3話 人と悪魔

建物の崩れる音がする。

人が焼ける臭いがする。

空気が喉を焼き、死が道を照らしている。


この世界では、どこかでいつも当たり前のように起きていて、当事者か部外者かの違いしかない。日常であることを、誰もが見て見ぬ振りをしている現実。


善人が報われる、そんな風に母が話してくれたことがある。

悪人はいつか裁かれる、そんな風に父に叱られたこともある。

両親と同じように、良い人でいられるようにしたいと兄が語ってくれたこともある。


私は、家族がみんな善人だったから、私も善人になれるようにと思っていた。


『どうして母様が死んでしまったの?』


母は間違いなく善人だった。

誰かに恨まれるような人間ではなかった。


『どうして父様が死んでしまったの?』


父も間違いなく善人だった。

母よりは厳しかった。それでも優しい人だった。私は、両親のどちらが好きかと言われたら、父の方が好きだったかもしれない。


『どうして兄様は、私を置いて逃げなかったの?』


兄は、兄が自分でどう思っていたのかは聞けなかったが、私からすれば誰よりも善人だった。最後まで私の手を引いて、地獄の中を走ってくれた。自分だって怖かったはずなのに、ただ泣きじゃくる私を励まして、焼けた足を引きずっていた。


『なんでお前が生きてるの』


善人のフリをした悪人が生きている。

本物の善人は報われず、悪人に命を奪われた。母の教えが間違っていたわけではない。父の教えが間違えていたわけでもない。間違えているのは世界だ。悪い奴が正しいなんて、そんなふざけた話があってたまるか。


だけど、私はその間違いに生かされている。


『ヒーローになりたいんだ』


何も知らない少女が言う。





『いねぇよ、そんな奴』


絞り出したような、言い聞かせるような、誰に向けたわけでもない後悔の言葉と共に、意識が現実へと引き摺り出される。いつも通りの、吐き気がする朝だ。


朝といっても、星が居座っている空と月明かりが地上を照らすような時間帯。その光に暖かさなんてものはなく、無機質に私を見下している。月に睨まれた私を、風音が耳元で嘲笑する。そんな爽やかさとは縁遠い、冷たく暗い朝。いつからか、これが私にとっての朝になった。


『よっ。おはよう。相変わらず寝起きはブッサイクだね』


『……いっつも思うけど、なんでお前らこの時間に起きてんの?』


にやにやと笑う、腹の立つ見慣れた顔。

今朝は赤青半々の顔だった。いつも通りがこれらしいが、別人の同一人物という意味のわからない存在な上、リオンとリアンが別々にいる時もあるので本当にややこしい。少なくとも、寝起きに毎回見てたら考えるのが面倒になるくらいには奇怪な見た目だ。


夢見の悪さと現実のややこしさで頭痛がしてきた私とは対照的に、ダンタリオンは随分と楽しそうな顔でニヤついている。


『お前はいっつも、この時間にこれから自殺しますみたいな顔で起きるからね!それを見るのが楽しみで』


『さよですか。良い趣味お持ちで、クソ悪魔』


『ま、本気で死なれても困るしさ。メンタルケアってやつ?』


ダンタリオンが人を馬鹿にしている時は、反論したりするだけ無駄だ。何を言ってもその反応を楽しんで、さらに次へ次へと言葉を重ねてくる。人心掌握と人の神経を逆撫ですることに関しては、プロと断言して間違いない。


『ケアしろよ。つか、気にしなくても死にやしないよ、知ってるだろ。私は生き汚いタイプなの』


なので、性格の悪い悪魔の相手は程々にして、さっさと自室の洗面で顔を洗って気分を戻そうと起き上がる。ダンタリオンの方も私のいつもの通りの反応に、特に何かを言ってくるわけでもない。何事もなければ、私の朝はだいたいこんな具合に過ぎていく。


