第3話 雨の帰り道

 放課後、私は鞄に教科書を入れて帰り支度をしていた。


 不意に肩を叩かれたから振り向くと、そこにいたのは葉月だった。


「とりあえず親に外泊の許可をもらっておくわね」


 突拍子もないことを言うから目を見開く。明日は金曜日だから問題ないと思うけれど、流石にそこまでしてもらうのは申し訳ない。


「でも葉月」

「寂しいんでしょう? 強がらなくてもいいのよ」


 ためらいは可愛い笑顔に粉砕されてしまう。葉月の声は優しいから逆らえない。後ろ向きな私を何度だって前に押し進めてくれるのだ。


「……ありがとう」


 ついつい甘えてしまう。毎日、ほんの少しずつ葉月の温もりが、この冷え切った体に浸透している。私まで温かくなっている。そんな気がする。


「誕生日プレゼントは別に用意しておくから期待してもらっていいわ」

「うん。楽しみにしておくね」


 微笑んで帰り支度に戻る。葉月はすぐに峰守さんに声をかけていた。私の誕生日のことを話してくれているのだろうか。


 でもそれにしては、会話が長すぎる気がする。何を話しているのか、みんなの声にさえぎられて分からないのだ。


 肩をすくめて横目でみつめていると、二人は一緒に教室を出ていった。追いかけてもどうにかなるものではない。それでも慌てて鞄を肩にかけて、ストーカーみたいに後をつけてしまう。


 廊下を進んで階段を下って、昇降口にたどり着く。ちらちらと横目でみてくるから葉月だって気付いているはずなのに、ただの一度も声をかけてくれなかった。


 肩を落として下駄箱に寄りかかっていると、不意にこんな声が聞こえてくる。


「プレゼントは何がいいと思うかしら。峰守さん、そういうの得意そうでしょう?」

「んー。私が思うに涼香さんは……」


 下駄箱の影から飛び出すと、二人は傘をさして昇降口を出ていくところだった。


 ちらりと私の方を振り向いた葉月は、からかうみたいに微笑んでいる。


 ほっと息を吐く。ちょっぴり自己嫌悪を感じた。


 葉月は私の一番の友達。きっと葉月も同じように思ってくれているはず。友情を疑うなんて浅はかだった。それにそもそもだけど、葉月が誰と話そうと自由。むしろ私以外とも積極的に関わるべきなのだ。


 葉月が人を避ける理由は、中学時代に仲のいい友達に裏切られたことにある。私とだけ関われば、その過去にいつまでも囚われかねない。


 小さく息を吐いて、靴を履き替える。


 けれど、ほんの少しでもいい。少しでいいから、葉月も私と似たような感情を抱いてくれていれば嬉しい。誤魔化しようのない本心は、恥ずかしいくらいに葉月のことが大好きなのだ。


 二人の後姿がみえなくなったあと、傘をさして一人で昇降口を出た。


 雨音の中でふと思う。どこまで葉月に伝えていいのだろう。私たちは確かに仲良くなった。けれどどれほど親しくなろうとも、礼儀はあるものだ。束縛するような好意は迷惑でしかない。


 迷惑をかければ、嫌われてしまってもおかしくない。大切だからこそどこまで踏み込んでもいいのか分からない。拒まれるくらい近づいてしまいそうで怖い。


 瞬く間にマイナス思考に飲まれてしまいそうになるから、私は首を横に振った。辛いことは考えなくていい。私と葉月の友情は確かだ。お互いがお互いを大切に思っている。今は、それだけでいい。


 車が行き交うのをぼんやりと見つめながら、雨の歩道を歩く。


 鏡面みたいになったアスファルトをライトが反射してキラキラするのは、葉月の言う通り綺麗だった。今朝の言葉を思い出して気を紛らわせようとするけれど、かえって寂しくなってしまう。


 隣に葉月がいない。その事実が重くのしかかる。

 

 こっちに来てからは、ほとんどずっと葉月と一緒に帰っていた。おかげで一人ぼっちの寂しさなんて忘れていた。だからこそなおさら今が寂しい。葉月に早く会いたいと思ってしまう。


「さっき別れたばかりなのに、私何考えてるんだろう……」


 情けない自分にため息をついていると、遠くに相合傘をしている女子がみえた。寂しさは増すし、羨ましいとも思う。私は葉月と同じ傘に入ったことがない。もしも相合傘をしたいって言ったら、葉月はどんな反応をするのだろう?


 笑顔で受け入れてくれるのかな。それとも顔をしかめて嫌がるのかな。分からない。でも私が思うに、ためらいながらもなんだかんだ受け入れてくれると思う。恥ずかしそうに顔を赤くして、それでもそっと傘に入れてくれるのだ。


 想像するだけでくすくすと笑い声がこぼれてしまう。


 でもささやかな幸せは、すぐに寂しい雨音に溶けて消えてしまった。


 小さくため息をつく。いつもよりも冷たい体で、私は一人家に帰った。

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