第21話 葉月の人生が欲しい
「……んっ」
葉月に触らせた瞬間、変な声が出てしまった。どくどくと血流が加速する。人に触れさせない場所に、葉月の体温が触れる。熱が全身に広がっていくみたいなのだ。
「涼香!? 何をしているの……?」
「……キスだけじゃなくても、いいんだよ?」
上目遣いでみつめた。身体的な接触を許せば許すほど、葉月を傷つけるということは知っている。思いが強まるほどに、虚しさは増すばかりなのだ。
それでも私は葉月と離れたくない。もう二度と、一人ぼっちになんて戻りたくない。空っぽな人生は、もう嫌だ。大切な人を失いたくなんてない。
葉月に告白されて、関係がぎくしゃくしてしまって、失いかけて。でも必死で手を伸ばして、何とか元通りの日常をつかみ取ろうとした。絶対なものじゃないって知ってしまったからこそ、この一か月はどの瞬間を抜き取っても幸せだったのだ。
途方もない罪悪感を抱えるのだとしても、手放したくはない。
「……涼香の考えていることが、理解できないわ」
ぽつりと悲し気な声が聞こえてきた。
「あなたは、私に何を望んでいるの?」
「ずっと一緒にいることだよ」
手を離すと、葉月は慌てて腕を引いた。目を伏せてまじまじと自分の手のひらをみつめている。顔は未だに真っ赤だ。好きな人の体に触りたいのは普通のこと。葉月はふしだらではない。私だけだ。
「……だったら別にこんな奇妙な関係ではなくても」
「葉月の人生が欲しい、っていったら怒らせちゃうかな」
耳まで真っ赤にして、私をみつめた。
「ただの友達じゃ無理でしょ? 私の人生もあげるから、お願い」
頭を下げる。言葉を理解するのに時間がかかっているみたいだ。葉月は氷みたいに固まってしまっている。私だって立場が逆ならフリーズしてしまっていただろう。恋人にはなれないのに、一生の関係を望まれたのだから。
「私が葉月に求めるのはずっと一緒にいることなんだよ。誰とも付き合ったりなんてしないで。結婚なんてもってのほか。ずっと、ずーっと死ぬまで私のそばにいて欲しいんだ。……友達として」
ひどいエゴの押し付けだ。気持ち悪いって思われても仕方ない。
でも怖かった。葉月が私への好意を明らかにしてからずっと、慢性的に不安に襲われていたのだ。同じ感情を向けることができないのなら、ほころびは際限なく大きくなっていく。
恋愛や友情同士なら、恋人を作るなとか結婚をするな、なんて酷いことを伝えなくても良かった。でも同じ感情をぶつけられない私たちがつながるためには、ぐるぐる巻きにして束縛するしかない。
もう二度と、離れられないようにするしかない。
真っすぐに見つめていると、葉月は肩をすくめてつぶやいた。
「……涼香も誰とも付き合わないということ?」
「葉月に強いるんだから当然だよ。恋人なんて絶対にあり得ない」
頷くと嬉しそうに口元を緩めていた。
けれどすぐに目を細めて表情を暗くしてしまう。
「私は一生、涼香に片思いを続けないといけない。そういうことであっているのよね?」
「……ごめんね」
「魅力的な提案だけれど、少しだけ考えさせてほしいわ」
葉月はデンモクを操作して曲を入れた。
どうやら音楽にもそれなりに興味があるらしい。マイクを手に流行りの曲を歌う。普段の澄んだ声から想像した通りの、綺麗な歌声だった。本当に私にはもったいないくらいの人だ。葛藤がないわけがない。
私は恋なんて信じられないけれど、葉月は違う。私に出会わなければ幸せな恋ができたはずだった。けれど今さら葉月を手放すなんてあり得ない。そばにいてもらうためなら、何だってするのだろう。
その後、カラオケを出たのは午後五時半のことだった。
少し前までなら夜の匂いがする時間帯だけれど、夏空はまだ明るい。けれどいつもの小路を葉月と二人で帰っていると、ヒグラシの物寂しい鳴き声が響いてくる。
