12話 小人と怯懦
小さな呻き声を上げて、オーロスは膝をつく。普通の人間ならそのまま地に伏して、二度と起き上がらない傷に手を当てて。
『なるほど、少なくとも人間じゃないな』
血の通わない身体というのは、少なくとも私は悪魔しか知らない。悪魔は身体の損傷が自動的に回復する。それ故に、人間を殺す時のように喉を突く、臓器を潰すような点の一撃より、線を描いて大幅な損傷を与えた方がダメージと稼げる時間が大きい。
『お前が何者か、質問の答えを聞くまでぶった斬るからな』
私は依然、蹲ったままのオーロスへと刀を向け、肩を斬り落とすつもりで腕を振り抜く。そのはずだった。
私の腕を、家の壁が紐のように伸びて縛り、抑えている。この国の家は石造りの家で、その壁がしなやかに伸びて、私の腕を縛るというのは、色々な意味で理解ができない現象だ。
目の前のオーロスは何かをしている素振りはなく、魔法を使った様子もない。第一、この距離で魔法を使われたら流石にわかるはずだ。あのアモンでさえ、手を起点に魔法を使っていたように、大半の魔法は一切の身振りなしに出すことができないし、魔法を使うことによる魔力の急激なブレや動きは、個人差はあるとはいえ知覚できる。それが一切感じ取れなかった。
『あんた何してるのっ!!』
声の方を見れば、先程奥へと戻った女の子が立っている。名前は確かニコラだったはずだ。壁に片手を意味あり気についているところを見るに、私の腕を縛っているこれはあちら側の仕業だろう。
『これ、お前の仕業か』
『何してるのって言ってんのよ!!』
ニコラが叫ぶと同時に、ニコラの足元から私へ向かって床が槍のように、次々と隆起しながら迫ってくる。このまま串刺しにされてはたまらないので、もう一本の刀の柄で石の紐を砕き、私はその場から飛び退いた。
私の立っていた場所は剣山のような状態になっており、本当に殺すつもりで撃ってきたことがよくわかる様相だ。しかし、一つだけ妙な事がある。
『魔法か……?今の……』
魔法としてはかなり奇妙だった。ニコラは何か特別な動きをしていた様子はなかったし、魔法を使った時の魔力の感じも一切なかった。にも関わらず、結構派手な土魔法のような現象が私を襲ったのだ。
ニコラが類稀な実力を持った魔法使いの可能性もあるが、そんな存在がこんなところにいる確率は限りなく低い。魔法は学問だとよく言われていたが、仮に学者だからといって、『勉強しているから』を理由に魔導国家の魔法使いを凌駕していい道理はない。
なんにせよ、魔法使いは厄介だ。私は魔法が苦手だし、刀と魔法じゃどうしても魔法の方がリーチが長い。だから、私の魔法使いの殺し方は決まってる。魔法を使わせる前に殺す。単純明快、しかし一番有効な方法だ。人間なら喉を突けば死ぬし、首を刎ねれば死ぬ。今唯一の問題は、ニコラと私の距離が離れていることだ。
『悪魔と一緒に魔法使いまで相手してらんないっつの』
距離があるならどうするか、走って駆け寄ってもいいが、私はその場で刀を振りかぶり、ニコラに向かって放り投げた。こっちの方が早いし、私はそもそも剣士じゃない。こういう場面なら、相手を殺せるなら割となんでも良い。
確実にニコラの脳天に刀を突き刺せる投擲だったのだが、ギリギリのところでオーロスがニコラを庇い、その背中に刀が突き刺さる。私は軽い舌打ちをしながらまだこちらを向いていないオーロスへ駆け寄り、刀を強引に引き抜き、二人まとめて叩き斬ろうと刀を振り上げる。
『わあ!?待って待って!!もしかしてイラさんから聞いていませんか!?』
『は?』
オーロスが、私でもわかるくらいに慌てながら、一切の敵意もなく、怯えた様子で私を見る。その姿があまりにも意外なものだったので、さすがの私も手を止めてしまった。
『その様子だと聞いてませんね!ひとまず敵意があるとかではないので、落ち着いてもらえませんか!?』
『……わかった。いいよ』
私は刀は持ったまま、腕を下ろす。一応、何かあった時のために、玄関のドアの近くに背中を預け、ひとまず話を聞く体勢を取った。
