4話 龍狩の血族

『まさか不可逆の監獄に来ることになるとは……』


『まったくね。悪いことしてないのに顔見せる用事があるとは思わなかったわ』


ソニム先輩と共に、私はメドゥン海域と呼ばれる海の果て、荒れ狂う波に囲まれた絶海の孤島へ足を踏み入れていた。


"不可逆の監獄"と呼ばれている世界中の最悪の犯罪者達が集う場所、スレヒトステ監獄。ここは島そのものが監獄となっていて、世界連合が国境関係なく指名手配した人物が収監される。不可逆の噂通りに、ここに収監される者は皆、永久投獄か死刑の二択であり、生きてここを出ることは決してない。


さて、なぜ私たちがこんなところに来たのかという話だが、もちろん永久投獄されるとかではない。話はここに来る数日前に遡る。




──某日、除け者の巣。


この日は副長、エルセスさんが来ていた。この人は普段は情報屋のような役割をしていて、街でバーを開いて、依頼の窓口になったり情報を集めたり、とにかく色々と裏方仕事をこなしている。その分あまりギルドには顔を出さないのだが、たまに来てくれた時はお酒を振る舞ってくれている。


ミダスさん、ベラさんとは古い付き合いのようで、ミダスさんが一番信頼してるのは間違いなくこの人だろう。ベラさんとは夫婦で、一見職種も含めて好色家っぽいが、弩級の一途で何人もの一目惚れした客を人知れず玉砕させているとの話も聞いてる。


私は珍しくこっちに来てくれたエルセスさんに頼み込んで、普段ここでは楽しめないようなお酒を楽しんでいた。


『いやぁーもう毎日こっち来てよエルセスさん!目の保養にもなるしさぁ〜』


『毎日は難しいなぁ。けど、そっちが会いに来てくれたらいつでも歓迎するぜ』


『うわっ、やばいその顔で私を見ないで。クリジアちゃん勘違いしちゃう』


エルセスさんは『何言ってんだか』と笑う。しかし、私としては冗談はせいぜい3割くらいだ。いい具合に回ったアルコールが、おそらく本当に数多の人を魅了し、どうでもいい情報からどっかの組織が傾くような話まで抜き取ってきたその顔の破壊力を増加させている。


エルセスさんはいわゆる魔性と呼ばれるタイプで、本人は特段意識せずとも周りを惹きつけるらしい。


昔、初めて会う前に、ミダスさんから『ベラの旦那だから惚れねえように』と注意された時は何を言ってるんだと思ったが、注意されてなかったら初恋だったまであり得る。そのくらい顔も良ければ、言動も危ない。情報屋ほどぴったりな役割もないよなという、とにかく人に"酩酊に近い好意的な印象"を与える人なのだ。これが美味い酒を出してくるのだからタチが悪い。生娘ならとっくに気が狂ってる頃だ。


そんな私の気も知らず、エルセスさんが『こんな時に悪いんだけど』と話を切り出す。


『なに?私とはもう終わりって話?』


『始まってないよ。いや、仕事の話なんだけどね』


言いながら、一枚の簡素な依頼書を手渡される。私は酔いの回ったぼんやりした目でそれを流すように見る。どうやら、永久投獄になった人物の護送のような内容らしい。金額もそこそこいいし、断る理由はなさそうだなと考えていると、依頼人の名前で泳いでいた目線が止まる。


『依頼人"ミダス・エンシア"……?』


『そ。まあ引いてはここ除け者の巣からの依頼だよ』


『永久投獄の犯罪者の護送がぁ?なんでまた。誰か投獄されるわけでもあるまいし』


『ちゃんと読んでクリジア。護送じゃないから』


言われて私は水をいくらか飲み、先程よりはマシになった頭で依頼書を読み返す。そして、概要の一文で一気に酔いが覚め、私は声を上げた。


『……監獄の犯罪者を買ったぁ!?』


内容はこうだ。ある傭兵が何ヶ月か前、戦場で凶行に走り捕らえられた。本来は即刻死罪だったが、とある理由で永久投獄となったらしく、それを除け者の巣が買い取ったらしい。