葉月はどうするのだろう。つないだ手にほんの少しだけ力が籠る。
「夏は暑くて嫌いだけれど、夕方の雰囲気はいいわよね」
「……そうだね」
いつも通りの笑顔から発された明るい声に、心が震える。
私が押し付けた悩みは途方もなく大きいはずだ。嫌われてしまってもおかしくないほどに。けれど私はこの人がどれほど私を好きでいてくれているのか知っている。
いつもは激情とは無縁なのに、あの日は涙を流すほどだったのだ。
その一途な思いを、利用しようとしている。
自然とため息が出る。抱えていた思いの全てをカラオケで吐きだして時間が経ったから、自分を客観視できる程度には冷静になっていた。
本当にこのままでいいのだろうか、なんて今さら思う自分の優柔不断さが嫌だ。
私にはきっと、葉月のような確固たる思いはない。原動力が恐れなのだ。色々な不安を抱えるたびに揺らいで、輪郭が定まらない。これまでの人生を思えば妥当ではあるのかもしれないけれど、こんな自分を好きになれそうにはない。
それに比べて葉月はきっと世界で一番すごい。
今も横顔をみつめるだけで胸がドキドキする。性格だって素直で私のことを思いやってくれるし、だめなことをしたと思えば素直に反省もできる。良い所ばかりで、悪い所ばかりな私とは正反対。
六月に告白されてからずっと疑問だったのだ。
私には、葉月のような凄い人に好かれる要素があるとは思えない。
「……ねぇ。葉月は、私のどこを好きになってくれたの?」
顔を伏せて問いかけた。目を合わせる勇気もないまま歩いていく。
「ふとした瞬間に、見慣れた景色が美しくみえることってない?」
問いかけられたから、記憶を探る。見慣れた景色を醜く感じることはあっても、美しく感じることなんてほとんどなかったと思う。小さな頃を過ごした町は、思い出すだけで息苦しくなる。
「……私は、ちょっとわからないかも」
肩をすくめて顔をあげると、葉月は寂しそうに口元を緩めていた。
「私はあなたと一緒にいるだけで毎日が美しく感じられるわ。通学路も学校の廊下も教室も、何もかもすべてがね。感じ方って、その人がおかれた状況によって大きく変わると思うのよ。かつての私にとってはそれほど重要ではなくても、今の私からすると命と同じくらい大事だったりする」
鳶色の瞳はいつも通り、真っすぐ私をみつめていた。「命と同じくらい大事なもの」が何を指すのか、私は知っていた。
重い感情を持つのは私だけなんだって少し前まで思ってた。葉月も同じ気持ちでいてくれたらいいって願ってた。でも今は、自業自得の痛みが辛い。
「あなたを好きになった理由は、本当の意味では私にしか理解できないわ。人の感性は経験によって形作られるものでしょう。個人によって辛いと思うものは違う。嬉しいと思うことも違う。でもあえて言葉にするのなら、涼香は私が心の奥底で求めていた言葉をくれた」
「求めてた言葉?」
「『可愛い』と屈託のない笑顔で伝え続けてくれたでしょう?」
ほんのりと頬を赤らめて微笑む。私は眉をひそめた。葉月ならたくさんの人が可愛いと褒めてくれるはずだ。ただそれだけのことで恋をしたなんて納得できない。
疑問を抱かせることを葉月も理解していたのだろう。
「少し付き合ってくれるかしら。理由を説明するからついてきて欲しいわ」
「……うん」
手を引かれるまま、小路を抜ける。長い髪を揺らしながら葉月は自分の家の方へと向かった。けれど家の前も通り過ぎてずんずんと歩いていく。
たどり着いたのは街を一望できる丘のふもとだった。辛い気持ちになると葉月はいつもここに来る。そう葉月のお母さんが告げていたのを思い出す。
葉月が階段に足をかけるから、私も後をついていった。
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