11話 水の都・アトラティカ

人は情報が処理しきれなくなると思考も身体も固まる。目の前の出来事に釘付けになるとか、考えることを放棄したくなるとか、色々な要因はあったとしても、結果的にぽかんとして固まってしまうものだ。


例えば、いきなり悪魔が現れてゲームを仕掛けてきた時とか、目の前の人間が国の最高権力者の名前を名乗り始めた時とかは特に。


『あ、あら?こういう時ってもっとこう、わー!とかええーっ!?みたいな反応になるものなんじゃないかしら!?』


自称神子様が目の前であたふたしながら、私たちとイラさんの顔を交互に見ている。そこには半ば伝説や御伽噺扱いの神子様らしき風格は一つたりともない。


『えーっと……まだ酔ってる?』


『酔ってるわけじゃないのよ!?』


『クリジア、マジだよこれ。今心の中読んでるけどマジでその神子ってやつだよこの人』


『マジで言ってる?お前また私のこと騙して遊ぼうとしてない?』


混乱する私たちと、必死な自称神子様を見かねた様子で、イラさんが一つ咳払いをする。


『混乱させるような真似をしてすまなかった。お嬢……レヴィが神子なのは本当だ』


イラさんの助け船に、レヴィはぱあっと表情が明るくなる。ダンタリオンの話と、イラさんがこの場で嘘をつくような人間ではなさそうという信頼から、どうやらこの話は本当の話らしい。


『今回は行き先が君たちのところだったから、国のしがらみ云々もなく、お嬢が気兼ねなく外に出られる珍しい機会だったんだ』


『なるほどね。でも今国の周りで変な動きあるんでしょ?神子様が出てきて大丈夫なわけ?』


『心配ないように備えはしてある。国の様子を見た時に、私の言いたいことは理解してもらえるとは思う』


『そっちが大丈夫だって言うなら私は別になんでもいいんだけど』


イラさんの説明にひとまずは納得した私は、一つため息をついて、頭の中を整理する。とどのつまり、普段は国の外に出る機会がほとんどない神子様が、国だなんだの面倒事がなく、比較的信頼のおける関係性の除け者の巣に来るついでにお忍び旅行をしに来たというわけだ。国に不穏な動きがある時に、心底呑気な話だという感想は変わらないが。


『まあ、お堅いよりはいいか……』


『偽名を使ってたのも、変に気をつかわれないようにだったの!ごめんなさいね』


『いいよ別に。偉い人の気苦労はあんまりわかんないけど、気つかわれるのが嫌なのはなんとなくわかるし』


レヴィは『ありがとう!』と返しながら、席に座り直す。昨日、話してた時からわかってはいたが、この人はド級の善人というやつだ。今時珍しいような、本当に善良な人間。多分、深く掘り下げれば私はこの人のことが苦手なのだが、こうして話したりする分には悪い気がする人ではない。


それからしばらくは他愛のない話や雑談が続いた。ミダスさんは神子様のことに気がついてた話とか、イラさんも案外仕事以外の話をしてて盛り上がってたとか、ダンタリオンの魔法が変わってて面白いとか、本当に他愛のない話。そんな話も少し落ち着いた頃に、イラさんが小さく息を吐いて、スッと真剣な顔つきに戻る。


『そろそろだな、仕事の話をしよう。クリジア・アフェクト。先程話した通り、お嬢……レヴィは我が国の神子、それ故に外に出ていることを極力隠したいというのも事実だ』


『そりゃそうだろうね』


『水の都から船がこちらに出てる、などを悟られるだけでも、何か動きがあった可能性を疑われる。故に私たちは船は使わない』


『船を使わない?いやいや、海上国でしょそっち。どうやって行くのさ』


私の疑問の声とほとんど同時に、竜車が止まる。近場の港にはまだ遠いし、街にももちろんつかない頃のはずだ。竜車でまだ走らないと、人里にたどり着くかも怪しい頃合いだろう。


