エピソード 3ー7 結愛の想い
「お姉ちゃん、正座」
「いや、あの、結愛、まずは話を……」
「正座」
「はい」
帰宅後、引っ越し先が決まった旨を告げた紗雪は、それを聞いた結愛にリビングのフローリングの上に正座させられた。
……うん、当たり前だと思うよ?
「お姉ちゃん、言ったよね? ある程度決まったら、一緒に物件を見て決めるって」
「言いました」
「それで、さっきなんて言った?」
「引っ越し先を決めてきたって」
「……なんで?」
冷たい目をした中学生の美少女が、正座する姉を見下ろしている。
そうして見下ろされている紗雪は視線を彷徨わせた。
「いや、その決めたって言っても、契約はまだだよ? 一応、結愛が気に入らなければ断ることは出来るからね」
「じゃあ、どうしてそんなに性急なの?」
「それは、その、ユリアさんが上の階に住んでるって聞いてつい」
結愛がものすごく呆れたような顔をした。
「お姉ちゃん、どうしてまだ契約してないの……?」
「わふっ!?(そっち!?)」
思わず吠えてみるけれど、紗雪は「ごめん、急いで契約するね!」と答えた。
……ツッコミ役はどこ?
「それで、どんなところなの?」
「えっとね……エレベーターを開けたら玄関だった」
「……はい?」
結愛は意味が分からないと瞬いて、それから該当する部屋に思い至ったのか、ぐりぐりとこめかみを揉みほぐした。それから、予想がはずれてて欲しい、みたいな顔で口を開く。
「ねえ、お姉ちゃん、まさかと思うけど、それ、一フロアぶち抜きとか言わないよね……?」
「そうそう、よく分かったね」
「高級マンションの上層部じゃない!」
あ、そこは突っ込むんだ。
「でも、ユリアさんと一つ屋根の下だよ?」
「もっと下の階でも一緒でしょ! と言うか、いくらだったの……?」
「えっと、これくらい」
紗雪が可愛らしく指をたくさん立てた。
「うわぁ……」
結愛、ドン引きである。
でもね、結愛。たぶんだけど、かなり格安だと思うよ、その値段。
「結愛、その……怒ってる?」
紗雪が不安そうになる。
結愛は少し困った顔をして、それからふるふると首を横に振った。
「うぅん、怒ってないよ。それに私は前々から、お姉ちゃんが稼いだお金は自分のために使って欲しいと思ってたの。だから、お姉ちゃんが気に入ったなら問題ないよ」
「結愛……ありがとう!」
紗雪が立ち上がって結愛を抱きしめた。
「うわわ、もう、お姉ちゃんったら……」
結愛が苦笑する。
ホント、紗雪だけじゃなくて、結愛もいい子なんだよね。
「それで、私の部屋はあるの?」
「あるある! 私は結愛の部屋はもちろん、客間も一杯あるよ!」
「……さすがに一杯は要らないと思うけど」
「でも一杯あるよ。一人三部屋くらい使う?」
「多すぎだよ」
呆れる結愛に、そうだよねぇと笑う紗雪。二人は続けて、「じゃあユリアの部屋も用意しようか!」みたいに盛り上がってる。
その……なんかごめん。
私、それと同じ間取りのフロア、一人で使ってるんだ。
でも、自分のフロアに不用意に行き来する訳にはいかないし、部屋を用意してくれるなら嬉しいかな。正直、人の姿に慣れてしまうと、ずっとフェンリルの姿でいるのは不便なんだよね。なんて考えているあいだにも二人の会話は進む。
「あとね……そうだ。すぐ下の階がプールだって」
「……プール? プライベートプールってこと?」
「うん。上層部に住んでる人だけが使えるプールだって言ってた」
紗雪がにへらっと笑う。それを見た結愛がまさかという顔をした。
「お姉ちゃん、まさか、水着で配信、なんて考えてないよね……?」
「決めてはないけど、嵐華さんはしてもいいって言ってたよ」
いつの間にそんな話を!?
と言うか、水着で配信なんて、お姉ちゃんは許しませんよ!