ダンタリオンはフラフラと洗面へ向かうクリジアに、特に声をかけるわけでもなく、ふわふわと部屋を漂いながら、普段の明るさがまるで感じられない彼女の背中を見送る。


『死にやしないってさ。あの時死んでりゃ良かったって、毎日欠かさず思ってる奴がよく言うよねぇ』


ぼやきながら、窓の外を見る。彼女が起きる時間に太陽は顔を出さない。代わりに、薄い雲にさえ隠れて消えるような鈍い光が、仲間に集うように瞬いている。この時間を、ダンタリオンはいつもクリジアらしい時間だと思っていた。


彼女は決して太陽ではない。しかし、輝きを持たない人間に、悪魔が惹かれることはない。例えるならば、彼女は月だ。細く鈍い光を放ち、星にさえ劣る輝きの細い月。夜空の主役には決してなることはない。それでもその光を捨てきれない愚かな月。そんな鈍い光が、ダンタリオンは堪らなく愛おしかった。


『だから私たちは、"鈍色"が良いんだ』


ダンタリオンが虚空に吐いた言葉は、誰に聞かれることもなく、暗い朝に溶けて消えた。




早朝、この時間の大広間は大抵誰もいない。厨房はまだ準備すら初めてないし、ミダスさんも用がなければこんなに早くここには来ない。ソニム先輩はそもそもギルドにいる方が珍しいから論外だ。そんな時間に起きてしまうので、私はいつもこの誰もいない時間を持て余している。


陽の光はまだなく、灯りも付いていない大広間は、不自然さを感じるほどに静まり返っていて、慣れてはいるつもりだがどうしても少し寂しくなる。私は適当な席に腰掛けて、変にナイーブにならないよう、今日は誰が最初に顔を出すかとか、朝食は何にしようかとかを考えていると、不意に私の背後から声がした。


『おはようクリジア。早起きさんだねえ、早起き。キヒヒヒッ』


『うぉあ!?ゼパルちゃん?びっくりしたぁ……そっちこそ早くない?』


予想外の声に驚いて振り向くと、悪戯な笑みを浮かべて笑う少女が、いつの間にか私の後ろに立っていた。


この子はゼパル。見た目は人間っぽく、フルーラさんと瓜二つの少女だが、はっきりとした正体はわからないし、誰も知らない。無邪気で、普通に接する分には子供っぽくて、フルーラさんの言いつけ以外はあんまり守ってくれない"怪物"。私の認識としてはそんな子だ。悪い子じゃないとは言い難いが、少し倫理観のない子供と思えばわかりやすい方だとは思う。


『フルーラが今日はこっちって言ってたから、先に来たの。先にね』


私へのささやかな悪戯が成功して、嬉しそうな様子でゼパルちゃんは話を続ける。こんな時は外見相応に可愛らしい、小さな少女そのものだ。本来右目があるべきあたりが陶器のように割れて、中に無数の眼球と黒く不定形の影が見えることを除けばだが。


『それでフルーラがね、クリジアなら朝早くに起きてるかもって言ってたから、来るの待ってたんだよ。待ってたの』


『なるほどね。おかげさまで起き抜けにホラー体験したよ。ていうかいつからいたのさ』


『影はいつでも、ずっとそばに居るよ』


答えになっているのか怪しい言葉を添えて、キヒヒと笑いながら、水に沈むかのように足元の影の中にゼパルちゃんの姿が消え、私の向かいの席にズルリと現れて座る。


影がゼパルちゃんの能力で、こういう光景は流石にもう見慣れている。潜ったり、伸ばしたり、形を変えたりと"何にでもなれる影"という存在の性質。今の少女の外見ですらこの能力を使い、出会った時のフルーラさんの外見を真似ているだけだそうだ。


『…………昨日からいたとかではないよね?』


『キヒヒッ、どうかなぁ?いたかなあ、いたかも?ダンタリオンに見てもらったらわかるかも?』


『いや、ちょっと怖いからやめとく』


『ざんねーん』と足をパタパタさせながら笑うゼパルちゃんを見て、私はどこかダンタリオンと似た雰囲気を感じていた。人を小馬鹿にする感じや、言動の雰囲気もあるのだが、とにかく理屈では説明をしにくい"なんとなく似ている"という感覚。親と子の所作が似てるとか、親友同士の雰囲気が近いとか、それに近しいもの。


