第2話 お昼休みと誕生日
「何かいいことでもあったの?」
お昼休み、教室で話しかけてきたのは隣の席の峰守さんだった。
活発そうな顔立ちとショートヘアが特徴的な人だ。このクラスの中心的な存在で、いつも人に囲まれている印象がある。葉月と仲良くなっていくうちに、自然と言葉を交すことが増えた人だった。
なんでも孤独な葉月のことを気の毒だと思って、密かに心配してくれていたらしい。
「うん。ちょっとね」
笑顔で返していると、いつものように葉月が声をかけてきた。
「涼香。一緒にお昼ご飯を食べましょう」
どことなく不服そうな顔なのは私が峰守さんと話していたからだろう。
葉月は私以外とはほとんど関わらない。
中学時代、仲がいいと思っていた友達が陰で悪口を言っていたらしいのだ。その時根付いた人間不信は、未だに根深いみたいだった。
峰守さんに謝ってから、お弁当をもって葉月の席に向かう。私の席は真ん中あたりで、葉月は窓際の一番後ろだ。この人は端っこが好きみたいで、五月の文化祭のときも人が多い場所は避けていた。
椅子を持ってゆき、葉月の横に座る。窓の外では今も雨が降り続いていた。雨粒がぱちぱちと音を立て打ち付ける。透明なしずくが軌跡を残して流れていく。
「峰守さんとは仲がいいのかしら?」
長いまつげは不安そうに伏せられていた。どことなく後ろめたげな瞳に私が映る。
「どうだろう。でも普通に友達だと思う」
「……誕生日のことは、もう伝えているの?」
祝ってもらうほど仲がいいわけではない。だから伝えていない。私が否定すると葉月はぱあっと顔を明るくした。でもすぐに軽く首を振って難しそうな顔になる。
「伝えたほうがいいと私は思うわ」
「葉月だけでいいよ。峰守さんに祝ってもらうのはなんだか申し訳ない」
出会って二か月でなんのためらいもなく祝ってもらえるほど、人と人は仲良くなれない。葉月が例外中の例外ってだけで、伝えないという選択もマナーの一つだと思うのだ。
でも葉月の意見は違うみたいだった。
「もしも私が峰守さんなら、ショックを受けると思うけれどね。友達だと思っている人が誕生日を隠そうとしているなんて、悲しいわ」
普通はちょっとした友達にも祝ってもらうような軽い行事ごとなのだろう。でも私からするととても特別なものなのだ。これまでの人生で祝ってもらったことなんて、ほとんどないから。
けれど葉月は心から私を心配してくれている。強くは拒めなかった。
「葉月が峰守さんに話してくれるのなら、教えてもいいよ」
上目遣いでつぶやくと葉月は微笑んだ。
「分かった。あとで伝えておくわ」
後ろを向くと、峰守さんは仲のいい人たちとクラスの真ん中で笑い合っていた。いつだって人に囲まれていて、太陽みたいに笑う。私とは全然違うタイプの人だと思う。距離を感じてしまうのだ。
それはきっと葉月も同じだと思う。人に心を閉ざしているのは葉月だけではない。私も同じなのだ。私たちがすぐに仲良くなれたのは、もしかすると根元が似ているからなのかもしれない。
目を戻すと窓の外では、教室の光を浴びた雨が絹糸みたいに白く光っていた。
「欲しいものを教えて欲しいわ。誕生日プレゼントよ」
「別になんでもいいよ」
葉月がくれるのなら何でも喜ぶ自信がある。でも首を横に振ると不服そうにしていた。
「困るわ。どうせプレゼントするのなら、喜んでもらいたいじゃないの」
真剣に考えてくれているみたいだ。私も窓の外をみつめながら考え込むけれど、本当に何も思い浮かばない。好きなものがないのだから、欲しいものもない。
黙り込んでいると葉月は不満げに目を細めた。
「最近の若者は物欲もないのかしら?」
「葉月だって最近の若者でしょ」
でも、一つだけ欲しいものはあるにはあるかもしれない。それは物じゃないから、お金で買うのも難しい。人によっては一生手に入れられないものなのだ。本当に葉月に求めていいのか、恥ずかしいし不安だ。でもやっぱり願ってしまう。
「まぁ、その、強いていうのなら葉月にそばにいて欲しいかな……」
「そばにいるじゃないの」
何を言っているの? とでも言いたげに首をかしげている。
恥ずかしいけど説明してあげなければならない。
「そういうことじゃなくて。誕生日はいつも一人ぼっちだったんだ。一人でケーキにろうそく差して、火を吹き消してた。多分今年もお父さん、仕事で帰ってこないと思うんだ。だから……」
そこまで伝えて葉月に目を向けると、心底気の毒そうに眉をひそめていた。悲しそうにしゅんとしてしまっているのだ。罪悪感が湧き上がってくる。
「そんな顔しないでよ。こんな湿っぽい空気になるのなら隠してた方が良かったかな……」
私の後悔もよそに、優しい笑みが現れる。
「きっと辛かったんでしょうね。口にするのも嫌だったでしょう? なのに私に話してくれた。嬉しいわ。本当にね」
葉月は私のことを素直な人だって思ってるみたいだけど、葉月の方がよほど真っすぐだ。小さくため息をついて、逃げるみたいに窓の外をみつめた。窓ガラスに反射した私は笑みを浮かべている。
「……ありがとうなのは私の方だよ」
誰にも聞こえないように小声でつぶやく。
照れくさい言葉は雨音が優しくかき消してくれた。
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