変化の兆し
「んむぅ・・・」
目を覚ますと、甘い匂いが目の前から漂ってきた。俺の前でセレクタが寝ている。
そうだった、昨日の出来事を思い出す。
「いつの間にか、寝ちゃってたみたいだ」
周りを見渡すとアリミナに膝枕をしているセバスがいた。
「おはよう。目を覚ましたんだね」
「ああ、おはよう」
こちらに気づいたセバスが挨拶をする。そして俺もそれに返答する。
「もしかして、ずっと起きてた?」
「ああ、そうだ。だが気にするな、王族に仕える執事達は皆1日10分の睡眠で1週間は活動を続けられるように訓練されているからな」
「そうですか・・・それじゃあ今から睡眠、取ります?」
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおう」
セバスが岩にもたれかかり目を閉じた。
話相手のいなくなった俺はしばらくの間目の前のセレクタの後頭部をただぼーっと眺めていた。すると、もぞもぞとセレクタが動き始めた。どうやら目を覚ましたようだ。
「セレクタ、おはよう」
「ん、おはようなの」
「調子はどうだ?」
「もう、苦しくないの」
それは本当に良かった。元気になったセレクタを見ていると、ふいに彼女と目が合った。
━━━━ッ!!
ドキリと胸が跳ねた。おかしい。これまでも何度か見つめ合う事自体はあった。だが、こんなにも緊張する事は一度もなかった。そこでようやく気がついた。
こちらを、見ている。
無表情で、瞳孔は開いており、何処か虚空を眺めているはずの彼女が。確かに今、俺と目が合っている。証拠は何一つ無いがそう確信できた。
昨日出会ったばかりセレクタ、まだ彼女について何も知らないと言っても過言ではない。だがその明らかな変化を見せた彼女に俺は喜ぶ。
喜び、そう喜びだろう。彼女の真っ黒な瞳に見つめられると俺の鼓動が早くなるのも、昨日からかいでいるはずの彼女の甘い香りが鼻に入るたびに頭がクラクラして何も考えられなくなりそうなのも。全て。
喜んでいると、セレクタがこちらに手を差し出した。
「きのうみたいに、ぎゅってしてほしいの」
「━━━━━あ、ごめん。ちょっと考え事してて。もう一回言ってくれるかい?」
「こうやって・・・ぎゅって、してほしいの」
セレクタがこちらの右手を両手で引っ張ると、彼女のチョコレートのように濃い褐色の左手でつぅーと手首から指先までなぞりながらお互いの指を鏡合わせにする。そうしてお互いの手のひらの大きさを確認するようにした後、指と指を絡めるように手を繋いだ。
昨日のは彼女の手を両手で包み込むような握手だったが、今日のは違う。これじゃあ恋人繋ぎじゃないか。でも、これでセレクタが安心できるなら安いもんだ。
はじめての恋人繋ぎにドクンドクンと鼓動が更に早まっていく。
「分かったよ」
こちらから彼女の手を握ると、彼女もぎゅっと握り返した。
これに満足した様子のセレクタはもぞもぞと俺の懐に潜ると、俺の胸に耳を当てるような体勢に落ち着いた。
「ちょっ、ちょっと・・・!?」
まずい、これじゃ俺の心臓の音が直に聞こえるじゃないか。大きく息を吸い、なんとか心臓の鼓動を元に戻そうとする。しかし、意識すればするほど鼓動が早まっていき━━━━
「━━━━まあまあっ!朝からこんな密着して・・・ラブラブなのだわ!!」
「うわぁっ!!」
突然の横からの声に驚く。
「違うっ!違うぞ!これは違うんだ!!」
って、違う。俺は何を弁明しようとしてるんだ。今、俺はセレクタを安心させようとしているだけだ。何もやましいことなんてしていない。何を言われても堂々としていよう。
「その固く結ばれた手はまさか・・・恋人繋ぎなのだわ!!それじゃあ今からキス!?私という人目を気にもせず目の前でキスを!?破廉恥、破廉恥なのだわ!」
しかしそんな俺を無視して頬を紅潮させ、顔を隠す指の隙間から熱い視線を送ってくるアリミナ。
やっぱり前言撤回!あんな視線で見られるとこっちまで恥ずかしくなっちゃうじゃないか!誰か止めてくれ!
その願いが届いたのか、セバスが目を覚ました。
「おはようございます、お嬢様」
「あっ、セバス・・・おはようなのだわ」
セバスが起きたことによって、アリミナは一旦落ち着きを取り戻したようだ。助かった・・・
アリミナと挨拶したセバスがこちらを向く。
「クロウ君は先ほどぶりだね。セレクタ君もおはよう」
・・・・・・。沈黙が流れる。寝たのか?
俺の前で丸まっているセレクタの顔を覗き込む。いつも通りに無表情で、瞳孔の開いたその目は虚空を眺めていた。
しかし、俺が覗き込んだ事に気付いた彼女はこちらに視点を移すとどうしたの?と言わんばかりに首を傾げた。俺には反応してくれるようだ。
「くっ・・・まあいい。クロウ君、昨日の会話で君が私たちと目的地が同じワルドローザ王国である事は把握している。追手が怖いため、少々早足で進んでいくが問題ないだろうか?」
セレクタに無視されて肩を落とすセバス。だがすぐに気を取り直した彼は俺に確認をしてきた。
「ええ、助かります。昨日のセレクタの問題もあります。早く医者に診てもらうためにも早めに進みましょう。あ、そうだ。進む方向は大丈夫なんですか?」
提案に賛同する。
ついでに疑問に思ったことを口にする。こんな目印一つない森で真っ直ぐに王国に辿り着けるものなのか。俺は無理だったけどな。
「ああ大丈夫さ。これがあるからね」
彼が懐から取り出したのは方位磁針のようなものだった。
「なんですか、これ?」
「これを知らないなんて珍しいね?こんな危険な森にいるのだから冒険者かと思っていたがそうでもないのかな?これは『
「あ、ああ・・・そうですね」
これくらいは知ってるだろうと説明するセバス。咄嗟に俺は知っているフリをする。
「この欠片はその大水晶を削ったものでね。どれだけ離れていても元の大水晶に戻ろうと引き寄せられていくんだ。ほら、この針の先に付けられている小さい欠片が『大水晶の欠片』だよ」
そう言いこちらに中身を見せてくれるセバス。
要するに北じゃなくてそれぞれに対応する国を差す方位磁針ってことか。これなら、間違いなく目的地に辿り着けるだろう。
そうして俺たちは今度こそ同じ目的地、ワルドローザ王国へと向けて進み出した。
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