第二章 期末テストとキスの約束

第13話 体育の時間

 バスケットボールの弾む小気味よい音が聞こえてくる。


 六時間目の体育の時間、私は体育館の隅に座って試合を眺めていた。体操服を着た葉月がポニーテールを揺らしながら、コートの中を俊敏に駆けまわっている。


 普段の髪型もいいけれど今の葉月も可愛い。いつもの雪景色みたいな清楚さとは正反対に、真夏のような活発さを感じさせるのだ。


 葉月は目にもとまらない勢いで、進路を遮るクラスメイト達をかわしていく。あっという間にゴールにまでたどり着いてシュートを決めていた。


 頭もよくて顔も綺麗で運動までできる。非の打ち所がない、という表現はきっと葉月のために存在しているのだろう。


 キラキラした汗を散らしながら、どこか誇らしげな笑みで振り返る葉月に私は手を振った。葉月も目元を緩めて小さく振り返してくれる。


 みつめていると、峰守さんがニコニコしながら声をかけてきた。


「葉月さん凄いよね。あの人には勝てそうにないよ」

「でも峰守さんも凄いよ。四月の身体測定で一番だったでしょ?」

「あれは葉月さんが本気を出してなかったからだよ」


 ちなみに私は平均くらいだった。まるで蚊帳の外だ。


「十月の体育祭は楽しみだね。葉月さんが出てくれたらうちのクラスはきっと敵なしだ」

「……でも葉月ってそういうの苦手だと思うよ」


 人が多い場所を好まないし、目立ちたくもない。私と仲良くなるまで体育も適当にやっていた。頑張るようになったのは、私にいい所をみせたいって気持ちが生まれたからなんだと思う。


 ぼんやりと葉月をみつめていると、ちらちらと不服そうな目線が飛んでくる。私が峰守さんと話してるのがそんなに気になるのかな? 気が散ったせいか、ボールを奪われてしまっている。


「そこは涼香さんが何とかしてよ。仲いいでしょ?」


 峰守さんは太陽みたいな笑顔を浮かべた。でも私は小さく首を横に振る。


「ごめんね。頼めば競技に参加してくれると思うけど、無理強いなんてしたくない。大切な人だから。嫌な思いはできるだけして欲しくないんだ」

「お?」


 ゴシップ好きのおばちゃんみたいなニヤニヤした笑顔が現れる。


「まさか本人の口から『大切な人』なんて言葉が聞けるとはね。誕生日パーティーがうまく行ったようでなによりだよ。もしかして私のアドバイスのおかげかな?」


 峰守さんがどんなことを葉月に伝えたのかは知らない。でも何かしらの影響を与えたとするのなら、貰った小説の最後のページに挟まっていた手紙。あれは峰守さんのおかげだったのかもしれない。


「……そうかもしれないね。ありがとう。峰守さん」

「どういたしまして。あ、葉月さんの試合終わったみたいだね。二人の時間に水を差すのも悪いから、私はここで」


 ニヤニヤする峰守さんが離れるのとほとんど同時に、葉月が戻って来た。ポニーテールを揺らしながら隣に腰を下ろすと、何やら不満そうな目を向けてくる。


「……ずいぶん楽しそうに話していたわね」

「葉月だって木曜日は峰守さんと二人で帰ってたでしょ」


 目を細めると葉月は肩をすくめた。


「涼香も嫉妬してくれるの?」


 期待の色が瞳に浮かんでいた。恥ずかしいけど本心を伝えてあげたい。


「嫉妬するに決まってる。あとをつけてやろうかって思ったくらいだもん」

「……あなたにもそういう感情はあるのね。嬉しいわ」


 幸せそうな微笑みで私に肩を寄せた。相変わらず葉月は恥ずかしいくらいに真っすぐだ。


「仕方ないでしょ。葉月は可愛いし綺麗だし性格だっていいし。体育の時間のポニーテールすっごく可愛いし、大活躍なのかっこいいし……。その、とにかく私の自慢の友達なんだから!」

