先行し、断るに断れない空気になってしまったのだ。


加えて、ダメ押しでレヴィからの"ワガママ"もあり、結局、追加の駄賃を貰う約束で仕事としてやっているのが現在の状況というわけだ。


『あんの神子ぉ……やっぱ一回殴っときゃよかった……』


『頑張れご主人サマ〜』


『お前らも手伝えよ!!』


ぶつくさと、色々なものへの恨言を吐きながら、貨車に乗せた石材を運ぶ私に、駆け寄ってくる人影が見えた。


『クリジアー!大丈夫だったの!?というか休まなくていいわけ!?』


ニコラが手をブンブンと振りながら、私の方へと向かってくる。そんなニコラを、オロバスが追いかけているようだ。


『ニコラにオロバス?なしたの?手伝い?』


『そう!錬金術師として来たの!で、クリジアは何で手伝いしてるの?』


『私が聞きてえよそれは』


私の返事を聞いて、ニコラは笑う。ひとしきり笑った後に『無事でよかった!』と肩を叩かれた。レヴィとは少し違うタイプの純真無垢に、いい加減私の善人アレルギーが限界になりそうだったが、これは私がただ面倒臭いだけなので、できるだけ表に出さずに耐える。


『クリジアさん、ダンタリオンも。無事で本当によかった』


『どーも。てか、オロバスも手伝ってくれてよかったんじゃない?』


『ニコラを危ない目に合わせるわけにもいかなくて……すみません』


『ごめん、冗談。真面目に返されると困るからやめて』


流石に私もあくまで一般市民の人間、かは少し怪しい気もするが、とにかく一般市民に能力があるんなら戦争に参加しろとかは言わない。やむを得ない時ならともかく、無理に参加させても人殺しだとか、争い事にすぐに適応できるのは異常者だけだというのは知っている。


ましてや、ニコラの性質や気質を考えると、戦いなんて物には触れない方が良いだろう。


『にしても、ニコラって一応まだ子供なのにこういう時呼ばれるんだ』


『術師としては優れてるの!歳は、その……仕方ないでしょ!!時間を早める魔法があるわけでもないし……』


『いや、ゆっくり過ごせばいいと思うよ』


どうせ見た目は私と変わらないしと付け加えて、私は運んでいた貨車を置き、そこに腰掛ける。割と真面目に働いていたし、多少サボるくらいしても良いだろう。


ニコラは程なくして、他の錬金術師と思しき人たちに呼ばれ、来た時と同じように手を大きく振りながら去っていった。


『元気良っ……』


『クリジアさんもお若い方でしょう』


『あんな快活にゃなれないっての。てか、ご主人様についてかなくていいわけ?』


『あまり付いていきすぎると怒られるんですよ』


オロバスは『年頃というやつでしょうね』と言って笑う。今は人真似をしている姿なのもあるが、この悪魔は本当に穏やかな青年という雰囲気が強い。なんなら、傭兵だなんだのひとでなしより、よっぽど人間らしいのではないだろうか。


『休憩するのでしょう?少し、話しませんか』


『別にいいけど、大して面白い話ないよ』


『雑談で良いですよ。契約者とその悪魔に出会う機会は、そこまで多くないですから。せっかくの機会に、話をしたかったんです』


『なるほど。あ、一応言っとくけど、私これ休憩じゃなくてサボりだから。イラさんあたりにバレた時は逃げるんでよろしく』


オロバスは笑い、私も釣られて少し笑う。常識外れな緊張状態が続いていたのもあり、こういう空気は個人的にありがたかった。


『不躾ですけど、ダンタリオンとはどこで出会ったんです?』


『一時、追い剥ぎしてた頃があってね。そん時に』


『契約の約束も?こう言ってはなんですが、彼らは外見は相当怪しいでしょう?』


『それは言えてる』


『本人が聞いてるとこで本人の悪口言うなよお前ら』


『悪いものを悪いと言って悪いことないだろ』


ダンタリオン、今はリオンの姿だが、分かれずに中にリアンがいる状態だ。二人は不貞腐れたようにそっぽを向く。


『ま、気が合ったんだよ。思ったよりね』


『どうりで仲が良いわけです』


『仲が良いとはちょっと違う気もするけど。それで言ったらそっちはどうなのさ』


『僕とニコラですか?』


私は頷く。ニコラがそもそも特殊な人間なのに加えて、悪魔と契約をしているというのは正直かなり気になっていた。どう出会ったのかとか、何で一緒にいるのかが、アモンの言葉も含めて疑問としてこびり付いていたのだ。


オロバスは『そうですね……』と呟いて口元に手を運び、少し考えるような素振りを見せた後、手を戻して話し始める。


『わかりやすく言えば、一目惚れですよ』


『ひょっとして恋みたいな話になる?』


『あはは、近しいかもしれません』


私は、意外なところが来たなと、若干話を振ったことを後悔する。悪魔にそういう感性があることが意外だったのもあるが、そもそも私がその手の話には疎い。恋愛の経験なんて当然ないし、顔の良い異性は単純に好きだが、そういう意味合いで好きになったことは正直言って一切ない。


『恋とは言っても、世間一般的に言うそれとは、少し違うとは思いますよ』


『へえ、というと?』


『恋という感情は、自分にない物、欠落を埋めたいと願う結果。あるいは、憧れからくる自己投影などに近いと、僕は思っています』


私は『確かに全然違うね』と頷いて、ひとまずピンク色の話が展開されないことに安心する。


『悪魔と人間も、感情や衝動、本能のような部分は存外変わりません。自分とは違う人、他人にどうしても惹かれてしまうんです』


『……そういえば、似たような話を聞いた覚えがあるな。悪魔は人に惹かれるんだって』


『程度に差はあれど、そうだと思いますよ』


オロバスは柔らかい笑みを浮かべながら、私の言葉を肯定する。つまり、フルフルの言っていた話は、ここに関しては本当の話だったというわけだ。


『僕たち悪魔は祈りで、呪いです。そして、祈るのも、呪うのも人間ですから。ある意味では悪魔の根源とも言える人間に、どうしようもなく惹かれてしまうんですよ』


オロバスが『それこそ、まるで恋心みたいでしょう』と笑う。


私は、恋心みたいかはともかくとして、悪魔が皆こういう理由で、より惹かれる者を探し、契約者に選ぶとするなら、納得のいく話が身近にいくつかあった。


最も身近なダンタリオンがどうかは知らないが、フルーラさんの悪魔は似たような話だったし、アモンがミダスさんを狙った理由にも合点がいく。


『なら、その惹かれたってのを理由にニコラといるわけか』


『ええ。悪魔としてはそうですね』


『悪魔として以外に何があるんだよ』


『家族としても一緒にいるんです』


オロバスは、変わらずに柔らかい笑みで言う。その表情は、まるで本当に家族を愛しむ人間のようだ。


『ニコラはこれからきっと、多くのものを見て、多くのことを知っていきます。僕はその手伝いをしたいんですよ』


『なるほどね。錬金術が世界に広がるのもそう遠くないかもしれないってわけだ。なにせ素敵な家族が助けてくれるんだから』


『そうかもしれませんね』


あははと、オロバスが笑い、それに釣られて私も笑う。悪魔を連れた若い錬金術師が、世界を知って、錬金術を広めるなんて、まるで御伽噺か何かのようで愉快な話だ。この家族なら、私が生きてる間にそれを見せてくれるかもしれない。そんな風に思えた。