ゼパルちゃんの正体は明確にはわからない。ただ、人間か悪魔かで言うのなら悪魔側に近しい存在らしい。ダンタリオンはゼパルちゃんを『悪魔もどき』と呼んで不機嫌にさせたことがあるし、フルーラさんの悪魔から『半端者』と呼ばれているところを見たこともある。


どちらも好きな呼ばれ方ではなさそうだったが、悪魔からそう呼ばれるということは、なんらかの繋がりや関係性はあるのだろう。もしかしたら、私の疑問の解決の糸口になることを知っているのかもしれない。


『ゼパルちゃんさ、悪魔についてなにかこう……知ってることとかってない?』


『知らなーい。私悪魔のことあんまり好きじゃないからねえ、好きじゃないの』


『あ、あぁ……そう……』


これは勝手に期待した私が悪い。それはわかっているのだが、あまりにも無慈悲に、あっさりと私の期待は打ち砕かれたのだった。





朝、一般的に朝と呼ばれるような時間帯。朝日が昇って、空は明るく、爽やかな風が一日の始まりを鳥の囀りと共に伝える頃。私はゼパルちゃんと遊び疲れてのびていた。


『……何やってんだお前』


『あ……ミダスさんおはようございます……いやちょっとゼパルちゃんと鬼ごっことかかくれんぼをですね……』


怪訝な顔で床に転がる私を見下ろしていたミダスさんが、納得した様子で『そりゃご苦労さんだったな』と言いつつ、辺りを見回す。私もそれに合わせて、目線だけでおそらくどこかにいるであろうゼパルちゃんを探すが、その姿は見えない。まだかくれんぼを続けているのかと思い、ゼパルちゃんを呼ぼうとした瞬間、ミダスさんの背後の影が競り上がり、無邪気な怪物が姿を見せた。


『ミダス、おはー。フルーラはー?』


『フルーラならもうすぐ来ると思うぞ。つかお前、クリジア起きてからずっと遊んでたのか?』


『うん。遊んでたよ、遊んでた』


『ねー』と、屈託のない笑顔でゼパルちゃんが私に同意を求めてくる。残念ながら起きてすぐ、割と全力の鬼ごっこと恐怖のかくれんぼをしていた私に同じような笑顔を返す元気はない。せめてと思い親指を立てて、『そうだね』と返した。


ちなみに、ダンタリオンの奴はゼパルちゃんの遊びに巻き込まれそうなことを見越して、いつの間にか部屋からも逃げ出してどこかに行っていたので、後で一発くらい殴ってやろうと思う。


ミダスさんがゼパルちゃんに『人間の体力考えてやれよ』と言い、ゼパルちゃんがちゃんと聞いているのか怪しい様子で元気の良い返事を返す。よくある日常の一コマだ。


『悪かったな、大変だったろ』


『いや、まあ良いっすよ……余計なこと考えないで済むし、一人でぼーっとしてるよりかは楽しかったし……』


実際、悪夢を引きずり暗いことを考えて、せっかく日が昇った世界の中で夜に取り残されることがある。その気分は酷いもので、悪夢そのものより気が滅入る。


『まだ寝れねえか』


ミダスさんが肩をすくめ、少し心配した様子で言う。


除け者の巣の人達は皆、私が異常に早起きなことは知っている。だが、その理由を知っているのはミダスさんだけだ。特別に教えたわけではないし、理由を聞かれたこともないが、ミダスさんも結構朝が早い。ここに来たばかりの頃、日も昇っていない朝にばったりと会って、私の生い立ちを含めそれで大方察してくれたらしい。


『早起きなだけっすよ』


『そうかよ。ならせめてお日様と一緒に起きろクソガキ』


『それ言われると何も言えないんでやめてくださいよ』


苦笑する私に、ゼパルちゃんが得意げな顔で『遊ぶのはいつでもしてあげる』と声をかけてくれる。そんな様子に少し笑ってしまった。ゼパルちゃんはなんで笑われたのかと不服そうだったが、こういうところは素直に可愛い子供だと思う。ただ、遊ぶのは本当にたまにでお願いさせてもらおうと、私は静かに心に誓った。






