風呂

「━━━━ふぅー、お腹いっぱいなのだわ〜」


「ああ、そうだな。俺も寿司が食べられて満足だよ」


 そう言いながら部屋へと帰ってきた俺たち。

 これで明日の戦いは頑張れそうだ。

 

 それじゃあ次は・・・と一際目立つ曇った硝子の扉に目を向ける。

 アリミナの話によるとあそこはバスルーム。つまりだ!

 驚かれるかもしれないが、この世界に来てから実は一度も風呂に入っていない。石鹸を使って、『帰らずの森』の川で体を洗うことはあったが熱い風呂に浸かることは出来なかったのだ。

 だがしかしここのホテルには湯船がある!それはつまり!風呂に浸かれると言うこと!!


 俺は風呂の前の洗面所で服を脱ぐと、ガラガラと扉を開けてバスルームに入った。

 そこは日本でもよく見られる小さくも大きくもないバスルームだった。昔泊まったちょっとオシャレなホテルのバスルームもこんな感じだったよな。

 そう考えながら部屋にある風呂椅子に座っていざシャワーを!としたところで異変に気づく。


「あれ・・・?蛇口は?」


 このシャワー、回したり上げ下げしたりするバルブが見当たらない。温度を変える所も無ければ、そもそも水を出したり止めたりする所すら見当たらない。

 うん?どう言うことだ?

 こればっかりは仕方がない。アリミナに聞いてみよう。

 バスタオルで大事な部分を隠して部屋の扉を少し開けると声を出した。


「アリミナ!ちょっと来てくれ!!」


「ど、どうしたのだわ?」


 すぐに駆けつけてくれたアリミナに事情を説明する。


「すまない。これの使い方が分からないんだが、どうやったら水が出るんだ?」


「え~と・・・それならここを持って、お湯〜出るのだわ〜!って念じると・・・ほら!出たのだわ!」


 彼女がシャワーを湯船に向けるとそこから湯気と共に温かいお湯が流れた。不思議だ、どういった作りになっているんだろうか。

 彼女からシャワーを受け取って自分で試してみる。


「ありがとうアリミナ。ここを持って・・・お湯出ろ!って・・・出ない?」


 だがしかし、何も出ない。


「あれ、おかしいのだわ?ちょっと待ってるのだわ」


 洗面所から出ていったアリミナが今度は手を引いてセレクタを連れてきた。


「セレクタ、ちょっとシャワー出して欲しいのだわ?」


 相変わらずの無表情のままだが、セレクタがシャワーを受け取るとまたしてもお湯が流れた。


「どういうことだ・・・?」


「う〜ん、分からないのだわ?」


 2人して首をかしげる。

 俺がシャワーを持った時だけお湯が出ない・・・どうしよう、これじゃあ風呂に入れないじゃないか。


「よし、分かったのだわ!ちょっと待ってて欲しいのだわ!!」


 突然、アリミナがそんな事を言って硝子の扉をガラガラと閉じた。


 少し待つと扉の向こうからはシュルシュルという音が聞こえ始めた。なんだ?何をしてるんだ?

 硝子の扉ではあるが、所謂すりガラスと言われるような不透明にする加工が施されており向こう側がほとんど見えない。

 そしてもう一度ガラガラと開いた扉から出てきたのは、



「私が洗ってあげるのだわ!」


━━━━服を脱ぎ、体にバスタオルを巻いたアリミナだった。


「いやいや、ダメだろ!?」


 咄嗟に出たのはツッコミだった。


「どうしたのだわ?何がダメなのだわ?」


「あんたお嬢様だろ!?・・・じゃなくて!年頃の女の子が男の前で服を脱いだらダメじゃないか!?」


「服は脱いだけどタオルは巻いているのだわ?」


「そういう事じゃなくて・・・ああ、もういいよ。そういう事なら俺が出るよ」


 流石に歳の近い女性の裸に近しい姿を目の当たりにして理性を保つのは難しい。

 間違いが起きる前に俺が退こう。

 そうして硝子の扉を開けて出ようとした瞬間だった。


「━━━━ッ!?」


 誰かの腕が腰に回され背中に何か柔らかいものが押し当てられた。誰かではない、間違いなくアリミナだ。


「だ、ダメなのだわ!クロウお兄ちゃんは明日頑張るんだから、お風呂に入らないとダメなのだわ!」


 すべすべの腕が俺の腕に触れ、バスタオル越しに彼女の胸の柔らかさが伝わってくる。そしてほのかに漂う石鹸のような爽やかな甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「ちょっと!本当にダメだって!離すんだ!離してくれ!」


