第9話 ロジカルの刃が夜を裂く

 魔王軍を退しりぞけ、エメリナ姫や騎士団、臣下たちが、事後処理を続けている頃。


 すっかり夜はけて――国の内政事情で手伝える事もない私は、あてががわれた部屋で、猫メイド・アビィから〝この世界の言葉〟について教示を仰いでいた。


「―――と、こんなトコですニャ。お分かりいただけましたニャ?」


「フム、大体理解した。対話が出来ていたから、よもやと思っていたが……言語体系も、かなり近いモノがあるな。おかげで学ぶのも楽だった」


「いやーだとしても理解すんの早すぎニャと思いますケド……どんだけ柔軟なんですニャ。〝うさぎつの〟は〝普通のことニャンね〟つったら、〝こちらの世界では亀毛兎角きもうとかくも一般的か、なるほど……とにかくロジカルだな〟とかよう分からんこと言われるコッチの身になれですニャ」


「フムフム……〝科学〟と〝魔法〟でかけ離れた異世界かと思いきや……あくまで発展が枝分かれしただけで、思ったより〝座標〟の近いパラレル・ワールドなのかもしれないな……いや、我が妻とエメリナ姫が別世界の同一人物であるコトを考えれば、むしろ当然か……フーム、興味深い!」


「もう聞いてねぇですニャンね、天才て扱いづれぇ、ほぼ変人ですニャア……ンン、ふにゃぁ~~~……あふ。もう眠いんで、わたしはコレで失礼しますニャン。ルークさまも、とっととクソして寝ますニャンよ。ふう、気遣いできるわたし、完璧なメイドですニャア……ではおやすみですニャン」


 アビィの声が聞こえた気はしたものの、思考に夢中になっている私は、扉を開く音と――「ウオッやべーヤツとすれ違っちまったですニャン」という空耳が聞こえた後、バタンと扉の閉まる音だけを認識する。


 フム、確かにこちらの世界に来てからは、休みなく動いていた私だ。自分でも意識していない疲れがあるのかもしれない。


 今日は早めに休むべきだろうか……そんなことを考えていると、が。


「……あ、あの、ルーク様……少々、よろしいでしょうか……?」


「――――フム?」


 いつの間にか、猫メイド・アビィと入れ替わるように―――この国の王女たる、エメリナ姫がそこに立っていた。事後処理は終わったようだ、が、しかし。


 身に纏っていたのは、キャミソールドレスの如き、薄手の着衣――何でだろう、一瞬〝ウオッやべーヤツ〟という言葉が脳裏にリフレインしたが、どこかで聞いたかな?


 さて、それがこちらの世界における大国の姫の流儀なのかは不明だが、彼女は頬を朱に染めながら語りかけてきた。


「……あ、あの、ルーク様。わたくし達は明日以降にでも兵をおこし、魔王城へと攻勢を仕掛け、魔王を打倒するつもりです。ですが……それが成功しましたならばルーク様は、あのを使い……ご自身の世界へ、お帰りになられるのですよね……?」


「フム、当然そのつもりだが……」


「……でしたら、最後に……どうか、お聞き届けください」


 薄手の布地ごしに、大きな胸に手を添えながら、エメリナ姫が口にしたのは。



「わたくし……わたくし、エメリナは――――

 ルーク様を、お慕い申し上げております――!」



「!? なんだと、そんな……全く全然これっぽっちも、気付かなかったぞ!?」


「わたくしが言うのも何ですが、割とダダれだったと思うのですけれどね!? こ、コホン、それで、ですね……」


「だが申し訳ないが、私には愛する妻がいるので、その気持ちには答えられない。丁重かつロジカルにお断りする」


「アッエトッ……それは、分かっております、ルーク様がそういう御方なのは……いえ、だからこそ、わたくしは惹かれたのでしょう。……ですが、わたくしの想いとて、決して偽りではありません。ルーク様……今宵だけ、時間を頂けますか……?」


「いや、そろそろ明日に備えて寝ようと思っていたので、お断りする」


「では、どうかお願いします……今宵、今宵だけ、どうか……」


「フム? はっきり断ったはずなのだが、聞こえなかったのだろうか。ロジカルではないな」


 非ロジカルを好まぬ私に、けれどエメリナ姫は構わず、何やら熱に浮かされたような――潤んだ瞳で、私を見つめてきて。




「わたくしと………一夜を共にして、頂けませんでしょうか………?」




「いや、私は愛する妻にのみみさおを立てているので、お断りする」


「わたくしと………一夜を共にして、頂けませんでしょうか………?」


「フム? おかしいな、ロジカルにお断りしたはずだが……もう一度答えるが、私は愛する妻にのみ操を立てているので、お断りする」


「わたくしと………一夜を共にして、頂けませんでしょうか………?」


「フーム、なんだろうコレは、肯定しないと話が進まない感じだろうか。イヤだな。何が何でもはいと答えたくないな。ロジカルじゃないしな」


「………ッ、ッ………!」


 あくまでも断り続ける私に、エメリナ姫は――既に赤らんでいた顔を更に紅潮こうちょうさせ、耐えかねたように叫ぶ。



「―――――先っちょだけでもいいですからっっっ!!!」



「私が言うのも何なのだが、それは女性側が言って良いものだろうか? しかもそんな大声で」


「なんなんですか、もう……なんなんですか、もおおおお!! わたくしが奥様と同じ見目ならば、少しくらい揺らいでも良いではないですか!? わたくしの純潔はともかく、ルーク様にとって減るものでもなし!!」


「いや、あくまで別世界の門外漢である私が、姫の気持ちにこの場だけ応えて傷を残すのは、どう考えてもロジカルによろしくないし。それに私は妻と結婚する際、たとえ私が死するとしても妻のみを永遠に愛すると誓ったし」


「ずっズルイ! そんなんわたくしもルーク様に言われたい!!」


「私は妻にだから言ったのだ……エメリナ姫には言わない。ロジカルに」


「うわーーーん! 容赦なさすぎます~~~!!」


 何か駄々をこねられている気はするが、私はロジカルに準じて返事したし、間違えていないと思う。う~ん、やはりロジカルは大事だな。


 さて、エメリナ姫はというと――ようやく納得してくれたのだろう、儚げな微笑を浮かべ、扉の方へと歩いていき。


 一度振り向いて、言葉を投げかけてきた。


「……わかりました。真摯にお答えくださり、ありがとうございます……ええ、構いません。それでこそです……それでこそ、わたくしが愛した、ルーク様なのですから……」


「フム、ご理解いただき、感謝する」


「フフッ、特に惜しいとかのお気持ちも無いご様子、ロジカルですわ……では、ルーク様。……願わくは」


 にこり、目尻に涙を溜めながら――エメリナ姫は、ぽつりと。




「来世では―――きっとエメリナを、選んでくださいね―――」




「エメリナ姫……残念だが、それも出来ない。私は妻と、来世も来来世も一緒になると誓っているゆえ」


「う゛わ゛ーーーん゛!! アビィ~~~~!!」


『うぅ~ん……じゃあ来来来世ですニャンね……』


 どうやら猫メイド・アビィも扉の向こうで控えていたらしく、エメリナ姫と共に、嵐のように去っていった。


 ……さて私は、一人残された部屋で、ぽつりと。


「フム。………いやだって浮気とか、ロジカルではないし」


 誰にともなく、そんなことを呟いた。



 ……だが私は、この時まだ、思いもしなかった。

 この夜の話が、後に。


 とある大事件を引き起こすことになる、そんなことなど―――つゆほども。

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