第6話 相合傘
「涼香さん。起きて。もうすぐホームルームだよ」
峰守さんの声に顔をあげる。相変わらず太陽みたいな笑顔だ。ゴシップ好きなおばちゃんみたいな峰守さんは幻だったのではないか、なんて考えそうになる。
お礼を伝えてから教室を見渡すと、もうみんな揃っていた。振り向くと窓際の一番後ろには葉月もいる。目が合うからついつい笑ってしまいそうになる。
小さく手を振ると、葉月も笑顔で振り返してくれた。いつもなら声をかけてくれるはずだけど、眠ってたからそっとしてくれてたのかな? 気遣いが嬉しかった。
それからは誕生日だからって特別なことが起こることもなく、いつも通り一日が進む。葉月に誕生日を祝ってもらうことを考えていると、あっという間に四時間目まで終わっていた。お昼休みに入るから、葉月の席に椅子を運んで一緒にお昼を食べる。
降水確率10%の癖に、空はどんよりと曇っていた。
「帰るころには雨降ってそうだよね」
「……そうね。ところで峰守さんからもらったプレゼント、どうだったかしら?」
貰った袋の中には黒い髪留めが入っていた。派手過ぎるわけでもなくて、地味な私にちょうどいいプレゼントだった。
「流石峰守さんって感じだったよ。貰って申し訳なくなるようなものでもないし、普通に嬉しかった」
微笑むとどうしてか葉月は表情を険しくさせていた。
「なんだか不安になってきたわ。需要と供給という言葉があるでしょう? でもプレゼントに一番大切なのは真剣に考えることだって主張もある。何を贈るかはそれほど重要じゃないんだって。……その二つの価値観の間で迷ってしまったのよ」
敗北を確信したみたいにどんよりとうつむいてしまった。表情をみるだけでわかる。真剣に考えてくれたのだろう。私としてはそれだけで十分なんだけど……。
「私のプレゼントに実用性はないわ。好きな人なら好きだけれど、あなたは違うと思う。ただただ、涼香を大切に思う気持ちしか籠っていないのよ。かといって、他のを選ぶということもできなかった。私が一番思いを込められるのは、あれだった」
顔が熱い。また恥ずかしいこと言ってるよ、この人……。顔立ちはいかにもクールって感じなのに、私のことになるとすぐに情熱的になってしまう。ギャップは愛おしいけれど、ぶつけられる私の身にもなって欲しいよ。本当に。
小さくため息をついてから、そっと葉月の手を握った。
澄んだ鳶色の瞳をじっとみつめる。
「言ったでしょ。葉月がプレゼントしてくれるのなら、何でも嬉しいって」
「……信じてもいいのね?」
「もちろんだよ。葉月が込めてくれた思い、楽しみにしておくね」
心からの笑顔を浮かべると、葉月は表情を柔らかくした。
「そうね。あなたはそういう人だったわね。渡すのは恥ずかしいけれど、頑張るわ」
葉月のプレゼントって何なのだろう。気になるけれど今は聞かないでおく。楽しみは取っておきたいのだ。わくわくしながら二人で一緒にお弁当を食べた。
晴れやかな気分とは裏腹に、放課後になると本格的に雨が降り始めていた。小雨ではない。ざぁざぁと音を立てて降りしきっているのだ。せっかくの誕生日なのだから晴れていた方が気分的には嬉しいけれど、葉月と一緒ならなんでもいい。
二人で昇降口に向かって靴を履き替える。
しばらく使っていなかった折り畳み傘を私は鞄から取り出した。
「傘がないんでしょう。入りなさい」
顔をあげる。昇降口の出口で傘を差した葉月は、天使みたいに優しい笑顔だった。
右手の折り畳み傘と葉月を見比べる。
「……えっと、ほらこれ! 折り畳み傘あるから大丈夫だよ」
私が苦笑いした瞬間に、葉月はしょんぼりと肩を落としてしまった。
脳裏には昨日目撃した女子二人組の相合傘が浮かぶ。憧れるけれど、流石に恥ずかしいのだ。それに私はこれからスーパーに行かなければならない。葉月だってお泊りの準備とかあるだろうし。
