5話 襲炎
運命とかいう言葉が嫌いだった。
顔も知らない親がクソだったことも、スラムの掃き溜めに生まれ落ちたことも、殺し盗んで生きてきたことも、全て運命だと言われたのなら、俺はそれを言ってきた奴をその場で殺す。そいつはそれも運命というはずだ。
理不尽に対しては理不尽で良い。
そうでなければ、理不尽にぶつかった時、運命だからと諦めてしまう。人間なんて笑えるほどに弱いのだから、強がるための強情さくらい持っても良いだろう。
例えそれが、欲深く強欲だと言われても。
『──さん。─スさん。ミダスさーーん!!』
『うおっ……なんだよクリジア』
私が仕事を終え、報告のためにミダスさんの元を訪れると、机で頬杖をついて眠っていた。完了報告はさほど急ぎでもなかったのだが、少し様子がおかしかったのもあって声をかけた。
『なんだよじゃないっすよ。珍しいじゃないすか居眠りしてるなんて』
『始末書増えて寝れてねーんだわ。疲れてんだっつの、居眠りもするだろ』
『にしてはなんか魘されてましたよ』
そう、ミダスさんが魘されていたのだ。
夢見が悪いことなんて誰だってあるだろうと思われそうだが、私の知るミダスさんはいつも明るいし、弱ってる姿を見た事もない。強いて言えばフルーラさんにたまに怒られて、少し反省してる様を見たことがあるくらいだった。そんな人が魘されているというのは、個人的に結構驚く姿だ。
『あー、ちょっと昔の夢でも見たんだろ。気にすんな、そんなこともある』
『深くは聞きませんけど、休むときゃ休んでくださいよ。倒れられたら私らみんな居場所ないんすから』
ここ除け者の巣の面々は、全員が何かしらを抱えているし、全員が何かあってここにいる。なので、過去についてとかを深くは探らないのが誰も何も言わずとも当たり前のようになっていた。
しかし、それにしてもミダスさんについてはわからないことが多い。
ミダスさんの過去については、本人は全く話さないし、エルセスさんやベラさんも本人が話さないからと至極真っ当な理由で教えてくれない。なので何があったのかとか、どんな生い立ちなのかとか、その他諸々殆どが謎のままになっている。
『……悪夢見るなんて、昔になんかあったんすか?』
『心当たりがありすぎて俺もわかんねえよ。夢の内容なんて覚えてねえし』
『ちぇ、なんか聞けるチャンスかと思ったのに』
『ダンタリオンにでも頼めばいいだろ』
『しませんよさすがに。クリジアちゃんは案外いい子なんで』
『そりゃご立派だな』とミダスさんが言いつつ、今回の私の仕事の報酬を手渡してくる。私としては割と本当にダンタリオンでそんなことはしないし、ダンタリオンにも私からは他の人の過去の傷とかは見るなと言っているのだが、その辺りはあまり信用されてないのかもしれない。
私は若干拗ねつつ、ミダスさんから報酬を受け取り、部屋の出口へ向かう。
『ほんと無理せず休んでくださいよ!フルーラさんにハグとかしてもらってください!』
部屋のドアを閉める前に、ミダスさんに声をかける。ミダスさんは早く行けと言うような顔で、適当な様子で手を振ってくれた。私はひとまずその様子に満足して、自分の部屋に戻ることにした。
『……俺を心配する奴がこんなに増えるとは思わなかったな』
扉が閉じ、静かさを取り戻した部屋にこぼされたミダスの感謝は、誰に聞かれることもなく虚空へと溶けた。
私たちの日々は、当たり前のように過ぎていく。美味しいご飯、面倒な仕事、些細な喧嘩、あらゆることがいつも通りの日常として流れていく。
そんな日常の一欠片、私はエルセスさんが除け者の巣へ来ていたので、酒を楽しませてもらおうと夜の食堂へと足を運んだ。
『お、クリジア。お前も来たのか』
『ミダスさん?飲んでたんすか』
『まあな』と言いながらミダスさんがグラスを飲み干す。この人が酒好きでド級のザルなことは知っているが、案外こういう時に顔を合わせるのは珍しい。
ただ、私とミダスさんがこの場で会うのは珍しいが、エルセスさんとミダスさんは昔からの仲で、お互いを親友と呼ぶほどの信頼関係がある。そんな二人で飲んでいたとなると、さすがに乱入するのも悪い気がしてしまう。
『私もしかしてお邪魔になります?』