『すみません、イラさんから説明されていたものだとばかり……僕はダンタリオンと面識があるんです。先程気がついたとは思いますが、僕も悪魔でして。かなり前の話ですが、一度だけ会ったことがあるんですよ』
『悪魔なのは隠してたわけじゃないの?』
『普段はもちろん隠してます。改めてご挨拶させてください。僕はオロバス、怯懦の祈りの願望機です』
オーロス、改めオロバスは、そう言いながら自身の本来の姿へと戻る。アモンと比べると、かなり人間に近い見た目のようで、頭に生えたツノと黒い眼球、紅い瞳以外はほとんど人間と変わらない。
『それで、ニコラが僕の契約者です。悪魔にとって一番わかりやすい弱点ですし、一応敵意がないということの証明になれば……』
『ちょっと待って。ダンタリオン』
ダンタリオンが魔術鞘から顔を出し、私の言わんとしたことを読んだのか、無言でオロバスとニコラの二人の方へ視線を向ける。一瞬の間の後、ダンタリオンは魔術鞘からするりと抜け出してから『嘘ついてるわけじゃなさそう』と私に言った。
『よし、信じる。急に斬りかかってごめん』
『いえ。傭兵、となればそのくらい警戒心は持つものなんでしょう』
『いやーこいつが疑り深いとこもあるけどね。久しぶりじゃん55番』
ダンタリオンがニヤつきながら、ひらひらと手を振る。どうやら本当に顔見知りらしい。オロバスはそれに『久しぶり』と同じように手を振って返している。
『うちのご主人サマが悪いねー。私たちが最初からいたら問題なかったのに』
『その原因はお前がここに来る前に気絶したからだろ』
『怪しいと思った時に私たち呼べば良かっただろ』
『その前に私が死ぬかもしんないじゃん。斬り殺した方が早い』
ギャイギャイと、いつものように口論が始まる。その様子を少しの間、オロバスとニコラが見守っていたが、痺れを切らしたようにニコラが口を開く。
『……とりあえず上がって話さない?』
おそらく魔法使いの女の子と、刀を手に持った辻斬に加えて、悪魔が二本。玄関先で若干の揉め事を延々としている状況を省みて、私は『それもそうだ』と、割と気まずい空気のまま、これからしばらくお世話になる家へ、ようやく足を踏み入れた。
食卓ではニコラの両親が待っていた。私たちは事情を軽く説明し、少し玄関先で立て込んでいたのだと誤魔化して、案内されるがままに席に着く。
テーブルには、色とりどりの料理が並べられている。水の都の名に相応しいと言うべきか、海産物が多いようだ。殻をそのまま皿として活用された大振りの貝類の焼物は、まるで小さなステーキかのように肉厚で、彩りも鮮やかな白身魚の煮料理は近くになくとも鼻をくすぐる良い匂いがする。その他にも、魚のマリネやパスタ料理、変わったところでは鎖国気味の島国、ワノクニでよく食べられる形式の生の魚の切り身も用意されている。
多種多様な調理法ゆえに、逆にこの国ならではの料理というものが何かはわからないが、貿易や観光等が主流のこの国ならではの特色というやつなのだろう。文化と文化が混ざり、賑わいを見せている。街の活気を食卓に落とし込むとこんな形になるのだろう。
『さて改めて……遠路遥々、ようこそクリジアさん。私はフルカ・ロゼ。こっちが夫のアルナルドよ。お腹空いたでしょう?細かい挨拶は後で良いから、先に食べ始めましょ』
『マジでビビんないんだ、悪魔といても』
朗らかな笑みを浮かべながら、フルカと名乗った女性は私とダンタリオンに言う。本当に一切驚いたり、怯えたりはないようで、家に泊まりに来た子供のような態度で接される。隣の夫だという男性も、優しそうな顔で小さく会釈をしてくれたところを見るに、悪魔にはオロバスの影響か、慣れているのだろう。
『ニコラと同じだもの。それに、イラお嬢ちゃんのお知り合いなら悪い人ではないでしょうし』
『悪人じゃないってとこはどうかな。いや、でも助かるか。少しの間、よろしくお願いします』
フルカさんはにこりと笑って『さ、食べて食べて。久しぶりに頑張っちゃったの』と料理を勧めてくれる。私は少しバツが悪い感覚に襲われつつも、いただきますと手を合わせる。ここ最近、善人に触れすぎて胃とは別のどこかがもたれてきている感覚があるのだ。
しかし、そんな私しか知らない気の重さに関係なく腹は減るし、目の前の料理は本当に美味しい。そのうち私は、たまにこういう巡り合わせの時もあるよなと納得して、振る舞われた料理を楽しむことにした。
食事が始まってからしばらくして、お互いに食の進む手が遅くなって来た頃に、私はこの国に来てから、というよりはこの家に来てから気になっていたことを徐々に思い出した。
『そういえば、イラ嬢〜とか、イラお嬢ちゃん〜ってイラさんのこと皆呼んでるけど、お嬢様はレヴィの方じゃないの?』
『ああ、イラお嬢ちゃんはここの将軍さんの娘さんなのよ。だから昔はイラ嬢、お嬢ってよく呼ばれててね。それが根づいちゃったの』
『マジで!?めっちゃ良いとこの出じゃん!!いや、でも言われてみれば所作とかはそうか……』
私の驚愕した様子に、ロゼ夫妻は笑った。そして、夫のアルナルドさんが口を開く。
『そのお父さんと僕が仲が良くてね、その諸々の縁もあって、今回君がここに来る運びになったんだ』
『じゃあ私はここで無礼を働くと最悪軍の刑務所とかに行くってわけだ。怖すぎる』
アルナルドさんは『そこまでのことをするような子じゃないと聞いてるよ』と笑って返してくれた。隣のダンタリオンが『でもお前玄関先で』と余計なことを言いかけたので、魚のムニエルをフォークで突き刺し、ダンタリオンの口にねじ込んで黙らせる。
ダンタリオンが熱さと量に呻いてる間に、話題をさっさと変えるため、玄関先と言えばと思い、正直なところ一番気になっていた質問を投げかけることにした。
『そういえば、ニコラが玄関で見せてくれたやつ。あれって魔法?』
私の質問に、ニコラは一瞬目を輝かせると『ふっふっふっ……』と腕を組みながら、大袈裟すぎる含み笑いを披露し始める。私が困惑して視線を流すと、何故かロゼ夫妻も楽しそうな様子だった。
『え、なに……?』
『よくぞ聞いてくれたわねクリジア!!私が見せたあれは"錬金術"よ!!』
錬金術、その言葉自体は知っている。魔法が普及する前にあった技術で、今はもう使われておらず、廃れた技術のはずだ。歴史だなんだに詳しいわけじゃないが、昔勉強していた時にそんな感じの説明をされていたのを覚えている。そして、それを裏付けるようにここ最近で錬金術という言葉を聞いたことはただの一度もなかった。
『錬金術って……あの大昔のやつ?』
『大昔言うな!!今も技術としてこの国で活躍してるの!!』
『私が見た活躍してるものは神子様の魔法なんだけど』
『ぐぬっ……!錬金術の至高の成果が目の前にいるというのにこの反応……!!外じゃ本当に錬金術って知られてないってわけね……!!』
ニコラは悔しそうな表情で、拳を堅く握りしめている。私としてはニコラの言葉の意味が、外じゃ錬金術が知られてないという部分くらいなもので、他は全く理解できない。
錬金術という言葉は、本当に最近聞いたことはないし、水の都で使われていたとしても、この国が戦争だなんだをすることも基本的にない。というより、仮に戦争があったとしても神子様の魔法一つで大体の国の軍隊が壊滅するであろうこの国で、他の技術が必要なのかという疑問もある。
『今日はクリジアさん疲れてるでしょう?私たちの研究も錬金術なの。明日、紹介するわ。イラお嬢ちゃんからも紹介するよう言われてるから』
『魔法"も"ってイラさんが言ってたのはそういうことか。いや、ほんとに錬金術なんて知らないけど大丈夫?』
『もしこの国に何かあった時は、私たちやニコラとオロバスも、貴方と同じように国に協力するの。だから、知っておいて欲しいっていうのが私たちとイラお嬢ちゃんの意見』
『それは確かに。それに、悪魔に理解があって話しやすい奴だもんね、私』
フルカさんが『それもその通りね』と笑う。ニコラは明日に向けて張り切っている様子で、アルナルドさんとオロバスがそれを少しだけ落ち着かせている。悪魔が混ざっているのが愉快というか、奇妙な光景だが、仲の良い家族なことがよく伝わる。
『それにね、クリジアさん』
『はい?』
『相手が知らないことを知ってもらうのが"紹介"よ。私たちが大好きな錬金術を、明日はちゃんと紹介させてね』
