エピソード 1ー2 救世の白いもふもふ

 藤代 紗雪。

 コーラルピンクのロングヘヤーにグリーンの瞳という、どこか穏やかな雰囲気を纏っている少女、紗雪がダンジョン配信者としてデビューしたのはちょうど三年前だ。


 当時、まだ中学一年になったばかりの彼女が探索者になった理由に付いては様々な憶測が語られているが、本人は未だに沈黙を守っている。


 それから三年。まだ高一という若さながら探索者としての実力は上々で、整った容姿を活かした案件を受けることも珍しくない。穏やかな雰囲気を纏う彼女は人気の配信者だ。

 その紗雪が、いまは必死の形相で走っていた。


『紗雪、逃げろ! イレギュラーだ!』


 視界の端に浮かぶ半透明のウィンドウ、そこにリスナーのコメントが表示されている。それを横目に紗雪は自分の不運を呪っていた。


(どうしてこんなことに……っ)


 彼女は決して無茶や無謀を売りにするタイプの配信者ではない。堅実な戦闘を心がけ、リスナーに安心感を与える内容と、癒やしのトークで場を盛り上げるタイプ。


 今日も安全に中層のベーシックと呼ばれる通常の魔物狩りをしているだけのはずだった。

 なのに、イレギュラーが発生した。中層のベーシックとは明らかに違うタイプのガルムが、仲間を引き連れて襲い掛かってきたのだ。


「どうして中層にこんな敵がいるのよっ!」


『やばいやばいやばい! ようやく中層で戦えるようになった紗雪にこのイレギュラーはマジ無理だって。逃げないと死んじまうぞ!』

『管理局には通報した。救援が来るはずだから、それまで逃げるんだ!』


「あはは……間に合えば、いいけど――ねっ」


 泣き言を言いながらも必死に応戦する。


『最短でも一時間くらい……か?』

『そんなの間に合わないじゃん!』

『いや、それがなんか、創世ギルドのメンバーがそのダンジョンにいるらしい。事情を話したらすぐに救援に向かってくれるって!』


「それなら頑張れるかも!」


 走り続けたせいで息が上がっている。時間を稼ぐ必要があるけれど、このまま走り続けるのは無理だ。そう判断した紗雪は足を止めて交戦を試みる。

 だけど――強い。


 取り巻きは中層のベーシックだが、群れを率いるガルムの強さが桁違いだ。紗雪の攻撃はことごとく弾かれ、敵の攻撃はあっという間にシールドを削りきった。

 そして何度目かのブラウンガルムの攻撃を食らったとき、紗雪はついに傷を負う。


『え、なんで画面が映らなくなった!?』

『あ、これ……あれだ。シールドが全損して、配信に年齢制限が掛かったんだ』

『おい、嘘だろ、紗雪、しっかりしてくれ!』

『嫌だ、嫌だ! 推しが死ぬところなんて見たくないぞ!』

『救援はまだなのかよ!』

『誰か近くにいないのよ! 誰でもいいから紗雪を助けてくれ!』


 リスナーの悲痛なコメントが並ぶ。それを横目に、紗雪は「みんな、ごめんね」と力なく呟いた。それと同時、ブラウンガルムが飛びかかってくる。

 刹那、視界の隅から白いもふもふが飛び出してきた。


「……え? 真っ白なもふもふの……ワンコ?」


 白くてもふもふの、腕の中に収まるような小さなワンちゃんだ。そのワンちゃんがブラウンガルムの首に食らいつき、首を捻ってブラウンガルムを投げ飛ばした。


「このワンちゃんすごい!」


『なんだ!? 白い、もふもふ?』

『魔獣だ! 誰かの従魔か?』

『いや、野良っぽい。どっちにしろラッキーだ!』


 ダンジョンにはたまに、探索者の味方になってくれる魔獣がいる。テイム――すなわち従魔とすることでで、そのまま連れ帰ることも可能になる。

 だから、白いもふもふが味方してくれること自体はあり得ないことじゃない。

 ただし、その強さは理解の範疇を超えていた。


「助けてくれたんだよね、ありがとう――って、後ろ!」


 背後から残りの二体が近づいてくる。だが、そのターゲットは紗雪から白いもふもふへと移っていた。白いもふもふに対して警戒するようにうなり声を上げている。


『紗雪、いまのうちに逃げるんだ! そいつ、たぶん下層のボスだ!』


「え? あ、うそ……こいつ、下層のボスなの?」


 それだけで、いまの自分には敵わない相手だと理解した。逃げるべきだが、さきほどの負傷で足をやられていた。

 このままなら、自分も白いもふもふも死んでしまう。そう思ったとき、紗雪の脳裏にはかつて自分を救ってくれた女性の姿が思い浮かんだ。


(私はあの人に憧れて探索者になったんだっ! たとえ相手がワンちゃんだとしても、自分を助けてくれた相手を見捨てて自分だけ逃げるなんてしない!)