水の都の二人が竜車から降り、よくわからないまま私たちも続いて降りる。案の定、辺りには人の気配はない。それどころか目の前には断崖絶壁と、広く果てのない海が広がっている。どう間違えても、船がこっそり停泊してたりするような場所でもない。


『えっ、ちょ、お二人さんこんなとこで降りてどうすんの』


『私の魔法を見たら驚くかもしれないって、最初に会ったときに話したでしょ?今からお見せするわ!』


レヴィはそう言うと同時に、断崖絶壁から身を投げた。間違いなく命が助からない位置から、何の躊躇いもなく。


『は!?ちょ、やっぱまだ酔ってなっ!?』


慌てて崖下を覗き込んだ私の背を、イラさんが押す。何が起きたか理解し切る前に体は落下を始め、眼下の海へと近づいていく。


『ふざけんなよクソッ……!!』


人生最後のセリフが恨言というのも、なんとも味気がないなんて思いながら、私の身体は海面に叩きつけられる。


そう思っていた。いや、海面には落ちたのだが、クッションか何かのように柔らかく、海に受け止められたような感触だった。そして、私はなぜか今、海中に沈むこともなく、海面にそのままへたり込んでいる。


『驚かせたかな』


イラさんが上から降りてくる。両手にはそれぞれリオンとリアンを引っ掴んでいる。衝撃的すぎたのか、二人はどうやら気絶しているようだった。イラさんは海面にそのまま着地し、何事もなかったかのように私に先程の感想を聞いてくるあたり、色んな意味で肝が据わっているらしい。


『驚かせたかなじゃないんだよ』


『絶叫をあげたりしなかった分、凄いと思うがな』


『驚きすぎると声って出ないんだよ!!ていうか何この状況!?』


『私の魔法よクリジアさん!』


レヴィが海面に仁王立ちで立っている。今まさにお前の側近に殺されかけたのだという文句の一つ二つ言いたいところなのだが、どうにも堂々たるその立ち姿と自信に満ち溢れた顔に、何かを言う気力が音を立てて引いていく。


『私、水を自由に操れるの!この魔法を使って、ここから一直線に水の都を目指すのよ』


『いや魔法は凄いけど、魔力切れたら私ら全員沈まない?』


『大丈夫!大海の神子は海上では無敵だもの!』


『イラさん!?説明は!?』


レヴィの様子を見て、レヴィからの説明を早々に諦めた私はイラさんへ向き直る。気絶したリオンとリアンを抱えているイラさんは、一先ずこちらをどうにかしてくれといった様子で私を見ていた。


私はとりあえず、ダンタリオンを起こして魔術鞘の方に戻るように言い、改めてイラさんへ説明を求める。


『説明するより見てもらったほうが早いと思ってな。スリルはあったろう?』


『時世の句を考えるレベルではね!で、このまま都に向かうって話だけど、レヴィの魔力保つわけ?』


『心配ない。水さえあれば、レヴィはそこから魔力を借りられる。言ってしまえばこの海は神子の魔力そのものというわけだ』


イラさんの説明に、無意識に『なんじゃそりゃ……』と声が漏れる。人の魔力量はほぼ生まれつき決まっている。魔力は使った分、過剰に使わない限りは勝手に回復するので、基本的には空気とかと変わらない感覚のものだ。ただ、その分無理矢理回復させる手段がないのが厄介なところだったりするのだが。


ミダスさんの魔法は相手から魔力を奪ったりもできるが、あれは相当特殊なもので、この世の九割の人間は魔法を回し続ければ魔力が枯れて限界が来る。それはそのはずで、ずっと魔法を回すというのは、呼吸せずに長距離走をしているようなものだ。しかし、目の前の神子様はそれができてしまうらしい。


『大海のって銘打ってはいるけど、私の魔法は水ならなんでも大丈夫なのよ!それでも、海が一番広いし、私も慣れ親しんでるのだけどね』


『とにかくとんでもないのはわかった。けど何?これ歩いて行くの?』


『あら、素敵な提案ね!けどそれじゃ何日もかかっちゃうわ!だからね……』


レヴィがいたずらな顔で、にやりと笑う。それとほとんど同時に、イラさんが小声で私に『少し姿勢を低くしておくと良い』と声をかけた。その意味がわからず、聞き返そうとした瞬間に、視界が後ろへと突き抜ける。


『は!?何っ、なんだぁーーっ!?』


海面が飛沫を上げ、空と雲が後ろへ、後ろへと突き抜けるように流れて行く。少ししてから、私自身がもの凄い速度で海上を進んでいることを理解した。後ろに放り投げられていないのは、私の足を水が固定してくれているからのようだ。


『ここからは、波に乗って行くのよ!!』


レヴィは慣れているのか、私の方に振り向いて、満面の笑みで私に言う。なるほど、波に乗るとはよく言ったものだ。確かにこの状態は波に乗って、海上を爆進している。鮮やかに乗りこなしているというよりは、引き摺り回されてるような状態だが。


『説明してからやれバカ神子ぁ!!!』


相手の立場も、自分が仕事を受けた傭兵であることも忘れて、精一杯の恨言を叫ぶ。当の神子はおかしくてたまらないといった様子で笑っている。友人だと言うのなら、無事に水の都へ着いたら一発くらいぶん殴ってやろうと私は心に誓った。










暫くの間、竜車よりも速く滑っていく身体と視界に振り回されてはいたが、ようやく海上を滑るように爆進するのにも慣れてきた。説明された通り、レヴィには少しも辛そうな様子はなく、この速度で進んでいるというのにまるで踊っているかのように、あたりを見渡しながら華麗に海上を滑っている。


改めてぐるりと視界を巡らせると、一面が大海原で、そこを生身一つだけで滑っていることを実感する。最初こそとんでもないことをしてくる奴らだと思ったが、慣れてくると正直楽しい。


『どう?気に入ってもらえたかしらクリジアさん!』


『あー、正直結構楽しい。いいねこれ』


私の答えに、レヴィは満足気に『そうでしょう!』と笑う。水の都は住み良い国だとか、本当に明るい国だという話を聞いたことがあったが、国の顔とも言える神子様がこの様子なら、そりゃ嫌でも明るくなるのだろうなと妙な確信がやってくる。


『イラさんもこれ慣れてるわけ?』


『お嬢はよく海上散歩をしていてな。守人の私は付いて行くうちに慣れたよ』


『へえー、これを頻繁にできるのはちょっと羨ましいかも』


『初めは私も驚きすぎて笑われたがね』


『あ、やっぱ最初はビビったんだ』


イラさんは『それはもちろん』と言いながら笑う。その様子を見て改めて、お堅そうなのはともかく、苦手というのは私の先入観だったなと少し反省する。


『もう少しで国が見えてくる頃だ。到着してからの話をしておきたいのだが良いか?』


『マジで!?めっちゃ速いねこれ!?まだ二時間も経ってなくない!?』


『はは、船なぞ目ではない速度で進むからな』


『レヴィが凄いって話かぁ……で、えーっとごめんごめん。着いてからの話だよね』


『急足ですまないな』とイラさんが謝る。私たち傭兵からすれば、ここまで丁寧に相手をしてもらえるだけで他の大体には目を瞑れてしまうような話なのだが、下手に謙遜するとこの人はそれにすらしっかりと応えてくれるだろう。ミダスさんがイラさんのことを『石頭様』と呼んでいたことを思い出して、なるほどこういうことかと私は納得した。