『で、その受け取りが今回の依頼ってわけだ』


『いやいやいや意味わかんないでしょ!?なんでこんなことしたの!?』


『戦力増強、って感じかな。いろんなところで嫌な動きも増えてるし、クリジアの話してた通り、悪魔の噂も増えてる。理由としてはこんな感じだね』


『あっさり言うなぁ……いや、まあ、変なとこからの依頼なら蹴ってる内容だけどミダスさんならいっかぁ……』


『ああ、あとソニムにも一緒に行ってもらうように頼んでる。なにせそいつは──』


と、そんなやりとりがあって私たちは今この世界最高峰の監獄の前に来ている。


『ソニム先輩はエルセスさんになんて口説かれたんですか?』なんて道中ふざけて聞いたのだが、ソニム先輩は普通にミダスさんから頼まれたらしい。相当渋ったらしいが、結局根負けして受ける羽目になったと言っていた。


『そういや、ミダスさんに何されたんすか?先輩が根負けするってまずないでしょ』


『どうでもいいでしょそんなの』


『いや気になるじゃないすか』


『……案内役の看守、来たわね。さっさと終わらせて帰るわよ』


ソニム先輩は監獄の入り口へとツカツカと歩いて行ってしまう。私は帰ったらミダスさんにこっそり聞いてみようと誓って、ソニム先輩の後を追って入り口へ向かった。




スレヒトステ監獄。世界最高峰の監獄だとか、不可逆の監獄だとか色々な呼び方がされているが、つまりのところ"中に入れた人間を外に出す予定がない場所"ということだ。地上に見えているのは看守用のスペースで、囚人はその全てが地下に収監されているらしい。実際、ここからの脱獄が成功したみたいな話は聞いたことがないし、ここの囚人を買い取ったという話もおそらくは前例がない。


『はー……看守用のとこはいろいろ揃ってるんだ。連泊しても困らなそ〜』


『ここに短い期間で行き来するのは大変すぎますからね。長期滞在ができるように設備は揃えられています』


『あー、そりゃそうか。いやでももっとこう、おどろおどろしい感じを想像してたなあ』


『看守の気が滅入っては元も子もないですから』


一生のうちに来ることがあるかないかの監獄に、私は普通にテンションが上がっていた。案内役の看守もご丁寧に諸々説明してくれるし、学校の類であると噂の仕事場の見学会のような気分だ。サピトゥリアの名門校に通う裕福層の人間でも、この監獄を見学したことはないだろうなと思うとどこか得したような気にもなってくる。


『さっさと本題に入ってもらっていいかしら』


『楽しみましょうよソニム先輩。滅多に来れないですよこんな場所』


『楽しい場所じゃないのよ』


収容場所は下層だと看守が言い、地獄の入り口とも言える階段を看守が先導して下って行く。ソニム先輩は特に何も言わず、ツカツカと早足でついていってしまったので、私はもう少しゆっくり話を聞いても損はしないだろうにと思いつつ、その後を追った。


階段を下ると、上部とは打って変わって人間が生きていけるのかも怪しいような空間が広がっている。壁は特に何か舗装されているわけではなく、空間をくり抜いた際の岩壁や土がそのまま。灯りもほとんどないし、地下なのもあって昼も夜も分かりそうにない。


所々に分厚そうな鉄扉があり、おそらくその中に囚人が収監されているのだろう。扉の奥からは早く出せとかの怒声、狂った様な笑い声、牢内で盛っている様子の嬌声などが聞こえてくる。控えめな言い方をしても、地獄の様な光景だった。常人なら数日もかからずに発狂しそうな地下世界だ。まあ、常人はここに入ることはないだろうけど。


長い縦穴のような形で、何層かに分かれて監獄が作られているらしく、罪人の危険度が高ければ高いほど下層に収監されると看守が説明してくれた。となると、やはり気になってくるのはこれだろう。


『ちなみに、私たちが今回引き取りに来た奴ってどのあたりの層にいるの?』


結構やらかした奴、というのは聞いていたのだが、具体的に何をしたのかは知らないし、そもそもこの監獄の作りも今日初めて聞いた。そうなればどうしても聞いてみたくなるのが人のサガというものだ。


