第27話 キスと試着室
「……綺麗」
ぼうっとした意識のままつぶやく。葉月は頬を赤くして微笑んだ。
「我ながら単純ね。涼香の言葉だと思うと、それだけで嬉しくなってしまうのよ。ともかく、次は涼香の番ね。着替えるから少し待っていて欲しいわ」
「……うん」
ぼんやりしている間に、カーテンを閉めてしまった。もう少しみていたかったのに残念だ。魅了が解けた私は自分の手に握られたきわどい水着をみつめる。次は私がこれを着るのだ。とてもじゃないけれど、葉月の美しさに並ぶ気はしない。
ため息をついていると、葉月はすぐ制服に着替えて試着室から出てきてしまった。
入れ替わるように、今度は私が入る。そして、夏服を一枚一枚脱いでいく。体育の着替えの時も似たようなことはしているのに、今日はいつにも増して恥ずかしい。うっすらと店内にBGMが流れる中で、私の衣擦れだけが響いているのだ。
葉月だけがそれを聞いている。事実を言語化するだけで胸がうるさい。緊張のあまり、この体が自分のものではないような感覚に襲われる。
でも鏡に映る私はどこからどうみても私で、やっぱり葉月にみてもらうには、どうしようもなく劣っているようにしかみえない。
「……がっかりしないかな」
小声でつぶやいて、ため息をつく。
私は葉月ほど綺麗じゃない。葉月に褒めてもらえる自信がない。何とも言えない顔をされてしまったらどうしよう。とっくに着替え終わっているのに、カーテンを開ける気にはなれない。
「涼香。どうしたの?」
衣擦れが途絶えたことを不思議に思ったのだろう。心配そうな声が聞こえてくる。分かってる。いつまでもこうしているわけにもいかない。今も貴重な夏休みは過ぎつつあるのだ。
もう一度だけ鏡をみてから、意を決してカーテンの隙間から顔を出す。
「……褒めてもらえるか分からないけど、着替え終わったよ」
そっとカーテンを開くと、葉月は目を見開いた。何やら驚いているというのは伝わって来るけれど、その理由が分からない。でも視線はどことなくじっとりとしていて、いやらしさみたいなものを感じた。
恥ずかしいけれど、嬉しいような。
よく分からないのは、きっと初めての感覚だからだ。
大切な人が私の体に目を奪われている。ちょっとだけ、期待してしまう。
「……どう、かな?」
目を伏せてつぶやくと、葉月は突然、靴を脱いで試着室の中に入って来た。
ぴしゃりとカーテンが閉まる。頬はすっかり火照っているみたいで真っ赤だ。瞳の奥には何かが激しく燃え上がっていた。思わず後ずさりをする。
狭い密室で、壁際まで追いつめられる。
でも怖い、なんて気持ちはなかった。ただただ嬉しいのだ。
「……何をしてもいいのよね?」
「そんなに気に入ってくれたんだ。……私の水着姿」
上目遣いで微笑むと葉月は私の背中に腕を回した。
「……んっ」
変な声が出てしまった。剥き出しの素肌だから、細い指が撫でるだけでくすぐったい。葉月はますます目の色を変えている。
「魅力的すぎる涼香が悪いのよ」
荒い息が近づいてくる。艶っぽい瞳には私しか映っていない。全身が幸せで満たされて、胸のときめきが止まらない。唇が触れ合う瞬間を今か今かと待ちわびてしまうのだ。長いまつげが小さく揺れる。鳶色の瞳が愛おしそうに私をみつめる。
そっと目を閉じた瞬間、唇が重なった。
息も忘れてお互いの唇を食む。柔らかな感触に刺激されるたびに、息苦しいほどの快感が押し寄せてくるのだ。もっと気持ちよくなりたくて、ついばむみたいに何度も何度も触れ合わせた。
早鐘をうつ心臓の音も聞こえなくなるくらいに、激しく熱が交わる。
一週間もキスを望んでいた。ずっと我慢していたのだ。たまりにたまった欲が、決壊したダムみたいに溢れ出してくる。気付けば本能のままに葉月の口内へ舌を伸ばしていた。
「……んっ!? ちょっと、涼香っ……」
顔を引こうとするから、葉月の頭に手を回して強引に引き寄せた。唇を重ねて望むままに葉月の口内に情欲を差し込む。
触れる物全てに無鉄砲に舌を這わせていると、葉月は抵抗をやめた。背中にまわった腕が、強く私を抱きしめる。生温い感触が積極的に舌先へ触れてくれたのだ。
それが葉月の舌だと気付くのに時間はかからなかった。おかしくなってしまいそうな痺れが舌先から伝わる。一際大きな快楽の波が全身に広がるのだ。体が小さく跳ねてしまった。それでもキスはやめられない。
狭い試着室には、獣のような荒い息だけが響いていた。
うっすらとまぶたを開くと、目が合った。
葉月もすっかり蕩けた表情で私の唇を味わっている。
「好き、大好きよ……。涼香っ……」
とろんとした色っぽい瞳から甘い声が聞こえてくる。胸がきゅうと締め付けられるみたいだった。強引に口を塞いで、声も出せなくなるくらいに乱暴に舌を差し込む。
私も葉月のことが大好きだ。ずっと一緒にいたいのだ。どうか私の心を乱さないで欲しい。お願いだから、ただの友達でいて欲しい。
この気持ちが恋だなんて、自覚させないで欲しい。
両思いなのは、幸せなことだと思う。でもいつまでも愛し合えるとは思わない。青春のひと時は、燃え上がる流星のようなものだ。打ちのめされていたお父さんがそんなことを言っていた記憶がある。
幼い私に突き付けられた残酷な現実が、なによりの証明だった。
私は、恋人という関係を全く信用していない。だから葉月とは付き合えない。万一にも思いが溢れ出してしまえば、きっといつか後悔する。
けれど何もせずただの友人として振る舞っていれば、あの日の葉月のようにこの思いも爆発してしまうのだろう。
言葉にしてしまわないように、発散しなければならない。湧き上がるこの思いが恋に届かないように、無理やりにでも抑え込まなければならない。
死んだほうがましなくらい最低だって分かってる。それでも息が続かなくなるまで葉月を味わう。肩で呼吸をしながら唇を離すと、銀糸が私たちの間を伸びた。唾液で濡れた口元を拭い、微笑む。
「私もだよ。葉月は、大切な友達だから」
「……そうね」
微笑んだ葉月の瞳が濡れているのは、快楽のあまりか、それとも。
刃物で刺されたみたいに胸が痛む。けれど私にはどうしようもないことだ。瞳をまっすぐみつめていると、またしても何かを懇願するみたいな熱がその奥に現れる。
今さら我慢できるわけもなく、引き合うみたいに唇を重ねた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます