二章・水の都アトラティカ

10話 大海からの使者

アモンの襲撃からしばらくが経ち、除け者の巣の本拠地はほとんど修復、というか再建築され、あと数日もすれば私は居候生活から戻れそうだ。正直なところ、居心地は良いし、ご飯は美味しいしでずっと居候でも良い気はするが、流石に申し訳ない気持ちがあるので泣く泣く戻る決心を固めていた。


残り少ないエンシア家居候生活に後ろ髪を引かれながら、私はいそいそと仕事の準備を進めていた。


『クリジアちゃん、お昼できましたよ〜』


『はーーい。今行くー』


フルーラさんに呼ばれ、階段を降りてダイニングへ向かう。リベラちゃんとエレフくんの二人はもう着席していて、行儀良くご飯を食べている。私は二人に挨拶代わりに手を振って、用意された席に座る。


彩り豊かなサラダと、適度に焼き跡がついたグラタンとパンが食卓には並べられている。食堂で出る一人用のものとは違って、サラダやパンが大皿に盛り付けられて、自由に取る形になってるのが、家庭を感じてどこか暖かい。


『はぁ〜……ずっと居たいここに』


『ふふっ、私は構いませんけどね。二人も喜びますよ』


『本当に〜?』と言いつつ、子供たちの方を見ると、ご飯を頬張りながらコクコクと頷いてくれている。目をキラキラさせながら、ずっと居てくれることを期待している眼差しは罪悪感を覚えるほどに真っ直ぐだ。


『あはは……嬉しいけど流石に申し訳ないから、帰るよ。遊びには来るけど』


『たくさん来てくださいね』


『この家優しすぎてクリジアちゃん泣いちゃう』

 

『泣くより前に少し急がないと、ミダスさんに怒られちゃいますよ。クリジアちゃん』


『急に現実に引き戻すじゃんフルーラさん』


萎れて小さく駄々をこねる私を、フルーラさんが笑いながら嗜める。この人も突き詰めるとかなり変わった人だが、優しいことには変わりない。母親という存在が、割と遠い過去になってしまってる私には少し暖かすぎるくらいだ。たまに味わうくらいにしないとそのうち何か、色々と戻れなくなる。そんな気がした。


熱々のグラタンと、柔らかいパン。新鮮なサラダを楽しみながら、子供達と中身があやふやすぎる会話をしたり、フルーラさんから無理はしないようにと心配してもらったりして、昼食の時間はすぐに終わってしまった。


『ごちそうさま!それじゃちょっと行ってくるね』


『ええ、お気をつけて』


『父さんによろしくジアお姉〜』


『よろしくーお姉ー』


子供達とフルーラさんに見送られ、私はギルドに繋がった門へと入る。家族ってこんな感じだったなと思ってしまうのは、仕方ないことだと言い訳しながらなのがなんとも締まらないが。







『お、来たな』


『呼ばれてましたからね。仕事ですか?』


新設・除け者の巣。とは言っても中身はほとんど変わっていない。というか古くなり始めてた部分や、壊れたり傷ついたりした部分が建て直されたことで前より綺麗になっている。ミダスさんも開き直って『リフォームだなこれ』と言っていたのが記憶に新しい。


ミダスさんが『とりあえず座って待ってろ』と言いつつ、即席で準備された客人用の茶菓子の用意を始める。私に対してあれが用意されることはまずあり得ないので、誰かしらがここに来るということだろう。


『誰が来るんすか?』


『今回の依頼人。んで俺の形式上の上司』


『上司?』と私が聞き返すと同時に、ギルドの入り口が開かれる。目線をそちらに移すと、入り口には二つの人影が見えた。一人は目を引く赤髪に、見るからに厳しく生真面目そうな顔つきの軍服姿の女性。もう一人は同じ軍服姿だが、長い藤色の髪に、人当たりの良さそうな顔が、こう言ってしまうと申し訳ないが、あまり軍服には似合わない人だった。どちらかというと、どこかのお嬢様だとかの方が似合いそうだ。