『我々直々の依頼ではあるが、あくまで君は雇われという扱いだ。申し訳ない話だが、神殿……俗に言う王宮のような場所に部屋を用意するというわけにはいかなくてな』


『いやそりゃそこまでは期待してないよ。いいよ別に、宿とかあるでしょ?』


『宿ももちろんある。が、君の宿泊先を用意させてもらっている。所在がわかる方がこちらとしても助かるし、傭兵で内密にとはいえ我が国の客人だからな』


いたせりつくせりな話に私は呆れ返ったような生返事を返す。ここまでの好待遇をされたことは当然ながら傭兵業をやってきて一度もない。寝床なんて野宿な時もあったし、依頼人を殺してやろうかと思ったことだって何度もある。


治安や情勢を踏まえても、傭兵に依頼を流す輩に私たちを気遣うほどの余裕はないことの方が多いし、それが当たり前だ。今回のこの好待遇は、さすがは直属の国からの依頼というべきなのだろう。


『ただその宿泊先なんだが……』


『いやもうここまでされてたら文句なんて本当になんもないよ。今は殆ど使ってない荒屋なんだとか言われても全然良いけど』


『そういうわけではない。ただ、一般邸なんだ。少し変わった家だが、きっと合う話もあるだろう。どうしても反りが合わないとかがあったら私に言ってくれ』


『人肉食至上主義ですとか言われなきゃ余裕だよそんくらい。傭兵の扱いとしちゃ破格だね』


『苦労してるんだな』とイラさんが微笑する。正直な話、宿泊先云々なんて傭兵業として見た時には苦労のうちには入らないようなところなのだが、同年代の大国暮らしとかよりは断然苦労してるだろうしと、よくわからない言い訳を自分にして、私はちょっと得意気に『まあね』と返して笑う。


『本当は神殿か、イラの家とかに案内できたらよかったのだけどね。私もせっかくだからお友達をお家に招きたかったわ』


『神殿なんて入ったら萎縮しすぎて豆粒になっちゃうって。気持ちだけもらっとく』


『ありがとう!今回案内するお家、私のお友達のお家なの。見た目はクリジアさんと同じくらいかしら?仲良くしてあげてね!』


『へー、同い歳くらいの人いるんだ。観光名所でも教わろうかな』


私の反応に、レヴィが『歳はちょっとわからないけどね』と少し目を逸らす。その意味はよくわからなかったが、仲良くしてあげてねと言うからには少なくとも歳が近めの人なのだろうと勝手に解釈して、特に気にすることもなく海上旅行に意識を戻す。


時折、魚が足元を駆け抜けたり、大きな海洋生物が遠くに姿を見せたりしていて、一見すると殺風景に見える海上には想像以上に景色がある。竜種と思しき背が見えたりすると若干肝が冷えるが、それもまた一興というやつなのだろう。


そんな次々と姿を変える海の景色を楽しんでいると、前方に山のような影が見えた。脳内の地図でざっくりとした位置の予想だが、今私たちがいる場所から見える山はないはずだ。


『見えてきたな。あれが水の都アトラティカだ』


イラさんが前方の山を指差して言う。陸地のシルエットにしては妙なそれに、私は疑問を抱いたが、少し近づくとなぜ山のように見えたのかを理解できた。


私が山の影だと思ったそれは、巨大な水のドームのようなものだったのだ。唖然としている私に、レヴィが笑いかける。


『何かあったら大変だから、出る前に作って行ったの。普段はこんな風じゃないのよ?』


『作ったって……まさかこの水のドーム……』


『神子様特製の国全部を丸ごと囲った防壁!兼用で感知器でもあるわね!』


バーンという効果音が聞こえてきそうなほど胸を張って、レヴィが得意気な様子で言う。いくら小国とはいえ、島一つ分はしっかりと国土がある。そんな国を丸ごと囲うなんて真似ができる人間が存在していいのかと、気が遠くなるような感覚が襲ってきた。最近はとんでもないものに遭遇する機会が多すぎる。


『はは……神子様ってすげえ……』


ほとんど無意識に、自然と溢れた感嘆に、レヴィは『そうでしょう!』と元気よく返事をしたが、当の私はそれに頷くことしかできず、徐々に近づいてくる水のドームを呆然と眺め続けていた。