 だから――と、紗雪は震える身体に鞭打ってまえに出た。


「ワンちゃん、助けてくれてありがとう。でも……私は大丈夫だから、いまのうちに逃げて」


『なに言ってるんだ、紗雪!』

『早く逃げろよ!』

『なんで魔獣なんて庇ってるんだ!』

『紗雪、頼む! 自分が生き延びることを考えてくれ!』


「あはは……ごめん、もう、無理なんだ……」


 力なく呟く。


『なんで……っ。いや、もう走れないのか』

『え? あ、そうか、シールドを抜かれて、足に怪我を……』

『そんな、嘘だと言ってくれよ!』


 死なないでと願うコメントがものすごい勢いで流れている。

 それを目にした紗雪は弱々しく微笑んだ。


「……悲しい想いをさせてごめんね」


『こんなときにまでなんで人の心配してるんだよ!』

『諦めるなよ!』

『そうだ、あの白いもふもふならなんとかしてくれるんじゃないか!?』

『無茶言うな、相手は下層のボスだぞ! 取り巻きならともかく、下層のボスを倒せる魔獣なんているはずないだろ!』

『じゃあ、どうしたらいいんだよ!』

『だから、逃げるしかないんだって!』

『そもそも逃げられないからどうするって話だろ!』

『畜生! 救援はなにをやってるんだよ!』


 悲痛なコメントが目で追いきれないほどの速度で流れる。

 そんな中、白いもふもふが再び紗雪のまえに出た。


「わぉぉぉぉん!」


 白いもふもふが可愛らしい雄叫びを上げた。直後、まるで夜空のように青みを帯びた黒い炎が取り巻きのブラウンガルムを飲み込む。

 一切の音はなく、また熱も伝わってこない。

 なのにブラウンガルムは骨も残さず消し炭になった。


『ふぁ!? いまのなに?』

『なんか、急にブラウンガルムが消し炭になったんだが?』

『油断するな、ボスがまだ残ってるぞ!』


 様々なコメントが流れる中、白いもふもふが飛び出した。

 そして――


『……なあ、俺達はなにを見せられてるんだ?』

『白いもふもふが、下層のボスをサンドバッグにしてるところ……?』

『奇遇だな、俺にもそう見える……』


 リスナーの困惑するコメントが流れる。白いもふもふは小さな前足による攻撃で、まるで鬱憤を晴らすように、ガルム種をボコボコにしばき上げていた。

 ガルム種も反撃を試みるが、それはことごとく潰される。ライオンくらい大きなガルム種を、小さな小さな白いもふもふが圧倒していた。


 徐々に劣勢を理解したガルム種が逃げようとするが、白いもふもふは回り込んで殴りかかる。フルボッコの末、ガルム種はピクリとも動かなくなった。


『倒した……のか?』

『いや、こんな子犬が、ボスをボコボコにするとかある?』

『夢、かな……?』

『夢でもいい! せめて紗雪がイレギュラーに出くわすまえから夢だったと言ってくれ!』

『まてまてまて、俺達全員が見てるんだぞ、夢なわけないだろ!』

『ということは、紗雪は……?』

『助かったんだ!』

『やったあああぁぁぁあっっ!』


 コメントが大量に流れる。

 それを横目に、紗雪は白いもふもふへと向き直った。


「ワンちゃんが……私を助けてくれたの?」

「わんっ!」


 白いもふもふが吠えた。

 彼女はストレス発散が出来てご満悦である。

 紗雪はそんなユリアにお礼を言おうと一歩を踏み出すが――


『待て待て! いくら見た目が可愛くても魔獣だぞ、気を付けろ!』

『たしかに、下層のボスを蹂躙する魔獣はヤバい』

『だな。ガルムと敵対してるとはいえ、味方とは限らないぞ、気を付けろ』


「……そうよね。こんなに可愛い見た目でも魔獣だもんね」


 ちなみに、魔獣というのは、従魔になる可能性のある魔物の総称だ。総じて獣の姿をしており、そのダンジョン由来の魔物と敵対していることが多い。


『助けてくれたとは限らないからな』

『たしかに、単に狩りをした可能性はあるな』

『ストレスの発散がしたかっただけかも?』

『いや、さすがにそれはないだろw』


 人懐っこい魔獣が味方をしてくれたり、従魔になってくれたりすることはある。だが、それは必ずという訳じゃない。テイムに失敗した魔獣が襲ってくる、なんて事例も存在する。