家族が揃って、楽しそうな笑みで私とダンタリオンを見る。そういえば、学者や研究者というのはこういう生き物だった。好きを突き詰め、それに取り憑かれた者たち。だからこその変人揃いというわけだ。
若干怖いが、興味のない人間に延々とご高説を垂れ流されるよりは、こういう人達に話してもらう方がいくらか楽しい。それは間違いない。期待と不安を抱えたまま、その日は雑談をして一日を終えた。
次の日、悲しいことに私はいつものように日が登る前に目を覚ます。賑わいに飲み込まれて聞こえてこなかった波の音が、誰も起きていない時間だと良く響く。ただ、私も疲れていたのか、いつもとは違って数分もすれば日が登り始め、夜の闇に染まった白い町が、優しく暖かい色に染めあげられていく。
『キレーな街だな……ほんとに』
背が高すぎる建物が少なく、白で大半が統一されている街並みが、一つの芸術品のような風景だ。白み始めた空は雲ひとつなく、日が登り切れば、海を映したかのような青空になるだろう。
私はぼんやりと空を眺め、時間がゆったりと流れていくのを楽しむ。いつもこんな感じの時間を朝は過ごしているので、夢見の悪さを引きずらなければこの時間は好きだ。あいにく、一番表情を変えてくれる雲はいないが、たまに海鳥らしき影が空を横切っていくので、案外変化があって面白い。
『あ、他よりちょっとでかい鳥』
他の海鳥より、一回りくらい大きな鳥が空を横切った。群れで飛ばず、一羽だけで飛んでいる分、さらに目立って見えたのだろう。水の都の上空をぐるりと二、三周回るように飛ぶと、そのままどこかへ飛んで行った。
私はその様子を見て、『まあ、鳥もこんな綺麗な国みたら少し見物したくなるよな』などとぼんやり考えながら、家主たちが起きて来た音がするまで、空と街並みを眺め続けることにした。
しばらくして、生活音が聞こえ始めたのを確認し、私はまるで今さっき起きたかのようにリビングへと顔を出す。余計な心配をかけても面倒だし、部屋で大人しくしてることは苦痛でもないので、ここに居させてもらう間はこの生活の仕方で良いだろう。
用意された朝食をいただき、少しの間談笑をして、今日のメインメニューでもある錬金術についての話題が始まった。錬金術についてはニコラが解説してくれるとのことで、ニコラは分厚い本を数冊用意して息巻いている。正直、それを読めと言われたら、私は逃げ出す自信があるが、流石にそれはないと願いたい。
『さて!それじゃこの天才錬金術師のニコラ様が錬金術のなんたるかを教えてあげるわ!』
『お手柔らかに頼むよマジで。私基本的に勉強好きじゃないからね』
『難しい話はしないわよ!クリジアを錬金術師にしようってわけじゃないんだから』
ニコラの返事に私は『それなら安心した』と笑って返す。正直、用意された本を読めと言われる覚悟をしていたし、全力で断る準備もしていた。勢いと物量だけで押されると、どんなに楽しいことだとしても萎えるのが人間というものだ。そのパターンではなくて本当によかったと胸を撫で下ろす。
リビングのソファに、ローテーブルを挟んで向かい合う形で私とニコラは腰掛け、ニコラの錬金術講座が幕を開けた。
『それじゃまず最初になんだけど、魔法がどういう技術なのかはなんとなく知ってる?』
『それはまあ、ある程度は』
魔法は魔力に情報を与えて現象を引き起こす技術だ。細かく研究すればキリがないが、ざっくりとした理解はこれで良い。『こういうことをします』という情報を魔力に与えて形にする。これが魔法の基本の流れだ。
『それなら手っ取り早いわね。魔法って、自分自身の魔力を使うでしょ?だから魔力の多い少ないとかが、できることの幅に繋がっちゃうのよ』
『そうだね。私も魔力少ない方だから、魔法使いにはなれないなって思ってるし』
『そう!魔法の唯一とも言える欠点はそこ!天賦の才が必要になるところがある!』
『それはその通りかも』と私は相槌を打つ。魔法はまさしく万能技術ではあるのだが、その燃料の魔力は人によって量に差がある。だからこそ、魔法は生まれつきの才能も大切だと言われていたりする。