看守は私たちをそんなことも知らずに来たのかと言うかのように一瞥し、ため息の後に口を開いた。


『最下層です』


『……マジ?話通じるのそいつ』


『まさか、何も聞かされずにここへ?』


『お恥ずかしながら。いやほんと、街でお菓子買って帰ってくるくらいの気分だったんだけど』


看守の顔があからさまに歪む。そんな顔されても聞いてないものは聞いてないので仕方ないのだが、気持ちは分からんでもないので文句は飲み込んだ。


『ちなみに、何やらかして最下層にまでいったわけ?ここのことあんま知らないけど、最下層って相当でしょ?』


『……一応、ご説明します』


看守が話すにはこうだ。


ある国同士の中規模の戦争。その最中に起こした重大事件が原因での収監。その内容は敵味方関係なく、両国の軍勢を無差別に襲い、虐殺の限りを尽くして暴れまわったらしい。


数多の地獄を見てきた兵士すら涙を流して逃げ出す血の海と怪物を前に、憎しみ合い殺し合った両国の兵士たちが決死の思いで抑え込み捕らえたそうだ。


『…………流石に作り話しすぎない?』


『聞いた話なので。ですが、現にここの最下層送りになってます』


『そこまでやったら即死刑でしょ』と、先程まで口を閉ざしていたソニム先輩が横槍を入れる。


『……そうならなかった理由があります』


『龍狩だから、でしょ。国連だかなんだか知らないけど馬鹿ばっかね。そんな怪物さっさと殺しときゃいいのよ』


『その話マジなんです?龍狩ってそうそう表に出ないんじゃないんすか?ソニム先輩って相当レアケースなんでしょ?』


龍狩の血族。この世界の各地に点在する小さな集落で狩猟生活を送る少数民族を指す呼び名。独自の文化を持ち、あまり外界と関わらないことが特徴とされている。外の世界に流れるのはかなり稀で、そういう意味でソニム先輩は本当に珍しい人物だ。


金の髪と赤い眼を持ち、その類稀な身体能力を以て、自然界の頂点たる竜種すらも喰らう最強の捕食者。故に呼び名が"龍狩"だ。その代償なのか、魔力が極端に少なく、魔力による様々な影響の効果が薄いという特徴がある。実際、ソニム先輩にダンタリオンが魔法を使い、心の中を覗こうとした際にノイズがかかった様で読みにくいという話もあった。


ある書曰く、自然を喰らう業故に魔力を奪われた血族。


またある書曰く、魔法が生まれる遥か昔から続いた血族。


実際、どこまでが本当の話でどこからが誇張されたお伽話なのかは知らない。ただ、ソニム先輩が竜種の討伐や大型の魔物の掃討を"単独で"受けていたり、素手で岩壁をぶち抜く怪力を見せていたりする様は見ているので単なる噂話では無いことは身をもって知っている。


『龍狩であることは事実です。希少種故に死刑を免れた……最悪の罪人ですよ』


淡々としていた看守が、吐き捨てる様に言う。その様子に少し違和感を覚えたが、今はダンタリオンはいないし、心を読むことはできない。私は『まあこんな仕事だし大層ご立派な正義感を持ってるんだろうな』と思い、触れないことにした。


『ソニム先輩は今回の罪人の話とかって知ってるんです?』


『心当たりはあるわよ。どっかの集落で同胞皆殺しにして出てったキチガイがいるって噂が昔あったから』


ソニム先輩の話に顔が引き攣る。

龍狩の戦闘能力の高さは、私はソニム先輩を間近で見る機会が多いのもあってよく知っていた。もし、万一この話の人物と今回の犯罪者が同一人物だとしたら、龍狩を数十人相手取って皆殺しにして出て行った上に、戦争で快楽殺人に走る様な狂気の龍狩ということになる。そんなものにこれから会うかもしれないと思うと、シンプルに怖い。