 いまこの白いもふもふに襲われたら、紗雪は間違いなく死亡する。


 そういった理由でリスナーが警告をする。

 それを見た紗雪が警戒していると、白いもふもふはそれに気付いたかのように踵を返した。そのときに見せた顔が、紗雪にはどこか寂しげに見えた。


「――待って」


 まだお礼も言っていない。それを思い出して手を伸ばす――瞬間、紗雪に限界が来た。怪我で血を失いすぎた紗雪はそのまま前のめりに倒れる。


『……紗雪?』

『しっかりしろ、紗雪!』

『脇腹だ、出血してる! すぐに止血しないと!』

『救援、早く来てくれ!』


 治癒ポーションの類いは非常に高価で持ち歩いていない。それは紗雪が無謀な訳ではなく、アルケイン・アミュレットがあるこの世界では珍しくないことだった。


 それでも、なんとかして血を止めないと――と、紗雪は必死に身体を反転させる。その視界に、自分を見下ろす白いもふもふの姿が目に入った。


「……ワンちゃん。せっかく助けてくれたのに、ごめんね……」


 力なく瞼を閉じた。

 脳裏によぎるのは唯一の家族である妹の存在だ。


「……やだな、死にたくないな……」


 力なく閉じた瞳から涙が零れた。

 直後、瞼越しに強い光を感じ、全身の痛みすら消えていく。


「……あぁ、痛みも感じなくなってきた。もうダメみたい……」

「わん」


 諦めの境地に至っていると、たしたしと足を叩かれる。

 もう眠らせてくれと思うけれど、たしたしたしたしと、いつまで経っても止まらない。それを疑問に思って目を開くと、白いもふもふが紗雪の足を叩いていた。


『紗雪、よかった、紗雪!』

『助かったーっ!』


 大量に流れる謎のコメントが目に入った。

 死にかけてるのに、なにがよかったのかと不満に思いながら身を起こす。そして起き上がった紗雪は気が付いた。いつの間にか、全身の怪我が消えていることに。


「……あれ、私、生きてる? というか、怪我がない?」

「わん」

「もしかして、ワンちゃんが治してくれたの?」

「わん!」


 言葉なんて通じるはずもないけれど、白いもふもふは肯定するかのように頷いた。


「――ワンちゃんすごいっ、ありがとう!」


 思わず白いもふもふを抱きしめる。

 危険な魔物かもしれない――なんて考えは既に吹き飛んでいた。


「わぁ、もふもふだぁ~」

「わ、わふ……っ」


 全身を撫で回す紗雪と、嫌そうに身じろぎする白いもふもふ。紗雪はもふもふをしばらく楽しんで、それから自分の顔のまえに抱き上げた。


「ねぇワンちゃん、私と一緒に来る?」

「……わん?」


 小首を傾げた白いもふもふは考えているかのようだった。

 ほどなく、白いもふもふは紗雪の手をたしたしと叩いた。下ろせと言っているのだろう。それに気付いた紗雪は白いもふもふを地面に下ろす。


 断られるのだろうか?

 そんな考えがよぎり寂しくなる。

 だけど次の瞬間、白いもふもふはぴょんとジャンプして、紗雪の胸に飛び込んできた。紗雪が慌てて抱き留めると、その腕に頬ずりをしてくる。


「かーわーいーいーっ!」


 ものすごい勢いで頬ずりを返す。


『マジか、テイムに成功したのか!?』

『下層のボスを一蹴する魔物を従魔にしたのか! すげぇ!』

『え、そんな魔獣を従えてる探索者なんてほかにいるか?』

『いる訳ないだろ! 普通はテイム後に鍛えてようやく中層の敵と渡り合えるレベルだぞ!?』

『じゃあ人類初じゃん、おめでとう!』


 お祝いのコメントで溢れかえる。

 ものすごく嬉しいことだし、話題性にとんだ事態だけれど、いつまたイレギュラーが発生するとも限らない。紗雪はひとまずは上層へと戻るべきだと考えた。

 そこに、救援に来たぞという声が聞こえてくる。


「……あぁ、よかった。救援だ、これでもう、大丈夫」


『紗雪が無事でよかった!』

『救援に感謝だな』

『白いもふもふにも感謝だー』


「うん、ほんとにね……」


 紗雪は白いもふもふを後ろ向きに抱いた。


「という訳で、今日の 配信・・はここまで! みんなも気になることとかたくさんあると思うけど、続きは今度の配信で報告するね!」


 紗雪が虚空に浮かぶカメラを向いて、白いもふもふの前足を持ってまたねと横に振る。直後、白いもふもふが「わふん!?」と吠えて身を震わせた。

 

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