二人は座っている私と目が合うと、きっちりとしたお辞儀で挨拶をする。私は軽く会釈して返すが、正直こういう堅苦しい人は肌に合わないので、割とすでにこの仕事に不安を抱き始めていた。傭兵業なんて生真面目な人にはそもそも滅多に会わないし、雇われ先の軍人に会ったとしても、大半がゴロツキが礼服を着たような奴ばかりだ。とどのつまり、礼儀を気にしなきゃいけない空間が私に向いてない。


茶菓子を用意し終えたミダスさんが顔を出し『よお、ご足労どーも』と挨拶をして私の向かいの席に座るようにと指をさす。二人はそれに応え、席に座った。


『再建費用含めて世話になったな、イラ嬢』


『何があったかは詳しく聞かんが……あまり無茶な要求を持ってくるなよ。ミダス』


『たまにしか頼らねえんだからいいだろ』


イラ嬢と呼ばれ、答えたのは赤髪の方だった。お嬢様呼びされるのなら藤色髪の方だと思ったのだが、私の予想は外れていたらしい。当の藤色髪は、少し緊張した様子でピシッと背筋を伸ばして座っている。


ミダスさんが二人に茶菓子を出し、私の隣に座る。私にはお茶すらなかったことに若干不服さを感じながらも、この二人の前であまりふざけたことも言えそうにないのでぐっと飲み込み、話の始まりを待つ。


『で?そっちからうちに話持ちかけんのは珍しいよな』


『少々面倒事でな。君達に助けてもらいたい。このまま内容を伝えても良いか?』


『受けるのは隣のガキんちょだがいいか?』


『可愛いクリジアちゃんに対してその紹介の仕方は如何なもんかと思いますミダスさん』


私が異を唱えると同時にミダスさんから無言のゲンコツが飛ぶ。それを見た赤髪は真顔だったが、藤色髪の方は面白かったのか、少し笑っていた。


『此方としては、辻斬の異名で通る傭兵を借りられるのなら嬉しい限りだ』


『げっ。その通り名可愛くないからやめて欲しいんだけど』


"辻斬クリジア"というのは、私の傭兵としての呼ばれ方だ。珍しい形の武器で、次から次へと敵を斬り捨てていく様を見て、どこかの誰かがそう呼び始めた。私は仕事を受ける頻度が多かった事もあり、いつの間にか色んなところでこの名前が呼ばれ始め、通り名として有名になった。


髪色を指して"銀色の風"とか、私の目の色をさして"違い目の牙"とか、そんな呼ばれ方をしてた時もあった。しかし、いつの間にか誰からも辻斬と呼ばれるようになっていった。私は別に剣術を習ってたわけでもないし、人を斬りたいわけでもない。加えてこの呼び名は人殺しが趣味みたいで、本当に可愛くない。だから嫌いだった。


『お前もうその通り名で有名だろ』


『嫌なんすよアレ!別に人殺し趣味なわけでもないし!!』


『仕事の話をして良いだろうか』


『あ、うっす。すんません』


赤髪が変わらない様子で、淡々と話し始める。やはり冗談とか、雑談が通じるタイプではないのだろう。多分、私が割と苦手なタイプだ。そんな気がする。


『君たちが今回、悪魔の襲撃を受けたことはミダスから聞いている。それを踏まえての話だ。契約者や悪魔、それに詳しい人間に来てほしい』


『俺はその話までは聞いてたな。だからこのガキを呼んだんだが、詳しい中身はなんだ?』


『あ、だからソニム先輩とかじゃなかったんすね』


『それもある。ま、それ以前にあいつは人と関わる仕事したら九割問題起こすから呼ばなかったんだが』


ミダスさんが顔を手で覆い、溜息を吐く。私はそれを聞いて納得した。龍狩はそもそも魔法に知見が深くないのも間違いないが、それ以前にあの人は他人嫌いで、人殺しはしないが人と喧嘩はする。冗談が通じる通じないの話ではなく、磁石の同極とか、水と油とかと同じようにあの人は他人と合わない。


『だがなんで悪魔に詳しい奴なんだ?』


『国で妙な海難事故が何件か発生した。そこに加えて翼の生えた人影を見た、異常な天候の変化があったなどの報告が相次いでる。断定はできないが、可能性がある以上調査をしないわけにもいかんのだ』