『ならねーよ。こいつとサシでちょうど暇してた』
『俺と話してて暇っていう奴なかなかいないぜミダスよお。座んなよクリジア、こいつこんなだからやりにくいんだ』
すごすごと聞いた私に、二人は笑いながら言う。その様子に相当仲が良いんだろうなとありきたりな感想が頭に浮かぶ。私は二人のお言葉に甘えて、カウンター風になっている席に腰掛ける。
『一杯目はミダスが金持ってくれるってさ』
『あ?おい勝手言うなよエルセスてめえ』
ミダスさんの言葉を無視して、エルセスさんが露骨に高そうな瓶を何本か用意して私に見せる。正直、私はあんまりお酒の味には詳しくない。飲んで楽しくなる感じが好きなだけというタイプなので、どれが美味しいとかはわからない。しかし、この様子なら普段は頼まないようなものが試せそうなのは確かだと確信した私は、息を吸い、手を上げて叫ぶ。
『じゃあ高くて良いやつでお願いしまーす!』
『お前も席遠慮する配慮あるならここは遠慮しろよクソガキ』
私が声を張ったと同時にミダスさんから結構強めにどつかれる。私は今ので骨折したとかなんとか喚き、エルセスさんがそれを見て笑いながらお酒を用意している。ミダスさんはそんな様子見て呆れながらも笑い、仕方ないといった様子で『一杯だけだからな』と言ってくれた。
それからは他愛のない話が続いた。
ダンタリオンが言うことを聞かないだとかの私の愚痴や、エルセスさんがベラさんに怒られた話、ミダスさんの子育ての話。その他にやれ仕事先でこんなことがあったとか、始末書の枚数がスライ加入以来やたら増えたとか、本当に他愛無いそれぞれの日常の会話。それが美酒と共に次から次へと流れていた。
一通りの雑談が終わり、私の酔いがだいぶ回って少し静かになった頃、ミダスさんが一息ついてから、思い出したように口を開く。
『気分良いし、少し昔話してやるよ』
『うぇ?マジすかミダスさぁん、クリジアちゃん気になるう〜』
『お前が昔の話するのは珍しいな。明日買い出しの予定あるから雨降らすなよ?』
ろくに回ってない頭だが、物珍しい話にはしっかりと食いつけた。エルセスさんの茶化しにミダスさんがうるせえと返し、グラスを酒で満たしてからミダスさんが話を始めた。
『まずぁ一つ言っとくと、これはエルセスにも話してねえことなんだが』
話し始めの一言から、エルセスさんが『はあ!?』と珍しい声をあげる。実際、親友にまで知らないような話があるとは私も思っていなかったし、当の本人は尚更驚く話だろう。エルセスさんは深い溜息を吐き、呆れた様子で話を聞くため椅子に腰掛ける。
『お前ほんと自分の話少しは周りにしろよ……』
『ミダスさんっていーっつもこんななの?』
『そう。い〜っつもこんな感じ。親友相手にもこのザマだよ』
両手を上にあげ、エルセスさんが降参のポーズを取る。私はそれが珍しいしおかしいしでケラケラと笑い続けている。
『うるせーよ。おもしれー話でもねえんだっつの』
『はいはーい、つまんない話でもクリジアちゃん聞きたいでーす』
『お前絶対明日忘れてんだろ』とミダスさんが言う。私はそんなことないと騒いでいるが、正直頭はぼんやりしてるので、必ず覚えているかと言われると約束できない。おそらく、こんな葛藤があったことは明日には確実に忘れているだろうが。
『まあいいか。昔話って言ってもそんなに古い話じゃねえ。せいぜい10年前……ここができる少し前くらいの話だ』
『一時、エルセスともベラとも離れてフリーの傭兵してた時期があってな。喧嘩したとかじゃねえんだが、此処作るために各々動く時期があったんだよ』
『ああ、覚えてるなそれ』とエルセスさんが相槌を打つ。
『話しちゃねえが俺の左目がおかしな色になった時のことだからお前とベラは記憶あるんじゃねえか?』
そう言いながら、ミダスさんが自分の左目を指さす。ミダスさんの左目は、瞳こそ鮮やかな金色だが、悪魔の目と同じように黒い眼球になっている。私は会った時からそうだったので、生まれつきのものかと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
『ああ覚えてるさ。俺とベラが何度聞いても"いつの間にか"としか言わなかった親友くんの話だろそれ』