水のドームを抜けると、その中に隠れていた本来の水の都の姿が現れる。小中規模の島々を、橋と水路で結ぶことで一つの国とした海上国。噂には聞いていたが、実際に見ると話以上に美しい国だと実感する。


視界に映る建造物は、殆どが白を基調とした作りとなっており、青い海によく映える。沿岸から見てこの綺麗さなのだから、主要な街中やいわゆる観光名所を歩けば尚更だろう。


そして、その美しい街並みにぐるりと囲われるような形で、この国の中心部であろう位置に、ここからでも一際巨大な建造物と認識できる神殿が聳えている。私は『確かに護り神が居るには相応しい位置だな』とありきたりな感想を抱いた。


加えて、今は水のドームに囲われてるせいで、まるで水中にある都市のような見た目になっている。私が探検家だったなら、この光景を幻の地だとかなんとか言って、嬉々として自伝に書き込むだろう。


『改めてようこそ!水の都アトラティカへ!ゆっくり観光、とさせてあげられないのが残念だけれど!!』


『いやいや、十分いいもの見た気分になってるって』


レヴィは少し不満気に『これくらいで満足してもらっちゃ困るわ』と頬を膨らませる。自分の国に相当自信があるのだろう。確かに、私がこの国のトップにいたとしたら、多分レヴィと似たような反応をする気がする。私ですらそう思えるくらい、綺麗な国だと思った。


私たちは町外れの海岸に上陸し、今後の動き方についてを簡潔に話し合うことにした。レヴィとイラさんだけなら水路をそのまま滑っていっても、割といつもの光景らしいが、私も一緒となると少し話が変わるとのことだ。私としてもそりゃそうだろうというところなので、文句も何もなかった。


『一先ず、お嬢は先に神殿まで戻ってこの防壁を解いてくれ。民に協力してもらってる話だからな』


『そうね。それじゃあクリジアさん、今回はよろしくね。また会いましょう!』


『こちらこそ。こんだけしてもらった分、仕事はちゃんとするよ』


『お友達としてもよろしくね!』


『あー、うん。よろしく』


レヴィはブンブンと手を振りながら、さっきまでと同じように海上を滑って街の方へ向かっていく。知らない人が見たら何事かと思うような光景だが、国民からすると見慣れている話なのだろう。観光客はたまげるだろうが。


『さて、私からも改めて、アトラティカへようこそ。今回はよろしく頼む』


『真面目だなぁイラさん……』


深々と頭を下げるイラさんを見てつい口から言葉が漏れる。初対面がこの感じだったら間違いなく打ち解けていなかったであろう姿に、私は自嘲気味に苦笑して『よろしく』と答えた。


『君を泊めてくれる家までは私が案内する。観光とまでは行かないが、せめて街並みくらいは楽しんでくれ』


『お、マジで?けどイラさんと歩いてても結局目立たない?神子様と一緒よりはマシとは言え』


『何か聞かれたら私の知人だということにするさ』


『それでまかり通るなら頼もうかな』


イラさんは『それでは向かおうか』と街へ向かって歩き始める。私はその後に続く形で、水の都へと歩みを進めた。


しばらくして街中に入ると、水のドームに囲われた、いわゆる緊急事態の状態であろうに、街は活気に満ちていた。ガタイの良い男性が数人、集まって酒を飲み笑い、多くの店が行き交う人へ自慢の品を薦め、街に流れる水路を船頭が人を運んで行き来する。そんな人の明るさを集めたような街並みに私は感心すら覚えていた。


イラさんはレヴィと同じく、街の人々からは親しまれているようで、歩いている間に何度も声をかけられていた。今日は神子様は一緒じゃないのかとか、休みなら飲んでいかないかとか、そんな他愛のない話だが、やはりこの国は温かい。上辺だけを取り繕って、貧富の差が浮き彫りになった国だとか、そういう話はよくあるが、この国にはそういった話もないようだ。