『それに対して錬金術は、自分以外の持つ魔力に情報を与える技術なの!つまりは個々人の魔力量とかはほぼ関係ないのよ!!』
『えーっと……と言うとどういう?』
『昨日クリジアには家の壁とか床を変形させた錬金術を見せたでしょ?あれは私が、壁とか床の中にある魔力に、そういう情報を与えて起こした現象ってわけ!私自身は魔力をほとんど使ってないのよ』
そう言いながら、ニコラは手に持った分厚い本を開き、魔法と錬金術の違いを図式化したページを私に見せる。ニコラの説明と、本の図解を合わせると、おおよその理解はこうだ。
この世界のあらゆるものは魔力を含む。人間はもちろん、動物、植物、その他石や土、私が持つ刀や人の着ている衣類など、魔力を持たない物質というのは存在しない。これは常識としてそうだ。錬金術はこの物質がもともと持っている魔力を、魔法で使う術者自身の魔力の代わりにしている技術ということらしい。
『……なるほど、これかなり便利なんじゃない?』
『その通り!理解するのが早いわね!!』
ニコラは鼻高々といった様子で、清々しいほど自慢気に腕を組み、自信と喜びに満ち溢れた表情で頷く。実際、それをするだけの価値があるほどの技術のように思える。
『こんだけ便利なのに魔法が栄えたってのはなんでなんだろ』
『いいとこに目をつけるわね。錬金術には欠点というか、面倒な部分も多いの。多分そこが要因ね』
『あんだけオススメしたのに自分でそうも言うんだ』
『良し悪しを知らないでモノを勧めるのは詐欺だけよ。あくまで紹介なんだから、なんでもできるって勘違いされたら大失敗になっちゃう』
ニコラの言葉に、私は『はあ』と感嘆の声を漏らす。正直な話、ニコラに対してはある意味で馬鹿っぽいというか、熱量が空回りするタイプだと思っていた節があるのだが、想像以上にしっかりとしているらしい。
『錬金術の欠点は大きく二つあって、一つは対象の物質の性質を大きく変えられないってこと。例えばだけど、石を金に変えることはできても、石から水を作ったりはできないって具合ね』
『鉄が木になったりはしないけど、鉄を剣とか食器とかに変えたりはできるって感じ?』
『そんな感じ!魔法だと炎も水も自由自在だけど、自分の魔力を使わない関係上、魔力の拝借先の物質をこねくり回す感じになっちゃうと思ってもらえれば良いわ』
『人によって得意な属性の魔法があるのを併せてイメージするとわかりやすいかも』とニコラは続ける。つまるところ、物によってなれる物となれない物があるといった感じだろう。
何からでもどんな物でも作り出すことができたら、正直なところ魔法が本当に要らなくなる。流石にそこまでうまい話は転がっていないというわけらしい。
『二つ目は、情報式を用意しないと発動できないってこと。魔法で言うとこの魔法陣ね』
ニコラは私に見せていた本のページをぱらぱらとめくり、別のページを開いてから再び私に内容を見せる。そこにあるのは魔法陣に似た図式で、魔法に詳しいわけではないが、魔法陣よりもいささか複雑そうに見える。
『魔法と一番差があるのはここな気がするわ。こういう術式を、本に纏めて持ち歩くのが錬金術師の基本ね。身体に刺青として術式を入れたりする人もいるわ』
『逆にこの式がないと無力になっちゃうわけか。確かにそりゃ刺青とかにする人も出てくるな』
『そうなのよね〜』とニコラが机に突っ伏す。錬金術の大ファンとしては、魔法との最大の差別点は悩みの種らしい。実際、本を持ち歩がないといけないとなると魔法よりかなり面倒だ。刺青にしたって、不慮の事故で刺青が損傷したなどもあり得るし、不便そうな部分は多々ある。
なるほどな、と私は感心と私なりの理解をしていたが、一つ疑問が浮かび上がる。昨日、ニコラは私を攻撃した時に本は持っていなかった。
『ニコラも刺青でその術式?を身体に書いてるの?』
『んー半分正解?私についてはこのあと説明するわ。錬金術の最高傑作についてはね』
『なんじゃそりゃ……』
したり顔で答えるニコラに、呆れたような返事を返すが、今は本当に説明するつもりはないようで『お楽しみよお楽しみ』といってニヤリと笑った。
