第11話 二回目のファーストキス
青空の下、息を切らせながら葉月の家にたどり着く。
チャイムを押すと葉月のお母さんが出てきた。長髪な葉月とは正反対なショートヘアは、峰守さんのような活発な雰囲気を感じさせる。でも若々しい顔立ちは葉月に良く似ていた。唐突な来訪者へ不思議そうに首をかしげている。
「涼香ちゃん? どうしたの」
「葉月に、会わせてください!」
肩で息をしながら深く頭を下げる。私は葉月の思いに怯えるばかりだった。受け止めようともしなかった。過去を言い訳にして、自分に都合のいい願いばかり通そうとした。だからこんなことになったのだ。
「ど、どうしたの!? とにかく顔をあげて!」
「葉月に伝えたいことがあるんです」
葉月のお母さんは肩をすくめて戸惑いながらも、心配そうな声をあげた。
「あの子は家にはいないよ。朝ごはんを食べたらすぐに家を出ていったんだ。心配して電話をかけたんだけど、スマホも持って行ってないみたいだし……。もしかして昨日なにかあったの?」
「葉月に酷いことを言ってしまったんです。自分の都合ばかりで、葉月のことは少しも考えてあげなくて。だから謝らないといけないんです」
うつむいているとお母さんは、私の頭に手を伸ばした。理由も分からず撫でられていると、優しい微笑みが現れる。温かい声だった。
「葉月はいい友達をもったんだね」
「全然そんなのじゃないですよ。私は……」
首を横に振る。お母さんはくすくす笑った。
「パジャマのままで走って来てくれたんだよね? 人目も気にせず汗まみれで葉月のために」
自分の体を見下ろした。指摘されてようやく気付く。
「葉月が行きそうな場所の心当たりはあるよ。教えるから早く行ってあげて。あの子もきっと涼香ちゃんを待っているはずだからね」
葉月のお母さんが教えてくれたのは、市街地から少し離れた場所にある丘だった。小さなころから辛いことがあると、葉月はそこで一人、街を眺めていたらしい。
お礼を伝えてから住宅街を走った。汗を流しながら丘のふもとまでたどり着く。息も絶え絶えになりながら、何十段とある階段をのぼりきった。肺が苦しい。汗の雫が目に入って来る。それでもただひたすらに足を動かして、丘の上を歩いていく。
日曜日だからかまばらに家族連れがいた。子供が遊べるような施設があるわけではない。ベンチや東屋がところどころに立てられていて、あとはちょっとした花畑があるくらいだ。でもただ一つだけ、目を引く景色がある。
太陽を浴びて輝く街が、遠くまで広がっているのだ。車通りから人の往来まで全てを把握できて、自分がひどくちっぽけな存在のように思えてくる。葉月がここに足を運ぶ理由もわかる。私もあの中を歩く人影の一つでしかないのだ。
辺りを見渡しながら遊歩道を歩いていると、見慣れた後ろ姿が一人ぼっちでベンチに座っていた。長い髪が風に吹かれて揺れている。太陽の光を浴びて天使の輪ができていた。
額の汗を軽く拭う。全身で深呼吸をして息を整える。
そっと歩み寄って隣に座った。
「良い場所だね」
声をかけると葉月は目を見開いた。
「……なんでこんなところに。というかその格好……」
汗で張り付いたパジャマをまじまじとみつめてくるのだ。私は苦笑いした。
「葉月のこと考えてたら、着替えるの忘れちゃったんだ」
鳶色の瞳が私をみつめる。でもすぐにまぶたを閉ざしてうつむいてしまった。
「あんな乱暴な真似、本当に最低よ。……なのにどうして会いに来てくれたの?」
急に葉月に押し倒された時は心臓が飛び出るかと思った。
でも何もなしにあんなことをする人じゃない。原因は私にある。私がわがままばかり伝えたからだ。私は友情を信じていて、恋なんて信じてない。
でも葉月にとって恋はとても大切な感情だった。
ずっと友達でいて欲しい、なんて伝えるべきではなかった。
「私にも悪いところはあったから。私たちって友達である前に、当たり前のことだけど色々な考えをもった一人の人間なんだよね。なのに頭ごなしに否定して、理想ばかり押し付けて」
葉月の手を握り締める。私よりも高い体温が愛おしい。友情の域は出ないけれど、それでも葉月はかけがえのない人なのだ。人生で初めて出会えた、永遠を信じたいと願う人なのだから。
「……ごめんね。葉月」