それから、私とオロバスは他愛のない雑談を続けて、結局その後はほとんど仕事をせずにサボりきってしまった。


日は海に顔を近づけて、空が真っ赤に染まった頃、イラさんが私の元へ戻ってきた。


『手伝わせてすまないな。色々と助かっている。オロバスも一緒だったのか』


『今全力でサボってたけどね。雑談しかしてなかったよ私たち』


『多少なら構わない。君も疲れてはいるだろう』


『それはもちろん』と私は胸を張る。状況としては、胸を張れる要素はひとつたりともないが、悪魔とやり合った後ならこのくらいは許されてもいい気はする。


『今日は一旦作業は切り上げる。君は変わらずロゼ夫妻の……すまない、少し待ってくれ』


話の途中、イラさんの通信魔具が鳴る。私は特段気にすることもなく、イラさんの話が終わるのをぼんやりと待つことにした。


この距離だと話し声が聞こえはするが、聞かれてまずい話となれば、この人は移動するなりなんなりするだろうし、別段私が気を使う必要はないだろう。


『イラだが、どうした?』


『お嬢。スレヒトステ監獄の異常、海だ』


スレヒトステ監獄の名を聞いて、私は少し懐かしくなる。私たちのせいと言うとアレな気もするが、スライが大暴れして、監獄の囚人の数がだいぶ減ってたなぁと、あまり思い出したくない気もする思い出を振り返る。


水の都は、ちょうど真南に下るとスレヒトステに辿り着く。その関係もあって、頻度は少ないが物資の配給などの手伝い役をしているという話は知っていたので、その関係の通信だろう。


『スレヒトステ監獄?すまないが、もう少し詳しく話してくれ』


『動いてる!海。誰だ』


『……イラさん?なんかその通信先、様子おかしくない?』


イラさんは私の顔を見て、静かに頷く。通信はまだ続いている。


『人間、人間じゃない!お嬢。今日は快晴だ。誰だ?人間!』


声は複数人の声のように聞こえる。内容は、意味がわからない。


『嫁さんが待ってる。日が。動いてる!海。海だ。帰ったらよ、神子様?人間、誰、れれ、誰だれ、れだ』


『おい!何を言ってる!?何があった!誰か答えろ!!』


『人間じゃない、人げ、にん、げげ、ないないななな、け、動い、たすす、あ!ああが、れれれだれげん、人間、み、みみみ』


声が増えていく。意味はさらにわからなくなり、言葉どころか、単語として成立しているかも怪しい発声が、何重にも、何重にも重なって聴こえてくる。


『イラさんの魔具、ぶっ壊れてないよね?』


『壊れてはいないな、何だこれは……?』


声は、増え続けている。




『にんげん、あが、く、たすけ、ちがう、あく、げ、げげげ、み、うみうみうみうみうみみみみみ、快晴だ。そら、そら、けけけ、うげ、げ、んんん、にんげ、ちが、ががけ、たすたすたすすすす、ば、けま、じょ、さまま、みみみみ、なん、なんなななな。だれ、れられれれれれれ!!たす、りくくく、くにくにくにくにかえりりりりりりりなんで嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌違う違う違うがががががが帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る帰る海が海が海がひとひとひとひと肉が肉くくくくく怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いぃぃいいいいいいあああああああああああ』





イラさんは、流石に堪らずといった様子で、通信魔具を地面に放る。もはや、言葉ではなく怪音とかしたそれは、未だに鳴り続けている。


私たちは青い顔をして、顔を合わせた後に頷き、動き始める。


『壊れてないなら絶対おかしいよそれ!』


『わかってる!オロバス!悪いが君は復興作業の協力者にすぐ神殿まで避難するよう伝えてくれ!』


『わ、わかりました!お二人は!?』


『レヴィと軍にこの怪現象を伝える!南側の都市の市民全員を避難させるようにな!』


怪音を鳴らし続ける通信魔具を、イラさんが拾い上げ、復興作業に混ざっていたはずのレヴィの元へと急ぐ。しかし、その直後、魔具からの怪音が止まった。


何が起きたのかわからず、私たちは不気味な静寂の中で一瞬、足を止める。








『蜷帙◆縺。縺檎セィ縺セ縺励>』









聞き取ることができなかったが、明らかに先ほどとは異なる、異様で異質な声が響く。それとほとんど同時に、地面を揺らすような轟音が響き渡り、警報が、異常事態を知らせるものであろう鐘の音が鳴る。


『……南側だ』


私たちは再び走り出す。



赤い空に、黒煙がのぼり始めた。

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