ミダスさんから慰労品としてもらったお茶とパンで軽い朝食を摂りつつ、朝に集まった三人で他愛のない話をしているとギルドの入り口が開く。

私たちが視線を移した先には、長い金の髪を一つにまとめ、右目を黒い包帯を巻いて隠している女性。柔らかそうな印象を形にしたような人で、マギアスの魔法使いがよく着る系統の外套を纏っている。


『おはようございます。ゼパルがご苦労をかけたようで……』


『すみません』と苦笑して、私の向かいにいたミダスさんの隣へ座る。この人が私の今日の目的の人、フルーラ・リャベファルサ。これが本名なのかは実はわからない。ゼパルちゃんの育て親のような人で、ミダスさんの奥さんだ。今は子供が二人いるので、実質三児の母だろうか。あまりイメージがないが、家族相手には結構厳しいお母さんらしい。


ゼパルちゃんも謎まみれだが、フルーラさんも負けず劣らず謎の多い人で、ここに来る前の経歴が一切不明。自分ですらよく覚えていないらしい。悪い人ではないし、優しい人だとも思うが、よくわからない人でもある。そういう意味でなら、ソニム先輩とかの方がよっぽどわかりやすい。


『遅くなってすみません。クリジアちゃん、大変でしたよね』


『いやそんなこと……はあるけど。まあ大丈夫』


『そうですよね……ご苦労をおかけしました。ええっと、ベラさんから少しだけお話は聞いてたんですが、悪魔関係のお話だとか……』


私が頷くと、フルーラさんが珍しく神妙な顔で、考えるような素振りを見せる。私は実は知らず知らずのうちに、何かとんでもない大問題へ足を踏み入れようとしているのかと急に不安になった。何しろ世界的にも未知の存在、悪魔に関する話題だ。


唾を飲み、身構えた私にフルーラさんが言う。


『……ダンタリオンのお二人と喧嘩をしたとかでしょうか』


『うん、違う』


ミダスさんが堪らず吹き出して笑い出した。フルーラさんは『違いましたか』と言いつつ何故か安堵した様子で微笑んでいる。私は普段その程度のことくらいしか気にしないと思われているのだろうか。


若干の怒りもあるが、気恥ずかしさが勝って拗ねたようにお茶を口に運ぶ。その様子を見て、私の隣にいたゼパルちゃんがニマニマと笑っていたので、軽く小突いてあげた。中身が空洞の容器みたいな感触がして、ちょっと怖くなったのは私の方だったけど。


『くくくく……ふぅ……で?本題は何聞くつもりだったんだよクリジア』


『笑うのやめてくださいよミダスさん……。いや、最近悪魔の噂話をよく聞くから、フルーラさん悪魔に詳しいしなんか知ってたりしないかなって思ったんすよ……』


『なるほど。そういうことですか。ただ私も学者や研究者というわけではありませんからね……』


フルーラさんは少し考えた後、再び口を開く。


『現世と幽世が紙の表裏、幽世の影が私たちが契約を行う前の悪魔……という話は以前しましたね』


『それは聞いたね。だから滅多に人と悪魔は接触しないって』


『そうです。ただ、影を自由に落とせるようになったら……悪魔が人と接触するのはそう難しくなくなるかもしれません』


『偶然じゃなく、狙って人間に会えるってこと?それができるなら最初からやれば……』


『あくまで例えばの話です。この答えを知ってそうな"友人"がいますが……彼女はそれを口外することはないでしょうね』


結局、答えは分かりそうにない状況に私は少し肩を落としつつも、そりゃこうなるだろうなと納得もしていた。


世界で悪魔が出やすくなった。そんなビッグニュースが出れば少なくともヴィーヴ・マギアスが黙っていないだろう。そもそも、冗談ではなく世界存亡の危機にまで発展しかねないし、国家間の戦争も苛烈どころではすまないものになっているはずだ。所詮噂は噂なのだと思っておくくらいが丁度いいのかもしれない。