『良いとこだね。本当に』


『ああ、自慢の国だ。お嬢のな』


『レヴィの国ってわけでもないでしょ』


イラさんは『いいや、お嬢の国だよここは』と笑った。なんでも、レヴィが正式に神子様として表に出たのはほんの数年前で、それまでは国王のみでの統治をしていたらしい。その間も決して悪い国ではなかったし、国王を非難するような者がいたわけではない。それでも、ここまで明るい国になったのは、レヴィが神子となってからだそうだ。


国王や神子といった権力者には、当然の話ではあるが威厳があり、一般人とは隔たりがある。この国もそれが普通だったようで、私もそれが当たり前の形だとは思う。その隔たりが、レヴィが神子となってからはなくなったらしい。破天荒すぎるだとか、お転婆だとか、心配や不安の声も最初は多かったようだが、今ではもはや街に遊びにくる神子様が国の名物の一つとまで言われているそうだ。


『この国が一つの家族のようになったのはレヴィがいたからだ。愉快な話だろう?天上の神様が、自ら人に近づいて、気がつけば皆を虜にしてしまったんだ』


『あんな神子様がいたんじゃいがみ合うのも馬鹿馬鹿しくなっちゃう気もするよ。観光名所扱いしちゃうのは商魂逞しいと思うけど』


『違いないな。レヴィが観光名所化している現状は多少、いや割と困ってはいるのだが』


ため息を吐くイラさんを見て、まああれだけ快活な神子様の守人となると苦労も絶えないだろうなと少し同情する。あれでも最高権力者となれば、暗殺だなんだの危険もあるだろう。それを守っている側からすれば、気が気ではない状態なのはわかる。


『お嬢は可愛いからな。邪な目で見る輩も少なくないことを分かってない』


『そういう心配かい』


暗殺云々じゃないのかよと私は思わず突っ込む。おそらく、あえて暗い話題にならないものを選んでくれている部分もあるが、そんな話題を出す余裕があるくらいには、相当平和な国であるということなのだろう。


実際、レヴィは同性の私から見ても可愛いと思うし、聞いた話ではあれが子供と一緒に水遊びをしてたりするらしい。そんな無邪気で可愛い上に、豊満なものをお持ちの神子様に性癖を歪まされた人は一体何人いるのかとかは少し考えた。特に、この国の男の子は大変なんじゃないだろうか。色々と。


『と、そろそろ到着する。少し街並みの雰囲気が変わったと思うが、この辺りは学者や研究者が多く住む地域なんだ』


『ってことは、泊めてくれるのは学者さん?』


『ああ。魔法の研究にも携わっている学者夫婦だ。ダンタリオンたちの話も、できる限りの範囲でしてあげて貰えると嬉しい。契約者だとは話していないが、君にはダンタリオンという名前の連れがいることは伝えている』


『学者夫婦かぁ……ま、話せる範囲では話すよ。気が合うといいけど』


『お堅い人、というやつではない。どちらかと言えば破天荒な方だ。君はそっちの方が合うだろう?』


『それはその通り』と私は笑う。学者、と聞くとかなり堅いイメージはあるが、研究だなんだをしている人間はどちらかと言うとメチャクチャなのが多い。少し昔に、マギアスの若い魔法研究家に会ったことがあるが、真面目の真逆のような存在だったことを覚えている。


『よし、着いた。この家だ』


『うわ、結構立派な家』


イラさんが指し示す先にある家は、ここに来るまでに見てきた家と比べても一回りくらい大きな家だった。白を基調とした建物であることは変わらないが、細部の装飾や造りから良いとこの家だということが伝わってくる。


私が家に見惚れている間に、イラさんは玄関のベルを鳴らす。暫くして、戸の奥からパタパタと駆ける音がした後に、玄関が開いた。


『あ、イラさん。お待ちしてました』


『やあ、オーロス。ご夫妻はまだ戻ってないのか?』


中から現れたのは、茶色の髪をした、少し気弱そうな青年だった。イラさんの反応を見るに、家主ではなく、息子か使用人の類なのだろう。オーロスと呼ばれた青年は『今ちょうどお料理で手が離せなくて』と笑って答える。