抗議の意味を込めて、前足で紗雪の足をたしたし叩く。
「ん? ユリアも入りたい? 瑛璃さんが大丈夫だって言ってたよ!」
「わん!(私は配信のことを言ってるの!)」
「ふふ、よっぽどプールに入りたいのかな?」
たしたし足を叩き続けていたら、ひょいっと抱き上げられてしまった。
くぅ。全然話が通じない。
結愛、なんとか言ってやってと視線を向ける。
「……お姉ちゃん、もし配信をするとして、水着はどうするつもり?」
「もちろんSIDUKIブランドのだよ。クリスさんから、まえから宣伝しないかって言われてるからちょうどいいかな、とは思ってる」
「だと思った」
あぁ、スポンサーの意向なのね。
でも、だからって、紗雪が水着は……いや、モデルさんとか、アイドルみたいに考えれば、グラビアに出ることだってあるし……うぅん。
「ねぇユリア、一緒にプールで泳ごうね?」
「わん……(気が向いたらね)」
乗り気はしないけれど、紗雪が仕事として受けるなら邪魔するべきじゃないだろう。という訳で、私達の引っ越しは早々に決定。翌日には嵐華さんの手配した引っ越し業者がやってきて、私達はあっという間に引っ越しを終えることになる。
そして――
「と言うことで、引っ越しを完了したよ!」
『早いよ!?』
『早すぎワロタw』
報告をした紗雪はリスナーからもすごく突っ込まれていた。
「お姉ちゃん、ダンジョン探索用のそうにはこっちの部屋に入れておくね」
「ありがとう。こっちの箱は結愛の私物だけど、どの部屋に入るんだっけ?」
引っ越しが終わった翌日。
紗雪と結愛は朝から引っ越しで運び込んだ段ボール箱の開封をしていた。
年頃の女の子とはいえ、二人とも節約をして質素な暮らしをしていたので私物はかなり少ない。たくさんあるのは、スポンサーから服を支給されている配信用の服くらいだろう。
荷物の整理もその日のうちに終わった。
「さて、後は引っ越し完了の報告をして……と、あれ?」
紗雪がスマフォを覗き込んで小首を傾げる。
「お姉ちゃん、どうかしたの?」
「瑛璃さんが手続きのことでギルドに来て欲しいって」
「ギルドに? ……じゃあ、私が行くよ」
「え、結愛が?」
「うん。お姉ちゃんはまだ片付けが残ってるでしょ? だから私が行く。その代わり、護衛にユリアを借りてもいい?」
「いいけど……じゃあお願いしようかな? ユリア、お願いできる?」
「わんっ!(任せなさい!)」
と言うことで、ケージに入れられて結愛と一緒に電車に乗る。そうしてやってきたのは創世ギルドの本社だ。受付で事情を話せば、すぐに別室に通され、そこに嵐華さんがやってきた。
「お待たせしました――っと、貴女は紗雪様の妹ですね」
「はい。結愛と言います」
「初めまして。私は嵐華、瑛璃様の秘書を務めています。今日は急に及びだてしてすみません。譲渡の手続きで、紗雪様のサインが必要だったのですが……」
本人ではなく、その妹だと意味がない。
それをやんわりと指摘された結愛は「すみません。書類を渡していただけたら、お姉ちゃんにサインをしてもらってきます」と答えた。
そんな結愛を見て、嵐華さんは少しだけ考える素振りを見せた。
「なるほど。では、まずはお座りください」
ローテーブルを挟んでソファに座る。そこにすかさず、使用人の一人がお茶菓子を出してくれた。ちなみに、私はケージから出されて結愛の膝の上だ。
結愛は嵐華さんに勧められて紅茶を口にして一息を吐いた。
それを見届け、嵐華さんが口を開く。
「さて。さきほども申したとおり、書類には紗雪様のサインが必要です。そのサインは結愛様が紗雪様よりもらってくるとのことでしたが……」
「はい。必要ならすぐにでも」
「いえ、後日で問題ありません。それより、結愛様――もしやなにか相談があるのでは?」
結愛はピクリと身を震わせた。
「……どうして、そう思うのですか?」
「結愛様は、紗雪様のサインが必要になると気付いていたように見受けられます。それなのに、貴女があえてここに来た。そこからはちょっとした勘です」
「……ごめんなさい」
結愛が申し訳なさそうに頭を下げた。
「謝る必要はございませんよ。瑛璃様からも、貴女がたによくするようにと申し使っておりますから、なにか相談があるのならうかがいます」
「ありがとうございます。実は私――探索者になりたいんです」
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