『当事者本人に聞いてみましょうか』


『へ?』


私が一人で結論を落ち着かせていると、フルーラさんが言うが早いか空間に陣が現れ、その陣がまるで門のように割れて開く。フルーラさんの魔女の能力。合鍵の魔女と呼ばれ、あらゆる門を開くことができる力。部屋の鍵を開けることから世界各地を繋ぐ門を開いて転移までできる魔法で、私たちが各地にすぐ移動できるのはフルーラさんのこの魔法があってこそだ。


その門の中から、人間が恐れる存在が姿を見せる。


『どうしたのよぉご主人。襲われてるとかそんなわけじゃなそうだけどぉ?』


外見だけは、長身の女性そのもの。しかし、黒い眼球と紅い瞳、明らかに人とは異なる形容し難い存在感を放つそれは、少々気怠げな様子でフルーラさんのすぐ横に浮いている。


『ちょっと聞きたいことがありまして。時間とか大丈夫でした?フルフル』


『フルーラちゃんに呼ばれたら何をしててもすぐ来るわよぉ♡』


『無理はしないでくださいね?』


『心配なのぉ?優しいわねえ私のご主人は♡』


フルーラさんに抱きついて、頬擦りをするそれを見て、私が恐怖のあまり逃げ出したり、発狂して襲いかかっていないのは一応何度かあったことがあるからだ。世間一般が言う一般人よりは多少慣れているとは思うが、それでも私は未だにダンタリオン以外の悪魔は怖い。


ミダスさんは慣れてる様子だし、ゼパルちゃんも実質仲間みたいなものなので気にしてないらしく、二人で話の邪魔をしないようにと気を利かせてか遊んでいる。むしろ今は助けて欲しいくらいだし、ゼパルちゃんの無邪気さが早くも恋しいのだが。


『それで?聞きたいことってなぁに?』


『クリジアちゃんが、悪魔の噂話が最近増えた気がして気になるみたいで』


私の名前が出た瞬間、心底嬉しそうにしていたフルフルの表情が途端に曇る。異質さが滲み出る眼で私を一瞥すると、大きくため息を吐いた。


『フルーラちゃんのお願いじゃないのねぇ……何が聞きたいのよぉネズミちゃん』


『ネズっ……いや、実はね……』


露骨に嫌そうな態度とあからさまにこちらを見下した蔑称に反応しそうになるが、下手を踏めば本当にこっちが殺される可能性もある。


フルーラさんがまあまあとフルフルへ落ち着くように言いつつ『私も知りたいんですよ』と助け舟を出してくれたおかげで、ぎりぎり会話はできる程度の空気感だが、正直今すぐ部屋に逃げ帰りたい。これで何もわからないとか言われたらヤケ酒にでも逃げようかと思いつつ、なんとか先程までの話を伝えた。


『ふぅん……成る程ねぇ』


話し終えた直後に『知るか』と一蹴されるかとも思っていたのだが、意外にもフルフルは考え込むようにして唸る。

しばらく悩みながらフワフワと宙を漂うと、小さく息を吐き、再び話し始めた。


『私の知る範囲でだけどぉ、現世側に私たちを望む奴が増えたんじゃあないのかしらねえ』


『悪魔を望む奴……?』


『ダンタリオンのチビちゃんたちにもあるでしょお?冠する祈りの名前』


『ああ、欣快の祈りの〜ってやつ?それが望まれると何があるわけ?』


フルフルが露骨に『物分かり悪いなこいつ』という顔をして、大袈裟なほど大きく溜息を吐く。私はフルーラさんも絶対まだわかってないからなと心の中で悪態をつきつつ、なんとか耐えて答えを待つ。


『私たち悪魔はねぇ、願望機なのよぉ。願いを叶える呪い、祈りを冠する意思を持った魔法。願いを叶えるにはそれを祈る人間が必要でしょう?』


『虚偽、殺戮、憐憫、競合、欣快……あらゆる願いがあらゆる形で望まれるわよねぇ。貴方たち人間が何かを願い、望み、呪うたびにそれに応えるように私たちは惹かれるのよぉ』