『か、帰りてえ〜…………』


私の心の底から漏れ出た声に、返事をしてくれる人は誰もいなかった。





監獄の最下層。元々下層は鬱屈として重苦しい空気が漂っていたが、一際黒く重い空気に満ちている。この階層は他と比べるとかなり狭く、入り口から少し歩けばすぐに行き止まりとなっている。というのも、すぐに巨大な鉄格子に行きつくのだ。


この巨大な鉄格子にたどり着くまでの一本道の両脇にも鉄格子が並んでいたが、看守はそこには目もくれずに一直線にここまでやってきた。つまり、この一際存在感を放つ巨大な牢獄の中身が私たちの目的というわけだ。


『迎えがきたぞ、殺人鬼』


看守が牢へ呼びかけるが返事はない。

奥にいる囚人の姿は見えず、暗闇だけが広がるその牢獄内に、本当に人がいるのかと私が怪訝な顔をしていると、看守が溜息の後、叫んだ。


『出ろ!!迎えだ!!スライ・アンシーリ!!!』


看守の声が反響し、暫くの沈黙の後、牢の奥から鎖を引き摺るような音が聞こえ、それが近づいて来る。


『くぁあ…………んな大声出さなくても聞こえてますよぉ。ちょっとくらい待ってくれてもいーじゃねえですかぁ』


じゃりじゃりと、大袈裟なほど重厚な鎖を引きずりながら姿を見せたそれは、やはりと言うべきか、金色の長髪と血のような紅い瞳を携えて、一切の緊張感なく現れた。


スライと呼ばれた龍狩の女は、ほとんど服としては機能していないボロ布を一枚だけ纏い、手足は鎖に繋がれた拘束具で拘束されている。鎖は奥の壁に繋がっているようで、ひとまず限界の位置まで来たのか立ち止まると、一つ大きな欠伸をして看守を見る。


『寝起きって動くの怠ぃ時あるでしょ?もしかして、看守さん真面目なんでそういうのもねーんです?』


『黙っていろ。これからお前を外に出す』


『お堅ぇ〜。ウチと遊んでくれる看守もいたってのに冷たいですねぇ。お客さんも退屈してんじゃねーですか?』


看守は一切反応をせず、檻の鍵を開き、拘束具に繋がった鎖を外す。


『あり?こいつは外してくれねーんです?アクセサリーにしちゃ可愛くねーんですけど』


スライが拘束具を付けられたままの腕を上げて言う。しかし、看守は手足の拘束具を外すつもりはないとでも言うように、私たちの方へ振り向いて口を開く。


『……お伝えしていませんでしたが、これを外に出すにあたって条件があります』


『今言うそれ?』


驚く私に、看守は悪びれる様子もなく言葉を続ける。


『最悪の犯罪者を、金で即座に出すわけにもいきません。地上に見世物として、闘技場があります。そこでここの屑共と殺しあってもらい、この女が死ななければお渡しします』


『なるほどね……けど龍狩とって勝負になんの?』


『だから拘束具を外していません』


『……マジ?』


分厚い鉄板のような手枷と足枷をつけた状態で、歩くことも難しそうな様子のスライを見る。あの状況ではいくらなんでも殺し合いを成立させるのは無茶な話ではないだろうか。ソニム先輩の助け舟を期待して、チラリと目配せをするが、ソニム先輩は全く興味がない様子だ。なんと言ったものかと悩む私に看守が言う。


『死んだとしても、死体は差し上げます』






監獄の闘技場は簡素な円形闘技場といった形で、普段はもしかすると闇市場の出し物などになっているのかもしれない。余計なことに首を突っ込むと後悔すると相場が決まっているので何も聞かずに私と先輩は観客席に腰掛ける。


『先輩、死体と帰ったらおつかい成功になると思います?』


『さあ?ミダスに駄々でもこねてみたら?』


『いやー……そこまでするなら素直に諦めますかね……死体もいらないし』


眼下の闘技場には、先程のスライと呼ばれた女。そして百近くはいるであろう囚人に加え、獄卒代わりだという巨大な亜人系の魔物が、目の前の女をグチャグチャに殺して良いという許可を今か今かと待っている。