『お客様が来るのは珍しいからと張り切られてまして』


『歓迎されすぎてて逆に申し訳ないなぁ……』


『そんなそんな。外の人にこういった形でお会いできるのを皆楽しみにしてたんです』


青年は気の良さそうな、柔らかい笑顔で言う。その様子は堅苦しくはないが、少しばかり謙遜されすぎている気がしてむず痒い感じもする。おそらくは性格の関係なのだろうが、ちょっと気まずい。


『では、私はこの後お嬢のところへ戻るが、何かあったら気兼ねなく連絡してくれ』


『りょーかい。ありがとイラさん』


イラさんはお辞儀をすると、スタスタと神殿の方向へ歩いていく。ようやく慣れ親しんできたところだったのもあり、珍しく少し寂しいような、残念な気持ちが湧いてくる。


イラさんの背を見送った後、オーロスの方へ向き直る。それとほとんど同時に、家の中からバタバタと、此方に向かって駆けて来る音が響く。


『お客さん来たの!?いらっしゃい!』


床を滑るように飛び出してきたのは、オーロスとは似つかない、金髪に青く透き通った目をしている女の子だった。ぱっと見の背格好は私と同じくらいなので、レヴィやイラさんが言っていた"友人"というのは、おそらくこっちの方だろう。女の子は、私に一気に詰め寄ると、両手を握ってブンブンと激しい握手をする。


『こんにちは!会えるのを凄く楽しみにしてたの!!さ、上がって上がって!』


『ニコラ、少し落ち着いて……驚かせちゃうから』


ニコラと呼ばれた女の子はハッとした顔をした後に私の手を離して『ごめんなさい!』と頭を下げる。私は呆気に取られたまま、ぼんやりとこの国の人たちは基本的にはこんな感じなんだろうかと考えていたため『え、あ、はい』みたいな、喋るのが苦手な人のような受け答えをしてしまった。


『すみません。この子はニコラ。僕の……義妹です。ご覧の通り元気の良い子で』


『義妹?血縁じゃないんだ』


『はい。僕が養子のようなものでして』


『道理であんまり見た目は似てないわけだ』


オーロスは『そうですよね』と笑い、改めて私へ立ち話が長くなってしまったことを謝罪すると、どうぞ中へと招いてくれる。ニコラはひとまずは落ち着いた様子だが、変わらずにそわそわとしており、本当に他所の人間が珍しいようだった。


『観光客多いだろうに、そんなに外の人って珍しい?』


『ニコラはいわゆる箱入り娘なんです。ニコラ、先に食卓で待ってて』


ニコラはオーロスに言われるとコクリと頷いて、家の奥へ再びパタパタと走り去っていった。私は玄関で軽く服を払ってから、靴を脱ぐために屈む。


『そういえば、お連れの二人は一緒じゃないんですか?』


『連れ?……ああ、二人ね。ちょっと連絡してみるよ』


私は一度立ち上がって、魔術鞘に手を入れる。旅の疲れもあるだろうが、愉快な神子様とそのお付き人と、こんな素敵な国を歩いていたせいか知らず知らずのうちに気が抜けてしまっていたらしい。


イラさんが『ダンタリオンという名前の連れがいる』と伝えておいてくれていということをすっかり忘れていた。私はやれやれと自分に対しての呆れからため息を吐いた。














『なんで"二人"ってわかった?』


魔術鞘から、刀を一気に引き抜き、その勢いのままオーロスを叩き斬る。私の振り下ろした一撃は、確実にオーロスの身体に捻じ込まれ、微かな抵抗を感じさせながら振り抜かれた。人間なら即死か、致命傷になる一撃だ。


しかし、その身体から、鮮血が散る事はただの一滴たりともなかった。


『何者だよ、お前』


崩れ落ちる身体に、私は問うた。



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