『水の都相手に攻め込もうなんて考える奴がいるか?このご時世に加えて、神子様もいるだろ』


赤髪が『それはその通りだがな』と、困り果てた様子でミダスさんに同意する。私もミダスさんとは同意見だった。水の都というのは海上の小国"アトラティカ"の通称だ。小さな国だが、国の周囲は大海に囲まれ、天然の要塞となっている。それに加えて、この国の護り神、最強の砦として"神子"がいる。


大海の神子、その名前は噂でしか聞いたことはないが、おそらくは魔女の力の類だ。海そのものが神子の力であり、波も、嵐も、海全てがあの国の武器であり盾だと言われている。現在の神子は確か"レヴィ"という名前で、歴代でも変わり者の神子だとかの噂も聞いたことがある。


神子の力は、人間一人が持つ力の大きさを遥かに超えているように聞こえるが、事実としてあの国が外部に脅かされたことは数百年間、一度たりともない。


『水の都の神子様の話って本当なんすか?』


私のヤジに近い質問に『それは本当よ!』と藤色髪が急に声を張り上げる。


『あまり大きな声では言えないけれど、神子様の魔法は見たらびっくりしちゃうかもしれないわね!』


『私は今あんたのテンションの方にびっくりしてるけどね』


立ち上がった藤色髪を、隣の赤髪が制するように座らせる。藤色髪ははっとした顔をした後『ごめんなさいね』と元気よく謝罪しながら席についた。どうやら、こちらは静かにしていただけで、かなり明るいタイプの人間らしい。本当の堅物や妙な思想家よりは断然マシだが、空気はあまり読めないようだ。赤髪の言うことをすんなり聞いているあたり、素直な世間知らずと言った感じだろうか。


『すまない。こちらの……あー、レイナはあまり国の外に出たことがなくてな。色々なことが珍しく映るんだ』


『あ〜、あんたに比べて軍人っぽくないのはそういうわけか』


『私も正式には軍人ではないがな』


『そーなの?サマになってるけど』


お堅そうだし、と言いかけてギリギリで口を閉ざす。当の赤髪の方は『そう言ってもらえるなら嬉しい限りだ』と言ってこちらに微笑んだ。暇つぶしに少し皮肉ったつもりだったのだが、惨めな気分になって終わってしまった。


『話を戻すが、悪魔と契約者が関与している可能性も考慮した上での調査協力を願いたい。ミダスからは君が推薦されたが、最終的には君の意思決定で構わない』


『私は別に断る理由ないかな』


『報酬はどうなる?上司命令でタダでやれって言うなら俺がこの話を蹴るぞ』


『君から私たちへの信頼がなさすぎないか?しっかり払うよ。上司だ部下だと言うが、我々は対等な関係が近いだろう』


『冗談だっつの。明日出るんだろ?今日はここに泊まってくのか?』


『そうさせて貰えると助かるな』


『それなら交流深めがてらにクリジアと話とかしといてくれ。クリジア、軽く案内とか頼む』


『はい!?』


言いながらミダスさんは席を立つ。私は置いていかれてたまるかと、ミダスさんの服の裾を掴んだ。


『ちょいちょいちょい!!その辺はミダスさんがしてくださいよ!私面識すらないんすよ!?』


『何照れ屋みたいなこと言ってんだお前』


『照れ屋にもなりますって!お偉いさんの相手とか向いてないのわかるじゃないっすか!』


縋り付く私に『いいから行け』と無慈悲な言葉を残してミダスさんは書類仕事へ戻っていく。取り付く暇もないまま私は水の都からの使者二人のいる席に取り残されてしまった。


『あー、その。なんつーか、ヨロシクオネガイシマス』


『変に気を使わなくていい。よろしく、クリジア・アフェクト』


『よろしくね!クリジアさん!』


『ッス』


赤髪の方への『そういう堅い感じがあんまり合わなそうで不安なんだ』という気持ちを抑えながら、二人に対してぎこちない礼を返した。








水の都からの使者、イラとレイナが除け者の巣に訪れた日の夜。私は除け者の巣で二人と共に過ごしていた。


『えーーー!?レイナ酒すら飲んだことないの!?箱入りじゃん!!水の都って禁酒の法令とかあんの!?』


『そうなのよ!禁酒の法はないけれど、生い立ちの関係であんまりそういうのに触れてこれなかったの!』


『じゃあ今日ちょっと飲もうよ!!せっかくだしデビューデビュー!!』


最初は気が合わなそうと思ったが、今ではこんな具合で、特に藤色髪の方、レイナとはすぐに意気投合した。もう一人も別に悪い人ではないのだが、より気が合いやすいのはレイナだったという感じだ。