どうやら囚人側はスライを殺せば外に出してやるという報酬が用意されているらしく、異様な殺気とやる気に満ちている。それに、久しぶりの女だと、殺す前に楽しむことも考えているのだろうことが見て取れる者もいて、今この瞬間に、ここよりも治安が悪い空間は存在しないのではないかとさえ思える。


当事者であるスライは、怯える様子もなく、邪魔くさそうに手足の枷を見ている。呑気なのか、勝算があるのか、あるいは諦めているのかはわからないが、どう見てもこれからリンチされかねない人間の様子には見えない。


『実際あの状況で死なずに済むと思います?龍狩とはいえ私はあれ死ぬと思うんですけど』


『わたしも死ぬだろうなとは思ってるわよ。死んでも誰も困らないし、別にいいんじゃない?』


『仕事が失敗になるんですけどね。まあ仕方ないかぁ……』


私がミダスさんへの言い訳を考えなくちゃなとため息をついた瞬間、処刑の開始を告げる鐘がなった。


獄卒の亜人が、真っ先に巨大な鉄塊とも言うべく斧を振り上げスライに叩きつける。地面が割れるほどの威力のそれを、拘束された足で跳ねて躱しているのが見えた。さすがは龍狩の身体能力とは思ったが、アレではもう数発のうちに直撃をもらってお陀仏だろう。

囚人たちも巻き込まれては堪らないといった様子で、隅の方に寄って機を窺うのが精一杯のようだ。


『言い訳考える時間もなさそうっすねこれ』


『そうかもね』


亜人が逃げたスライへ再び斧を振るう。ほぼ間違いなく、直撃する軌道で振り下ろされた。流石に人がミンチになる瞬間を好き好んで直視はしたくないので私は目を逸らす。


がきん、と金属が思いっきりぶつかり合ったような音が響く。


妙だと思い、私は視線を戻す。


3メートルはあろうかという亜人の巨躯がよろめいている。振り下ろしたはずの斧はかち上げられ、地面を砕くことはなかったらしい。そして、その斧をかち上げた本人は笑っていた。


よく見れば、腕の拘束具が壊れ、手が自由になっている。おそらく、腕の拘束具であの斧を受け、そのまま跳ね返したのだろう。そんなことができるのかという疑問はあるが、そうでなければ今私の目の前で起きている現象には説明がつかない。若干腕が痛そうな様子を見せているが、普通なら腕がちょっと痛いで済むことがおかしい。


『……あんな真似できるんです?』


『できてもやろうと思わないわ』


目の前で起きた事態に、ソニム先輩も若干引き気味の様子だ。


斧を弾かれた亜人が、激昂し再び斧を振るうが、スライはそれをすんなりと躱す。そして、砕けた地面を足場代わりに腕で跳ね、その勢いのまま亜人の脳天へ足枷のついた足をハンマーのように振り下ろした。龍狩の力で、無慈悲にねじ込まれた鉄塊に耐えられるはずもなく、亜人の脳天が弾け飛ぶ。


血と肉の花火が炸裂し、おくれて血肉の雨が降る。スライは持ち主を失った巨大な斧に、何度か足枷を叩き付け、手枷と同じように足枷を砕く。無茶な砕き方ではあるため、足は無事とまではいかなそうだが、動かす分には問題がない様子だ。その場で軽く何度か跳ねた後、自由になった手足を満足そうに確認している。


目の前の光景に圧倒されている囚人達へ、スライが吼える。


『あーそーびーまーしょーよぉ!!!つっまんねー顔してねえで、ウチを殺しに来やがれってんですよ!!!!』


その声に弾かれた様に、半数は逃げようと背を向け、もう半数は抗おうと武器を握った。しかし、そこからは酷いものだった。


スライはまず、逃げ出した奴らの方へ向かい、つまらない真似をするな、女一匹犯して殺す気概でやれと叫んだ。自棄になる者も、命乞いをする者もいたが、その全てをねじ伏せ、引き裂き、叩き潰していった。


武器を持ち、戦うことを決意した者はその様を見てさらに減った。しかし、闘技場とはそもそも『負けそうだから逃げます』が通じる世界ではないし、ましてや彼らも永久投獄か死刑囚の罪人だ。懇願した助けが来るわけもなく、一人、また一人と殺された。


