第30話 葉月のアルバム

 リビングでお願いすると、葉月のお母さんは快く泊まることを受け入れてくれた。


「もちろん大歓迎だよ」

「夕食頑張ってお手伝いしますね! 何でも任せてください!」

「本当にいい子だね。もういっそ葉月を貰ってくれないかな。難儀な性格をしている子だけど、美人でしょう? それに私の勝手な推測だけど、好きになった子には尽くすタイプだと思うんだよね」


 なんてニヤニヤと笑うお母さん。葉月本人に物凄い剣幕で睨みつけられても、楽しそうに笑うだけだ。動じないお母さんを前に諦めたのか、葉月は大きなため息をついて私に目を向けた。


「この人の言うことは無視していいわ。口から出るのはでまかせばかりだから」

「相変わらず酷い子だねぇ……」


 しくしくと泣いたふりをするお母さんを、葉月はジト目で見つめている。


「やっぱり凄く仲がいいんですね」


 笑顔でつぶやくと、葉月は眉間にしわを寄せた。


 一方お母さんはニコニコ笑っている。


「こんなに可愛い娘に酷くあたれる親はいないよ。葉月も私に優しくしてくれるし」

「……どこが優しいのよ。出まかせを言うのはやめなさい」

「夏休みに入ってから、仕事が遅い平日は頑張って夕ご飯を作ってくれてるよね? 知ってるんだよ。前に三人で料理をしたことがあったでしょ。あの日から、密かに練習をしてくれてたんだよね」


 ほっこりするエピソードだ。生温かい目を向けると、葉月はふてくされたみたいに頬を膨らませる。お母さんはたくさん愛情を注いで育ててくれたんだろう。だから葉月も優しくできるんだと思う。


「自意識過剰よ。私はいつか涼香に食べてもらうために頑張っていただけで……」


 葉月がつぶやいた瞬間、お母さんは私に顔を寄せてにんまりと笑った。顔立ちが葉月に似ているから、なんだか不思議な感じだ。この人は葉月以上にころころと表情を変える。


「聞いた? 涼香ちゃん。あなたのためらしいわよ。どう? 葉月にしてみない?」

「ちょっと、いい加減にしなさいよ!」


 割と本気で怒っているみたいで、顔が阿修羅みたいに険しい。


 流石のお母さんも申し訳なさそうに眉をひそめていた。


「ごめんね。嬉しくて。夏休みも毎日遊びに来てくれるような友達って、ほとんどいないでしょ? まさか葉月とこんなに仲良くしてくれる子がいるとは思わなくて。本当にありがとう。涼香ちゃん」


 言い終える頃にもなると、声は震えていた。透明なしずくが頬を落ちていく。泣いてしまうくらい嬉しいみたいだ。いつもとは違うお母さんを前に、反抗期真っ只中の葉月もどうすればいいのか分からないらしい。おろおろしてしまっている。


 私は葉月に微笑んだ。


「こういう時は、抱きしめてあげればいいんだよ」

「……そうなの? まぁ、分かったわ。涼香が言うのなら……」


 葉月は優しく抱擁した。


 こらえきれなくなったのか、お母さんは嗚咽まで漏らしていた。


「……大人げないわね」


 なんて憎まれ口を叩きながらも、何度も何度も背中を撫でてあげている。


 私は二人から目をそらして、キッチンの方へ歩いた。


「ご飯作ってきますね。お母さんは何もしなくていいです。泊めてもらうお礼ですから」

「ありがとう……。涼香ちゃん。情けない所みせてごめんね……?」

「大丈夫です。葉月のこと、大切に育ててくれてありがとうございました」


 振り向いて頭を下げてから、今度こそキッチンに向かう。


 今の葉月がいるのは、お母さんのおかげだ。見た目が葉月でも、私みたいな荒んだ性格なら好きになれなかったと思う。本当に感謝しているのだ。


 でもそんな大切な人を私は今も傷つけている。これまでの人生で形作られてきた、強固な固定観念によって。思い込みでしかない。本当は分かっているのだ。


 それでも、決して拭い去ることはできない。私と葉月では、生きている世界が違う。なのに無理やりに一緒にいようとして、とんでもない苦しみを押し付けてしまっている。そして、今もなお葉月に譲歩するつもりはない。