そういえば、ダンタリオンが言っていた。私たちは人間に興味があるんだと。契約者は誰でもいいが、惹かれるものとそうでないものはあるのだと。なんでも良いならより良いものを選びたい、それが契約者探しの醍醐味なのだと聞かされたことがある。


『紙の裏表、だったわねえ。紙の表面を削り続けたら、厚紙も薄くなる。願いは紙を削る爪なのよぉ。薄い紙の裏側が透けるのなんて子供でもわかる話よねえ』


他の悪魔がどんな願いを冠しているのかは知らないが、人が望めば望むほど悪魔が幽世とやらから出てきやすくなるというのなら、時代が荒れ始めた頃に悪魔の噂が増えたことの理由として的確な話だ。


しかし、もしもこれが本当なら、人間はいずれ自分たちが願ったもので自分たちを滅ぼすような大災害を呼び出してしまうのではないか。肝の冷える話に、私はさすがに愕然としてしまった。そんな私の様子を見たフルフルが、私の顔にぐっと近づいて、心底楽しそうにグニャリと笑う。


『ち・な・み・に。私の祈りは"虚偽"の祈りだからぁ♡どこまで本当かはネズミちゃんのちいちゃい頭で考えてねえ♡』


『……………は?』


私の気の抜けた返事から一拍おいて、フルフルが堪らずといった様子で吹き出した。


『あーーはっはっはっ!!その顔ぉ!面白いわぁネズミちゃん!怖かったかしらねえ?泣いちゃってもいいのよぉ?』


フルフルが宙を漂いながら、腹を抱えて笑い転げている。フルーラさんがそれを嗜めるようにしながら謝罪をしてくれていて、ゼパルちゃんと遊んでいたミダスさんが少し離れた位置から同情の目を向けている。私は、恐怖心とか、抱えていた疑問とか、朝の疲れとかの全てを忘れて心のままに叫んだ。


『……こんのクソ悪魔ぁ!!!!!』






朝から散々馬鹿にされ、オモチャにされた私は完全に不貞腐れながら、フルーラさんがお詫びにと作ってくれた昼食を食べていた。


あの後、悪魔とかいう奴は皆揃ってああなのかとか、私だって酒も飲める歳だし子供扱いがすぎないかとか、とにかく結構な愚痴を吐いたが、ミダスさんとフルーラさんが全部聞いた上で嗜めてくれて今に至る。


それでも未だ不貞腐れている私の元へ、フルーラさんが食後にと焼いてくれたパウンドケーキを持ってきてくれた。


『クリジアちゃん、フルフルがすみませんね……あれでも、あの人ここの皆さんのこと好きなんですよ』


『アレで!?嘘でしょ!?』


『アレでです』と笑いながらフルーラさんは言う。私は流石にこの人に対してはフルフルは本当に過保護で、異常な溺愛具合を見せているから感覚がずれているんじゃないだろうかと思いつつ、うっかり話してまた本人が来たりしたら発狂するので言葉を飲んだ。


フルフルへの敵対心以外、ほとんど実りがなかった相談会だったのだが、一つだけ引っかかっていることがある。フルフルが帰り際に私に言った言葉だ。


『悪魔が人に惹かれるのは本当よぉ』


この言葉も嘘かもしれないと言われればその通りだが、何故かこの言葉だけが頭に残って離れない。もし、これが本当なのだとしたら、今日の話もあながち嘘ではないのかもしれない。


ただ、身近にいるのはあの人を馬鹿にすることが生きがいのクソガキ悪魔。今日話をしたのは性根が捻れに捻れた虚偽の祈りのデカ女。経験則も対話もいまいち信用ならないし、だんだん世界の情勢がどうとかどうでもいいし、魔法道具が増えたからなんだというのかという気持ちになっていた。


『結局、悪魔ってよくわっかんねぇ……』


口から溜息と共に溢れた言葉に、フルーラさんが『人間同士と同じですね』と笑った。ああ、たしかにこの人も本当によくわからないなと苦笑して、この件について考えるのをやめた。


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