数分もすれば、闘技場はまさしく血の海と呼べる光景で、血の海の中心、命だったはずの残骸が転がる地獄で獸が笑っている。ただ純粋な悦楽に狂笑し、殺戮をまるで児戯かのように楽しむ姿はまさしく狂気の存在だった。獸の前に放られた哀れな餌は、気がつけば最後の一人。強面で、おそらく決して弱くはない男だったが、泣きながら命乞いをしている様子が見て取れる。


『……凄まじいっすね、こりゃ』


『……流石に気分悪いわ』


私も先輩も、人が死ぬ瞬間なんて腐るほど見てきたし、私は自分の手で人を殺すことも特段厭わない。しかし、目の前で起きているそれは必要な仕事でもなければ、戦争でもない。あの獸にとっては捕食か、捕食ですらなく、言葉通りの遊びかもしれない。


最後に残った男は、散々弄ばれ、尊厳も何もかもを滅茶苦茶にされた後に殺された。


闘技場には獸の笑い声が、そこにぶち撒けられた命全てを嘲笑うように響いていた。






『いやぁーどうせそのうち買われて出るとは思ってましたけど、早かったですねえ』


闘技場での惨劇の後、スライが最低限身なりを整えて、私たちの前に現れる。服はボロ布のままだが、先程全身に浴びていた血は洗い流され、一本の巨大な鎌を握っている。


『その大鎌は?』


『ウチの武器ですよおかわい子ちゃん。一点モノなんで裏にでも流されてたらどーしようかと思ってましたけど、ここにちゃんと置いてあったみてーですね』


『さすが世界の平和を守る人たちは真面目ですよねえ』とスライが笑う。一点モノだと言う通り、明らかに異質な武器で、無理やりその形に加工した生き物で刃を繋いでいる様な鎌だった。おそらく、龍狩の技術の類だろう。


『にしても、まさか同族と会うとは思いませんでしたよ。小柄ですけどつえーでしょあんた』


『話しかけんな殺人鬼。支度終えたならさっさと行くわよ』


『つめてぇ〜。外にいる同族なんてお互いレアモノだっつーのにぃ』


ソニム先輩はツカツカと、帰りの船が出る方へと歩いていく。スライはつまらなそうな様子ではあるが、別段不機嫌になるわけでもなく、魔術鞘へ大鎌を放り込むと私の方へ向き直った。


『あちらさんはいっつもあんな感じなんです?』


『んー、まあそうだね。人嫌いだから』


『なーるほどですね。んじゃまああの同族は置いといて、自己紹介くらいしましょうよ。かわい子ちゃんのお名前は?』


スライはヘラヘラとした様子で話す。私は自己紹介ならまずはそっちから名乗るべきなのではないかと思いつつ、さっきの惨状を見てる分、下手に刺激するのも怖いので素直に答えることにした。


『……クリジア・アフェクト。歳は18』


『クリジアですね。りょーかいですよぉ。ウチはスライ、スライ・アンシーリ。この度はお買い上げありがとーごぜーます』


スライは大袈裟に、仰々しく頭を下げる。今こうして話していたり、ふざけた様子を見せている姿は、正直なところものすごく接しやすい人間の様に感じる。もちろん、あれだけのことをやった後にこの態度を取れること自体が心底異常ではあるのだが、狂人ほど普段はそれがわからないみたいな話はあながち嘘じゃないのかもしれない。


『買ったの私ってわけじゃないけどね』


『あり?そうなんです?ま、なんにせよ今後はよろしくですよぅクリジア』


『あー、うん。まあ、よろしく』


私は、正直本当に話が通じない化物とか、イカれた人間よりかは、普段は話くらいは通じる危険な獸で良かったと思いつつ、帰りの船と先輩の待つ場所へ向かった。



私はスライにこの後どこに向かうとかの話をしながら、港へと歩いていた。帰りの船は到着している様で、先輩はすでに乗り込んでいるらしく姿は見えない。とんでもない光景も見たし、普通は来ない場所へ来たしで私も割と疲れていたので早く帰りたかったのだが、私たちを案内していた看守の声が後方から聞こえ、私とスライは振り返った。