 本当にわがままだと思う。深いため息をついて、キッチンで一人調理をすすめた。


 夕食を終えた後、お母さんはどこからか分厚いアルバムをリビングに持ってきた。それを目にした瞬間、葉月は不服そうに目を細めた。


「ちょっと、変なものを持ってこないでくれるかしら?」

「変なものじゃないよ。これはお母さんの大切なたからもの。葉月の全部が詰まってるんだからね」


 優しい声でささやかれたのなら、流石の葉月も何も言えないらしい。ふてくされながらも大人しくお母さんの隣に座っていた。私も手招きされるまま、机の反対側に向かう。開かれたアルバムには、可愛らしい赤ちゃん葉月の写真がたくさん並んでいた。


「……うわぁ。可愛い! これ全部葉月なんですか? 可愛すぎます……!」


 ハイハイしていたり、寝転んでばたばたしていたり。赤ちゃん用のベッドですやすや眠っていたり。やっぱり葉月ほどの美人は、赤ちゃんのときも可愛いみたいだ。まんまるでまっしろで、ぎゅーって抱きしめたくなってしまう。


「……部屋に戻ってもいいわよね?」


 当然のようにリビングを出ていこうとするから、私はぎゅっと葉月の手を握った。


「だめ! 葉月も一緒にみようよ。わ、ほら見てよ。この葉月可愛すぎない? 頑張って歩いてる!」

「この時は大変だったね。靴も用意してないのに急に走り出して……」

「え!? そうなんですか。こんなに小さいのに。流石葉月。小さなころから運動神経抜群なんですね……。こんなに可愛い子がよちよち走ってるなんて、もう最高じゃないですか……!」


 可愛いの洪水が襲い来る。表情筋が吊ってしまいそうなほどに口角があがるのだ。そんな私たちを「理解できない」とでも言いたげにジト目で見つめてくる葉月は、どこか不満げでもあった。


「もちろん今の葉月の方が可愛いよ。赤ちゃん葉月に嫉妬しなくてもいいからね」


 微笑むと顔を真っ赤にしてしまった。


「そういうことじゃないわよっ! 居心地の悪さに顔をしかめていただけよ。よほどのナルシストじゃなければ、一分と持たないわよこんな空間。……好きな人に、べた褒めされるなんて」


 ぼそりと漏らしたその声を、お母さんは聞き逃さなかった。


「好きな人!? 今好きな人って言ったよね? やっぱりそういうことだったんだね……」


 感慨深げな遠い目だ。葉月は耳まで真っ赤にしていた。


「……聞き間違えよ」

「お母さんの地獄耳を舐めちゃだめだよ。よろしくお願いしますね。涼香ちゃん」


 恭しく頭を下げられるから、どんな反応をすればいいのか分からない。苦笑いしていると葉月はジト目でお母さんの横腹を突っついていた。


「いい加減にしなさい。怒るわよ?」

「でもお母さん、二人はすごくお似合いだと思うけどなぁ」


 葉月はちらりと私に目を向けた。視線がかち合うと慌ててそらすのだ。頬がほんのり赤くなっている。けれど表情は寂しそうだった。


 大好きなのに結ばれない。それがどれほど辛いことなのか、私はもう嫌というほど知っている。そっと葉月の手を握って、立ち上がる。


「私たち、そろそろ夏休みの課題に戻りたいんです。本当はもっと葉月のアルバムを楽しみたいんですけど、ごめんなさい。量がやけに多くて……」

「そうだったんだ。ごめんね。邪魔しちゃったかな」

「いえ。赤ちゃん葉月、可愛かったです。また今度見せてくださいね」


 お母さんに頭を下げてから、リビングを出た。

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