第5話 赤い糸みたいな友情
梅雨には珍しいことに今日は降水確率が10%しかなかった。傘も持たずに朝の通学路を歩くけれど、残念ながら葉月には出会えない。
肩を落としてしょんぼりしながら教室に入る。窓際の一番後ろの席にも葉月はいなかった。少し早く来すぎたかもしれない。昨日はあまり眠れなかったのだ。まだ小さかったころの遠足の前日みたいな感じだった。
知らない場所に向かって、友達と一緒にお弁当を食べる。それだけで楽しかった。いつからかわくわくしなくなったけれど、今日の私は子供に戻ったみたいだ。
席について窓の外をみつめる。遠くに黒い雲がみえるけれど空は晴れていた。早朝の澄み切った静けさを一人で堪能するも、どこか物足りない。葉月さえいれば完璧なのに、残念だ。
机に寄りかかって目を閉じていると不意に肩を叩かれた。起き上がって振り向く。
隣にいたのはまぶしい笑顔を浮かべた峰守さんだった。
「おはよう。涼香さん誕生日おめでとう! これ、プレゼントだよ!」
ラッピングされた小さな水色の袋だった。手に取った感じからするとアクセサリーだろうか。
「わ、ありがとう。峰守さん」
クラスメイトにプレゼントをもらうなんて本当に久しぶりで、自然と笑顔になる。
「どういたしまして。葉月さんも凄く真剣に悩んでたよ。でもまさかここまで変わるとは思わなかったなぁ」
感慨深げな遠い目だ。出会ったばかりの葉月は、本当に人を寄せ付けなかった。
私もうんうんと頷く。
「ただ話しかけただけなのに『人の時間を無駄にするのがあなたの趣味なのね』なんて嫌みったらしいこと言ってたもんね。私もここまで仲良くなれるとは思ってなかった」
「涼香さんが転校して来てくれて本当に良かったよ。私としてもクラスメイトが一人ぼっちなのは嫌だったからね」
太陽みたいな分け隔てない笑顔だから目がくらむ。きっと峰守さんみたいな人が世界を平和にしていくのだろう。裏表のない性格には素直に憧れる。
「にしても涼香さんたちってなんだか恋人みたいだよね」
「ごほっ……。げほっ」
不意に妙なことをいうからむせてしまった。峰守さんは太陽のような笑顔を陰らせて、ゴシップ好きのおばちゃんみたいにニヤニヤしている。
前言撤回! どうやら峰守さんにも裏はあるみたいだ。
「恋人って、変なこと言わないでよ」
「でもいつも距離近いし、お互いのことを思い合ってるでしょ?」
「それは友達としてだよ」
葉月は勉強も運動もできるし可愛い。私ごときが恋人なんておこがましい。
「そもそも女同士だし、絶対にあり得ない」
「そこまで否定するのは何だか怪しいね」
「峰守さんがそんな性格だって知らなかったよ……」
肩をすくめてジト目でみつめる。私がずっと尊敬していた峰守さんは何だったのか。
「明るい光があるところには暗い影もあるっていうでしょ」
何やら意味ありげなことを言って胸を張る峰守さん。でも体の100%が善で構成されている人なんてかえって不気味だ。峰守さんも人間だったってことなのだろう。
「距離が近いのは認める。でもそういうのじゃない。本当に違うから」
「これから恋人になるつもりもないの?」
にやにやした疑いの目線を峰守さんは向けてくる。普段なら断言はしなかっただろう。生きている以上、ありとあらゆる可能性があり得るのだから。けれど私が葉月と付き合う可能性は、万一にもない。
「ないよ。絶対にね」
「んー? 私の勘違いだったのかな。自信あったんだけど……」
もしも私が普通なら葉月と付き合う可能性も少しはあったかもしれない。けれど私はお母さんに捨てられた。あの人は浮気して家庭を、私たちの人生を滅茶苦茶にしたのだ。
恋愛というものに対する忌避感は未だに消えない。
「そもそも葉月ならもっといい人いると思うし」
「……そっか。まぁでも気が変わったら話してよ。色々と相談に乗ってあげるから」
井戸端会議をするおばちゃんの表情は消えて、また善性100%の太陽みたいな笑顔が現れる。私は苦笑いして「来ないと思うけどその時は頼むね」と小さく頷いた。すぐに峰守さんの友達がやって来るから、私はまた一人で窓の外をみつめる。
それにしても峰守さんはどうして急に妙なことを?
もしかして昨日葉月と二人でプレゼントを選んでくれた時、何かあったのかな。葉月は素直だから、友達としての好意を明け透けに伝えたのかもしれない。
峰守さんはそれを恋愛感情だと思った。こう考えると納得がいく。
私たちの関係は、勘違いされてもおかしくないほどなのかもしれない。
でも恋愛なんていらない。私と葉月の間には友情さえあればそれでいいのだ。願わくば引っ越して離れ離れになったあとでも忘れられない。どこまで離れても運命でつながっていられる、赤い糸みたいな友情が。
不意に太陽が雲に隠れて光が消える。暗くなるとなんだか眠くなってきた。昨日あまり眠れなかったのが響いているのだろう。小さく息を吐いて目を閉じた。
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