赤髪の方、イラさんは悪い意味ではないが、やはり生真面目らしく、酒は嗜む程度に飲みつつミダスさんと仕事に関しての打ち合わせか何かをしているようだ。思ったよりは話しやすいが、基本的には堅物なのは間違いないのだろう。


そんなわけで、私はしっかり飲んで、仕事の話なんてろくにしないまま、未だ酒が未体験だと言うレイナに初飲酒を勧めていた。


『でも……お、怒られないかしら』


『イラさんに?大丈夫大丈夫、今ミダスさんと話してるっぽいし、こっちのこと気にしてないよ多分』


『それなら……少しくらいは試してみたいわね!』


『ノリいいじゃ〜ん!』


ワクワクした様子のレイナに、私は自分の酒を手渡す。よく飲まれる定番のもので、炭酸に柑橘系の汁と適量の酒を合わせたものだ。私は酒は飲むが、正直強いわけではないのでこのくらいの飲みやすいものをよく飲んでいる。レイナにとっても、初めてならちょうどいいだろう。


レイナは恐る恐る酒を受け取ると、本当に初めて見たといった風にグラスを色々な角度から見ている。軍人で酒を飲んだことがないというのも珍しい気もするが、国柄はもちろん、個人のことなど私にはわかりえない。深く詮索するのも野暮だし気にしないことにした。


『あ、一気に飲むと多分色々大変なことになるから少しずつね』


『そうなのね!わかったわ…!』


返事の後、キッとレイナが覚悟を決めた顔つきになる。そんなに警戒するものでもない気もするが、そういえばエルセスさんのバーで初々しい感じの女性客を口説く男がちょうど今の私のように酒を勧めていた記憶もある。そういうものを踏まえるとこのくらい警戒してもいいのかもしれない。


『どう?炭酸がダメな人もいるけど』


『パチパチしてちょっとびっくりしたけど美味しいわ!すっぱい?ちょっと苦い?変わった味なのね』


『炭酸のことパチパチって言う人初めて見たかもしんない』


『変わった感覚で楽しいわ!他にもあるの?お酒に種類があることだけは知ってるのよ!』


『マジで世間知らずの度合いがすごいなあんた!?いや、他のはあるけど……』


エルセスさんがいればなと思いつつ、私は適当に普段よく飲んでいる酒を見繕う。私では既に完成されているものや、混ぜるだけの簡単なものくらいしか用意ができない。初体験としてはある意味ちょうど良いのかもしれないが、安酒は変に酔っ払うこともある分安易に勧めにくい。というか、おかしな事になった時にイラさんの方に怒られるのが怖い。


『あんまり飲みすぎるとこう、地獄を見るからそれでやめといた方が……』


私が保身七割、心配三割の声をかけた瞬間、レイナが私の両肩をガッと掴む。その勢いのまま、驚愕している状態の私に顔を近づける。その目がかなり必死な目だったのもあり、軽い恐怖すら感じた。


『お願いクリジアさん、国に戻るとこうも上手いこといかないの!今だけなのよ』


真剣な顔つきでレイナが私に懇願する。その様子は本当に必死で、本人の純真無垢な振る舞いも手伝って、断ろうにも私に微かに残ってる罪悪感とか、良心みたいなキラキラしたものが刺激されてしまう。


『ねっ!お願い!イラには私のわがままのせいって言って良いから!!


『わかったよ!まあ良いけど、気分悪いとかになったらすぐ寝てね!?世間知らずとテンションが相まって結構怖いんだよ今!』


『ありがとう!それで、他にはどんなものがあるのかしら!?』


『後半聞いてた!?』


一応、明日の昼には国へ戻るとイラさんから聞いていたが、レイナの上がり切ったテンションの前には静止などもちろん効かなかった。加えてミダスさんもイラさんも何故か止めに来ないままに時間が進んでいったとなれば、結果は火を見るよりも明らかだ。







翌朝、レイナは見事に二日酔いで倒れた。







『いやすんません本当に私これでも止めたんですけどなんていうか気迫があったというか止めきれなかったというか』


『いや、これに関してはおじょ……レイナが悪いから気にしないで良い』


イラさんが深い溜息と共に、朝一から土下座をしている私を気遣ってくれている。ミダスさんは部下の私のことを助ける気はさらさらない様子で笑ってるし、レイナはもちろん一言も発せないレベルで潰れている。今のレイナはイラさんの肩にぶら下がる謎の物体のような状態だ。


『ミダス、仕事に来たら私たちの契約者が土下座してるんだけど何この状況』


『ようダンタリオン。これはアレだ。世間知らずのお嬢様を酔わせて潰した奴の謝罪現場』


『私が股の間に脳みそついてる奴みたいな言い方するのやめてもらえます!?』


ダンタリオンがドン引きの顔で土下座している私を見下ろしている。この惨状の要因の最中にいなかった癖にと内心悪態をついたあたりで、ハッとイラさんの様子が気がかりになった。悪魔の姿なんてものは、見たことのある人間の方が少ない。印象が良いか悪いかで言えば最悪だろう。それが突然やって来たとなれば、最悪レイナに続いてイラさんまで倒れかねない。まずいと思い、咄嗟に口を開く。


『あっ!!イラさんそれは私の契約してる悪魔で見た目以外は全部その辺のクソガキと変わらないんで』


『ああ、成程。君がダンタリオンか。話だけは聞いていたんだ。すまないが今回はよろしく頼むよ』


私の心配を他所に、イラさんは落ち着いた様子でダンタリオンに挨拶をする。ダンタリオンは流石にその反応が意外だったらしく、一瞬キョトンとした顔をしたが、すぐにいつもの調子に戻り『よろしく軍人さん』と挨拶を返した。


『なんならそこの土下座してる奴の首落として契約者すげ替えてもらっても良いくらいだよ』


『なに私を売り飛ばしてんだよ尻軽悪魔』


『土下座してる契約者ゴミと礼儀正しい軍人のどっちを取るかだろ今の状態は』


『漫才やってないでそろそろ仕事行けよお前ら』


ミダスさんに呆れ混じりに怒られ、私たちは用意された竜車に乗り込む。フルーラさんの魔法で飛ぶこともできるが、緊急でない場合は竜車を使って移動するのが通常だ。理由は諸々あるが、フルーラさんの負担や座標移動の難しさ、私たちがそういった移動方法を持っている情報の流出などが主となる。


今回は約一名、比較的愉快な理由で緊急に近い状態だが、自業自得だからというイラさんからの宣告により竜車移動となった。レイナは相変わらず元人間の粘液か、不細工な粘土細工にしか見えない具合の瀕死っぷりなのが気の毒だが、私は一応雇われなので雇い主のイラさんには逆らえないのも含め、せめてと思い心の中で手を合わせて謝罪した。


『迷惑をかけたな。相当楽しかったらしい』


『いや、私ももうちょい早めに止めとけば良かったと思ってる。本当に』


昨晩のレイナの様子を思い返し、私は再び後悔のため息を吐く。典型的な自分の限界を知らない飲み方に、これまたよくある勿体ない精神が働いてしまったが故の深酒。私もよくやるので気持ちはわかるが、大抵次の日がろくなことにならない。それは分かっていたのだが、止められなかった。


『大丈夫かなぁ……これ、神子様とかに使者を酔い潰れさせたやばい奴みたいに思われたりしない?』


『一語一句事実だろお前のそれ』


『あの場にいなかった奴がしゃしゃり出るなぶった斬るぞ』


『こっわ!嫌なご主人だなあまったくもぉ〜』


ダンタリオン、リオンの方がくねくねと気色の悪い動きをしながら、馬鹿にした目つきで私をみる。リアンは案外おとなしく、読書に勤しんでいて静かだった。この二人、いや"一本"は竜車の時は大抵二つに分かれて人の形を真似ている。いつも通りだと浮いてるので、壁にへばりつくとかしないと移動できないのが理由だが、正直うるさいのでせめて一つにまとまって欲しい。


私とリオンの言い争いを見るイラさんが、くすりと笑ったのを聞いて、私はイラさんの方へ視線を移す。その視線にすぐ気が付いたのか、ハッとした顔をした後にイラさんは『すまないな』と言った。