『心配かけまいとする心優しい気遣いだったろうがよ』
『マジで昔っからなんすねミダスさんのそれ』
『うるせークソガキ。あん時ゃ俺だって結構動揺してたんだよ。悪魔に絡まれるなんてそうそうねえだろ』
ミダスさんの言葉に『は?』と私とエルセスさんの声が重なる。
『だから悪魔に絡まれたんだよ。俺が依頼されてた賊狩の賊共を、灰も残さず焼き尽くしちまった化物にな。流石に死んだと思ったぜありゃ』
『ちょっ、待ってください。魔法を使える状態の悪魔に会ったんすか!?契約者がいる悪魔に!?』
酔いも吹き飛ぶ話に私は叫ぶように聞く。悪魔は人間と契約をしていない限り魔法を使うことはできない。世界が滅んでいないのは悪魔側にこの制約があるからに他ならない。
もしも、ダンタリオンが自由に魔法を使えるのなら、一国が一夜で陥ちても不思議ではない。フルフルが自由に魔法を使えたのなら、地図が一夜で書き変わる。意思を持つ未曾有の大災害が、人の存在に縛られている。これがこの世界がバランスを保てている最大の理由だ。
契約者である私が言うのもあれだが、言うなれば契約者や悪魔と戦うのは天災に立ち向かうような物だ。到底、人一人でどうにかできるものではない。ミダスさんは人同士ならかなり戦える人ではあるが、悪魔と戦うとなれば流石にどうにもならないだろう。
『いや、契約者は探してると言っていた。"あいつ"は気に入ったもの以外に興味がねえ』
『待て待てミダス。俺もついていけてねえ。契約者のいない悪魔が魔法を使えるわけがないだろ』
『俺だってそう思ってる。こっちも学者じゃねえんだ、当時は夢だと思ったが……俺の目、魔法、魔力……その全てがあの時以降変わってる』
『魔法って、ミダスさんの魔女の性質のやつっすよね?人の持ってるものとか魔力とかを自分のものにできるあれ』
『俺の"魔女"は生まれつきじゃねえんだよ』
エルセスさんも私も話の突拍子のなさにいつの間にか絶句していた。しかし、ミダスさんが嘘や冗談を話しているようにも見えないし、酩酊してるとかの様子も見えない。なんなら、普段より真面目に見えるくらいだ。
だとしても、生まれつきではない魔女の性質なんて話は聞いたことがない。というより、強力かつ不可思議な魔法を持つ人間である魔女を後天的に作れるのなら、その技術を持った者がこの世界を征服するだろう。現実にそうなっていないということは、それくらいありえない話だということだ。
『昔は見せてなかっただけとかじゃなかったのかそれ。……変わった魔力ってのは?』
『俺は元々魔力の質的に炎魔法は適性がなかった。あれ以来だ、炎魔法が得意になったのは』
『勘弁してくれ親友……。話せよそういうことは』
エルセスさんが深い溜息と共に頭を抱える。ミダスさんは『悪かった』と短く、一言だけ謝罪をする。その様子がむしろ、この話の現実味を強くしていて、私はアルコールの関係ない目眩と混乱に襲われた。
『……仮にですよ?それが本当だったとして、ミダスさんはなんで生きて帰ったんです?』
『気に入った、また会いに来る、それまでせいぜい生き延びろ。ほとんど一方的に話されてそれきりだ。消し炭にならなかった理由は俺もわからん』
『んな小説の主人公みたいな話……』
『そんな嘘みたいな話がなかったら俺はもういねえ。理由はよくはわからねえが、あいつは俺に"気に入った"と言った。目も含めてこれがお気に入りの印とかかもな』
ミダスさんの目を改めて見る。悪魔の目は黒い眼球に異様な輝きを持つ紅い瞳だが、ミダスさんの左目は眼球こそ黒いが、やはり綺麗な金色をしている。そもそも眼球の色が変わることも滅多なことではないだろうが、魔力の質で髪の色や目の色が決まると言われている以上、魔力が変質すれば後天的にこうなる事があるということなのだろうか。
『……ミダスさん作家とか目指してんすか?』
『作り話じゃねえよ』
『全部作り話って言ってくれた方がゾッとしませんよそれ……』
『俺本人としても同感だなそりゃ』
ケラケラとミダスさんが笑う。私としては全く笑える話ではないのだが、本人にこう笑われてしまってはこれ以上何かを言っても仕方ないのだろう。というより、これ以上何も言えないのが本当のところだろうか。