『なんでそいつを外に出す……!』


看守の顔は怒りでぐしゃぐしゃになっている。そこまで正義感が強いのかと、ある意味ゾッとしたが、どうもそういった様子とも少し違う。


『買っちゃったからね、上が』


『買われちゃいましたからねえ、ウチが』


私たちの返答に、看守は耐え切れないといった様子で叫びだす。


『そいつは!!罪のない兵士を、人を!!山程殺して笑ってた大罪人だ!!』


『国を守るために戦った、大切な人を守るために戦った人を!!そいつは遊びで殺した!!許されて良いはずがない!なんでお前が生きることを許される!?これじゃ……!お前に殺された友が馬鹿みたいだ!!』


『ああ、なるほど』と私は思った。戦争で人が死ぬのは、正直よくある話だ。誰が死んで誰が死ななかったかの違いしかない。看守の気持ちは私としては痛いほどわかるが、残念なことにこれは何に怒っても、何も変わらない話だ。相手にするだけ仕方ないと思い、スライに声をかけてさっさとここを出ようとした瞬間、スライが笑い出した。


『あっはっはっはっ!!馬鹿みたいじゃなくて馬鹿だったんじゃねーんです?国とか人とか、守るもクソも弱かったら無理じゃねーですか』


私は確実にヒートアップするだろうこの状況に頭を抱えたが、正直、倫理観や道徳心、その他人間として少なくとも持っておいた方がいい感性を度外視して考えるならだが、スライの言い分も間違いではない。しかし、当然看守はもう怒り狂っておかしくなりそうな心境だろうことが目に見えてわかる。


『罪がねーなら死なないとか、罪があるから死ぬとかそんな話はねーですよ。そのお友達、どこにいたんです?戦場でしょ。そこはもう死ぬか生きるかしかねえんですよ』


スライはお構いなしに続ける。


『なんで生きることを許されるって、ウチが強かったからってだけですよ。弱えから死ぬんです。ご立派な志が生きてて良いで賞なら、ウチが殺されておしまいだったはずですからね。生きてる奴が勝ち、死んだ奴は負けなんですよ。殺し合いは』


『もし本気で志だけで、生きてることが許されるくらい強くなれるなら、今ウチのことをあんたが殺せば良いんですよ!ウチは歓迎しますよ、殺し合いが好きなんで!死ぬも生きるもあそびでしょ、カッカせずに楽しくやりゃいーんですよ』


看守はスライの姿を見て、何も言うことができず、無力感と絶望の表情を浮かべ、膝から崩れ落ちる。


同情はするが、私もこの点に関しては大体スライとは同意見だ。死ぬか生きるか、生きる選択肢を選び続けた奴が殺し合いの場では勝者だ。大義だとか誇りだとか、立派な志はもちろん素晴らしいとは思うが、それらは所詮勝者の贅沢品でしかない。生きていてこその話を、死んでからされても虚しいだけだ。


戦闘狂なところに関しては全く共感できないし、私は命を狙われる様なことはできるだけ言いたくないので口は開かないが。


『向かって来ねーんですか。じゃあウチにとっちゃ敵ですらねえですね』


『……早くしないと船出ちゃうよスライさん』


せめてもの助け舟と思い、私はスライを船に呼ぶ。スライは『りょーかいですよぉ』と振り返り、何事もなかったかの様に船へと向かって歩く。


『いつかまた殺しに来るなら来てくださいよ、そん時ゃ楽しく遊びましょ』


ひらひらと手を振りながら、看守の方を振り返ることもなくスライは船へと乗り込む。看守は、崩れ落ちたまま、顔を上げることすらなかった。

私は後味の悪さに溜息がこぼれはしたが、やっと帰れるなという安堵の方が強く、看守には心ばかりの同情だけを残してその場を後にした。


帰ったら、気分が紛れる様に暖かくて美味しいものでも食べよう。そう心に誓った帰路だった。


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