「そんなに小さな傘では濡れてしまうかもしれないわ。私の傘に入りなさい」
「大丈夫だよ。この折り畳み傘結構大きいから。ほらね」
傘を開いてみせる。葉月のと遜色のない大きさだった。傘越しに微笑んでみるけれど、葉月はますます不服そうな顔になってしまう。
「耐久性が低いから、強い風が吹けば壊れてしまうかもしれないわ」
「台風が来てるわけじゃないのに大丈夫だよ」
「そもそも折り畳み傘なんて風流じゃないわ」
もはや意味不明なことを言うのだ。これで気付かないほど私も鈍くない。
「……もしかしてだけど相合傘したいの?」
ジト目で問いかけると、真っ白な頬が真っ赤になった。私なら誤魔化しちゃってたかもしれない。でも流石は葉月。下手に言い訳するつもりはないみたいだ。
「そうよ。今朝、涼香が傘を持ってきていないことに気付いてから、ずっと期待していたのよ。雨が降れば今日の放課後は相合傘で帰れるのねって。だから今日は一日中、人知れず雨乞いをしていたわ」
相変わらずとんでもないことを言う人だ。
「伝えるべきことは伝えたわ。もう一度言う。私は、あなたと相合傘をしたい」
鳶色の瞳が真っすぐに私をみつめる。ここまで言われたのなら断れるわけもない。
「分かった。途中までならいいよ」
微笑むとひまわりみたいな笑顔が現れた。本当にこの人は。素直過ぎてひねくれることもできないらしい。あまりにも可愛いから、私も笑顔を我慢できない。
「私はスーパーで買い物があるし、葉月もお泊りの準備がある。歯ブラシとか着替えとか忘れちゃだめだよ。あ、私の家で入るのが面倒ならお風呂入ってから来る?」
「そうね。バスタオルとか色々かさばりそうだもの」
傘を差した葉月の隣に入って帰路につく。ライトをつけた車が雨を散らしながら道路を走っていく。歩道を歩く私たちの体温は近い。雨の匂いの中からほんのりと甘い香りが漂ってくる。
これが相合傘なんだ……。
肩の触れ合うような距離で目が合うと、長いまつげを伏せて微笑んでくれた。
相変わらず葉月は綺麗だ。梅雨という季節に溶け込むような、静謐に満ちた美しさなのだ。見惚れてしまいそうになるから、意識的に目線を正す。
晴れている日には、いつも手を繋いで歩く。これくらいの距離感はそんなに珍しくないはずなのに、胸がドキドキしてくる。外は雨が降りしきる冷たい世界なのに、葉月の隣はこんなにも温かい。
けれど私という人間は欲張りで、満足を知らない。
もっとたくさん葉月を感じたいのだ。
私は昨日、素直になると決めた。葉月が真っすぐぶつかってくれるように、私だってありのままの私で葉月と向き合いたい。意を決して傘を握る手に自分の手を重ねる。愛おしい温かさが伝わってきた。
「……葉月の手、温かいね」
ほわほわした感覚に浸っていると、無意識に恥ずかしいことをつぶやいてしまった。ますます体が熱くなって落ち着かない。
「あなたは体温が低めだものね。高くて良かったわ」
葉月の平熱は36℃台後半らしい。対して私の平熱は35℃台だ。
でも葉月と一緒にいるときは、たぶん1℃くらいあがってると思う。
我慢できなくてそっと肩に寄りかかる。行動に移してから、急に不安になる。ちらりと横目で様子を伺うと視線が合った。照れくさそうに目をそらしている。
「密かに憧れていたわ。仲の良さそうな二人組が、肩を寄せ合っている姿に。思っていた通り温かいわね。一人ではきっと凍えて死んでしまっていたはずよ」
「誇張しすぎだよ」
温かなため息をついてから、二人でくすくすと笑い合う。いつもの帰り道で交わす言葉なんていつも通りだ。大したことは話していないのに楽しくて、時間はあっという間に過ぎてしまう。
笑顔で葉月とお別れしてから、私は一人スーパーに向かった。
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