 ああやめろ、やめてくれ。

 俺の下腹部に熱がこもっていくのを感じ、心の奥底の黒い欲求がだんだんと大きくなっていく。


 柔らかいのが心地良いし、良い匂いだ。我慢なんてする必要ない、このまま襲っちゃえよ。ちょっと手を伸ばせば良いだけだ。ほら・・・


「絶対!!入らないとダメなのだわっ!!!」


 突然声を荒げたアリミナに俺の体が硬直した。

 俺の腹部に回された彼女の腕の締めつけがきりきりと強くなっていく。


「だって・・・だってお兄ちゃん、森で私たちを助けてくれてからまだ休んでないのだわ・・・それなのにすぐまた明日死ぬかもしれないところに行くって・・・」


 行かせまいと必死にしがみつくアリミナ。

 俺は彼女の震えだす身体を直に感じる。

 そして身体だけでなく声も震えだし、遂にはしゃくりあげる声も聞こえてきた。


「セバスはっ、もういないのっ、だわ!!ううぅ、それなの、に!クロウお兄ちゃんまでっ、いなくっ、なったら!私は、私はっ━━━━━」

 

 ただ彼女のすすり泣く声だけが風呂場に反響している。

 

 ああ、アリミナはずっと苦しかったんだ。

 考えてみれば当たり前の話じゃないか。

 自分と親しい人が消えたのだ。それだけでも辛いだろうに彼女は辛そうな姿を一切表に出さず、今日一日ずっと明るい笑顔だけを見せてくれていた。

 だから勘違いしていたのだ。

 

 彼女の心境なんてすぐに分かるはずなのに。

 一歩間違えれば処刑されるかもしれない敵地で、会って数日のいつ捨てられるかも分からない男に頼るしかないなんてどれほど心細かっただろうか。


「ごめん」


 それしか言えなかった。

 愚かな、そして無力な己に歯噛みする。

 もう黒い欲求なんてとっくに消え去っていた。






 その後、アリミナの言う通りシャワーを出して貰った。途中、俺の身体まで洗いだそうとした彼女だったがこれだけはなんとか断って自分で洗った。


 そして俺は今いつの間にか、おそらくはアリミナが風呂に入ってきた時から始まっていたお湯はりによってお湯の溜まった湯船に浸かっていた。


 今アリミナが真横で身体を洗っている。もちろん一糸纏わぬ姿でだ。だけどそんな事今の俺には関係ない。

 大体2ヶ月ぶりの湯船!!というかあまりに濃い2ヶ月だったため体感1年ぶりくらいだ。


「あ〜、極楽極楽〜」


 畳んだタオルを顔に被せ、ゆったりと身体を肩までお湯へと浸からせる。身体中の血管という血管がぶわっと広がっていく感覚に、汗と幸福感が湧き上がってくる。




 しばらくすると彼女が流すシャワーの音が止まった。


「洗い終わったから私も入れて欲しいのだわ」


「━━━━ッ!ダメだっ・・・いや、俺はそろそろ上がろうかなーーー」


「?まあ、それは大変なのだわ。急いで上がるのだわ」


 その密着は流石に今度こそ耐えられない。

 俺は逃げるように風呂を出るとホテルに備えられているパジャマを着て部屋へと戻り、今度はセレクタに風呂へ入るように言った。




「セレクタも風呂に向かった事だし、俺は先にベッドに入っちゃおうかな」


 なんたってめちゃくちゃデカいキングサイズ。それもただデカいだけじゃなく天蓋、ひらひらとしたカーテンが付いている王室が使うような高級感の漂うベッドだ。

 こんなん男も女もワクワクするに決まっている。


 ベッドに飛び込むと、俺の体を包み込むかのように沈んだ。こんなベッド初めてだ・・・

 その瞬間、制御できない眠気に襲われた。

 これは、アリミナとセレクタが風呂を上がるまで寝るのは待とうと思ったけど無理そうだな・・・


 だんだんと重くなる目蓋に、薄れていく意識を感じながら俺は眠りについた。

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