『変に驚いたせいで酒回っちゃったんすけど……急激に頭痛っ…………』
『吐くなよお前。マスター殿、水出してやってくれ』
『吐いたら今回はお前のせいだぜミダス。ほら、ジアちゃん水』
ぐわんぐわんと回る視界と思考に揺れながら、私は受け取った水を口に運ぶ。こういう時の水は味は全くしないが、不思議と美味しい気がする。
『ゔあ〜……あざっす……顔の良い妻子持ち達に心配されてる……』
『お前割と余裕あるだろ』
『余裕あったらこの子こんなこと言わないって。部屋運んであげなよ』
『あ、流石に立てるんで……』
エルセスさんにもらった水を飲み切り、席を立とうとしたところで思い切り足を踏み外してすっ転んだ。どこを打ったのかもわからないが、とりあえず痛い。それだけは理解できた。衝撃でさらに気分が悪くなり、立ち上がるのが億劫になる。
『……やっぱ肩貸してください』
結局、ミダスさんに半分引きずられるようにして私は部屋まで行くことになった。
担いでくれれば良いものを、しっかり肩だけ貸して引きずっていくものだから足が擦れて痛いし、階段を登るときなんかは角がちょうど脛に当たってかなり痛い。文句を言う元気がないが、明日にでも何か言ってやろう。多分これがフルーラさんならこんな運び方じゃないのも含めて、色々と。
ミダスさんが私を私の部屋のベッドへ半ば放り投げる形で転がす。眠いし、頭は痛いしで抵抗する気力もない私はそのままベッドに沈んだ。
『じゃーな。酒飲んだ時くらい朝寝坊しろよクソガキ』
そう言いながら、ミダスさんは私の部屋を出ようと歩いていく。
『ミダスさん』
『なんだ?水か?』
私はなんとなく、言っておかなきゃいけない言葉がある気がしてミダスさんを呼び止めた。本当になんとなく、特に理由はないことだったが言っておきたかったことを、正常に働いてるとは到底思えない頭から搾り出す。
『私……私は、なんかあったら、協力はするんで……ゔえ……おやすみ……』
『……そりゃどーも、頼りにしてるぜ』
ミダスさんは振り向かず、そのまま私の部屋を後にした。
クリジアを部屋に送り届け、ミダスはエルセスのいる食堂のカウンターへ戻る。エルセスは軽く手を挙げて『おつかれ』とミダスに声をかける。ミダスはそれに『おう』と短く返すと、すでに注ぎ直されたグラスが用意されている席に腰掛け、溜息を吐く。
『……で、真面目な話だが急にどうしたんだよミダス』
『お前にゃ隠しきらねえか』
『お前が自分のために自分の話するかよ。何があった?』
『夢を見た。予知夢だとか占いだとかは信じちゃねえが……感覚の話だな。あいつが来る』
『さっきの話の悪魔か……』
ミダスとエルセスは揃って黙り込む。各々がしばらく思考を巡らせた後に、ミダスが先に口を開いた。
『安全かは知らねえが、お前とベラは暫くこっちには来ねえように頼む』
『死ぬ気じゃないんだろ?なら従うぜ』
『抵抗はするけどよ。万一の保険は何事も大事だからな。ここは爪弾き者の居場所だ。もしも管理者がまとめて消えちまったら困る』
そう言って、酒を口に運ぼうとするミダスの頭をエルセスが叩く。ミダスはグラスに歯を打ち、中身が少し顔に跳ねてかかる。混乱している様子のミダスにエルセスが言う。
『お前が居るところが俺らの居場所なんだよ。死んだら殺すぞ親友』
『……はっ、野良犬を心配する奴が増えすぎだ』
『ここは野良犬の群だからな。ま、俺とベラでミダスくん生存おめでとうパーティでも準備して待っててやるよ』
エルセスがニヤニヤと、珍しく暗い様子の親友を茶化すように笑う。ミダスはそんな親友の様子を見て、一緒になって自分自身を馬鹿にするように笑う。そしてグラスに残った酒を一気にあおると、不敵な笑みを浮かべ、エルセスの顔を見る。
『除け者の巣の祝勝会で用意しとけ、親友』
──後日、除け者の巣。
私たちはミダスさんに呼ばれ、除け者の巣に集まっていた。普段とは違い、神妙な様子でミダスさんが話を始める。
話の内容は私があの夜に聞いた話。
件の悪魔、ミダスさんの体質……そしてその悪魔が再び現れるかもしれないという新たな情報を加えての話だった。