『とりあえず!錬金術については理解してもらえた!?面白いでしょ!』
『うん。正直結構面白いなと思った』
『本当!?やった!!』
ニコラが立ち上がってぴょんぴょんと跳ねる。よほど嬉しかったのだろうし、考えてみれば外の人間にここまで詳しく説明する機会というのもあまりないのだろう。好きなものの話というのは、誰でも気分が上がるものなのはよくわかる。
『それで、そのお楽しみっていうのは?』
『それはパパとママが説明してくれるわ!』
そうニコラが言うと、ダイニングから私たちの様子を見守っていたロゼ夫妻がすっと立ち上がり、アルナルドさんが『説明自体はすぐ終わってしまうけどね』と笑いながら私たちの方へやってきた。
『とっておきの前に、一つだけ約束して欲しいことがあるんだ』
『守秘義務とか?その辺は信用してもらって良いよ。今回は依頼人が依頼人だから』
『ははは。そこもお願いできるなら嬉しい。けど、約束して欲しいのはそこではなくてね』
ロゼ夫妻は、ニコラを挟むようにして私の向かいのソファに座る。金の髪、青い瞳の三人が並ぶ。その様子はまさしく理想的な家族といった様子だ。
『僕たち夫婦の娘を怖がらないでやってほしいんだ』
『刺青くらいじゃビビんないよ。なんなら、悪魔だって言われてもビビらないでいてあげようか』
正直、オロバスに加えてニコラまで悪魔だと言われたらビビるが、並大抵のことなら驚かないという意思表示にはなるだろうと私は言葉を並べた。
ロゼ夫妻は『ありがとう』と言って笑い、ニコラは変わらずに、いたずらを企てる子供のような顔で座っている。何をされるのかという不安は若干あるが、殺されるようなことはないのでそこは安心して良いだろう。
私が少し身構えた直後、フルカさんがニコラに触れる。その瞬間、ニコラの全身からガクンっと力が抜け、まるで人形のように動かなくなる。
『えっ?』
呆気に取られた私の目の前で、夫妻は自分の娘の異変には一切のリアクションを見せず、ニコラの身体を幾らかいじっている。
『は?あんたら何して』
私の言葉を遮るように『かこんっ』という軽い音がニコラから響く。フルカさんがこちらに背を向けた状態で、何かをニコラの胸元から取り出したように見えた。加えて、よく見えないが、ニコラの胸元に穴が空いている。そう見えた。
『驚イタ?』
ニコラの声が、少しくぐもったような。何かの壁を隔てたような音で響く。しかし、目の前のニコラはピクリとも動いていない。目も開いたままで、人形か、あるいは死体のようにも見える。
私は咄嗟に立ち上がり、身構える。殺されることはない、というのは油断だったかもしれない。そう思い、魔術鞘に手を突っ込む。
『チョット待ッテ!!ココヨ、ココ!!ママノ手ノ上!!』
ほとんど反射的に、声の方に目線をやると、フルカさんの手の上に、フラスコが乗っている。その中に、小さな何かが入っているのが見えた。
『驚かせようと思ったんだけど、驚かせすぎたかな』
そう言ってアルナルドさんが『ははは』と笑い、それに合わせてフルカさんと、どこからかニコラの笑い声もする。
『…………ニコラは?』
『ふふ。これが私たちの娘、ニコラよ』
フルカさんはそう言って、ローテーブルに用意された台座にフラスコを置く。私は恐る恐るそのフラスコに近づき、中身を確認する。そこには、金の髪に青い瞳、腰から下が樹木の根のようになっている小人が浮かんでいた。
『驚キスギタヨウネ!クリジアッテ結構ビビリサンナノカシラ?』
フラスコの中の小人から聞こえる声は、少しくぐもっているが、間違いなくニコラの声だ。私は目を白黒させ、フラスコと夫妻の顔を交互に何度も見返す。もちろん、夫妻の間には人形のように動かなくなったニコラがいる。
『錬金術の技術の粋を集めて生まれた娘。それがニコラなんだ。"
『そんなことできんの!?えっ、じゃあその動いてないニコラは!?』
『フラスコの中でしか生きられないから、動けるようにと用意した人形……みたいなものだね。心臓の代わりにニコラのフラスコが入ってるんだ。特別製だから、フラスコも人形もかなり丈夫だよ』
『人、形……』