「そうね。あなたも私の自慢の友達よ。ふしだらなところを除けばね」


 くすくすと笑い声が聞こえてくる。反論なんてできなくて黙り込む。


 普通、友達はキスなんてしない。ましてやキスのために学年十位を取ろうとするなんて、ふしだら以外の何者でもない。キスが気持ちいいと感じていて、その快楽も理由の一端に含まれているのならなおさらだ。


 だけど求めるのは自分の快楽だけじゃない。


「でも葉月だって気持ちよかったんでしょ? 顔、蕩けちゃってたし……」


 顔に熱を集めながらも、真正面から伝えた。葉月もきっと私と同じくらい全身を熱くしているのだろう。目が泳いでいるし落ち着かない様子で前髪を触っているのだ。


「……日曜日にも言ったけど、私、葉月と一緒に気持ち良くなりたいんだ」


 思いを受け入れない限り、葉月は苦しむ。でも私は葉月の恋人にはなれない。つまりは今の私にできる全てが間違いなのだ。それなら間違いの中の正解を選び取りたい。せめて葉月とずっと一緒にいられるような行動をしたい。


 お互いの唇の味を忘れられないくらいに。他の人としたいなんて考えられないくらいに、友達としてキスをしたい。


 死ぬまで忘れられないほどに二人で気持ち良さに溺れてしまいたい。


 そっと髪に手を伸ばすと、葉月は慌てて体を引いていた。


「濡れているから触らないほうがいいわ」

「葉月の汗なら気にしないよ。むしろずっと触っていたいくらい」


 笑顔でつげるとジト目で見つめられた。


「……本当にふしだらね。というか、今のは完全に変質者の発言よ?」

「でも事実だもん。私、葉月の全部が大好きだから」


 私には恋愛の意味での好意なんてない。けど抑えきれない感情はいつも胸の中で暴れている。葉月と顔を合わせるだけで、その全てを伝えたくなってしまうのだ。


「放課後もいつもより長い時間一緒にいられるんでしょ? 休日だって。楽しみで楽しみでずっとわくわくしてばかりなんだ。勉強教えてね。十位以内に入れるように頑張るから!」


 微笑むと葉月は小さく頷いてくれた。


「分かっているわ。そういう約束だものね」

「教えてもらうばかりなのも悪いから、私にやって欲しいことがあったら何でも言ってね」

「別にお礼なんていらないわよ」


 すました顔をしながらも、葉月はちらちらと私の唇に目を向けていた。そのお願いも聞いてあげたいけれど、本末転倒になってしまう。


 キスが葉月を苦しめることは知っている。恋人になれないのにキスを求めるなんて、あまりにも残酷なことだ。罪悪感を感じないわけがない。葉月だって納得できるわけがない。二人で快楽に溺れるための大義名分はまだないのだ。


「キス以外なら何でもいいよ。勉強で誠意をみせられなくなっちゃうでしょ?」


 肩をすくめてつぶやくと、葉月は顔を真っ赤にした。


 けれど誤魔化すつもりはないみたいだ。


「そんなに分かりやすかったかしら……?」

「ここ、ちらちら見てたでしょ」


 唇を指さして苦笑いしていると、子犬みたいな愛らしい上目遣いでみつめてくる。


「……だったら勉強を教えた日はハグをして欲しいわ」


 友達同士でも普通にすることだ。とはいえ、感極まったわけでもないのに抱きしめるのは恥ずかしい。でも葉月が求めるのなら応えてあげたい。


「分かった。いいよ」


 頷くと葉月はぱぁっと表情を輝かせた。そんなに嬉しいんだ。すっごく可愛いから無意識に頬が緩んでしまう。葉月が笑ってくれると私まで嬉しくなってくるのだ。


 いつまでも二人で笑い合っていたい、なんて思いながら葉月の肩に寄りかかった。

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