『とまあこんな話だ。今回は特に命の保証がねえし、ついでに報酬もねえ。逃げてえ奴は逃げていい』
改めて聞いても息を呑む話だった。ソニム先輩やスライ、フルーラさんも同じなのか、誰も口を開かない。そんな様子を見てか、ミダスさんが一つ息を吐いて、少しだけ冗談めかして言う。
『……でだフルーラ、お前には個人的に逃げといて欲しいんだが』
思い切り私情だが、ミダスさんもそれはわかって言っているのだろう。それを聞いたフルーラさんはこんな話をされた後とは思えない様子で笑って応えた。
『嫌ですよ。ミダスさんが死んだら私も死んじゃうんですから。いてもいなくても変わらないならいたほうが良いでしょう?』
『そうは言ってもな……』と渋るミダスさんの言葉を遮るように、ソニム先輩が口を挟む。
『フルーラいるなら少しは可能性はあるわね。わたしはあんたはどうでも良いけど、あんたのとこのガキ共の泣き顔見るのはごめんよ』
ソニム先輩はいつもの仏頂面で、不機嫌そうな様子で言う。しかし、この人はいつもそうだが、なんとなく人の良い部分が隠しきれてない。というより、滲み出てしまっているのだろう。私はこの人のそういうところが面白いし、暖かい感じがして好きだ。
『先輩心配の仕方不器用すぎないっっっった!!!!足の指無くなったこれ!!!』
私が茶化した瞬間、ソニム先輩が私のつま先を踵で思い切り踏み抜く。骨折もしていなければ爪も砕けてないので、ソニム先輩的にはかなり手加減しての一撃なのだろうが、泣けるレベルで痛い。
あまりの痛みに床を転がりまわる私を見て、ミダスさんが笑う。
『なんで笑うんすかァ!マジで痛いんすよ今の!!』
『いや悪ぃ、頼もしい馬鹿共だと思っただけだ』
笑いを押し殺すようにして言うミダスさんを見て、私は現状の対応への若干の不満を表情で訴える。しかし、私の渾身の訴えには目もくれず、ミダスさんはスライを見て聞く。
『お前はどうするよイカれ女。俺への恩義はさしてねえだろ』
『ウチはどーせここ出たらまた出荷待ちですからねえ、首輪持ってくれる飼い主守るためならワンワン吠えますよぅ』
『ついでに腰もヘコヘコ振りましょうか?』などとスライは相変わらず、ヘラヘラとした様子で答える。私は正直なところ、命が惜しくなったら逃げ出すものかと思っていたが、案外恩義には厚いのだろうか。或いは本当に、骨の髄まで狂っているのかもしれないが、私は勝手に良い方向に考えることにした。
『……馬鹿ばっかりでありがてえが、本当にいいんだな?』
ミダスさんが再び、真剣な顔付きで私たちに問う。私たちはそれぞれ軽く顔を見合わせてから頷いた。
『まあ、ミダスさんが私らのこと頼るの珍しいですからね。協力しちゃいますよ、可愛い馬鹿なんで。ね、ソニム先輩』
『誰が馬鹿よクソガキ』
『いーじゃねえですか馬鹿でぇ。死地から逃げねえのは生物として完全馬鹿なんですから』
『喧しいわよ戦闘狂』
『おっかねぇ〜。同族ちゃんが仲良くしてくんないんですけどぉクリジアちゃーん』
『いや私もスライさんとは仲良いわけじゃないから』
『冷てえ〜ウチぁ悲しいですよお』
こうしてふざけ合っている中でも、私たち全員が死ぬかもしれない事態であること、それは皆理解しているのだろう。
それでも、私たちはそれぞれが自分のために残ることを決めている。自分のためであれば、他人のことなど気にする必要がない。少なくとも、私はミダスさんに逃げろと言われても私のために逃げないと言い切れる。言い訳染みた決意だが、ご立派な英雄様でもなければ人の決意などこんなものだ。
『ミダスさん、私以外にもたくさん好かれてしまいましたね』
『手に余る程ってやつだな、マジで』
騒ぐ私たちの様子を見て、フルーラさんとミダスさんが笑っている。
『なら僕が貰ってあげようか』
聞き覚えのない声。
私たちの頭上で、炎が揺らいでいる。
『手に余るんだろ?ミダスちゃん』
炎が嗤っている。
『全員逃げ──
ミダスさんの声よりも速く、炎が爆ぜた。
『ダメだなぁ。欲しいなら、握りしめておかないと』
炎はまだ、嗤っている。
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