『いや、むしろこんな喧嘩しててすまないなんだけど……』


『気にしないでいい。仲が良いのは悪いことじゃない』


『いや全然仲が良いわけじゃないけどね』


イラさんはもう一度クスクスと笑って『私にはとても仲良く見える』と言った。この人は確かに生真面目で、堅いところもあるのは間違い無いが、どこか生来の人の良さを感じる。そのせいかあまり悪い気はしないが、なんとなく居た堪れない気持ちになった私とリオンは言い争いを辞め、姿勢を軽く正して座り直した。


『神子様とやらもイラさんみたいな感じだったら助かるんだけどなぁ』


『神子様のことがそんなに気になるか?』


『いや、気になるというかさ。私、偉い人とかってあんまり得意じゃなくて。礼節とかっていうの?苦手なんだよね』


『そういうことか。心配せずとも、神子様は今の君たちのような雰囲気の客人の方が喜ぶと思うよ』


イラさんは微笑みながらそう言って、未だに半死体状態で席に寝させられているレイナへ『そう思わないか?』と確認をとる。レイナはなんとか手でグッドサインを作り同意を示している。微かに漏れるような声らしき音も聞こえたが、判読はできなかった。


『……そろそろ治らないか?』


『ま、待ってイラ……今、今身体の中……みず、水を……回し、調節して、る……から……』


『今なんかサラッとすごいこと言わなかったレイナ』


私の疑問とほぼ同時に、急にレイナが顔を上げる。若干顔色は悪いが、先程の半死体状態から比べるとかなり良い。魔法や人体に詳しいわけではないが、あのレベルの二日酔いをこの一瞬でここまで回復するのは医者でも難しいように思える。


レイナは、顔を上げてからすぐに竜車の中でフラつきつつも立ち上がり、腰に片腕を当ててよくわからない決めポーズのような状態で硬直する。


『ふっ……お酒は今後本当に飲まないようにしたいわね……!!』


飲んだくれが絶対に守らない言葉を発し、自嘲気味に笑うレイナの顔は、そうしてる間にもみるみる回復している。一体何をしているのかは皆目見当もつかないが。


『でもクリジアさん、昨日はありがとう!素敵な体験だったわ!!』


『いや二日酔いのこと素敵な体験っていう人初めて見たけど』


『ふふっ!二日酔いはもう二度と味わいたくないわ!』


ほぼ完全に回復した様子で、レイナはなぜか自慢気な様子で宣言する。そりゃあんな重度の二日酔いを初酒で体験すればそんな気持ちにもなるだろうが、本当にこの人は変な親しみやすさがある。


『それで、神子様と馴染めるか……みたいな話だったわね!』


『いや、まあうん。今それより気になることできてるけど』


『それなら全く心配いらないわ!私は貴方達のこと好きだもの!』


自信満々のレイナを見て、私とダンタリオンの二人は完全に『何を言ってるんだこの人は』という顔のまま絶句する。貴方達のことを好きと言われるのは悪い気はしないが、そもそも今は神子様相手に馴染めるかどうかの話だ。多分、まだ二日酔いの影響で頭がうまく回ってないのだろう。私は若干責任感もあって、レイナを嗜めるように声をかける。


『い、いや。レイナに嫌われてないのは嬉しいけど神子様はどうかは……』


『あ、ごめんなさい。まだ伝えてなかったわね。私が倒れてなければ竜車の中ですぐ伝える予定だったからつい』


レイナが軽い深呼吸をして、息を整えてから、私たちをキッと見る。


『私の本当の名前はレヴィ・アイファズフト!もしかしたら、聞いたこともあるかしら?それとも、こっちの方が有名かしら!』




突然の話の展開についていけずに、ぽかんとしたままの私とダンタリオンを意に介さずレイナは、レヴィと名乗った勢いのまま、そこまで広くない竜車の中でポーズを決めながら言葉を繋ぐ。





『水の都の護り神!海上の小国最強の砦!!それこそがこの私!!』





レヴィという名前は見覚えがあった。そして、今まさに並べられた通り名に該当するものは一つしかない。





そう、それが指し示すものは






『"大海の神子"よ!!』




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