思考が完全に置いていかれ、何とか理解できた言葉を無意識に反芻する。怖がらないでとは言われたが、これは怖いというより意味がわからないが適切な状態なので、約束にはまだ反していないということにして欲しい。
『……ちょっと落ち着いてきた。つまり、この小人がニコラ?』
『今ソコナノネ。ソウヨ、コッチガ本来ノ私』
フラスコの中から、小人がひらひらとこちらを向いて手を振る。声と発言の内容、そしてこの状況的に、これがニコラなのは間違いないだろう。
私が若干混乱した脳のまま、フラスコを幾らか眺め終えた後、ロゼ夫妻が人形の方へとフラスコを戻す。少しした後に『かこんっ』という先程と同じ音が鳴って、見知っている方のニコラが動き始める。
『どう!?ビックリした!?』
『しすぎて思考が止まってんだよこちとら。怖い怖くないじゃなくて何だこれで脳が止まってんの』
『ニコラの言ってた驚かせたいってところは成功みたいね』とフルカさんが笑い、ニコラが嬉しそうに『うん!』と返事を返す。その様子に、この国の人間は人を驚かすことに対して何か妙な熱量でも持ってるのかと、私は内心恨言を吐く。
『こういうのも含めて、外の人に会えるのをニコラが楽しみにしてたんだ』
『まあ、別に良いよ……実際ビビったけど。殺されるわけじゃないなら安いし』
私の様子を見て、ニコラは満足気だ。そんなニコラを見て、ロゼ夫妻は嬉しそうにしている。私はこのびっくり劇場の被害者ではあるが、悪意があるわけではないし、どこか微笑ましいので、疲れも含めて怒る気にはならなかった。
『にしても、ニコラって結構子供っぽいね』
『まだ3歳なの。頭は良いけれど、こういう時間の積み重ねが必要な機会はどうしても珍しくて』
『へー3歳……3歳!?』
フルカさんの言葉を、流しかけて聞き返す。3歳、というとまだまともに言葉を話せるのかも怪しい頃だ。見た目に関しては、人形だからということでギリギリ納得できるが、それにしたって知識の量とか、色々な情報が噛み合わなすぎる。
『身体自体は生まれた時から完成してたから、知識はすぐに身につくんだ。歳相応には見えないかも』
『見えるわけないよね!?私と背格好同じだしなんなら私より頭いいじゃん!!』
『背は私の方がクリジアより低いじゃない』
『人形の方は同じくらいだからややこしいなぁ!!』
混乱と焦りに満ち満ちた私を見て、ロゼ家の三人はそれぞれ笑い始める。ここ最近、本当にこの世界に一人いるかいないかのような、とんでもない存在に出会う頻度が多い。ただのそこら辺の人間の私に、こんな妙な縁をやたらめったらと持ってこないで欲しい。
まだ昼前というのに、すでに疲弊しきった私の手を、ニコラが『後でダンタリオンのこと私に教えてね』と言って握る。ニコラ以上の衝撃なんてあいつらにはないぞと思いながら、私は『あいつらが喋る範囲でね』と返事をした。
今日は、やはり雲ひとつない快晴で、風も穏やかに吹いていた。あまり羽目は外せないが、ニコラに連れられて街の中を歩いたり、買い物の手伝いをしたりと、旅行客のような過ごし方をしていた。
ニコラとも打ち解けたし、ロゼ夫妻にも私は随分と印象が良いらしい。オロバスとダンタリオンは偶然知り合いで、話を聞く分にもする分にもずいぶん楽に進んだ。賑やかな街と、気の良い変わり者たちに囲まれて過ごす時間は、控えめに言っても良い時間というやつだった。
そんな一日の宵の口、日が傾き始め、ちょうどぼんやりしてしまうような時間。そんな時にその報せは届いた。
『昨日の今日ですまない。クリジア・アフェクト。仕事の時間だ』
通信魔具から、イラさんの言葉が響く。私は『むしろそのために来たんだから、謝ることもないよ』と軽く返して、報せの内容を確認する。
『沖で船が沈んだ。最後にこちらが確認した言葉が妙でな。おそらく、君を呼んだ理由だ』
『言葉が妙?』
『ああ』
イラさんが神妙な声で返事をして、少し間を空けてから言う。
『"嵐が飛んできた"と、彼らは言っていた』
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