深く深く頭を下げた。夏の熱気をほのかに宿らせた六月の風が、私たちの間を吹き抜けていく。目を閉じていると温かな手が握り返してくれた。そっと顔をあげる。
葉月は申し訳なさそうに眉をひそめていた。
「あなたは何も悪くないわ。関係を変えようとした私が間違っていたのよ」
今にも泣いてしまいそうなのに、それでも口元は笑っているのだ。
「これからも友達でいましょう。涼香の家を出てからずっと後悔していたのよ。ひどいことをして、嫌われてしまった。もう笑い合うこともできないんだって」
葉月は街の方へと目を向けた。昼も近い休日の街は、大勢の人でにぎわっている。でも私たちの耳に届くのは寂しい風の音だけだった。
「今も涼香のことが好きよ。でもこの気持ちだっていつかは治まってくれるはず。それまでは大変かもしれないけれど、頑張るから。お願い。涼香。ずっと私の友達でいて欲しいわ」
声は震えていた。涙がぽろぽろとこぼれていくのだ。私が求めていたのはこんな関係じゃない。痛みも喜びも二人で分かち合うような対等な関係なのだ。葉月だけに全てを抱えさせるわけにはいかない。
「葉月。こっち向いて」
「どうしたの?」
涙をぬぐいながらも笑みを浮かべているのだ。誤魔化しなんていらない。私の好きな葉月は、誰よりも素直な葉月。ただの友達でいることでそれを失わせてしまうのなら、私にも考えがある。取り繕った表情の向こう側を、また私に見せて欲しい。
胸に手を当てて深く息を吸い込む。これまで恋人なんて作ったことはない。誰かを好きになったこともない。当然、そういうことをしたいと願ったこともない。むしろずっと嫌悪していたのだ。でも葉月のためなら、なんだってしたいと思う。
緊張で胸が苦しい。それでも目をまっすぐにみつめて、空気を揺らす。
「目、閉じて。……キスするから」
困惑しているのだろう。瞳が小さく揺れている。
「お願いだから、目を閉じて」
それでも語気を強めると葉月はしぶしぶという風に従ってくれた。
本当に綺麗な人だ。まじまじとみつめても、粗がみつかるどころか底なし沼みたいに魅入られてしまう。大きく深呼吸をしてから、ほんのりと赤い頬に手を伸ばす。
「……もしかして本気なの?」
不安そうに目を開いた葉月の頬はあっという間に紅潮していた。
「葉月だけが我慢するのは違うよ。というか、私、別にキスは嫌じゃないから」
鳶色の瞳を至近距離で見つめる。顔が熱い。好意はないのにキスは嫌じゃないなんて、ふしだらな人みたいだ。でも思っていることははっきり伝えたい。
「ファーストキスは葉月がいいって言ったでしょ。あれは嘘じゃない。私は葉月のこと世界で一番綺麗で可愛いって思ってるし、葉月となら何回だってキスできるよ」
「……そんなのだめよ。好意もないのに、キスなんて」
柔らかな髪を梳く。そのままきめ細やかな頬に指先をのばして撫でていく。葉月の顔はますます赤みを増して、熟れたトマトみたいになっていた。
「だ、だめなのよ! 本当にっ」
ベンチの上を逃げていくから、端まで追いつめる。
逃げ場をなくしてから、もう一度そのサラサラの髪に手を伸ばした。優しく梳いてあげながら、そっと葉月に顔を近づける。
「……してもいいよね?」
「だめよ。キスは、だめだからっ……」
言葉では拒もうとしているのに、私が顔を近づけるだけでとろんとした瞳になってしまう。信じる永遠の形が違うのは残念だけど、ドキドキはするし普通に嬉しい。
私は誰かに恋をしたことはない。葉月の気持ちだって自分のものとしては理解できない。それでも私に恋をする葉月は可愛いと感じる。
根元にあるのは私と同じ、ずっと一緒にいたいという願いなのだ。
「するよ?」
もう何も言わなかった。ぎゅっと目を閉じている。
余裕をなくした姿をみるのは珍しくて、いつにも増して可愛らしい。キスをするのは初めてだったけれど、ちょっとだけ緊張がましになった。葉月の唇は桜の花びらみたいに可愛い。ここに私のを触れさせるのだ。
動揺を表すみたいに、風に吹かれて小刻みにまつげが揺れる。こんなに近くで見たのは初めてかもしれない。ぬるい風が私たちの頬を撫でた。意を決して目を閉じる。
そっと優しく唇を重ね合わせた。
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